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1964-05-29 第46回国会 衆議院 逓信委員会電波監理及び放送に関する小委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年五月二十九日(金曜日)    午前十時二十分開議  出席小委員    小委員長 秋田 大助君       上林山榮吉君    佐藤洋之助君       志賀健次郎君   橋本登美三郎君       大柴 滋夫君    片島  港君       受田 新吉君  出席政府委員         郵政事務官         (電波監理局         長)      宮川 岸雄君  小委員外出席者         議     員 安宅 常彦君         議     員 畑   和君         郵政事務官         (電波監理局放         送部長)    吉君  中君        参  考  人 浦松佐美太郎君         参  考  人         (弁護士)   戒能 通孝君         参  考  人         (評論家)   戸塚 文子君         参  考  人         (早稲田大学教         授)      吉村  正君         参  考  人         (FM営期成         同盟会長)   矢部 貞治君         参  考  人         (FM営期成         同盟事務局長代         理)      松尾 昭弥君         参  考  人         (FM営期成         同盟顧問)   高柳健二郎君         参  考  人         (FM営期成         同盟顧問)   谷村  功君         専  門  員 水田  誠君     ————————————— 本日の会議に付した案件  電波監理及び放送に関する件(放送関係法制に  関する問題等)      ————◇—————
  2. 秋田大助

    秋田小委員長 これより会議を開きます。  電波監理及び放送に関する件について調査を進めます。  本日は、学識経験者及びFM営期成同盟より参考人を招致し、意見を聴取することといたします。  ただいま御出席参考人は、学識経験者として浦松佐美太郎君、戒能通孝君、吉村正君の以上三名であります。なお、戸塚文子君は十一時ころ、FM営期成同盟からの参考人と同じころ御出席の予定でございます。  参考人方々には、御多忙中にもかかわらず、御出席くださいましてありがとうございました。現在、臨時放送関係法制調査会等におきまして、放送関係法制につき調査を進めておりますが、当小委員会におきましても、これらの問題につきまして調査をするため、各関係方面より参考人を招致して、意見を聴取し、調査参考人にいたしている次第であります。  本日は、参考人方々より、放送及び放送界のあり方、また放送関係法制の改正の問題等につきまして、忌憚のない御意見を拝聴いたしたいと思います。意見の聴取は、まず参考人より意見の発表をお願いいたしたのち、小委員よりの質疑応答の形で行ないたいと存じます。  それでは、まず戒能参考人にお願いいたします。
  3. 戒能通孝

    戒能参考人 いままで私、参考人として衆議院に呼んでいただくこともしばしばございましたが、大体におきましてもう法案が決定したものにつきましての意見だけでございました。今日は、これから何か放送に関する法規を制定なさいますについての参考にお聞きいただきますことをお礼を申したいと存じます。  いままでのところにおきまして、現在日本NHKとそれから民間放送といわれているものと二本立ての放送が続いていることは事実でございます。これが国民生活の中に溶け込んでしまっておりまして、これについて特に明らかになってきた弊害はないように存じます。したがって、原則として現行法規というものを改める必要はないのではないかというふうに私は感じるわけでございます。  一部の方の御意見でございますると、民間放送に関する規定放送一般通則に関する規定、これが放送法としてはむしろすみっこのほうに置かれておりまして、放送法はどっちかというとNHK設置法みたいなものになっていること、これは不満だという御意見もあるようでございますけれども、しかし、放送は本来言論に関する仕事でございまして、それに関しまして特別なワクをつくるような法規というものは、できるだけなくてもいいのではないだろうかと感じておるわけでございます。たとえば新聞でございますが、新聞につきましても、新聞紙法というものは現在ございません。しかし、だからといって新聞の発行につきまして特に不便である理由はごうもないようでございます。したがって、放送ワクをつけるような仕事というのは、必ずしも要らないんじゃないだろうかと思うわけでございます。だが、もし新しい放送法というふうなものをお考えいただくことができるならば、その場合、一体放送はだれがやるかという、放送主体についての検討を厳密にやっていただきたいと思うのでございます。  放送というのは、言うまでもなく電波を使用して行なっている手段でございます。電波は有限でございます。そして有限な電波というものは、本来から申すならば、国民財産であるべきものではないかと思うのであります。そしてNHKは有料で、民間放送無料だというような御意見もあるようでございますけれども、しかし、これはやはり間違っているように思います。民間放送は確かに当面は無料でございますけれども、しかし、広告を主たる財政的基礎として営まれているものでございますからして、結果において見ますると、これは必ずわれわれの消費する商品の中に入っているわけでございまして、これ自体無料というわけにはまいらないと思うのでございます。  ともかく放送が若干の経費を使い、そしてある程度まで利益配当までつけて行なっている限りにおきまして、当面われわれがお金を払わなかったからといって、無料放送が行なわれているということは言えないわけでございます。やはり放送は、国民財産を使い、国民支出によって維持されているわけでございますから、あくまでも国民に仕えるという態度をとらなければいけないんだと思うわけでございます。言いかえれば国民の持っているいろいろな希望がございます。言論希望もございます。評論希望もございます。あるいはまた教養希望もございます。娯楽希望もございます。これらの希望をできるだけ総合的にまとめ、そうしてできるだけよく実現するようにすることが放送基本的任務であると思うのでございます。国民財産であるところの電波を使い、そうしてまた、国民支出に負っている放送が、自分のための放送というものをやるようになってくれば、これは国民に対して一種の忘恩であり裏切りであるということになるのではないかと思うのでございます。  それならば放送はどうしたら国民に仕えることができるか。これは場合によれば職を賭し、産を賭するという決心が要るのではないかと思うのでございます。職を賭するということ、これはめったに起こることではないかもわかりませんけれども、しかし、正しいニュースを伝え、そうしてよい教養番組を作製する、そうしてまた、質のよい娯楽番組を作成するということにつきまして、職を賭し、産を賭するだけの決心がなければ、放送というものはいじってはいけないのではないかと思うのでございます。しかも放送に関する特殊性というものは、単に経営者がそういう決心を持つだけでは足りないのでありまして、末端のカメラマンに至るまで同じような決心を持っていなければよき放送というものは実現できないと思うのでございます。  そういう意味におきまして、放送というものが実際行なわれる場合におきましては、下級職員もまた職を賭するだけの決心を持って従事すること、と同時に、職を賭して放送に従事した人たちをできるだけ擁護していく仕組みが必要じゃないかと思うのでございます。したがって、下級職員の場合におきましては、放送従業員の地位を擁護する手段として労働組合が必ずつくられているということが必要ではないかと感じます。放送におきましては、その意味において労働組合をつくらないような放送企業というものは認めてはいけないのではないだろうかと思うのでございます。  聞くところによりますと、若干の放送会社におきましては、労組をつくらせないということもあるそうでございますけれども、これはやはり放送というものについてはその本質を踏み違えているのではないだろうかと思うのでございます。もちろん労働組合の行動の中におきまして、賃上げその他経済要求もございますけれども、単に経済要求だけでなく、一生懸命に働いて国民に仕えるという、何か、個人から申しますと、損をする権利みたいなものがあるかと思いますけれども、その損をする権利を守るところの組合というものが維持せられなければならないのではないかと思うのでございます。  また、理事者についても同じように職を賭し、産を賭さなければいけないと思います。理事者が職を賭して放送する場合において、それを守るところの仕組みとしては、NHKについては現在経営委員会というものがございますので、この経営委員会内容をしっかりしたものにするということが大事じゃないかと思うのでございます。民間放送につきましては、職を賭するということ、経営者が職を賭するということ、産を賭するということは、ある意味においては同様な内容を持つわけでございますので、どうしたら、民間放送経営者自分の管理しておる資産の安全性をはかり、同時に自分立場をいわゆるスポンサーの命令に屈従させる必要がないかということを考えていく必要があるのではないかと思うのでございます。  その点から申しまして、現在の各都道府県別放送というものについては若干再検討していただきまして、むしろ広域放送というものを考えていただくほうがいいのではないか。民間放送が経済的に成り立っていくような地域による電波エリア周波エリアという計画を立てていくほうがいいのではないかと思うわけでございます。もし放送というものの基本をそういうところに置かなければならないとするならば、放送ができるだけ個人良心——もちろん個人良心というのは、単に自分の偏見あるいはひとりよがりの良心という意味ではなくて、国民に仕えるための良心というものをうしろに持つわけでございますけれども、その良心の発露として営まれるような放送行政機構というものが背後に要るのではないかと思うのでございます。  現在におきましては放送に関する基本的行政であるところの放送局設置免許開設免許、あるいはまた免許の更新というふうなことが、これが郵政大臣の手によって行なわれることになっておりますけれども、郵政大臣というのは何といっても政府機関でございますので、むしろ郵政大臣とは異なる独立行政委員会というものを必要とするのではないだろうか。そこでは単に電波技術の点だけではなくて、ある程度まで国民の文化的な要素教養的な要素、そして将来電波工学発達することに伴ってどういう放送ができるかというふうなことについて、相当な見識を持って判断できる人を中心とした独立行政委員会というものを組織して、そこに放送行政の主力を集中するということが大事じゃないかと思うのでございます。もちろん放送行政というのは、単にそれだけでとどまるべきではございませんでして、終局においては、国民が結局放送主体でございましょうから、国民放送主体なんでございますけれども、国民の数があまりにも多いわけでございますから、個々の放送内容について発言する道は逆に非常に狭うございますので、その意味におきまして国民を代表する立場としての、たとえば国会というふうなものが放送についても相当強い見識を持って、高い見識を持って当たっていただくようにお願いしたいと思うのでございます。  たいへん抽象的な言い方でございましたけれども、一応の意見を述べさせていただきます。
  4. 秋田大助

    秋田小委員長 ありがとうございました。  次に吉村参考人にお願いいたします。
  5. 吉村正

    吉村参考人 私は特に放送法について研究したことはございませんし、マスコミについて持別の研究もやっておりませんが、ただ平生テレビやラジオを聴視しておるものといたしまして、また国民の一人といたしまして、平生から考えている二、三の点について意見を申し述べてみたいと思います。  ただいまの放送法昭和二十五年にできたものでございまして、当時はNHKが大体主でございまして、民放というものがまだ発達しておりませんでした、そういうときにできたものでありますから、民放に関する規定が割合に少なかった。したがいまして、その後の実情を見ておりますと、民放認可といいますかそういうことが、そのときの関係者のいろいろな意向によってきめられている部分がかなり多いのではないかと思うのであります。そういうことのために、一貫したいわば方針あるいは基準のもとに行なわれておるものでないために、今日に至って若干問題を生じておるように思うのでありまして、この機会において根本的に放送法について考え直してみるということは非常にけっこうなことではないかと思うのであります。  放送はもちろんマスコミ一つでございますが、しかしながら、新聞雑誌などのような印刷によるマスコミとかなり違っておる点があると思うのであります。  まず第一には、放送仕事をしながら見たり聞いたりすることができるわけでございますから、非常に多数のものが聴視するということでござまいす。それからまた、目で印刷物から受けるとは違いまして、非常に強い印象を受けるということ、それからもう一つは、申し上げるまでもないことでありますが、電波は、ただいまもお話しありましたように有限的なものでございまして、したがって新聞雑誌のように、金さえあればだれでも出せるというものではないわけでございまして、その点におきましていわば一種の独占的なものでございます。しかも、こういうわけでありますから社会に及ぼす影響というのは非常に大きいと思うのであります。したがって、放送は健全な国民生活発達に至大な関係を持っておりますので、その点におきまして、公共性といいますかそういうものを、新聞雑誌などの印刷による媒体とは違った意味において非常に強く感ぜられるわけであります。ところが、事実はどうかというと、私ども見たり聞いたりしておりまして、必ずしも現実はそうではないような、公共性が十分に守られていると言えないような気がいたすのであります。と申しますることは、よく国民要望というようなことを言われますけれども、しかしながら、ただある一定の時期において国民要望するところのものを満足させれば、すべてこの公共性が満たされるものではないと思うのです。やはり遠い将来を見まして、国民生活の健全なる発達に資するかどうか。もちろんそのときの国民のいろいろな要望を満たすということも必要でありますが、両面を考えていかなければならぬのでありまして、ただ、そのときの国民要望を満たすだけということになりますと、結局われわれが、卑近な話でありますが、食いたいものを食っている、そして結局は健康を害してためにならぬということになりますので、食いたいものを食わないようにしなければならぬ場合もあるわけです。そういう面の配慮放送の場合には特に必要なように思うのでございます。ところが、私の感ずる限りにおきましては、どうも民放の場合に多いと思うのでありますが、歌であるとか、ドラマであるとか、スポーツとかいうものが非常に多いのでありまして、こういうものは大衆が要求するところのものではありましょうが、しかしながら、どうもその比率からいきまして多過ぎる。もっと国民生活の健全なる発達をはかるためには、社会的な事柄に対する知識の提供といいますか、そういうことが必要なように思うのであります。そういう面が非常に欠けているのではないか。NHKの場合にはそれが行なわれておりますが、民放の場合におきましては、あるのもありますが、ほとんどないのもある。これは初めから娯楽本位としてやることになっておるのかもしれませんけれども、どうもその比率があまりに妥当でないようにわれわれは思うのであります。何でも大衆の要求するものを与えさえすれば民主的だというような考え方は私は非常に間違いだと思う。やはり、知らず知らずの間に大衆がむしばまれていくようなことがないように十分な配慮をしていく必要があると思うのであります。  わが国のいまの状態というものは、表面的にはなるほど経済的に戦後発展を遂げて社会が順調に進んでおるようでありますが、しかしながら、また実質的によく考えてみますと、いろいろ心配になる問題があるのじゃないかと思うのです。非行少年の問題であるとか、犯罪凶悪化していくとが非常に多くなりか、暴力の問題であるとか、いろいろなことがございまして、これらについて将来をおもんぱかって、大衆に非常に大きな影響力を及ぼすところの放送をやる場合に、十分な配慮が必要である。いわば非常に広い意味社会教育あるいは政治教育をやらなければならぬのではないかというふうに思うのであります。ことに私ども痛感いたしますのは、選挙のことでございますが、皆さんももうすでにお感じになっていることでございましょうが、選挙がどうも非常に悪くなってきつつございます。これは選挙が始まりますと公明選挙ということを大いに力説するのでありますが、それだけではなかなかよくならない。どうしても平生からこういう機関を通じて国民の間に政治社会に関する中正妥当な知識を普及徹底せしめていくようにしていかなければならぬのではないかと思うのであります。そしてこの選挙がこういうふうに悪くなっていく現状というものは、将来のことを考えてみますと、これはたいへんなことになる心配があると思うのでございまして、その面に関しまして、いま国民財産だというお話でもございましたが、財産であるところの放送というものは、もっと徹底したやり方をすべきであるように思うのであります。  しかし、実際において、これは私のしろうと考えでございまして、どうも実際おやりになっている方からごらんになりますと机上の空論かもしれませんが、しかし、われわれ聴視者から見ておりますと、ある放送局には教育を主としてやれ。ある放送局には娯楽をやれというようになっておるように聞いておるのでございまするが、これでは教育というものはだんだん減って、教育の面は衰えて、そうして娯楽のほうがだんだん多くなっていくということは、これは商業放送上やむを得ないことだと思います。だれがやったってそうなる。ですから、こういうやり方自体が私は間違いでないかと思うのであります。どの局に対しても一定の時間には教育的なこと、あるいは教養的なことをやるようにする。もちろん全部じゃありませんが、そうしてその内容について干渉を加えるという意味ではございませんが、しかしながら、ただ歌やあるいはドラマスポーツだけでは足りないのであって、どうしても広い意味社会教育的な、あるいは政治教育的なことを一斉に始めなければならぬ。そうしないと、結局ある局が教育をやり、ある局は娯楽をやるということになると、民衆はだれでも低きにつく、人間はだれでもそういう要素を持っておりますから、娯楽番組を聞いて教育のほうは聞かない。商業放送を聞かぬということになると、視聴率は落ちてスポンサーはつかないということになると、商業放送は成り立っていかぬということになることは、これは当然だと思うのです。だから何とかして、私の考えでは、各放送局に向かって一斉に一定の瞬間は、社会の永久的な、あるいは国民生活の健全なる発展のためになるような、そういう教育あるいは教養番組をやるようにしてもらえないものであるか、このように考えるわけであります。  そういう意味におきましては、認可をするときにいろいろそういう配慮をしなければならぬように思うのであります。ただ、電波の配給というのは、技術的な点からのみ割り当てをなさっておるのじゃないと思いますけれども、もっとその放送社会的、文化的機能というものを深く考え割り当てをし、また、そういうような条件をつけなければならないのではないか。つけることが必要ではないかと思うのであります。ただ、そういう場合に、あくまで放送政治的中立性というものを確保することはぜひ必要だと思うのであります。したがって、その面についての十分なる制度的配慮が必要だと思うのであります。ただいまもお話しございましたが、その点におきましては行政委員会というようなものを設けてこれをやる。もちろんその委員の人選につきましては十分なる配慮が必要だと思いますが、そうしませんと失敗を招くおそれもございまするが、そういう方法が必要なように思うのであります。私は、これは少し乱暴な話かもしれませんが、理想から言うならば、一ぺん民放は御破算にしてしまって、そしてそういう意味においてやり直したらどうかという気が実はいたしておるのであります。どうしてもいまのように過当競争をやらせますれば、結局低俗になるということが必然的な現象だというふうに考えるのであります。  それからもう一つ。これもはたして放送法に関連があるかどうか知りませんが、歌が非常にはやってまいりまして、それもけっこうでございまするが、しかし、若い女の子で少し歌が歌えるというので、べらぼうに高い謝礼をもらえるというようなことをよく聞くのでありますが、ほんとうかうそか私詳しく知りませんが、こういうことは社会に対して必ずしもいい影響を及ぼさぬと思うのであります。ちょっと声がよくて歌がうまいからといって、それで日本全体の国民経済の水準から見て不当なるもの——ある程度のでこぼこは、もちろん社会ですからしかたありませんが、やたらに不当な利益を得るということになりますと、青少年の健全なる生活の上に非常に悪い響影を及ぼす。ほんとうに汗とどろになって働くという意欲が薄れてくる。ばかばかしくなってくる。働くものがばかを見るというような感じを起こさせてはならないわけでありまして、こういう方面については、何とか協定をされて抑えることができないものであろうかというふうに私は思うのであります。何も人さまがたくさん報酬をいただくからといって差しつかえないようでありますが、事は青年の健全なる生活の上に、私の見るところではいい影響を決して及ぼさぬ、このように思うのであります。  なお、こまかい技術的な問題について、今日NHK民放との関係であるとか、あるいは受信料の問題であるとか、いろいろなことが問題になっておるようでございますが、受信料について何かNHKでとられたものを民放のほうに回したらどうかというようなお話があるように聞いておりますが、私は、これはどういう意味かはっきりわかりません。一方は商業広告放送をやらないわけでございますから、われわれから受信料を払っておるわけです。それが多過ぎるというならば低くするほうが普通でございまして、片方は商業放送でございまして、広告を織りまぜて利潤追求のためにおやりになっておるのでありますから、それにわれわれ国民としてまた金を出すと二重に出すように思われる。われわれが商業放送を聞いておる場合におきましては、それは広告料で成り立っておる。その広告料は結局消費者のわれわれに転嫁してくるわけでありますから、すでに払っておるんだというふうに理解をしておるのでありまして、どうもその点は私にはよくわかりません。ただNHKなど、公共放送といいますか、そういうものでおやりになりました調査の結果であるとか、技術の開発であるとかいうようなものを公開して、それを民間放送についても広く使用できるようにしなさいというようなことはけっこうなことで、放送発達のために望ましいことだと考える次第でございます。  なお、私きわめて抽象的なことでございましたが、こまかい点については、あとで御質問等いただけば、私なりの考えを申し述べたいと考えます。  以上で終わります。
  6. 秋田大助

