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神近委員 その終戦直後の混乱時代に、子供に死なれた、夫に死なれたという人たちが、非常に困難な生活をしたということは御想像ができると思うのです。いま非常に気の毒な一例と思うのは、一番上の子供が六つのときに父親に死なれて、ようやく三人の子供を育てた女の人が、長男が働けるようになったところを徴兵に取られてしまったのです。そうして七年間転戦いたしまして、
最後はビルマで餓死しているのです。水も飲めない。食糧も
——敗戦がはっきりと形になってきたときですから、十九年ですから、ビルマで餓死をしている。そうしてその遺骨というものは、何か三度来た。紙に入ったものか何か来た。土が来たのか何が来たのか知りませんが、三度来た。一度は兵長という名前で来た。一度は
伍長という名前で来た。そういうふうな混乱した
状態にあったということ。この人は次男が精薄で、それからその次の女の子が病弱で、どうしても生活ができなくて再婚した。やっとどうやら養ってもらえるというところにきたときに、一年足らずでその再婚した夫がなくなった。そうして精薄の次男は行くえ不明。女の子はその後健康になって結婚したらしいのですけれども、いま長女の結婚先で居そうろうをしている。その夫がサラリーマンで、非常に薄給でありますから、自分の子供と妻とその妻の母親をかかえているというふうな
状態なんです。そういうようなところに、なぜこの人に
恩給がもらえないかということで、この
恩給法をよく読んでみると、結局再婚したということでしょう。この
ケースは前にもありましたよ。私は、愛知県でしたけれども、
恩給局に行って
——そうしてこの場合は入籍していなかった。夫に死なれて、農業ができなくて、親類の者に来てもらって農業をやっていた。そうして将来結婚しようかなというので内縁ができていた。その人が死んでしまった。それで今度は
恩給が子供には来るけれども、妻には来ないという
状態で、相談されて私は
恩給局に何度も足を運んだことがあります。そしてこれは何条でしたか、附則の十条ですかそれで入籍していなかったということが利益をして、味方をして、これはもらえる、三年後、ともかくいろいろの運動をしてやっといただけるようになったという事例があったんです。ところが、今度の人は入籍している。籍をその夫の籍から出ている。もう
一つの例が、同じような
ケースですけれども、夫に
戦死されて、そしてしゅうとが小さな子供たち、弟や妹をたくさんかかえているので、その妻を六歳下の弟の嫁にどうしてもなれ、そうしなければ困るというのでしゆうとに、しいられて六歳下の
戦死した夫の弟と結婚させられたんです。ところが、この
おじいさんが半年足らずでなくなって
——病気だものですから、これの言うことを聞かなくちゃならないので、いやいや弟と結婚した。そうしたら、
おじいさんが半年のうちになくなった。そうしたら、いやいや結婚した弟がその奥さんを追い
出してしまうのです。そうなると、やはり再婚したというような
——ここに書いてあるでしょう。実質に再婚した場合はいいけれども、籍を移した場合にはだめだ。それでその人は離婚された、年上の女房なんか要らないと思う弟が、幸いに父親が死んだから、これを追い
出した。追い
出したときには、おそらく実家の姓にこの人はなっていますよ。それで
戦死者の子供は病気で死んでしまうし、いま孤独になってどうにもならない、こういう
状態になっています。このことを、
法律だからそれはしかたございませんとあなた方おっしゃるでしょう。だけれども、これは
恩給局長なり審査官というような方が
おいでになるんでしょう、
恩給に問題があったときには。そういうような方で、これは
法律の
改正をおやりになるということ、この
恩給法の
改正というようなことをお考えになるなり、あるいは便法としては、
恩給局長の裁量あるいは審査官に御相談になって
——こういう
ケースは私は無数にあると思う。なぜここでこの問題を取り上げるかといえば、これは二例か三例にすぎないですよ、私が持っているのは。だけれども、これは私は無数にあると思うのです。そしてちゃんとこの手紙にも書いてありますけれども、わりあいに知識があって、生活が楽な人たちは、再婚しても籍を
入れていないんです。ですから、豊かである上に
恩給はもらっている。そういう人はたくさんいるんですよ。そして、もらえない人のほうが、貧乏で、無知であり、そして下層のところにいる、こういうことになっております。御存じかどうか知りませんが、たいへん有名な中将ぐらいの方が、四つになる孫を養子になさったことがあるんです。これは私ども個人的に娘の
関係で知っておりますけれども、おかしなことをなさるなと言いましたところが、養子であっても、年が若ければ
恩給がもらえる、それで孫が学資に困らないでいいだろうというので、偉い将軍が四つになる孫を養子になさったという
ケースがあるんですよ。そういうように、悪知恵と言えば語弊があるかも知れませんが、ともかくあんまり正しくない動機で
恩給がもらえるということが、
幾らでもできている。それなのに、ほんとうに気の毒な、弟の嫁にされて、そうしていま孤独で、子供はなくなったというような人は、今日食うに困り、日傭取りか何かをして過ごしているというのが、実態なんです。私は、
戦死した人たちのことを考えれば、こういう
状態で置くべきではないと思うんです。一番気の毒な人たち
——そうしてさっき申し上げたように、十何年育ててもらった母親をやっと養うことができるというときに戦争にとられて、そうして七年、外地を苦労して転戦して歩いて、ビルマではもう日本軍の敗色が
——補給がもういかなくなった。水も飲めない、食事もできないという
状態で、何万か死んでいますよ。ビルマでは輸送船が行くことができなくて、補給ができなくて十七万死んでいます。その中の一人だろうと思うのです。私は、そういう人の残った家族が、こういう気の毒な
状態にいるということを考えると、いまの
軍人恩給は何としても不合理でならない。結局この
法律をつくった人たちは、古い家族制度というものが頭にしょっちゅうあったんじゃないかと思うんです。これはまあ古い話ですけれども、昔廣瀬中佐の旅順港の閉鎖のときに、若い
少尉が
戦死しました。そのときに十七になる結婚したばかりの奥さんが、二年か三年後再婚という問題になったときに、世間が非常に非難したことを、皆さん年長の方は覚えて
おいでになるだろうと思う。非難したんですよ。今日二十二か二十三の未亡人が結婚するということは、あたりまえじゃありませんか。それをお考えになれば、いまの
恩給法に、籍を
入れた者にはやらない、籍を
入れないで実質的に結婚しているのはよろしいというのは、不合理きわまりないと思うんです。私は、その点を皆さんが考え直して
恩給局長の裁量で、たとえばこの人たちを救う方法としては、もとの籍に返すということですね。一ぺん出てきたところの夫の家の籍に連れ戻すということは、話し合いをすればできないことではないと思うんです。そういうことになれば、この
恩給を出せるかどうかということをちょっと考えていただきたい。