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1964-05-22 第46回国会 衆議院 逓信委員会電波監理及び放送に関する小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年五月二十二日(金曜日)    午前十一時十七分開議  出席小委員    小委員長 秋田 大助君       加藤常太郎君    上林山榮吉君       佐藤洋之助君    大柴 滋夫君       森本  靖君    受田 新吉君  出席政府委員         郵政事務官         (電波監理局         長)      宮川 岸雄君  小委員外出席者         逓 信 委 員 椎熊 三郎君         逓 信 委 員 永井勝次郎君         郵政事務官         (電波監理局放         送部長)    吉灘  中君         参  考  人         (日本民間放送         連盟会長)  平井常次郎君         参  考  人         (日本民間放送         連盟専務理事) 酒井 三郎君         参  考  人         (日本民間放送         連盟理事)   鈴木 宇市君         参  考  人         (日本民間放送         連盟事務局長) 磯村 幸男君         参  考  人         (日本民間放送         連盟企画部長) 杉山 一男君         参  考  人         (朝日新聞社ラ         ジオテレビ室         長)      藤井 恒男君         参  考  人         (毎日新聞社ラ         ジオテレビ本部         長)      嶋  信治君         参  考  人         (読売新聞社ラ         ジオテレビ推進         本部長)    青山 行雄君         参  考  人         (サンケイ新聞         社電波企画室         長)      富岡 正造君         参  考  人         (京都新聞社常         務取締役)   日高 為政君         参  考  人         (神戸新聞社取         締役東京支社         長)      原   正君         参  考  人         (山陽新聞社東         京支社長)   竹内 俊三君         専  門  員 水田  誠君     ————————————— 本日の会議に付した案件  電波監理及び放送に関する件(放送関係法制に  関する問題等)      ————◇—————
  2. 秋田大助

    秋田小委員長 それでは会議を開きます。  電波監理及び放送に関する件について調査を進めます。  本日は、民間放送関係及び新聞社関係より参考人を招致し、意見を聴取することといたします。  ただいま御出席参考人は、日本民間放送連盟会長平井常次郎君、同専務理事酒井三郎君、同理事鈴木宇市君、同事務局長磯村幸男君、同企画部長杉山一男君、以上五名でございます。なお、新聞社関係参考人は正午ごろ出席の予定であります。  参考人方々には御多用中にもかかわらず御出席くださいまして、ありがとうございました。現在、臨時放送関係法制調査会等におきまして、放送関係法制につき調査を進めております。当委小員会におきましても、これらの問題につきまして調査をするため、各関係方面より参考人を招致し、意見を聴取し、調査参考にいたしている次第でございます。  本日は、参考人方々より、放送及び放送界あり方、また放送関係法制改正問題等につきまして、忌憚のない御意見を拝聴いたしたいと思います。意見の聴取は、まず参考人より意見の発表をお願いいたした後、小委員よりの質疑応答の形で行ないたいと存じます。  それでは、まず平井参考人にお願いいたします。平井常次郎君。
  3. 平井常次郎

    平井参考人 平井でございます。放送法改正が眼前に迫りまして、非常に大切なときなのでありますが、このときにわれわれの意見をお聞きくださる機会を与えていただきましたことを、まずもって厚く御礼申し上げます。こういう機会をなおこれからもたびたびお開き願いまして、意見開陳機会を与えていただきますなれば、さらに幸いだと思うのであります。  放送法の根本的な改正をしていただきたいという念願と申しますか、悲願と申しますか、そういう気持ち民間放送業者の足かけ十年来の非常に熱烈な希望なんであります。御承知のとおり、民間放送が、局数におきましても、内容におきましても、非常に発展してまいりまして、ただいま民間放送会社の数が全国で五十九社ございます。これに沖繩の三社を加えますと、六十二社になるわけでございます。全国テレビで約八五%、ラジオで九〇%くらいをカバーいたしておるわけであります。さらに、第二次チャンネルプランによります中継局ができてまいりますと、テレビは九二、三%までカバーするようになることができるわけでございます。こういうような状態になってまいりまして、私思いまするに、日本放送体制と申しまするものがNHK民間放送併立である。そうしてこの両者はおのおの経営基盤を異にしておりまするで、このNHK民間放送の特徴というか、使命をそれぞれ極度に発揮するようなあり方、それによりまして世界でもまれなNHK商業放送併立というものを十分生かして、そうして放送文化向上あるいは国民の福利幸福に寄与する機会を極度に発揮したいということが、私ども放送法の根本的な改正をしていただきたいという熱願をいたしておりまする根本思想なのでございます。ところが、巷間聞くところによりますと、NHK基幹放送である、NHKだけあれば日本はいいのであるというような考え方が一部にあるようでございます。また、商業放送株式会社であるから、利益追求企業体である、このようなものに、かおりの高い、内容の豊かな番組をつくれるはずがないというような断定をされている方面があるようにも耳にいたしておりまするわけでございます。まことに私どもとしては心外でございまして、NHK民間放送というものは対等、同等に、日本放送文化のために努力しなければならない、しかもそれぞれ企業基盤が違いますがために、またその使命とするところ、あるいは目的とするところも、変わった色合いがあってよいのではないか、二つが相寄って進まなければならぬというときに、一方だけあればそれでよいのだ、というような非常に片寄った議論、それから利益追求会社であるからいいものができるはずがないというような誤った考え方——今日御承知のとおり新聞社株式会社でありますし、電鉄、電気、ガス、その他いずれも株式会社でありますけれども、極度に公共性というものを自覚しておりまして、そうして利益があれば大衆に還元しなければならないというような考えもあり、大いに社会公共のために尽くしたい。したがって、番組の編成にいたしましても、今日ありますものは決して私は民間放送NHKに負けているというような考え方は持っておりません。したがって必ずいいものができるわけでございます。ただ、しからば互いに協調して、お互いに足らざるところを補って、そうして日本放送文化向上につとめるべきではないか。そのためには、今日ありまする放送法というものがNHKを中心につくられております。またそれは無理がないことでありまして、昭和二十五年といえばまだ民間放送のできてないときであります。したがっていまがこれを是正するチャンスである。われわれは十年間これを唱えてきましたけれども、その機はまさに熟してきたのであるというような考え方を持っておりまする次第であります。したがって、こういう希望を持ちまするにあたりましては、あるいは受信料の問題であるとか放送基本計画であるとか、いろいろその点に分かれてわれわれの希望を持っておるわけでございます。それらのこまかい点につきましては、専務理事酒井君からこれから御説明申し上げたいと思います。
  4. 秋田大助

