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1964-04-21 第46回国会 衆議院 内閣委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年四月二十一日(火曜日)     午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君    理事 伊能繁次郎君 理事 辻  寛一君    理事 内藤  隆君 理事 永山 忠則君    理事 八田 貞義君 理事 石橋 政嗣君    理事 田口 誠治君 理事 山内  広君       岩動 道行君    佐々木義武君       高瀬  傳君    塚田  徹君       野呂 恭一君    藤尾 正行君       保科善四郎君    湊  徹郎君       渡辺 栄一君   茜ケ久保重光君       稻村 隆一君    大出  俊君       中村 高一君    村山 喜一君       山田 長司君    山下 榮二君  出席国務大臣         外 務 大 臣 大平 正芳君         国 務 大 臣 大橋 武夫君  出席政府委員         外務政務次官  毛利 松平君         外務事務官         (大臣官房長) 高野 藤吉君         外務事務官         (条約局長)  藤崎 萬里君         外務事務官         (国際連合局         長)      齋藤 鎭男君         外務事務官         (情報文化局         長)      曽野  明君         運輸事務官         (海運局次長) 澤  雄次君  委員外出席者         外務事務官         (アジア局賠償         部長)     卜部 敏男君         外務事務官         (移住局企画課         長)      中根 正己君         専  門  員 加藤 重喜君     ————————————— 四月十五日  委員湊徹郎辞任につき、その補欠として大石  武一君が議長指名委員に選任された。 同日  委員大石武一辞任につき、その補欠として湊  徹郎君が議長指名委員に選任された。 同月二十日  委員湊徹郎辞任につき、その補欠として大高  康君が議長指名委員に選任された。 同日  委員大高康辞任につき、その補欠として湊徹  郎君が議長指名委員に選任された。 同月二十一日  委員藤尾正行君及び湊徹郎辞任につき、その  補欠として河本敏夫君及び千葉三郎君が議長の  指名委員に選任された。 同日  委員河本敏夫君及び千葉三郎辞任につき、そ  の補欠として藤尾正行君及び湊徹郎君が議長の  指名委員に選任された。     ————————————— 四月十七日  国家公務員に対する寒冷地手当石炭手当及び  薪炭手当の支給に関する法律の一部を改正する  法律案内閣提出第一五九号) 同月十五日  国立大学教官待遇改善に関する請願岡田春  夫君紹介)(第二七五一号)  同(川野芳滿紹介)(第二七五二号)  同(仮谷忠男紹介)(第二七五三号)  同(菅野和太郎紹介)(第二七五四号)  同(佐藤觀次郎紹介)(第二七五五号)  同(田村元紹介)(第二七五六号)  同(高橋等紹介)(第二七五七号)  同(湊徹郎紹介)(第二七五八号)  同(岡本隆一紹介)(第二八五七号)  同(奧野誠亮紹介)(第二八五八号)  同(古井喜實紹介)(第二八五九号)  同(渡辺栄一紹介)(第二八六〇号)  同(相川勝六紹介)(第二九三九号)  同(内海清紹介)(第二九四〇号)  同(小坂善太郎紹介)(第二九四一号)  同(田邉國男紹介)(第二九四二号)  同外一件(高橋禎一紹介)(第二九四三号)  同(徳安實藏紹介)(第二九四四号)  同(永末英一紹介)(第二九四五号)  同(二階堂進紹介)(第二九四六号)  同(西村榮一紹介)(第二九四七号)  同(野呂恭一紹介)(第二九四八号)  同(服部安司紹介)(第二九四九号)  同(藤枝泉介紹介)(第二九五〇号)  同(松本七郎紹介)(第二九五一号)  同(村山喜一紹介)(第二九五二号)  同(森本靖紹介)(第二九五三号)  同(森山欽司紹介)(第二九五四号)  同(山中貞則紹介)(第二九五五号)  同(横路節雄紹介)(第二九五六号)  同外二件(小枝一雄紹介)(第三〇三三号)  同(志賀健次郎紹介)(第三〇三四号)  同(瀬戸山三男紹介)(第三〇三五号)  同(田中龍夫君紹介)(第三〇三六号)  国家公務員給与改定等に関する請願松平忠  久君紹介)(第二七五九号)  傷病恩給の不均衡是正に関する請願江崎真澄  君紹介)(第二七六〇号)  同(松浦周太郎紹介)(第二七六一号)  同(青木正紹介)(第二八六四号)  同(奧野誠亮紹介)(第二八六五号)  同外二件(木村俊夫紹介)(第二九二七号)  同(坂田道太紹介)(第二九二八号)  同(荒舩清十郎紹介)(第三〇三九号)  傷病恩給改善に関する請願松浦周太郎君紹  介)(第二七六二号)  同外二件(木村俊夫紹介)(第二七六三号)  同(奧野誠亮紹介)(第二八六六号)  同(坂田道太紹介)(第二九二九号)  同(江崎真澄紹介)(第二九三〇号)  同(齋藤邦吉紹介)(第三〇三八号)  北海道開発局職員増員等に関する請願外七件  (泊谷裕夫紹介)(第二八〇三号)  同外七件(松浦定義紹介)(第二八九五号)  旧軍人等恩給に関する請願外三十九件(久保  田円次紹介)(第二八六一号)  靖国神社の国家護持に関する請願外一件(佐々  木義武紹介)(第二八六二号)  同(櫻内義雄紹介)(第二八六三号)  同(植木庚子郎君紹介)(第二九五八号)  国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律  案反対に関する請願石橋政嗣君紹介)(第二  九五七号)  建設省設置法の一部を改正する法律案等反対に  関する請願横山利秋紹介)(第二九九七  号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  外務省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第五六号)  在外公館名称及び位置を定める法律及び在外  公館に勤務する外務公務員給与に関する法律  の一部を改正する法律案内閣提出第五七号)      ————◇—————
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  外務省設置法の一部を改正する法律案在外公館名称及び位置を定める法律及び在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案一括議題とし、質疑を継続いたします。  質疑の申し出がありますから、これを許します。稻村隆一君。
  3. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 私は、何らかの機会に一度外務大臣にお尋ねしたいと思っておったのですが、それは、私が戦前からしばしば海外旅行をして痛切に感ずることは、どうも日本外交官制度に根本的な欠陥があるように思われるのです。今度提出されました外務省設置法を見ても、公使館を大使館にするとか、これも一つ方法かもしらぬけれども、戦前からしばしば日本外交は無能だとか、怠慢だとか、いろいろな悪評を聞くわけです。事実またそう言われてもしかたない点がたくさんあった。戦後も、やはりそういうふうなことを渉外関係その他の人からずいぶん私は聞くのです。まあその批評などというものは、むろんとるに足らないものもあるし、いろいろ誤解もあるけれども、また実際首肯に値するものもたくさんあるわけであります。これをつらつら考えますというと、これは決して日本外交官は無能なんじゃない。非常に秀才な人がそろっておるし、有能なんです。有能だけれども、従来の日本外交官制度に非常に私は欠陥があるということを発見したわけなんですが、その点、外務大臣として気がつかれておるかどうか、お尋ねをしたい、こう思うのです。
  4. 大平正芳

    大平国務大臣 私が外務省に参りまして感じますことは、率直に申しまして、制度の問題もさることながら、あらゆる制度を運用する場合に、その人が問題だと思うのでございます。これは外務省ばかりでなく、官僚全体の通弊でございますが、私なんかも官僚出で、自分でよく感じ取ることができますわけでございますが、それはつまり非常に民間がいろいろな面で苦労しておる。しかし、民間にへたに役人が手を出すことは——民間の人は営利事業をやられておるわけでございますから、特定営利会社に特に肝を入れ、肩を入れてやるということは、何か日本官僚にとりまして、そういうことをやっちゃいかぬことのように、そういうような一種の役人のはだ合いと申しますか、そういうものを感じるのでございます。民間の人の批評を聞きますと、やはり親切さが足らぬということをよく聞くわけでございます。そこで、これは外交官特権をいただき、外国に勤務し、外国関係のお世話をしている外務省といたしましては、国民のためにならないことでは困る。それが特定の一会社であろうと、一銀行であろうと、一個人であろうと、親身になって世話してあげるのがわれわれのつとめではなかろうか、つまりサービス精神に徹することを、私は就任以来外務省方々お願いをしておるわけでございます。ところが、よくよく事態を吟味してみますと、民間の方にも考えてもらわなければならぬことがあるのです。実際外務省の者が真剣に世話してあげようと思っても、一部の真実は語るけれども、全部の真実は語らぬ。自分に都合の悪いことは、言わない場合があるのです。だから、外国と交渉した場合に、だんだんまた別な事実があらわれてくるわけですね。そうすると、こっちも非常に困った立場になるので、これはやはり全部の真実を語っていただいて、そうして一緒になって日本の利益のためにやるということをやろうじゃないか、機会あるごとに民間にもそのようにお願いし、私も外務省方々にそのようにお願いをしておるわけでございます。つまり要するに高くとまって、私は外交官でございますという特権意識に立っておっちゃいけないので、やはりへりくだったサービスで、真剣にどろんこになって、一緒対外活動で血路を開いていくということが、私は何よりも大事ではないか。あなたの御質問は、制度の問題ということでございますが、制度よりやはり人じゃないかと思うのでございます。いかにりっぱな制度をつくりましても、たとえば非常にすぐれた人をわれわれが外務省に迎えるにしても、実のところ来手がないだろうと思うのです。外交官というのは、非常にはなやかな職場を与えられておるように思いますけれども、はなやかな職場というのはわずかでして、ほとんど瘴癘の地、寒冷の地でございまして、医療施設も十分でないところでお働きいただいておるわけでございます。したがって、非常にすぐれた人が、それじゃ好んで外務省のフォーリン・サービスに入ってくれるかというと、私は、なかなかそうはいかぬだろうと思うのでございます。したがって、いませっかく千五百名余り外務公務員がおりますから、この能力を最大限に活用してまいるようにくふうしてまいるというのが分別ではないかと、私は考えております。
  5. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 いま外務大臣の言われるようなこともありますけれども、私は、まだ大臣ほんとうのところを気がついておられないように思います。というのは、日本外交官は一カ所に長くおらないということですね。たとえば一高、東大というような者が中心になりまして、そういう人が方々へ二年か三年ずつおって、すぐどこかへ転勤する。こういうふうなことでは、現地実情を把握できないし、現地の勉強も十分できないところに、私は根本的な欠陥があると思うのです。それでやはり語学別——英語フランス語ドイツ語、これはあれですけれども、スペイン語中国語ロシヤ語とかいろいろありますから、そういうふうな語学のできる人を長く現地に置く。これは単純なことですけれども、こういうことが必要ではないかと思うのです。イギリスに一年おって、どこかへ二年くらい、また全然別のところへ行く。たとえばソ連大使ソ連語のできる人が行ったことがない。これはロシヤ語を知らぬ人——むろん大使は場合によっては知っている必要はないかもしらぬ、しかし、どうしても中心になって働く人は、その国の語学ができなければだめだと思うのです。そういうふうに、語学別に長く滞在させる、こういうことが、日本外交をやる上に絶対必要であるし、そうでなければ、とうてい激烈な競争の中にあって、日本外交立場を十分に発揮できないと私は思うのです。そういう点において、日本制度と申しますか、私はそういうことを制度と言ったのです。たとえばイギリスタイ大使をしておったクロスビーという人がおりますが、この人は外交官補のときから四十三年間タイにおるのですから、タイのあらゆる実情を知っています。それから、これは私忘れましたが、戦前南方に行ったとき、マレー領事か何かで、マレーに三十年か四十年ずっとおった人がいたわけです。だから、マレーのことはあらゆることを知っている。的確な情報を持っている。実によく正しい実情を把握しているから、間違いない外交をやるわけです。中国なんかもそうですよ。中国なんかでも、イギリスやアメリカの外交官は、非常に長くおる。そういうわけで、日本外交官中国に腰かけにいるのですから、方々からいろいろなことを聞いて、アウトラインくらい知ったときにはもうほかに転勤しちゃうのですから、そういうのと、何十年もいるイギリスあたり外交官とは、とうてい太刀打ちができないわけです。そういうことから、日本外交官は何も知らない、無能だというようなことをいって、そこで軍部が外交官を差しおいて対中国外交をやるというようなことから、間違いを起こす、こういうふうなことになっているわけなんです。そういうふうな欠陥がある。そういうことが、日本外交官は無能だ、日本外交がうまくいかない、こういうふうになると私は思うのです。ですから、やはり語学のできる人をその国に長く置く、こういう方法をとらないと、またそういう制度をとらないと、日本外交はから回りばかりしている、そういう非難を受ける。実際役に立たぬ、こういうことになると思うのですが、その点、外務大臣はどうお考えになりますか。
  6. 大平正芳

