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1964-06-02 第46回国会 衆議院 内閣委員会 第39号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年六月二日(火曜日)    午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君    理事 伊能繁次郎君 理事 佐々木義武君    理事 辻  寛一君 理事 内藤  隆君    理事 永山 忠則君 理事 石橋 政嗣君    理事 山内  広君       壽原 正一君    塚田  徹君       綱島 正興君    野呂 恭一君       藤尾 正行君    保科善四郎君       前田 正男君    渡辺 栄一君      茜ケ久保重光君    稻村 隆一君       大出  俊君    中村 高一君       村山 喜一君    山田 長司君       受田 新吉君    山下 榮二君  出席国務大臣         法 務 大 臣 賀屋 興宣君  出席政府委員         検     事         (大臣官房司法         法制調査部長) 津田  實君         法務事務官         (矯正局長)  大澤 一郎君         検     事         (保護局長)  武内 孝之君         法務事務官         (入国管理局         長)      小川清四郎君         検     事         (入国管理局次         長)      富田 正典君         公安調査庁長官 吉河 光貞君         公安調査庁次長 宮下 明義君  委員外出席者         専  門  員 加藤 重喜君     ————————————— 六月二日  理事八田貞義君同日理事辞任につき、その補欠  として佐々木義武君が理事に当選した。     ————————————— 六月一日  外国特殊法人機関財団法人満州農産物検査所  を追加指定に関する請願池田清志紹介第四  〇九五号)  国立大学教官待遇改善に関する請願外二件(  關谷勝利紹介)(第四一〇五号)  同(村上勇紹介)(第四一七二号)  同(佐伯宗義紹介)(第四二二九号)  同(小山長規紹介)(第四二六三号)  米軍板付基地による大野小学校騒音防止に関  する請願中島茂喜紹介)(第四一〇六号)  建設省設置法の一部を改正する法律案等反対に  関する請願(林百郎君紹介)(第四一〇七号)  少年非行に対する審議機関設置に関する請願外  十一件(吉田賢一紹介)(第四一〇八号)  同外百件(吉田賢一紹介)(第四一二五号)  同外二百七件(吉田賢一紹介第四一七三号)  同(山下榮二紹介)(第四一七四号)  同外四十九件(吉田賢一紹介)(第四一八四  号)  同外六十九件(吉田賢一紹介第四二一二号)  同外九十二件(吉田賢一紹介)(第四二三〇  号)  宇都宮市に勤務する国家公務員寒冷地手当支  給に関する請願外七件(森山欽司紹介)(第  四一二四号)  館山航空基地拡張反対に関する請願實川清  之君紹介)(第四一四六号)  特高罷免による警察退職者補償に関する請願(  前田榮之助君紹介)(第四二一一号)  同(山本幸雄紹介)(第四二六九号)  靖国神社の国家護持に関する請願外三件(佐々  木義武紹介)(第四二一三号)  同(關谷勝利紹介)(第四二一四号)  同(岡崎英城紹介)(第四二九二号)  同外一件(松浦周太郎紹介)(第四二九三  号)  公務員賃金引き上げ等に関する請願大出俊  君紹介)(第四二一五号)  同外一件(有馬輝武紹介)(第四二六四号)  旧軍人等恩給に関する請願谷垣專一君紹  介)(第四二一六号)  退職警察職員恩給是正に関する請願黒金泰  美君紹介)(第四二四九号)  国立病院療養所に勤務する医師及び歯科医師  の待遇改善に関する請願平林剛紹介)(第  四二八四号)  同(小金義照紹介)(第四二八五号)  恩給年金等受給者処遇改善に関する請願(  大久保武雄紹介)(第四二九四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事辞任及び補欠選任  法務省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第五九号)      ————◇—————
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  理事辞任及び補欠選任に関する件についておはかりいたします。  理事八田貞義君より理事辞任申し出がございます。これを許可するに御異議はございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  これよりその補欠選任を行ないたいと存じますが、これは先例によりまして、委員長において御指名することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  それでは理事佐々木義武君を指名いたします。      ————◇—————
  5. 徳安實藏

    徳安委員長 法務省設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を継続いたします。  質疑申し出がありますので、これを許します。大出俊君。   〔委員長退席伊能委員長代理着席
  6. 大出俊

    大出委員 前回の内閣委員会質疑の中で、公安調査庁等のほうから答弁がありまして、朝鮮総連等の問題に触れて、したがって定員をふやすというお話があったわけでありますが、私は、思想の問題もさることながら、今日日本における朝鮮皆さんの問題についてあまりにも差別待遇が多過ぎますから、そういう点で法務大臣所見を承りたいと考えるわけであります。  まず第一に、一九六〇年の十二月に、国連総会が「植民地およびその人民に対する独立供与に関する宣言」というものを可決しているのでありますが、このときの反対は、わずかにアメリカ、イギリス、フランス、ポルトガル、スペインで、しかもこれは反対ということを表面に言わずに、棄権をしているわけであります。したがって、日本を含んで全部が賛成をしたという形になっているのでありますけれども、ここまで参りますと、そろそろ日本国内における朝鮮人諸君扱いの問題について、もう少し前向きで法務省当局にお考えをいただいていいのではないかという気がするのでありますけれども、その辺について、まずおおまかなところどういうふうに考えておるか、承りたいと思います。
  7. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 在日朝鮮人扱いにつきましては、むしろ他の外国人よりも利益と申しますか、事実上の特権を認めておるという状態でございまして、差別をして、悪い待遇をしておるということは少しもございません。
  8. 大出俊

    大出委員 おそらくそういうお答えをなさるだろうと思っているわけでありますが、後ほどこまかくどのくらいたくさん差別待遇があるかを申しますから、それについて一々お答えを承ることにいたします。  次に問題は、第二次大戦の終結当時の在日朝鮮人の数、これが大体二百万ないし二百四十万といわれているわけであります。E・W・ワグナーという人の書いた著書で、外務省が訳しております「日本における朝鮮少数民族」というのがございますが、これらによりますと、そういう数字になっておりまして、戦争の始まる前と比べまして、在日朝鮮人の数がきわめてふえているわけでありますが、どうしてこういうふうにふえたか、その原因等について、御存じならばお知らせいただきたいと思います。
  9. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 その原因につきまして、実際にお答えをする資料をただいま持っておりませんが、確かに在日朝鮮人の数がふえつつありますが、これは戦時中に戦時労働力等の補給のために相当数朝鮮人労務者内地に入れた、こういう事実がございます。これがいわゆるふえた一つ原因になっておったと存じます。
  10. 大出俊

    大出委員 日韓合併が行なわれたのは一九一〇年ですが、その当時までに日本に来ていた朝鮮人の数は、約三千人にすぎなかったのであります。それが一九四五年、つまりいま申し上げました戦争が終わりましたときには、二百万ないし二百四十万といわれる数になっていた、こういうことですが、朝鮮総督府が一九一〇年の三月から一八年末までに行なった土地調査事業というのがございますが、これは登記方式をとりまして、土地所有権を確立する方法をとったわけでありますけれども、その結果、従来の地主の所有権、これが法律的に確立されても、登記手続等が理解されていない当時の事情からしまして、一般農民土地は、高利金融を受けるたびに、その担保として日本人所有になってきて、日本所有となった朝鮮公有土地が三十万人の朝鮮農民に貸し付けられて、当時年収約二百万の収入を上げていたという記録がございます。さらに一九一〇年から一五年の間に、日本人土地所有者は、二千二百五十四人から六千九百六十六人にふえておるのであります。所有面積が、六万九千町歩から十七万一千町歩にふえているわけであります。日本政府から補助金を受けた東洋拓殖株式会社土地が、一九一八年に約十万町歩、こういうことになったわけであります。これが一九〇八年に韓国政府から同社に出資させた土地の約十倍、こういう計算になるのであります。さらにそのころ朝鮮総督府財政の約五〇%が、地税、つまり土地の税金によるものであって、七七・三%が、一九一八年には小作農もしくは自作兼小作になり下がっていたのであります。一方、工業製品もきわめて高く日本が売りましたから、逆に農産物を買いたたくという不等価交換ということになると思うのでありますが、その結果、朝鮮農民一般が非常な窮乏におちいって、その結果、難民朝鮮にあふれたという記録が、これまたあります。そこへ日本人周旋屋がたくさん乗り込んで、低賃金労働者をかり集めては日本へ移出する。さらに一九二〇年代になりますと、産米増殖計画というのが施行されましたが、これが一九一八年の米騒動にあらわれましたように、日本食糧不足を補なうということのために、朝鮮から米をどんどん持ってくる。一九一〇年の朝鮮人口は約千三百万、収穫米が一千百万石、麦が六百余万石、雑穀が百万石、年間一人当たり一石一斗を消費してなお余っていた。ところが、一九三五年には、人口二千万をこえたけれども、米の生産量は一千七百六十万石になってしまった。そのうち九百万石を日本に強引に積み出させたわけでありますから、一人当たり年間消費量が、わずか三斗三升にすぎなくなった。しかも、この平均には在朝鮮日本人も含まれているのでありますから、実際の朝鮮人消費量は、年間一人当たり二斗そこそこというありさまになったという、これまた記録があります。  こういう点からいきますと、いま労働力不足と言われましたが、そうではなくして、それも政策的に日本政府がそういうふうに持っていったということが明白だと私は思うのでありますけれども、もう一ぺん所見を承りたいと思います。
  11. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 私は、いま日本統治時代の施策、状況につきましての資料を持っておりませんので、必ずしもただいまの質問を否定するものではございません。ただ、日本計画的に貧しい状態をつくり、それによって朝鮮の人が多数日本に来なければならぬようにしたという結論には、賛成するものではないのでございます。いろいろ統治に欠陥もあったでございましょう。しかしながら、日本統治時代にどんなに朝鮮産業が進歩したか、私は非常に大きなものだと思います。産米の数にいたしましても、量にいたしましても、非常な進歩でございます。私が、昭和十四年から十六年まで北支開発の総裁をいたしましたときに常に感じたのは、汽車で帰りますときに、北京から新義州まで、鴨緑江に至るまでは、全く荒蕪地にひとしい。青いものは一つもないのです。一たび鴨緑江を渡りますと、実に山は繁茂しております。朝鮮ははげ山ばかりだと私の若いときは言われておりましたが、実によく繁茂した。さらに朝鮮海峡を渡りまして日本に帰ると、また一そうの繁茂でございます。政治というものが、長年治安を保ち、殖産興業に励むか励まないかでこんなにも違うものかと、荒廃しておおった中国大陸朝鮮日本というものを比較しまして、ほんとうに感概に打たれたことをいまも覚えておるのであります。これは朝鮮統治のやり方がみないいと私が申し上げるのではないのでございますが、いまの植林にしましても、産業にしましても、相当に効果をあげております。いま地租お話がございましたが、これはどこの国でも、発達の階梯が低い国では、地租租税の主勢力をなしていることは当然でございまして、日本でも、われわれの子供のときには地租租税の中心であった。これは発達段階のおそい農業国である場合には、やむを得ぬ現象であったと思います。それがゆえに朝鮮が貧しくなったという断定の材料には、私は疑問があると思うのであります。  そういう次第で、私は、相当長い期間朝鮮総督府の予算を大蔵省で担任しておる一人でございました。私の記憶では、その期間計画的に日本労務者を入れるなんということは、全然意識にものぼっていない次第でございます。大体におきまして、いまお話のありますように、日本統治時代朝鮮人口が非常に増しまして、私はいま資料を持っておりませんが、朝鮮人々平均国民所得も上がり、経済もよくなったと存じておるのでございます。しかしながら、比較したら日本のほうがなおよろしゅうございますから、多数の朝鮮の方も来た。部分的には、お話しのように土地登記制度に移して、失ったから来たということもございましょう。しかし、大体において日本搾取政略のために朝鮮の人がたくさん来たというお考えには、私は一致しないのでございます。
  12. 大出俊