  5. 酒井三郎

    酒井参考人 それでは私から民放連としての放送法改正に対する意見を申し上げます。  お手元に放送法改正に関する意見というのと放送制度問題点というのを差し上げてあります。いずれこれはゆっくり読んでいただくといたしまして、その中で重点的に問題点だけを皆さまに聞いていただきたいと思います。  いまの副会長の話にありましたように、放送法の主要な問題点はどこにある。その第一は、わが国放送事業がなぜNHK民間放送との二本立てになっておるか、その両立意義が明らかでない。これは、ことばをかえて言いますと、NHK性格使命というものが非常に明確でないということが第一の点で、これを明らかにすることが必要だと思います。  御承知のとおり、アメリカは、わずかのノンコマーシャルの教育放送がございますが、まず商業放送一本と言ってもいい。ヨーロッパは、おおむね国営国営的性格の単一の放送局でありますが、日本ではNHK民放併立している。そこでヨーロッパ的にNHK国営的なものにすべきであるというような意見も出てくるかもしれない。あるいはマスメディアのあり方からいいまして、放送新聞と同じように全部商業放送にすべきだというような意見もあるかもしれません。民放といたしましては、一応四十年の歴史を持つNHKというものをここで解体する、一挙に変えるということでなくして、NHK民放とが対等の存在として、両者が相まって放送文化向上をになう制度、こういう制度社会的意義を認めよう、これが現実に即した意見ではないかというふうに考えるわけです。  そうだといたしますと、両者両立している、こういう形にふさわしい放送内容が盛られなければならない。そうでないと、一方は受信料により、一方は広告費による、そういう企業形態経営方式の差だけで、それぞれの企業形態からくる性格の差に従った番組の特色を発揮するということがないわけでございます。同じ土俵の上で相撲がとられるということになる。そういうことではなく、ことにNHKは一方的な強制的な契約に基づく受信料制度、非常に大きな保護特権を与えられておるわけですから、これは視聴者全体、国家国民の全体の要望に応じて、積極的に公共的な福祉に寄与するという点は非常にある。そういう特別な使命があるのではないか。そういうことから、NHKは、民放ではやりにくいスポンサーのつきにくい教育教養番組というようなものに重点を置くべきではないかというような意見が、われわれのあれとして出るわけでございます。  もちろんNHK娯楽番組を全くやめてしまえと言うのではありません。また、民間放送は、教育教養番組をやらないでいいと言うのではない。現に教育専門テレビ局もあるわけでございます。要は両者重点分野を明らかにする、そして視聴者に適当に選択視聴させるということによって、総合的に番組サービスをして公共福祉を増進していくということが重点ではないか。先ほど副会長の話があった、NHK基幹的地位というようなことを言っておりますが、地域的にもあるいは番組種類ごとにも、言いかえれば何もかにもNHK一つで満足させていくというようなことを意味していると思いますが、御承知のとおり波の数は制限がございます。周波数が幾つあってもそれでは足りない。したがって、NHK民放とが協力して、そこで限りあるNHK民放電波をもって、そうして両者が一体となって長短相補っていくというのが放送界あり方ではないか。  そこで、一般放送事業者目的使命ということになりますと、一般放送事業者は、その事業経営財源広告費収入によりてやっております。一般放送事業者放送事業の持つ社会的使命を遂行する責任を負っておりますが、それとともに、NHKと違って、広告媒体として日本産業経済発展に寄与する機能を発揮するという役割りを持っておる。先年の国民生活白書でも、大量生産大量消費とがマスコミを媒体として形成される。そして耐久消費財の拡大をもたらしている。そういう耐久消費財産業わが国経済の中でもビッグビジネスになっている。主要な位置を得るまでに高められる。これはやはり産業高度化に伴って、広告高度化ということが必要だ——その中で、やはり最新、最強の広告媒体として民放の大きな役割りが示されているのだと思います。しかも、民間放送地域をそれぞれ対象としてできておりますが、これを全部総合しますと、全国において受信できる。個々の一般民放地域社会対象とする放送でありますけれども全国において受信できるという方向においてはNHKと同じだと思うのです。もちろん短波放送というような特殊なものは別でございます。したがって、民間放送は特に地域社会対象とする放送重点を置き、健全な娯楽生活に即した教養、公正な報道のための番組を多様に提供するということ、それによって国民生活文化向上をはかる目的使命を持つというふうに考えるわけであります。  それではNHK目的使命はどうか。先ほども触れましたが、これは非常に特殊な法人で、その事業経営財源受信料の大部分をもって充てるというふうにすべきで、その任務は教育教養重点を置いた番組全国において受信できるように放送を行なうものである。そこで、NHK民放とはその企業的性格が違うのですから、すなわち、NHKは公企業的な性格一般民放は私企業、これは配当もしていかなければならぬ。税金NHKと違って払うということがあります。したがって、この相違性から、さらに両者の分担すべき分野を明らかにするということが必要だと思うわけでございます。こういうふうにNHK民放とが両立しまして、一方に偏しないで、対等の立場で協力するということが一番適当である、そこに二本立ての意義があるというふうに考えるわけでございます。  第二の点は、受信料の問題でございます。受信料と申しますと、これは先ほどの民放NHK両立、二本立ての意義考えると、どうしてもNHK受信料性格というものを明確にする、これを合理化しなければならないということが、重点問題として上がってくると思います。現在放送を受信できる施設を持つ者から徴収されている受信料というものは一体何か。どういう性格か。いわばこれは視聴者のほうは放送を受信する対価として払っておる。理屈はともかく、そういうことだと思います。そうなりますと、NHK視聴しない場合でも払わなければならないということは、どうも納得がいかない。対価なら民放もその対象に含まれてくるだろう。ことにテレビが始まって、これはほとんど同時に始まっておりますが、受信料の増収には民間放送が何役も買っている。ところが、現実にはNHK放送を受信してもしなくても契約しなければならない、そのお金は一方的にNHKに入ってくる、こうなりますと、やはり受信料というものは対価ではないじゃないか、一種の税金的性格のものではないか、税金的な性格のものだとすると、視聴しなくても支払いを受けるという、NHKはなぜそういうことになるのか、それはNHKに特別の使命があるのではないか、特別な性格があるのじゃないかということで、この受信料の点からもNHK使命あるいは性格は明確にされなければならないと思うのであります。NHKは、視聴者一人一人がNHK構成員としてその事業をもり立てていく拠出金だと言っておりますが、これは自発的に出しているのではなくして、法律によってきめられるそういう特権保護のもとに集まってくる金であります。そういう点から申しますと、受信料をここでほんとうに合理化しなければならぬ。  そこで、受信料使途をどういうふうに考えるかということが出てくると思うのであります。私どもは、そういうような点からして、受信料性格は、日本放送維持発展させるために視聴者が負担する公的負担金であるというふうに考えていいのではないか、そういう趣旨を法律ではっきりきめたらどうかと思う。そうすると、これがすべてNHK収入となるということはおかしい。そこで、受信料使途というものを別途に考える、この使途はひとつ単独法で定めるようにしたらどうかということでございます。  その使途の第一は、もちろんNHK運営維持に充てるということであります。これはNHKが健全に運営維持されるための財源として使われなければならぬ。もちろん、この場合に、NHKが行ない得る業務の範囲というものを明らかにして、何でもかんでも無制限に、放送と直接関係のない事項に金を出すというようなことはあり得べきことではないし、そういう点で大臣認可事項というようなものを厳格にするというようなこと、受信料が公正に使用されるような措置が必要だと思います。それから第二は、放送向上発展に貸するための費用に充てるということであります。よく、民放に分け前をよこせというようなことを言っているというふうにとられますが、民放は直接われわれに受信料を配分せよということは言っておりませんし、そういう気持ちは全然ございません。受信料は、NHK維持運営のほかに、わが国放送全体の向上発展に資するために使用されなければいけない。たとえば、一、二の例をあげますれば、放送技術研究活用、あるいは放送文化研究活用ということに使うべきである。いまNHKでは文研とか技研がありますが、これはNHKの独占的な付属機関とするのではなくて、これをNHKから独立しまして、広くわが国放送技術文化研究に当たり、その成果が活用される、それがNHK民放とも有機的に連係を持つ、こういうふうにすべきだと思います。それから雑音防止対策費用に充てるべきである。また、受信者のための難視聴地域救済に必要と認められる中継施設に要する費用、これにも充てるべきであるというふうに考えるわけでございます。  先ほど、NHK全国にあまねく受信できる、それから民放も総合すれば全国——視聴者とすればNHKが見られると同じように民放も見られなければならない。私ども法律的な義務はありませんが、しかしいままで民放NHKのあるところ必ず中継局をつくってまいりました。当局の置局の方針もそういうところにあったと思います。これからさらに山間僻地まで中継局をつくっていかなければならない段階にきていると思います。こういうことを考えますと、国の立場としても、視聴者立場としましてもへNHK視聴できるところは必ず民放視聴ができるようにすべきである。民放経営上の犠牲を払ってもそのようにいままでしてきました。またこれからも経営力の整うに従ってそうすべきでありますけれども、しかし国が両者全国にあまねく普及するということを原則にすべきであるし、これを原則にするならば、国民のものである電波を効果的に活用して難視聴区域を解消するため、全国どこでも見られるように、受信料制度合理化によってこれに充てるということが必要だと思います。なお、中継回線の整備のために必要な費用とか、あるいは放送事業の振興のため特に必要と認められる事項とか、そういうものに充てるべきだと思います。  それから、受信料決定収納機関でございますが、受信料決定は、いまは、NHKが徴収する受信料金額を、国会NHK予算を承認することによってきめているということになっております。しかし、NHK予算に対して国会は承認するかあるいは否認するかという権限を持っているので、修正権がない。これはやはり不合理だと思います。受信料公的負担金であるという性格にかんがみまして、NHK収入に限定しないで、NHK運営維持放送向上発展、そういうことのための経費に充当するとすれば、受信料のような性格のもの、その金額は、公共料金の例にならいまして、単独法できめるのが適当であるという考えでございます。  それから、受信料収納機関ですが、放送受信料の徴収はどうするか。これは受信料性格からいろいろ出てまいります。NHKに委託する、NHKが委託されて、これを取る、あるいは政府が徴収する、あるいは別個の収納機関をつくる、いろいろ考えられますが、これはわれわれのほうでは最後的な結論は出ておりません。一長一短があると思います。しかし、少なくともNHKが徴収するのでなくして、取ったものをNHK予算に応じて割り当てるということが至当であろうというふうに考えるわけでございます。  第三の点は、放送基本計画を確立すべきであるというのがわれわれの考え方でございます。この点は、わが国放送あり方、つまりどのような種類放送が、どこに、何局、どのような目的、どのような規模で配置されるか、そういう置局計画を立てることは放送政策上きわめて重要であります。もちろんこういう方針がいままで全然なかったとは言いません。これに値するものは周波数割当計画表というようなものがありましたが、これは法律構成上何らの地位も与えられていない。そこで、わが国放送はどうあるべきか。これから中波というものの前途はなかなかむずかしい問題が控えております。そういう中波短波、それから新しく出てくるFMテレビもまたUHFというようなものが出てまいりますが、そういうような各種の放送目的を遂行するために、国はどういう方針であるのか。そういうことによって放送基本計画をつくる、その内容を明示することによって、放送に対する国の方針があらわされる。この放送基本計画の設定というものは、法律構成上明らかな地位を付与することが必要である、こういうふうに考えるわけであります。  放送免許はこの国の方針である基本計画によって行なわれる。そして、後ほど申し上げますが、新しく権限を強化した放送審議会に諮問して、その上で郵政大臣が処分を決定するということが必要であると思います。いままで、周波数割り当て計画というのは、多分は周波数の配分に主眼が置かれていた傾向があったと思いますが、再検討にあたりましては、この放送基本計画は、放送社会的使命を達成する、そして放送事業経営が確保される、経営の安定というものが基盤にあって、放送のいい番組が行なわれるということでありますから、そういう点を重点に置きまして、放送行政の長期の見通しに立ち、その地域経済的、社会的、文化的諸事情などを十分に考慮された基本計画が作成される必要があるというふうに考えるわけでございます。  民放も非常に発展してきたように思われますが、これからは新しくFMが出てくる、テレビもさらに数がふえてくる、ラジオはある到達する限界点に達した、こういうようなところでございます。そういう点から考えると、経営の安定ということを非常に考えなければいけない。FM放送も御承知のとおりいよいよ本舞台に登場が間近でございます。しかしながら、アメリカの非常に長い間FM放送をやっていたところを考えましても、FCCの報告なんかによりましても、FM放送局というものは大半は赤字である。そういう状態でありますから、わが国FM局が当分赤字であるということは、このことから容易に想像されると思います。またFM局は年々外国混信で使用が不可能である。この代替も考慮していかなければならない。しかし、FM放送免許で一番考慮しなければならない点は、FMの特性を発揮する目的のものにこれを免許するということであります。これはわれわれのやっております放送の音声のさらに一歩進んだものである。そういう高度の、音楽でいえばステレオ放送を主とするものに免許すべきである。そういうことから、FMFMであって、AMではございません。新聞社ニュース放送重点を置くというならば、電波の性質からいいまして、これはむしろAMのほうが適合する。そういうことで新聞AM局、われわれと提携協力すべきだということであって、必ずしも新聞にこれを免許する必要もない。また施設も技術もないし、これからそういうものを整える単営放送局というものはなかなか経営的に成り立たない。成り立たないということは、波を効率的に使えないことだと思います。私どものほうももちろん赤字であると思いますけれども、しかし、われわれはそういう新しい分野を切り開く使命と責任があるという意味で考えているわけでございます。したがって、基本計画には、FMテレビラジオ短波、こういうものを、使用目的をそれぞれどういうふうに考えるか、すべてがいかに特色を発揮するかということ、その中でNHK民放との役割りはどうかということ、そういう放送界の理想の姿、新秩序の形式ということが、基本計画で、はっきり出てくるべきであろうと思います。  そういうことになりますと、放送行政の機能と機構をどういうふうに考えるかということが次に問題になると思います。この点は、私どものほうは、放送審議会というものを設置したらどうか。前の行政委員制度というようなものも考えられますが、これはわが国の土壌に合うかどうか、日本社会経済の実際に合うかどうかということを非常に考えます。  そこで、この放送に関する重要事項を専掌する放送審議会というものを設けて、その組織、権限を強化する。そして郵政省の付属機関とする。ただ委員の任命、これはいろいろ現在の資格の制限がございますが、そういうものをはずして、もっと幅広くすることが必要だ。それから委員のうち若干名は常勤とするということも必要である。またスタッフをこれにつけるということも必要であると思います。そういう放送審議会放送だけの特別な権限を強化した審議会を持っていくことが、いまの基本計画と並んであればいいのではないか。そうして、放送審議会権限としては、放送法改正案とか、あるいは放送法に基づく政令あるいは省令、それらの案、あるいは放送基本計画の設定、変更、免許の付与、拒否、取り消し、そういうような処分、放送行政にわたる重要事項は全部放送審議会に付議する、またそれらについては聴聞を行なうということにすべきである。そうして、放送行政の民主化と合理化をはかるために、審議会の議決を尊重する。この議決に反して措置しようとするときは、その理由、それから各委員意見、これは公表すべきである。そういう方法で権限を強化して、放送合理化することが必要であろうと思います。  第五は、放送の自主性、自律体制であります。放送は非常に大きな強力な力を持っておりますために、非常に効果が、いい効果もあると同時に非難もまた多いのでございます。そういうときに、やはり放送はあくまでもマスコミの一つである、マスコミであるという性格、また憲法に規定する表現の自由の精神、あるいはまた最近の学説によります国家権力による干渉、介入、これは厳に避くべきであるという方向、そういうようなことから考えまして、放送番組に対する規律というものは、法的に規制すべきものでなくして、放送事業者が自主的に行なう、これをあくまでもたてまえにすべきだと思います。もちろん、そのためには、放送事業者みずからが公的使命をほんとうに発揮するということが必要であると思います。そういう点から、自律体制というものを確立しなければならぬ。放送事業者は、自律体制を整備して、国民の期待にこたえなければならぬ。その方向としましては、番組調査とか考査とか、その点をいままで以上に強化するということ、番組審議会の運営を一そう効率的にする、その実をあげるということが必要であると思います。民放連では各社に法律できめられた番組審議会がありますが、法律によらない自主的な一つの組織を設けまして、各社の放送審議会委員を連ねたそういう中から委員を委嘱しまして、全国的な番組審議会の横の関係を密にするということで、いまそういう発足をしております。また、放送番組の編成については、NHKと互いに協調をはかるということも必要である。そういう話し合いの場として、放送番組の協議会というものも設けるべきではないかという意見を持っているわけでございます。  大体NHK民放との両立意義はどこにあるのか、受信料性格がそのうらはらとしてどういうものであって、その使途をどういうふうに考えるか、また放送基本計画というものを確立すべきではないか、その一つとして放送審議会というものをつくる、そしてあくまで放送事業者の自律体制で国民の期待にこたえていくということ、そういうような問題をここで申し上げまして、そのほか一般放送事業も海外放送をやりたい、放送法制の形式としてはどういうことを考えるか、またNHKの内部組織についてもいろいろ意見がございますが、一応いまの重点だけを申し上げまして、いろいろ御質問に答えたいと思います。どうもありがとうございました。     —————————————
  6. 秋田大助