    大平国務大臣 いま御指摘の、一つ任地に長く勤務して、その任地ことばに通じ、情勢に精通して、多くの知人を持つことは、いま稻村さん御指摘のとおり非常に好ましいことであると思います。いまの日本外交官制度といたしまして、二年ないし三年おれば次の任地に変えるというような一つの慣行がございますが、それは、そういう角度から確かに批判に値すると私は思います。ところが、この制度は、実は私なんかも気がついておりますが、これは外交官だけでなくて、日本官僚制度全体の問題だと思うのでございます。日本官僚制度がどういうわけでこのようになってきたのか、これは公務員制度一つ研究題目として非常に深刻な問題だろうと私は思うのです。おそらくは、一つ任地に長くおることは、そこでいま申しましたような利点もございますが、同時にいろんな因縁ができ、いろいろな関係ができて、役人として公正にふるまえないようになりはしないかという角度から、あまり長く置くことは適当でない、明治政府以来そういう方針がとられたのじゃないかと思うのでございます。これは、外交官だけの通弊ではないと思うのでございます。しかし、確かにいまあなたが言われたように、これは非常に考究に値する問題だと私は思います。  それから第二点として、語学の問題でございますが、確かに外務省諸君も大ぜいおって——私が見ておるところでも、日本人というのは大体語学がへたな民族でございます。ことばの構造が違うというせいもありましょうが、どこへまいりましても、ともかくことばで不自由するわけでございます。この根本的な欠陥は、よほど時間をかけて改善していかなければいかぬと思うのでございまして、最近では、新しく外交官補諸君は二十人内外毎年採っておりますが、英語は大体みな履修いたします。そのほかフランス語ドイツ語ロシア語スペイン語シナ語アラブ語、そういったものを必修にいたしまして、任地考えて、そのことばだけはマスターさそうというわけでやっておるわけでございます。非常にすぐれた語学力を持った者が、だんだん出てきております。戦争中から戦後の十年余りの間、ブランクがありまして、非常にハンディキャップがついたわけでありますが、ようやく戦後になりまして、新しく採用した者は、外国の社会に入れて、外国大学に入れて、二年はともかくみっちり語学中心に勉強さすという仕組みをとって鋭意やっておりますので、これは時間をかけてやれば、本質的に日本人語学がへたな民族ではございますけれども、相当改善されるのじゃないかと思っております。  それから第三の問題として、ざっくばらんに申しまして、キャリアと申しますか、外交官試験をとった人とそうでない人、外交官試験をとろうがとるまいが、人間の能力にそんなに差があるわけじゃないと思いますが、しかし、制度の上では、外交官特権を持った人は特急列車に乗るというようなわけで、そうでない方は、いかにすぐれておっても鈍行列車に乗って歩くというようなことになって、さい然たる区別がございます。これもまた外交官だけの問題でなくて、官僚制度全体の問題になっておりますが、しかし、実務の修練を経まして、非常にすぐれた人は、やはり光るわけでございます。したがって、これは外務省以外の役所でも、キャリアでない方々局長に登用するというようなことも、戦後だんだんと見えてきておりますが、私どもも、最近大使を発令いたしました中には、キャリアでない方も出ていただくように配慮いたしておりますし、総領事級には相当キャリアでない方々がおられます。そういう方々の優秀な人は、また大使に登用するというようなことも考えたいと思っております。つまり、全然キャリア制度というものの存廃というようなことまでまだ考えたことはございませんけれども、キャリア以外のすぐれた方々の登用という点は、もっと勇敢にやるべきじゃないか。そうして、いまそれをやっていい雰囲気、またそれを受け入れる空気が、外務省内にも私はあると思うのでございます。そのように漸次持っていくべきじゃないと思っております。  それから第一段の一任地に長くおって、ほんとうに使える人をつくるということは、非常に望ましいと思うのでございます。それをはばむいまの官僚制度の痼疾というものは、そう簡単にこれを除去してまいるということはむずかしいと思いますが、公務員制度全体の問題として深く検討し、そして非常に賢明に対処していかなければならぬ問題で、確かにあなたが御指摘のように、問題はそこにあると思います。早急に、手っ取り早くそれを除去するにはどうしたらいいかという分別が、私にはすぐわいてまいりませんが、確かにそれは大きな問題点であるということは、率直に認めます。
  7. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 私の言うのは、外交官試験を通らない者でもだんだん上に登用していけというふうなことを言っているんじゃないです。たとえばイギリスあたり領事なんかでも、どんどん月給を上げていくのです。現地辺陬の土地にある領事なんか、何十年おった者が、局長以上の月給をとっておる事実があることを聞いております。そういうふうに、いまの外交官制度行政官制度を別にして、そういうふうに領事でも何でも長くいる者は月給をどんどん上げていく、そういうふうなこともしなければならぬと思うし、それから一般行政官外交官はだいぶ違うので、警察官などは同じところにずっと長く置けば弊害が起きますから、これはむろん私は転勤させるべきであると思うが、外交官現地に長くいたって、そう弊害というものは私は起きないと思うのです。それから権威がないです。その任地実情をよく知り、その地方の政治経済その他一切のことをよく知っておって、それを分析して相当権威を持った知識を持たないと、業者の商売の指導もできなければ、実際の指導もできない。やはり外交官の中に、そうしたその国の実情を正確に把握しているということ、見通しがきくということ、そういうことがあって指導力を持つから、そこでみんなは景仰をするし、権威を持つということになるわけです。ところが、残念ながら日本外交官は、長くて二、三年ぐらいしかおらぬのですから、そういう人がおらない。それだから、相当優秀な人がそろっているにかかわらず、ばかにされる場合があるということになると私は思うのです。そういうわけで、やはり外交官制度は、行政官制度と別にして、いま私が言ったように、領事でもどんどん月給を上げていく、地位は上げなくていいから待遇をよくしていく。そうして辺陬の地にある領事でも、相当の権威を持たせる。こういうふうにしていかないと、いままでのようでは、幾ら若い人に語学の教育をしようがどうしようが、あるいはまた資格のない人でも実力のある人は登用するということをやったって、私はうまくいかないと思う。そういう点につきまして、ひとつ大臣あたり政治力を発揮されて、外交官制度というものを、待遇その他において、普通の一般行政官と別な方法をとっていくことを考慮されたら、私はいいと思うのですが、その点につきまして、大臣はどうお考えでありますか。
  8. 大平正芳

    大平国務大臣 仰せはごもっともでございますが、これは給与制度との関連におきまして、日本のとっている公務員給与制度というのは、戦後総司令部指導のもとにつくった制度で、われわれもそれに関与してやったのですけれども、まあ一つ職階制度をとったわけでございます。その職階制度も、十分純粋に貫いているわけではございませんが、一つポスト給与とが原則として見合うようにできておりまして、それに若干年齢を加味してやっておりますから、たとえば一つ総領事で、その人が非常にすぐれた人であって長くおれば、給料の点においてはたとえば次官までいける、そのようにしようと思えば、私は、やはりいまの給与制度を変えていかなければいかぬと思うのです。行政官のほうでも、技術官事務官との間でいろいろそういう問題がありまして、給料の点は、ポストいかんにかかわらず、ずっと天井なく伸びていけるような給与制度にしてかからなければいかぬと思うのですが、いまとっている職階制度的な給与制度の上では、いまあなたが言うようなことは、私はできないと思うのです。だから、給与制度の問題でも、これは外交官ばかりでなく、行政官の問題でも、確かに私はそういう必要がある領域があるだろうと思います。せっかくの示唆でございますから、外務公務員の問題につきましては、またそれをいろいろ検討している者もおりますから、そういうことが可能なのかどうか、どの程度まで可能なのか、どうすればいいのか、それらの点、もっと私は検討さしてみたいと思います。
  9. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 私は、そういうことはしろうとでわからないのですが、とにかくいままでのようにちょっとおってすぐ転任するようではだめだから、いま申し上げましたように、できるだけ長く置く。そうしてアフリカとかああいうところは、領事でもうんと給料をよくするとか、あるいは機密費をよくするとかの待遇をして、その人をできるだけ長く置くというふうにすることを、ひとつあなたから十分考えていただいて、実行に着手するようにしてもらいたい。そうでないと、日本外務省仕事というものは、権威を持たないということになりますから、外務省仕事権威を持たなければ、一国の権威がないということになりますから、その点ひとつ十分に考慮していただきたい。それだけ申し上げまして、私の質問を終わります。
  10. 徳安實藏

  11. 村山喜一

    村山(喜)委員 この外務省設置法の中で、今回経済協力開発機構日本政府代表部がパリに置かれることになったわけでありますが、OECDに加盟をするということから、この問題が派生をいたしておるわけであります。  そこで、まず初めにお伺いをいたしたい問題は、今回ジュネーブに国際機関日本政府代表部を置いて、パリに経済協力開発機構日本政府代表部を置くようにされているわけでありますが、OECDに加盟をいたしております国々の外交の出先の状況を見てみますと、パリの大使と代表が兼任をし、あるいは大使館の中に置いておるものもあるようであります。さらにNATOとも代表を兼ねた、OECDの代表を大使が兼務しているものも、多数見受けられるわけでありますが、これをジュネーブの国際機関日本政府代表部の中に含めないで、経済協力開発機構日本政府代表部をパリに特に置かなければならないこういう理由は、どういうようなところによって、そういうような機構を考えておられるのか、その点をまず明らかにしていただきたいと思うわけであります。  それと同時に、大使クラスの代表を置かれることになっているようでありますが、経済協力開発機構日本政府代表部の職員は、どういうような構成になるのか、その点もあわせて説明を願っておきたいと思います。
  12. 高野藤吉

    ○高野政府委員 お答え申し上げます。  パリにおきまして、各OECD参加国が、パリの大使とないしはNATO派遣大使と兼任しておる国が多いので、特別なあれを設ける必要はないじゃないかというような御説でございますが、現在のところ、ドイツ、オーストリア、ベルギー、スペイン、フランス、それからイタリア、ポルトガル等は、みな別の独立の大使を持っております。それからその次にカナダ、ギリシア、アイスランド、ルクセンブルグ、ノルウェー、オランダ等は、これは大使とは別のNATO派遣の代表が、OECDの代表になっておる。それから駐仏大使が兼任しておるのは、デンマークとアイルランドでございます。わが方のパリの大使館は、それ以外の仕事がございまして、またOECDの仕事も非常にふえてまいりますと、いろいろの会合が同時に持たれまして、外交事務とOECDの技術的な事務が重なって、同時に会合に出られないということもございますので、ぜひ独立の大使を設けたいという趣旨でお願いしたわけでございます。  それから、第二の人員構成でございますが、現在のところ大使一名、参事官三名、一等書記官一名、二等書記官三名、三等書記官四名、あと理事官四名を入れまして合計十六名。そのうち他省関係が大体七名、通産、運輸、大蔵、経済企画庁、農林省等を考えておる次第でございます。
  13. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで、先ほどの質問にも関連をいたしますが、OECDに加盟をするということになると、これから先の日本の国際的な外交は、経済外交中心となる、こういうふうにいろいろ言われております。そこで、この外交を推進をしていく大使館なり公使館、領事館等の日本外交官の資格の問題でありますが、外交官試験に合格をする者は、ほとんど法科系統の人が多いというふうにわれわれも承知しておるわけです。法科の人が外交官になって、そして外交を推進していく中から、経済的な専門化していくものをとらえていくことも、これは本人の努力次第ではできるだろうと思うのですが、従来、日本外交官は、そういうような点が欠けているのではないかということがよく言われておりますが、いまのいわゆる外交官試験に、法学部を卒業いたしました者が、一年間にどの程度合格をしていっておるものか。そうして将来、こういうような育成の問題は、どのように考えておいでになるかということを、この際お尋ねをしておきたいと思うのであります。  今度のOECDにも、他省から六人ほど参加されることになっているようでありますけれども、いままで参事官とかいろいろな資格で、他の通産省であるとか、運輸省であるとか、農材省であるとかの人たちが外国に参りまして、そこに駐在をいたしましても、ほとんどまた二、三年したら本省のほうに帰るのだ、こういうようなことで、あまり重要視されない。そうしてそれが非常に外務省の本流を歩いている人たちとの間にみぞをつくっている、こういうようなことも聞くわけであります。行政機構改革の問題から、先ほど新聞にも出ましたが、そういうような経済外交を進めていく立場からも、外務省の本省のほうを通ぜずに、たとえば通産省の人は通産省のほうに連絡をするようにしたほうがいいのじゃないか、こういうような意見すらも出ているような状況でございます。このように今後専門化されていく中において、特に経済外交を推進していくそういうようなにない手を、どういうふうに養成されておるのか。現在のキャリアの中で、比率がどのような状態を占めているのか。それと、今後の外務省の後継者育成の問題についての基本的な構想があれば、お聞かせ願っておきたいと思うわけであります。
  14. 高野藤吉