    大出委員 あとの質問関連がありますから、いまの点もう少し私のほうから申し上げておきますが、一九二〇年代の日本の例の恐慌、これは歴史に明らかであります。一九二九年からは世界恐慌という形に発展をいたしておりますけれども、この抜け道をば日本経済大陸に求めた。これが質屋さんがいま言われる日本時代の歩んだ道であります。その意味で、朝鮮兵たん基地ということで、そこに政策的な重点が置かれまして、軍需工業が進出をする、そして農業恐慌のしわ寄せが次第にはっきりしてきて、北羊南綿政策が生まれてきたわけであります。いま搾取した覚えはないと言うけれども、この政策自体は、明らかに搾取的だというふうに断ぜざるを得ないのであります。そのためにますます流浪する難民がふえ、日本へ渡来する人口がますますふえたわけでありますが、一九二二年の在日朝鮮人が三十一万八千二百十二人、三八年になりますと七十九万九千八百六十五人になったわけでありますから、いかに否定をされましても、住みにくい朝鮮から日本に流れてきたことの事実は明らかであります。さらに三九年以降、戦時労働力不足を先ほど大臣言われるように補うという意味で、強制連行という形がとられているわけであります。これも記録に明らかであります。そして日本人が、鉱山や建設中の金属鉱業やあるいは仲仕等の仕事については朝鮮人労働者の移入にたよるという形がとられて、太平洋戦争勃発当時のことでありますけれども日本に大体百四十万の朝鮮人が居住しておりまして、そのうちの七十七万七千人が労働者であって、六十九万二千人がそれ以外の人たち、これも数字が明らかであります。一九三九年から四五年にわたって九十万七千六百九十七人の朝鮮人朝鮮から持ってくる計画が当時つくられているが、割り当て数のわずか七三%、約六十七万を持ってくることに成功し、連れられてきた朝鮮の人のほぼ半数が炭鉱に送られた。これはG・B・コーヘンという人の「戦時戦後の日本経済」という資料に、相当詳細に載っております。最もひどいのは労務徴用戦争が次第に激しくなるに従って、やがて朝鮮志願兵制度がしかれて、労務徴用者割り当てがきわめて激しくなってまいりました。納得の上で応募させていたのでは、予定数割り当てに達しない。そこで郡あるいは面——これは村でありますが、等の労務係が、深夜あるいは早暁に田畑で働いている人たちをトラックを回して集団的に乗せて、九州の炭鉱に送り込んだ、こういうことが、鎌田さんという人の「朝鮮新話」に記録として明らかになっているわけであります。ここまでまいりますと、きれいごとを言っているのではなくて、当時の私ども日本人考えていた——日本における私ども学生時代等現実にながめている朝鮮人に対する日本人の感情なり待遇なりということを思いますときに、当時責任の衝におられた大臣のことですから、この辺のことは事実は事実としてあっさり認めた上で、今日置かれている朝鮮方々待遇というものに対してどうして前向きに改善していくかということを考えてしかるべきだと思いますが、再度その点を御答弁賜わりたいと思います。
  13. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 朝鮮を貧しくして、やむを得ず朝鮮の方が日本に来られるようにしたという考え方には、私は御賛成しない。これは正直に申しまして、日本内地朝鮮内では民度が違いましたでしょうが、朝鮮も非常によく、日本は前からいいのですが、なおよくなって一それはどこでもある水準の違い、つまり日本でもハワイ移民米国移民ということで非常に問題を起こしまして、移民条約ができた。これは国が違ったからそういうことになったのですが、このときには朝鮮日本は同じ一国になっておったわけであります。それですから、自然流入する。当時かりに日本労働運動が盛んなら、むしろ朝鮮人に入ってもらいたくないというような運動——これは私の想像ですが、起こったかもしれない。むしろ実情はそうであった、何も朝鮮人をいじめるためにやったことではなくて、それは経済水準が違うことから起こる自然の流れであったと私は思っておるのでございます。  それから、いわゆる戦時の話、これは私は朝鮮の方に非常にお気の毒だったと思っております。しかしながら、ひるがえって戦時以後日本においでになった方は、どうであったか。日本全体がそうであった。日本人自体が、どんなに戦争労働力のためにあるいは徴用され、場所が移動をされたか、これはもう朝鮮人日本人との何の区別もない。それがよかったか悪かったかということは第二としまして、あらゆる方途を講じて、その人々にはお気の毒であるが、学徒の徴用もありましたし、そうなれば日本人国内における労働力移動もあったし、その一環として行なわれたのであります。これは私は、戦争全体に対する一つの行き方であったと思う。私は、戦時中の大蔵大臣でありますし、開戦当時の閣僚で、あの戦争の開始を決定した一人でありますから、あの戦争が与えたところの日本歴史に対する汚辱と国民の悲惨な状態に対しては、十分な責任を感じております。これは何も戦争裁判のような他国の人が判定した責任でなしに、私みずからさばいて、十分な政治的責任を私は感じておる人の一人であると私は自分で考えておる。それはそれでございますが、何も朝鮮人を区別してやったのではない。これは、日本全体が同様な苦しみと痛手を受けておる次第でございます。その点は、私は誤解がないように願いたいと思います。
  14. 大出俊

    大出委員 逆に誤解をいただきたくないのですが、私は、別に賀屋さんが戦時中の閣僚であるから申し上げるのではなくて、むしろ私は、戦時中の閣僚でない方が法務大臣であられたほうが質問しやすいくらいに思っているのでありますから、その点はひとつ誤解をいただきたくないのでありますが、私は、現実に行なわれたこととその結果に基づいて、今日ある朝鮮人皆さん方の姿というものをながめて、さてどうするかということは、やはり今日の政治の問題だというふうに考えるから質問しているのでありますから、そういうふうにお考えをいただきたいのであります。決して誤解はいたしておりません。  そこで承りたいのでありますけれども戦争に参加させられた朝鮮人は三十六万五千二百六十三人、こういう記録が、私の調査のところではございます。そこでこの方々日本各地炭鉱土木工事、ここでさんざん苦労をされて、さらに南方各地の戦場で死んでいるわけでありますけれども朝鮮人軍人、軍属だけでも約二万人、徴用労働者の死亡は約一が人、これは厚生省推定であります。したがって、私はおそらく厚生省推定でありますから間違いはないと思うのでありますが、ところが、その実態が今日に至るまで何ら明らかにされていない。また何の補償もない。さらに遺骨調査等さえ行なわれていない。これは、まあ結果的に今日の現実であります。そうなりますと、いま大臣が言われる意味で私がそのことを質問したのではありませんけれども責任言々というふうに御答弁をされましたが、個人の責任というのではなく、国の責任として、やはりこれは今日国を異にしているのでありますから、当然私は明らかにしていかなければならぬ筋合いだ、こういうふうに思うのでありますが、この点はどうお考えになりますか。
  15. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 お気の毒でありましたが、当時日本人であった。日本戦争をしまして、その戦争に対する協力のために、日本国民は全部苦んだのでございます。いまは国が分離いたしまして国籍が分かれましたが、そのときには日本人であったわけでございますから、その観点からいたしますと、現在日韓交渉などが行なわれておりますが、その中ではそういうことを主張をされるかもしれません。私は、この際にそういう事情はわかりますが、特に朝鮮人を苦しめ、朝鮮人を搾取するためにやったということではない。日本人でありましたために起こったことで、国籍は分離したが、そのお気持ちはわかりますが、それはそれとして考えなければならぬ。それで、いま国内における一般朝鮮人待遇をどうするか、これはまあ関連が起こる部分があるかもしれないが、私は別問題だと思うのであります。それに対しましては、むしろ事実上相当優遇はしておる、こういう次第でございます。
  16. 大出俊

    大出委員 優遇をしているというお考えなんですが、その前にそれはそれとしてということなんですが、先ほど私が述べましたように、厚生省推定数字にしろこれだけのものを出しているのですから、してみると、これに対して、日本人に対して行なっているように、やはり調査もし、遺骨云々というような問題についても、手がけていかなければならぬと私は思うのでありますが、これはひとつあらためてもう一ぺん御答弁をいただきます。
  17. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 それはちょっと私はいま御答弁申し上げるのは、適当でないかと思います。ただいま日韓交渉中でございまして、御承知の請求権などという問題もございます。その請求権問題が解決いたしまして、その内容がどういうものであるか、いろいろ関連をいたしますので、お説はよく承っておきますが、いまどう考えるかということは、そういう意味におきましては、私はここでは御答弁申し上げない。日韓交渉その他全体に関連しまして、適当な機会に政府考え方を申し上げたい。このほうがよろしいのではないかと思います。
  18. 大出俊

    大出委員 現在、約六十余万の外国人が、日本におることになっておる、登録をしておることになっておりますが、そのうち約五十八万八千人が朝鮮人たちということに数字的にはなっております。そこで、現在在日朝鮮人方々は、一つ在留資格を取得することなく本邦に在留することができるもの、現在このケースに属する方々、さらにもう一つは、在留資格を取得しなければ在留できない方々に、大きく分ければ分けられるわけでありますが、前者の場合には、一九四五年九月二日以前から五二年の四月二十七日、つまりサンフランシスコ講和条約発効まで引き続き日本に在留していた者、四五年の九月三日から五二年四月二十七日までに日本で生まれた子供を含む、こういうことになっているはずであります。出入国管理令の第二十二条の二、在留資格の取得の申請の規定にかかわりなく、別に法律で定めるところによってその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を持たなくても日本に在留することができる。これは「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」、一九五二年法律第百二十六号の第二条の六項に書いてありますが、これに該当する人々が現在約四十万人、それから一九五二年当時入国管理庁の長官であった鈴木さん等の記録によりますと、これらの人々は、一般外国人に適用される出入国管理令の根本から除外されておる、そういっても過言ではない、こういうふうに言っておりますけれども、なぜこのような一般外国人とは違う処遇にしたかという理由は、先ほど法務大臣お話しになっておりましたが、つまり歴史があるからで、この点は五二年の国会の議事録等にも明らかになっておるところであります。ここまではいいのでありますけれども、このAとBとの食い違い、つまり前者と後者の食い違いからくる深刻な問題が今日起こっておるわけでありまして、A、前者のケースの子供さんでサンフランシスコ条約以後に生まれた者、これはあとのほうのケースに含まれることになります。だから、在留許可を得なければ在留できない。同じ前者のケースに該当する方の子供さんでありましても、長男と次男では取り扱いが違う。さらに、このことはいま日本に在留されている朝鮮皆さんの中で、家庭的な問題ということで大きな問題になっているわけでありますが、これは日本政府がやろうとすればできることでありまして、それをやっていないということに結果的になっていると私は思うのでありますが、先ほど優遇をしておられるというわけでありますから、この辺についてどうお考えになっているか、承りたいわけです。
  19. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 関係法令、またいろいろそれによりますいつからいつまでという時間等につきましては、必要があれば政府委員よりお答えを申し上げますが、大体日本人として日本で生活をしておった人々に対しまして、その国籍が急に変わったからといってこれを外国人として取り扱うということは、実情に適しない。また、気の毒と申しますか、本人の生活等にかんがみまして適当でない。一口に申しまして、戦前からずっと日本に住まっておられる——戦前と申しますよりも、むしろ戦時中まででございます。こういう朝鮮人人々に対しましては、従来と同じ扱いでいこうというような考え方でございます。しかし、日本と韓国の国交は、まだ条約も締結されておりません。それからまた北鮮とは、国交が全然ない状態です。北鮮生まれの人は、現在六十万近いうちでわずか一万人余りと聞いておりますが、それにしましてもありません。そういうために、これを法的に確定状態に持っていくことは現在不可能でありますから、いまのお話の暫定的の法律によりまして、大体従来の地位を事実上保持できるようにというのが、いまのたてまえでございます。ですが、いまのように終戦後——終戦後という言い方は不正確かもしれませんが、大体の感じとしまして、生まれた人は、やはり外国人であるから、その扱いはどうするかということはなかなかむずかしくなるわけであります。それで無条件に実際上の永住権は認めてないことになっているかもしれませんが、あるいは何年間認めてまた切りかえというようなことがあるかもしれませんが、事実上はそれを強制送還するというようなことはない。そういう子供さんたちは、やはり続いて日本に居住しておられるようになっておると承知いたしております。また、それは大体そういう方針でございます。
  20. 富田正典

