運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1964-06-03 第46回国会 衆議院 逓信委員会電波監理及び放送に関する小委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年六月三日(水曜日)    午前十一時二分開議  出席小委員    小委員長 秋田 大助君       上林榮吉君    佐藤洋之助君       志賀健次郎君    椎熊 三郎君      橋本登美三郎君    大柴 滋夫君       片島  港君    森本  靖君       受田 新吉君  出席国務大臣         郵 政 大 臣 古池 信三君  出席政府委員         郵政政務次官  金丸  信君         郵政事務官         (電波監理局         長)      宮川 岸雄君  小委員外出席者         郵政事務官         (電波監理局放         送部長)    吉君  中君         参  考  人         (作家)    高崎 英雄君         参  考  人         (タレント)  中川 慶子君         参  考  人         (タレント)  福原 駿雄君         参  考  人         (作家)    北條  誠君         専  門  員 水田  誠君     ————————————— 六月三日  小委員森山欽司君同日小委員辞任につき、その  補欠として椎熊三郎君が委員長指名で小委員  に選任された。 同日  小委員椎熊三郎君同日小委員辞任につき、その  補欠として森山欽司君が委員長指名で小委員  に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  電波監理及び放送に関する件(放送関係法制に  関する問題等)      ————◇—————
  2. 秋田大助

    秋田小委員長 これより会議を開きます。  電波監理及び放送に関する件について調査を進めます。  本日は、作家及びタレント関係より参考人を招致し、意見を聴取することといたします。  ただいま御出席参考人は、伊馬春部本名高崎英雄君、淡島千景本名中川慶子君、徳川夢声本名福原駿雄君及び北條誠君、以上四名の方々でございます。  参考人方々には、御多用中にもかかわらず御出席くださいましてありがとうございました。  現在、放送関係法制調査会等におきまして、放送関係法制につき調査を進めておりますが、当小委員会におきましても、これらの問題につきまして調査をするため、各関係方面より参考人を招致して意見を聴取し、調査参考にいたしている次第でございます。  本日は、参考人方々より、放送及び放送界のあり方、また放送関係法制改正問題等につきまして、忌憚のない御意見を拝聴いたしたいと思います。意見の聴取は、まず参考人より御意見の発表をお願いいたした後、小委員よりの質疑応答の形で行ないたいと存じます。  それでは、まず高崎参考人にお願いいたします。
  3. 高崎英雄

    高崎参考人 私は本名で呼ばれることがあまりございませんで、きょうはちょっととまどっておる次第でございます。  本日はこの小委員会参考人として呼ばれまして、たいへんある感慨にふけっているところでございます。と申しますのは、私が初めてラジオドラマと申すものを手がけましたのが、ちょうど昭和九年のことでございまして、まだNHK愛宕山にあった時分、ニュース演芸というのが初めて企画されまして、その中の一こまにホームドラマ——そのころはそういう呼び方はございませんでしたけれども、いまのジャンルでいえばホームドラマでございますけれども、その執筆を依頼されまして、テーマは何というのかと申しますと、七月一日から郵便の早朝配達、サラリーマンの出勤する前に配達する、そういうことが始まるからそれをテーマに置いてものを書けということで、当時新宿のムーランルージュと申しまして、時局、社会事象一般、トピックを現代劇に仕組みました、いわばニュースに取材した諷刺的なドラマを演じまして、たいへんみんなはりきっておりました劇場で働いておりましたので、えたりやおらとニュース演芸に飛びついた次第でございます。それ以後愛宕山で盛んに執筆をするようになりまして、NHK愛宕山から現在の位置に昭和十四年に移転しましてから、盛んにそういう意味ドラマを書いておりました。ここにいらっしゃいます徳川夢声さんなんかにもしばしば出演していただきまして、現在で申します連続帯ドラマのはしりともいうべき十分間演劇「朗らか日記」、必ずそこに出てくるおじいさんは徳川夢声さんであり、かわいい孫は中村メイ子ちゃんであったというような、いわゆるシチュエーション・ドラマをそのころから手がけてまいったのでございます。  ところが、昭和十六年になりまして、いよいよ戦雲急を告げまして、今度はそういうものが国策の線に沿って書いていかなければならないことになりまして、私などは、国債が発行されるたびにそういうことをキャンペーンするドラマ——の「朗らか日記」の中で取り上げて書くような仕事を盛んにさせられたわけでございます。それはそれなりに楽しかったのでございますが、一番楽しかったといえば、やはり戦後になりまして自由に思うままドラマが書ける時代になったときでございます。そのときほんとうに手足を伸ばしまして、昔の新宿劇場時代作者に返りまして、大いに楽しんで今日に至り、このテレビ時代を迎えたわけでございます。  あまりにも局が多くなり過ぎ、それから時代風潮にも乗り過ぎて、世の識者のひんしゅくを買うようないわゆる低俗番組というような問題もだんだん発生してまいりました昨今、ときどき耳にいたしますことは、こういうことではいけないので、これをひとつ統制しようじゃないかというような声が聞かれることでございます。これが言論統制というようなことになりますと非常に困るのでございまして、映倫に対する放倫があったほうがいいじゃないかというような声も聞かれますけれども、これは各作者、各制作局が自粛していけば済むことでありますので、こういう機関が設けられるということになることには、私個人としても作家の一人として絶対に反対したいというのが私のきょうの意見でございます。昨今、大型ドラマが非常に問題になっておりますけれども、その大型ドラマが成り立ちますについては、先ほど申し上げました十五分番組とか、三十分番組とか、そういう単発のドラマの努力、そしてその成果の積み重ねがあるからこそでございまして、その楽しい仕事が、そういう機関が設けられることによって、作者が自由を束縛されるということになったら、たいへん悲しいと思います。  私は元来口べたでございますので、真意が御理解願えないかと思いますけれども、私どもで組織しております作家団体日本放送作家協会というのがございます。いろいろな意見は、その放送作家協会がまた意見具申の用意もございますので、私のことばで足りないところは、また協会のほうへ御諮問いただきましたら、いつでも理事長なり常務理事なり出向きまして意見具申をすると思いますので、その点をどうぞ御記憶なさってくださいますようお願い申し上げます。  私はこれで終わります。
  4. 秋田大助

    秋田小委員長 ありがとうございました。  次に中川参考人にお願いいたします。
  5. 中川慶子

    中川参考人 私は俳優としていろいろな放送局に出させていただいておりますけれども、とれといって電波管理及び放送に関する法案、そういうようなものに直接なる意見は持っておりませんけれども、後ほどまたいろいろの御質問がございましたら、経験から推しまして、私のわかる限りのことを申し上げたいと思います。
  6. 秋田大助