    秋田小委員長 ありがとうございました。  次に浦松参考人
  7. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 私が三番目に立ちましたのは、寄席かなんかですと、これは真打ちといって、一番あとから出るのが一番えらいのですが、さっぱり真打ちでございませんで、戒能さんや吉村さんのお話を承りながら何か考えが思い浮かびましたら皆さんに申し上げたい。実は私は放送法というものも存じませんし、電波監理審議会ですか、そういう審議会のことも存じませんし、ただ、NHKにお金を払ってテレビやラジオをけっこう楽しみ、利用している一人の視聴者として何か意見を述べろということでございますが、先ほどから戒能さん、吉村さんからテレビ、ラジオの行政のこと、番組のこと、しまいにはテレビに出演する流行歌手の報酬がたいへん高いこととか、広範にわたっていろいろお話を承っておりましたが、放送法というのは流行歌手の報酬まで規定するのかと思って感心して伺っていた次第なんでございます。  それならば私なんかたまさか放送局に出ますときに、私のような人間は逆に上げるようにひとつきめていただきたいと思ったくらいです。まさかそういうことは放送法でおきめになるとは思いませんが、お話の中で、NHKに視聴料をわれわれは払っておりますが、その問題について吉村さんもお触れになったようでありますけれども、私はこの問題が一番重要な問題だと思う。と申しますのは、放送法立場からは存じません。しかし私のような視聴者の立場からは重大な問題です。私は月に払っております金が別段高いと思ったことはございません。この一、二年ほどの間、新聞などの投書欄その他に盛んにNHKに払っている視聴料についていろいろ議論が出ております。最近は民間放送のほうからも、NHKに払っております視聴料、つまり膨大な視聴者が出てきてNHKの収入が大きくなったために、民間放送からああいう議論が出てきたと思うのでありますが、また一般の人たちの間では、自分NHK放送は全然聞いていないのだ、民間放送だけ聞いているのだからただでいいじゃないかと言って、NHKから金を取りにくる集金人に金を払うのをお断わりになる方がある。こういう問題は社会問題でありますが出ておりますので、私のような人間としてはたいへん興味ある問題なので、その問題について私はずいぶん考えました。  なぜ私たちはNHKに毎月金を払わなければならないのか、この理由なんでございます。理由のないものに金を払うということは市民としてあり得ないことであり、私自身も一人の市民として、その理由がないなら断わるのが当然であるし、それを払うべき理由があれば払わなければならない。これは何も放送法の特別な専門家でなくても、一人の市民として考えるのは、今日の民主主義の中で当然なことだと私は考えた次第であります。そして自分なりの意見を持ちまして、この委員会あるいはいろいろのところから出てきております意見新聞政治面にも出ておりますが、それを読んでおりましてもさっぱり納得がいかないのであります。  なぜ私がNHKに毎月きまった金を払わなければならないかという、自分で納得させて払っている理由をここで皆さん方の前に申し上げて、皆さん方の御参考になればと思うのであります。と申しますのは、大体視聴者がNHKに金を払っておると考えるのは間違いであると思います。NHKに払っておると考えるから、あれは放送の対価である、あるいは放送してもらったからあれは金で買っているのだ、NHKなる組合みたいなものでそれに加盟しておるからそれで払っておるのだ、法律の専門家はずいぶん頭脳の構造が特別だと思うのでありますが、そういういろいろなことを言っておるのであります。じゃ一体電波とは何だ。電波というのは空中で無限に何かぱっぱっと出るのだというのが、昔、日本放送協会が大正十四年にできた時分の考え方だったと思うのでありますが、そうじゃない。今日になってみて一番よくわかることは、東京の空に幾ら電波を流したって全部テレビが視聴できるというわけではございません。テレビが視聴できるチャンネルはきまっていて、これ以上は視聴できないとはっきりときまっておるのです。一体、空中は、空のごとしといって、あんなものは何でもないと思ったが、今日では空中でも一つの面積がある。そうして利用できる面積は限られておって、国有地と同じだ。地面だから国有地だが、空に国有地がないことはない。電波の通る道は国有地だ。これ以外のところは通らない。やってみてもテレビ放送はできない。そうすればたいへんなもので、国有地だ、その国有地は国民が所有しておるもので、その国民が所有しておる国有地を使ってテレビ、ラジオの電波を出しておる。視聴者のわれわれはテレビの機械を買い、ラジオの機械を買うことによって、その国有地を利用する体制を持つのであります。だからわれわれもその国有地に立ち入って利用することができることになっておるわけでありますから、利用する以上は入場料を払うのはあたりまえだ。われわれが自動車を買ってごらんなさい。自動車を運転する者がないから車庫に入れたといっても自動車に対する税金は払わなければならぬが、運転できる態勢にはあるわけだ。われわれがテレビ、ラジオのセットを買えば電波という国有地を利用しておるわけだ。国民財産を利用するわけだ。放送するほうも同じようにこれを利用するわけだ。だからほんとうを言ったら、放送は国有地帯である幾つかのチャンネルを利用して放送する。これは一つの独占権を与えられるわけだから地代を払うのはあたりまえで、地代を払うべきだと思います。われわれもまたそういう国民の有しておる国有地である電波帯によってテレビのセットで積極的に聞くのであって、電波が出る国有地によって聞くという権利を持つのでありますから、三百円何がしかの金を払うのは当然だと思うんです。それでそういう国民が聞く体制を持っておるにもかかわらず電波が流れなければ聞くほうとしては困るから、日本放送協会というのに電波を流せということでやらせておるわけだ。だからそのためにみんなから集めた金をNHKに渡しておる。NHKはわれわれのためにサービスして電波を流すのだという考え方で考えないと、いつまでたっても、毎月われわれは何でNHKに金を払うのかわからぬということになると思う。NHKはそういう形で出てきたものだ。  そのほかに電波には帯というものがある。細長いのか、どういうものか、私は存じませんが、そういう国有地があって、NHKが使っておるが、草がぼうぼうはえるから民間放送にもやらせるということで、草ぼうぼうの国有地を荒野原にしても利用できる土地ではないので、その国有地を民間に貸したわけでありますから地代を払ってしかるべきだが、地代は要らないと国が言っておるらしいのであります。そうすればこれに対して国の干渉はあってしかるべきものだ。われわれは株式会社をつくって金もうけをするが、もうけるためにつくった以上は、幾ら金もうけしてもかまわぬ。しかし今日の世の中で金もうけをすることは危険なこともありますから、もうからなくてつぶれる会社が出てもいいし、十割配当なんていう会社が出てきてもいい。しかしこれをだれがもうけさせておるか、われわれ視聴者には何ら関係がない。国有地の中に電波帯とかいろいろなものをおつくりになって、メリーゴーランドとからオーターシユートとか、いろいろなものがある。それをわれわれが利用して金を払う。片方の民間放送は、金の入る道がないのでスポンサーをとってこれによって金をもうけていらっしゃる。そういうたてまえで民間放送独立自営、これでけっこうだろうと思う。そのかわりにNHKには国でやるべき放送をやっていただく。言論の自由というたてまえで、国営でなくNHKという形をとって、政治の介入を受けないという形をとってやるのは当然だと思う。だから視聴料はわれわれが電波帯という国有地の中に立ち入るための金だというふうに解釈してもよろしい。電波帯に立ち入っておるのだ。テレビ放送のセットを買ったので立ち入っておるのだという気持ちで喜んで地代を払っておる。民間放送も国有地を利用して、つまり電波を利用して金もうけをしておるのだから地代を払うのはいいだろうと思う。払わない以上は、何かがそこになければならぬというような考え方でないと、なかなか片づかないのではないか。  それで私は思うんですが、電波割り当てというと、いままでは何か無線局をつくるために電波割り当てる。漁船が沖に出て、こっちの港で、焼津なら焼津の港か何かでいろいろなことを打ち合わせる電波割り当てと同じような感じ割り当てられていたようですが、放送電波は全然普通の電波とは違う。これはたいへんな違いだ。お互いにそういう考え方にならないと、この電波割り当てはむずかしい問題になるだろう。そういう国有地の割り当てと同じような割り当てとなったら、大蔵省でたいへんな問題になるだろうし、国会の問題にもなるだろうと思います。そういうようなお考え割り当てられていただきたい。そして割り当てられた人が、もし地代をお払いにならないなら、その責任をもって、たとえ民間であろうと、株式会社であろうと、国民財産なんですから、地代を払わないで使えるという責任は私は大きかろう、こう思っております。  だから、割り当てのことをきめるのと、番組の低俗さについて先ほどから吉村さんからいろいろと詳しいお話がございましたが、番組の問題というのはまた別なんで、事業経営で国有地を借りるときはたいへん品行方正で資産状態がよくて、これなら資格があるといって割り当り当てられても、事業を経営していく間にどういうことが起こるかわからないから、これを取り締まる法律というものは同じ法律ではいけないのであって、これは別途の法律、戒能さんのおっしゃるごとく、行政的な組織があって、それで事業の運営を監視するなり何かそれは別途のものでなければならぬ、こういうふうに私は思います。  それからもう一つ放送というものは不特定多数のものに流していると言っておりますが、それは非常に幼稚な考えで、何か電波は空の中にまき散らしているために不特定多数だとおっしゃられておりますが、NHKは特定の人に放送を流しているのだ、今日テレビに金を払っているこの千数百万という国民にかわって、特定の人にかわってNHKがサービスしているので、これは特定なんです。特定の千何百万に金をもらって放送を流している以上、不特定多数なんて言っているのは、視聴率なんて変なことを言っておりますから、あれにたぶらかされているから不特定多数なんて言うのです。NHKは不特定多数ではない。千何百万という金を払っている人たちの意向を代表して、その意向に沿うべく番組放送している。これがNHKのたてまえです。雑草がはえていたNHKが使わなかった地帯で民間放送が金もうけのために電波をお使いになった。これこそ不特定多数、これは化粧品と同じで、だれが買ってくれるかわからないですから、これは不特定多数なんです。それを視聴率を調べて、その視聴率が高いか低いかということによってスポンサーからお金をとる、値段をおきめになる。これは商売ですから、その視聴率が信用できるかできないかということは、言うほうがやぼであって、ああいう統計の数字は私は一番信用しない。統計の数字を信用している人は、一番ばかなんだということを私はしょっちゅう言うのでありまして、統計の数字は信用しない。だから統計を信用して商売なさるのはかまわない、それはけっこうだと思います。それはそれで方便ですから、それで経営なさるのはけっこうでありますが、しかし片方は特定多数である。特定多数である以上は、公共事業であるNHKが公共的な放送をしなければならないのは、これは当然のことでありますから、だから不特定多数を相手にしている民間放送というものとNHKを同じ放送法考えようということには私は無理があるのじゃないか。ここらもよくお考えにならないとむずかしい。つまり、何か電波を流すという、物理的な電波というものでものを考えれば、民放NHKも、空中というものは無限に広がっているのだからといってやっていれば同じようでありますが、そうでなくて、これには限りがある。そういう国有地と同じものでこれを利用させるということになってくると、これはいろいろな問題がありますから、そういう意味で特定な視聴者を相手にするNHKと、そうでない不特定多数を相手にする民間放送と、そして国有地とひとしいところの電波帯を独占させて利用させる、こういう点についていろいろお考えになって法律をおつくりいただかないと、また将来大きな問題が起こる。  それから先ほど戒能さんが、将来の電波のことも考えてとおっしゃいましたが、これは戒能さんも遠い将来のことでなくて近い将来のことを予想されて、FMとかUHFとか、そういう近い将来のことを考えておっしゃったのだとすれば、私は賛成でございますが、遠い将来のことを考えたのであれば、今日科学技術の進歩はどこまでいくかわからないから、そんな法律はできようがない。やはり近い将来のことを目当てにしたその程度で法律をお考えいただきたい、こういうふうに思います。  たいへん蕪雑でございますが、しろうとの意見としてこれだけのことを申し上げておきます。
  8. 秋田大助