    秋田小委員長 これより質疑を行ないます。森本靖君。
  7. 森本靖

    ○森本小委員 どなたか適当な方にお答え願いたいと思いますが、いま詳しくお聞きいたしましたし、さらにまた文書でもうすでに二月十七日に意見書が出ておりますので、それもずっとわれわれも読ませていただいておりますから、いまおっしゃられた内容については私のほうも十分承知をしておるつもりでありますが、ただ二、三点お聞きしたいと思います。  私が一番民間放送連盟にお聞きしたいと思いますことは、要するに今度の臨時調査会におきましては放送の法体系そのものから検討しておるわけでありまして、そこで法体系そのものについてのいまの御意見については、十分に民間放送連盟としての意見がわかったわけでありまして、さらにまたNHK関係等の問題についても、御意見は十分にわかったわけであります。ただここで、これはNHKにも私はこの間お聞きをいたしましたけれども、回答をようしなかったわけでありますが、先ほど酒井さんからお話がありましたように、やはり何といたしましても、法体系を全部一つの方向にまとめていくということも大切でありますけれども、その法体系をまとめるについては、一体今日の新しい時代に適応したところの日本放送界の将来のビジョンというものはいかにあるべきかということが一番の大きな問題ではなかろうか、こう考えるわけであります。その点については、先ほど御説明がありましたように、「放送基本計画策定の方針」というところで書いておるわけであります。ここには、放送基本計画というものを具体的にここの審議会あたりできめるというような形になっておるわけでありますけれども、その中で、これが法制事項あるいは政令府事項、省令、こういうことでいろいろいわれておりますけれども、肝心のその放送基本計画というものは、日本の今後のテレビラジオ、さらにカラーテレビが発達をするかどうか、さらにFM放送がどうなっていくか、それにつれて中波放送というものをどうすべきであるか、たとえばFM放送発展をしていくという段階になった場合には、現在の県域地域放送すなわち中波というものは引き揚げるべきだという意見もありますし、あるいは中波放送というものは、電力単位の大きな、広範囲な高電力によるところの放送にすべきであるという意見もありますし、あるいはまた今後UHFのテレビというものについても、いまのV以上に、各県庁所在地にはそれぞれもう一局ぐらい設けてもいいのではないか、あるいはまた東京、大阪におけるFM放送の問題、これも限られた一つの有限的な波の間におけるそういう問題でありますから、NHKはこうあるべきである、民間放送はこうあるべきであるという御意見は十分にわかりますけれども、その上に立って、日本の今後のテレビラジオというものの放送界のビジョンがいかようにあるべきであるか。それからテレビというものは、UにしてもVにしても限られた波でありますので、これを、東京、大阪あるいは北九州、名古屋というところは、一体どの程度にこれを許可していくべきであるか。そして地方の県庁所在地等におけるあり方についてはどういうようにすべきであるか。その間におけるラジオというものは、FM中波短波との関係をどうすべきであるか。さらにテレビ関係においては、UとVがおそらく競合になっていくわけでありまして、やがてはオール・チャンネル法も施行される、こういう時代になろうとは思いますけれども、いずれにいたしましても、いまの御意見で、民間放送NHK両立てでいく、またNHKに対するところの制約という御意見もわかりました。ただ問題は、そういうふうにNHK民間放送連盟両立てでいく今後の日本放送界というものは、テレビラジオあわせまして、全国的にどういうビジョンを持っていったらいいのか、そのことについての解明が、具体的な問題でありますが、なされておらぬわけでありまして、そういう点について民間放送連盟としてはいかようなお考えか、もしおわかりでございましたら、ひとつお聞かせ願いたいと思うわけです。
  8. 酒井三郎

    酒井参考人 お答えいたします。  どうも非常に大きい問題で、そういう基本計画がないから、われわれとしてはそういう基本計画をはっきりつくるべきであるという主張をしているのですが、その内容になりますと、なかなかむずかしい問題がありまして、民放連としては一つの意見に必ずしもまとまっていない。しかし、少なくともいまのFMあるいはテレビラジオというものがそれぞれ分担をして、三者がそれぞれ特色を出していくというふうにしていきたいということはあると思います。ですから、外国混信が非常に多いから、これはFMに全部切りかえるべきであるというような議論もあります。これはわれわれの内部でもないことはないのです。しかし、波の特性を考えれば、そういう同じようなものにすべきでないし、それから外国混信が多いからといって中波FMに切りかえれば、受信機は相当数あるのだから外国の波だけ入り込んできて、こっちは裸になる。そういうことではなくて、中波の割り当てというものは国の非常に大きな権益ですから、これはあくまで伸ばしていく。ただ、NHK民放とを考える場合に、今の外国混信が非常に多い場合には、NHK民放がすべてそれをやれるかというと、それはなかなかやれない。そうすればNHKは大電力でカバーし、あるいは外国混信にも対抗する。民放はそれぞれ独立企業体でありまして、そういう点では波はあくまで維持していく、そういう点でNHK民放役割りがあるのではないか。ですから、地域放送につきましても、NHKが大電力の中で、また県別放送を持つというようなことは、いまの外国混信状態考えますと、そうすべきではなくして、地域放送あるいは地方向けの放送というものは、あくまで両方でやる。民放は、そういう特色はNHKよりあると思いますが、NHKがやっていけないということではなくして、そういう波を——いまNHKならNHKで、第一放送もあり、第二放送もある、そういう現状の波の中でやる、民放はまた民放がそういう波でやるというものだろうと思います。  将来のテレビならテレビの形としてどういうふうにするかといえば、これはやはり私ども先生方の御意見こそいろいろお聞きしたいのですが、将来テレビがどうあるべきか、そういう全体的構想というものはいまないわけでございます。したがいまして、たとえばネットワークを考える場合でも、東京は五局民放がありますが、専門局が二局で、一般局は三局である。大阪は四局だが、二局は準教育局みたいなものである。あるいは関門は四局である。そういうことで、ネットワークが考えられていないということがある。  それから、先生の御指摘のラジオテレビは、一体地域社会が違うのかという問題がございます。近畿問題なんかもそうだと思うのです。そういう地域放送と、放送あり方ということを、いまここで、ほんとうに、FMとUHFが新しく出てくるということで考えなければならぬということが必要で、そういうところが、やはり放送法改正の、法律そのもののある意味の前提としてぜひ必要ではないかということはわかるのですが、内部はいろいろ議論がありまして、必ずしも一致しておりません。  それから、地域ごとに、これは放送だけではなくて、やはり東北なら東北、関東なら関東、九州なら九州、それぞれ文化的、経済的に均衡がとれているような——新産都市とかなんとかいろいろありますけれども、そういうものが背景にあって、放送だけでなくて、いろいろな施策もなければならないと思うので、個人的には、それぞれビジョンを持っておると思うのですが、放送だけでもなかなかできない、あるいは民放連としては、確定したものはないというのが正直なところでございます。
  9. 森本靖