    ○富田政府委員 ただいまの大臣の御答弁にさらに若干補足して説明させていただきます。  御指摘のとおり、在日朝鮮人は、戦前から引き続き居住していて、講和条約の発効と同時に日本国籍を失った者、それから同じくそれらの者の子供で、戦後生まれまして、講和条約の発効までに生まれていた者、これは法律百二十六号によりまして、在留資格を取得することなく在留できる。これはやはりこの法律ができたときに、近き将来におきまして、日韓間の会談によりまして、従来の日本に在留するに至った特殊な事情、それから本人の意思に基づかずに日本国籍を失ったという事実、そういうものにかんがみて特殊な待遇をいたしましょうという協定ができるまでの暫定的な取り扱いとして、こういう法律ができたわけでございます。ところが、講和条約発効後に生まれた子供は、たとえそれらの方々子供でございましても、もう外国人となってから生まれたわけでございますから、これはやはり外国人として届け出て在留資格をとってもらわなければならない。その在留資格は、現在三年ということになっております。しかしながら、その資格の更新の場合に、普通は手数料が必要でございますが、これらの者につきましては、手数料を免除しておるわけでございます。そして申請さえすれば実質的に自動的に切りかえられて。いろいろ取得の手続につきましても、一般と比べて非常に簡便にしてあるというふうに承知しております。
  21. 大出俊

    大出委員 韓国から避難してきた密入国の方々、あるいは無登録、懲役、禁錮刑に処せられた者などという、こういうケースについては、特別在留の許可を得なければ、出入国管理令違反ということで強制退去命令を受けることになりますね。そこで、一九五二年の第一回日韓会談のころから一九六〇年までの間に、南朝鮮に強制送還された人は約六万人、こういう数字になっていると承知しておりますが、そのうちの約四千人近い方々は、密入国者ではなくて、第二次大戦前から日本に住んでいた在留資格なくして在留できる、先ほど富田さん御説明の前者に属する方々だというふうに資料的には知らされておりますけれども、これは一体どういうことなんですか。
  22. 富田正典

    ○富田政府委員 ただいま正確な数字を持っておりませんので、その点恐縮でございますが、講和条約発効前は、米軍の手によりまして送還業務が行なわれておりました。したがいまして、戦前から在留しておった在日朝鮮人の中でも、法令違反ということで送還された者が、そのころまではあったと承知しております。しかしながら、講和条約発効後は、この点につきまして韓国政府のほうで、これは戦前から引き続き在留しておる者であり、その者の処遇についてこれからいろいろ日韓間で協議しようということを言っているときに、戦前から引き続きおる者を送ってくるのは受け取りかねるということで、向こうは受け取りを拒絶いたしまして、そのままその状態が継続していたと承知しております。したがいまして、戦前から引き続き居住していた者が、六万人のうち五万数千人になるような数字でありますが、それだけ送り返されたということは、いささか事実に反するのではないか。この点は、さらに詳細に調査した上で、別な機会にお答え申し上げます。
  23. 大出俊

    大出委員 いま言われた意味は、それなりにわかりますけれども、私の質問とは違います。つまり六万人にのぼる強制送還された方々の中の約四千人ばかりの人は、これは前のトラブルが云々ではなくて、すでに日本におって登録手続その他が漏れていた。ですから、さらにつけ加えて言えば、外国人登録法違反ということで——これは一種の刑事罰ですね、によって、先ほど富田さん御説明の二つお話しになっている前者のほうですね、この資格を奪われて、特別在留を許されずに、つまり強制退去命令を受けた人、そして同法第十八条第一項第七号によれば、「入国審査官、入国警備官、警察官、海上保安官、鉄道公安職員その他法務省令で定める国又は地方公共団体の職員」から外国人登録証明書を見せてくれと言われたときに、もしその場で見せることができなければ、「一年以下の懲役若しくは禁こ又は三万円以下の罰金」、法律的にはこうなっているわけです。だから、これは町を歩いていても、そういうように要求された場合に持っていなければ違反、実際にはこういうことになりますね。と同じような形で、つまり日本に戦前からおって、そして登録漏れ、あるいは前者の場合でいけば登録の必要がない、こういう方々がたくさんいるわけだけれども、その方々は、なかなか文字もわからぬ人がたくさんいるのだから、実際には六万人の中で四千人強制送還をされてしまっているというわけです。そうすると、説明をされる法律がこうだということと現実とはだいぶ違うのではないかという気がするので、そこを聞きたいのです。
  24. 富田正典

    ○富田政府委員 正確な数字は存じませんが、戦前から引き続き在留しておる在日朝鮮人が、たまたま登録証明書を所持しておらなかったとか、あるいはその他刑事罰に触れて懲役一年以上の刑に処せられたとか、そういうことで送還させられたということは——送還をしようとした時代はございます。しかしながら、それも向こうが受け取りを拒絶しましたために、その後そういう者の送還は実質的にストップしておる。また、昭和三十二年か一年ころでございましたか、漁夫の交換問題で、あれ以来は送還のための収容は自制するということになっておりまして、そういう戦前から引き続き居住する者の登録法違反、刑事罰違反、貧困、疾病、その他の退去強制事由、これに基づく送還は、全然いたしておりません。
  25. 大出俊

    大出委員 しかし、いまのお話でもわかりますが、今日はいたしていないけれども、過去にいたしたことがあることになるのですね。それでここに数字も載っているわけですが、私は法律的に誤りではないかという気がするのでありますけれども、何しろこれらの方々については、黙秘権なんというものは法律的には何もないのです。それから証明書を忘れてきても不携帯罪になるのだし、呈示を拒んだ場合にも不呈示罪になるのだし、先ほど法務大臣がおっしゃっている三年ごとの登録切りかえ、このときに申請しないと、不申請罪に法律的にはなる。それから住所変更を届けないと、これまた不申請罪になる。住所以外の身辺事情が違っていたりすると、不申請罪になる。さらに証明書を受け取らない罪というのもある。これは、本人が戦前からいらっしゃった方々です。文字も読めなかったりする方々、これは飯場を渡り歩いたりする労働者もたくさんいるのですから、こういう方々にこういう法的な不備といいますか、これを置いておくことが、三十二年以前の話を先ほど言われましたけれども、こういう結果になる理由なんです。そうすると、これらのことについては、日本政府はやろうとすればやれるのだから、そのくらいのことはいままでの間にやっておいてしかるべきだ。ところが、先ほどちょっとほかのことに触れられまして、子供さんのお話で、サンフランシスコ講和条約の前後の話から、どうも長男と次男坊とは違う取り扱い、しかも日本人と結婚した場合には、法律的に私生子か何かにしておかなければならないということでしょう。そうなってくると、これは日本国内のことなんだから、しかも富田さんも言っておられるように、昔は一緒の国だったというのだから、そうだとすれば、それらのことはやはり文句をつけられぬようにきちっとしておかなければならない。やはり国際的な問題なのだから、非常にまずいことではないかと思うのですが、これらのことはいかがでしょうか。
  26. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 在日朝鮮人の立場から考えられますと、いろいろそういうお考えが出ると思いますが、しかし、国として秩序を保つ上に一定の法令が必要で、日本人だってこんな規則はめんどうくさくてしようがないというのがずいぶんたくさんありますから、これはある程度はけじめをつける必要がある。要するに、問題はその事実上の運用をどうやるか、法に違反するわけにはまいりませんが、そういう問題と、もう一つは、いまの法令が不備だから変えろというお説も入っている。私は、これも理屈はある程度あるだろうと思うのです。そういうことですが、結局、問題は日韓間の関係が非常に不自然な状態にあるという、第一いつまでもこういうふうな日韓間の条約ができないで、こういうふうに終戦後二十年も近くいくということは、そうは想像しないわけなのです。講和条約ができましたら、早く両方の関係を規律していきたいという考えでやっておるのですが、そういうことで不安定な間ですから、そう何もかもうまく規則がいくかということは、大局からながめてなかなかむずかしいことでございますから、運用は考えますが、いま日韓交渉が進んでおります。早く日韓交渉を妥結して、そういうことがはっきりきめ得るような状態になることが、私どもの非常な希望でありまして、それまでの間、もはやあまり年数も経ないでそういう状態になり得るのではないか、また持っていきたいと考えている次第でございます。それまでの間は、いまのように法令的にはすぐ退去せなければならないという状態でありましても、相当に留保してやっている。そこは運用でいきたいと考えております。
  27. 大出俊

    大出委員 もう一つ重ねて聞いておいて、さらにまた大臣所見をいただきたいのですが、学校教育の問題一つをとらえてみても、日本の学校教育を受ける自由は認めておる。これはあたりまえです。どこの外国人でも同じなのですが、在日朝鮮人方々朝鮮人学校をつくると、それには学校としての認可が与えられないということになっておるわけです。それからその卒業生は、日本の大学へ入学する資格を認められていない。日本におけるアメリカ人なんかの場合には、学校は学校として認可されておって、朝鮮人学校は認められない。こういうことは、いま運用ということを言われたのだけれども、実際に現に存在している事実なんです。この辺のところは、単に運用でどうにかなるというふうにお考えですか。
  28. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 それはなかなかむずかしい問題でございまして、いま各種学校と申しますか、そういうものは、ずいぶん設立されていると思います。その上にむしろいろんな困難な状態があるということは、御承知じゃございませんか。また、教育の内容が、日本におきましては、やはり北鮮内ではない、韓国内ではないのでございまして、そういう問題もございます。必要なら文部当局に来てもらってお話しをしたいと思っております。実情は非常に困難性があるのではないか。教育の内容から見まして、現在の朝鮮人が入っておられます学校の運用から見まして、むしろ非常な難点があるのではないか。大出さんもあるいは御承知かと思います。すぐその資格を許せ、どんどんこしらえら、一方的にそうばかりもなかなか困難ではないか。必要があれば、文部当局からお答えを申し上げることにいたします。
  29. 大出俊

    大出委員 つまりやればやれるのだけれども、いろいろ大局的な政治事情からいってむずかしいから運用でという話をされるから、例をあげているわけなのです。
  30. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 やるのについて問題がたくさんあると思うのでございます。
  31. 大出俊

    大出委員 結果的には同じことなのです。やらなければ片づかないのですから、これだけははっきりしているので、そこでいまのような質問を申し上げたのだけれども、たとえば横浜などにいまあるのですが、朝鮮人皆さんがつくっておられた。しかも、土地まで朝鮮方々が持っておって、供出をして学校をつくった。ところが、ことばは悪いけれども、取り上げてしまって、今日法務省所管のかっこうになっている。さて、それじゃその学校を今日払い下げて、本来ならば朝鮮方々が持っておったものだから、ただで返しても悪くはないのだけれども、なかなか払い下げさえ許可しない、こういう実情に今日あるわけです。これらのことも運用でやれるということは、運用でできることはやるという意味でしょうけれども、そこまで考えておられるならば、この種のことについては、運用で幾らでもやりようがあるのだから、早急に希望に基づいて解決をしていくという方法をとっても悪くはないと私は思う。これも文部省と言われるかもしれぬが、所管は法務省民事局第五課長が担当でやっておられるのですから、この辺のところは、どういうようにお考えになっておられますか。
  32. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 単に財産問題としてのみこれを処理すれば、民事局の問題でございます。財産問題として処理し得るかどうか、こういう点も私はあるのではないかと思う。それで、とにかく実情に応じて朝鮮人が就学しておられます学校、学級は、日本の公立学校もございますし、その他において、これは非常にいろいろな問題があると思います。私が詳細なことをいまお答え申し上げるのはどうかと思いますが、必要がございましたら文部当局から申し上げます。
  33. 大出俊