    秋田小委員長 ただいま戸塚参考人がお見えになりましたので、御意見を聴取することといたします。  それでは戸塚参考人にお願いいたします。
  9. 戸塚文子

    戸塚参考人 時間もたくさんいただけないと思いますから、二つだけ申し上げたいと思います。  その一つは、これはだれでもわかっていることでございますけれども、表現の自由、言論の自由というものをどこまでも確保できるように、このたてまえを動かさないでもらいたい。それから国家権力が放送番組とか放送内容の中に立ち入らないように、これを防ぐことも力強くやっておいてほしい。番組が低劣化してくるから、それを御心配なさって法律上何とかしようというお考えをお持ちにならないで、いろいろとテレビ番組の低俗化とか、それが青少年に与える影響、非行化にも影響があるとかいう声が新聞雑誌、それから人々の話題の中に出ますと、つい法律をつくる人たち心配になりまして、これは法律で何とかしなければいかぬとお考えになるかもしれませんが、そういう声が出るということは視聴者の間の反省でありまして、その反省の声によってよくなっていくのですから、法律が御心配になる必要はない、こう思うのであります。  それから第二の点でございますが、われわれは、放送免許というかこの許可が一官庁、あるいは大臣の自由と申しますか、その見解によってきめられるようなことのないように、むしろ第三者的な全く公正な立場に立つ人たち委員会を構成しまして、その委員会の合議制によってきめられたものを衆参両院が最終的に決定をする、というような形にすることが望ましいと思うのであります。  簡単でございますが、私は一番大きな問題点としてこの二つを取り上げて、自分意見として申し上げておきます。
  10. 秋田大助

    秋田小委員長 ありがとうございました。     —————————————
  11. 秋田大助

    秋田小委員長 これより質疑を行ないますが、吉村参考人は十一時三十分ごろ、ほかの参考人は十二時ごろまでには退席の予定ですので、その点御配慮の上質疑をお願いいたします。  それでは大柴滋夫君にお願いいたします。
  12. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 先にお述べになった三人の方にちょっとお尋ねをいたしますが、私は、いま日本人の楽しみの中にテレビというものの占めるウエートが非常に大きいだろうと思うのです。ところが、御存じのとおり、テレビが東京では六局も七局も見えるだろうと思います。しかも鹿児島県の山の中とか、岩手県の山の中というようなところでは、三局ぐらいだろうと思います。そうすると、同じ理屈はあるにしても、NHKの料金をどういう形ででか払うにしても、あるいは同じ歯みがき粉を買うにしても、大体同じようなテレビ料金なりいろいろな物というものを買わされているわけですが、岩手県の山の中とか、鹿児島県の山の中の人の楽しみの量というものはたいへん少ないわけであります。言うなれば、日本人としてたいへん不公平というか、あるいは東京とか大阪の人はたいへん楽しみの量が多いけれども、一方のほうではたいへん不幸である、こういうようなこともあるわけなんでありますが、一体、こういうことを将来政治というものが考えなければならない問題だろうと思いますけれども、現在の段階においてお三人の先生はそういうことをどういうように考えておるか、あるいはまた、そういうことをそれぞれ本日来られたような一つ立場からどういうようにしていったらいいと思っておるか、こんなようなことについて戒能さん、吉村さん、あるいは浦松さんから御説明をいただきたい。
  13. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 いまの御意見を伺っておりまして、これは何もテレビ、ラジオに関することだけではなくて、道路の問題でも、交通の問題でも、住宅の問題でも、あらゆる問題について言えることであって、テレビ、ラジオだけ全国津々浦々で民間放送全部を見られるようにしろということは、私は全然考えの及ばないことで、もし政治がそれをするということが政治の理想であるならば、私は賛成ですが、もう東京と同じように水道もあれば何もかもある、東京と同じ設備が全国津々浦々至るところにできるようにする、これは政治の願いであるし、そうあるべきだと思いますが、近い将来にそれをするとか、そう言っても私はそれは無理なことで、東京の中をとりましても、住宅の問題一つ取り上げてみたって、とてもとてもたいへんな問題なので、私はとうていこれはかなうべき問題でないと思いますが、先ほど私が申しましたこととかね合いがあると思いますので、私が一番先に手をあげた次第でありますが、商業放送というのは金もうけのためにやっておる放送なんでありますから、広告放送することによって金もうけをするのですから、広告効果の一番大きいところに集中してくる。東京で一番チャンネルの数が多いということは当然なんでありますが、そうでない津々浦々が問題になれば、これはNHK——つまりNHKが問題なんでありまして、NHK放送は視聴料を払っておる人、テレビのセットを買った人があるところへは最もよく放送が見えるように、あるいは聞こえるように設備をするのは当然でありまして、これを私はNHKがやっているのだろうと思うのでありますが、もしやっていないのでしたら、これこそこの委員会で十分NHKを糾弾していただいてしかるべきなんで、これを民間放送にまで押し及ぼして、民間放送がなぜ津々浦々やらないのかと言われるのはおかしな問題であって、新聞広告数をごらんになったって、東京の新聞に出てくる広告と地方の新聞に出てくる広告の数は別なんであります。これはみんな事業をしている人は、消費都市、消費者の一番多いところに金を使うので、そういう常識で私は判断する。そうでなくて、国民全体が福祉ということにおいて均等の、つまり平等にして均等のことを享受できるようにしなければならないという理想からお説きならば、これは確かにそうでありまして、そういうふうにして早く日本じゅうにそういうようになるような政治をぜひ皆さま方に御努力になってやっていただきたい。これは、私は国民の一人として、私が質問を受けるよりも、逆に皆さま方にお願い申し上げたい次第だと思います。
  14. 戒能通孝

    戒能参考人 確かに浦松先生のおっしゃったとおりでございまして、もし商業放送立場をとりますと、どうしても採算上放送できるところと放送できないところが出てくるのは必然的なものじゃないかと思うのでございます。しかし、ある程度まで採算を有利にするという道は考慮の余地があるのであろうと思うのでございます。つまり、現在の立場では一県一局主義という立場を大体とっているようでございまして、商業放送については一県について一局という立場が原則としてとられているようでございます。ところが、一県一局という立場をとってまいりますと、商業的に成り立つところと商業的に成り立たないところと二つ出てくると思うのでございます。それならば、ある程度までのネットワークを認めまして、それによりまして広域放送という形態をとっていくほうが、あるいはいいのかもしれないと思うのでございます。これは技術問題でございますから私にはよくわかりませんけれども、おそらく相当大きな消費都市が入るようなところでございましたら、そこで若干の収益をあげながら、収益の少ない府県にも放送を流していくという道がつくられてくるのじゃないかと思うのでございます。  しかし、ここでちょっと私、放送法改正に関しましてNHKとそれから日本民間放送連盟の出しました放送法改正に関する意見を読みましたけれども、双方とも若干ことばが悪かったせいでございますか、両方感情的になっている印象を受けたわけでございます。NHKでは基幹放送ということばを使っている。基幹放送というのは、おそらくいま大柴議員のおっしゃったような要望をできるだけ満足するというあの放送という意味で使っておられたのじゃないかと思うのでございますが、基幹ということばがあったものでございますから、したがって、民間放送のほうは、冗談じゃない、基幹放送をやっているのはうちもやっている、何もNHKだけの話じゃないという御意見が出ていたようでございます。確かにそうなんでございまして、民間放送の方が基幹放送ではないと言われて立腹されたのは無理がないという印象を受けないわけじゃございません。そして、そう主張されている方は東京放送の今道副社長とか東京放送の方が多かったようでございますけれども、東京放送の例をとってみますと、東京放送自身の放送内容というものはNHKに比べて基幹的でないということは言えないので、いい放送をしていらっしゃると言ってもいいと思うのでございます。しかし、それならば、すべての民間放送自分で独自の立場番組を編集し、自分で独自の立場で基幹放送になるべきものを行なっておるかと言えば、それはいささか無理でございまして、他の放送局がつくっておるものを借り受けて放送しておるという場合のほうが多いようでございますから、自分で全部基幹放送をやっておるのだということもまた困難ではなかろうかと思うのでございます。しかし、娯楽にしても、教養にしても、全国的にできるだけ行き渡るということは望ましいことでございますからして、その望ましい道を、電波技術という立場から、また経済的に成り立つ方法というものをお考えいただくことが望ましいのではないか。それにつきましては、おそらく、昭和二十五年に最初の民間放送ができる当時において、一県一局主義という立場をとったことが、もう一度再検討さるべきではないだろうか。もう少し広域放送というような立場考えていったほうがよいのではないかと思いますけれども、その結果がどうなるか、私にはまだ経済的な見通しをつける道がございませんので、何とも申し上げることができないわけでございます。
  15. 吉村正

    吉村参考人 お二人のおっしゃったことと大体私は同じでございまして、別に、特別に意見はございません。理想としましては、いま大柴議員のおっしゃったように、ひとり放送のみならず、文化が都会に集中、へんぱに集まらないで、全国的に均等に行き渡るということが、これは理想として望ましいのでございますが、いろいろな面においてなかなかうまくいかない。技術面については私わかりません。経済的な面につきましては、いま戒能さんからもお話がありましたが、そのほかにやはり商業放送は経済が合えば発展するわけでございまして、それで経済的に成り立つか成り立たぬかという問題で、もうかるところには、山の中でもどこでも押しかけていく。もうからなければ、幾ら都会でもやらないということになるだろうと思うのでございます。だんだん都会が一ぱいになると、やはり地方を開発していくというような傾向に向かうのではないかと思いますが、私は、経済のことはさっぱりわかりませんが、しかし、そのためには、やはり大きな財力が必要だということになるのではないかと思うのです。何か、非常にたくさんに民放が分かれておるということが、そういう意味においては非常に不便なんじゃないか。もう少し合併して大きなものができれば、民放も大きな力を持ち、またそういう方面にも伸びていくことができるのではないかという気がいたしておるのですが、私経済のことはさっぱりわかりませんので、全くのしろうと考えでございます。
  16. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 いまNHK民間放送との話がそれぞれ出ましたけれども、主として放送番組を中心にして、NHKはこうあるべきだ、民間放送はこうあるべきだというような何か御意見がございますか。御存じのとおり、NHKのほうとしては、NHKは基幹放送なんだ、おれのところで全部おもなものはやって、プラスアルファが商業放送というか、民間放送なんだという考え方、先ほど戒能さんのおっしゃったような、民間放送のほうからいけば、全く対等の立場であるというような考え方で、当委員会でも、それぞれ部分部分の主張をいままで聞いてきたのでありますが、何か、番組放送ということを中心にNHKはこうあるべきだ、民間放送はこうあるべきだというような御意見がございましたら……。
  17. 戒能通孝