    ○高野政府委員 外務省が新規キャリアの人を採用いたしまして——大体戦前は十四、五名から二十名、最近は大体二十名程度採っておりますけれども、戦前の例からいきますと、十人のうち六人ないし七人が東大ないしは帝大系の人、それから二人が大体商科大学、一橋大学の人、それから一人がほかの大学ないしは外国語学校の出身でございます。それから東大ないし帝大の法科系統でありましても、いわゆる昔の政治学科、すなわち法律経済の両方またがって勉強するということで、法学部でも、大体経済を習った人が多いようでございます。最近に至りましても、たいてい同じような率で、東大系が六、七人、あと一橋ないしほかの大学。それから東大系も、最近は法科ばかりではなく、いわゆる教養学科、これは法律経済、文化という広い視野から勉強をしてきた人が通っておるわけで、法科一点ばりというあれにはなっておりません。  それから入りましてからは、外務省外国に行く前に半年くらい研修を——これは一般的なことをやります。それから帰ってきましてから、経済面の勉強のために、省内で経済局、経済協力局、その他で勉強すると同時に、通産省との人事交流を行ないまして、実地の経済面をやっていくという意味で、経済外交の推進のために人員を養成しておる。今後とも、経済面の知識には、通産省に出かけるなり、ないしは本省において、ないしは在外においても、できるだけそういうふうに勉強させていきたい、こういうふうに考えておる次第であります。
  15. 村山喜一

    村山(喜)委員 今度OECDの大使になる方は、たしか森さんとか聞いておるわけです。そういたしますと、その下に参事官、一等書記官、二等書記官を置かれますと、これのいわゆる法学部系統とかあるいは経済学部系統の分類は、どういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
  16. 高野藤吉

    ○高野政府委員 先ほど御説明申し上げましたように、大蔵、通産、農林、運輸、経済企画庁、各省の出身者が出ておるわけで、各省に入りましてから十年ないし二十年、いろいろ経済問題でうんちくを傾けた人で、その出身が経済方面であったかないしは法科方面であったか、ちょっと私は現在資料がございませんが、いずれにしろ、入省以来経済問題でその各分野における専門家等で、事務には支障ないと考えております。
  17. 村山喜一

    村山(喜)委員 そこで私は、この際OECDに加盟をするということになってまいりますと、このOECDの中で、加盟をするまでにいろいろ交渉を進めておいでになったわけでありますが、一番大きな問題として取り上げられましたものは、いわゆる日本の国際収支の中でも、貿易外収支の海運収支の赤字という問題と、自由化されていく中において、はたして国内態勢との関係において十分な措置ができるかどうかということが、問題にされてまいったわけであります。御承知のように、ノルウェーやあるいはそのほか北欧三カ国の反対によりまして、日本の五カ年の間における留保によって国際競争力をつけた後自由化するという問題が、石油については二カ年間、石炭と鉄鉱石については一カ年間しか、留保期間が認められない。そのあとは自由化されなければならないということになったわけであります。これに対しまして、けさほどの新聞にも出ておりますが、経団連の海運委員会の調査によりますと、運輸省案を約百万トンも下回るような計画しか生まれてこない。業界は、その程度しか期待をしていない。運輸省のほうでは、昭和四十二年までの間に、新造船を計画的に進めていく。一年間に百五十万トン程度ずつ新船建造を進めていく、こういうような計画を立てておやりになっているわけであります。ところが、これに対して政府が、OECDに加盟をすることに伴って日本の海運収支の赤字をなくしていくという方向から、いろいろな方法、手だてを講じていかなければならないだろうと思います。ところが、その運輸省案が、経団連の海運委員会の調査によりましても、机上のプランにすぎない、百万トンも違うというような数字が現実には生まれている。それだけに、この積み荷を取り扱っております業界のほうとしては、運輸省案ではこれに不十分だという意見を言っているわけです。しかも、ことしの新造船計画を見てみましても、これまた計画に比べたらきわめて少ない数字で、六十八万トン程度というふうにお伺いをしているわけですか、こういうようにかっこうの中で、はたして国際競争力をになえるだけの状態に国内態勢がなっていくかどうかという点が、非常に大きな問題として危惧されるわけでありますが、これに対しまして、外務省なりあるいは運輸省は、どういうような方針をおとりになるのか、この際説明を願っておきたいと思います。
  18. 大平正芳

    大平国務大臣 総論的な点を私から御説明申し上げて、あと運輸省のほうで具体的に補足願いたいと思います。  いま御指摘のように、OECD加盟の問題が起こりましたときに、長期用船契約の期間につきまして、油、鉄鉱石等につきまして、わが国の要請とOECDの要請がかみ合いまして、わが国の要求が通らなかったということは、御指摘のとおりでございます。この問題は、本院におきまして、OECD条約の御審議に際しまして、最重点として取り上げられて、外務委員会あるいは運輸委員会との連合審査会等で論議になりましたことは、御案内のとおりであります。それで、そのときに私が申し上げましたことは、本来、日本の海運業界は非常に競争力の強い産業であったわけでございます。しかし、戦争で大きな打撃を受けて、巨額にのぼる戦時補償も打ち切られるというような羽目におちいりまして、海運企業が非常に困難な状況のもとに置かれたという状況になっておりますが、これは本来の姿ではなくて、日本としては、海運企業を強化して、七つの海に雄飛して昔日の栄光を取り戻さなければならぬ当然の悲願を持っておるわけでございます。したがって、海運は自由化し、そして公正な競争のもとで日本の海運が伸びていくというように持っていくことが、長い目で見て、いま御指摘になりました国際収支上からも考えなければならぬ大きな国策だと思うのでございます。今度のOECD加盟につきまして、長期用船契約につきまして問題がありましたということは、たまたま日本の海運企業が戦後置かれた困難な状況にある過渡期間において、こういう問題が起こったわけでございます。そこで、政府といたしましては、一番望ましいことは、早急に海運企業の再建整備を急ぎまして、それでもう矢でも鉄砲でも来い、大丈夫だという姿勢をこの際とるということでございます。そのために、海運二法を軸といたしまして、海運業の再建整備の施策を進めてきておったやさきに、OECD加盟の問題に当面いたしたわけでございます。そこで、その他のすべての条件はOECD側と意見が合いまして、海運の長期用船契約の期限の問題だけが残ったわけでございます。これは、そのためにOECD加盟を見送るべきかどうかの決断に追られたわけでございまして、政府としては、この際、それでは運輸省を全幅的に大蔵省その他政府全体がバックアップしまして、そして運輸省も、業界も、これならともかくお引き受けできるというところまで、ひとつ大蔵省を中心にがんばっていただこうというようにいたしまして、開銀の融資比率を直したり、あるいは開銀融資の据え置き時間も延長したりというような措置を講じ、三十九年度におきましては、御承知のように、海運予算というのはかつて見ないほどの前進を示したのでございます。それで、これは満点とまではいかぬけれども、政府全体がこういう姿勢で海運政策を推進してまいる気合いがかかってまいりますならば、ともかく長期用船契約の期間が一年ずつ短縮になりましても、それだけの分はこれでタイド・オーバーできるんじゃないかという判断に立ちまして、加盟に踏み切ったということでございます。すなわち、OECD加盟の場合に、無理やりに海運企業ないし海運行政当局を泣かして、そうして加盟に踏み切ったということではなくて、OECD加盟を契機といたしまして、海運政策は従来にないように前進さすということを前提にして、加盟に御協力を願うというようにいたしたわけでございます。したがって、しいて申し上げますならば、OECD加盟ということが契機となって、海運政策が大きく前進できたと私は思うのです。しかし、それは十分でなかったとは私も思います。これから大いに政府は努力せねばいかぬ。いま御指摘のように、いまからの造船の問題ばかりでなく、海運政策全体について政府は大きな責任を持っておるわけでございますから、それについては、これから大いに政府全体としてやるんだという前提でまいりますならば、私は、海運当局並びに海運界の御了承を得られるのではないかと思うのでございます。申し上げたいことは、本来海運というのは自由でなければいかぬということを、世界に向かって大いに声を大にしてわれわれはいまから叫びたいわけでございます。いつまでも長期用船契約の期限なんかにとらわれておるような国であっては困るということで、アメリカのシップ・アメリカン政策についても果敢にいまからその非を鳴らしていかなければいかぬわけでございます。日本が、こういうところで停滞しておっては困る。OECD加盟を契機にして、政府全体が海運政策を推進するということで、その突破口をむしろここに求めるべきじゃないかというような気分で、むしろおるわけでございます。これは、今後の努力にも大いにかかるわけでございますけれども、気持ちといたしましては、そのように考えておるということを御了承いただきたいと思います。  なお、いま御質問の新造船の問題等々につきましては、運輸省お見えになったようでございますから、それからお聞き取りいただきたいと思います。
  19. 村山喜一

    村山(喜)委員 外務大臣のお考えはよく私もわかりますが、問題は三十八年七月に海運業の再建整備に関する臨時措置法と、それから外航船舶に対する利子補給の臨時措置がきめられて、そういうような姿の中から国際競争力をつけていきましょうということになって、そうして運輸省の計画では、三カ年間に五百三十八万トンの新造船をやるんだ、こういう計画。一年間には大体百五十万トンの計画を進める。ところが、そのような方針が立てられているにもかかわらず、計画造船として三十九年度に認められたのは、六十八万トンしかない。だから、半分しか認められていないわけですね。しかも、今度は矢でも鉄砲でも持ってこいという形でいくという意気込みはよろしいのですが、それを今度は受けて、実際荷主の側からこの問題について海運収支改善策として検討してみたら、運輸省案よりも百万トンも下回るような原案が出てきておる。こういうような海運界の実態というものがあるわけです。しかも、その問題は、ただ船舶を増強するというだけでは、これは解決ができない問題であります。積み取り比率の問題もありましょうし、それからまた船舶の増大に伴う港湾経費その他がかさんでくることも、また事実です。さらに、今度は貿易構造の問題が出てまいります。いまシップ・アメリカン政策の問題についても、その非を鳴らして改めさせるように努力をするという考え方は、これは了といたしますけれども、OECDそのものが、アメリカの政策については例外としてこれを承認しておるという事実があるわけです。そうして日本の貿易構造のあり方から考えてまいりますと、アメリカを相手にする貿易量というものは、相当のウエートを占めておる。とするならば、一体いまのOECDに加盟をするということによって、その国際収支の海運関係の赤字というものが、国内的な措置も不十分な状態の中において、しかも貿易構造そのものも改正をしないで、はたして黒字になるかということが、私たちにとっては懸念をしておるわけです。だから、いま運輸省の担当の人が見えておりますから、この際、われわれが聞いておるところでは、本年度とられた措置というのは、利子の支払い猶予を五年を七年に延ばすとか、あるいは開銀融資のワクを七割を八割に直すとか、それを三国輸送間にも適用をするとかいうような程度しか改善策としては出ていないように思う。そういたしますならば、運輸省の計画をいたしております一年間百五十万トン、総額五百三十八万トンの新造船計画というものが、いまのような措置で十分な措置ができるかどうかということを、私は責任を持ってお答えを願っておきたいと思うのですが、この点についてはどうですか。
  20. 澤雄次