    大出委員 私は、過去の外務委員会等の議事録をずっと目を通しておりますから、この中で外務大臣がどういうふうに答えられ、かつ法務大臣がどういうふうに答えておられ、あるいは統一見解としてさらに外務大臣がどう答えていられるかということについては、承知の上で申し上げているのですが、たとえば日韓会談ということをしきりに言われるのだけれども、この日韓会談という理由のもとに——国内における差別はないとおっしゃるけれども、きわめて不合理きわまる差別だと私は思うのであります。幾つかいま例をあげたとおりでありますが、これらの問題を、ただ一方に日韓会談があるから政治的にということで、一体いつまで放置しようというのか。これは六十万もおられるのだから、おさまる筋合いのものじゃない。これを何とか合理的に解決していく方法を——日韓会談は日韓会談として、日本国内に現にある困難な問題なんですから、解決していくという方向をこれはやはり法務大臣の立場でお考えになるのが、私は至当だろうと思うのでありますが、そのことを先ほど運用でということを言われたのだが、運用で解決できるのなら、それはまず片づける、運用で解決するのですから。時間の関係もありますから多く並べませんけれども、たくさんあります。私が見ても、確かに運用で解決できるのもある。だとすれば、これは運用で解決すべきなんですね。そこのところはどういうふうに考えておられますか。
  34. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 私が先ほど運用でと申し上げましたのは、在留の問題につきまして申し上げたのでございます。お話しのように日韓会談の中に包含されてそれは解決したい、あるいは解決の基礎になるものと、日本国内法的、国内行政的に処理するものと、やはり後者はたくさん残ると思うのです。これは私はお考えと抽象論としては一致しておるのであります。しかし、日韓会談というものがもう目睫の間に迫って、われわれも韓国もできるだけ早く妥結させたいという考えを持っておる次第でございます。まずそれを妥結し、そして残るいろいろな問題を解決する。これが非常に長くなりますならば、いろいろまた考えなければなりません。在日朝鮮人の法的地位の問題も、どういう範囲でどう解決するか。これはやはり条約ができてみませんと、そう明確にわかりません。そうすると、残る問題としまして、日本が日韓会談の趣旨、精神、あるいは従来の歴史的関係等を考えまして、どう妥当に処理するかということをやはり考える。そしてそれは処理してまいりたいと思います。教育問題は、私が聞いておりますところでは、なかなか困難で、いま暫定的にすぐどうするということにもいきにくいし、どういう範囲が会談以外に純国内法的に残るかということが、どうも私の頭の中にはまだはっきりしておりません。しかし、解決しなければならぬ問題としては、十分に考えべきものだと思っております。
  35. 大出俊

    大出委員 立場が違いますから、言われることについてはそれなりに言い分としてはわかるのですよ。わかるのだけれども現実的に生活保護の打ち切りなんかの問題をめぐっても、私も調べてみていますが、これは日本人の被保護者よりは極端にひどい状態にあります。それから金のある人たちでも、生命保険なんかに加入できないし、あるいは火災保険でも大きな制約があるし、金融機関について言えば、融資はなかなか成立をしないし、さらに住宅公団その他の国家資金からは一切締め出されているし、さらにじゃ税金はと言えば、一般日本人に比べてよけいとられる。こういうことになると、やはりこれはいま日韓会談日韓会談、何でもそういうことを言うけれども現実に今日困る問題をやはり前向きに処理していく姿勢が、どうしても今日この段階では必要ではないかと私は思うので、大臣の言われる趣旨はそれなりにわかるが、それでは片づかないから、そこのところはどういうふうにお考えかということを聞いているわけです。
  36. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 朝鮮の方だから税金をよけいとる、こういう事実は全然ないと思います。これは私は非難するのではないが、だれもみな、自分は不利益な待遇を受けているのだ、自分のところにつらく当たると一これは日本人の各層でも、おれのところはどうも僻地で、一向政府の金を回してくれない、いいところは、おれのところはさらに発達すべきものだから、さらに補助金をよこせと言う。これは御要求があるのは悪いとは申しませんが、皆さんそうお考えになりますが、一体そうひどいことをいたしておりましょうか。むしろ生活保護なんかでも、朝鮮の方にはどうもゆる過ぎて困るという声も一部にはあるのです。それから学校の教育につきましても、いろいろ教育内容に対する御注文といいますか、いろいろあるので、そんなひどい差別待遇をしておるのではない。むしろ従来の沿革を考えまして、ほかの外国人にはできない、生活保護の問題も、日本の公立学校の無償の問題でも、やっておるつもりであります。なおほんとにこういう点が、こういう点がということを具体的にお示しがありますれば、それは研究して改善すべきものは改善する、それは決してやぶさかではありません。
  37. 大出俊

    大出委員 いろいろ言われるけれども、一例をあげますれば、横浜には、いま二つ朝鮮人の学校がある。一つは澤渡というところにありまして、もう一つは下野谷というところにあるのですが、片方は土地も戦前朝鮮方々が供出したものであり、建物も皆さんが一生懸命金を集めて建てた。途中で台風でぶっ飛ばされて、泣きの涙でまた金集めしてやっと建てたという学校があるわけです。ところが、これは戦後のいきさつで、今日その方々の財産取得権を離れて国が所管をしている。先ほど申し上げたように法務省の所管です。行ってみると、この学校は床も相当穴があいて、風が吹けばいまにもぶっ倒れそうな学校へ、子供さんがみな毎日そこに通っている、こういう危険な状態に置かれているわけです。私は行ってみて、これは一刻もゆるがせにできない問題だと思うのでありますが、所管の問題その他がひっかかっておりますから、なかなか解決しない。だいぶになるわけです。そこで市当局のほうは、それではしかたがないから市の予算を何とか捻出して払い下げてもらおうじゃないか、払い下げしてもらって、あと朝鮮方々ともどのくらいの資力を提供してもらえるかということも相談をして、学校も直したり、はっきりさせたりしなければならぬということで、いろいろやっておるのだけれども、これもなかなかすぐには進展しない。こういう現実の問題が幾つもあるわけですよ。いま学校の問題でもと言われるけれども現実に起こっている問題は、これは何も横浜だけの問題ではないと私は思うのでありますが、この種の問題がいつも一つの大きなトラブルの原因になってきておるという事実があります。したがって、これは私も法務省の民事局の、かわられました前の第五課長さんにも何べんか話したことがあるのだけれども、この種の問題は、やはり法務省としても積極的に各自治体にものを言っても解決の方向に持っていってもらわぬと、対象は学問を学ぶ子供さんのことなんだから、私は非常に困った筋合いだと思っておるのですけれども、これらのことについて御存じであるのかないのか。
  38. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 いまの具体的の問題は、正直に申しまして私聞いておりません。聞いておりませんから申し上げるのは早いのですが、法律問題としましては、たとえば日本人の在朝鮮財産問題、これは原則としてみな放棄することになっておるのだと思います。そういう問題と、それならば日本における公的のそういう所有権等をどうするかというふうな問題もあると思います。その法律問題は、日本の国に所有権があるのか、どうなっておるか知りません。かりに正しいとしても、あとを払い下げるのが適当であるかないかという問題は、むろんあり得ると思います。そういう問題は、具体的に起こりますれば、私どもは解決する方向に向かうべき問題ならば、それは決して労をいとうわけではございません。
  39. 大出俊

    大出委員 たとえばいまの学校のような問題は、市なら市の自治体から払い下げの申請をするわけです。その場合、順位がもちろんきまっておるわけでありますが、国が使用するということであれば第一順位、そうでなければ、地方公共団体の場合には第二順位、こういう筋書きになっていると思うのです。そうすると、国には使用目的がもちろんないでしょう、学校ですから、朝鮮方々がもともと持っていたものだから。そうなると、地方公共団体かといえば、これは優先順位になる筋合いですね。そうなれば、払い下げて決しておかしくない。問題は、価額の問題になるわけです。評価委員会等ができて評価をする。これは地方公共団体が使う場合には、その評価額の二分の一までは国としては見ていけることになるわけですね、これは法律的にそうなっておるのですから。そうなると、この辺のところは、ここであまり突っ込んだことは言いたくないけれども、先ほど大臣の言われる個々の問題について、困難があれば検討、研究をして何らかのいい方法を、こういう意味なんですが、これらの前向きで言われようとするそのことに該当する問題なんです。そうなると、この辺のところは、やはり積極的にその種の解決には当たってもらわなければ困ると私は思う。大蔵省当局等もあって、なかなかどうもむずかしい問題がその間に起こってくるということになって、なかなかはっきりしない。こうなるとやはり解決がしにくくなる。この辺のことは、私はやってやれない筋合いの問題じゃないと思うのですけれども、この辺のことは関係の方々もおられるのじゃないかと思いますけれども、今後進める上に困りますので、一ぺんこの席で承っておきたいと思います。
  40. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 だんだん承っておりますと、こういう問題じゃないかと思います。これは文部省その他地方団体もそうでございますが、法務省まで——大蔵省が非常に関係する問題でございまして、国有財産の処理でございます。大体の方針は、特殊に払い下げる場合には、その払い下げを受ける人がこれをどう使用するかという内容が、公益的でかつ妥当なものでなければならぬということが、大体私は方針じゃないかと思う。次に、その価格の問題等もございます。それでございますから、いまお示しの問題は、私は承知いたしませんから何とも判断ができませんが、やはりそういうプロセスをとってきめらるべき問題じゃないかと思います。それで、国際的の政治感覚が要りますが、ちょっとそれだけでは、純国内問題のようにもなります。それで、おそらく設立される学校の教科内容であるとか、方針というところにも、多少問題があるんじゃないでございましょうか。これは私の想像だから、わかりません。使用目的がどうかということになると、従来いろいろ聞いておりますところによると、どうもそういう問題がある。次に価格の問題、こういうことになって、そのプロセスを経て解決すべき問題が具体的に起こりましたならば、法務省が関係する範囲では、私は、それは公平最善な措置をとることに協力していきたいと思います。
  41. 大出俊

    大出委員 いま言われた三、四点の中の一点は、つまり文部省との関係で、こういう教育内容かという点が一点あります。ありますが、これは私はこの席上で明らかにしておきたいのだけれども、かりに朝鮮方々が六十万も日本に住んでおって、しかもそれは戦前からおって、ということになりますと、その学校で朝鮮の教育をしようということがかりにあっても、しからば払い下げろと言ったら、そのことを理由に政治的に断わる、こういう筋道はないと私は思うのです。だから、そこのところは抜いて考えていただきたいのですが、あくまでも在日朝鮮人皆さんの自主性の問題なのですから。だから、私は、先ほど学校の認可問題に触れて少し違いはせぬかということを申し上げておるんだから、そういう意味でそのことを理由にされるなら、この点について私はもう一ぺん承っておきたいのです。
  42. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 私は、いまお話によって、大体こうじゃないかということで頭に浮ぶことを申し上げているのです。私は、理由にはなると思うのです。しかし、それはどういう内要になるか知りませんから、それを拒絶すべき理由なりと断定して申し上げるのではないのであります。やはり教育内容というものは、理由になります。日本国内における外国人の学校の教科内容、教育方針というものは、やはり適、不適を考える材料に私はなると思う。よろしかったらむろんよろしいし、そうして支障があれば支障があると考える。これは私はいまどういうふうな教科内容をとられるかということも存じませんし、また主としてわれわれが判断する前に、文部当局の判断する問題でありますから、具体的にいいか悪いかは申し上げませんが、場合によれば問題になるという筋はあると思います。
  43. 大出俊