    戒能参考人 私としては特に番組というもので縛ることはよくないと思うのでございます。ただ経済的に、NHK放送法規定するような放送をしなければなりませんし、またするだけの経費を持っているわけでございますから、番組についてもそれにふさわしい放送ができるようなたてまえになっておると思うのでございます。しかし民間放送という立場になりますと、一応収入が広告主という形できまってきますので、これこれのものはしなければならない、NHK並みのものは全部しなければならないというように規定されてしまいますと、実際上成り立っていかないのではないか。成り立っていかなくたって少しも妨げないわけでございますけれども、しかし、一応でき上がった放送というものが、何を放送しておるかということは、その放送局の財力との関係がございますので、教育放送番組を必ず組まなければならないというふうに特に組むことの列挙ということは、必要でないのではないかと思うのでございます。NHKが基幹放送だと言い、民間放送は基幹放送でないというふうに言うことは誤りだと思うのでございます。基幹放送でない放送局があってもしかたがないというくらいに考えていいのではないかと思いますけれども、いかがでございましょうか。特に法律で番組をきめてしまいますと、その番組内容というふうなものがすでに官僚統制の中に入ってまいりますので、番組内容を法律できめるということは正しくなかろうと思うのでございます。
  18. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 いまお話、の私先ほど申し上げましたように、NHKというものは、テレビで申しますと千何百万の特定の人を満足させる番組放送しなければならないという義務を負っていると思います。民間放送は不特定多数、聞かれていないのか聞かれているのか全然わからないという立場、これは資本主義の企業の本質でございまして、そして法律で番組内容を一体どうきめるか、これはむずかしい問題で、教養といったところで、一体テレビの番組、ラジオの番組で何が教養なんだ。これは教養だと言われば、そうだというよりしようがないので、これは法律で教養が何%番組の中になくちゃいけない、何時間なくちゃいけない、娯楽はといっても、娯楽とは何だ、これもわからない。結局これを批判するものは視聴者でありまして、NHKの場合は千何百万の視聴者が憤慨すれば、これはNHKの使命をそこなったことになるのですが、不特定多数のほうは、視聴者がどれだけ聞いてくれたか、視聴率というまことにたよりのないものを相手にしてやっても、これはだめなんでありまして、結局はスポンサーであります。スポンサーがこんな番組じゃだめだと言ったときに初めてその放送局がつぶれるのでありまして、こういう内容番組にせよというスポンサーの干渉を受けざるを得ない、こういうことなんであります。だから、何%とか、あるいは何時間一日のうちに教養といったところで、法律のことばで教養といっても、娯楽といっても、その内容が何であるかということは、これは裁判所に持っていって判決してもらったって、裁判官だって、これはとてもできようはずのないことであって、結局は教養とか娯楽とかいうようなことばを法律の文面にはうたうかもしれませんが、内容においてはどうにもならない。今日、教育放送という、教育の字がついても、一体教育なのかどうかという疑問を起こせば幾らでも疑問になりますが、放送局の当事者に伺ってこれは教育だと言われれば、何だってそうなんで、逆のことを言えば、人殺ししても最後につかまるのだから教育だと言えばそういうことなんであります。だから、こういうことは水かけ論で終わることで、法律で書いて、これでできるというものではないのでありまして、放送内容というものについては、やはり法律以外のものでやらなければならないのではないかと思います。
  19. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 参考人の方にちょっとお伺いしたいのですが、きょうのお話を伺っておりますと、現在の放送の状態というか放送局についてのお話が主になっているのです。実は放送法一つ基本法なんですが、基本法としてひとつお考えおきを願いたいのです。たとえば御承知のように東京でテレビが六チャンネル、地方によっては二チャンネルあるいは四チャンネルということはありますけれども、とにかく技術的に見てテレビというものは波が東京、大阪のようなところで六チャンネルしかないのだということ。それからテレビならテレビというものが教育上どういうような力を持っているか、こういうことを考えると、最近アメリカで、御承知のように、かなりテレビの学校放送が行なわれている。テレビの性格から考えてそういうものを考えないでよろしいのかどうか。これからの新しい教育方法として、こういうテレビ技術というものを、国民のものであるテレビというものを、そういう方面にそんなふうに考えなくていいのか。国民の一般の、いまおっしゃったような特定多数もしくは不特定多数でもいいのですが、その人の娯楽だけに使っておればよろしいのか。この問題をきょう参考人の方からお話し願えないのですが、その点についての御意見はいかがでしょうか。
  20. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 ただいまの御質問は、私非常に関心を持っている問題なんでお答え申し上げたいと思って立ったのでございますが、ただいま、日本のテレビは教育放送をやっていないかのような御意見だったんじゃないか、誤解でなければ、そういう印象を受けたのですが、世界では日本教育放送というものは一番進んでいるのです。私は実にたんねんに調べているのですが、アメリカでやっているとおっしゃったのですが、アメリカの教育放送、これこそなっていないのでございまして、アメリカ人が日本に来て驚嘆しているのであります。ほんとうに小さな民間の、ほんの小さな地域的なものができて、それが幾つかあって教育放送というものをやっていますが、これは一日の放送時間も短いし、日本NHKのやっている教育放送というのはたいへんなもので、これが全国津々浦々どこでも見えるようにNHKに努力してもらうことに皆さんがハッパをかけていただきたいと思うくらいであります。  もう一つ、そのほかにも教育放送というものが日本民間にも許可され、さらに今度科学教育のテレビ局も許可されております。あの番組をごらんになっていらっしゃると思うのですが、これも教育を看板にかけて、そうしてそれを放送するという使命を持って株式会社をやっておいでになるのでありますが、これがどうかという問題ならば、われわれがここで参考の御意見を申し上げるよりも、皆さま方がごらんになれば一ぺんにどうすべきかということがすぐおわかりになるのじゃないか、こう思っております。  それからもう一つ、東京にはチャンネルが幾つもあるが、地方は少ない、こうおっしゃる。これも先ほどの御意見と同じだと思うのでありますが、NHK放送がいかない地域があって、民間だけしかない地域があるなら、これはゆゆしき大事で、これこそ私はNHKにお小言を皆さんからおっしゃっていただいて、そこにテレビが見えるようにさせなければならないと思うのですが、NHKは見えるが民間がないという問題だったら、これは民間放送局がそこへ行ってやってみたところでおそらく金がもうからない。つまり企業なんでございますから、もうからないところでは商売はしないのだと思うのでありまして、それはむしろ逆に政治の上でその地域に産業を発達させるなり、その地域の生活水準をお上げになるなり、別途に政治の面でなさって、その地域に人口がふえ、そうしてその地域の生活水準が上がり所得の水準が上がれば、当然民間放送はそこへも追っかけて、われ勝ちに許可しろ許可しろという騒ぎになると思うのでございますが、そうでなくて、何か電波監理委員会か何かが特定の地域には放送を許可しないという立場がある、民間放送でやってももうかるのだが、電波監理委員会が許可しないという問題があるなら、これは民間放送という企業の自由の原則を片方では認めながら片方ではそれを制約している。これはおかしな問題でございまして、もしその点でございましたら、これは郵政省のほうへ皆さんがお申し出になって、その企業の自由を阻害していることを取り除かれるのがいいのじゃないか、こういうふうに思うのであります。
  21. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 全く私の質問を勘違いしておられるのです。それじゃ少し詳しく申し上げますと、いまNHKでは教育テレビ局を持っております。現在全国の普及率が大体八〇%に近いものがあります。それからNHK以外の一般放送は津々浦々に八六%までいっております。そこで御承知のようにNET、いわゆる教育テレビジョン、これは当時全国の主要個所に専門教育局として民間をしてやらしめようという考えのもとにやったのですが、その後の情勢の変化で、これは考え方がいろいろありますけれども、東京だけに行なわれたわけであります。これは大阪にもできなかった。福岡にもできなかった。そこで準教育局という俗称でいま大阪放送局ではやっております。毎日放送も準教育局。それから最近御承知のように科学技術振興財団、これが科学教育を目標として第十二チャンネルが東京で認められた。そこで、私が申し上げましたのは、NHKでやっておる教育放送というものは世界に冠たるものがあります。そのために、日本教育ということをここでやったばかりでなく、日本教育放送の説明のために向こうに呼ばれて、せんだって行っておるのです。そこで私が申し上げたのは、アメリカの場合は国営事業がありませんから、アメリカでは学校放送として部分的に教育放送をやっておりました。日本ではまだ学校が教育放送をやっておる例はありません。なるほど形式論から言えば、日本は全国的にまだ津々浦々までまいりませんけれども、今後なお十年かかって九六%まで——現在の一般放送もしくは教育テレビを全国津々浦々、九六%まで上げるためには、今後なお十年間を要します。その費用が約二百億円の設備投資。もちろん収入はこれに伴ってまいりません。おそらく一割程度にすぎぬだろうと思います。そういうことなのですが、私たちは十数年来この仕事関係しておって国会として非常に心配しておるゆえんのものは、いまは科学技術振興財団が科学技術放送をやり出して発足いたしておりますが、これが小学校だけの学校放送をやるといったって十数時間を要するのであります。したがって、現在考えておるのは、小学校向け学校放送を一部分、高等学校放送を一部分、大学学校放送を一部分、こういうことをやっても、十分な教育放送ができないで、なおかつ十数時間を要する。そういうことでありまするのみならず、科学教育放送というものは、いま東京だけに認可せられておる。大阪、福岡、名古屋等、日本の工業地帯と目されるところにはその許可ができない。チャンネルがないのであります。VHFによるところのチャンネルがない。ないからそれでほうっておいてよいのかというのが私の質問。少なくとも日本のいわゆるそうした意味での科学教育を普及せしめるという前提に立って、科学教育のためにチャンネルを与えた場合は、他の方法によっても、日本のいかなる地区といっても、それはこまかいところまでいきませんでも、少なくとも五カ所六カ所というところにそういうチャンネルを割り当て一つの方針がなければならぬのじゃないか。東京だけでよろしいというものじゃない。そうなりますと、波はVHFではない。したがって、いまこの放送法でも問題になっております。UHFの電波開発ということがあるわけです。現在UHFというものはいわゆる局部的な中継のみにUHFの開発を許すということになっておる。そうなると、何のために東京だけに科学放送を認めたか、しかも一局では実際に科学教育のイロハのイしかできない。そういう点を考えると、いま未開発の中継局として利用されておりまするUHFというものを思い切って全国的に開発をしていく。そこで東京だけが科学教育が受けられる、一部の人だけが受けられる、こういう状態は、教育の不平等を来たすのじゃないか、そういう電波行政の上からみても。もちろん、技術の開発が主でありますけれども、中継局を中心としてUHFの波が利用せられておる。いま郵政省はそこまで踏み切っておりません。われわれは皆さんの御意見を聞いて、それが必要であるとなれば、当委員会としては、そういう考え方に推進をしたいと思っておりますが、その点についてのお触れがなかったのと、もう一つ戸塚さんのお話ですけれども、番組の規制は好ましくない。私も原則的に番組の規制は好ましくないのであります。けれども新聞の発行というものは、紙と印刷機があれば、現在の状態においては、あるいは右という主張する者があれば直ちに翌日にも左という主張をすることができるのであります。けれども、テレビの場合においてはそれができないのです。というのは、それは制限がある。波に制限があります。そこでもって一つ放送の限界といいますか、波はありまして本限界がありますからして、そこで言論の自由といいますけれども、新聞及び演説等においては、なるほど憲法上における言論の自由と言われます。けれども、テレビの場合に立ちますというと、これがもし悪用せられる場合は、言論の一方的放送になるわけであります。波がきめられてしまうわけですから。なるほど放送法で御承知のように、いわゆる公平の原則に従って放送しなければならぬという電波の法律上の倫理規定はあります。けれども、実際問題として、もしこれが将来先ほどお話がありましたように、あるいはネットワークが必要じゃないか、そういうお話がありましたが、このネットワークを用いるようになりますれば、たとえばこれは三チャンネルになるか四チャンネルになるか、いろいろありましょうけれども、そういうネットワークができますと、いよいよ放送による言論、テレビによる言論は、この四つなら四つの機関が実質上の問題として独占するという形態になる。直ちにテレビ局はつくることはできないのです、技術的に波がないですから。そこに新聞あるいは普通の集会における演説会とは事情が違う。もちろん自主的な規制にまつか、もしくは自主的規制でなくして、ある意味における法律による原則を与えるかという問題が残ってまいるのでありますが、ただ最近、御承知のように非行少年のことをわれわれ心配をいたしております。あるいは皆さんは、そう御心配になる必要はないと言いましょうけれども、警察等の調べによりますと、テレビ等の動機でもってそうしたものに入ったものが二〇何%、あるいは場所によっては三〇%もある、こういう状況があるので、少なくとも国民電波である、あるいは戒能さんの言わしたら国家のものである、こういうような特殊の性格を持った電波であるならば、それに一つの規制をするという強い意味じゃありませんが、その原則論というものはあってもいいのではないか。映画のごとくマスプロダクションでできるものに対しても映画の倫理規定が強硬に行なわれる。もちろん法律じゃありませんが、強く行なわれる。テレビに対しては全くこれが野放しの状態であります。こういう野放しの状態だけで、しかも視聴者の考えだけでこれを自制できるものであるか。たとえば、御承知のようにテレビの前には五歳の子供も六十歳の人もすわれるのであります。したがって、そこには制作者の方面にもむずかしい点もありましょうけれども、そういう特殊なマスコミの媒体としてのテレビに対しては、何か自主番組ということで、各テレビ局においては番組審議会というものが自主的に——われわれは法律で規制すべきであるという見解もありましたが、この前の放送法のときに、これはできるだけ自主的規制にしようということで、各放送局の中に、いわゆる番組審議会というものを設定せられましたが、皆さんの中でもそれに入っておる方があるかどうかわかりませんけれども、はたしてこれが、われわれあるいは国が、あるいは一般が要望しておるような審議状況が行なわれておるのであろうかどうか、こういう点をあわせ考えますと、これらの問題について、やはり慎重に考える必要がありはしないか、こういう点から先ほどのような御質問を申し上げたのですが、私の質問が非常に簡単であったために誤解を受けたかしれませんが、以上の点についての御見解を承りたいのであります。
  22. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 いま私また聞きそこなっておるのでございますが、学校放送のことをおっしゃいましたのは、地方の大学なり地方の学校が放送することをおっしゃったのでございますか。あるいは民間放送教育放送を地方においてすることをおっしゃったのでございますか。どちらでございますか。
  23. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 学校放送というたてまえは、いわゆる教育委員会のサゼスチョンに従って、それと緊密なる連絡をとってやるものを学校放送番組というのであります。学校がテレビ局を持って放送することを学校教育放送とはいっておりません。
  24. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そうすると民間放送という意味でおっしゃったのですか。
  25. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 いえ、それはNHKでもよろしいのです。あるいはNETなりが教育委員会と連絡をとって番組をつくる。あるいはNHK教育委員会と連絡をとって学校放送番組をつくっておる。したがって、学校放送番組教育番組とは性格的に内容が異なっております。
  26. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そうすると、ただいまおっしゃったことは、いまのNHKがやっている教育番組というものではだめだ……。
  27. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 いえ、だけで十分であろうかどうか。
  28. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そのほかに学校放送というのは、そうすると学校の教室の中に入り込んで先生のかわりに放送によって教育をしていく、こういう意味でございますか。
  29. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 たいへんこまかい点に入りましたが、そういう意味じゃなくて、先ほどちょっと申し上げましたように、一口の教育放送番組というものは、現実の問題として一局では不十分なのです。
  30. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そうすると学校放送しゃなくて、今度は教育番組になりますか。
  31. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 いや学校放送番組はあります。
  32. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 学校放送番組をいま組織的にやっておる局があるのでございますか。
  33. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 あります。
  34. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 あれば、いま教育番組だとかおっしゃったから……。
  35. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 いえ、あれの中に教育番組と学校放送番組がある。
  36. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そうすると二つ共存しておるわけですか。
  37. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 ええ、共存しておる。
  38. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そうすると、それを今度分けて学校放送……。
  39. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 一局でやる場合には十分な番組の時間がとれないのです。
  40. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そうすると、またNHKがもう一つ学校放送教育放送と二つに分ければいいわけですか。
  41. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 NHKがやるかどうかは別にして……。
  42. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 たとえば、現在すでにあるのでございますが、それを二つに分ければ御満足がいくのでございますか。
  43. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 ちょっと技術的におわかりにくいようですが……。
  44. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 まことに申しわけございません。頭が悪くて……。
  45. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 頭の問題でなくて、知識の問題ですが……。
  46. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 知識もありませんで……。
  47. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 これは小学校、中学校、高等学校、大学の教育番組をフルにこしらえようと思いますと……。
  48. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そうすると、大学教育もひとつテレビか何かでやろうという……。
  49. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 やれるものがあると思うのですがね。
  50. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そして朝から晩まで大学番組放送、高等学校番組、中学番組、小学番組、そうなるのですか。
  51. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 あなたのおっしゃることは極端だから……。
  52. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 極端ではないのです。私の言っていることは、いまの放送番組では、結局、大学、高等学校、中学校、小学校と競争すれば、また時間が足らないということになるので……。
  53. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 そういうことではないのです。小学校にしても一年生から六年生まであるでしょう。もしこれを全部やるならば、たとえば五時間なら五時間……。
  54. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 そこで私は、根本問題の御質問なんですが、一体、日本教育をラジオやテレビでやろうというのか、学校でやろうというのか、どっちか主眼かというのが一番大切な問題だと思うのです。何かいまのお話を伺っていると、学校教育ではなくて、ラジオやテレビでやっていこうというのでは、これはゆゆしき大事だと思って何っておったんです。
  55. 橋本登美三郎

    ○橋本(登)小委員 そういう学校放送番組ですね。あれはある程度テレビを通し、あるいはFMでもいいですが、そういうものでやれる面があるだろう……。
  56. 秋田大助

    秋田小委員長 ちょっと浦松参考人にお願いいたしますが、参考人から小委員に対する質疑はできないことになっております。質疑の内容をただす意味の程度でお願いいたします。
  57. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 相すみません、心得ませんので。私の考えでは、学校教育というのは、文部省のいまやっているあの方針にしたがって学校を立てていく、足らないところは先生ももっとふやしていく、そうしてやっていこう、これが日本教育の本筋であって、ただ辺地だとか、先生の足らないところとか、理科の実験ができないところとか、そういうところ、あるいは奈良とか京都とか、いろいろ歴史的な古いところもなかなか見る機会のないところ、そういうところヘテレビを通して補助していこう、こういうたてまえだろうと私は思っています。こういう考えでなくて、学校放送というものが全く大学教育まで放送でやっていくということになると、日本教育行政というものは根本的に何か非常に変わるんではないか。しかもそれをもし民間でやったら、こんなことやったって金はもうからないんじゃないか。現にラジオで文化放送というのができたときも、これはそういう教育教養番組でやるんだというのでできたのでありますが、結局これではやっていけない。宗教とかそういうことをやるんだったらできないんで、現在の文化放送、これは名前は文化とついていますが、内容娯楽なんですね。朝から晩まで娯楽です。これはあたりまえなんで、民間放送の宿命はスポンサーから金をとってやっていくんだ、そうならざるを得ないんです。公共放送、かりに学校放送をやるんなら、私は文部省がお立てになるのが一番いいんじゃないかという気がするのでございます。
  58. 秋田大助

    秋田小委員長 受田君。
  59. 受田新吉

    ○受田小委員 私、これは問題がちょっと限定されるわけですけれども、一問だけ伺っておきたいことがあります。御意見をお持ちの方だけでけっこうでございますが、いま浦松先生のおことばの中に、電波は空の国道である、国民全体のために電波を使っていくという場合に、国道通行税のようなものを考えてもいいんじゃないかというおことばがありました。いわば電波使用税、こういう考え方、これは天下の公器を独占をしているわけでございまするから、公共放送民間放送とを問わず、電波使用料というものを徴収するほうがむしろ適当であるという意味の御意見と了解してよろしゅうございますか。
  60. 浦松佐美太郎

    ○浦松参考人 私は現実に行政措置としてそういうものを取れとは申しませんが、そういう考え方ができるんじゃないか、そういう考え方が成り立てば、いろいろなことの問題が、NHKにわれわれが視聴料を払うとかいうようなことが、おのずからすなおにすらりと理屈が立って、私のような人間が納得いけるんじゃないかということであって、私は、現実にそういうものを取るべきだと申したわけではございません。
  61. 戸塚文子