    ○森本小委員 いま酒井さんのお話を聞きまして、そのとおりだと思いますけれども、ここへ参考人に呼んだ場合に、どなたも一番むずかしい問題に触れたがらぬわけです。NHKもこの間もいろいろ理屈を言うから、それじゃ一体NHKは、民放とあわせてどういうビジョンを持っているのか、こういう質問をすると、そのビジョンについては検討してもらっておるのだということですから、われわれのほうとしては、長い経験によって一通りの個人個人の意見を持っておりますけれども、できればそういうことについてひとつ民間放送連盟としてのまとまった意見というものが聞ければ、非常に参考になるというふうに考えたわけでありますが、これは民放連の中におきましても、いろいろ利害の相対立するところもあるので、なかなか一致した意見というものはむずかしいと思いますが、郵政省のきょうの資料を見ましても、三十八年度の民放各社の営業収入というものを見ましても、東京が四百十三億、大阪が百七十一億、その次は名古屋が九十四億ということで、あとは大体札幌、福岡が五、六十億で、あとのところはほとんど二十億台以下に下がっておるというようなことで、これを考えてみますと、おのずから一つのビジョンというものが私は出てくるのではないかという気がするわけでありますけれども、これは考えておってもなかなか言わぬので、実はいま酒井さんが言われたように、放送基本計画というものについては、いまあなたがおっしゃったような形において、法制化してこれをきめるということはなかなかむずかしい問題である、ここに一つの大きな悩みがある、こう思うわけでありますが、希望としてちょっと申し上げておきたいと思いますことは、そういうふうな具体的にFM中波放送関係、それからテレビとの関係、それを地域社会にどうおろしていくかというようなことについて、まとまってくるものであるとするならば、民放連としても一つのまとまった放送界のビジョンというものを描いていただきたい。これはできなければしかたがございませんけれども、できればそういうビジョンというものを描いていただきたい。そのことによって、われわれとしても非常に大きな参考になる、こういうふうに考えておるわけでありますので、これはひとつ希望として申し上げておきたいと思います。  それから、この「放送法改正に関する意見」の一二ページに「「三事業の兼営または経営支配の制限」の規定および「複数局支配」の規定等は、放送事業あり方に関連する重要な問題であるので、現在の社会情勢にかんがみ適当であるかどうかを十分検討のうえ、法律で明らかにすべき性質のものである。」こう載っておるわけでありまして、元来この問題についてはこういうふうにすべきであるというのは、実は当委員会の意思において、これを郵政省にも委員会としてはいろいろ超党派的にやったことがあるわけであります。そんな関係で、今日郵政省としては、一応これに対しては免許方針としてはとってきておるわけでありますが、この御意見は明らかにすべき性質のものであるということで、それをどちらもとってないわけでありまして、その辺民放連としてはどういう具体的な御意見であるか、ひとつお聞かせを願いたいと思うわけです。
  10. 酒井三郎

    酒井参考人 この点も民放連として一定した意見がまだできていない。これは一つは放送基本計画と関連しまして、たとえばUHFというようなものをどういうふうに使うか、あるいは地方がどれだけ複数化していくか、いまおおむね地方局は一県一社でございますが、その地方局が複数になっていく場合に、これをどういう形で複数にするかというようなこともいろいろありまして、そういうことと関連があるものですから、民放連としては、いま考えたことが、テレビの全体的構想がある程度出てくるということになると、また違ってくるということも起こるものですから、正直なところ結論はまだ出ておりません。
  11. 森本靖

    ○森本小委員 それから、その次の一五ページの受信料の問題でありますが、私もこの民放連の意見については賛成すべき点もあると思いますけれども、ただ問題になりますのは、ここにa、b、c、d、e、fとあげてあります。こんなに多くのことはとうていでき得ないのであって、やはりほんとうにこれを受信料の中でやるとするならば、この中における事項を、どういう事項重点的にやるべきかというふうにお出しになるべきじゃないか。たとえばこの中のa、b、cのcの雑音防止対策についても、これは英国が今日とっておりますような雑音防止対策をやるとするならば、おそらくこれは数百億の金が要るのではなかろうかというように考えるわけでありまして、現実にはそういうことが非常に必要な今日の段階になっておるわけでありますが、確かにここにa、b、c、d、e、fと並べておることは全部必要なことは間違いありませんが、これについて重点的にどういうふうにお考えになっておるか、ただこういうことをやったほうがいいということで並べられたのか、その辺をちょっと参考までに聞いておきたい、こう思うわけです。
  12. 平井常次郎

    平井参考人 森本さんにお答え申し上げます。  ここに羅列いたしましたのは、いまおっしゃったようにみなやってもらいたいことばかり、このほかにも今度日米教育番組のクリアリング・センターというものをつくる、そういうものに対する財団をこしらえるに必要な金というようなものも、当然これは受信料から回してもらいたいと思うのでございますけれども、森本さんのおっしゃいますどれを一番先にするかという、われわれといたしましては中継回線、マイクロウェーブの完備、それから現在NHKが持っております文化研究所、技術研究所というようなものの開放というようなものが、さしあたってわれわれの希望するものではないか、こう思っておる次第であります。
  13. 森本靖

    ○森本小委員 放送技術研究所の開放、中継回線の整備というようなもの、これは現行でもかなり私はできると思うわけでありますが、一番むずかしいのはやはり雑音の防止対策というものでありますし、またこれは外国から見て日本で一番おろそかになっておるのではないか。こういう点についてもNHK民放連が協力をして、できるようなものをひとつ考えていただきたいというふうに考えるわけです。  それから、一八ページの、これは非常に大事な点になりますが、「日本放送協会の収支予算、決算および事業計画等」、これに対して、現在は、ここに書いてありますように、郵政大臣は単なる受け継ぎで提案権だけになっておるわけでありますが、ここでは郵政大臣が承認権になっておるわけであります。これが承認権ということになってくると、NHK性格というものがいまの性格からかなり変わったものにならざるを得ない。これはやはり現在のように不偏不党、公共性というものを帯びるという形をNHKに望むということであるとするならば、現在の予算の出し方のほうがいいのではないか。いまも郵政省とNHK意見が対立することがたびたびあるわけであります。ありましても、現在の放送法のたてまえからいたしますと、郵政省がこのNHKに対してその行政指導で関与することができない仕組みになっておるわけであります。そこに関与することは、立法府でありますところの国会が、予算の審議の際にいろいろの国民意見を反映できる、こういうことになっておるわけでありますが、かりに一八ページのように修正になったとすれば、もう予算を押えるということは大きな一つの監督強化になるわけでありまして、この点私は民放連の考え方が少し監督強化という方向になっておりはせぬかという気がするわけであります。ここには監督官庁の責任を明らかにするというためにこう出したというふうに言われておりますけれども、明らかにするだけではなしに、これは逆に郵政省がNHKをいわゆる昔のような日本放送協会にする可能性が非常に濃いのではないか、そういう気がするわけでありますが、その辺のことをちょっとお聞きしておきたいと思うわけです。
  14. 平井常次郎

    平井参考人 先のほうの問題でございますが、NHKの技研、文研は現在のままでもいいじゃないかというお話でございますが、これはどうしてもいろいろな調査が現在のままですとNHKが中心になりますので、もっと広くスタンドポイントを高所に置いてやっていくためには、切り離したほうがいいのではないかというふうに私は思っております。  それから、雑音防止のこともお説ごもっともでございまして、今日までもわれわれ地方でみなそれぞれやっておることでありますけれども、どちらを先にといえば、先ほど申し上げたような気がするわけでございます。
  15. 酒井三郎

    酒井参考人 NHKの監督の問題ですけれども、これは受信料というものは非常な特殊な法律で強制力を持ってきめられている。これをどういうふうに監督するかという点になりますと、まあ幾つかの方法がある。一つは国会が監督する。あるいは大衆から選び出された一つの組織があって、これがほんとうの意味の経営委員会みたいになるということがある。そういうところでやる。一つは監督官庁がやる。大きく分ければそういうことだと思いますが、いま国会はこれを承認するかあるいは否認するかという方向で修正権もない。それから一般に民主的にこれはみんな社員であるといっても、社員総会とかあるいはそれに対する一つの監督の方式というものもなかなかないし、そういうもののないような性格であるというようなことをNHKは言っております。いま郵政省は一番責任があると思うのですが、郵政大臣国会予算を出す場合には、郵政大臣そのものが、郵政省そのものがNHK予算を、ある意味で弁護する、あるいは説明するという立場であって、これはやはりいまの非常な保護特権を与えられているNHKというものは、やっぱり郵政大臣が責任を持って、郵政省が責任を持ってやるべきだ。  それから言論の自由その他の点でありますと、この点はヨーロッパ諸国の例も一つ考えられる。ヨーロッパ諸国の国営あるいは国営的性格もありますが、全部これが抑えられるというようなことはないわけであります。  もう一つは、先ほど申し上げました放送審議会というものに非常に権限を持たせる。放送審議会委員の選任というものを非常に考慮する。公正な高い立場の人を考慮するというような、いろいろ総合的に考えて、いまはどこもタッチしているがごとくですが、どこもある意味では深くタッチしていないという点で、やっぱり郵政省が責任を持つのが妥当であろういう考え方なのです。
  16. 秋田大助

    秋田小委員長 上林山榮吉君。
  17. 上林山榮吉

    ○上林山小委員 お互い親しい仲で、しかも前向きの姿勢で日本放送界をいかにすべきかというわけでございますので、見解はお互い相違するかもしれぬけれども、私は性格的に率直にものを言うほうでございますから、その点、ひとつあらかじめ含んで御答弁を願いたいと思います。  まず第一に、だれも口を開けば言論の自由、これを主張されます。当然のことだと思います。しかしその反面、もう少し良識といいましょうか、それとも大局的な見地に立って報道するというような心がまえといいましょうか、その点が足らないのではないかと、私は多くの疑問を持っております。  そこで、お出しになりました番組の自主規制、これはわれわれだけで全部やってのける力もあり、国民の信頼にこたえ得るものを持っております。こういうふうに言い切っておられるのかどうか。私はそこにはよほどの理性と、よほどの反省的な組織と、そうしたようなものがなければできないのではないかという非常な疑問を持っておるのです。最近でも、民放さんがだいぶん番組規制に対して御研究になりまして、よくなっております。だがまだまだ、白痴化運動とは言いませんが、あるいは偏見を持った放送とは言いませんけれども、そうしたようなものを具体的に見ているわけです。私はきわめてテレビラジオを見たり聞いたりするほうでございますが、おかしい。たしかパイロット万年筆がスポンサーだったと思いますが、あれは何チャンネルでしたか、一万円クイズという題材の中に、スリッパを持って若い青年男女が、たばこをくわえ、帽子をかむっておる人に対して、これは会社の重役だ、あるいは上役だという説明のもとに、このたばこを打ち落とす、帽子を打ち落とすためにスリッパを投げるゲームをしておりました。これが教育的な立場から見ても、社会の良俗という点から見ても、はたしてスポンサーがやかましく言ったのかどうかしらぬが、この番組をつくるのはあなた方でしょう。それが、そうしたような番組をいまだにつくっておるということは、はたして自主的な規制のみによって良識ある番組をわれわれはつくり得ると声を大にして言い得るのかどうか、これを酒井さんでも副会長さんでも、どなたでもけっこうですが、私はそこに何か足らないものがあるんじゃないかということを考える。あなた方これはよく考えなければ、みんなが相寄っていいものをつくるという方向にいかないのです。それを憂うる。私はNHKに対しましても、この委員会においては非常にやかましくものを言う一人です。だからどっちにも偏した意味を持っておりませんが、そういう意味でこの問題をまずお聞きしておきたいと思います。
  18. 平井常次郎