    大出委員 ちょっと重要な問題ですから、そこだけはっきりしておいていただきたいのですが、財産の問題ということに限れば、法務省としては前向きで協力ができる、こういうことですね。  それから次にもう一点、いま言われるその教科内容等の問題で、断わる理由になるかもしらぬということなんだが、そこのところをもう一ぺん突っ込んで、どういう教科内容なら断わる理由になる、こうお考えなのか、そこのところをはっきりしておいていただきたい。
  44. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 それは前にも申し上げますように、文部当局からお答え申し上げたほうが適当かと思います。いま私は、お答えは控えておきたいと思います。  それから純財産の問題なら、権利義務関係、それからわれわれは判断をしてまいります。
  45. 大出俊

    大出委員 そうすると、いまあげている問題は、権利義務関係もちろんあるわけですが、つまり大蔵省との関係が一つ出てきますね。もちろん評価委員会云々ということになってまいりますから、その限りは権利義務を追っていって、最良の方法をとる。つまり、今日前向きでこの種の問題を片づけようということにすれば、これはいろいろ方法はありますけれども、私は、地方公共団体にも、あるいは在日朝鮮人皆さんにも、政府がやり得る最良の方法であるということをやはりめどにお考えをいただかなければならぬと思うのですが、この点はそういうことでよろしいですか、話を進めている問題ですから。
  46. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 そういうふうに具体的になりますと、すべての条件がわからぬときにお答え申し上げるのは、誤解を招くのです。いまあなたは最良の方法とおっしゃいます。最良とは何ぞや、私は、日本国家として最良の方法をとる。ただ、その日本国家としての最良というときには、十分に歴史的関係や国際的関係を考慮する狭い意味日本国家としての最良じゃございません。だから、最良と申し上げて、俗に申して、何でも朝鮮の方の御希望に沿えるともいきませんですから、その辺はその程度に御承知を願いたいと思います。
  47. 大出俊

    大出委員 先ほど基準は申しましたから、それが私の言っている最良の方法なんですが、だめ押しはしないでおきます。この点は、あとでちょっと個々のケースとしてまた話し合わなければならぬ問題が出てきますから、そのときに譲りたいと思います。  それからもう一点、大筋で聞いておきたいのでありますけれども、この間の外務委員会答弁の中に、外務大臣が具体的に、これは自分が法務大臣と相談の上でと、こういう——前の四月七日の外務委員会と思いますけれども、ここでの答弁があって、十日に相談の結果を説明をしているのでありますが、その中で一点、日韓会談の問題に触れられて、非常に複雑であり、かつむずかしい段階なので、この時点においては明確にいたしかねる、こういう意味答弁が、これは法務大臣と相談の上と、こういうことで外務大臣から行なわれているのでありますけれども、今日の事情考えてみて、その前のいきさつ等からいきますと、日韓会談というのは、一体いつごろどうなのかというので、いつまでもこのままというわけにはいかないのでということを言っておられるのでありますけれども、いまのこの時点で考えてみて、一体法務大臣といった立場で、日韓会談、日韓会談ということを言われているのですから、どう判断されているのか。これはいつまでも日韓会談で延ばされていたのではまとまりがつきませんから、その辺のところはどういうふうに判断されているのでありますか。
  48. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 いまどういう御質問に対しまして、また大体その前後の雰囲気に対しまして、外務大臣がどういうお答えをしましたか、私は存じません。しかし、外務大臣お答えいたしましたことは、特に個人の考えは留保しません以上は、われわれは相談を受けた事項か受けない事項か存じませんけれども、私は同意見であると申し上げるのが筋だと思います。しかし、すでに日韓会談の全体の問題につきましても、これも政府部内で私が申し上げるのは適当でないのですが、少なくとも私個人としては、早く妥結するように、円満に妥結するように希望いたしておりまして、政府全体これに努力している。しかし、御承知のように、こういう問題のどれにでもありますように、いろいろ主張が双方にございますし、またそれに対して国内のいろいろ世論、考え方もあるわけでございますから、むやみに何でもすぐあした、あさってやるというわけにはまいりませんが、非常に急いでやる。それで、われわれはこれが非常に長くかかるものとして、何年もかかるものだから、その間の途中の用意をいろいろしなければならならぬ、こうは考えていないのであります。早く日韓会談を片づけて、よく片づけて、それを基礎にいろいろな問題に出発したい、こう考えております。
  49. 大出俊

    大出委員 外務大臣が言われているのはどういうことかわからぬとおっしゃるので申し上げますが、四月七日に、「いま日韓交渉が御承知のようにきわめて微妙な段階でございますので、この時点ではとお断わりしておるわけでございまして、引き続き私どもは対処、検討してまいるつもりでございます。」これがつまり前回の法務大臣と相談の上で統一して答える、こうなっていた答弁の最後のくだりなのです。これは外務委員会の第十六号議事録でございますが、この点について私は承りたいと思うのであります。
  50. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 日韓会談問題は、政府全体の問題でございまして、特に外務大臣から私に相談することはないのでございますが、日韓会談の中のどの問題でございましょうか。
  51. 大出俊

    大出委員 これはずっと引き続いて法務、外務の理事会等が開かれたり、委員長あっせん等があったりして、貿易使節の日本に来る三人の問題、あれはたしか四月の九日ですか、大阪で開かれたのがありますね。あの三人の方々の問題をめぐって、認めるかどうかという山本幸一氏等の論議がありますね。その一番最後の、外務大臣法務大臣と相談した結果ということで答弁をされている内容なんです。私は、これもあまり突っ込んでものを言いたくないので、こういう質問をしているのだけれども、いろいろ大臣もそれなりに検討されておられるようだから、そういう意味であまりどうもこまかいことを質問したくはないのですが、このままの、つまり四月七日の答弁のままになっているので、あれから事情も変わってきているしするので、ここで言っているのは「この時点では」という断わり方をしているのでありますから、そうなると、それ以降今日の段階ではどうなのかということを一ぺん聞いておかないと困る、こういう意味です。
  52. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 それは相談をいたしております。打ち明けて申しまして、山本幸一君が非常に熱心に言われた。これはちゃんと意見が合致しております。今日の時点ということにつきましての解釈が、これはまだ外務大臣と相談しておりませんけれども、現在変わるまいと思います。まだ変化をしてない、かように思っております。これは私の考えです。
  53. 大出俊

    大出委員 あまり立ち入って承りたくはないのですけれども、しかし、変わらないと言われると、二、三点明らかにしておいていただかぬと困る問題があるわけであります。御存じのように、日朝間の貿易等につきましての使節団が行ったり、さらにその後のいろいろなやりとりからいって、延びる傾向を多分に持っているわけです。そうすると、先ほどお話があったこの時点ではこれは変わらない、こういうことなんだけれども、これもまたいつまでも変わらぬということになると、困る人間が相互に出てくる、こういう問題になると思うのです。したがって、それらについて、この時点では変わらないと言われるのだが、それなりに検討しているとも言われているのだから、そうなってくると、そういう事情の中であっても、なおかつ合理的に何とかしなければならぬという必要に迫られている。どうもこういう理解ができるのですけれども、そこのところについてはいまそれなりに検討していると言われるから、そこのところはいま検討中だというのであれば、あらためて別な場所で聞きますけれども、もうちょっと答弁願いたい。
  54. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 貿易を盛んにするということは、これは政府の根本の方針でございまして、ひとり北鮮ばかりでなく、どこともそうでございます。またいまの政府ばかりじゃない、わが日本のきまった方針であります。そういう範囲でどことも貿易を盛んにしたいという考えを持っておりますが、しかし、中共との間でも政経分離という方針を政府はとっておりますように、世の中のことは複雑でございますから、一本調子にどうだからこうだとばかりにいかぬ。そこでいろいろな事情で、あるいは法律的な制約というものがつきまとってくるわけであります。その制約というものは不法なのか、不当なのかというと、みなそれぞれのいろいろな理由で必要性を感じている。その必要性については、程度、それから人によって議論は違いましょうが、感じているわけであります。そういうものとない合わせて総合判断しなければならぬ問題と思います。そういうような気持ちから申しまして、外務大臣答弁されました今日の時点ではというのは、まだ変わっていない、こう思うのであります。
  55. 大出俊

    大出委員 最後にもう一つ聞いておきますが、旧来の議事録に法務大臣から何べんか答弁されておりますけれども、再入国許可等の問題をめぐって、つまり朝鮮に行きたいという人の場合に、個々の理由をあげての申し出があまりない、こういう言い方をしきりにされているのですが、私ども調べてみると、朝鮮方々の場合には、ほかの外国人の方と違って、旅券というようなものはないわけです。そうしますと、手続上、旅券欄というのがありますから、これを記入しなければ正規の手続にならぬわけであります。ところで、事務的な取り扱いとしては、届け出でをしてみたところで、旅券欄が記入されていない、したがって書類は不備である、返してしまえばないことになる、こういう矛盾が続いているわけです。この辺のところはどういうふうにお考えになっていますか。
  56. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 その問題につきましては、この問題の起こりが、事態の連続を考えますと、昨年の五月ごろ以降、朝鮮総連の発意で、人道的立場のもとにおける朝鮮人自由往来の運動の問題でございまして、この運動の焦点は、われわれから申しますと、全部理由なく事実を歪曲しているものと考えます。そういうことを御主張になる方々に対しても、私は御説明を申し上げまして、私の御説明を申し上げたいままでの範囲では、みな御納得がいきまして、もうそんなことは言わないとおっしゃっているのであります。ただ、その中で一つの問題が起こりますのは、自由往来全体はいけないが、在日朝鮮人であって、長く日本に住んでいる、日本に生活の本拠を置いている、そういう人が、朝鮮に親族等がおりまして、たとえば親の死に目に会いたいとか、それに準ずるような人道的な場合には認めたらどうかということであります。それで私どもは、それは認めております。韓国籍というか、あるいは韓国で旅券を発行した、そういうふうな人は、みな認めて差しつかえない方には認めております。拒絶したのもありますが、それは拒絶すべき理由があるからであります。残る問題は、大体いま北鮮籍とか韓国籍とか申しまして、国籍の選択を全部確認をしておりませんから、国籍はわかりませんが、大体その出生地が韓国内でもって、韓国の旅券があり、また——これは事務的なことは私はよく存じませんが、それに準ずるような証明がある場合には、みな認めております。在日鮮人の問題としては、大部分は解決している。ただ、いまお示しのような、自分は韓国人でないのだ、北鮮に籍がある、こういう方については、旅券の発行がありませんから、非常に困難だということは事実であります、その困難につきまして、実はそんなものは私のほうへはそういう申請がないということを申し上げた。ところが、ちょうどあなたのお話しにありますように、それは申請はあるのだ、あるのだが、旅券がないというのではねられているから、あなたのほうの耳に達しないのだろう、こういうお話しでございます。それで再度調べたが、事実上申し出が一回もない。昨年の五月から、われわれから見れば非常に感心しない朝鮮人自由往来の運動が起こりますまでは、事実一ぺんもない。旅券がないから拒否したということばかりでない。こういうのが私の調べでわかりました。ところが、その問題が起こったら間もなく、東京の入管当局に十六人の集団的の申し入れがありました。その申し入れば、どうもわれわれとしてはいろいろな態度というものが今日まで納得しがたい。それからその後に本省の入管局か何かに一人か二人ありました。しかし、われわれから見ますと、理由が非常に希薄なんです。御承知のように、北鮮帰還で八万余人の人が帰っております。残る人は一万ちょっとだ。そうなりますと、割合からいっても少ないはずなんです。少ないから絶無とはいきませんが、どうもいままでなかったということは、ほんとうである。しからば、あったらどうするかという問題。それで、とにかく形式的に不備だからというので断わらないで、形式的には受理できなくても、実際的にそういう申し出があったら、受け付けて報告しなさい、そういう措置をとりました。現在何人ですか、四十人ぐらい出ております。それをどうするかという問題でございます。
  57. 大出俊