    戸塚参考人 先ほどの教育放送ですか、学校放送の問題でございますが、これは、私は旅行しておりまして辺地へ行く機会が非常に多いのでございますが、辺地は学校の設備が非常に悪くて、何の教材もなしに、たった一人の先生が何人かの生徒を教育しているというような貧困なところをたくさん見ておりますので、先ほどのお話のように、テレビが小学校から大学までの教育を全部電波でやってしまうということでは先生は要らないというようなことは私は考えませんけれども、教材としてもっと活用する道が、特に設備の非常に貧弱な地域——それも暫定的です。望ましいことは、いい教材をもっと送り込んで、辺地といえどもりっぱな学校を建てることが最も望ましいのですけれども、これができない現在、設備さえすれば電波は届くのでございますから、何とかもっとよくそういうところへ教材として活用する道はないかということを日ごろよく考えさせられております。  それから、先ほどどなたかがおっしゃっていられたように、電波の届かない地域がたくさんあるというお話は、ほんとうにそのとおりでございまして、テレビの受像機があるからそこは見えるのだと思いますと、ちっとも見えないのですね。そうして、ただ受像機を持つことで満足しているというところがたくさんございます。ついきのうも私は十和田湖から帰ってきたばかりでございますが、十和田湖畔の旅館においてさえも、各部屋にテレビの受像機がありますけれども、実は全然見えないというのです。全然見えないけれども、置いておかないと二千五百円の宿泊料が取れないからということで受像機を置いているという現実で、受像機があればすべて見えるのだと考えること、そこに落とし穴があるような気がいたします。それは私の特殊な立場から体験しておりますので御報告いたしたい。  もう一つは、いまお話のありました番組及び放送内容を法律で幾らか規制したほうがいいじゃないかというお話は、私はやはりこれは法律が入ってきてもらいたくない。それよりは、ちょうど映倫のような、放倫と申しますか——レコードにはレコード倫というか、レコード製作基準管理委員会もあります。映画には映倫がございます。それと同じように、放倫の審議委員のようなもので、内容自分たちでお互いに牽制しながらチェックし、世倫を聞いて、悪いものを排除し、よくしていくということを、これは聴視者も含めて、放送に携わる人たちの間で、あくまで自主的にこれをやるように、そういうふうに考えて、教育面で、あるいは社会教育面で皆さまがお力を貸してくださることはたいへんありがたいのですけれども、法文がそこへ入らないようにということはなお一そう強く申し上げたい。
  62. 吉村正

    吉村参考人 先ほど橋本議員からお話がありました点について、私の気がついたことを申し上げておきます。  小学校、高等学校までのことは私は存じませんが、大学教育につきましては、現在通信教育をやっております。通信教育で学士位を出すためにやっておりますが、その補助としてラジオを使う、そういうことは将来ぜひやることが望ましいのじゃないかと思います。スクーリングというものがありまして、一年に幾日ですか、一カ月ぐらいある場所に集めまして教育をやっているのですが、それをやらなければ卒業はできない。けれども、働いている人々でありますので、来ることもなかなかたいへんであります。読むということは非常にむずかしい問題でありますが、耳で聞くということは非常に楽であります。私は独学をやった経験を持っている者です。したがって通信教育ができるときも私は委員会で文部省に申し上げたことがあるのでありますが、ぜひ将来ラジオ、あるいはできればテレビもと思うのでありますが——テレビはなかなかそこまでいかぬと思うのでありますけれども、ラジオは、そういう意味におきまして、通信教育の補助機関としてやることをぜひ考慮していただきたいというふうに考えております。  それから科学教育について、最近十二チャンネルができました。ああいうものを将来大阪や各地方にも置いたらどうか、まことにけっこうだと思いますが、ただ私の心配しておりますのは、いまは科学教育ということになっていますが、どうもいろいろ見ていますと、だんだん娯楽が多くなっていく、どうしても視聴率が悪いということで、初めの出発の意図とはだんだん違った方向に進む可能性が非常に強いと思います。何かそれをチェックする方法を講じないと、せっかくそういうふうな目的を持っておやりになったものが、結局は普通と変わらない娯楽番組になってしまって、そして科学技術という面はやっても非常に薄らいでしまう、形式化してしまうおそれが多分にある、こういうふうに思います。
  63. 戒能通孝

    戒能参考人 先ほど、電波国民財産だということ、それから税金というふうな問題がございましたけれども、別に国民財産だから税金を取らなくちゃならぬとは思いません。しかし国民財産を管理する電波管理者、つまりNHKの当事者並びに民間放送経営者というのは、その国民財産であるところの電波国民のために使わなくちゃいけない。そのためには、場合によれば資産を投げ出してもいい、つぶれてもいいという覚悟をしてもらわなければなりませんし、首をかけてもやらなければならない場合もあろうと思うのであります。したがって、科学教育という立場放送を申請され、それに基づいて放送免許されている場合におきましては、それはやはり貫いていただかなくちゃならぬ。場合によれば破産してもかまわぬという立場でそれを貫いていかなければいけないのだろうと思うのであります。もちろんそういうことを一企業に対して常に要求するということは困難でございますので、もし科学教育というものをテレビでもってやらなくちゃいけないとすると、いまのテレビではおそらく科学教育というものはやりにくいと思いますし、あの程度の小さなものに写る科学教育の範囲というものは非常に少のうございまして、取り扱いにくいと思いますけれども、もう少し技術的な改善を加えて、科学教育ができるというものでございましたら、UHFの周波というものは、これは企業に割り当てるほうがいいのか、NHKみたいな、つまり収入のあるところに割り当てるほうがいいのか、私としては収入のあるところでなければ、実際それは長期にわたっては教育的な方向には使い得ないであろうという感じがするわけでございます。けれども、これは学校教育というのじゃなくて、科学教育一般としてのテレビの第三放送をやるということを考える以外にはないのじゃなかろうかと思うのであります。  それでは最後に、放送会社並びにNHKに対して言論の自由というものを保障し過ぎるということが起こりはしないかという御懸念を伺いましたけれども、私もそれは懸念いたします。確かにある種の企業になりますと、自分スポンサーの顔ばかり見て、その立場で編集するということが十分考えられるわけでありますので、そのようなことがないような仕組みというものを放送行政の中でつくっていただきたいと思います。つまり具体的に申しますと、放送は特定の大臣というふうなものにかかるのではなくて、むしろ行政委員会としての放送委員会というものに放送基本が置けるような仕組みができないだろうか。そして放送委員会委員になる方の人選につきまして、いまでは内閣総理大臣が衆参両議院の同意を得て任命するわけでございますけれども、もう少し別の方法は考えられないだろうか。つまり与党側と野党側で何人かずつ候補者を出し合うという仕組みができないだろうか。国会の分野におきまして国民の嗜好なりあるいは思想が分けられるというふうに見るのは、ちょっと人為的に過ぎますけれども、一応与党側が三分の二を人選するならば野党側が三分の一を人選するという、少なくとも国民の中にある一種の思想とか勢力とかのバランスが放送委員会の中でもつくられるようにしてはどうだろうか、あるいはNHK経営委員会の中にもつくられるようにしてはどうだろうかと思えるわけでございます。NHKの経営委員の現在の顔ぶれを見ますと、やはりこれは経営者という方のほうが多うございますし、それから労働者だとか、そんなものは一々気にできないだろうということは、もっともだと思いますけれども、やはり多かれ少なかれ経営者的な経歴の方が多いのじゃないか。個人としては、もちろんりっぱな方だと思いますけれども、そしてまた個人としては、その方に対して難くせをつける理由がないにいたしましても、何か選任の段階を明らかにする慣行をつくっていただきたい。これは法律の条文にしろというのじゃなくて、慣行をつくっていただきたいというふうに感じるわけでございます。
  64. 秋田大助

    秋田小委員長 これにて学識経験者からの意見聴取は終わります。  参考人方々には、御多忙中にもかかわらず御出席をいただき、忌憚のない御意見をお述べいただきましてありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。     —————————————
  65. 秋田大助

    秋田小委員長 次に、FM営期成同盟参考人から意見を聴取することといたします。  ただいま御出席参考人は、FM営期成同盟会長矢部貞治君、同事務局長代理松尾昭弥君、同顧問高柳健二郎君、同顧問谷村功君、以上四名であります。  参考人方々には御多忙中にもかかわらず御出席くださいましてありがとうございました。現在、臨時放送関係法制調査会等におきまして、放送関係法制につき調査を進めておりますが、当小委員会におきましても、これらの問題につきまして調査をするため、各関係方面より参考人を招致して、意見を聴取し、調査参考にいたしている次第であります。  本日は、参考人方々より、放送及び放送界のあり方、また放送関係法制の改正の問題等につきまして、忌憚のない御意見を拝聴いたしたいと思います。意見の聴取は、まず参考人より意見の発表をお願いいたしました後、小委員よりの質疑応答の形で行ないたいと存じます。  それでは、まず矢部参考人にお願いいたします。
  66. 矢部貞治

    ○矢部参考人 矢部貞治でございます。FMの単営申請者のうち、志を同じくしておりまする者十七社がFM営期成同盟というものを組織しておるのでございまして、私は本日その代表者というような意味でお呼び出しをいただいたものだと存じておりますが、実は、私は電波の問題につきましては、ずぶのしろうとでございまして、専門的なことはわかりませんので、本日は技術顧問をお願いしております高柳健二郎先生、それから東海大学の谷村先生、それから事務をやっております松尾君も出ておりますので、こういう人からはお聞き取りをいただきたいと存じます。  そのずぶのしろうとである私がなぜこういうことに関係しておるかと申しますと、主として二つの動機なんでございまして、一つは民主主義のあり方というふうな角度から見まして、マスメディアの独占とか集中ということはよくないと考える点が一つでございます。それからもう一つは、いままでの放送界の実情を見ますと、いかにも低俗な放送が多くて、これでは青少年に与える影響などを考えまして憂慮にたえない、何とかできないものであろうか、こういう二つの動機でございます。  その第一の点でございますが、放映事業者としてだれを選ぶかということは、放送が国家、社会に及ぼす重大な影響から考えまして非常に問題であると思うのであります。その事業者をきめます免許の場合に、いろいろの角度から考える必要があるかと思いますけれども、少なくともマスコミメディアの独占、集中の排除ということは、これは最大の原則の一つでなければならぬと考えます。それが民主社会の根本原則だと思うからでございます。憲法にいいます表現の自由というのは、表現する意見内容だけではなくて、やはり表現の手段についても考える必要があるように思うのでございまして、特に放送のような周波数の非常に窮屈であるものにつきましては、少数のものがこれを独占するということはよろしくない。NHKの独占に対して民放を歓迎いたしましたのも、そういう原則からであったわけでございます。ところが、現在たとえば新聞雑誌放送というマスコミのメディアの中で、新聞社は新聞のほかにたいてい週刊誌も出しておりますし、それから現存の民放とも人的、資本的に深いつながりを持っておるというのが実情でございます。そこで、その上にFMまで持つということになりますと、これはどうしてもマスコミの独占という傾向になってまいるわけでございます。大都市では数種の新聞が並立して競争しておりますけれども、それでもなお新聞やり方を忌憚なく批判するというようなことはなかなか困難であります。いわんや地方におきましては新聞は一社というようなところがございまして、それがマスメディアを独占するとなると非常に重大ではないか。したがって、郵政省も初めのころは新聞放送とを兼営するということは禁ずるという方針であったと承っておりますが、その後その態度が幾らか軟化しまして、新聞とラジオあるいは新聞とテレビの兼営なら許す、こういうことになったと聞いておりますが、この問題はやはり放送法制を考える場合に重大な問題の一つではなかろうかと思います。民放関係につきましても同様でございまして、既存の民放は大部分VHF帯のテレビとAMラジオを兼営しております。それがさらにFMを持つということになりますと、やはり放送メディアの独占という傾向が強まる、特に民放が一局しかないような地方中小都市の場合になりますと、FMまで持つということは、これは著しい独占と言うほかはないのでございまして、そういう意味で、私どもはやはり新しい放送事業者ということも考えていただきたいということを思うわけでございます。  それから番組の低俗化という問題については、これは言うまでもないことでございまして、要するに営利第一主義、公共性があまりにも軽視されている。NHK公共放送民放商業放送と呼んでいるようでありますけれども、商業ベースで民放がやるということはこれは当然でございますが、民放といえどもやはり放送公共性というものは厳然として守っていかなければならない、こういうふうに考えております。朝から晩まで家庭に飛び込んでまいります放送番組に、国民の多くは決して現在のような姿に満足していないと思うのでございまして、何とかこれを改める必要があるということには異存がないと思います。ただ、どうしてこれを改めるかということがなかなかむずかしいと思うのでございます。番組審議会による自主規制とか、あるいは再免許の場合に評定をするとかいうようなこともありますが、なかなか実効が上がらない。要するに、これは事業者の営利追求主義ということをきびしく反省するということよりほかはないと思うのでございますが、番組の低俗化を防ぐのには放送を金もうけの手段に使うという考え方を根本的に改める必要がある。放送民間放送といえども社会、公共の利益に奉仕するという大原則をやはり放送法制の中に打ち立てる必要があるように思うのでございます。  私どもの単営申請のものも、形から申しますと民放と同じものになりますけれども、株式会社という形だからどうしたって必然に営利第一主義になるというふうには私どもは考えないのでありまして、その運営する心がまえ、精神ということも非常に重要であるし、またいろいろとやり方にくふうを加えていきたいというふうに考えておるのでございまして、そういう意味ではやはり新しい酒を新しい皮袋に盛るということが必要ではなかろうか、こういうふうな考えで、私はしろうとながらこの問題に熱を上げているわけでございますが、そのようなことをもう少し詳しく実際の仕事をしております事務局長代理の松尾君から申し上げたいと思いますので、もう少し時間をいただきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
  67. 秋田大助