    ○澤政府委員 OECDの加盟に伴いまして、先ほど外務大臣が言われましたように、関係各省と打ち合わせをいたしまして、開銀の融資率が七割でございましたのを一割上げて八割にいたしました。これによりまして、平均金利が四分六厘から四分四厘に下がりました。まず金利では、特別の国を除きましては、国際的な造船金利まで上げたわけでございます。それから支払いの条件を緩和いたしまして、開発銀行の融資等の償還と市中の償還が重なる時期につきまして、開銀が待つという制度をとったわけでございます。それから、ある船会社が長期にわたって何ばいかの船をつくろうという場合には、船台につきましても開銀が融資をするというようなもろもろの措置をとったわけでございます。それから、三十九年度の予算編成にあたりましても、OECD加盟によりまして海運が非常な開放体制にいきなり突入するということで、予算措置その他につきましても、財政の許す限りのものを認めていただいた、こう思っております。  そこで、新造船につきましては、十分の国際競争力がある。これはもちろん船会社自身の合併による合理化その他の努力と相まちまして、新造船に関する限りは、十分の国際競争力がついた、このように運輸省としては考えております。  先ほど御指摘のありました運輸省の新造船の計画というのは、実は運輸省の試算でございまして、昭和四十二年度におきまして運賃収支をとんとんにするためにはどのくらいの船が必要かということを試算いたしましたのが、先ほど言われました数字でございます。で、この試算に基づきまして、このうち一体どれだけ産業界で協力願えるものか、また財政当局でどれだけの財政融資ができるものかということにつきまして、目下関係各省と打ち合わせをいたしております段階でございます。  それから、けさの毎日新聞の記事が、実はちょっときのうの経団連の作業の内容と違いまして、経団連で八十四万トンずつ船が要るといいましたのは、タンカーと鉄鉱石専用船と石炭専用船、この三つにつきまして、日本の石油会社と鉄鋼会社が長期契約で雇う日本船の量でございます。このほかに、スポットと申しておりますが、長期契約でなくて、一年未満の短期の契約あるいは一航海ごとの契約で運びますのに要します船が、実はこの経団連の資料にもございますのですが、三年間で百八十六万トン、年間に直しますと六十二万トンばかり必要である。しかし、日本のスポットは、一航海のものは非常な危険性がございますので、こういう船をつくるについて、日本の海運の企業力がどれだけあるか、政府がどれだけ措置ができるかというようなことが、問題として指摘されておるわけでございます。八十四万トンというのは、長期でこれだけは石油会社、鉄鋼会社が雇いましょうという数字でございます。それから、そのほかの定期船であるとか、あるいは一般のトランパー、木材専用船とかあるいは鉱石のニッケル鉱だとか、そういうものを加えますと、相当な量になってまいると思います。それで、現在船主の建造意欲が非常に旺盛なものがございまして、三十九年度の計画造船、二十次と申しておりますが、二十次計画造船の建造規模は百二十万トンに達しておりまして、その大半は、船台を確保し、目下荷主と運賃その他の交渉を詰めている段階でございます。
  21. 村山喜一

    村山(喜)委員 この計画造船が、当初のころは六十八万トンぐらいであったのが百二十万トンにはね上がり、そのほかに自主的なものが二十万トンくらいある、こういうことになれば、大体百五十万トンの船舶建造が計画どおりに進められる、こういうような考え方ですか。そういたしまするならば、これは長期の計画の説明だということで了解いたしますが、現在運輸省が試算として出しましたものは、その荷主側であるところの産業界あたりでも、その線が正しいということで承認をして計画が進められていくと同時に、見通しの問題でありますが、政府としては、運輸省の試算というものは、閣議で了承をするとか、そういうような措置をとり得る見込みがあるというふうにお考えになっているのか。その辺は見通しはどういうふうになっていますか。
  22. 澤雄次

    ○澤政府委員 運輸省の試算は、四十二年度におきまして、IMFの国際収支のうち、運賃面をとんとんにするためにはどれだけ要るか、こういう試算をいたしたわけでございます。六十四万二千トンの現在の計画造船のレベルでは、これはだんだん悪化してまいりますので、現状よりよくするために、一応の目標として、四十二年度の運賃収支をとんとんにするにはどれだけの船が要るかという試算をいたしたわけでございます。しかし、実際には産業界が積み取り比率を日本船をどこまで使うか、あるいは財政融資がどれだけ要るかというようなことと関連いたしまして、具体的計画をつくらなければなりませんので、目下関係の各省と打ち合わせをしている段階でございまして、本年度につきましては、一応百万総トンを目途として計画造船のワクを拡大したらどうかというような話が、いま進んでおります。しかし、これも政府としてまだ決定されたものではございません。六十四万二千トンの予算を運輸省は要求いたしまして、大蔵省はそのままつけたわけでございますが、これは予算要求の当時におきまして、ほぼこれだけはできるであろうという船会社と荷主との引き合いのあるものを出しまして、そして予算を大蔵省はそのまま認めてくれたわけでございます。
  23. 村山喜一

    村山(喜)委員 だから、私がお尋ねしているのは、六十四万二千トンは予算措置がされている。ところが、その他についてはまだ交渉の段階でしょう。だから、これからさらにその計画どおり進めていくためには、相当の準備をしなければならぬ。それを内閣として閣議決定なりあるいは閣議了承の線まで持っていく用意があるのかどうかということを聞いているのですよ。
  24. 澤雄次

    ○澤政府委員 ただいまとっております措置は、六十四万二千トンにつきまして、二百四十七億の開銀の資金が予算として成立いたしておるわけでございます。それで、通常計画造船の開始いたしますのがいつもおくれておりますので、ことしは四月一日からこの開発銀行の窓口をあけまして、どんどんと二十次船の契約のできましたものの受付をやっておるわけであります。それで二百四十七億がございますので、これをどんどん使いまして、そして一体二十次造船の全体のワクがどれくらいになるだろうかということは、十二月ごろに大体めどがついてまいるだろうと思うわけでございます。それで百二十万トンの建造規模がございますが、これは荷主との契約の問題もございますし、これが九十万トンはたしてできるか、あるいは百十万トンになるか、その辺のところは、まだちょっと予測がつかないわけでございます。十二月ごろになりまして、これが百五万トンになる、あるいは九十五万トンになるという見込みがはっきりいたしましたら、そのとき大蔵省と財政措置について打ち合わせをし、政府において決定していただきたい、こう思っております。目下のところは、大体百万トン程度をめどにしてやりていこうということでございまして、現実には二百四十七億の財政資金がございますので、これをどんどんと契約のできたものからつくっていこう、こういう措置をとっております。
  25. 村山喜一

    村山(喜)委員 まあ百万トンの建造を目ざす。そうすると、運輸省の試算によれば、これは一年間に百二十万トンくらいにならなければならぬわけでしょう。そうすると、その差は一体どうなるのですか。これは自主的な措置にまかせるということになりますか。
  26. 澤雄次

    ○澤政府委員 貿易外収支の改善をどの程度に見込むか、これは貿易収支、貿易外収支、資本収支、三つの関連において政府としては決定いたすべきものであると思います。運輸省といたしましては、自分の担当いたしております海運の国際収支の面を全部をとんとんにするということはできませんが、せめて運賃収支だけでも四十二年度にとんとんにしようということで試算いたしましたものが、先ほど先生の言われました数字でございます。それでございますので、そこまで実際に積み取り比率が上がらない、あるいは財政融資率がつかないという場合に、貿易外収支全体をどうするか、あるいは日本の国際収支をどういうふうに持っていくかということは、経済企画庁あるいは大蔵省が全体的に考えるべきものである、このように思っております。
  27. 村山喜一

    村山(喜)委員 四十二年においては積み取り比率を七二%にするのだ、こういうような計画ですね。そこで外務大臣にお尋ねをいたしますが、私はかりに運輸省の計画が計画どおりに進んで運賃収入がとんとんになったといたしましても、いわゆる港湾その他の諸経費、これが三億くらいの赤字になるということが言われておるわけですね。それにもう一つの問題は、シップ・アメリカン政策が、これは今後の努力によってどういうふうになるかわかりませんが、いまのようなアメリカの態度であるとするならば、これを是正することはなかなか困難である、非常にむずかしい問題だ、こういうふうに考えるわけです。そういたしますならば、いわゆる国際収支の問題を考えていった場合には、この際貿易構造の問題を改めなければ解決がつかないのではないかというふうに考えるわけですが、はたして海運収支、運賃収支の問題がとんとんになって、将来の見通しはだいじょうぶだということは、外務大臣としてはその見通しをおつけになっていらっしゃるわけですか。その点をお聞かせ願いたいと思う。
  28. 大平正芳

    大平国務大臣 これは問題は見通しがだいじょうぶかだいじょうぶでないかでなくて、国際収支はバランスをとらなければならぬわけです。つまり退いて縮小均衡をはかっていく。日本経済の成長という問題を国際収支の観点から調節し、国内の雇用問題その他国際収支を第一義に考えて縮小均衡を考えるか、そうでなくて、もう進んで拡大均衡に持っていくかという二つの道があるわけでございますが、政府としては、後者のほうで拡大均衡に持っていかなければならぬという決意で当たっておるわけでございます。国際収支のパターンは、いまの御指摘のように海運収支ばかりでなく、海運に関連した経費、それからロイアルティから配当利子、そういったものがだんだんふえこそすれ、減ることは絶対に考えられないわけでございますから、そういうものを勘定に入れて、しかもそれをバランスに持っていくには、どういたしましてもこれは輸出をふやしていくという前向きの姿勢しかないわけでございます。幸いにここ数年来非常に設備投資が進みましたし、日本の企業の国際競争力はつき、交易条件もよくなってきているわけでございますから、私どもといたしましては、日本のいまこの活力を活用してまいりますならば、必ずやっていけるに違いないと思うのでございます。また、やっていけるような施策を講じてまいる以外に分別はないと思うのでございます。こういうことをやればこうなるのだという単なる見通しでなくて、むしろ拡大均衡をはかっていくのだという決意、その決意に根ざして不断の努力を重ねていく、そこで活路が開けてくる、こう思います。
  29. 村山喜一

    村山(喜)委員 どうも大臣の御答弁はわからないですよ。言われることがばく然として雲をつかむような話だ。私が具体的にお尋ねをしているのは、この海運収支が運輸省の試算どおりにいった場合には、それは運賃収支においてはとんとんになる。だけれども、すでに船腹がそれだけ増大をされるわけですから、港湾経費その他がかさむことは事実です。そうなれば、それが赤字が二億四千万ドルから大体三億ドルくらい出るだろう、こういうふうに言われておるわけです。さらにアメリカのシップ・アメリカン政策というもの、これを是正をしなければならないけれども、これまた一つの非常に大きな難事業だ。そうなってきた場合には、海運の国際収支の改善という問題一つとらえてみても、これは非常に問題がある。しかも、それを根本的に解決をしていくためには、やはり現在の片寄ったところの貿易構造というものを改めていくという政策が、第一に立たなければならないんじゃないか。こういうことを意見として言うわけですよ。それに対して大臣はどういうような方向に今後努力をされるのですかということをお尋ねをしておるわけです。ただ拡大均衡方策だけでは、これは答えにならないわけです。どういうような方向をお考えになるのか、これは外務大臣としてやはり重要な問題であろうと思いますから、大臣から重ねて御答弁をいただいておきたい。
  30. 大平正芳

    大平国務大臣 たいへん失礼しました。貿易構造の問題でございますが、私は、国際収支一般の問題について、これを拡大均衡に持っていく決意で当たらねばいかぬのだということを申し上げたわけでございますが、御承知のように、原材料並びに食糧を大量に輸入しなければならない日本でございますから、あなたの言われる意味は、できるだけこれを船足の短い、たとえばアジア地域で求めるというようにくふうしないと、海運収支の面からも行き詰まりがくるのではないかというような御指摘であろうと思うのであります。そこで、それは私はこう思います。いわゆる市場転換ということになるわけでございますが、市場転換は、いまのように自由企業体制を基調にとっている以上、政府がかってにやるということはいかがかと思うのでございます。たとえばアメリカ圏から輸入しておる綿花なら綿花というものを例にとってみましても、これは船足が短いところからこれを求めるといっても、日本のメーカーがこういう品質の物をこういう値段でほしいというものが近隣の諸国にあれば、これは可能なことでございますけれども、これは非常にむずかしいのではないかと思います。かりに近隣の諸国にそういう原材料がありましても、値段の上で、品質の上で、長い船足をかけてもなお遠くから求めたほうが得だという場合に、政府がそれは市場転換すべきだというわけで、海運収支の面からだけで市場転換をしいるということは、私は賢明ではないと思うのでございます。つまり市場の転換は、やはり合理的に、競争性を頭に置いて考えなければならぬわけでございまして、機械的にいかぬだろうと思います。同じ条件であれば、あなたが御指摘のように、船足の短いところから求めるのが当然だし、それは政府が奨励しなくても、業界のほうで当然そういうことを考えるわけでございます。すなわち、これは政府の政策として市場転換政策をやらなくても、合理性がある市場転換は、業界自身がもう死活の運命をかけてやっておるわけでございますから、その点は心配なく、彼らがこうやるほうがいいと信じたことは、私は政府の勧奨を待つまでもなくやると思います。しかし、業界の自主性にまかさずに、政府のほうで市場転換を強制してまいるということは、私は賢明でないと思います。船足が長くても、そのほうが経済性が強ければ、そうするのが日本のためになるだろうと思います。したがって、そこで海運収支が、そのために思うように赤字幅を減らしていく、あるいは黒字に転換することが困難だとしても、それはほかの貿易収支あるいは資本収支でカバーしていけばいいわけでございまして、経済的な合理性を殺すわけには私はいかぬだろうと思います。市場転換につきまして、つまり貿易構造を意識的、政策的に政府が変えるということについては、私は、せっかくの御意見でありますけれども、消極的に考えています。
  31. 村山喜一