    平井参考人 おしかりを受けましたが……。
  19. 上林山榮吉

    ○上林山小委員 しかるのではないのですよ。誤解のないように……。
  20. 平井常次郎

    平井参考人 テレビ民放の所信というものを書いているわけでございます。しかしながら、われわれは決していまのものが万全であるとも思っておりませんし、反省すべき余地が多々あることは十分覚悟いたしております。で、番組審議会におきましても、いま先生のおっしゃったような議論がいつも出るのでございますが、そういうものをできるだけなくしようと、いま努力を積んでおりまするので、部分的にそういうものが出てくるかもしれませんけれども、もう少し日をかしていただきまして、次第次第によくしていくことは約束できると思うのでございます。ただ、大ぜいの者が寄りましてこさえまするので、あるいはそういうちょっと出はずれたことができるかもしれませんが、それは許さるべきことでありませんので、一たん現象面、番組面にあらわれましたときには、さらにそれをよく反省いたしまして、そういう問題の起こらないようにしていきたいという気持ちを常に持っておりまするので、ただ大言壮語してわれわれのほうが完全だというようなことを言っておるのではございません。常に反省とともに進んでおりまするので、その点御了承をいただきたいと思います。
  21. 上林山榮吉

    ○上林山小委員 民放は、その出発において、あるいはまたその性格において、また今後進むべきおもなる方向において、すべき一種の企業だと思います。もっと言いかえれば私企業だと思います。そういう立場に立ちますと、さっき私が具体的例を引いた番組にしても、スポンサー側のいろいろな意見を、重要といいましょうか、あるいは多分に意見をいれていかなければ企業形態というものが成り立たない。スポンサーが少なくなれば結局経営に支障が起こる。こういうところに、やっぱり番組というものが、良識を持っていながらもいいものをつくり出せないという日本の現段階における悩みがあるんじゃないか。もしそうであったとするならば、こういう方面の障害に対しては、一体自主的な番組編成のあなた方の考え方を貫徹できるものかどうか。これもかすに時をもってせよ、十年後には何とかなりましょう、二十年後には何とかなりましょうと言ったのでは——私はことしとか来年にどうせいとは言わぬけれども、そういうふうにさっき申し上げたように長くかかったのでは、やっぱりいけないのじゃないか、こう思うのですが、一体スポンサーと民放さんとのそうした関係はどうなっておるか。ことに、画面を見ておったりしまして、いろいろな見方がありましょう。だが、あまりにも広告がたくさん出過ぎて、結局広告の値打ちがかえってなくなるんじゃないかとすら思う場合もあるんですが、そういうようなことも勘案して、これはひとつ記録に残しておきたいと思いますので、御説明願っておきたいと思います。
  22. 平井常次郎

    平井参考人 それでは私から御返事いたします。スポンサーと局の関係でございまするが、スポンサーができました番組を局へ持ってまいりまする場合と、それから、スポンサーの委嘱を受けまして局でつくる番組と二通りあるのでございます。スポンサーから持ってまいりまする番組は、これをプレビューいたしまして、よくないものと判断をしたものは、むろんこれをはねつけております。それからスポンサーが番組の制作を会社に委嘱いたしました場合には、むろんスポンサーの意見も聞きますけれども、そのスポンサーの要望が非常に度はずれであるとか、よくないということを社で認めました場合は、それを断わっております。そういうような状態でいままでやってきておるわけでございまして、よく民放はスポンサーの言うままになっているじゃないかというような御批判をいただくことがあるのですが、昔はそういう場合があるいはあったかもしれませんけれども、今日におきましては、番組の判断と申しまするか、その点は決してスポンサーの言うままにはなっておらないということをひとつ御返事申し上げておきます。
  23. 上林山榮吉

    ○上林山小委員 おそらく心がまえとしては、ただいま御答弁のとおりであろうと思いますが、目も届かぬし、あるいはまた、画面その他にあらわれているところを見ますと、まだまだ十分なものではない、こう田ふうのです。そこで、昭和三十八年度だけでけっこうですが、一年間に、番組をおもなる部分を変更したとか、あるいは全然お断わりしたとか、スポンサーに対して一体どれくらいそういうことがあったでしょうか。参考にひとつ聞かしていかだきたい。
  24. 平井常次郎

    平井参考人 いまここではっきり御答弁するほど知ってはおりません。局によってみなそれぞれ違うものでございますから、御趣旨によりまして、取り調べて御返事申し上げてもいいと思います。
  25. 上林山榮吉

    ○上林山小委員 受信料の問題ですが、最近受信料の問題について、民放さんの言われる主張は、私も半ばわかるものもあると思います。以前は、何といいましょうか、露骨といいましょうか、あるいは極端なことを言わしていただけば、考え違いの欲望といいましょうか、そうしたような片りんが見られました。これは遺憾であったと思うのです。だが、いま申し上げたとおり、確かに一歩前進したお考えに変わったことは私も了とする一人でございます。  そこで、この受信料に関連いたしまして、あなた方のほうで出されたものによりますと、「国民の負担の軽減を希望しているものであって、受信料の引上げを主張したことはかつてない。」これはどういう意味ですか。受信料の問題については当委員会が権限を持っております。われわれもこれに賛否の権限を持っておりますので申し上げるわけですが、われわれは料金の引き上げを主張したことはない。またNHKさんも、最近に至ってこういう主張をしておることはないので、むしろ、でき得るならば引き下げの方向に進めなければならぬ、こういうことを私どもも主張しているんです。だが、ここにお書きになった、国民はそういうことについて引き上げを要求したことはないという意味にとれるような書き方をしておられるんですが、これはどういう意味ですか。
  26. 酒井三郎

    酒井参考人 その点はそこに書かなくてもよかったわけなんですけれどもNHKさんの最近の書いたものの中に、民放受信料の引き上げを言っているのだ、こういうことを言われているのです。それはどういうことかというと、いまの受信料というものはNHK経営維持に充てているのだ、ところが民放は、そのほかに、難視聴区域の救済のために道路をつくるとか、そういうものはNHKが出したらいいだろうとか、いままでNHKがやっていないことを受信料によってやる、そういうことになると受信料の値上げをしなければできない、だから民放連の意見受信料引き上げを言っているのだ、こういうことを言われているのです。だから、われわれは受信料引き上げということをちっとも言っていないということを言っただけのことでございます。  それから、先ほどの広告主との問題ですが、これは、広告のほうも非常に自省をしなければならぬ、自律規制を強めなければならぬということで広告主協会というのがありますが、そのほかに広告に関連するすべての団体の全国広告協議会というのができまして、そこで苦情処理部なんてものを新しく設けまして、いろいろ一般からの苦情を受けて、それを処理する。それから、私どものほうは、定則的に、あるいは随時に、そういう広告関係の団体と話し合いをしております。それからまた審議会もそういう人たちに入ってもらっているのです。先生のおっしゃるようなことはあると思いますが、最初から考えると、視聴率というものに最初ほどスポンサーがこだわらなくなってきた。これは、だれもかれもただ聞いてもらって、見てもらって、視聴率を高めればよろしいということでなくて、やはりほんとうの購買層をねらって固定した聴視者をつかむということが必要であるという考え方が非常に強くなってきた。それからいま先生のおっしゃったような、この番組は非常に下劣だというようなことになりますと、そういう放送サービスの品質が悪いというときには、結局広告媒体の価値も減ってくる、商品の価値についても疑われる、会社のイメージも低下するというようなことで、結局そういう企業の意欲と公共への奉仕というものが自然調節されてくるという方向にきているわけでございます。これはそれだけじゃだめだと言われるかもわかりませんが、大いにそういう方向で努力しているところでございます。個々の問題については、いま何件あるかということはちょっと言えないのですが、絶えずそういう問題は処理しているわけでございます。  なお、放送番組審議会がございますが、昨年一年間で各社の番組審議会でどれだけの効果をあげたか、これは先生のお話と、スポンサーのあれですから違うのですが、番組そのもので言いますと、昨年一年の大体の統計を最近とりまして、テレビのほうですが、百十四件、審議会の意見あるいは審議会の示唆によって新しい番組をつくりました。いろいろございます。これをちょっと内容を申し上げれば、新しい番組をつくったものが約七十本くらい、審議会の意見によってつくった。それから一般教養番組、その中で、郷土に関係しまして、たとえばこれからの農協はどういうふうになるかとか、あすへの道しるべとか、青森県の産業の未来像とか、そういうような郷土の生産その他に関係するような番組が二十何本かあります。それから一般教養番組で主婦のための「エプロン大学」をつくるとか、立命館大学の自然学講座を取り入れた「テレビ大学」というものを創設したとか、「源氏物語講座」をつくったとか、その他各社いろいろございますが、そういうものも二十四本審議会の意見によってつくられました。それからニュースにつきましては、ニュースを非常に拡充しろ、時間を変えろ、短いから時間を延ばせというようなものがございまして、そういうものが十本くらい新設されております。それからキャンペーンの番組です。これは交通問題もあったり、火災防止その他緑を——花を植えるとか、あるいは長野県を美しくしましょうとか、そういうキャンペーン番組も、審議会の結果で十何本かできております。それから審議会の結果中止をしたという番組がございます。これはフジテレビなんかの「仙人部落」とか「少年探偵団」とか九州朝日放送で「ショック」というようなドラマ番組がありますが、これも非常に怪奇的なものだから、やめるべきじゃないかという話が審議会で出て、やめたというような例がございます。これはラジオでもそういうものが最近のアンケートをとりますと、やはり相当程度ございまして、大体傾向としてはやはり地域社会に密接した番組をつくる、あるいはニュース報道関係をもっと充実するというような方向にいっておりまして、番組を廃止した例はラジオのほうは五つばかりあります。それだけちょっと御紹介しておきます。
  27. 上林山榮吉