    秋田小委員長 ありがとうございました。  次に福原参考人にお願いいたします。
  7. 福原駿雄

    福原参考人 私は、放送開始以来、ただいまのことばで申しますと、タレントとしてずっと出演してまいって、放送というものがNHKだけであった時代、それからさらに民放が誕生してから、私はどこの放送局にも出演している次第でありますが、とにかくたいへんな自由な立場で、お求めに応じて随時どちらにも出演をいたしております。その結果、今回のような場合には、両方の御意見を私は聞きました。民放のほうのNTVの番組審議会委員でもございますし、NHKのほうでも似たような役目についております。両方ともそれぞれの立場から主張される意見は、みなそれぞれの立場意味において正しいと思うのであります。私はどちらかというと、第三者としてあまりはっきりしてはおりませんけれども、私自身の感想は持っているわけでございます。後ほどまたそれぞれの御質問に応じましてお答えいたしたいと存じます。
  8. 秋田大助

    秋田小委員長 ありがとうございました。  次に北條参考人にお願いいたします。
  9. 北條誠

    北條参考人 最初に何かお話し申し上げるには、いただきました時間が非常に短いようでございますし、またそれを要約して申し上げられるほど、私もこういう問題で勉強しておりませんので、日ごろ思っていることを一言申し上げます。  テレビでもラジオでも、現在放送されておりますもの、画に映っておりますものは、一つの大きな文化の一現象である。その大もとになりました画に映る裏側の底のほうに、放送文化という大きな流れがあると考えております。そうしますと、今度は新しく放送法のようなものがおできになるというときに、私どもおそれますのは、その表面に出ております音とか画とか、そういうものに対するものだけであっては非常に困る。その底に流れております大きな放送文化というものを束縛しない、それを向上させる、そういうところにむしろ重点を置いていただきたいとかねがね思っておる次第でございます。  たとえば、一つの大きな文化運動がある障害にぶつかりますと、往々にしてそれに政府の力が入ってまいります。何か文化というものは非常に自由なものであって、政治とか経済とかそういうものに束縛されないものじゃないかと、たいへんなまいきでございますが考えております。文化というものは、政治とか経済とか、そういうものを国民全体の知識として、良識としていつも監視するもので、あるいはそれのグルントになるものと考えております。放送文化という大きな観点から考えますと、現在のいろいろな放送会社とか、それから音になっておりますもの、画になっておりますビジョン、そういうものを規制する、そういうものを統制するということが、その底の放送文化という大きなものを束縛する、言論を抑圧する、そういう方向に向かわないようにお願いしたいと考えております。  また、詳しくは御質問に応じて申し上げます。     —————————————
  10. 秋田大助

    秋田小委員長 これより質疑を行ないます。上林榮吉君。
  11. 上林山榮吉

    上林山小委員 私はただいま四名の参考人の方からそれぞれ意見を伺いましたが、四名の方々のおっしゃるように、確かにラジオテレビ一つ文化である、何ものからも規制されることはないんだ、そしてよりいいものをつくっていけるんだ、こういう非常に自信に満ちたお話で、私どもさもあらんと思って、かねてから北條さんの「虹の設計」とか、あるいはまた、ことに淡島千景さんなどが関係した「花の生涯」などのテレビを拝見いたしまして、この点同感であります。  ただ、そこで、日本テレビ日本ラジオというものは幾変遷を経て、確かに向上の一途をたどっておるわけですが、いまだに低俗なものがある。あるいは一時はテレビラジオ白痴化運動というふうに極論された時代があるし、また断片的にはそういうものも私どもは見るのでございます。また聞くのでございますが、こうしたようなものは、先ほど伊馬さんからもこの問題は言いました。私は伊馬さんの原作の「熊」などは、昨年でしたか、よく拝見して敬服しておる一人ですが、そうしたような立場からではなしに、放送作家協会良識によって、あるいは発奮によって、そういう白痴化、ことに偏向放送——思想的文化イデオロギーを超越するものだというふうにおっしゃっていらっしゃいますけれども、われわれ政治家的立場から、あるいは社会人の一人として考えますと、私はイデオロギーにとらわれ過ぎた偏向放送というものはやはり自省し、できるだけ考えをスマートなものにしていくべきものではないかというふうに考えるのですが、この点はどういうふうにお考えになっておるか。ことにわれわれも、いま伝えられておる放送法改正に便乗して、おっしゃるような意味統制——どういうふうな統制なのか私にはよくわからぬのですが、昔のような窮屈な統制言論を抑圧する統制、そうした極端な意味統制というものを考えておる人はなかろうと思うのです。れわれわも考えておりません。そういう意味じゃない。さりとて、いまのままにほっておいて、番組の質の内容向上できるのかというと、私はいまのようなやり方では——これはいい番組もあります。いま「赤穂浪士」を拝見して、淡島さんにはちょいちょいお会いしておるのです。そういうようなものじゃなくて、よほど努力していかなければ、いまの番組向上を自然にまかしていいものであろうか。あるいは番組審議会内容をもっと充実した制度というようなものをつくることは言論の抑圧なのかどうか、こうしたようなことについて、北條さん、あるいは伊馬さん、あるいは淡島さんに、遠慮なく、窮屈なお考えでなくて、速記録が残ったからというて、決してあとで文句を言いにはまいりませんから、くつろいだ気持ちでひとつ率直に聞かせていただきたいと思います。  順次ひとつお願いいたします。徳川さんにはあとでまた……。
  12. 北條誠

    北條参考人 私は、思いつきでございますけれども、当然何か委員制度と申しますか、有識者委員制度で監視する、そういう意味での統制考えなければならないのじゃないかと考えておりますが、その委員会なら委員会政府直轄だと、政党とか、それからそのときの内閣によって非常に左右されるのじゃないか。左右されるというよりも、いろいろ変わることがあるんじゃないかというおそれがあるわけであります。ですから、直轄じゃなしに、それから委嘱を受けたような、うまく言えませんけれども、そういう形の委員会のようなものがあって、それが絶えず放送番組について審議する、向上をはかるというようなことを考えております。  今度は委員会のメンバーでございますが、かってなことばかり申しますが、いままで日本文化団体のいろいろああいう委員会と申しますと、いわゆる政治の方と財界の方と、それから有識者といろ項目が必ずございます。この有識者の中にある意味での職人が不足しているのではないか。職人と申しますのは専門家という意味でございます。有識者と申しますと、プロフェッサー、非常に学識経験のある方というのでございますが、たとえばプロフェッサーでも専門外プロフェッサーもいらっしゃるわけでございます。ですから、放送のような非常に広い意味文化というのは、私国民全体の持っておるものだと考えますので、その中に政治をやる方あるいは財界の方、有識者、その有識者の中に、いわゆる学者だけではなくて、放送専門家というのをお入れいただきたい。そうすれば、さらによくわかるのではないか。つまり普通の有識者という言い方はおかしいのですが、学者プロフェッサー有識者ですと理論的になってしまう。放送というのは非常に現実面が強いわけでございます。たとえば、長広舌になりますが、私がよく言いますのは、私もことしで連続放送をやりまして二十九年目になりますが、二十九年前にこちらにいらっしゃいます伊馬先生なんかに教えていただいて始めたときの放送のスタジオも機材も何一つ残っておりません。非常に変わっております。だれがいつこの機材を変え、設備を変えてきたのか、これはわからないわけです、何のだれがしが発明したというのではなしに。そうすると、国民全体の文化がこれを向上している。マイクロホンにしましても、一メーカーがつくっておるのではないのでございます。国民全体の放送を守っていこう、向上さしていこうという機運の反映で、いろいろのステーションの方が勉強し、向上しているわけです。そういう中にある国民運動としての放送文化というのは、単に理屈では割り切れないのではないか。専門の、外国流に言いますと、職人でございます。職人の尊敬というのは、私はこれからの日本文化には非常に大事じゃないか、なまいきですがそう思います。
  13. 中川慶子