    村山(喜)委員 経済合理主義をおかして、むちゃくちゃに国家権力によって統制的にやれということを私は言っているわけじゃない。やはりそこには、政府が全体的な国際収支の改善という面から、この海運収支の問題もとらえると同時に、日本の貿易そのもののあり方——これは高い立場から政府が誘導し、指導する立場は、私はあろうと思うのです。そういうような立場から、このOECDに加盟をした。加盟には条件がついた。その条件は、いまのような海運関係の留保事項は、二年と一年しかない。しかもそれに対応するところの国内の政策は、まだ不十分だ。そしてそれをやってみても、将来やはり貿易構造そのものにメスを入れない限り、OECDに加盟をしていくその積極的な理由がないじゃないか、私はこういうようなふうに考えますので、そういう立場から御質問を申し上げたわけです。やはりここで考えなければならないのは、NATOの十四カ国のうちの八カ国が、OECDの代表と大使と兼任をしているというような性格や、あるいはココムの十五カ国の中に日本も入れられておるわけですが、それらを考えてみますと、共産主義圏内との貿易の問題というものは、将来やはりこういうようなものに入ることによって日本の国がさらに制約を受けるおそれもあるというふうに考えますし、アメリカのバイ・アメリカン並びにシップ・アメリカン政策というものが、今後どういうような形になって、努力をすることによって解消ができるかというようなこと等も、まだ今後の問題である。そういうような点を考えますと、貿易の自由化という立場からわれわれは取り組んでいくという決意を示すことはいいですが、片一方においては、アメリカは自由化の抜け道をとっているのがあるわけですね。この国際海運の問題については、確かにそういうようなことが指摘される。これに対して外務大臣は、シップ・アメリカン政策をどういうふうな形で今後是正をしていくお考えか、決意のほどを承っておきたい。
  32. 大平正芳

    大平国務大臣 絶対の権力というのが世界にはないわけでございまして、アメリカという怪物のようにでかい国がたまたまできたのですけれども、この国もなかなか弱みを持っているのです。たとえば繊維工業とか、いま問題になっている海運企業、こういうようなのは、ちょうどわれわれの産業界でいうと石炭産業みたいなもので、あれは泣きどころなんです。ほかは非常に強いが、こういうようなのは非常に弱いのです。ところが、アメリカも議会民主制度をとっておりまして、そういう方々のボートも集めなければいけないというので、アメリカ政府が、繊維産業について綿製品協定で渋い態度をとるとか、あるいはシップ・アメリカン政策を固執するとか、その身になってみればこれは無理からぬところがあるわけでございます。それはアメリカの主権に属することでございまして、われわれがそれはいけないからといって有権的にこれをとどめさせる手はないと思うのです。それでOECDにおきまして、アメリカがそれを留保している。留保してはいかぬといって鼓を鳴らし、非を鳴らしても、アメリカが留保する権限がOECD条約の中にあるわけでございますから、やめろと言っても、アメリカがやめなければそれまででございます。だから、それは私は議論にならぬと思うのでございますが、ただ、いまあなたが御指摘になったOECDの中でのアメリカ以外の加盟国は、日本と同じ立場でシップ・アメリカン政策はけしからぬという態度をとっているわけでございます。海運閣僚会議で、日本もオブザーバーを出しておりますが、今度OECDメカニズムの中で、同一歩調をとりましてアメリカに迫るわけです。そのOECDの一致した圧力が、アメリカのウィークな海運産業に対する政府の保護政策というものをどこまで変えさすかが、これからの問題だと思うのでございます。それにつきましては、欧州の海運諸国と日本は共同歩調をとりまして、緊密な連絡のもとにアメリカに当たる決意でございます。現在も当たっております。しかしながら、アメリカのシップ・アメリカン政策というのは、非常にやかましく言うのですけれども、政府が言うようにうまく行っていないのです。なかなかアメリカも船腹が足りませんで、自分の援助にかかる品物は自国船で運べというような原則をとりましても、まだ思うように船腹がございませんし、あれは政府が言っているほど実効をあげていないのです。いないのでございますが、しかし、海運事業のたてまえからいたしまして、いわゆる適地適産で、すぐれた海運能率を持った国のほうにそういうふうなことは回すべきだという主張は、堂々とやるべきだと思うのでございます。そういう努力は、大いにわれわれも欧州海運国と協力してやってまいりましたし、今後も精力的にやってまいる。それで現にアメリカの鋭鋒がだんだんにぶくなってきていることも、御承知のとおりであります。それがどこまでアメリカの海運政策を変えられ得るかというのは、圧力の大きさだと思うのでございます。その大きさと、それからそういう政策全体を判断いたしまして、アメリカがどこまで自分のほうで自省しますか、それにかかってくると思うのでございます。しかし、いずれにいたしましても、今後もこの点につきましては、何ら遠慮することなく、精力的に当たるつもりでございますし、日米間のパイプを通じましても、私どもは何ら遠慮することなく、堂々と主張してまいるつもりです。  ただ、私は特にアメリカを弁護するわけではございませんけれども、原則として自由な国が、たまたまある種の産業について規制をやりますと、それは非常に目立つのです。原則として統制をしている国が、たまたまある領域において自由化しますと、非常にありがたがられるのです。アメリカは、私は非常に損な国だと思うのです。原則として自由にしておって、繊維とか海運とかになりますと、ずいぶん日本でも評判が悪いわけでござざいます。その点は、よほど公平に見てあげないといかぬと思うのです。欧州に比べまして、アメリカは一国で二倍半ぐらいの貿易を日本はやっておるわけでございます。日本の三分の一の貿易をアメリカでやっておるにかかわらず、その分量のわりには問題は少ないのです。たまたま問題が起こると非常に反米的な言論が起こりますけれども、これは私は非常にフェアじゃないと思います。その点は、その非は非として鳴らす必要はありますけれども、経済政策を評価する場合には、全体を評価してあげないとフェアじゃないと思いますので、アメリカを批判する場合には、その一点だけを批判することはけっこうでございますけれども、全体のウェートというものを考えながら、それから他とのコンパラティブなレベルにおいてアメリカがより規制的なのかどうかというような点は、十分われわれも友好国として考えておかなければならぬと思いますということを、私はしょっちゅう皆さんに申し上げておるわけでございます。しかし、規制するということ自体は、海運自由の原則からいってよくないことでありますから、それに対しましては、先ほど申しましたように、われわれは精力的に欧州各国と共同歩調で当たるばかりでなく、われわれ自身といたしましても、精力的にその是正を求めたいということは、お誓いいたします。
  33. 村山喜一

    村山(喜)委員 OECDの問題はほかにもありますが、このあたりでこれはおきたいと思います。  もう一つの問題は、外務省設置法の改正案の中で、今回アジア局にあります賠償部を削るというのがあります。これは外務省の賠償部から出している資料ですが、三十八年の三月三十一日付で純賠償額のまだ履行をしていない未払い額が、二千百四十二億余りあります。それに経済協力、技術協力の分が、これはビルマを含めて五百十四億、そのほかにガリオア、エロアのうちまだ未済分が一千五百二十七億、それからタイ特別円の未払い分が七十六億、合わせまして四千二百五十九億というのが、まだ未済分として残っておることが、資料で出されております。こういうように現在までの実施額と、それからまだ賠償あるいは賠償に準ずべき経済協力、政府が責任を持つ経済協力、こういうようなものが多分に残っている。しかも、まだ日本と国交を正常化しない国も、アジアにはあるわけです。隣の中国がありますし、また韓国なりあるいは北朝鮮がある。こういうような国々があるにもかかわらず、この時点において賠償部を削りまして、そして経済協力局の中に組み入れていく、こういうような考え方をおとりになったのは、一体どこに原因があるのか。その御心境をお聞かせを願っておきたいと思うわけです。これが一つ問題点であります。  まずその点からお尋ねをいたしたいと思うわけでありますが、それと同時に、最近ラオスなりベトナムの情勢が緊迫をいたしてまいりました。この中で、今日まで賠償協定なりあるいは経済技術協力に基づいた実施額義務履行がどの程度進んで、そうしてあとどの程度まだ残っているのか、これを明らかにしていただきたい。その二点をお答えを願っておきたいと思うわけです。
  34. 大平正芳

    大平国務大臣 仰せのとおり、まだ賠償は実施の半ばでございますが、大体賠償協定は、ビルマの債権等が終わりまして、全部済んだわけでございます。それから賠償の実施要領は全部固まってまいりまして、もうきまった軌道の上を円滑に走るという状況になってまいりましたことが、賠償部の廃止の一つの理由でございます。  それから、わが国はよその先進国と違いまして、いままでは賠償が主力で他の経済協力が従の状況でございますが、賠償が一九六九年にはピークを越しまして、一九六九年にまいりますと、インドネシアが済みます。そうしますと、賠償はもう下り坂になってまいります。そういたしますと、どうしても経済協力一般に力を注がなければならぬ状況でございます。いままでDACに対する報告にいたしましても、賠償を経済協力の一環としてわれわれは報告をいたしておりましたし、世界第五位の経済協力国だとして、その実績の中にも賠償を含めておったわけでございますが、これからは経済協力一般として施策を進めてまいらなければならぬ。そうして賠償もその一環なんだという認識に立ちまして、経済協力局に吸収して、アジア局ではなくて、経済協力局に賠償担当の仕事を移しまして、経済協力一般との関連において賠償を進めてまいるというほうが、時代に合ったやり方じゃないかという考え方でございまして、そうすることによって賠償事務が渋滞をする心配はございませんし、むしろ経済協力という視野に立って、ほかの賠償以外の経済協力との関連を考慮しながら賠償を進めてまいるというほうが、時代に合っているという考え方で、賠償部廃止に踏み切ったわけでございます。  それからベトナムに対する賠償でございますが、これはことしで大体終わります。いまは八八%強済んでおります。それで残りはことし大体終わりまして、来年の一月の十一日までには全部完了いたします。ところが、九百十万ドルという賠償に伴う経済協力について、これは民間経済協力について政府がそれを容易にする道義的な責任が賠償協定にくっついてあるわけでございますが、この点は、いままだ全然動いておりません。きのうもベトナムのオワンという土木大臣が参りまして、この点を動かしてくれという注文が、私に対してございましたのです。私といたしましては、これは民間で契約をして、いいプロジェクトがあって、それを民間がやるという決意になってまいりますれば、政府としてもそれを促進するように努力いたしましょう、問題は、どういういいプロジェクトがあるか、そうして民間がそれに対して乗り気になるかならぬかの問題でございまして、いま九百十万ドルをどう動かすかという点につきまして、ベトナム当局とそれから日本側とが協議を始めておる。九百十万ドルは、まだ全然動いていない、これからの問題でございます。  それからラオスにつきまして、私は詳しいことを存じませんから、賠償部長のほうから……。
  35. 卜部敏男

    ○卜部説明員 ラオスの経済協力の関係でございますが、十億円の無償の経済協力を提供するということになっておりまして、三月末現在九億八千九百四十七万円、九八%九の遂行率になっております。
  36. 村山喜一

    村山(喜)委員 これは私が持っているのは三十八年の三月三十一日で、ちょっと資料が古いのですが、外務省の賠償部のほうから出された資料で質問を申し上げているわけです。ことしになりましてから割合に進捗いたしているようでありますが、三十八年の三月三十一日では、純賠償額はまだ二千百四十二億円残っている。それから経済協力のやつが残っているのが、ビルマを含めまして、五百十四億ということになるようであります。いまラオスのあたりの進捗状態を聞いてみますと、これが九八%になっているようでありますが、ベトナムの場合も大体八八%。昨年はまだベトナムの場合は七四・七%が残っている、こういうようなふうにいわれておりましたので、若干の数字の誤差はあるといたしましても、経済協力よりもまだなお賠償額のほうが、額にしたら約三倍くらい多いのではないかと思うのですが、この点はいかがですか。
  37. 卜部敏男

    ○卜部説明員 ただいま御指摘のありましたのは、賠償部から出しております「日本の賠償」という書物に、賠償に伴う経済協力の関係のことを述べておるわけでございます。その関係で申しますと、ラオス、カンボジアに対しまして、無償の経済協力をやっております。それを両方合わせまして、遂行率は三月末現在で八四・四%でございます。それから賠償の関係から申しますと、ビルマが八九・三%、それからフィリピンが二六・三%、それからインドネシアが五〇・八%、それからベトナムが八八%になっております。このうち遂行率がやや順調を欠いておりますのが、フィリピンでございます。フィリピンが二六・三%でございます。このフィリピンの遂行率が若干おくれております理由の一つは、フィリピンの場合には、五億五千万ドルの約束になっておりますが、最初の十年間は二千五百万ドル、あとのほうになりまして年間三千万ドルということになりますから、そこに一つの食い違いがございます。それからもう一つは、フィリピンの場合には、フィリピン側の事情で若干賠償関係の調達がおくれておる。そういう二つの要素が重なりまして、こういう低い率になっております。賠償の関係で申しますと、全体の遂行率を申し上げますと、四六・五%になっております。
  38. 村山喜一