    ○上林山小委員 どうもお互いに時間がなくて、大事な問題を審議するにはふさわしくないと思いますけれども、私がさっき申し上げたのは、ほんとうに率直な気持ちで申し上げております。そういう意味合いで、皆さんのほうでもなるほど、われわれはこれは正しいと考えていたのだけれども、世間にはそういうような見方もあるかということをまず念頭に置いた考え方をしていただかないと、ときにこれが利害関係が対立いたしまして、結局民放NHKが、俗なことばでいえばけんかをしているのじゃないか、世間にそういう印象を与えられることは、私はまことに遺憾だと思いますので、私がさっき申し上げたとおり、前向きの姿勢で国民がほんとうに喜ぶ、しかも良識的な放送はどうあるべきか、ここにやはりピントを合わしていかなければならないわけですから、そういう意味合いで単に質問したからこれに答えておけばいいという考え方でなくて、さっき私が指摘した番組を見てごらんなさい。なるほどこれは教育上もひどい。民放公共放送ではないけれども公共性もある程度持っておるのだという自負をされる皆さんとしては、やはり指摘されたら見てみようかという気を起こしていただかないといけぬのではなかろうか、こう思います。  まだたくさんありますが、いずれ法律のできる前にまたお話を伺う機会があるかと思いますので、本日は私の質問はこれで終わります。
  28. 秋田大助

    秋田小委員長 これにて民間放送関係参考人からの意見聴取は終了いたしました。  参考人方々には御多忙中にかかわらず御出席をいただき、忌憚のない御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。     —————————————
  29. 秋田大助

    秋田小委員長 次に、新聞社関係参考人意見を聴取することといたします。  ただいま御出席参考人の方は、朝日新聞社ラジオテレビ室長藤井恒男君、毎日新聞社ラジオテレビ本部長嶋信治君、読売新聞社ラジオテレビ推進本部長青山行雄君、サンケイ新聞社電波企画室長富岡正造君、京都新聞社常務取締役日高為政君、神戸新聞社締役東京支社長原正君、山陽新聞社東京支社長竹内俊三君、以上七名の方々でございます。  参考人方々には、御多忙中にもかかわらず、御出席をいただきありがとうございました。現在臨時放送関係法制調査会等におきまして、放送関係法制につき調査を進めておりますが、当小委員会におきましても、これらの問題につきまして調査をするため、各関係方面より参考人を招致し、意見を聴取し、調査参考にいたしておる次第であります。  本日は、参考人方々より、放送及び放送界あり方、また放送関係法制改正問題等につきまして、忌憚のない御意見を拝聴いたしたいと思います。意見の聴取は、まず参考人より意見の発表をお願いいたした後、小委員よりの質疑応答の形で行ないたいと存じます。  それではまず藤井参考人にお願いいたします。
  30. 藤井恒男