    中川参考人 審議会ができて、文化向上させるために、いろいろ皆さん考えてくださるというようなところは、もちろんあってもけっこうですし、なくちゃうそだと思います。ですけれども、先ほどおっしゃったような低俗なものと、それからいいものといろいろあるので、一がいに言い切ることはできないと思うのですが、まあ私が去年いたしました「花の生涯」なんかでも、ああいうものは、いま歴史をやっておりませんので、そういうもので歴史を知ったりしてもらうというようなこともございます。私があまり賛成できないのは、犯罪のフィルムだとか、そういうようなものもだいぶあって、そういうような手口をわれわれに教えてしまう、そういうのを見ておると、私なんかもどきどきするようなことがございます。そういうようなことはなるべくなくしていただく、でもそれがストーリーである場合はしかたがないから、そこの度合いを考えて審議していただく、そういうようなことで向上していってもらうということは、私たちやはり望んでいることでございます。
  14. 高崎英雄

    高崎参考人 淡島さんのお話で、おもしろいのは犯罪手口でございますね。ああいうものは、見ていてほんとうにああいうやり方があるなということで、それを実行してみたくなって非行少年になったりするチャンスはあると思うのでございますけれども、これは犯罪だけでなくて、よろめきを見れば、ああいうふうにやれば自分も浮気ができると団地マダムは思うだろうと思います。これはラジオあり、テレビあり、それから文学あり演劇ある限りはしようがないことでございまして、それをそのとおりまねしていいものか悪いものかは、個人がきめればいいわけであって、これはつくるほうはどんどんやってもいいのじゃないかと思います。しかし、行き過ぎはだめでございますので、先ほどから出ている規制すると申しますか、統制すると申しますか、そういう機関ができることは非常に好ましいと思いますけれども、これはあくまでもみんなの話し合いの場というようなムードのもとにできたほうがいいのじゃないかと思います。  北條さんの御意見で、いつもそういう機関はきまり切って、学識経験者たちだとか、その他そういうおえら方ばかりである、この際現場の者からも参加させてはどうかという御意見でございますが、私も大賛成でございまして、現場といいましたら、私ども作家をはじめプロデューサーもまじるでしょうし、出演方々も交え、それから聴視者の代表の方々も交えたところの一つ話し合いの場にしたらどうかと思います。そういうときに出てきて番組のことについて云々なさるえらい先生方は、大体その前の晩おうちのお手伝いさんかなんかに質問して、おい、何がおもしろかったか、何がだめだったかということを聞いて、その席でなさるというような風潮があるやに聞いておりますから、実際に見聞きしておる者の声もその場では尊重していただきたいと思います。
  15. 上林山榮吉

    上林山小委員 番組審議会というようなものはできてけっこうだ、そういう意味において質の向上をやることもけっこうだ、ただ、現場の者を一部加えたらどうかという御意見がお二人から出ましたが、私どももそうあるべきだと思っております。あまりそういう人たちがたくさん入ると、それこそ自分職場の感情、主張というものにとらわれ過ぎて、これまた一般国民とはかけ離れたものになりがちです。私はそういう意味では参考人の御陳述に賛意を表したいと思います。  ただいま伊馬さんの御発言の中に、非行少年を養成するような犯罪手口を露骨に教えているテレビ映画がある、それはつくるのはかってじゃないか、自然にそういうものは淘汰されていくのだという含みのお話ですけれども、これは民放にあったのですが、私は最近こういうのを見たのです。おとなたちが酔っておりまして、そしておもしろくないからお互い悪いものごっこみたいなことをやろうじゃないかという話し合いから、最初はそういう冗談めいたことを言っておりましたが、しまいには自分たちおとなでありながら強盗の気分を身につけてしまって、ほんとう強盗のしぐさをして、短刀を出しておばさんをいじめておる、そういう場面を少年たちが見たら、おとなでさえも悪ものごっこをするのだからということになりませんか。私は、ことに教育放送というものがこれから日本放送界に相当幅広く活用される時代になると思っておるわけですが、そういう立場から見てひどいのじゃないか。  もう一つは、上役がなまいきだから、これに帽子をかぶらして、たばこを吸わしておいて、これを若い男女がスリッパを投げて打ち落とすゲームです。これに賞金を出しておるわけです。これはパイロット万年筆がスポンサーでございましたが、こうしたようなことをどうごらんになりますか。スリッパですよ、はいている。このスリッパをあなたが吸っているそのたばこにぶち当てるのです。あなたがかむっている帽子をそれを投げて打ち落とすゲームですよ。これは賞金をかけているわけですね。これは放送会社が、その職場方々がしっかりしていれば、私はこういうようなものはつくらなかったんではなかろうかという気もするんですね。だからこういうものをつくるのはかってだというような思想が、あなたに大部分を支配しているとすれば、私はちょっとおかしいんじゃないかと、私ども立場からはまた考えるのです。だから、まあアメリカあたりでは御承知のように七人委員会という種類のものがございまして、そしてどこの何月何日のテレビはこうであった、ラジオはこうであったといって一年間みんなチェックするのです。そして再免許をやる場合、これが非常に重要な資料にしてきたんです。だからアメリカのものが、全部いいとは私は言いませんけれども、相当質が向上しつつあるといわれておるのは、そういうところにもあるんじゃないか、こう思われるのですが、この点は伊馬さん、少しことばが足りなかったとすれば、つくるのはかってだが、それをだんだん改めるのはまた別の方面からだということは、これはやはり放送審議会というようなものがもっとしっかりせにゃいかぬという意味なのか。しかし、できるならそういうものもあらかじめつくらないて、それこそ俗にいう前向きの姿勢でそうした制作をしていくような心がけというものが必要じゃないか。私は、まあできるだけ国民全体に放送するものは、イデオロギーを越えたものでなければならぬのじゃないかという気がしておるのです。主義、主張はみんな異なっているんですから、一つの側に立ってかってに主張することは、これは自由です。自由ですが、国民全体のものとしてこれをつくる場合を考えていただく場合は、できるだけ偏向放送にならないような、いわゆるイデオロギーを越えた制作というものが必要なんではないだろうか、私はかく主張する一人なんですが、そういう点をひとつ伊馬さん、何か言ってみてください。
  16. 高崎英雄

    高崎参考人 つくるのはかってじゃないかというふうに受け取られたとしましたら、私の表現がまずかったのでございまして、(上林山小委員「そういうことばをお使いになったんです」と呼ぶ)では、私は前言取り消しますが、何も経験を積もうと思って言ったわけではございませんけれども、それは全く間違いでございます。そういうふうな今御説明にあったような画面のものでございましたら、私は良識を疑うのでありまして、もう少し良識のある番組にしていただかなければならぬと痛感いたします。おっしゃるとおりの意見でございます。
  17. 上林山榮吉