    秋田小委員長 次に、松尾参考人にお願いいたします。
  68. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 実は、単営期成同盟のほうで今度の意見書を印刷に取りかかりましたところが、印刷の手違いでお手元にきょうは届きませんでしたけれども、後ほどお届けいたします。  それで、きょうは時間の節約上、それを全部読み上げている時間もないと思いますので、割愛させていただきますから、不徹底なところがございましたら、御質問していただければそのときにお答えさせていただきたいと思います。  まず、単営期成同盟といたしましては、わが国の放送は将来いかにあるべきか、ということを国の基本方針として確立していただきたいと思うわけであります。  それで五つほどありますけれども、内容はやはり割愛させていただきます。  一つは、民主主義政治制度に対する奉仕を放送でやってもらいたい。もう一つは、公衆の啓発であります。三番目は国民の諸生活、諸活動に対する奉仕であります。四番目は文化の育成であります。五番目は娯楽の供給、これを国の基本方針として放送にやらせてもらいたいという点であります。  それから、放送法制の目的とその基本原則ということになりますが、放送法制を設定していただきますときに、三つばかり基本原則というものをきめていただきたいと思います。  一つは、放送の民主化ということを原則的にきめていただきたいと思います。これは後ほど述べます独占排除という点で繰り返しになるようなところが多うございますので、ここでは省略させていただきます。第二番目の原則としまして、放送の自主性と自律性の確立ということでございます。放送は、その表現力をもちまして健全な民主主義への貢献を目標とする放送主体に、民主国家の根底をなす言論表現の自由が確保されなければならぬという基本的なことは、きわめて当然なことでございます。特に、政治意見を表明する自由、これは民主国家の本質と直結するものであり、表現の自由の中核ともいうべき存在であります。しかしながら、放送局は、その設立の際に、官庁の免許を必要とする関係上、行政権からの干渉に対しましては、もともと抵抗性の乏しい体質にあるように思います。それで、まずこの種の政治的な統制ないし圧力が加わることのないように、法制上十分な配慮をしていただきたいと思います。すなわち、放送の自主性の確立というものは、政府側に課せられた制約だと思います。  第三番目の原則といたしましては、放送の真実及び公正性でございます。放送の持つ強力な影響力と、電波の特質からくる事業の独占性などを考えますれば、放送内容が一党一派に偏したり、特定階級の独占的な支配を受けたりした場合の社会的弊害につきましては、莫大なものがあると思います。放送の自主自律性は、常に公正な立場を貫き、かつ真実を語るという社会的責任感をもってあがなうべきであることを、法制上明確にしていただきたいと思います。  これで基本問題に関するものは終わります。  次に、実際問題といたしまして、まず、放送の民主化という点の実際的な問題でありますが、わが同盟では、過去三カ年間マスコミの独占排除を訴えてまいりました。マスコミ独占の弊害を端的に申し上げますれば、自由な言論の流通を麻痺させるという点であります。つまり、メディアが特定の主体に集中された場合に、その主体に属する者の表現の自由のみが保障されて、他の者の表現の機会が制度的に制約される。そして国民は、多くの意見に接する自由を奪われ、常に画一的なもののみを与えられるという現象があらわれるのであります。  そのような弊害対策として、自主的に伝達の公正を期すことになっているという反論があるかもしれませんが、しかし、その内容は、あくまでもメディアの自主的判断に基づく公正であって、絶対的な公正ではありません。もちろん、絶対的公正などというものが現実的に存在するわけではありませんが、それと同様に、メディアが固有の見解を保ちながら、同時に自己と対立あるいは相違する見解を忠実に伝達すると考えるのも、はなはだ現実性を欠いた話であります。  この点に関しましてきわめて卑近な実例をもちまして御説明いたしたいと思います。  現在、関係御当局では、あげて放送法調査検討がなされており、近くわが国の放送の進路が規律されようとしております。また、最後のメディアといわれているFM放送、UHFテレビの実施も間近に迫っております。これらの放送問題は、要するに国政の基本原理である代議的民主性の根底をなす自由な言論の表現方式を扱った問題であり、その去就によって国民が受ける将来の影響考えれば、その重要性は、目下検討されている憲法改正問題に比べて、何ら遜色のないところと思うのであります。しかるに、憲法問題に対する世間一般の深い関心、とりもなおさずマスコミュニケーションの大きな扱い方に比べると、放送法改正及びFM放送問題は相当冷く扱われております。  放送新聞関係者によって、電波国民のものだなどと言われていながら、国民は、その電波が将来どのように規律されようとしているのか、だれがその使用権を握ろうとしているのか、はなはだしきはUHFだのFMだのというのは一体何であるのか、ほとんど関知しない状態に置かれているありさまであります。  もっとも新聞放送の冷静なのは、表面だけの話で、内面では、各社とも社をあげてFM免許問題に取り組んでいるようであります。この表裏の矛盾を関係者はどのように説明するのでありましょうか。邪推かもしれませんが、自己の私的利害のからむ問題だから遠慮しているのだという説明でも聞かないうちは、納得いたしかねるように思うのであります。つまり別のことばで言えば、マスコミが共通の私的利害関係を持つ問題に取り組んでいる間は、その問題が国民にとっていかに重大な意味を持つものであろうとも、国民はそれを知る権利さえ無視されてしまうということであります。しかしながら、新聞社がFM放送に関する自己固有の意見を発表する場合は、やや事情を異にして、わりあい熱心なようであります。いわく、自分たちこそ情報と意見の正確な伝達者である、自分たちこそ電波媒体の新しいにない手として最適格者である、言論の独占支配などということは空論にすぎないと力説いたしております。そのかわり、新聞社の意見と対立あるいは相違する意見は、紙上から完全に締め出されているのであります。たとえそれがいかに公の場における意見でありましょうとも、新聞社は沈黙いたします。したがいまして、国民大衆の目に入ります内容は、かつて大本営報道部が行なっていたと同じように、常に新聞社が自己を語ることばのみに限られているのであります。が、このような身がってなやり方が、まぎれもない民主主義体制下におきまして、自由な新聞と自負する人たちの手によって行なわれているということが、はたして許されてよいものでありましょうか。そこにある自由は、要するに新聞社の独占物にすぎません。すなわち、前述いたしましたように、メディアが自己固有の見解を保ちながら、同時に、自己と対立あるいは相違する見解を忠実に伝達するのは困難であるという何よりの証拠であります。  およそ、表現の自由の成立には、対立者の表現も自由に流れるという条件が必要であります。したがって、その表現手段がごく限られたメディアの独占物にすぎないときは、対立する意見は閉じ込められるよりしかたがなく、その場合、閉じ込められた意見は、次の三つのやり方によって解決をはかるよりほか方法がありません。  第一の手は、表現の自由を私物化したメディアと同等の印刷機を備え、販売網を組織して自己の意見を流通させることであります。それが不可能なら、第二の手として、抗争方式を討論の段階から暴力の段階へと転落させて戦うことであります。暴力をふるうのは気が進まないという善良な市民には、第三の手があります。すなわち、メディアの独占性に対する抑圧を別の力の持ち主に依頼することであります。その力が国家権力以外にはないというなら、そのとき善良な市民は、自由な言論と引きかえに、権力の痛棒に依頼するよりほかにしかたがありません。その代価がいかにも高過ぎたと気づくころはすでに手おくれで、残念ながら民主社会に訣別を告げるわけであります。  以上、三つの解決策は、いずれもごめんこうむりたいというのがわが同盟にマスコミの独占排除を主張させる動機づけであります。  独占排除の具体的な方法は、独立したマスメディアを可能な限り数多く存在させることであります。そうすれば、第一に、その数だけメディアの自主的判断に基づく公正基準の数がふえ、それだけ表現の画一性及び偏向性が防止できると思うのであります。第二に、そのふえた数だけメディア内部に権力が介入する可能性が少なくなる。要するに、自由な表現のための安全装置の数がそれだけ多くなるわけであります。  われわれがマスコミの独占排除を唱えるときに、常に念頭にあるのは、独占傾向を持ったマスコミ界の終着駅であります。そこには、あるいはすぐれた芸術、充実した娯楽があるかもしれません。しかし、同時に、一つの巨大なイデオロギーに奉仕することを強制する言論もあるはずであります。言論活動がこう盛んになっている現代、そんな終着駅はとても想像できないという人に対する回答は、昭和十年代の新聞に書いてございます。すなわち、普通選挙をめぐってあれほど活発に働いた新聞が、次々と軍門に下り、自己の生命ともいうべき言論の自由を放てきして、ラジオとともに第二次大戦への一大合唱を展開するに至りました。  この歴史を振り返れば、われわれの希望している安全装置の数は、幾ら多くても十分だとは言えないように思うのであります。ただ、確率的に申しまして、独立メデアィの数が五倍になれば危険性は五分の一に減ったと考えてよいと思います。故緒方竹虎氏は、満州事変当時の言論統制時代を回顧いたしまして、新聞が早い時期に本気で決意したなら戦争への破局は防ぐことができたかもしれない。もちろんこれは言論の自由の確保が前提である。次の世代に忠告したいことは、言論の自由を死守せよということであると述べておられます。  ところが、放送問題に対する新聞社の一方的な言論統制は、みずからの手によって言論の自由を侵そうとするものであります。また、新聞社が放送事業を兼営することそれ自体が、自由な言論から大きく後退することを意味いたします。なぜなら、電波メディアはもともと官庁の手によって制度的に制約されているので、この方面からの攻撃に対しては、本質的にひよわな要素を内蔵しております。もし万一、放送メディアにそのような危険が襲った場合、新聞は、言論の自由のために最後のとりでとしての任務を引き受けてくれなければなりません。しかしながら新聞社が新聞社の放送局化をねらっておりますのは、その任務に対する耐久力を弱めることになるのであります。  次に、民放連の主張しておりますNHK民放機能分担論について申し上げます。  これは放送時間の有限性ということより考えまして、必然的に民放番組から教育教養的な要素を追放することになります。この種の番組に関する限り再び往時のNHK独占体制をもたらすことになります。これはみずからの手によって言論の自由にワクづけを施す行為であり、企業繁栄のためとはいえ、あまりにも時間の商人的発想といわざるを得ません。この際、新聞民放を問わず、既存企業の商業的な都合は一応抜きにいたしまして、大きく世界の動向に目を据え、わが国民の将来を考えながら、マスコミの独占排除の意義につきまして深く御配慮を願いたいと存ずるのであります。  次は、番組改善につきまして、単営期成同盟といたしましていろいろアイデアを出しておりますので、それについて申し上げたいと思います。  番組改善には二通りの方法がございまして、一つは法制による番組改善でございます。まずそれから申し上げます。  民放における番組俗悪化の原因は、一般的に私企業の営利性によるものであると考えられております。そして放送事業が私企業の形態をとる限り、高度の公益性を持つ番組は望めないと信じている人もかなりあるようであります。しかし、このような考えは危険であることをまず明らかにしたいと思います。すなわち、そのような前提に立てば、第一に、放送の私企業形態を許すかわりに権力による強制も容認しなければならなくなります。戦前は公共の福祉という名のもとに表現の自由がたびたび侵害されました。第二に、放送の経営は国またはそれに近い事業体にやらせるよりしかたがない、こういう理由になります。それは全体主義に奉仕しやすい放送をつくることになります。  世間には営利と公益を調和さしている私企業が数多くあります。なぜ放送事業においてはそれができないのかという問題ですが、それは現在の放送運営は表現の自由に名をかりて、実は自由放任主義に近い状態にあるからであります。この際免許の基準はもとよりのこと、運営上における自由と行き過ぎとを区別するための行動の基準を明確に定めていただくことが必要であります。  そこでまず第一番としまして免許基準の明確化ということについて申し上げます。放送事業の運営は、事業者の自主自律をたてまえといたしますので、だれに免許を与えるかという問題が最も重要であります。その第一は、前節で述べましたように、マスコミ独占排除の見地から、既存マスメディアがさらにこれ以上放送局を支配することをかたく禁ずる法律が必要であります。第二は、免許人の資格基準とその判定方法を明確にされることが大切であります。  次に、番組改善のために経済活動に対する規制のことについて申し上げます。そういう規制は放送内容を制限したり、統制するものであってはもちろん困ります。反対に責任ある言論の流通を促進するようなものでなければなりません。大体世間から非難されているような番組を持つ放送局経営者は、ほとんど一様に次のように答えます。いわく資本の本質が利潤を追求する、いわくスポンサーにきらわれれば企業が破滅する、といったたぐいです。したがって法律の任務は、これらの経営者を資本やスポンサーの手から解放することであります。すなわち、経営者が株式の利己的な利益一定に押えて、公共の福祉のために馬力をかけることを正当化するような法律、あるいは経営者がいかに自主的にふるまっても、スポンサーから文句が出ないようにするような法律を設定していただきたいと思うのであります。この具体的な方策は次のとおりであります。  第一は、編成権と資本の分離であります。要するに、経営者に対する資本の支配力の削減であります。株式の分散あるいは議決権なき株式の発行などの法律化であります。  次に第二は、メディアの行動と広告主の容喙とを絶縁させることであります。それは広告放送の価値を、常に売り手市場的に地位づけることによって果たされます。  次は、どうすれば売りば市場的に地位づけることができるかの問題でありますが、その一は、質的にすぐれた番組大衆を引きつけ、スポンサーがその局と関係を持つことを誇りとするようなメディアすることであります。将来このような考えは、夢のような話にすぎないとされてきましたが、シカゴのFM単営放送局の事例により、民衆のための奉仕を唯一の目標とする経営者さえ得れば、可能であることが実証されました。これに関します参考資料は別紙にしましてお届けしてあるはずでございます。WFMTという資料でございます。  その二つ目の方法でございます。これから申し上げます方法は、既存のラジオ、テレビには通用しないことをまずお断わりいたします。FM放送、UHFテレビなど、これから一斉に設立する社会が、本項で述べる法的制約を受けて初めて成功する方策であります。  結論を先に申し上げますと、電波料金と販売時間の規制による方法であります。広告単価の逆数、すなわちサーキュレーションに対する電波料金の割合を便宜上単位当たりの広告価値と呼ぶことにします。広告価値の大小は電波料金と受信者の数の相対関係できまり、スポンサーが小切手にサインするかどうかを決定する条件もまさにこの広告価値のいかんであります。広告価値が高ければ売り手市場となり、低ければ買い手市場になります。したがって、広告価値の低い時間、つまり買い手のつきそうもない時間を売り込もうとすれば、何らかの方策を用いて単位当たりの広告価値を高めなければなりません。  その方法として、一つ電波料金を引き下げることであります。これはメディアの経営者が自己の管理的責任において行なえば済むことであります。もう一つは受信者の数をふやすことですが、これは相手のあることであり、その簡単にはまいりません。つまり普通にやれば聴衆百人ぐらいがせいぜいの演説会に、一挙に千人以上の聴衆を集めるにはどうすればいいかという問題であります。量をふやすこと自体は決して悪いことではありませんが、同時に質の転換も余儀なくされるというところに因った問題があるのであります。すなわち、その解答は、人間の持つ興味のうちで最も普遍的なもの、いわゆる最も本能的なものをねらえということになるのであります。そのときに自由な言論の使者が、時間の商人へと転落するわけであります。  メディアがこのような状態に陥るのは、少しでも収入を上げようといういかにも企業経営者らしい動機から、ある時間の広告価値を高めるのに受信者の数を多くするという方策を採用したからであります。したがって、あらかじめ電波料金を割安にすることを法制によって定めて、単位当たりの広告価値を高めておけば、その時間は売り手市場の状態にあるわけですから、あえてスポンサー迎合政策をとらなくてもよいことになるわけであります。  さて、いままで申し上げましたところは、AMに対するFM局間におけるFM局の広告価値の法制的操作によって、FM局を常に売り手市場に置くという方策でありました。  次はFM局相互間の販売競争が受信者数増加による広告価値の引き上げ政策、いわゆるスポンサー迎合政策でありますが、これへと転落せざるようにあらかじめ法制的な処置を講じなければなりません。この要点は、過度の販売競争が行なわれる余地をなくしておくことであります。つまりスポンサーが喜んでつく時間、言いかえれば広告価値を無理に引き上げなくても十分売れる時間のみを法律によって販売時間と定め、残りの時間は自主番組として義務づけることであります。  電波料金と販売時間の法定化は、そのほかにもなお多くの特典を持ちますが、ここでは時間の都合上割愛させていただきますが、ただ一つだけ申し上げておきます。  それはFM局が幾ら売り手市場にあっても、販売時間が押えられておりますので、既存AM局の市場を荒らすことはないということであります。したがって、FM免許をとらなければAM局は壊滅すると言っているAM放送関係者の憂いは、全く杞憂にすぎないことになるのであります。  さて、しからば電波料単価及び販売時間の限界をいかほどに定めるかという問題でありますが、これはメディアの運営計画と関連させて考える必要があります。  次に新企画の促進ということについて申し上げます。放送事業のごとく新しい企業におきましては、運営方式の改良余地が多分にあります。こうした場合の法律の任務は、胸襟を開いて自由な言論の流通をはかっていただくことであります。かりそめにも企業の新しい息吹きを萎縮させてしまうようなことがあってはならないと思います。たとえばFM営期成同盟では、番組改善と経費節減のために共同機関の設立計画をすでに申し合わせております。これも別紙計画書でお届けしてあるはずでございます。もちろん共同機関の設立は、企業経営の必要条件というわけではございませんことをお断わりいたします。共同機関がなくても十分やっていけるだけの自信はございます。  さらに、当同盟の中では収入面の改革につきまして全く新しい試みが計画されております。これによれば編成権の自主性はもとよりのこと、経営の安定性も十分に確保できるというアイデアでございます。  以上は法制による番組改善策でございましたが、次は法制を用いない、いまの状態のままで番組を改善する方策はないかということを考えた問題であります。これはフィードバック的手法ということを考えております。このフィードバックということばは、もともと電気工学から出たことばでございますが、最近サイバネティックという学問の学者がこのことばをオートメーションのような機械に使うことになりまして、大体まだ一般的になっておらないかもしれませんが、自律神経というような感じでいいのじゃないかと思います。  最近、番組の自主規制という問題に対しまして、第三者的立場を持つ番組審議機関の設置という構想が話題を呼んでおります。しかし、これは事の大小にかかわらず、当該機関が効力を発するということになれば、それはすでに他律的な行為にほかなりません。放送の自主自律の原則から一歩後退することになるのであります。もし、この場合多少でも命令権によるものであるとするならば、それは言論統制に転化する危険が感じられます。したがって、こういう方法でやるのはあまり感心いたしません。  そこで、フィードバックを用いる番組改善の方法でありますが、結論をまず申し上げますと、Aメディア、これは別にAと限ったわけではございませんが、便宜上Aメディア放送によるBメディア、Cメディア等の放送業務におけるフィードバック回路を構成するという方法であります。これにつきましても、別冊「放送改革論」という小冊の中に記してございますので、なお詳しくはそれをごらんになっていただきたいと思います。  大体、現代の放送業務は、その機構上におきまして重大な欠陥を容しております。それは、一般の企業におきましては販売部の倉庫が市場の判定と次の品質の方向づけを物語っております。そしてそこで消費者と製造者を結びつける回路が構成されておりますが、放送におきましては文字どおり送りっぱなしでありまして、メディアは対象のなまなましい反応をつかむことができません。聴視率調査というのがありますが、これはさながら大量通信の大海におろした一本の釣り針のようなものでありまして、ほとんど実態を語ってくれません。このようにして、放送は元来がスポンサー影響されやすい下地を持っております。しかしスポンサー希望大衆利益とは必ずしも合致いたしません。すなわち、スポンサーのねらいとするところは、大衆に飽きられないことでありまして、大衆から尊敬されることではありません。また、できるだけ多くの対象をつかむことではありますが、対象に満足を与えるということではないのであります。つまり大衆とメディアとの間の回路はもともと切断されており、その間隙にスポンサーが入り込んでいるというのが実態であります。このようなBメディア、Cメディア等と大衆との間の断層を埋める役目としてAメディアを登場させるというのがわれわれの新構想であります。Aメディアは受信者市場におきまして、一般商品市場における自然淘汰的な自律調整作用の特性とできるだけ類似した制御力を備えたものとして活動をいたします。要するにAメディアは、受信者市場におけるBメディア、Cメディア等の判定と、その送り返しによる次の品質の指図、かくのごときフィードバック回路を構成する機能として存在するわけであります。なお、この任務は次のとおりであります。  まず第一に、全大衆の必要と関心という観点から、絶えず他のメディアの仕事を監視、調査してその結果を放送いたします。第二番目、全大衆の声として、他メディアに対する判定と要求を放送いたします。第三番目、前二項サービスに際しまして妙味を発揮いたしますのは、それが放送によって行なわれるという点であります。すなわち、大衆に対して、他メディアに関することを語る際には、同時に他メディアもこれを聞く、反対に他メディアに対して大衆に関することを語る際には、同時に大衆がこれを聞いているわけであります。そこに自然とフィードバックの忠実度を高めざるを得ないような条件が働いてくるわけであります。なぜならば、この仕事にとっては、真実と公平ということが存在価値のすべてであります。もし独善あるいは偏見による判定の放送を行なえば、それはフィードバックという名に値いたしません。したがって、他のメディアからも大衆からも相手にされなくなるわけであります。ここにみずからが尊重しなければならぬ自律性が生まれるわけであります。  以上の仕事は、どれ一つとして相当の覚悟を必要としないものはありません。大それた企てだと言われるかもしれません。ことにこの仕事で一番むずかしいのは判定の仕事を担当するスタッフを選ぶことであります。初め、この仕事は、他のメディアの機械的な排斥を受けることになりましょう。しかし、そのうちこの仕事が他メディアと大衆との間に、いままでよりずっとすぐれた相互理解の関係が生まれるように尽くしているのだということを了解してもらえるときがくると思うのであります。そして近い将来、この仕事はすべての放送局、全国民、政府などから感謝されることと思うのであります。これが法制による番組改善の方策であります。  次は、FM放送はいかにあるべきかという問題について申し上げます。これはいままで大体示唆的には申し上げたわけでございますが、項目的に抜き出して申し上げますと、一つは国の五つの基本方針の実現であります。第二は民主的置局、自主性の保障、真実と公正の順守、この三原則を守った運営であります。第三は、マスコミの独占排除の見地から単営局にやらしていただきたいという点であります。第四番目、番組を俗悪化しない方策としまして、先ほど申し上げました法制による時間と電波料の規制、法制によらざるフィードバック、こういう方法を新しくできますFM放送に勇敢にやらせていただきたいということであります。第五番目は、AM放送のように無性格であっては困ると思います。個性的な放送にしまして、常に固定的な聴衆をつかむということに留意しなければならないと思います。そして一度ダイヤルを合わせたら、あとは動かす必要がないという放送が理想的ではないかと思います。しかしこの場合も、機能分担論のごとく、法律によって定めるべきではないと思います。自然にそうなるというようなやり方が望ましいと思いますが、そのためには免許の判定をいたしますときの考慮、事業者の自覚、販売時間の制限などによってできると思います。六番目は、マスコミュニケーションというものは現在日本に非常に発達しております。現在日本にありますのは、マスコミュニケーションとパーソナルなコミュニケーションだけでありまして、中間のコミュニケーションというものがほとんどございません。ある階層、ある分野に偏してはいけませんが、しかしながら、それが政治的な色彩でない限りは、やはりある階層、ある分野のコミュニケーション、いわゆる中間のコミュニケーションというものも存在するわけであります。これはFM放送のような小回り運転のきく放送にやらせたらどうかと思うのであります。  次はFM放送の経営問題について、一言申し上げます。従来FM放送の経営は単営局ではむずかしいというような風評が立っておるようでありますが、われわれの計画いたしますところによればそういうことは絶対にございません。大体企業の予算を立てますときに、この仕事がうまくいかなければやれないというようなことであるならば、最近の技術改革によりますスピードは予測というものを困難にしておるわけでありますから、どういう仕事も予測を立ててやるということになれば、できないわけであります。私企業のいいところは、結果ははっきり計算はできないけれども、とにかく人間がやるんだ、人間の能力でやるんだという前提がまずあるところであります。そこで人間がやるということになってまいりますと、そこに計画というものが必要になってまいりますが、この計画は、先ほど申し上げましたように、万事は予測どおりにはいかないというところに端を発してつくられるわけであります。予測どおりにいくようならば、計画は必要ございません。そこで予測というものが現在から出発しておるのに対しまして、われわれの計画というものは将来から出発しております。将来FM放送はかくあらねばならぬという想像から出発しまして、現在じゃ何をきめるかというところに計画の重要性があると思います。この計画あればこそ、いままで不可能が可能となったわけであります。可能が保証されなければ何もできないということならば、世の中は進歩いたしませんし、民間放送も生まれていないはずであります。民間放送の始まる当時は、空気でも売るのではないかというのが大方の見方でありました。テレビの場合もそうでありますが、予測というものを問題にしておりましたら、何もできないと思うのであります。  そこでわれわれはFM放送はかくあらねばならぬという計画を立てまして、これを計画書によりまして十分実施をいたしております。もしこの計画のうちで検討を受けねばならぬものがあるとしましたら、それは仮定を前提にいたしておる点がありますので、その仮定が適当であるかどうかという点であります。この点に関しましては、喜んで批評を受けたいと思いますが、それもやらずにFM放送ができるとかできないとかというのはおかしいと思うのであります。  計画につきましてはいろいろあります。それでそういう計画を立ててまいりましたところが、FM放送は単営局でやるのが最も適しておるという結論を得たのであります。最近民放などが単営局では困難だというようなことを言っておりますので、それも二、三調べてみましたところが、何の根拠もないということがはっきりいたしました。つまり単営局が困難だという既存民放の言い方は、既存民放やり方をそのままFM放送に持っていって単営局は困難だということを言っておるようであります。われわれは既存民放のようなやり方FM放送に利用しようとは思っておりません。FM放送にはFM放送に合致したような経営の方法があり、計画があると思うのであります。  それから、まず既存民放で言っておりますことで非常におかしいと思いますことは、設備とか人員のことをあげまして、単営局にはこれがないからいけないということを言っておりますが、どこの世界の企業でも、設備も人員も整えずにやるところはないと思うのであります。
  69. 秋田大助