    村山(喜)委員 これはただ経済協力だけじゃないのですよ。賠償及び経済技術協力履行状況総括表というもの、この中で、純賠償計、それから経済技術協力計というふうに、それぞれ計が出されている。この中には、あなたがおっしゃる以外に、賠償額が幾らというのをちゃんと出されておる。私がお尋ねしたいのは、全体の賠償の実施額が四六・五%だ。そうするならば、義務履行の未済額が幾らになっているのかということをお尋ねしているわけです。だから、その総額をお聞かせを願いたい。それと、経済協力の未済額があと幾ら残っているか。だから、その比率の上からいった場合には、賠償額のほうがまだ多くて、経済協力のほうはその約三分の一か四分の一程度しかないじゃないか、こういうことを言うわけですが、その数字を示していただきたい。
  39. 卜部敏男

    ○卜部説明員 ただいま御指摘になりました点は、賠償協定を結びました際に、交換公文でもって、たとえばフィリピンの場合には二億五千万ドルの経済協力という額が出ております。インドネシアの場合には四億ドルという額が出ております。この関係は、先ほど大臣もお話しになりました、例のベトナムの九百十万ドルと同じ性格のものでございまして、純粋に商業ベースで行なわれるということになっております。したがいまして、政府のほうは、そういう商業ベースに基づきまして契約が出てきましたときにこれを促進するという意味の道義的な責任を持っておりますけれども、しかしながら、事は純粋に商業ベースのために、詳しい数字はまだはっきりつかめておらないわけでございます。
  40. 村山喜一

    村山(喜)委員 三十九年度の三月末の数字はわかりませんか。私がお尋ねをするのは、いわゆる協定によって結ばれた純賠償額、それから経済技術協力、そのほかに民間の、先ほどのベトナムの九百十万ドルのような経済協力があるわけですね。これの表をお出しを願いたい。明らかにしておかなければならないのは、三十九年三月三十一日末の数字がなければ、その前の数字でいいまするならば、二千百四十二億対五百十四億の割合なんです。そのほか、民間ベースの経済協力が幾らあるのか、はっきりいたしませんが、その数字等をお出しを願いまして、賠償部を廃止して経済協力の一環としてやったほうがいいんだという数字をお示し願わないと、まだこれじゃ賠償が済んでいないのに、経済協力の中にそれをひっくるめていくということはおかしいじゃないかということにもなってまいりますので、やはり客観的な資料に基づいて論議をしたほうがいいと思いますから、その数字をお出しくださる用意がありますか。
  41. 大平正芳

    大平国務大臣 三月末の賠償実施額は、先ほど申しました四六%になっておるわけでございますが、これに対しましては、私は先ほど御説明申し上げましたように、賠償実施要領というのが固まってまいりまして、もう仕事がその軌道の上を走るということになって、ルーティーンの仕事になってまいりました。企画という仕事ではなくなってきたということでございます。  それから、それ以外の賠償に伴う経済協力の問題は、賠償部長から御説明申し上げましたように、これは政府のほうが条件とか金額とかについて責任を持つわけじゃございませんで、民間経済商業ベースに基づいて行なわれた契約があって、そういう場合には政府としてそれを促進する道義的責任があるという問題でございまして、主体は民間にあるわけでございます。これは経済協力一般がそういう性質を持っておるわけでございますから、経済協力局のほうで所掌させるほうが、むしろ妥当だと考えておるわけでございます。
  42. 村山喜一

    村山(喜)委員 大臣の趣旨はよくわかるのですよ。わかるけれども、資料をお出しいただけるかどうかということを聞いているのです。担当の賠償部長からお答えを願いたい。
  43. 卜部敏男

    ○卜部説明員 純賠償の資料のほうは、これはお出しいたします。また先月でございますか、衆議院の委員会のほうに提出してございます。また、いまの純粋な商業ベースに基づきます開発借款の関係の資料につきましては、これはたとえばフィリピンの場合をとりますと、一億ドル以上出ておるわけでございますけれども、フィリピン側のほうでは、向こうの賠償委員会を通ったものだけをいまの二億五千万ドルの内ワクと見るというようなことを申しておりまして、そこはまだ詰められておらない段階であるわけでございます。したがいまして、純粋な商業ベースに基づきますところの開発借款等の詳しい数字を、何月何日現在ということではなかなかつかみにくいというのが実情でございます。
  44. 村山喜一

    村山(喜)委員 しかし、それは向こうの当局なりあるいはそういうような賠償委員会を通じた形で持ってきて、日本の商社との間で交渉がされて、それについて外務省が認証をする、こういうような形で経済協力は進められているのでしょう。とするならば、当然そこには資料というものがあるはずですがね。
  45. 卜部敏男

    ○卜部説明員 お答え申し上げます。  純粋の民間の商業ベースのものでございますので、政府がそこに関与する、たとえば外務省に届けがある、それを認めてやるというような、そういうやり方をしないというたてまえで、例の開発借款の関係も、すべて交換公文という形にいたしまして、あまりきつい形の協定にはしておらないわけであります。
  46. 村山喜一

    村山(喜)委員 そういたしますと、たとえばラオスで十億円の三百万ドル、これについては政府間の責任で協定を結ぶ。だから、その分については向こうの公社なりあるいは国なりが日本の商社と契約を結んで、それを外務省が認証をする、こういうような形をとるが、民間ベースについては、これは外務省としては押える数字を持っていない。それはどこが押えるのですか。大蔵省ですか。
  47. 卜部敏男

    ○卜部説明員 お答え申し上げます。  まず最初に御理解をいただきたいのは、ラオス、カンボジアの場合には、経済協力のための協定が結ばれておるわけです。そこで無償でそういう経済協力をするということになります。これはそういうふうに協定でなっておるわけであります。それからフィリピン、インドネシア、ビルマもそうでありますが、あちらのほうの経済協力、経済開発の借款のそういう内容を持っておりますのは、交換公文ということで、協定にはなっておらないわけであります。したがって、カンボジアとラオスの場合には、はっきりと賠償と同じ手続でやっておりますので、政府の賠償部のほうに届け出がありまして、これはこういうものだということでそれは認証いたします。そうして支払いが行なわれておるわけであります。一方、そうでない他の国の場合には、これは全くいわば野放し状況でありまして、事後において計算をするということになっておるわけであります。
  48. 村山喜一

    村山(喜)委員 そういたしまするならば、交換公文に基づいた民間ベースの経済協力、そのほかにも、現在外務省経済協力局の中にある経済協力というのはありますか。交換公文以外のものがありますか。
  49. 卜部敏男

    ○卜部説明員 お答え申し上げます。  経済協力局のほうでやっておりますのは、ただいま私が申し上げております純粋の民間の商業ベースで行なわれておるようなものについて、経済協力の見地からお手伝いをするということでやっておるわけであります。したがいまして、たとえばフィリピンの二億五千万ドル、インドネシアの四億ドルという経済協力とは、内容的に全く同じもののわけであります。そこで、従来も賠償部と経済協力局とは常に連絡を密にいたしまして、これを促進したり何かしておったわけであります。
  50. 村山喜一

    村山(喜)委員 そういたしますと、純賠償、それから政府間協定の経済協力、それから民間ベースの交換公文に基づくところの経済協力、これだけですか。あとはないわけですね。国連の経済開発機構の中における経済協力は、どういうふうな方式をとるのですか。
  51. 卜部敏男

    ○卜部説明員 お答え申し上げます。  そのほかに、たとえばインド、パキスタンとの間の円クレと申しております経済協力の取りきめがございます。そういうのは、経済協力局でやっておるわけであります。また、コロンボ契約関係のものも、経済協力でやっておるわけであります。
  52. 村山喜一

    村山(喜)委員 いろいろな内容のものが入り乱れておるというのですからね。私は外務省の賠償部の資料に基づいて調べてみたら、まだ賠償未済額が二千百四十二億円もある。こういうことから、いま早急に賠償部を廃止する必要はないじゃないか。経済協力をあわせてやっていくというのであれば、いままでも経済協力局のほうとは十分連絡を密にしてやっておいでになったという説明でありますから、あえて機構を改正する必要はないじゃないかというふうに考えるので、そういうふうな立場から資料の要求をしたわけです。そういたしますと、どうもまだ話が進んでいないものもあるし、十分な把握もできないからというようなことがありますが、やはりそれには経済協力局の下にそういうような賠償の仕事を移していくということになるならば、その分野がどういうふうに客観的になるかという資料を委員会には提供をしていただかなければ、審議の素材がないということになりますから、論議していく場合に困りますので、あなた方のほうで差しつかえない程度においてお出しを願いたい。その点、委員長のほうでお取り計らいを願いたい。
  53. 徳安實藏

    徳安委員長 承知しました。あとから出すようにいたしましょう。
  54. 村山喜一

    村山(喜)委員 これは外務大臣にお尋ねをしないとわからないと思いますが、ラオスでクーデターが起こった。最近あちこちで政権の移動といいますか、クーデターが頻発をするようであります。このクーデターは結局失敗に終わったようでありますが、前にベトナムでゴ・ジンジェムがクーデターによって倒れまして、グエン・カーンが権利を継承した、こういうふうに現実的になっているわけですが、日本政府としては、このグエン・カーンの政権を合法的な政権として、これは権利義務の継承能力があると認められて承認をされていると思うのですが、これはいつ承認をされているのか。この点をお聞かせ願うと同時に、たとえばラオスでクーデターが起こった。それが今度はジュネーブ協定に違反をするということで、各国から総スカンを食らって、これは失敗をいたしたようであります。そういうような場合におけるところの賠償協定の、あるいは経済協力の協定を締結をした当事者能力というものが、どのように移動をしていくか。これはもちろん当事国の憲法なりその他政体との関係がありますから、そのような立場から、今後の問題点としてわれわれも考えておかなければなりませんから、この際そのクーデター等に伴う賠償、経済協力の権利義務の継承関係を御説明願いたい。
  55. 大平正芳

    大平国務大臣 去年の十一月、ゴ政権が崩壊して、カーン将軍の政権ができましたのは、ベトナムの憲法によりまして合法的な手続をとっておりますので、新しい承認の問題は起こらないと判断いたしまして、何ら外交的な新しい手続をとっておりません。従来のまま、ベトナム政府として認めておるわけでございます。  それからラオスの今度のクーデターは、いま御指摘のように失敗したということでございます。われわれは、ジュネーブ協定の趣旨を尊重し、かつプーマ首相の率いる連合政府というものを認めておる態度に全然変わりはございませんから、したがって、わが国との間柄におきましては、何ら変改はございません。
  56. 村山喜一

    村山(喜)委員 今回クーデターが失敗をしたから、事実上の問題が出てこないわけでありますが、これがジュネーブ協定で認められた中立政策をとるということになりました場合には、これは政権の移動としてお考えになられる考え方であるのか。やはりラオスの憲法その他から見て、国王の承認がなければできないというような立場から、それは承認事項になるので、ただそういうふうに政権の政策だけでなくて、そのような形式的な行為を踏まなければ、政権の移動とは認められない、こういうふうに把握をされるのか。このいわゆるベトナムのグエン・カーンのクーデターは、これは憲法の中における政権移動として承認問題は起こらないという説明でありますので、その点についてもちょっと説明を願います。
  57. 大平正芳

    大平国務大臣 従来革命が起こったり、クーデターが起こったりいたしました場合に、その具体的な事件を吟味いたしまして、それがその国の憲法の条章に従って行なわれたかどうかという点の吟味を十分いたします。そして、それと同時に、世界各国がその具体的な事件をどのように見ておるかという点も、あわせて日本政府としては考慮いたしまして、そして新しい承認の必要があるかないかをきめておるわけでございまして、いま申しました二国につきましては、いま私がお答えしたような態度でいいと考えております。
  58. 村山喜一