    上林山小委員 徳川夢声さんに——別名を使って恐縮ですが、最後にお聞きしてみたいのは、自分NHKにもあるいは民放にも双方に出演しておる、だから第三者的な立場意見はあるが、質問があったら答えてもいい、こもいう趣旨だったかと思うのですが、その第三者的立場テレビ映画あるいは放送にあらわれているものの質を向上させたい、もしそういう気持ちを持っておられるならば、どうすれば一番いいとごらんになっているか。質を向上させるのには一体どうしたら一番いいと自分は思っているんだ、それはタレントとしてもこう考える、一般人としてもこう考えるという何かございますれば、御参考に聞かせていただきたいと思います。
  18. 福原駿雄

    福原参考人 第三者的立場でものが言えるということを申したのでありまして、純然たる第三者ではあり得ないかもしれません。そして現在の放送されておりまする番組ラジオテレビも、もちろんあのままでいいとは私は思いません。何らかの方法によりまして、この番組がもっともっと向上し、もっともっと健康な方向に向かうことを私は希望いたしております。それに具体的な何か方策があるかという御質問でございますが、私は要するにタレント立場としてきょう伺ったわけであります。それを向上せしめる具体的な方法というものは、私もその一部に加わるといたしまして、やはりそれぞれのポジションにありまする人たち意見、あるいは民放におきましては、スポンサーそのものの教育から必要になってくると思うんでございます。まあそんなところです。
  19. 秋田大助

    秋田小委員長 森本靖君。
  20. 森本靖

    ○森本小委員 高崎参考人にまずお聞きしたいと思いますが、先ほど来言われておりましたように、放送の表現の自由ということは一番大切な問題でありまして、私もその点については全く同感でありまして、あくまでもテレビラジオ放送の表現というものは自由でなくてはならぬ。しかし、その点について、自由であってもある程度の自主的な抑制というものは当然なされていかなければならぬ。しかしながら、実際問題として戦前のことを考えた場合に、やほりこれが何らかの形において政府あるいは政党関係等の圧力が加わるということについては、これは絶対に今後の日本放送界からそういう問題については排除しなければならぬということを、全く同感で考えるわけであります。  そこでお尋ねしたいことは、現在のように、先ほど来徳川参考人も言われておりましたけれども、いまのような放送局における自主的な番組審議会、これは御承知のとおり一応法律において番組審議会というものはきめられておりますけれども、その運営というものはすべてこれは自主的に行なってよろしいと、こういうことになっておるわけであります。これをいわゆる放送界が自主的に抑制をしていくという点について、一体どのようにしたほうがいいとお考えになるか。たとえば現在の番組審議会で事足りると思われるのか、あるいは先ほど来北條参考人も言われておりましたけれども番組審議会の構成メンバーについても、足らないところがあるのではないか、たとえば政界、財界あるいは学識経験者という有名人はおりまするけれども、実際問題として、ラジオを聞き、テレビをよく見ておりまする、淡島さんがやっておられますところの「花の生涯」にいたしましても、「赤穂浪士」にいたしましても、それをたくさん見ておるのはそういう一部の人々ではありません。国民の大多数の大衆の諸君が見ておるわけであります。そういうところの大衆の人々の声というものが、そういう方面番組審議会を通じて反映ができるという道が、今日の番組審議会においてはたして生かされておるかどうか。そういう点については私はまずお聞きしたいのは、今後のこのテレビラジオというものを自主的に健康な方向に、明るい方向に規制をしていくという点については、どうやったほうがいいのか、それと現在の番組審議会の構成メンバー、さらに運営等について、もし御意見があるとするならば、ます私は高崎参考人からお聞かせを願いたい、こう思うわけです。
  21. 高崎英雄

    高崎参考人 先ほどから話題になっておりますとおりに、まあ現在にありますそういう機関は、もう少しはつらつと前向きに積極的にやっていけばいいかとも思いますけれども、全体の空気として、何かそういう新しい話し合いの場ができたほうがいいのじゃないかという空気があるように思いますので、私ども協会といたしましても、そういうことを今後研究をしていこうではないかという機運にいまなりつつある次第でございます。  それで構成メンバーの点で先ほどから意見が出ておりますように、現場の人をたくさん無秩序に入れるということは、かえってまたそれぞれの主張があり過ぎて統制がとれにくいかもしれませんけれども、そういう人をも加味した構成メンバーということで、新しい話し合い機関を設けたほうがいいように存じます。
  22. 森本靖

    ○森本小委員 ぜひひとつ、高崎参考人以下こういうふうな方向に関係をせられておる方々は、あくまでも放送の表現の自由を守るという点については、やはり思想立場を超越いたしまして、日本の将来の放送界のためにも十分にそういう方面の御意思というものを各方面に明らかにすることをお願いしておきたい。と申しますのは、御承知のとおり今月の末に放送の答申案が出ます。そういたしますと、十年に一ぺんの放送界の大改革になるわけてありまして、こういう際に、あなた方のように経験せられておる方々が、十分に御意見をそういう点に反映を願いたい、こう思うわけであります、同時に、これは個人の力ではだめてありまして、いまあなたがおっしゃったように、作家協会なり放送作家協会なり、そういう方面でも大きくひとつ声をあげていただきたいと思うわけであります。  それから福原参考人に、これは意地の悪い質問になるかもわかりませんけれども、一応御意見をちょっと聞いておきたいと思いますことは、ちょうど横に大臣もおられますが、福原参考人もなかなか辛らつな時世批評家でありますし、また常識家でもありますし、そういうふうな御意見を私たちも十分にふだんから感銘を受けて聞いておるわけであります。これは例にとってまことに悪いわけでありますけれども、たとえばきのうの予算委員会におきまして、大宅壮一氏のフジテレビにおきます発言が大きな問題になっておるわけであります。そこで私は、それに対しまして後ほどの本委員会において大田に質問をしようと思っておりましたか、大臣は今後の放送法改正に際して、こういう問題についても対処していきたい、こういう答弁をいたしておるように聞いておるわけであります。私は、元来こういう問題については法において規制をすべき問題ではない、そういうことについては、それを発言せられる方の人格と識見と、その人の考え方によって自主的に規制をさるべきものである。そういうものをいわゆる法律によって一々規制するということについては、私はとらざるところでありますけれども、こういう点について、これはまことにいまの時事の問題でありまして、微妙なところもありますので、むずかしいと思いますが、こういう問題を除いたにいたしましても、かりにそういうふうな問題について法律しおいてこれを規制し対処しょうといり考え方よりかは、やはりそれに出演する人々の向上と人格と識見というものに信頼をして、一つの自由というもりを与えて、それが一つの調和点に達していくというふうな形が理想的な放送のあり方ではないかというふうに私は考えておるわけでございますが、たまたま福原参考人は、時事についてもいろいろ放談をせられる場合もありますので、こういう点についてどういう御意見を持っておられるかお聞かせを願いたい、こう思っておるわけであります。
  23. 福原駿雄