    秋田小委員長 松尾さん、ちょっとお願いいたしますが、時間も相当経過しておりますから、委員各位のいろいろ御時間の都合もあるので、結論をお急ぎ願いたいと思います。
  70. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 それでは、私の申し上げますことは、これで大体おわかりになっていただけましたと思いますのでやめます。  FM放送の経営に関しましては、いつでも準備はしてございますので、お答えしたいと思います。ありがとうございました。     —————————————
  71. 秋田大助

    秋田小委員長 これより質疑を行ないます。大柴滋夫君。
  72. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 三つばかりのことについて、ちょっと御質問いたします。  一つは、単営期成同盟としては、FM放送は将来中波の代替になるべきものだと考えているのかどうか、あるいは併存していくものだと考えているのかどうか、ここ十年なら十年の間に……。これが一つ。  二つ目は、同じFM放送をやるなら、NHKというものがあるのでありますが、これをどういうように考えているのか。つまりNHKによってどんどんFMの受信装置をふやして、単営期成同盟はそれと一緒にいくものだ——いろいろ考えがあるだろうと思いますが、それをどういうように考えておるか。  三つ目は、単営単営とおっしゃっているわけでありますが、たとえばFM鳥取というようなものの資本構成の中に、鳥取何とか新聞とか、鳥取何とかテレビとか、鳥取何とか民放というようなものが入るのか入らぬのか。もし入らぬとするならば、鳥取FMというようなものができるとするならば、お隣の松江なら松江という町にもそういうものができてくるだろうと思います。そういう地域的なことをあなたたちは県別にしていくのか、あるいはできる限り波が及ぶところは、鳥取と島根を一緒にして、そこに裏日本何とかFMというように考えているのか、以上四つばかりのことについて御質問いたします。
  73. 谷村功

    ○谷村参考人 いまの御質問に対しての考え方を申し述べたいと思います。  まず第一は中波と併存するかどうか、こういう問題でありますが、これは併存するかしないかということではなくして、私の考えでは、FMやり方というものは技術的に内容が違う。言いかえれば、従来の中波の放送一つ電波一つ内容を送るものであります。しかしながら、FMはそのやり方が、一つ電波で二つあるいは三つの内容の通信を、いわゆる放送を行なうことができます。したがって、このFMを使うことによって、その技術的な面から言いかえればステレオ放送、そういうことができるのであります。それからまた、FMやり方放送をいたしますと、その放送の質というものが、従来の中波とは違って行なえる。言いかえれば雑音が少ない、あるいは音質をよくする、こういう面があるわけであります。したがって、こういう面から考えますと、中波の放送FM放送とは全く違った内容放送が行なえるので、当然これは併立とかあるいは併立しないとかいう考え方ではなくして、新しい一つ放送を個々に行なうということでありますので、結果的には併立することになると思いますが、そういう内容が違った面を利用し、それを行なうというのがFM放送のとるべき道であろう。これに関連して、もちろんこれを経営する場合には、単営でやるとかあるいはどうするとかいう問題も当然起こってまいりますけれども、立場といたしまして、FM放送はそういう観点を考えるべきだと私は思うのであります。これが一つであります。  第二番目に、この単営を行なった場合に、NHKとどういう関係であるかという問題でありますけれども、現在NHKが行なっておりますFM放送は、ここに宮川局長もお見えでありますが、おそらく考え方としては、公共的性格が強い上に、NHKはやはり国民FMを将来日本で行なう場合の開拓をするという考え方で、実験放送といたして電波を出しておる。これによってメーカーは受信機をつくるということをいたしますれば、このFMに対する受信し得る状態になるというものをNHKが開拓し得る、こういう考え方で現在は行なっていると思います。しかしながら、将来これが実際の実用放送になったという場合には、現在におけるNHKの公共的な考え方と民間放送考え——これが現在行なわれておるといたしますれば、それと同じような考え方において、FMも、将来NHKで行なうFM放送民間放送で行なう放送、あるいは単営で行なう放送、こういうものがあり得るので、おのおのの立場において行なえる、こういうふうに、私は第二番目の問題については考えるのであります。  それから第三番目の、地域的単営のものは、現在出ておりますものは新聞関係などに関係しており、はたしてこれが単営であるかどうか、あるいは地域的にどういうふうにこれを考えるかという問題であったと思いますが、これについては、いまかりに出ておりますものが、あるいはそういう新聞関係のことに少しは関係があるかもしれませんけれども、あくまで単営という考え方で、先ほどから松尾事務局長代理が申しておりますように、放送あるいは新聞、こういう言論の独占ということを排する意味において単営を主張いたしておるのでありまして、日本におけるラジオの民間放送が初めてできますときに、その許可方針といたしまして、新聞社が放送局をつくるべきではないということで、御承知のように東京における朝日、毎日、読売、おのおのつくろうといたしましたけれども、それを一つにいたしまして、いまは東京放送、当時ラジオ東京と申しましたが、新聞社がおのおの独占してそういう放送を持つことはよろしくないという考え方で、ラジオ東京ができたのであります。そういうような考え方でありますので、当然そのニュースを入れるもとといたしまして新聞社なんかと関係があるかと思いますけれども、運営自体は単営であって、あくまで放送言論の独占を排除する意味において、新聞などと関係のない単営放送をいたしたいというのが考え方でございます。  したがって、それはローカル的に、各地域地域にどういうふうになるかという問題でありますが、これは電波の性質上、中波でありますと、もちろん放送区域は昼と夜と違いますけれども、FM放送にいたしますと、周波数が非常に高いので、その地域というものは限定されます。したがって、局部的な放送局になると思います。もちろんやり方によっては、中継をすれば全国的に同一放送をやるということもできましょうけれども、技術的に超短波のFM放送をやるとすれば、局部的な放送局が幾つかできるということになってまいります。したがって、そういう地域的な別のものの性格がたくさんできるということは、電波を使う上において自然に起こることであって、ローカル的な放送といいますか、そういうようなものがたくさんできてくる。言いかえれば単営でそういうものがたくさんできてくるということにはなるかと思いますけれども、これはやり方によっては全般的な考え方にいたすこともできる、中継のやり方によって全国的な放送というものも考えられると思うのであります。あるいはこの点については、御質問の点と違った点があったかと思いますけれども、私はそういうふうに考えております。  以上であります。
  74. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 そうすると、単営で言論の独占を排すとおっしゃるわけでありますが、たとえば東京放送のような形ならばそれは単営である。つまり朝日なら朝日というものが主軸になっておらぬ、朝日と毎日と読売が一緒になって東京放送のような形をなせばよろしいのだ、あなたのおっしゃることは一つはこういうことでありますか。
  75. 谷村功