    村山(喜)委員 ラオス問題は、クーデターが失敗をいたしましたので、この点については質問をいたしません。  情報文化局の新しい部として、文化事業部というものが設けられることになりました。この情報文化局の広報活動が、私たちはどういうふうにして行なわれているのか、よく知らないわけです。特に外国の子供たちが使う教科書を見ますと、まだ日本の人たちは、まるまげを結った御婦人が出てきたり、それから大正年間のような科学技術水準にあるようなさし絵等が出ておる。そして日本の国の今日の繁栄、技術革新の伸展の状況というようなものは、ほとんど外国の教科書には出ていない。そういうような目で外国日本をながめておる。日本と非常に関係の深い国々においてはそうでもないわけですが、外交関係があまり経済的にも十分に行なわれていないようなところでは、そういうような立場から見ておるがゆえに、教科書にそういうものが載る。これが私は外務省の行なっている広報活動の今日の姿ではなかろうかと思うのですが、一体外務省情報文化局というものを設けておいでになるのだけれども、今日までどのような日本の事情の紹介を海外にしておいでになったのか。そして今度新たに文化事業部ができるようになりました。これは文化交流を主体にしてやるということになっておるわけですが、アメリカとの間の文化交流というものは、いままでいろいろやられておるようでありますけれども、そのほかの国との文化交流というものは、あまりやっておいでにならないようにわれわれ承知しておるのですが、文化事業部は、こういうように四号から六号までの事務をつかさどるということになっておりますけれども、どういうようなスタッフでその仕事をおやりになるのか。この点について説明を願っておきたいと思うわけです。  それから、われわれが外務省からいただく資料等は、国内外にわたるところの事情、情勢の動き、こういうものの資料はときどきいただきますが、日本の国の広報活動というものが、たとえば最近隣の中国あたりは非常に活発な広報活動といいますか、「人民中国」とか「中国画報」とか、あるいはソビエトあたりにいたしましてもそういうものを出しまして、いいにつけあしきにつけ精力的な取り組み方をしておるわけです。これに対して、日本の場合等は、そのような活動というものがほとんどなされているのかどうかすらもわからないような状況じゃないかと思いますので、この際、その点を説明願っておきたいと思うわけです。それと同時に「必要な情報の収集及び研究」、これは一体どういうような情報を収集されるのか。ややもすればこの情報収集というようなことがいろいろ問題にもなりますので、その内容、限界等についても御説明を願っておきたいと思います。
  59. 曽野明

    ○曽野政府委員 お答えいたします。  まず第一に、外国教科書の日本に関する記述の問題でございます。ただいま先生の御指摘にありましたように、外国の教科書をいろいろ集めてみますと、非常に日本というものが古い姿のままで映っておるということは、事実でございます。実は戦後、こういう面の努力は、日本の置かれました特殊な事情からいたしまして、いまから二、三年前まではほとんど私たちとしては手をつけるだけの力、あるいは資力の余裕がなかったのでございます。いろいろ各国のを集めてみましても、はなはだ悪い、間違っておる。それからまた、大きな国で出ております百科事典というものが、非常な誤りをしておる。この原因は、おそらく戦後十年間日本外交がブランクであったということにもよると思うのでございます。そこで、教科書は全世界でいろいろ出ておるわけなんでありますが、その教科書というものがつくられます基礎になるものは、百科事典が大きな影響を持つわけでございます。そこで、そういうものにつきまして、なるだけ先生のおっしゃったありのままの日本の姿というものをもっと伝えてほしいというわけで、私たちとしては努力を行なっておるわけでございますが、しかし、こういうものに対しまして、たとえば一般の方は非常に簡単に直るもののようにお考えになっております。たとえば大使館がもっと大いに資料を提供すればいいじゃないか、そうすれば直るのだというふうにお考えになりますが、こういうものは、そういうやり方では簡単に直るものではないのであります。たとえば日本の出版業者にしましても、ここにある外国大使館から、これは間違っておる、こう書けと言われても、書くものではありません。やはり日本というものをよく知ってもらって、なるほど自分のところの教科書、あるいは百科事典はちょっと古いということを確信してもらわなければ、直るものではありません。それには、大使館としてもいろいろの材料を提供しますと同時に、むしろ政府じゃなくて、民間の有識者のお互いの交流を通じておのずから直っていくのが、最も民主的なやり方じゃないか。したがいまして、外務省といたしましては、そういうものを発見しました場合には、一応こちらの資料は提供いたします。しかし、命令するわけにはまいらないのでございます。そのうちに、たとえば私どものほうでは、外国の新聞記者とか、あるいは大学の先生というものを招待いたしまして、日本をよく見てもらいます。そしてそういう方がお帰りになって、なるほど自分の国で出ておる百科事典、教科書というのは、日本についてこういう誤りをしておるということを認識されますと、おのずからそれはよくなっていくのじゃないかと思います。それからまた、だんだんと幸いなことには多数の外国人が日本に参ります。その場合でも、やはり日本のありのままの姿を見ていただくわけでございます。その場合に、たとえば日本民間方々がお世話なさる場合に、どうしてもやはりエキゾチックな日本というものを見せたがる性格もございます。また外人もそれを喜ぶわけでございます。そういう面からいいますと、たとえば東京へ来た、しかし、富士山、芸者は見せるけれども、地下鉄は見てもらわぬというような結果も出てまいります。あるいはまたペンフレンドもあります。日本の青年が外国の青年と文通いたしますときに、やはり外国の青年が喜ぶのは、古めかしい日本的なものである。そういうものをおのずから送ってしまう。そういうような点もございますので、これは私どもとしては努力はいたしておりますが、やはり民間方々の御協力がなければ、そう簡単には直るものじゃない。私どもといたしましては、相当な努力をこれに当てております。実は昨年「知られざる国日本」というパンフレットを出しまして、いかに日本というものがありのままの姿において知られていないかということを国民方々に知っていただくために出したのでございます。それ以後、だいぶ国民方々も、いろいろ新聞の投書なんか拝見いたしますと、関心を持ち始められておりますので、そういう投書を拝見しますと、私のほうはいろいろ資料をお送りして、そうして御協力を願っておる。これはおそらく今後五年くらいたてば相当変わってまいるのじゃないか。これは一日にしてはできませんので、もうしばらく私どもの努力をごらんいただきたい、こういうように考えております。  その次に、文化事業部を今回つくることになりました理由は、戦後日本の置かれました現状におきまして、いままでほとんど国際文化交流を行なうだけの余裕があまりなかったのでございます。ようやく三、四年前から少し力を入れ出したのでございますが、最近、幸いにしまして日本のたとえば探険隊、山登り、こういうようなものも外国に出てまいります。外国の文化の日本における紹介は、新聞社その他が非常な力を入れている。大いに民間の努力でやってくださっておるわけであります。こういうような場合に、私らのほうとしましては、だんだんお世話する仕事がふえてまいります。とてもいままでの文化課だけの機構ではできませんので、これを今回、文化事業にもっと力を入れるという考え方で文化事業部の新設をお願いしたわけでございます。  そこで、先ほど申されましたアメリカとの文化交流には力を入れているが、ほかのほうとはどういうことをやっているかということでございます。実はこれは私どもの信念でございますが、文化交流というものは、本来ならばお互いの国の民間同士が自発的に行なうのが、一番民主的なよい文化交流だと、こう感じております。それを政府が援助していくのが本来のあるべき姿じゃないか。アメリカとの場合、いろいろ文化交流が行なわれておりますが、政府が関知しておりますのは、要するにこの前のガリオアの二千五百万ドルその他の問題に関係してまいります日米文化交流の大ワクだけでございます。実際上の活動は全部民間におまかせする、こういう考え方でございます。それ以外の地域でどういうことをやっているかと申しますと、たとえばソ連との間には、毎年劇映画三本、記録、紹介映画三本、これで相互に三日間の映画会を公開いたしております。これはソ連という国のたてまえ上、向うは政府がやります。日本側も、私のほうの予算でやっております。これは東京とモスクワの一番大きな、多数を収容します映画館ないしホールをお互いに便宜供与して使いまして、これは非常な効果をあげておりまして、ことしも近く五月に多分行なわれることになっております。それからまた、それ以外の国に対しましては、お花の先生を派遣する。柔道の先生を派遣する。あるいは日劇ダンシング・チームに犠牲的に行なってもらう。あるいは日本の事情に関する講演を大学の先生を派遣して行ってもらう。最近では、中南米諸国に日本の生みました第一流のピアニストの松浦君に行ってもらいました。そのときにどういう効果があるかと言いますと、そのとき南米のある大臣は、日本大使に対しまして、いままで自分日本を尊敬したけれども、きょうのピアノを聞いてさらにもう一段尊敬するようになった、なぜかと言えば、日本人は西欧の文化をも十分にこなす能力を持っているからだ、こういうことで、結局向こうにおります日本の移住者の地位も上がるという、こういう効果があるわけでございます。乏しい予算でございますので、政府自体はそうたくさんはやれませんけれども、これをなるたけ知恵で補いまして、いろいろできる限りの努力をいたしておるのであります。決して日米間だけの交流をやっておるわけじゃございません。たとえば昨年は、お花の先生に共産圏のずっと東ヨーロッパを回ってもらいました。あるいはまた、映画会というものは、方々で行なわれております。こういうようなことでありまして、民間のいろいろな文化交流の努力に協力いたしますと同時に、それで穴のあきます部分は、私たちのほうでなるたけ補っていきたい、こういうふうに考えております。  いま申し上げましたのは文化交流でございますが、次に、文化交流のこれは非常に大きな手段でございますが、先ほど先生もおっしゃいましたように、お互いの国がよく知らなければいかぬ、ありのままの姿を知らなければならぬ、こういう問題がございますので、私のほうといたしましては、外国語によるパンフレット、ありのままの日本紹介する非政治的なパンフレットを、各種大量につくっております。近くオリンピックがまいりますので、一番基本的な、これは後ほど差し上げますけれども、ジャパン・オブ・ツデーというものを十五カ国語でつくることになっております。これは非常に方々から需要がたくさんございます。とてもいまの発行部数では、毎年売り切れてしまうくらい出ております。そのほかに、たとえばグラフもつくっております。写真でもって見ていただく。たとえばこれはいままで二冊でありましたが、去年二つ出しましたが、一つ日本の建設、二つ目は日本の教育というテーマでございます。近く日本の体育というテーマでグラフを出すことになっております。これは三カ国語で出しております。そのほか、日本実情紹介いたしまする映画もつくっております。たとえば最近では、御関心があると思いますが、日本の新聞、日本のテレビというものもつくりまして、あるいはそのほか、日本の子供とか、日本の教育、日本の女性、こういうものをつくりまして、全世界に配付しております。相当私どもといたしましてはやっておるつもりでございますけれども、何ぶんまだこれが活発に行なわれ出しましてから二、三年しかたっておりませんので、今後努力を続けてまいりたい、こういうふうに考えております。  それから次に、お話しのございましたいわゆる「人民中国」その他の日本に対する外国の刊行物、確かにたくさん来ております。しかし、私は、こういうものは、日本立場から言えば、やはりなるたけお互いの民間の努力で理解し合うのが一番健全なやり方じゃないか、こういうように思いますので、私のほうのこういうようないま申しました刊行物には、政治的な配慮は全然いたしておりません。ありのままの姿を知ってもらう、これが一番効果的なのじゃないか。政治的に曲げたものを幾ら出しましても、それはすぐにばれてしまうのでございます。私らとしましては、外国に対する日本の広報というものは、もう純粋にありのままの姿と申しますか、悪い面は悪い面ではっきり出す、こういう考え方でやっております。したがって、日本におきまする外国政府の出版物に対して真正面から対抗しようなんという考えは、私は持っておりません。これは日本でもたくさん民間の出版物もございまして、外国にたくさん行っておりますので、私は、だんだんと日本は知られていくのではないか、こういうように考えております。  それから最後の御質問情報の収集、研究ということでございますが、ここに書いております情報の収集、研究というのは、要するに前のこの五ページの一にございます私らの局の報道及び広報関係の事務を行なうための情報の収集及び研究でございます。たとえばどういうものがあるかと申しますと、日本には、外国の通信員もたくさん来ております。それに対していろいろ取材上の便宜も与えなければいけません。その場合に、外国の、たとえば全世界におきまして、どういう新聞があるかということの情報を集めてそれを研究する。あるいはまた、国際情勢が非常に動いている。その場合に、たとえば外国の新聞がどういう論調をもって書いているかという情報を集めて研究する。そういうたぐいの情報の研究でございます。御心配になるようないわゆる情報活動の意味におきまする情報ではございません。
  60. 村山喜一