    福原参考人 ただいま例としてお出しになりました問題は、大宅壮一さんが大野伴睦さんについて、いわゆる死屍にむちうつがごとき発言をされたという問題かと思いますが、きょうのこの私の発言は新聞なんぞに出るんですか。——まあ出てもよろしいのです。(「出てもいい程度のことをおっしゃってください。」と呼ぶ者あり)いい程度のお話をします。(「自由におっしゃってください。」と呼ぶ者)あり自由に、出てもいい程度の話をします。  大宅壮一という方は、評論家の一つのタイプとして非常に特異の立場をとる人であります。テレビなど一億総白痴化なんということを言ったのも彼でございます。しかし彼は、その一面を強調することがうまいのでございまして、一億白痴化の一面に一億賢明化の一面もあるのでございます。放送というものは。ところが、どうも一億賢明化なんてものはジャーナリズムのほうでもあまり取り上げませんで、白痴化のほうがぴんとくるもんですから、それでもっぱら白痴化ということばのほうがもてはやされているわけでございます。大野伴睦さんとは生前私個人的にもいきさか交遊がございましたので、よく人間を知っているんでありますが、大宅壮一さんは、大野さんのつまりいい面を見てなかったのだと思うんです。それで、これに対して一億白痴化運動のような表現をなすったんで、彼自身としては、奇矯の言を弄しているようでありましても、なかなか常識家でございまして、ただそれを取り消せと言われては、彼も取り消せないわけでございます。意地にも。取り消したらもう変なもんで、今後彼は原稿の依頼者も少なくなるでしょうし、彼は彼のポーズを維持して、もう一度聞かれてももう一度繰り返すよりしかたがないということを言ったのでありますが、しかし大宅壮一は、必ずしもいいかげんな放言をしたのかというと、私どもはそうとも考えないのでございます。しからば大宅壮一の言ったとおりに全面的に賛成かというと、もちろんそうではございません。私は、昨日もある雑誌の座談会の席上で、やはりこれが問題になりまして、大野伴睦氏の非常にいい面を強調いたしました。座談会の席上でも渋沢秀雄なんていう人は大いに賛成をいたしました。具体的に申しますと、俳句会に出席をしてるときの伴睦副総裁は、さながら小学生のごとく、実に態度がよろしいのでございまして、ああいうふうなすなおな心の持ち主であるということは——全部すなおじゃないだろうけれども、すなおなものに対してはすなおになり得るといういい面も持っているわけなんでございます。ですから大宅壮一氏のこの放言的なことばに対しまして、すぐ取り消しとかなんとかいうのは無理なんでございますから、大野伴睦氏のまたいい面を取り上げる放送をさしたほうがいいのじゃないかと思うので、これを皆様方のほうで、ある一部の人でしょうが、取り上げていきり立つというようなことは、はなはだおとなげなくて、かつ逆効果じゃないかと私は考えております。大宅壮一に放言癖があることは、聞いているほうでももうちゃんと知っておりますから、ははあてんで三割や四割くらいは割引して聞いているんでございます。決して御心配のようなことにはならないと思うのでございます。
  24. 森本靖

    ○森本小委員 いまの私の聞いておりましたのは、その大宅さんの問題ということよりか、今後放送法改正にあたりましてそういうことについてもある程度規制ができるように法の改正で対処したいということを大臣が一応言われているわけであります。私のほうとしては、そういうことは法律において対処すべき問題ではない、先ほどから私が言っておりまするように、あくまでも放送の表現の自由ということは確保しなければならぬ、それが行き過ぎたものであるにいたしましても、それは自主的に規制をしていくべきものである、こういうふうに私は考えておるわけでありますが、まず、そういう問題については法律において対処すべき問題ではない、このことについてどういうふうにお考えをせられておるか、この点をお聞きしておきます。
  25. 福原駿雄

    福原参考人 私が大宅壮一のことばかり言ったようでありますが、その中に御答弁は含まっているつもりであります。ちゃんと御質問になりました趣意は私によくわかっておりまして、第一、おっしゃっていることが私も大賛成でございまして、法によって規制すべきものでないという私ども考えと一致しておりますので、それに対して私のほうは反駁する何ものも持っておりません。
  26. 森本靖

    ○森本小委員 それから最後に中川参考人にお聞きしたいと思いますが、参考人民放にもNHKにも相当多数出られておるわけでありますが、当委員会あたりでも今後問題になりますのは、NHKのあり方というものと、民放のあり方というものが、いわゆる総体的に総合的に分析をせられていかなければならぬということになるわけでありますが、そういうふうな大きな問題をとらえて私は質問をするということでなくして、出演者として、NHK出演をしてみて、さらにまた民放出演をしてみて、NHK並びに民放に対してどういうふうな感じ方をせられておるか、これは非常にむずかしい問題でありますけれども、いわばNHKのほうがすっきりしているとか、あるいは民放のほうがいろいろ文句をつけ過ぎるとかいうふうな、あるいはNHKが官僚的であるとか、あるいは民放はそういう点はないけれども、スポンサーに気がねをしておるとか、そういうふうな点が多々あろうと思いますが、そういう点について、このNHK民放というものが、いま出演者としてどういうふうな感じ方をせられておるのかという点を、私は特に出演者としてお聞きしておきたい、こう思うわけであります。  それから、いまのようなNHK民放というものが今日東京には六チャンネル以上あるわけでありますが、将来FM放送あたりができますと、さらにこれがふえていくというふうなことになるわけでありますが、そういう場合に、出演者として自信のある一つの作品が制作ができるかどうか。たとえば一人の出演者が三つも四つもの民放並びにNHKのかけ持ちをしなければならぬ、そういう点で、たとえばどさくさでちょっとした思いつきのいわゆるテレビ映画なり、あるいはそういうものがつくられるという可能性もなきにしもあらずというふうにわれわれとしては考えるわけでありますが、そういう点から考えた場合に、現在のテレビ局、ラジオ局というものがこれ以上ふえた場合に、一体どうなるのか、そういう点について、どんどんふえれば商売が繁盛するからいいということには簡単に私はならぬと思うわけでありまして、大体いま程度のテレビラジオ局というものが精一ぱいのところではないか、これがさらにふえていった場合にどういうふうになるのかというふうな点について、もしお考えがあればお聞かせを願いたい、こう思うわけでありまして、なければけっこうでありますが、その二点についてお聞かせを願いたい、こう思けわけです。
  27. 中川慶子