    大出委員 最後の話ですから、大体この辺で打ち切りますが、私はいま自由往来の問題を聞いている覚えはないので、一言も申し上げていないのです。手続の問題を聞いたのですが、大臣のほうから全部話をされてしまったので、それはそれなりに、お話しをされたのですからやむを得ぬことなんですけれども、つまり手続のしようがない状態——さっきから私は法規的なことを言っているのだけれども、旅券がないという現実からすれば、そういう事実があるわけですね。してみると、将来に向かって、たとえば北鮮籍の方がどうしても帰ろうという場合に、申請をする。そうすると、それはそういう書類的な不備云々ということでなしに、別な角度から検討する、こういうふうに理解していいのですか。
  58. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 いや、そうはっきりものを分けるわけにいかないのです。大体、再入国を認める問題でございます。再入国は、日本のために不利であるか、害があるかないか、こういう判断からくるわけであります。そういう判断からきます場合には、そう考える根拠がなくちゃいけません。そういう根拠に、手続の問題がからまないとは言えないのです。それはそれのみでは解決しませんが、たとえば、確かに北鮮の人である、しかも申し立てどおりはたしてそのとおりの事態、いわゆる人道的の、親子兄弟の再会というか、そういう事実があるかないか、こういうことが一つの調べなければならぬ根拠でございます。なぜそんなやかましいことを言うかというと、われわれは理由を持っております。今日は申し上げないほうがいいかと思います。そういうことがございますから、手続の問題は全然離れてと、こう断定するわけにはいきませんが、いまの、ただ旅券がないという理由のみで全然これが問題にならぬ、そんなことは私は申しません。いま申し上げました純粋なる、間違いのない、そういう動機のもとに出て帰られて、日本として顧慮すべき問題があるかないか、こういうことが入管令の精神でございますし、また国際的に考えて、いずれの国家も考える、そういう意味から判断してまいりたい、そういう意味で差しつかえなければ、われわれ人道的の要求には応ずる。それには、現在の状態は非常に顧慮すべきものが多分にあるということだけ申し上げておきます。
  59. 大出俊

    大出委員 そうすると、先ほども純然たる人道問題というお話が出ましたが、純然たる人道問題でどうしても帰らなければならぬという人が出た場合に、手続上の云々というようなことにとらわずに、いま言われる入管の目的に照らして検討する、こういうことですね。
  60. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 いま申し上げましたように、そういう目的なら、その目的はよろしい。しかしながら、そういう目的の真否、また再入国されました場合の、日本として、国として考うべき問題、そういうことを勘案いたしまして決定いたします。そういう場合に、ある手続が必要であるということが起こるかもしれません。そういうふうに、手続上の問題は全然顧慮せずといいますと、ちょっと誤解を招きますから、そこを申し上げておきます。
  61. 大出俊

    大出委員 くどいようだけれども、いま言われた最後の、手続問題が起こるかもしれない、これは初めからあるわけですね。つまり旅券がないという事実。そうでしょう。してみると、手続問題が起こることは、手続だけをたてにとれば間違いがない。だから、私が聞きたい中心は、自由往来云々ということをさっきから申し上げている覚えは一つもない、私は一言も言っていないのです。そうではなくて、純然たる帰らなければならぬという人があった場合に、結果的にいまのような手続上の不備が起こってしまう。だから、そこのところを何らかの配慮をしなければ、入管の目的に沿うようなことであっても、手続的な不備という問題は最後に残る。そこのところを、先ほど来日本国内におけるいろいろな問題を例にあげておりますが、つまりそれらのことについても運用でという話が出たりいろいろするのだけれども現実にないものはないのですから、そういう取り扱いをしてきているのですから、そうだとすれば、その上に立ってこの問題ばお考えをいただかぬと、手続的な問題でという、それを理由にされるということになってしまうと、非常にまずい。こういう点を考えまして、私は技術的な面を中心にものを言っているんだけれども、いま大臣一番最後に一言残された、手続の問題が起こるかしらぬ、こう言われるから、そこにまたひっかかるわけだけれども、そこのところは形式的にだけものを処理ができないと思いますから……。
  62. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 おことばを返すようですが、ひっかかることがあるのですよ。(「あるからそれを述べろよ」と呼ぶ者あり)あるから述べろ、それは無理なんです。それは旅券という形式には拘泥しないかもしれませんが、いま言う帰ることが、純粋な意味で帰られる、それが日本に再入国されて害がない、こう判断するのに、ある手続が必要な場合が起こると思います。私は、絶対にいまは旅券がなければ一切認めませんなんということは申しません。なるべく考えたいが、しかし、あるいは旅券にかわる何らかのものが要るのかどうか、そこまで広げて考えたいと申しました。それだから、いますべてをひっくるめて、手続問題が主ではないが、手続問題も解決の上に全然登場しないとはいえない、ここだけ御承知を願いたいと思います。
  63. 大出俊

    大出委員 それじゃ、日韓関係においても、日中関係においても、国交ということになれば、これはまだそこまで至っていないのでありますから、したがって、いろいろな保証を求めて渡航していることは事実なわけです。そうなりますと、いま言われた最後のところは、旅券にはこだわらずに幅を広げて考えたい、こういうふうに理解していいのですね。
  64. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 幅を広げてとか、拘泥しないというと、誤解ができますから、いま申し上げたように、手続問題のみに拘泥しません、実質的に考えてまいりますが、それで、絶対に旅券がなければとは申しません。何らかわれわれが手続としてもここまではなくちゃならぬという問題を発見しましたら、簡単に言えば、旅券がなくてもいいという結論になるかもしれない。そういうことを全然考えないのではなしに、場合によれば考える、こういうことを申し上げたのであります。
  65. 大出俊

    大出委員 そちらの判断もありましょうが、事実問題として純然たる人道問題で帰りたいという人の話もいろいろ聞いているところでありますが、私は出身は横浜ですが、横浜にも朝鮮公民の方々はたくさんおられるわけです。したがって、それらのことは、いまの最後の点でこの段階では了解をいたしますが、十二分に御検討の上で善処を願いたい、こういうふうに思います。終わります。
  66. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長代理 茜ケ久保重光君。
  67. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 ただいまの質問と角度を変えてお聞きしたいのでありますが、保護局長はおられますね——現在保護司と称する人は、何人おられますか。
  68. 武内孝之