    ○藤井参考人 藤井でございますが、ただいま委員長からの御説明の趣旨に沿いまして新聞界、ことに全国日刊新聞八十七社の意見を代表しまして総括的な意見を述べたいと思います。  わが民間放送界、もちろんNHKもあわせまして、わが放送界は異常な進歩を遂げました。標準放送から短波あるいはVHFによるテレビ放送と進歩いたしまして、また近くFM問題あるいはUHF帯によるところの電波の開発という問題を控えまして、非常に大きな問題に直面いたしてまいりました。郵政当局におかれてもこの大きな問題を処理するには、現在の放送関係法ではたして処理し得るかどうかという問題も含めまして、一昨年秋十月に臨時放送関係法制調査会というものをおつくりになりまして、民間識者を集めて、意見を徴され、その答申に待つということになりました。われわれ新聞界といたしましても、高い次元の論評的立場も含めまして、この今回の放送法改正には無関心ではあり得ないのでございます。私は、これをいつもこういうふうに一つの例証で説明しておりますが、放送法という一つの着物といいますか、洋服と申しますか、それがその着物を着せる実態に合わなくなった、言いかえれば放送の実態が非常に発達をして、すでにその洋服なり着物では身幅も身たけも合わなくなってしまった、いわゆる現実と法制にずれが出てきたのではないかと考えておる次第でございます。  そこで今回放送関係法の改正という——改悪では困るのですし、また改定でも困るのですが、改正という点につきまして、先ほど例をあげましたように、着物の仕立てがえのときにその着せる実態というものをしっかり把握して、ぶかっこうな着物、あるいは腕や足がにゅっと出てすぐ仕立て直さなければならない着物では困るので、この際放送電波あり方というものをまずしっかり規定していただかなければ、すぐほころびを生ずるというふうに危惧するものでございます。国会におかれても、百年といわずとも、少なくとも十年や十五年は手直しをせずに済むりっぱな着物、放送関係法を制定していただきたい、改正していただきたいということを念願する次第でございます。  そこで議論を進めまして、電波行政と申しますか、わが国における電波政策がはたしてどうなっているだろうかという点でございます。われわれはわが国生活に重大な影響を持つ電波というものがはたして日本の国策として一貫して処理されてきたかどうか、電波行政が一貫して行なわれてきたかどうかということについて大いなる危惧を抱いておるものでございます。電波国民生活に大きな影響を与えるということは、賢明なる国会議員諸公におかれても十分認識のことだと思います。一時は一億総白痴化といわれ、あるいは青少年の非行問題が取り上げられて、その影響するところ甚大でございます。そこで私たちがこれを高い角度からながめてまいりましたときに、ことばが言い過ぎかもしれませんが、政党政治が行なわれる国で、その政権を担当する政党にはたして一貫したりっぱな電波政策があったかどうかということを危惧するのでございます。  今回放送法改正という段階に参りまして、各政党の政調会あるいは政審会の中に小委員会ができまして、これを検討されるということは、おそまきながらもまことに邦家のために慶賀にたえないと私は信じておるのでございますが、ふだんその政権を担当する政党に、これほど大きな影響を与える放送電波政策というものが欠けるために、時の郵政大臣が郵政監理当局の一つの行政方針その他によってややもすれば個人的判断で行政が処理されてきたのではないかということについても、大いなる危惧を持つのでございます。そしてその結果往々にして、電波は利権ではないかといわれるような一種の誤解さえ与えるような状態がなきにしもなかったと言わざるを得ないのでございます。今回の放送電波界の大事に際しまして、その点特別の御配慮をお願いしたいということを念願するのでございます。  そこでさらに問題を進めまして、われわれ新聞社放送電波に関心を寄せている立場について御説明いたしたいと思います。なぜわれわれは非常に深い関心を持つかという点でございます。われわれは、簡単に結論を申せば、放送電波というものも、言いかえれば放送機関というものは、報道、言論機関の一つであるという考えを持っております。したがって、放送関係法の改正はマスコミ全般にわたって大きな影響を持つという立場から深い関心を払わざるを得ないのでございます。われわれ新聞社はニュースペーパーを媒体として報道、言論活動をいたしております。電波はウエーブを使って、手段的差異はあっても、同じ目的を果たすために、もちろん技術的に幾多の制約を受けますけれども、同じ任務を果たしているのだとわれわれは信じているのでございます。そして同じ社会公共使命を果たしていると自負しているのでございます。  新聞社はこの電波媒体としてりっぱな報道、言論機関であるという立場から、大正十四年にNHKが創立されまして、日本で初めて放送局というものが誕生し、そして放送活動が行なわれましたときに、新聞社はニュース報道の面でこれに協力し、あるいはそういう御記憶のある方があるかもしれませんが、ニュースの時間にはそれぞれの新聞社のクレジットをつけてニュース的協力をいたしておりました。また受像機、当時は受信機でございますが、受信機の普及のために番組を紹介し、あるいは番組を解説して、国民、聴視者の関心をそれに寄せ、そして日本のりっぱな放送文化の確立に協力してまいりました。これは紙面的にも、先ほど申しましたニュース提供の面においても、協力してきたのでございます。そうした紙面活動というものが、今日各新聞社の紙面にその尾てい骨として残っているといっても過言ではないと私は思います。  さらに日本に民間商業放送免許されるという機運が起きますや、各新聞社はいち早くそれぞれの新聞社の中に研究機関をつくりまして、放送局の申請をいたしました。これも一にニュース的媒体としての電波というものが、いかに重要であるかという認識の上に立ったものでございます。またそうすることが、新聞社の本来の使命と自覚しての上のことでございます。もしあの時点において、電波媒体というものに対して私たちの先輩たちが無関心でいたならば、それは公共使命を忘れたというそしりを受けるでしょうし、また社会的批判を受けるべきものであったと思います。  そして日本商業放送の誕生は、一部の特殊なものを除きまして新聞社を中心とし、そしておのおのの地域社会経済的協力のもとに発足したのでございます。もちろん放送局は報道、言論機関だと申しましても、その機能の中には、あるいは放送内容の中には、それ自体教育教養的なもの、あるいは国民に一つの慰安を与えるといいますか、娯楽的な機能をもちろん果たしているのでございます。それはあたかも新聞紙において——私はこれをニュースペーパーと申しますが、ニュース報道があり、あるいは解説があり、あるいは小説がある、あるいはお料理の記事や編みものの記事があるごとく、国民社会生活向上に寄与しなければならない必要な資料を提供しておりますけれども、それと同じように、もちろん放送番組内容にもそういうものを含んでおるのでございます。しかし一番重要なことは、そうして一番重要な本質は、電波が報道、言論機関機能を備えているということだと私たちは信じております。放送電波がいかに重要な役割りを果たしているか、また非常の際においてもそれがいかに重要な任務を果たしているかということは、賢明なる議員諸公におかれては万々御承知の上のことだと思います。そこで議論を進めますについて、ただいま御説明申し上げました放送電波が報道、言論機関であるという事実は、放送あり方といいますか、放送とは何ぞやというそのあり方が第一の条件だと私たちは思います。そしてさらに放送あり方について議論を進めていきたいと思います。  ただいま申しましたのが第一の点であります。話を進めますその次の第一は、よく言われます電波国民のものである、電波国民の財産であると言われます。日本の国土というもの、それはもちろん国有地もありましょうし、その他官有地もありましょう。あるいは個人の私有財産の土地もあると思いますが、埋め立てをしない限り日本の全部の国土というものはそれ以上のものはない、限られたもの以上のものはない、言いかえれば日本の国土全部はやはり国民の一つの財産でございます。日本国民の財産でございます。と同じように、電波というものも、国際会議で割り当てを受けて日本にはこれだけの波を割り当てるという立場から考えれば、日本国民の持っている限られた財産の一つでございます。たとえば現在のVHFにおけるテレビというものは十二しかないのだ、いわゆる一チャンネルから十二チャンネルまでしかないのだということは、かってに十三チャンネルにふやし、十四チャンネルにふやすことはできないと同じでございまして、国民の財産であります。よく免許に際してあるいは免許申請にあたりまして、国民電波だというふうなことが聞こえますが、それは利権ということではなく、私たちはその国民の財産たる電波考えますときに一番重要なことは、それがいかに国民のもの的に運営されているということだと思います。そこに大きな問題がある。国民福祉の増進あるいは公共利益のためにはたして役立っているかどうかという点だと思います。たとえて言うと、小さいことのようですけれども例をあげますれば、国民が一日の労働に疲れて、特殊な人を除いて、わが家で安らかなる眠りをとろうとする真夜中にテレビ放送されているということは、はたして国民利益に合致するものでしょうか。国民生活体系にはたして合っているものであろうかどうか。ことに農村地帯においてしかりでございます。そこで、そういうわれわれの日常の生活体系そのものに合った放送運営されているということが、電波国民のものであるという意味で、電波国民のもの的に運営されているかどうかと言わざるを得ないのでございます。番組内容においてしかりでございます。われわれもその教育を受けました、われわれが子弟を養うときに家庭において、学校においてせっせと教育をし、しつけをする努力をしているときに、放送番組内容ははたしてその努力をぶちこわしてはいないかということを考えざるを得ません。あまりにも現在の放送は商業主義に徹してはいないかという危惧すら抱くのでございます。  次にNHK民放の問題でございます。  わが国は、放送局性格の面から見ますと公営的というか、予算国会で審議される準国営的といいますか、適当なことばがありませんが、われわれはそういうふうに了解するのでございます。そういう性格、傾向を持っている日本放送協会、いわゆるNHKというものと純然たる民間商業放送とが共存しておるのであります。そういう意味で世界に類のない国だと言わざるを得ません。アメリカにはNHK的なものは存在いたしません。全部が商業放送であります。欧州には一部を除いて日本と同じようなNHK的なものの存在が多いのでございます。NHKという強力な組織を持つ公営放送局と、あだ花のごとく咲き乱れた商業放送局とが共存しておるというのが日本の実態でございます。そこで、その議論を進めましても時間がたちますので、そこでわれわれとしてこうした性格の違うものをどう扱うか、これが大きな問題だと思います。  われわれ、先ほど申しました日刊全国八十七社の研究会における結論といたしましては、現状においてこのNHK的なものと民間商業放送局との併立を認めるべきだ、併存、共存を認めるべきだという立場に立っております。この問題は、日本に初めて商業放送が許されるときに、その時点において一体どういう議論が行なわれただろうということをわれわれはいつも思うのでございます。寡聞にしてそのことの詳細なデータを持ちませんけれども、今日ややもすればNHK民間放送を強力な相手とし、民間商業放送NHKを強力な相手として大いなる論争を展開しておられますけれども、この根本は、初めて日本NHKと併存させる商業放送免許したときに問題があるのでございます。しかし、いま日本にはNHKを廃止して全部商業放送にしろとか、あるいは商業放送をもっと制約しろとかいうふうな議論は、現状においてはほとんど不可能に近い、言いかえれば両方が積み重ねてきた実績というものは、この際それを御破算にするということはほとんど不可能です。またそれを行なうだけの政治力というものが日本にあるだろうかという点について、大いなる疑問を持ちます。要はNHK民間放送とがそれぞれの使命と特性を生かしつつ共存共栄していくことを認めていくよりほか手はないと思います。またそうさすべきではないかというのがわれわれの考え方でございます。したがって、先ほど申しました着物の仕立てがえ、仕立て直しのとき、言いかえれば縫製にあたっては、NHK民間放送とが併存しているという現実の上に立って立法さるべきであると考えるのでございます。現在の放送法は、ほとんどNHK的なものを対象としたものであって、民間放送的なものは非常に少ないのでございます。これは私たちは法律の専門家ではありませんけれども、しろうとが見ましてもそういうふうに感ずるのでございます。  さらに、今度は主体性の確立ということについて御説明申し上げます。  私は、今回の放送法改正にあたって、行政指導に名をかりて放送局、言いかえれば報道、言論統制を行なうことは避けられたいということを希望したいのでございます。もちろん番組内容の低俗化とかいろいろな問題がありまして、とかく世評はきびしゅうございますけれども、あくまでも放送局自体の自主的規制、自主的反省、あるいは自主的審議というもので規制さるべきだとわれわれは信ずるのでございます。もちろん先ほど申しました電波技術というものには、幾多の技術的な点において、混信る避ける、あるいは規定のパワーがはたして放送されているのかどうかという点、いろいろの点がございまして、技術的には大いなる規制、監督は必要でございましょうけれども内容につきましてどこまでも自主的規制に待つべきである、そうして放送局はそれぞれ主体性を確立し、教育効用的機能、娯楽的機能と並んで、そして報道機関としての機能をさらに一段と大きく進展さすべきときではないかと信ずるのでございます。これが、概略申し上げまして放送とは何ぞやということについての説明でございます。  次に触れたいことは、ファクシミリという問題でございます。ファクシミリとは御存じのように模写電送と申しまして、文字や図版を無線または有線で遠くへ送ることを申します。新聞界のわれわれといたしましては、もちろん将来の問題、明日の課題でございますけれども、われわれのニュース報道、言論報道の伝達輸送手段の技術的発展の方向として、ファクシミリによって新聞紙面を読者に送達するというビジョンを持っております。印刷技術の改革あるいは輸送手段の改革、とわれわれはニュース報道本来の使命を果たすために、一刻も早く国民、読者へ世の中の政治現象、社会現象あるいはあらゆる現象、事象を伝達するという目標に向かって研さんを積んでまいりました。そして技術革新に努力してまいりました。たとえて申しますと、この写真現像はいかにすれば五秒縮まるか、秒を争うような努力を続けてまいりました。現に国会議員諸公の皆さまも御存じだと思いますが、国会の記事は国会のわきにあります各社の記者クラブの部屋から、漢字電送と申しまして、タイプライターのようなものでございますが、漢字と略称しております。その漢電をたたけば、その末端に自動モノタイプが連結をしておりまして、それがそのまま活字になります。一つの例をあげますと、大阪にある新聞社でも、九州にあります印刷所でも、この国会の記者クラブで打った漢字電送のタイプが、そのまま電気的速度をもってそれぞれの印刷所で活字になっているのであります。こうした技術革新、技術改革ということに日夜腐心してきたのでございます。これはとりもなおさず、新聞報道の本来の使命を達成するための努力であります。  しかし、しょせんはこれはニュースペーパーの製作工程におけるスピードアップの問題であり、その解決にすぎないのでございます。もっと大きな問題が残っている。ニュースペーパーというものは、いかに早く印刷されても、それがそこに積まれている間は何らの価値のないものでございます。そのニュースペーパーが国民読者に配達され、その目に触れなければならない。そこでただいま申し上げました問題は、いかにして新聞社の印刷発行所から読者の手元、言いかえれば発送の窓口から読者のポストまで、そこに横たわる時間と空間をいかにして克服するかということでございます。現在は自動車あるいは列車、自転車、脚力という人力によってこれは配達されておりますけれども、この問題を、この国民、読者との間にある時間と空間を克服する一つの手段について幾多の研究をしてまいりましたが、ここに開発されてきたのが電波でございます。昭和三十四年六月、現在のマイクロウェーブを使いまして東京−札幌間に新聞の一ページ大の紙面を電送し、それを北海道でオフセット印刷と組み合わせることによって大規模なファクシミリが行なわれました。一九五六年、昭和三十一年でございますが、世界で最初に紙面を電送で送ったのは、ニューヨークタイムズがニューヨーク、サンフランシスコ間で一時的に実施した以外、日本が最初でございます。日本新聞の製作工程は大きな革命期に入ったのでございます。しかも世界的成果をあげつつあるのでございます。現在、東京−札幌あるいは東京−富山あるいは東京−大阪と、逐次マイクロウエーブを使うファクシミリ輸送が行なわれております。このことは、電波を使っておりますが、ある意味では印刷革命だと言う方もおります。しかし、われわれは読者と新聞発行所の間をつなぐ時間、空間を克服したところの一つの輸送革命だと考えているのでございます。  そこで、近く開発を予定される、現に実験放送が行なわれておりますけれどもFM放送には、このファクシミリの通信ができるという可能性を持っております。FMにはそうした機能を内包しているわけです。そしてもしわれわれのビジョンが達成されれば、各家庭に受信機を置いて、その放送されるファクシミリ、家庭ファクシミリと名づけますか、何といいますか、まだ名前はありませんけれども、それを受信することができる、そういう性能をFMは持っているのでございます。もちろん、現在の中波でもやれないことはありませんけれども、その間他の音声放送を中止しなければなりませんが、FMの場合は音声放送、立体放送を行ないつつファクシミリ通信ができるという性能を持っているのでございます。  そこで私どもは、この家庭ファクシミリともいうべき模写電送がはたして現在われわれの考えている放送というカテゴリー、放送という概念の中に入るものであるかどうかということについて、大いなる考えをいたすのでございます。現行の電波法施行細則あるいは放送局の開設根本基準などに規定し、または定義づけている中に、ファクシミリ放送ということばがございます。これについて、かかる観点から非常な大いなる疑義を持つのでございます。手段としては確かに放送的かもしれないが、内容と効果は現在われわれが聞いたり見たりしている放送とは全然別個のものでございます。したがって、放送業務を規定して、機械的放送法制の統制下にファクシミリ放送を置くことはどうかと考えるのでございます。長い歴史とともに確立され、そして民主主義のもととなった新聞の自由をくつがえし、社会的機構としての新聞の存在を危うくするのではないか、またかくすることは社会的損失を招くのではないかと考えざるを得ないのでございます。われわれは、活字や写真を電送して記録性、保存性を目的とするファクシミリ通信業務が、音声もしくは映像の瞬間的送達を目的とするラジオ放送テレビジョン放送放送業務とは全く異質のものであるということを強調したいのでございます。国会におかれましても、十分その機能、またその社会的影響力、あらゆる点を御考慮くださいまして善処されんことをお願いしたいのでございます。  次に、新聞社放送局経営することについて若干の説明をいたしまして、私の概論を終わりたいと思います。  つまり新聞社放送局経営するということは、電波媒体を使ってニュース報道活動をするということでございますが、当局は言論の地域的独占を排除するという理由をもって新聞放送事業の兼営を禁止し、資本、役員の制限を行なってまいりました。この制限は、日本に初めて民間商業放送が許された当時、もちろんラジオでございますが、その当時かかる制限はなかったのでございます。テレビ局の大量免許に際しましてつけられたものでございます。大量免許の際には、免許の技術として、当時の事情から推してあるいは理由のなきことでなかったかもしれないとも思います。しかし、すでにラジオ放送テレビジョン放送について、NHK民放全国にネットして全土をカバーし、また世界に類のない新聞界の発達している現状から見まして、マスメディアの独占、あるいは言論の独占などは心配する必要のないのが現状ではないかと思うのであります。  特にここで私がこの問題を取り上げましたゆえんのものは、こうした暴論と言っては少し激し過ぎるかもしれませんけれども、暴論とも言うべき議論をもとにして、これからの電波行政の実際にあたって、放送業務から新聞社を締め出してしまえという議論が一部にあるのではないか、そういう議論を立てる人が一部にいるのではないかということから、私はこの問題をここにささげたのでございます。  先刻も申し上げましたように、大衆情報伝達方法、手段というものは、科学技術の発達とともに変遷、躍進してきたのでございます。文字のない時代は口伝と申しまして口から耳へ、口から耳へと伝わったのでございます。あるいは、さらに進んでかわら版となり、その後技術革新に基づいて発達してまいりました。しかし活字文化というか、印刷技術の開発によって今日の新聞ができまして、報道活動を活発にしてまいったのでございます。その活字文化といいますか、いま言いました印刷技術とともに、また写真技術も発達いたしまして、先ほど申しました今日の新聞、いわゆるニュースペーパーの発達普及となったのでございます。また、その間ムービングピクチャーが開発されるや、いわゆるニュース映画を製作し、そして動く写真として、大衆情報手段としてわれわれは活用してきたのでございます。  そこで、電波技術の開発は大衆情報伝達手段に一大革命をもたらしました。いわゆる電波化時代とでも申すべき時代でございましょう。もちろん、先刻申し上げましたように、放送電波教育教養的機能や娯楽的機能を果たす手段としての働きは持っておりますが、最も重大な報道、言論機能を持っているのでございます。マスメディアとしての電波をわれわれ新聞社が使用することは、報道機関本来の任務を遂行することになるのでございます。新聞社は、ニュースペーパーも媒体として使うが、ニュースウエーブも当然使わなければならないのでございます。そうしてこそ報道、言論機関に課せられた天来の任務を遂行することができるのでございます。われわれは百年に近い歴史を持ち、そして長い体験の中から自由と責任を自覚し、公共的報道の使命と技術を身につけております。  繰り返して申し上げるならば、電波を持たずして報道、言論機関としての重要な活動はいまや期し得ない。また新聞放送事業を兼営しても、もはや言論の独占支配というものはあり得ない。さらに三つ目としまして、新しい放送界には、より高度の社会的信頼感と公共意識もある新しいにない手の出現を必要としているのではないか。したがって、放送関係法制改正にあたって新聞界を締め出すがごときことのないよう、十分考慮されたいことを要望してやみません。  私が一般論として述べましたことは以上のことでございます。きょうはそれぞれの代表が見えておりますので、引き続きお話しを願い、皆さまの質疑にお答えいたしたいと思うのでございます。
  31. 秋田大助