    中川参考人 私はいまのお話のように、NHKとそれから方々民放に出ておりまして、NHKはいわゆる国民全部から聴視料をとって、それで見せている。民放はスポンサーというものがある。スポンサーの力というものはたいへん民放の場合強いと思うんです。局側の人がこういうものをといっても、スポンサーがそれを承知しなかった場合には、スポンサーがついてもらえない。そういうふうなこともございますので、両方意見をこの辺でというところの折り合いで放送するものが多いということ。それからNHKの場合は、スポンサーというのがない。特別その番組にこれだけお金を出すという人がいないので、思い切ってやりたいことはできると思うんです。それですから、いわゆるワイド番組なんというものをやっておりますけれども、あれは私考えますのに、みんな国民から少しずつもらっている、それがスポンサー代じゃないかと思うんです。ですから、国民の人に喜んでもらえるもの、いわゆるワイド番組民放でいいますと、そんなワイドをやられたんじゃとてもかなわないなんていうお話があるそうですけれども、私はやはりそういうものもあってもかまわないと思うのです。まして地方に行きました場合に、NHKと一局ないしは二局くらいしか入らない場合に、そういうところでは、それを何よりも楽しみにしていると思うんです。テレビの機械がある限りはやはり見たいとお思いになるでしょうし、見たいときに、娯楽でございますから、つまらないものをやられていた場合には、その地方の方はかわいそうだと思いますので、そういうことで、見られるところに見せるものはやはりりっぱなものでなくてはいけないというようなふうに私思いますし、たまたまNHKさんでただいまやっておりますけれども、「赤穂浪士」というのなどは、おもしろいと言っていただいているので、私それはとてもいいことだし、そのために一生懸命やろうとも思います。では民放の場合は、自分が幾ら一生懸命やっていても地方では見てもらえないとか、楽しんでいただけないという場合があるんで、そこはたいへん問題だと思います。  それから、これ以上局がふえてどうなるかというお話ですが、局が幾らふえても、東京の中ではやはり自分の見たい局をごらんになると思うので、私はあってもいいと思いますけれども、それについて俳優たちがかけ持ちをしてどうのこうのというようなことで忙しくなるだろうというお話ですが、どんどんタレントもふえていくことでしょうし、その方々考え方で、全部にお出になる方もあれば、一局二局御自分の好きなものを選ぶ方もありますし、私の場合は、別に商売がそんなにふえましても繁盛するほうではございません。好きなものをやらさせていただいておるということでございます。まあ、スポンサーのいらっしゃる局というのは、自分の出ているものもそうですし、こっちが見ているものもそうですか、一生懸命やっている最中に、ぱっと大きく広告が出ると、あの広告がなければいいのにと思ったりするようなことがあるので、そういう場合はNHKは何にもないからいいな、一生懸命やったかいがあるような気がしたりすることもございます。ですから、両方の肩を持つわけではございませんけれども、そういうものが成り立っていくならば、私これ以上あってもかまわないのではないかと思います。見る方は、お好きなところをお回しになるのではないかと思うんですけれども……。
  28. 秋田大助

  29. 椎熊三郎

    椎熊委員 私がお伺いしたいと思うことは、同僚の方々が大体同じような趣旨のことを聞かれておるようでありますが、なおもう少し皆さんのお考えを聞かしていただきたい。  先ほど来先生方お話しのとおり、文化というものはだれが発明したとかだれがつくったというものではないので、その時代、その時限の反映だと私も思うのでございます。したがって、たとえばテレビに例をとってみても、このテレビは非常に低劣であるとか、高尚であるとか、そういうことはその人々の主観では言えることだが、それを規制できないものだと私は思う。世の中が非常に進んでくれば、おのずからその時代に適合しないものは滅びていくのだ。自然の勢いで整理されていくのであって、法律や制度で押えるべきものでない。私は森本君と同じ意見なんです。同時に、しかし、発言する人や演出する人が、すべて自由なんだ——私はその自由ということにも一つの限界がなければならぬものだ、そう思っておるのです。何でもかってでいいというものではない。ラジオテレビに出て発言しておる人たちというものは、自分一人の放言じゃないのですから、必ず見たり聞いたりしておる人があるということを念頭から放してもらってはいけないことで、それをどうして法律できめることができるか。要するにやる人の本人の心がまえ以外には規制ができないことだと思うのです。  そこで、具体的な問題は、ただいま徳川さんからもお話がありました、大野伴睦さんに対するフジテレビの問題。あの人がなくなってあと二日で葬式をやるという通夜の日に、あの放送を家族の人が聞いたら何と思うでしょうか。いかに自由な発言であっても、いかにも人間味がない発言ではないか。そういうものじゃない、自由というものはそういうものじゃないと私は思う。それですから、評論家でございますから、政治家たる大野伴睦さんを適当な機会に批判されることは自由でしょう。あの人はどういう人であったということを自由にお書きになることはけっこうでしょうが、それより先に、聞いたり見たりするほうも、言ったり演出したりするほうも、互いに人間なんだ、そういう人間の基本線はお互い守るべきではないか。あすあさってお葬式を出そうというとき、天下有名人な人です、いい悪いは別にして。みな嘆き悲しんでおる最中に、日本のためにこの人がなくなったことは幸福だと言っておる。ことに、はなはだしきに至りましては、自由民主党という政党は人間の恥部、恥ずべき場所を頭にかぶっているような政党である、そういう表現はどういうものでございましょうか。戦後すでに閣僚に二、三回なっております。衆議院の議長にもなられました。死んだ当時はわれわれの党派の副総裁でございました。世間とかくの批評があったにいたしましても、信ずる者は信じておったんでございます。批評は自由であっても、人間としての心がまえとして、ああいう公的な場面に出られる方は心すべきではないのだろうか。皆さんは多年にわたってそういう経験をお持ちの人なんですから、私のこの考えが間違っておるかどうか。それはそうじゃないのだ、かってでよろしいのだと言えば何をか言わんやでございます。私は何も法律的にあの人の発言をどうしようとか——党内には、ある種の人々は名誉棄損の訴えをしようなどと言った人もあるそうですか、私はそういうことは反対だ。おのずから世間が解決してくれると思いますけれども、あまりにも非人間的な発言であったことを、私は日本放送界のために嘆くのです。そういうことではいけないのだと私は思っておるのですが、諸先生方いかがでございましょうか。北條さんひとつ御感想を聞かしていただきたい。
  30. 北條誠