    ○武内政府委員 現在、保護司は、定員五万二千五百人でございますが、四万九千人前後であります。
  69. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 現在日本の社会情勢がだいぶ安定はしてまいりましたけれども、かなり少年の犯罪が激増していますし、さらに成年の犯罪も決して減っておりません。いわゆる経済的な安定の反面に、非常にそういったいわゆる犯罪の増加もございます。そういったことに対するいろいろな施策があるわけでございます。私の承知している範囲では、そういったものに対する対処の方法がかなりありますが、その中で保護司と称する皆さん方が、何と申しますか、経済的な報酬等については何ら意に介しないで、かなり熱心に、しかも社会の浄化と申しますか、犯罪防止ないしは犯罪を犯した諸君に対する指導について献身的な努力をせられておるようでございますけれども、これに対して国と申しましょうか、社会と申しましょうか、いわゆる本人の保護司さん自体がそういった反対給付を考えないで、献身的な御努力を続けていただいているのでございますから、それはそれでいいと言ってしまえばそれまでですが、しかし、その事態に対して国なり社会というものが、かなりの何と申しますか、報酬といっては語弊がございますが、やはりこれに対して何らかのおこたえをしなくちゃならぬと私は思うのです。私、先般群馬県の保護司の大会に呼ばれまして参加したのでありますが、討議そのものも非常に熱心でありますし、集まった方々の年齢層を見ますと、かなり高年齢でございます。そういった方が真剣に討議をされ、自分たちの仕事に対してさらにまた研究心を燃やしていらっしゃる姿に接して、何か目がしらの熱くなる感じを持ったのでございます。と同時に、これは何とかわれわれいわゆる政治に携わる者も、こういう人たちに対して国が何らかお報いをするようにしなければならぬ、こういうふうに感じたのです。そこでいろいろお伺いしてみますと、わずかに藍綬褒章の授与があるのです。それも、聞いてみますと非常に少ない。この間法務省にお問い合わせしたところが、一年に二十人程度の褒賞があるということを聞いて、実はびっくりしたのです。今度戦没者に対する叙勲のこともきまって、すでに発表されております。生存者の叙勲さえございます。もちろんいろいろな関係もございましょう。社会党としては生存者の叙勲に対しては反対しておりますけれども、それはそれなりに、その叙勲が、かつていろいろな方面にかなり高い地位を持った、むしろ叙勲をする必要がないような、すでに社会的にもかなり認められている人たちでございますから、むしろそういう人に対する叙勲は必要ないのじゃないか。かえっていま指摘している保護司といわれるような社会の片すみの、しかも政治的な欠陥の責任経済的な運営上の欠陥からくる責任から生ずる犯罪の防止ないしは犯罪を犯した人に対して献身的な努力をするこういった人たちにこそ、そういう国家的な褒賞をすべきじゃないか。ところが、先ほど指摘しますように、全国五万人に達する、そのように全く私どもから考えて光り輝くような存在である保護司に対して、毎年二十人前後の褒賞しか出ないということは、これはあなたが法務大臣として日本のそういった責任を負っていらっしゃるわけでございますが、あまりにも無責任ということばがぴったりするような事態ではないか。私は、いろいろな過去の例はございましょうが、こういう人にこそ思い切った褒賞制度を徹底されて、経済的な報酬を考えないとうとい存在に対して、社会的な国の責任による恩典というようなものが必要だと思うのでございますが、法務大臣はいかようにお考えでありますか、お聞きしたいと思います。
  70. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 保護司に対します私の考え方のおもな点を申し上げたいと思います。おことばを返すようですが、私は、力は及びませんが、決して無責任考えは持っていないのであります。私は、日本の社会的発達考えますと、これは外国でもそうでございましょうが、子供のときから社会事業に事実上関係しておる、こういう方面にいわゆる篤志で報酬を得ないで働かれる方、こういう面で、日本の保護司と社会事業は違うかもしれませんが、民間の方が国家、社会、国民のために働くという機運が、だんだん起こってまいりました。それから国家といたしましても、専門の、職業的に俸給を給して専門的にやってもらう者のみでなく、そういう民間の方が働いてもらうのが適当である、それがまた必要であるという場面が、ずいぶんあると思います。そういうことから、保護司の制度でも、民生委員の制度でも、いろいろなものが、農村において、たとえば婦人の面でいいますと、食事の改善とか生活改善、いろいろな意義があると思いますが、これがあるいは国がお願いしているもの、また自治団体にいろいろなものがあるんじゃないか。そういう発達というものが社会上どういう意味があるかというところに、実は非常な関心と興味を、知識はあまりございませんけれども、持っております。それで、保護司に対しましては、私は法務省にまいります前から若干自分も関心を、何の役に立つような構想はいたしておりませんが、ほかの人よりは持っておったつもりでございます。そういう観点で見まして私の考えますのは、そういうふうに報酬は考えない、ほんとうに篤志でやるんだ、これは非常にうるわしいことですが、そういうことは、ある意味で社会の発達の幼稚性であるのではないか。篤志でやるといっても、そうそう非常な、わかりやすいことばで言えば、身銭を切ってまであらゆる人が働くことができるかどうか。非常なお金持ちが篤志で保護司になっていただいて済むものかどうか。少なくとも保護司であることが、生活の足しにはならぬでも、そのために一家の経済上の犠牲は払わないでいられるだけの金ぐらいは出すという考え方にしなければ、何も道義的というか、身銭を切って、手間も払う、骨を折って金も出す、そういうことのみしていては、実際の社会にそぐわないではないか。いわゆる実費だけは出す。場合によれば多少報酬的なものを加味するというふうにする必要が相当あるのではないかということを、痛切に感じておるのであります。法務省に参りまして、そういう感じを持っておるわけでありますが、少なくとも二百八十円、三十八年度の予算では四十円増して三百二十円だ。とんでもない。いま東京なんかでいえば、ちょっと用があって自動車に乗ってみましても、すぐ何百円という金を使わなければならぬ。それから仕事は、私はよく知りませんけれども、想像すれば、場合によれば観察をする相手方の者を自分のうちに呼んで、菓子の一つも、そばの一ぱいも、食べさせる必要も起こるでしょう。また、人を呼びにやるために人を使うような場合も起こるでしょう。考えると、いまの世の中で三百二十円、これは何だというような感じが私はいたします。私も、根拠はございませんが、せめて千円くらいにしたいものだと思ったのでございます。今年度の予算の編成にも、その意味でいろいろ交渉もいたしましたが、大蔵省の言い分によれば、去年四十円増したばかりじゃないか、こういうのですけれども、私はなかなか引き下がらない。それじゃ少なくとも最後の譲歩に、それにもう百円足しなさいと言ったのが、また譲歩いたしまして、まあ大蔵省のほうでも譲歩したのですが、四百円という、八十円増しになったようないきさつでございます。これは私は非常に不満でございますが、やむを得ずこれに満足しなければならない理由が二つあったわけです。一つは大蔵省のほうからの理由で、それはお前さんのほうでは保護司、保護司というが、ほかに民生委員もあるぞ、何々委員、何何委員とうんとある。どれも気の毒な状態である。それをみんな増したらたいへんなことになるのだが、どうするのだ。減税もしなければならぬ、いろいろなやらなければならぬことが一ぱいあるのだから、保護司ということから考えれば無理だけれども、まあこれでがまんをしてくれ、こういう言い方も、言われるとある程度われわれも是認しなければなりません。それからもう一つは、この前の機会に申し上げたのですが、私は法律扶助制度というものに非常に重きを置いております。重きを置いた理由は、私は、憲法二十五条の生活保護、国民は健康にして文化的な生活を営む、これに対して、その実行に数年前から非常に不満を持っております。明文はあるけれども、それが実行できないのではないか。生活保護が何だ。私はおそくて、はなはだ自分でもおそ過ぎると思うのですが、昭和三十五年に検討してみました。内容をすっかり分析してみました。これが何で健康にして文化的な生活か、分析してみますと、一般消費者の消費水準、いわゆる第一階級という所得の少ない、消費程度の少ない階級の、ずっと近年の消費水準の増加を見ますと、なかなかよく増加している。これは私はけっこうだと思うのです。もっと増加してもらいたいと思う。それに比して、生活保護基準というものは非常に劣っているのです。追いついていないのです。はるかにかけ離れている。これも私一人じゃありません。同じ考えの人が多いので、それから四年間に、不満足ながら三十五年から見ると八〇%の基準増加をして、そのほか生活保護制度に相当の改善を加うるべく私も協力した一人でございますが、それはそれとして持っていかなければならぬが、正しい裁判を受けることは、法治国民、立憲国民、文化国民としての権利だ。それは憲法も認めておるが、実行はどうかといえば、刑事裁判には国選弁護人の制度がある。これは戦前の官選弁護人の制度以来引き続いてございますが、民事訴訟には何らの国の手助けがないわけです。貧しさから訴訟を起こすことができない。そのために権利を主張ができない。不当な要求を受けて権利を防御することができない。しかも、そう言っては悪いかもしれませんが、比較的善意の、温良な、しかも豊かならざる国民が、そういう点におちいっているということを痛感しておりまして、それには在野法曹等が熱心に法律扶助協会をつくられてやっておりますが、国はわずかにこの数年来一千万円しか補助してない。そんなことではしようがないではないか。しかし、実績が少ない。少ないというのは、こういう制度があるということすら国民が知らないのではないか。だから、これはうんと増して、一億円くらいにまず増していきたいと思いましたが、急にそうもいかないで、私はこれを五千万円に今年したのです。五千万円は少ない金額ですが、一躍五倍にいたしました。大いにこれを宣伝して、国民が正しい権利を主張することができるように、ささいなことですけれども、それをやりますと、たまたまこれがいわゆる関連をするような一つの仕事になりまして、そこに少し金をよけいとられますから、おまえさん、ここで無理を言って五倍にもしておるのだから、ほかのほうは少しがまんしなさいと言われると、ほんとうに私も不本意ですが、まずまず八十円増しで泣き寝入りしなければならぬ、これが偽らざる今年の予算編成の過程でございます。今後も、法務当局がこの増加に非常に熱心に努力する方針でございます。私は、いまでも、犯罪の増加がございまして、ことに少年犯罪なんかございますと、この保護司の観察制度とかいうものがもっと発達しなければならぬと思います。いままでの、いわゆる篤志家的に、おまえこれじゃいかぬ、よくなれというような、われわれの古い人間の考え、旧式のお説教でなく、これを一方には鑑別制度とかいろいろなものも進歩させまして、いわば近代的に、科学的に、病理学的にも、その保護を受ける少年などの精神状態もよく考えて、もっと進歩した補導をしなければならぬ。これは観察所の当局の役人もおりますけれども、実際に当たるのはこの保護司の人たちですから、これがもっと進んでもらわなければならぬ。それには始終自腹を切らせてはいかぬので、実質的のそういう向上を望むと同時に、まずまず何とか自腹を切らぬだけの手当を差し上げたい、こういう気持ちが一ぱいでございまして、これは私のみならず、法務当局としても、今後も努力するつもりでございます。今回の生存者叙勲にも、人数は少ないが、非常に多方面の人がやられましたが、数人の人がこの関係の中に出ましたことも、法務当局でも一生懸命にそういう人々に対しまして藍綬褒章のお話しもいたしました。薄いといえば、これが手厚くいっておりますなどと決して私ども申しませんが、今後極力努力するつもりでございまして、保護司の使命、職責なども、社会の進歩に応じましてますます進んでいかなければならぬし、それには、それに対することも、私ども政府側のほうでも考えていかなければならぬと、切に考えている次第でございます。
  71. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 だいぶ法務大臣のお説を承ったのでございますが、私が指摘したのは、もちろんいま法務大臣もおっしゃっているように、保護司という方々は、現在ではかなり年齢的にも高齢の方が多いし、したがってまた、あるいはかって官公吏なり、あるいはその資産等においてもかなりな方々でございまして、経済的にはあまり困っている人ではないようでございますが、したがってまた、その反面、いまも大臣もちょっと指摘されたように、刑余者に対して何か恵むといったような感じの温情というようなことが主であって、何か少し足らぬものがあることは、これは私もやむを得ぬと思うのです。しかし、それはそれとして、この保護司に対する根本的な問題はいまここで論議いたしませんけれども、現在あります保護司の方々のその実績のいかんは別として、非常に反対給付を考えないうるわしい気持ちでやってもらっていることだけは、少なくともはっきりしている。したがって、私が申し上げたのは、もちろん経済的な裏づけは別として、藍綬褒章ですか、このことを指摘したのです。私は、最近、群馬県で一人受けられまして、その披露に呼ばれたのですが、あの人があの藍綬褒章という一つのものをもらったことがそれほどうれしいのか、ありがたいのか、ちょっと理解に苦しむくらいの状態なのです。私どもは、これに対して何らの未練も何もありませんが、一般の方のそういうものに対する考え方について、ちょっと驚いたのです。したがって、いまおっしゃるように三百二十円が四百円になったことも、非常に法務大臣の御努力は感謝いたしますが、しかし、私はいわゆる藍綬褒章授与をもう少しふやす努力をしてもらいたかった。ことしは何か十五周年で数が多かったのだそうですか、それにしても、各県一人、五万人のうち二十何名、これはあまり乱発すると効果がないし、私は、端的に申し上げて、藍綬褒章を毎年各県一人くらいの割合では最小限出していただきたい。それにしても、これはなかなか容易なことではございませんが、ひとつそのくらいの努力は法務大臣がなさって、その経済的な裏づけをなさったときの情熱を——これは別に経費は要らないのでございますから、賞勲部のことでございますが、社会党は、一般の勲章については反対ですけれども、藍綬褒章その他の褒賞については、別に社会党としても異論はございません。やはり私どもは、なるだけ出して、喜んでもらうことはしてもらいたいと思うのです。したがって、私一存ではまいりませんが、このことについては、あなたの御努力でできると思うのです。したがって、ぜひこれは目標を最低毎年各県一人くらいずつは保護司の中から藍綬褒章を出すというような実績を、ひとつつくっていただきたい。これはむしろ対大蔵省の予算の増額よりも、そう大きな努力を要せぬでもできるのじゃないか、こう私は思うのでございますが、この点についていかがですか。
  72. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 全く御同感でございます。しかし、なかなかむずかしいのでございまして、内閣のほうで褒賞問題をやりますと、いろんな面から出てくるものですから、いま増せば、予算と違って財源が要るわけではございませんからやれそうなものですが、一方また恩賞制度の権威とか、乱賞のそしりを防ぐというような意味で、叙勲問題にいたしましても、褒賞の問題にしましても、困難性は相当ございますが、しかし、私は、お説は全く御同感でございますから、それは今後できる、だけ努力をしましてふやして、こういう方々の功績に報い、またそれを国家が、政府が、認めているんだということをわかるようにすることが、また非常に効果があると思いますから、お説に従って努力をいたします。
  73. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 ぜひやっていただきたいと思います。  質問が変わりますが、法務大臣はかつて巣鴨にいらっしゃったわけですが、巣鴨の時代に、あなたを監視というか、いろいろと中でいわゆる監視した諸君は、米軍ですか。日本のいわゆる刑務所の看守ですか。どんなものがやったのですか。あなたの巣鴨にいらっしゃる時代の中での見張りをしたというか、監視をした人の身分です。
  74. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 それは他の在所者と同じでございまして、米軍時代は、やはり向こうも、いろいろ何部長とかきめております。それからわれわれのいわゆるA級に二十人ばかりおりましたが、これも受け持ちがございまして、その下に監視兵がおってかわりがわり来るとか、これは別に特に変わりはございません。それから朝鮮戦争が始まりまして、米軍が、ああいう刑務所のみならず、ほかもそうだったが、あらゆるそういう部面の直接軍事に出ない間接的の方面の要員をみな引き揚げまして、朝鮮へ持っていく一つの影響だと思いますが、それで実際の現業的事務を日本政府にまかしたわけでございます。それで、米軍の所長がおりまして、その下に日本人の所長がおりまして、ほかの刑務所のように、管理部長とか教育部長とか部署がございまして、たぶん普通の刑務所の組織と同じであります。そして看守の人がやはり受け持ちがあって、これは普通のなにとちっとも変わりはなかったと思います。それで、これは御質問の範囲外かもしれませんが、私は、そのときの日本の看守、刑務官の態度、ことに初代所長には非常に感心しています。その処遇が、一方規律は正すとともに、大きくああいう問題が起こったことからさかのぼり、中に収容されております人の立場、気持ちを尊重して、非常に適切な、しかも米軍時代には相当思い切った、あるいは米軍が非難するかもしれないと思われるようなことも、どんどん勇気を持って実行しておりました。非常に感心しております。それで私も、できるだけ逆に当局に協力したような次第でございます。
  75. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 私がそれをお聞きしたのは、現在の刑務職員の処遇といいますか、待遇が、もちろんこれは一般公務員と同じように給与規定がございますから、なかなか容易でないと思いますが、現在の日本の刑務所の職員の待遇がよくない、苦しい状態であるということを私は指摘したかったのです。あなたも、最初は米軍の監視、朝鮮戦争後は日本人看守の監視下におられたようでありますが、刑務所の中に入っている諸君は、多かれ少なかれ現在の法律の違反でございまして、刑罰的な意味もございますが、私が感ずるところでは、日本の刑余者の犯罪を累進していく率が、非常に多いと思います。いわゆる初犯から二犯、三犯と、刑余者の更生する数よりも、非常に多くの犯罪を積み重ねる諸君のほうが多いようでございます。これはもちろん社会の責任もありますし、政治責任もありますし、また本人の個性もございましょうが、私は、現在の刑務所の行政のしかたによっては、かなり違ってくるのではないかと思う。いま大臣もおっしゃったように、あなたの在監中の所長さんが非常にりっぱな方で、あなた自身もかなり喜んでおるようでございますが、しかし、あなたはまあ特殊な戦犯という方でございますから、精神的な面においても一般の受刑者とは違うわけでございます。そういっても、あなたはそう感じておられる。実は、私も戦争中治安維持法で刑務所へ入っていた経験があるのです。三年半ばかり豊多摩の刑務所におりましたが、そのときに私は、刑務所にいながら、監視をされながら、看守の生活と実態に非常に同情した記憶があるのです。むしろつながれている者よりも、それを監視する立場の看守の生活が、いろんな意味で非常に悲惨に思えたのです。これは私は非常に問題だと思うのです。したがって、いろいろな問題も起こるわけでございますが、その中で私の看守、これは鹿児島の人でしたが、この間三十数年ぶりに会って当時のことを感謝してきたのですが、私の期間内に、看守の人の心情というか、人間的なものといいますか、それが中に入っている者に与える力は、非常に大きいと思うのでございます。私も思想犯でございますから、一般の破廉恥罪とは違いますけれども、当時の思想犯は、戦争中はむしろ一般の破廉恥罪の諸君よりもひどく取り扱われた、国賊的な扱いを受けておるのでございますから、非常に精神的な負担を負っていたわけですけれども、それに対して一刑務官の人間的な触れ合いが、非常に大きなものを与えておる。教戒師のお説教なんかは一こういうことを言っては失礼ですが、刑務所における教戒師の型どおりのお説教よりも、またおえら方が見えて何かおためごかしにおっしゃることばよりも、毎朝毎晩触れ合っている一刑務官の人間的な情愛が、非常に大きく影響する。これはあなたも先ほど指摘されたのでございますが、そうなると、刑務官というものの素質なり人間性というものが、大きく問題になってくるのであります。現在の刑務官の処遇では、そういう余裕を持って刑務所の中にいる人たちに接することはできないと思うのです。私が言いたいのは、これも簡単に解決しないでしょうが、幸い法務大臣であるあなたも刑務所生活をされた方でありますから、一番期待するのは、この際思い切って刑務官の待遇——これはただ単に俸給表を改定するということだけではないと思うのです。その処遇をもっと思い切って変えて、刑務所にいる諸君が、刑務官の人、一人一人に接する中で自然に心のやわらぎ、自分自身に対する人間性を取り戻すような刑務行政に対する情熱を向けてもらったら、私は、現在の日本の累加する犯罪、さらに累犯累犯で刑務所を出て一週間もたたぬうちにさらに犯罪を犯して逆戻りする、あるいはその間重大な社会的害悪を流す可能性が減るのじゃないかと思うのであります。あなたも御自分のそういう時代の体験を静かに考えながら、そういうことに対する——私自身は、ほかの人にはできないけれども賀屋法務大臣にはできるという考えを持っておるのでございますが、いかがなものでございましょうか。
  76. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 非常に御同感申し上げるお話が多いのでございまして、どんな場合でも、人間が人間性の豊かな人に接することは大事でございますが、私は、刑務所では特にその必要を感じておるのです。というのは、サラリーマンが会社につとめまして、重役や上役、仲間、こういう人たちの自分に対する態度、気分で非常に影響を受けるということは、もちろん大きいです。しかし、しゃばにおりますと、うちに帰れば家庭という面もございます。またほかの人とつき合う面もあります。普通の生活をしておりますと、いろいろな違った面に接触します。あるところで気持ちが悪くても片方では救われるとか、いろいろな調節がある。ところが、あの中ではそれがない。接する人は刑務官のみであります。在所者同士の行き来もできません。ですから、いわば全面その影響を受けるのです。これが、規律は厳格でも人間味豊かな、あたたかい心を持っている人であるかそうでないか、この影響は、ちょっと普通の社会におる場合には想像できない重要性がありますから、そういう意味におきまして、刑事政策としても、人物的にりっぱな人を置いていかなければならぬという点は、私は全く御同感でございます。  それから、これも私の表現が悪いかもしれませんが、世間で言うように、人間は何と申しましても貧すれば鈍するで、結局経済的な安心感がなければ、いろいろな意味においていい人間性の出得る人も、そのために十分にいかぬという面があります。そういう意味におきまして、給与その他をよくしろ、こういうお話は、私は御同感でございます。ことに二十四時間ほかに接触する人がない、一〇〇%支配しているというようなことは、これは私が体験いたしましたために、特によくわかったことでございます。お説は全然同感でございますが、私がこれも率直に申し上げたいのは、私も財政、経済のキャリアを持っております。長年給与、俸給を役人として扱ってきたわけであります。そこでどういうことが起こるか。刑務官の処遇をよくすれば、ほかはほうっておけ、これだけやれるかということになれば、私はそれは実行不可能だと思います。いま司法制度全体として、法曹一元化ということがいわれておる。とてもいまの判事の俸給では法曹の一元化はできない。これは非常に民間とのアンバランスの問題が起こります。詳しくはいま申し上げる時間はございませんが、そういうことになります。そういうふうに、いろいろな公共企業体の現業員の賃金も、また上げなければならぬ。ほかの官庁の人も上げなければならぬ。全体を上げるとなると、えらい金額になると思うのです。それだけは国民租税負担をふやさなければできないわけでございます。そこで結局議論は一足飛びになりますが、一足飛びに結論を申し上げれば、国家全体の国民所得の総額がふえなければできない。日本経済はいま確かに全体的によくなったと思いますが、パーヘッドの国民所得のアベレージは、まだ二十番まで行きますまい。こまかいことはいま数字はわかりませんが、二十一番目か二番目で、とにかく為替相場に換算いたしましたときは、アメリカの国民所得のアベレージの五分の一にまでいかない。フランスやドイツの三分の一もあぶないと思います。それですから、結局労務者賃金を上げる国民全体の分配資源が少ない。少なくともイタリアを越して独、仏くらいの水準にいきたいと思うのですが、私は可能だと思います。そこまでいかさなければしようがない。いかにかして配分資源全体をふやし、あるいは租税負担能力をふやさぬことには、どうにもならなくなってしまいます。そこで、現状においては、お話しのとおり非常に不十分でございます。経済力全体の制約から申しまして、いまの刑務官の待遇が悪いということですが、少なくともそのバランスからいえば、必ずしもそうひどくない。つまりそういうことに落ちつかなければならぬというこの国情、もっとうんと経済力を豊かにしまして、しかも国民各層における配分をわれわれの公平感を満足するように持っていかなければならぬ。たとえば公平感の満足ばかり考えておりましても、配分資源が少なければ、どんなに公平にやっても貧しくなりますから、その方面に努力して進みながら、一面その配分を適正にしていくように、われわれとしては刑務官その他司法関係者の給与のために努力していく。そこで結論はどうしても鈍くなりますが、これは率直に申し上げまして、全般の情勢から考えてやむを得ぬ。結局全体の水準を上げることに努力しながら、部分的にこの方面に特に重点を置いていく、かような考え方をいたしております。
  77. 茜ケ久保重光