    ○谷村参考人 ただいま私が例を申し上げましたのは、日本においてラジオ放送が初めてできるときに政府がどういう考え方を持って許したであろうかということを申し上げたのでありまして、一緒になってやれば、いわゆる単営では、そういうものを許すことが差しつかえないのだということを申し上げたのではありません。ただ考え方として、当時絶対的にそういうふうにはならなかったかもしれませんけれども、新聞関係を持っているものが放送を一緒に持つということは、言いかえれば新聞、ラジオによる言論機関を統制する力を一つのものが持ち得るので、できるだけそういうことは排除したほうがよかろうということでは、そういう考え方が行なわれた。しかし、結果的には、たまたまそういうことになったかもしれませんが、考え方はそういう考え方で当時行なわれた。そういう思想はやはり今後もFM放送のときに持つべきであろうということを申し上げたわけであります。
  76. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 FM営期成同盟とありますけれども、それの理想的な資本構成というものは、どういうことをいうのですか。
  77. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 お答え申し上げます。  もちろん資本が会社を規制、支配しておりますから、資本の構成ということが会社の一番重要な問題になってまいりますので、独占排除ということは、これはそこの会社ということもありますが、それを支配しておる人ということもあります。したがいまして、新聞社の大株主がまた放送の大株主になるとか、それから別の放送会社の大株主がFM放送の大株主になる、こういうことは独占排除という精神に反すると思います。われわれの理想としておりますのはそういうのを排すということであります。純粋に新聞とか放送関係のない人格の人がFM放送の株を持って経営に参加してもらってやっていただく、こういうわけであります。
  78. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 その理想であればよくわかるのですが、実際に、たとえばFM鳥取とか、あるいはラジオ福岡とか、ここに書いておられるようなものはどういう関係になっておるか知りませんが、新聞社とかテレビとかいろいろなものが入って構成しておるのではないですか。
  79. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 最初単営期成同盟を構成いたしますときに、その点につきましては十分注意をいたしまして、各申請社の発起人をほとんど調べました。そうしてその発起人の中に新聞関係者とか、そのほかの既存の放送会社の重役などになっている人が参加しておりますときには、これは既存メディアのひもつきと見まして、ここには加盟勧誘の手紙を出しませんでした。したがいまして、その会員の中にはそういう方が入っておられる会社はないはずであります。
  80. 秋田大助

    秋田小委員長 受田新吉君。
  81. 受田新吉

    ○受田小委員 一問ずつ二、三の点でお尋ねをしてみたいと思います。このFM放送の聴取者というものがだんだん普及徹底する見通しというもの、これは受信機に対する設備の問題でもあるわけですが、現状においてチューナーをつけてやる、あるいは新しい機械をつくるとかいう、そういうものとの関係等を含めた見通しについても、単営企業として御計画があると思いますが、このことをまずお答え願いたいと思います。
  82. 高柳健二郎

    ○高柳参考人 FMの受信機の問題は、放送地域がまちまちでプログラムが豊富になってくると、それにつれて増していくわけであります。現在NHKさんのほうで実験放送を開始されて二十数局やられておりまして、漸次増大してまいっております。これでほんとう免許ができますれば、相当急速に伸びてくると私は考えております。これはアメリカにいろいろな会社が現在ラジオなどを出しておりますが、それに対してFMをつけたものもすでに出しております。しかもFMのステレオ化したもの、これからつくる電蓄のようなものはFMをほとんどつけております。そういうことで、国内においてもそういう傾向が非常に強くなっておりますが、ただ現在の状況でありますと、まだそれが促進されておりませんので、これについては現在の数量というものはごく限られておるわけであります。私は、ほんとう放送が開始されますれば、なるべく普及しやすい受信機をつくって供給したいと考えておりますから、ちょうどラジオの発達の初期と同じような経過をもって普及していくことができるのではないかと考えております。
  83. 受田新吉

    ○受田小委員 私のお尋ねした最初の点で、特にこのFM放送の聴取者というものはどういう層であって、どういう方面に伸びるか、どの辺まで広がってくるか、大体FM放送の聴取者の未来像というものをどこに置いておられるか。これはやはり経営をされる立場からは一応の検討をされておると思うのですが、AMとFMとの関連においてFM放送の聴取者の伸びる未来像をお答え願いたいと思うのです。
  84. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 アメリカの場合は実例がありますが、日本の場合はこれからのことでございますので、いろいろと現在行なわれております放送から探りを入れていくわけでありますが、まず数のほうをお聞きになったように思いますので、数のほうからお答えいたしますと、電子機械工業会の調べました資料とか、それからFM東海の調べました資料、それからNHKの調べました資料、こういうものを大体土台にして見ましたところ、三十八年、去年の八月ごろでございますか、大体八十五万台くらいのところにおりました。それでそのときにいろいろな資料に基づきまして、私のところで推測をいたしましたところが、ことしの三十九年の暮れから昭和四十年の春ごろまでにかけまして、東京地区のFM局のサービス・エリア内に、総計百三十五万台ないし百四十五万台にFM受信機がふえるという見通しが立ちました。その後ことしの二月でありますが、電通と民放連でございましたか、とにかく電通は関係しておりましたが、それが大阪で発表いたしました資料によりますと、ことしの秋ごろに百四十万台にふえるとやはり発表しておりましたので、ことしの暮れごろに大体百四十万台にFM受信機が東京地区においてはふえるという見方があります。それから全国的に見ますと、東京地区を大体四〇%くらいに見積もっておるようであります。それによって全国の台数も算出できると思います。  それから受信者の状況でありますが、現在一番聞かれておりますのは二十代が多いようであります。二十代が大体四七%くらい聞いておるようであります。その次は三十代で、三十代が二八%くらいだと思います。その次が職業とか学歴そういうものでありますが、大体学歴は大学卒の人が一番多くて、これが五〇%くらいであります。それから嗜好しかそういうことになりますと、クラシック音楽の好きな人が多いというようなことになっております。それから収入状態は三万から六万の人が一番多いようであります。こういうようなものを総合してみますと、日本の将来のFM放送の聴取者というものは若い層が多いようであります。収入の面から勘案いたしますと、二十七、八が一番多いようであります。それから教育の相当ある層ということになってまいります。したがいまして、そういうところから調べてきて、FM放送を将来非常にたくさん聞かせるためには番組もそういう年代の、そういう学歴の、そういう嗜好のある人たちをねらったら一番いいのじゃないか、こういうふうに考えております。
  85. 受田新吉

    ○受田小委員 一応単営期成同盟として、将来の見通しを立てておられるようでございますが、もう一つこれに関係する問題として、経営の維持ができるかという既設の放送局などの批判に答えて、これを反駁して単営企業は経営としても成り立つ、また別のほうで単営の独特の味を出して、むしろ単営のほうがいいのだ、ここへ踏み切っていま御準備を進めておられると思うのです。  そこで経営についてちょっと伺っておきたいのですが、一応ここに試案を出しておられます。資本金も借り入れ金もそう高い水準でなくて、人的構成も少数精鋭主義でやる、いろいろ書いてありますけれども、スポンサーという問題、これはまあ最初の資本構成をどうするかという問題と別に、維持にあたって——スタートは一応できると思います。維持にあたって、これが単営で成り立つという前提のもとに、地域的に非常に条件がいいところしか単営は成り立たないのだということが考えられるのではないか、東京とか大阪とか名古屋とか広島とか福岡とか、人口が非常に多い地域にしか単営企業は成り立たないという前提をお持ちか、あるいは地方の中小都市でも単営企業が成り立つという見通しか、この点ちょっとお伺いしたいのです。
  86. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 中小都市も、放送局の数を制限することによって成り立つという見通しを立てております。
  87. 受田新吉

    ○受田小委員 これはFM放送免許にあたって、郵政省が十分考えられるところだと思うのでございますので、いずれまた政府当局にお尋ねしますが、競願をして免許の日を待っておるという形がいまとられておる。そこで幾つものFM放送局ができたのでは、これは経営がなかなか成り立たないということも、別に考えられなければならぬと思うのです。したがって、単営放送局が企業的に成り立つのには、その地域にたくさんの放送局ができることは好ましくないという前提があるかないか、これもひとつお伺いしたい。
  88. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 数と申しましても幾つぐらいが適当かという問題は、これは東京の場合の例の計算ができておりますので、それについて申し上げたいと思います。  たとえばわれわれの計画いたしますようなやり方で、放送局を維持しておきます——東京の場合でありますと、東京のいま民放のラジオのキー・ステーションは大体平均資本金利益率というのを四七%あげております。それから売り上げ利益率というのが一七%であります。これは他の企業に比べましても、非常に優秀な成績であります。それでいま四七%の資本金利益率並びに一七%の売り上げ利益率をあげるには、われわれが計画しております企業ですと、幾つ放送局があった場合にこれだけの成績、現在民放があげておるくらいの成績があげられるか、こういう計算をしたのがありますので、それについて申し上げますと、われわれがやる方式には四種類の方法があります。ABCDと分けておりますが、その一番もうからないのと一番もうかるのとを申し上げます。A方式の分でやっていきますと、初年度は四・六局FM局があった場合にもやはりこういうやり方でやった局に限っては、四七%の資本金利益率をあげることができます。それから二年度の場合は、一番もうからぬのが五・五局、三年度は一番もうからぬのが六・九局、五年席の場合が十三・六局設立いたしましかとしても、こういうやり方でやっていきますれば四七%の資本金利益率をあげることができます。一番いい方法でやっていきますと、たとえば共同機関を利用しますとか、それからわれわれが別に考えております収入の獲得方法などを加味していきますと、初年度におきまして七・三局設置してありましても、そのうちの一局はわれわれの行き方でやりますと、四七%の資本金利益率をあげることができます。五年度になると、十五・七局の放送局がありましても、四七%の利益率をあげることができます。それで、こういう見方をしていきますと、地方の場合でも、その計画のやり方におきましては、現在常識的に考えられている数よりもたくさんの数がありましても、経営が維持できると思っております。
  89. 受田新吉

    ○受田小委員 経営の維持の可能性ですけれども、NHKFMの波を二つもらう、それからその地域の有力な新聞社あるいは民間放送等が幾つかもらう、単営がそれへ割り込んでいくのにどの点まで可能性があるかという問題等は、将来免許する側のほうから見て高い立場の問題があろうと私は思うのです。皆さまの側は皆さまの側で——いま数字をあげていただいたのですが、単営企業は成り立つ、このとおりやれば単営企業は二つでも三つでも可能性を持つんだというある程度の自信のある資料をお示し願いたい。郵政当局の免許の基準の中に、この土地にはどの程度の数を免許するかという際に、皆さんの御研究は非常に有力な参考になると思うのです。  もう一つ、単営企業でありますと、そこに独特の実力を持つ技術者をさがし出すのにもなかなか骨が折れようかと思います。そうした技術者の採用及びニュースなどの放送の際に、新聞社の放送なら何々新聞ニュース、こうやるのでしょうか、ここで御計画の中にある共同機関ニュース、こういうふうにやるのか。放送内容について、ニュースをどういうふうに考えられておるか、ニュースの扱い方をどういうふうにされようとするかという御計画も一応できているのじゃないかと思うのです。これらの点についてお答えをいただきます。
  90. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 ニュースの点につきましては、共同機関で取材するということも一応考えておりますが、共同機関でやります取材というのは範囲が非常に狭うございますので、やはり全国的な組織を持ちました通信社、そういうところを利用してニュースはとっていきたいと思います。なお各単営、その共同機関にぶら下がっております各局も独自な形でローカルニュースというものはとっていきたいと思います。その場合新聞社を利用することもあるかもしれません。しかし、そのときも一社のひもつきになるようなことはなるべく避けまして、単営局の独自の立場でそのニュースの取捨選択ということをできるような組織にしたいと思っております。  技術者の問題につきましては、現在AM放送局では非常に人が余っております。最初に、民間放送をやりましたときに、スポンサーで収入を得なければいけないということを忘れてNHKのまねをして、非常に大きな組織を持ったわけです。そういうことから、だんだんとやっていくうちにその従業員のむだなどがわかってきまして、それで現在既存の民放では、どうやって人を減らそうか、そのためにFMをとってそちらに埋めたらどうかというようなことを考えているわけであります。したがいまして、これはそういうところからいただいてくれば十分間に合うと思います。
  91. 受田新吉

    ○受田小委員 これで質問を終わりますが、非常に長時間の御説明を承って、法律的な問題に対する御要望も出ておるわけです。これはやはり臨時放送関係法制調査会の答申等もあって、それに基づいて考えられる問題が大半であると思いますけれども、FM放送の健全な発展をはかっていく上における皆さんの側からの法律的改正要望点、こういうようなものを何かの形でお出しになっておられるかどうか。臨時放送関係法制調査会等にもそういう問題が出されておるかどうか。放送公共性、自由性という二つの問題を解決するために教育放送というようなものをやる場合に非常に犠牲を払わなければならぬ、これは先ほどの参考人の御発言の中にも出てきたわけでございますが、FM放送教育放送的な性格というものを考慮したときに、そういう行き方では金もうけにならないということになると経営がしにくくなるわけです。しかし年五分の配当を将来予定されておるという程度で、非常に地道な経営を考えておられるようでございますから、法外な利益を受けて、天下の公器である電波をただで使うて金もうけを野方図にやるというようなことは許されないと思います。経営の健全化、そしてなるべく聴取者に便益を供与するという御方針でやられる際に、教育放送、文化放送のような立場を主としておとりになるこのFMとしては、経営行き詰まりというような事態が起こり縛るのではないかという懸念もあるわけです。これは非常に大事な問題でございますので、単営企業を御計画される以上は、そういう将来の経営、一応これで見たとおりにいかない場合にどういうふうな用意をされるか、さじを投げるということにならないためのいろいろな施策が皆さんの頭脳をかけめぐっておると思います。私自身としては、単営企業というものに対して非常に大きな期待を申し上げているわけでございますが、その期待を裏切らないような中身が用意されておるかどうか、ひとつ最後にお答えを願って、質問を終わります。
  92. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 非常にむずかしい問題でありますので、どう言って答えていいかすぐわかりませんけれども、ただ申し上げますことは、われわれは、これでいけなかったらこれ、これでいけなかったらこれという、五年間の四通りの計画を一応立てておりまして、一番能率のいい計画によりますと、これは一番楽な方法ですが、うまくいかない可能性も多いわけであります。そういうときに、そのうまくいかない可能性がどのくらいかということによって、どの計画をとったらいいかということになるわけですが、これから先もそういうことは実際に企業をやっても必ずつきまとうものだと思います。いまここで、そういう起こるかどうかわからない問題に対して対策を立てるということもむずかしいわけですから、現在はこの計画でもってやってみるというよりほかに答えようがないように思うのであります。
  93. 受田新吉

    ○受田小委員 ちょっといまお答え願わなかった点は、教育放送、文化放送というようなことに力を入れる関係で、スポンサーのつき方という問題ですね。これらについてよほどの努力が必要だと思うのです。そういうことに対する対策はどうされておるか。  それからもう一つ経営者の中には二またも三またもかけて地方のFM放送に顔を出す人が出てくると思うのです。そういうものの扱い方、その資本を独占しないという形であれば、どんどんどのFM放送にも顔を出していいのだというお考えに立っておられるかどうか、ちょっとお答えを願います。
  94. 松尾昭弥

    ○松尾参考人 まずあとのほうの御質問から申し上げたいと思います。あちこちに顔を出すということが、結局はマスコミの支配力をだんだん握っていくことになると思います。したがいまして、そういうことは行なわれないように法律でもって規制していただきたいと考えております。  それから第一番目のほうでございますが、これは教育教養と申しますけれども、差し上げました資料にもございますように、教育教養が必ずしもスポンサーがつきにくいとは思わないわけであります。要はその教育教養的なものが聴取者に支持されているかどうかということでありますので、とにかくFM放送がある程度受信者がおって、ある程度成り立つという前提が立てば、それが娯楽をやろうと、教育をやろうと、そう大して経営上には問題にならないと思います。
  95. 秋田大助

    秋田小委員長 これにて参考人からの意見聴取は終了いたしました。  参考人方々には、御多忙中にもかかわらず、御出席をいただき、忌憚のない御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  次会は来たる六月一日水曜日午前十一時より開会し、作家及びタレント関係参考人を招致し、意見を聴取することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後一時三十二分散会