    北條参考人 私はいまのお話はたいへんごもっともで、私個人としては全然同感でございます。ただつけ加えれば、私はああいう発言に対しては国民全体が批判するだろう、国民全体がそれに黒白をつけるだろう。もちろん党内において皆さんが名誉棄損の訴えをなさるのも御自由ですけれども放送という国民全体の文化財としては、国民全体があれに何らかの批判を下す。私個人では、たいへん情のないおことばだと思いましたけれども国民の全体がそういうふうに考えればそういう帰趨が出てくるんじゃないか。  それと現在の放送との関連でございますが、そういう点で、私は自由というのは秩序だといつも考えております。自由というのは、全部が自由を守るためには、おのずから自分が秩序を守ることだ。左側通行という秩序を持つことが自由だと考えておりますので、野放しの自由というのは私個人としてはたいへん否定しております。その意味で、放送法というものが、基本的なある法律はあっていいのじゃないか。その運営と細部にわたっては言論の自由が守られなければならないというわけで、私は全部法律なしの、統制なしの自由というものは全然考えられない。これは個人的な考えでございますけれども考えられない。  それにつきまして御質問からちょっとはずれますが、私の蛇足を付加いたしますと、この間の発言のような問題というのは、やはりさっきからお話になっております。われわれの側の——われわれというよりも放送担当者側の自覚である。そういう点で審議会なり委員会の中にわれわれも参加したい。参加することによってそういうものは是正されていくということを申し上げたのです。  ひとつ雑談としてエピソードを簡単に短く申し上げますが、私はあるとき民間放送で、私は民間放送NHK両方でたいへんよくかせぎまくるほうですが、民間放送でスポンサーの方と大げんかをいたしました。そのときに、自分では名せりふを言ったと思いますが、たいへん無理な御注文がありましたときに、私はこう申しました。これは一本の制作費が百万円といたします。そうすると、スポンサーは、気に入らなけりゃすぐ私を首切ればいいのです。そうすると、進行中のものを入れましてもせいぜい二本か三本、二百万円です。何とか会社といわれる大きな会社だと、二百万くらいの損害は大したことないじゃないですか。すぐ自分の気に入った番組をおやりなさい。ところが、私のほうはそうじゃない。北條はいかぬ、あいつは切られやがった、あいつはだめだと言われますと、私はいませがれが大学に行っておりますから、これが卒業するまでめしが食えません。また、いままで自分なりに一生懸命やっておりまして、北條のものはおもしろいと言ってくださる方もいるわけです。そういったものが全部ゼロになる、一つ番組に対する熱度はあなたと違うのだ。私のいままでの経験と、これからの将来をかけている、家族の運命もかけている。とにかくよくしたい、何かいいものを出したい、しかも聴取率を上げたいと、たいへん欲ばった——まあかけているわけです。リスクがあるわけです。ところが、失礼ですけれどもあなた方には、それほどのことはないんじゃないか。重役さんや一部の思いつきで、自分の方向と違うからと言うんじゃないのですかと言ったら、そのスポンサーの方はたいへん理解のある方で、非常に悪かった、確かに放送というものは、自分たち考えているものとあなたたちと熱度が違うということで引っ込んでくださったのです。私は、放送というものは放送担当者の熱度で向上していくものだ。法律では基本的な線だけをきめていただいて、それからは各人の自由と秩序だ。自由というものは各人が秩序を持つことだという自己反省で進んでいくものではないかと考えております。
  31. 福原駿雄

    福原参考人 私はちょうど旅行をしておりましたので、問題の発言を聞かなかったのであります。あとで問題になってからその発言の内容のアウトラインを聞きまして、どうも大宅先生も、こういうときにずばりずばりああいうことを言うのは困ったもんだと、私自身は感じたんですけれども、それがまた彼の一つは魅力でもあったと思います。もしその放送を遺族の方が聞いたらばどうか、これは全くそのとおりでございまして、どうもこれは放送、ことにテレビの宿命じゃないかと思うのでありますが、何か事故がありまして、遺族の人が泣いているところへ取材記者が行きまして、マイクロホンを突きつけて、泣き声まで録音するという、まことにこれは残酷なやり方だと思うのであります。とかくそういう個人の悲しみとか苦しみとかというものはちょっと無視されがちだと思っております。これについては、要するに放送局側、ことに取材記者、それにいろいろと命令を下しておりまする上役の人たちが、大いに自粛してもらわないといけないと私も感じております。同時に、しからば大宅壮一氏のあれは、なまでしたか、録音だったんだか、どっちでしたか、録音であったとすれば、放送局の編集部でその部分は当然切るべきです。なまだとすると、急に途中から放送を中止するということは、いまのところではできないもんでございましてね、それでああいうふうに電波に乗ってしまったんだと思います。大野さんの御遺族がもし聞いておられるとしたならば、全くこれ以上残酷な痛ましいことはないと思うのであります。発言している大宅さん自身も、遺族が聞いているということは忘れて、自分は一社会評論のタレントであるというので、そういう場合そういうことを言うということは、一種の広い意味の大失言ですな。われわれタレント側としても、大宅壮一氏のそれは、そのときは失言であった、言わでものことであったという判断を私はいたしております。
  32. 秋田大助

    秋田小委員長 片島港君。
  33. 片島港

    ○片島小委員 たいへんこれは尋ねにくいことですが、しかしお尋ねしておきたいと思うのです。昔からNHKというのは——これは皆さんに伺うのですが、薄謝協会と前いわれておったそうでございます。NHKは薄謝協会である。いまはどうかよくわかりません。そうして民放ができまして、民放では出演料も相当はずむ、相当出してくれる。そうすると、民放のほうにタレントが大量に出ていってしまうのではないかというようなこともいわれておったのでありますが、一方において、また、出演料は安いけれども、大NHK出演をさせていただくということで、NHKのほうが民放よりもちょっと舞台の格が高いので、こういう晴れの舞台に出していただくということになれば、多少出演料は安くても、まあ何といいますか、名誉料といったようなものもこれに加わるのである、こういったようなことまで私たち聞いておったのでありますが、御出演をされる場合に、徳川さん、あるいは淡島さん、こういう有名な方々に、こういうことを言うてはまことに失礼なことでありますけれども、多少そういうような気持ちがありますかどうか。先ほど森本委員から、NHK民放に出られるときの気分というようなことの質問があったのですが、私はもう少しそれを下のほうに掘り下げて、ちょっとお気持ちを聞いておきたい。
  34. 福原駿雄

    福原参考人 実情を申し上げますと、NHK日本薄謝協会というふうに呼んだのはサトウハチローでございますが、なかなかそういうことはうまいです。事実薄謝協会といっていいような出しっぷりでございました。しかし、何といってもNHKが独占していた時代ですから、第一、薄謝というけれども、厚謝のほうはどのくらいか見当もつかなかったのです。みんなあれは、そもそも出発が公共事業に奉仕するという、まことに可憐なるあれで出ておるものですから、正直のところ、私はNHKには一度も、いわゆるギャラにつきまして値上げを言ったことございません。一度もございません。くれるものをただもらっているというだけでございます。たいへんにいさぎよいように聞こえますけれども、それはよけいくれるほうが私個人としてもうれしいんでございますけれども民放ができまして、民放はまことに気前よく出しました。昭和二十六年にラジオが出発し、二十八年にテレビも出発をしてまいりました。民放のほうが三倍ないし五倍くらい出しました。そこでNHKのほうもいささかこれに影響されまして、少しずつ上がってきまして、まあ中謝協会くらい、そうすると、同時に民放のほうがこれまたNHKに見習いまして、なかなかどうして民間薄謝協会のごときものができてまいりました。どこどこと指定いたしませんが、NHKのほうが割りがいいじゃないかというような薄謝を堂々と民放のほうも出すようになってまいりました。だいぶ両方から歩み寄りの精神によって……。民放は時間でもってよこします。NHK出演すれはくれるんでございます。一時間一人で物語りを熱演しましてもこれこれ。二分間帯番組に出てしましても同じでございます。ですから、そのときは二分のギャラとすると、これは民放も遠く及ばないようなギャラになるわけでございまして、この辺は普通の数学ではわからないんです。超科学のわれわれ独特の数学がございまして、頭の中は電子計算機みたいにこのくらい出したらよかろうというふうな結論に従って動いておる。一々数字をあげて、どっちが得だから、どっちが損だからといってやっておるわけではございません。  それから、さっきおっしゃいましたNHKに出てるというのは、一種の何といいますか、ショーウインドーみたいなものであります。ショーウインドーの飾りつけがいいと、そのデパートの品物がよく売れる、NHKにこういうレギュラー番組を持ってるということになりますると、民放のほうがハッスルいたしまして、ぜひこれを獲得しようとスカウトにくる。だからNHKはショーウインドーだ、金銭は問題じゃないなどということを言う、私もその一人ですが、そういう手合いもあるくらいでございますが、大体民放NHK参考とし、NHK民放参考としまして、逐次歩み寄りの現象を呈しておるようでございます。特別番組ではどうもNHKは思い切った金を出すよし漏れ承っております。これはけしからぬ話です。われわれみたいに、開局以来えんえんとしてNHKに出ていて、一度も当方から要求せずにつとめている人間が聞くとあっと言うようなギャラを払うやに漏れ承っておりまして、そういうことは一応くぎをさしておきたいと思います。
  35. 片島港