    ○茜ケ久保委員 配分の問題については、われわれとしては意見もありますし、あなたとは異なった見解も持っておりまして、できないとは私は決して考えません。それですが、それを言っておると時間もかかりますから、それに触れませんが、少なくとも経済的に見ても、いわゆる刑務官の給与の表を変えて待遇を改善すると、大蔵当局あたりは財政支出の増加を云々しますけれども、しかし、いま言ったように、刑務官の素質向上が、刑務所を出所する諸君がまた帰ってくることや、社会に及ぼすいろいろな影響等を考えますと、単なる給与上昇の財政負担は、国家全体的な意味から見ますと、大きな負担じゃないと思う。むしろ軽いものだと思うわけであります。これもいろいろと論議している時間はございませんから、それはさておいて、少なくとも現在の刑務行政の中における刑務官の給与は、あなたは配分からいえば少ないとはおっしゃらぬけれども、勤務の場所なり勤務の状態なり、いろいろな条件を考えますと、私は一般公務員と比べて、かなり考え直してもいい点があると思う。したがって、これ以上申しませんが、少なくとも私が特にこの問題をここで取り上げたのは、先ほども指摘したように、法務大臣自体が刑務所という特別な社会に生きられた経験があるから、あなたに期待するところが大きいので申し上げたのです。あなたもかつて大蔵大臣をされた方でありますから、財政上の問題も頭にあるでありましょうが、それは別として、私は、やはり現在刑務官諸君が自分の仕事に自信と責任を持ってやっていくためには、あなたのそれに対するいろいろな観点からの心情が伝わることが大きいと思うのです。したがって、ぜひ努力してもらいたい。  これに関連して、私は少年院の問題を少し問題にしたがったのですが、時間もだいぶ過ぎたようでございますし、大野先生の御葬儀のこともあるようでございますから、残念でございますけれども、あまり触れません。私は、少年院の問題も、いま指摘したと同じことが言えると思うし、もっと突っ込んだことが言えると思うのです。最近方々の少年院で脱走騒ぎもございますし、かなり悪質な状態が出ておりますが、これなんかも私小田原少年院も見学しましたし、せんだっては練鑑と称せられる練馬の鑑別所にも参りまして、そこにいる子供にも会ったし、教官とおっしゃる方にも会いましたが、この少年院につきましては、もっとさらにお考え願わぬと、いまのような状態では、少年院を幾らおつくりになっても、教護院を幾らおつくりになっても、追っつかぬと思う。それは何回か指摘するように、社会的な、経済的な責任もございますけれども、しかし、現実現実でございます。そこで私は、先般小田原少年院と練馬の鑑別所でお会いした教官と称される方方の話の中で感じたことは、端的に申し上げて、よくもこういうところに現在の状態でがまんをして働いてもらっているということでございます。給与等からいいましても、また生活環境からいいましても、非常に悪い。少年院については、刑務所よりもさらにお考え願いませんと、いかぬと思うのです。これもやはり問題は給与その他と関連してまいりますが、少年院では、先生方の態度なり人間的な情愛というものが、より一そう大きいものを持っている。そこで私、これについてはかなり質問も申し上げ、意見も申し上げて、ひとつ何かこの辺で思い切った処置をしてもらいたいと思ったのでございますが、さきに申しましたように時間もございませんから、要望だけを申し上げておきます。刑務職員よりももっと大事なことでございますので、ひとつ法務大臣、七月の総裁公選がどうなるかわかりませんが、あなたが法務大臣時代に、こういう問題は一挙に解決できませんでも、解決できる糸口でもつくっていただいて、問題の解決に大きな足跡を残していただきたい、こう思うわけでございます。冒頭の御答弁を聞いておりましても、そういうことを前進へ持っていける一つの情熱もまだお持ちのようでございますから、ぜひこれは要望したいと思う。この要望で私の質問を終わりますが、賀屋法務大臣の在任中に、その第一歩をぜひつくっていただきたい、こう思うわけであります。
  78. 賀屋興宣

    賀屋国務大臣 青少年問題が、もう社会、国民全体としての大問題であることはお説のとおりでございますし、その中で重要な部分を占めます青少年犯罪につきましても、また私ども法務当局が重大な責任を負っておること、まことに痛感をしているところであります。その対策の重要な一環としまして、少年院の問題はほんとうに考えなければならない大きな問題である、また現状に照らしてそうであることもお説のとおりでございます。御意見をよく伺っておきまして、私が将来法務省におるとおらぬとにかかわらず、法務当局が熱心にこれを推進することと存じます。どうぞ御了承願います。
  79. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長代理 本日はこの程度にとどめ、次会は、明三日午前十時理事会、十時半委員会を開会することとし、これにて散会いたします。    午後零時四十五分散会