    村山(喜)委員 われわれにも、外務省のほうから資料、パンフレットが無料で提供されるのがありますね。あれを見てみましても、国際情勢の動きの中で、客観的に記述としてどこどこでどういうようなことがあった、そういうような動きはこれを見たらわかるわけですが、それは大体新聞その他でわかるようなものや、あるいは国会図書館で出されるようなもの、こういうようなものが——内容的に見て価値のあるものは、月報になった一冊の本ですね、あの程度のものは利用価値があるけれども、あとはあまりそう価値がないじゃないか、こういうふうに思われるようなものが多いわけですよ。それで、一体日本外務省情報文化局は、国際的にはどのようなPR、宣伝をしているのか。これが国会議員のわれわれのほうには、資料としてはあまりお出しになっていらっしゃらない。だから、日本事情を正しく紹介するということは、これは日本の今日の文化的な水準とかその他を正しく外国に認識をしてもらうということは、これは必要なことだと思うのです。そういうような点から、どうもアメリカとの文化交流というものは、ガリオア、エロアの資金が二千五百万ドルもあるものだから、そちらのほうの資金的な余裕によって交流がうまくいくけれども、他の政府との間においては、そういうような資金的な余裕もない。民間の交流関係においても、これはまたきわめて不十分であるというようなこと等もありまして、確かにまだこれから先やらなければならない問題点が多いわけでありますから、いまのような予算の現状、内容からはどうも十分な活動ができないのじゃなかろうかと思うのですが、その点はどういうふうにお考えになっているか、率直にお聞かせを願っておきたいと思います。
  61. 曽野明

    ○曽野政府委員 いまの点でございますが、実は各国とも文化交流が、これは共産圏を含めまして、先生が御想像以上に日本では活発に行なわれております。それには、だれがやっているかと申しますと、先ほどちょっと申し上げましたように、新聞だとか放送局、こういうものがもうありとあらゆる外国の文化財を次々に日本へ持ってきて、日本国民に見せてくれている。これは日本の特殊事情でございまして、外国ではそんな新聞社はございません。これは非常にいいことでございまして、政府の金も使わずに、民間の金で、しかもそれが大衆に喜ばれて大量に見られる、こういう現象がございまして、私たちはそれを背後で便宜をお世話をするということでそれが実現をするわけでございます。あるいは日本ほど全世界の音楽家が来て次々に演奏する国は世界じゅうにないのでございまして、ここにおります外交団も、日本におれば全世界のいい音楽が聞ける。これはぜいたくと思えるくらいたくさん参っております。これは全部民間の力でございます。私どもは、必要な場合にはそれを御援助するという仕事をやっておるわけでありまして、これはいずれ表を差し上げてもよろしゅうございますが、それにスポーツをつけ加えまして、驚くべく外国との文化交流というものは日本では活発に行なわれておるのでございまして、政府の金は使わずに、しかもこれだけ活発に行なわれることは、私としましてはまことにけっこうなことでございまして、それは御援助をして伸ばしていきたい、こういうふうに考えております。政府自体のいたしましたことは何かと申しますると、お世話をすることのほかに、やはり商業ベースでは成り立たない場合において文化交流において努力をするというのが、私どもの仕事になってくると思うのでございます。これは多々ますます金はあればあるほどけっこうなのでございますが、これは国力とかいろいろの関係もございまして、だんだんとこれからは大きくやっていけるのではないか、こういうふうに期待をしているわけでございます。
  62. 村山喜一

    村山(喜)委員 最後にお尋ねをいたしますが、今回移住あっせん所がなくなり、そうして十月一日から事業団のほうに移り変わるようになるわけですが、この関係において職員の異動が行なわれることにもちろんなるわけでありますけれども、どういうふうになるのですか。その問題点を職員の身分の上から明らかにしていただきたいのと、改選前の国会でありましたが、ドミニカの移民の問題をめぐりまして、移住地の選定が非常に粗漏であったというようなことから、せっかく海外に移住をした者が引き揚げてこなければならない。そのとき財産をほとんど処分をして向こうに行って、着のみ着のままで引き揚げてきて、それを一体どういうふうに国内で受け入れるのかということでいろいろ論議をされたのでありますが、その後の南米あたりの政治情勢は、ブラジルあたりでも政変が起こったり、あるいはインフレで非常に貨幣価値が下落をしたりして、向こうのほうの住民、特に日本移民の生活の状態は非常に問題があるように聞いているわけでありますが、今回そのあっせん所を廃止をされまして、海外移住事業団のほうでそのすべての仕事をやっていくということになりますと、これは農林省あたりといままで競合をしておった事務関係等は解消できるだろうと思いますが、一元的な取り扱いが生まれるようになるのかどうか。この移民の問題について、いままで外務省と農林省の間において、ややもすれば窓口が二つあるような立場から問題が出ておったのでありますが、この事業団が生まれ、あっせん所を廃止するようなことによって、そのような弊害が克服される見通しがついているかどうか、この点について説明を願いたい。
  63. 高野藤吉

    ○高野政府委員 お答えいたします。  第一点は、移住あっせん所がことしの十一月一日で廃止されまして、その定員五十名は外務省の定員から減りまして、そのまま身分が移住事業団のほうに移るというかっこうになるわけであります。  それから第二点の移住行政、移住事務につきましては、移住事業団をつくりまして、農林省とも話し合いの上、事業団は外務省の専管として、責任を持ってこれを監督して移住行政をやっていく、そういうかっこうになる次第であります。  それからドミニカの帰国者は、各府県及び事業団協力いたしまして、住宅とか就職のほうをあっせんしております。
  64. 村山喜一

    村山(喜)委員 ドミニカから引き揚げてきた人たちは、せっかく農業移民として向こうに行って働いて、そしてどうしても引き揚げてこなければならないような事情に立ち至って引き揚げてきた。だが、もうすでに日本を立つときに農地等の財産は処分をしているというので、その問題については、当時のそういうような不手ぎわによって生じた結果について、何らかの措置を講じてもらいたいということで、いろいろな要求をその当時いたしておりましたが、それが解決を見たのかといって聞いてみますと、まだ解決を見ていない、こういうふうに私たちは聞いているわけです。それについて、その後なるほど生活保護の適用とか、あるいは就職の開拓とか、そういうような面においてはされたでありましょうが、残されたものがまだ未解決じゃないかと私は思うのですが、それは完全に解決したのですか。
  65. 中根正己

    ○中根説明員 ドミニカの引き揚げ者につきましては、当時閣議決定によりまして、一般の引き揚げ者と同様な取り扱いをいたすと同時に、各関係省並びに各県に依頼いたしまして、住宅あるいは就職の世話をお願いし、また農業者につきましては、新しい開拓地に入りたい希望者に対しましては、優先的に入植できるように農林省の協力を得て措置いたしております。  それから補償の問題でございますが、補償の問題は、当時国会でも問題になりましたけれども、引き揚げ者に対して補償の対象とすることは適当ではないだろうということでございまして、したがいまして、帰ってきた人たちに対しては、当時政府から見舞い金を出すと同時に、先ほど申し上げましたように、就職なり、住宅なり、国内入植についての措置をとった次第でございます。
  66. 村山喜一

    村山(喜)委員 あのような問題が出まして、これはいままで農林省の関係者が、ここは適地だということで指定をされた。そこに行ってみたら、さいの川原と同じように、石ころだけがごろごろころがっておって、農業をやっていくような適地じゃなかった。水がない、こういうようなところに追いやって、そこで生産をあげようとしたって、それは不可能なことであるというような情勢が当時は明らかにされたわけです。その適地の選定を見誤ったのは農林省で、それを係官が認めた。その後こういうような問題があるのは、外務省と農林省の二元的な移住行政が行なわれているところに問題があるということで、それが発展をして移住事業団が生まれた。そこまではいいのですよ。だけれども、その問題の結末は、私はまだ完全についていないと思う。政府のほうでは、それは見舞い金を出し、処理を済ませたから、もうこれで片づいたのだ、こういうふうにお考えになっているかもしれませんが、そのような問題が出てくるという実態、それが完全に将来の問題として解決をされて、現在は安心して移住が行なわれているかどうか。最近は、南米におきます情勢は非常に政変が起き、さらにインフレ的な傾向等も強まっている、そういう世の中において、どの程度政府は責任を持って、安心して移住ができるようにしてくれるのかということが、これから先開拓、移住を進めていく、そういうことをやらなければならない政策なんですから、それに対するところの、安心してよろしいという一つの方向性を与えてもらわなければ、ドミニカのあの苦い経験を忘れることができないのが国民でありますから、その移住行政のあり方について、どういうような考え方を今後お持ちになるのか。事業団ができたから、事業団のほうにすべてまかして、もうわれわれは責任がない、こういうふうにお考えになっているのか。この移住に対するところの政策について御説明を願いたい。
  67. 中根正己

    ○中根説明員 御指摘のございましたように、ドミニカ問題等につきまして、その他の問題につきましても、農林省と外務省の権限争いのために移住がうまくいかないということがございまして、一昨年、総理府の海外移住審議会に、内閣総理大臣から海外移住及び海外移住行政に対しての基本的な考え方ということにつきまして諮問が出されまして、その答申が一昨年の十二月に提出されました。この答申によりますと、海外移住というものは、単なる労働力の海外移動ということではなくて、個人の能力を海外で伸ばすために政府が側面から援助し、そして各個人が能力に応じて海外で活躍することによって相手国の経済開発に協力するという、国際協力の観点から移住は促進すべきものであるという新しい理念が打ち出されまして、財政機構といたしましてはこれを一元化する必要がある、さらにその実施機関としては、行政機関がその実務のこまかい技術的な面までもタッチすることは必ずしも適当ではなくて、事業団を設置して、その事業団に、専門家を養成して責任を持って仕事に当たらせるというのが適当であるという答申に基づきまして、海外移住事業団法を国会に提出して、昨年の七月に海外移住事業団が発足したわけでございます。この海外移住事業団は、国内と海外現地とを一貫して効率的に事業を行なうことを目的としておりまして、外務大臣が専管で監督することになっておりまして、毎年事業団が行なう事業に対しましては、外務大臣関係大臣と協議して基本方針をつくりまして、それを事業団に授けて、一切の事業は事業団に責任を持ってやらせるということになっておりまして、機構といたしましては一本化いたしまして、その仕事をやらせるにつきましては、各省の意見を聞いて外務大臣が指示し、監督するということになっております。そして事業団自体も体質を改善いたしまして、国内と海外との一貫した体制をつくり、現地の事情をよく把握し、移住者の実態を知った職員を、専門家を養成いたしまして、国内における募集なり送り出しにも従事させるような形になっておるわけでございます。したがいまして、今後は、この一元化された機構を通じて、新しい理念に基づいた移住政策の実施面は事業団が当たり、この政策につきましては、政府が各省と相談した基本方針に基づいて事業団にやらせるという形になっております。
  68. 村山喜一

    村山(喜)委員 どうもこの付属機関であるあっせん所を廃止して事業団のほうに全部吸収をする、まあ職員五十名については心配は要らない、こういうような説明でもありますが、私は付属機関を廃止をして移住事業団が一元的なそういうような事業運営をやっていくという姿はいいといたしましても、一体、あっせん所を廃止をして事業団に移すことによって現地に即応した移住行政が、移住者の立場において行なわれるようになるという説明は、もっと詳しい資料によって説明を願わなければ納得できない。あっせん所におります職員でも、自分は本省に帰りたいという意向を持っておる人もおるでしょうし、そうしてまた、事業団のほうにもう根をはやしたほうがいいという人もおる。五十名全部そのまま事業団のほうに移すというような行政措置のほうがいいのかどうか。中には本人の希望を聞いて、あるいは異動を本省のほうから移住団のほうにやる場合も必要でありましょうし、そこにはいろいろな出入りがあっていいのではないかと思うのですが、それをそっくりそのまま事業団に移しかえをする、こういうような考え方は、どこから出てきておるのか、その身分の問題について問題点はないのか、その点を明らかにしておいていただきたい。
  69. 高野藤吉

    ○高野政府委員 第一点の移住あっせん所を移住事業団に移すということは、先ほど来御説明申し上げましたように、移住の実体は、移住事業団が打って一丸とするという趣旨から、全部これを移住事業団に移すわけでございます。  それから人の問題でございますが、現在でも移住事業団内には外務省から出向しておりまして、これをときどきかえるということをやっておりますから、定員上はまた五十名事業団に移りますが、そのうちの若干名については、もちろん本人の希望ないし事務のあんばい等によりまして、外務省に移るということを考える。五十名移すということは、定員上の関係でございます。
  70. 村山喜一

    村山(喜)委員 先ほど資料を要求いたしました賠償、協定による経済協力、それから民間ベースの経済協力、これらの資料はこの次にいただきまして、きょうは、その資料をもとにいたしました質問だけを残しまして、終わりたいと思います。
  71. 徳安實藏

    徳安委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は、来たる二十三日午前十時理事会、十時半委員会を開会することとし、これにて散会いたします。    午後一時二十九分散会