    ○片島小委員 先ほどからのお話で低俗な番組白痴化というようなことばもありましたが、低俗番組と非低俗番組の区分けというものは非常にむずかしい問題であります。特にいろいろな意見を発表するのは、たとえば主婦連、おしゃもじ族というか、そういったおえら方とか、あるいは相当名前の売れた方、社会的にある程度の権力——ほんとうの法律的な権力ではありませんが、社会的に相当の力を持った人の発言、そういう人はきわめて少ないし、またそういう人が案外といつもテレビにかじりついておるわけではなくて、中身はあまり知らないけれども、非常にりっぱなことを口にする。それは、たとえば、青少年の非行化についての調査ですが、これは権威のある調査ですが、その結果、大体学校にもよく出ないで怠けぐせのある、あまり素行のよくないような中学生程度の学生、そういうのがギャングものとかそういう非常に危険なものを熱心に見て、学校の優良児、非常に学校で成績のいい模範児童は見ないかといろと、調査の結果は、かえって模範的な学童がそういういかがわしいものを熱心によく見ておって、わりと頭の足らない非行化傾向のある青少年あたりは、案外そういうものを熱心に見ておらなかったというような調査なんかも出てきておるようなわけでありまして、こういうものを何かできめなければいけないが、しかし、これをきめてだんだん番組向上ざしていくということは、非常にむずかしい問題ではないか。番組向上について自主的な番組審議会というものが各局に置かれておる。また郵政大臣の諮問機関として番組向上の懇談会といったようなものも置かれましたが、その顔ぶれを見ますと、先ほど言ったような社会的にえらい人には違いないけれどもテレビなんかを見ておる非常に数の多い階層から見たならば、一部の階層に偏向しておる、時代的にちょっと——私なんかも自分の子供の気持ちがどうもはっきりわからぬことがたびたびありますが、そういうことを私たちよりももっと世代の古いような道徳教育を受けた人たちが集まっていろいろとやっておる。こういうのが悪いのだ、こういうのがいいのだ、そういうようなことではほんとうにこの時代の流れに沿うた番組というものを、いいか悪いかということをきめるのは非常に困難じゃないか。これはむしろ学識経験者の方々にお聞きするのがほんとうかと思われますけれども作家の方にいたしましても、またタレントとはいえ、お二方ともきわめて学識豊富な方々でありまして、またみずから出演もされておるというような方々でありますので、この機会に、こういう問題について、どういうふうにすればだんだんと、一ぺんによくならないが、りっぱなものが——りっぱなものというのはどこできめるかということは非常に問題でありますが、これはおのずからりっぱなものがだんだんとできていくのか、そういうものについて法律できめるということは困難であるが、一体どういうようなことでだんだんとりっぱになっていくのか、そういう点についてどういうようにお考えになっておるか、高崎参考人福原参考人にお伺いをしたいと思います。
  36. 福原駿雄

    福原参考人 それはたいへんにむずかしい問題だと思います。審議会の代表なども片寄り過ぎているということは、まさに現在の事実でございますけれども、それを各階層からの代表を選ぶということになったらたいへんなことでございまして、大多数の民衆というものは、いわば自分自身の意見は持たないといってもいいような人たちであります。その中からどういう人を代表者として選ぶか。おそらくラジオテレビの人気番組に非常な熱意を示している人たち、そういう熱心な聴視者あるいは聴取者の大部分は、聞いてみたところで何ら発言をしない人だと思うのでございます。ですから、この審議会のメンバーを選ぶということは、むろん現在のままではいけませんけれども、非常にむずかしいので、これを民主的にというのでとの階層からも選ぶということになりますると、それこそ議員の選挙区にいたしましてもいま問題が起こっているようなわけで、非常にむずかしい問題だと思いますが、識者の方々がお集まりになって、どうやら適当という線をお出しになるだろうと思っております。
  37. 秋田大助

    秋田小委員長 受田新吉君。
  38. 受田新吉

    ○受田小委員 一問だけ徳川先生、中川先生にお答え願いたいのですが、先ほど淡島千景さんの御発言の中に、NHK出演をするときは特に張りのあるような感じがする、それはこれを聴視する人々の期待が大きいというような意味の御発言があったのですが、この点全国津々浦々にまで、このNHK放送は浸透しておる、地方の末端の山間僻地の人もこれを見ておる。この感激は、出演される方御自身にも一つの大きな感激というものがあると思うのです。そういう意味で、民放との対抗では、やはりNHKが普及度において高い性格を持っておるというので、その点歩のある立場にあると思います。しかし、民放とのまじめな競争ということを大所高所から考え、今後UHFの普及徹底というようなものを考えた場合に、ひとつここに放送の経営をする面の審議会のようなものを設けて、NHKの経営委員会だけでなく、民放のそれに相当するものだけでなく、それを全部、もう一つ高い立場の公式機関を設けて、経営そのものを中央地方を通じて打って一丸とする雄大な構想のもとに経営審議会というようなものを設けて、その間の調節をとる必要をお認めにならないかどうか、これは特に先ほどの放送に対する感激の度合いについて御発言のあった淡島千景きんと、さらにもう一人タレントとしての徳川さんの、一方評論の立場からの御意見とを伺いたいと思います。
  39. 中川慶子

    中川参考人 これは私にはちょっとわかりかねますので、徳川さんに伺っていただきたいと思います。
  40. 福原駿雄

    福原参考人 ただいま明快なお答えがございましたが、(笑声)つまり経営審議会という名称はどうか知りませんが、とにかくそういうものがいまの放送局NHK民放、それらの一段と上の立場から、どうあるべきかということを審議する機関があってはどうかという御意見でございました。これは私もそういう機関が理想的なメンバーで構成されるなら、ぜひあったほうがいいと思います。ただ、理想的なメンバ一を集めるということが、なかなか実現が困難でございますので、やはりこれらは新聞とか雑誌とかその他、あるいは放送評論家とか、そういう人たちが公正な厳粛な鋭い立場からの評論活動をもっと盛んにすることによってある程度代行できるんじゃないかと考えます。
  41. 秋田大助

    秋田小委員長 これにて参考人よりの意見聴取は終了いたしました。  参考人方々には、御多忙中にもかかわりませず御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次会は明後五日午前十時から開会し、スポンサー及び広告業者関係より参考人を招致し、意見を聴取することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時二十九分散会