    秋田小委員長 次に日高参考人。  日高参考人にお願い申し上げますが、時間も相当たっておりますので、御意見の御要点を簡潔にお述べ願えれば幸いでございます。
  32. 日高為政

    ○日高参考人 時間がないそうでございますから、用意してきました原稿を朗読するような形でスピーディーにお話しを申し上げたいと思います。  私は、一地方紙の経営に携わっている者といたしまして、地方紙独自の立場から、放送法改正に関連する所見の一端を簡単に述べさせていただきたいと思います。  御承知のとおり、公共性を持つ私企業としての地方紙と全国紙というものは、その経営形態なり、その規模、内容なり、おのずから相違するものでありますが、当面問題になっております放送法改正に関する限りは、基本的には共通した態度をとりまして、新聞協会に加盟しております八十七社の新聞がつくっております放送法改正に関する研究会の統一的な見解の線に沿いまして対処しているものでございます。  そこで、いま藤井参考人からつぶさに説明されたところによりまして、私ども考え方はほぼ言い尽くされたと思います。したがって、もはや蛇足は加える必要はないと存じますが、しいて地方紙という独自的な側面から若干補足させていただきますならば、およそ次の諸点に御理解を願いたいと思うのであります。  まず第一点は、およそ経営的な立場を異にする全国紙と地方紙とが、どうして放送法改正という問題に関する限り基本的に共通の立場に立ってこれと取り組んでいるかというその理由でございますが、これは新聞放送を持つという問題を考えます場合、大切なポイントになりますので、特に説明を申し上げたいのであります。すなわち、報道、評論活動を通じまして行なう世論形成の力関係におきましては、全国紙と地方紙というものは均衡のとれた安定したバランスを保っておるということが言えるわけであります。これをもう少し突っ込んだ表現をするならば、全国紙と地方紙というものは対等の立場に立っておるということは、常識のある人たちの今日の日本におけるマスコミに対する一致した見解だと私は思います。そのような単純素朴な表現をしますと、あるいは誤解されるおそれがないでもありませんが、もう少し詳しく申しますと、つまり全国紙は、その巨大な経営規模と経済実力をもちまして全国的に広範な読者層を把握しまして、高度の機械生産による新聞紙面を通じて報道、評論活動を行ない、世論形成に対しまして強い影響力ある活動をしております。これに対しまして地方紙は、全国地域に深く根をおろしまして、それぞれの地域住民の日常生活に密着したじみできめこまかい評論、報道活動を展開しまして、底力のある地方世論の形成に侮りがたい影響力を与えております。そして、その一地方紙のカバーする領域は、むろん限られた範囲にとどまっておりますが、しかし、そのようにして形成されました地方世論が全国的に総合、集積されました場合を考えますと、その世論形成の場における影響力の大きさは、全国紙のそれに相当するものがあることは、これは否定する余地がないと思います。ですから、別の表現をしますと、全国紙と地方紙はむしろ車の両輪、鳥の両翼でありまして、その両者の対等な共存関係によってのみ、最も公正妥当な社会的世論の形成がなされるものであるというふうに私どもは確信しております。そのようにいたしまして、政治、経済的に、社会的に、また文化的に相共通する大きな役割り使命を同じウエートをもって分担する新聞といたしまして、当然ここでは全国紙とか地方紙とかの差別観を超越して、新しい電波文化時代の利器であります放送媒体をともに獲得して、より強力な報道、評論活動をしたいと念願するのは、きわめて自然のことではないかと存じます。したがって、全国紙も地方紙もこのような観点に立って、一丸となり、放送を持つことについて共同歩調をとりまして、その要望の達成に専念しておるわけでございますので、どうか、議員各位におかれましては、われわれのこの趣旨をよくおくみ取りくださいまして、この目的が達成されますよう御協力をお願いいたしたいと存じます。  第二点は、新聞はなぜ放送を持つことが必要かという疑問と、それからまた、新聞放送を持つことによって生ずる言論の地域的独占の危惧ということ、これはいま藤井参考人からもお話がありましたのでくどくは申しませんが、新聞がニュースペーパーオンリーの時代はもはや過去のことに属しまして、今日のような電波技術発達の時点におきましては、ニュースウエーブを兼ね備えることが時代のやみがたい要請であることは、これはもう自明の理であると思います。ただ、一部に、新聞は直接、間接に商業放送と関連があるから、その関係をより緊密化することによって、緊急を要するニュースの報道、解説その他の報道活動をやったらいいじゃないかということが言われるのでございますが、しかしながら、放送内容の多彩化、複雑化という実情からしまして、きわめて時間的制約を受けております今日の商業放送にはそのような余裕がないのであります。それのみかスポンサーを得がたい。ニュースウエーブ的な役割りの問題から、商業放送にそのような要請を満たす余裕を求めることは困難であります。また、地方紙が放送を持ちまして一元的経営を行なうことが言論の地域的な独占を招くおそれがあるとの危惧感でありますが、これは一片の杞憂にすぎないと思います。いまは全国どのような地域にも多数の新聞放送が併存、競争しておりまして、かりに一つの新聞放送経営しましたからといって、言論の独占を招くというようなマスコミ的な環境にはございません。全国的に見ますと、きわめて限られた一部地域ではそのような若干の危惧が考えられる懸念がないでもありませんが、それはきわめて数少ない特異の事例にすぎないのでありまして、そのような特異の事例をもって広く全体を律するということは誤りではないかというふうに私は考えます。しかも、そのような特異な事例も、今後時の推移によりまして当然そのような矛盾が解消され、また地域住民の厳密な批判、あるいは客観情勢の変化ということによりまして、自然に解消されていく方向にあるというふうにわれわれは見ております。  第三点でございますが、新聞放送を持つことの大きな意義につきましては、先ほど藤井参考人からも十分に言い尽くされましたが、私は新聞放送を持つことによりまして、報道、評論活動が活発化し、さらに大きく世論の誘導と形成に寄与することは、その持つ公共使命に大きな力を加えるものであるということを申し上げたいのでありますが、特に強調したい点は、たとえば社会的にきわめて緊急重大な事態に直面しましたような場合に、新聞放送媒体を兼ね備えていることによりまして、全く大きな社会的な効用を発揮できるという点でございます。一番理解していただきやすいと存じますので、かつての安保反対闘争当時のなまなましい経験を思い起こしていただきたいのであります。あの当時、一時的な興奮にかられまして、理性を失いました非合法的な大衆デモ活動は、次第に暴動の様相を帯びてまいりまして、収拾しがたい社会的な混乱と危機感を加えてまいりまして、全国民を大きな不安の中に投じたのでありますが、やがて全国新聞が奮起いたしまして、暴力デモ反対の共同宣言を発しましたのを契機といたしまして、この恐怖、おそるべき非合法的な暴動的デモというものは、猛然たる世論に直面しまして、漸次反省し、その騒ぎを鎮静におもむかしたのであります。かりに、あの当時、新聞放送という電波媒体を兼ね備えておりまして、紙面と電波媒体を通じまして、強烈、果敢にあのような大衆への呼びかけをいたしておったとしますならば、もっとスピーディにその効果をあげまして、あのような無用の社会的混乱を阻止することができたのではないかというふうに考えます。  この点についても、商業放送との協力ということが考えられるかもしれませんが、しかし経営的に特殊の立場をとり、報道、評論活動の経験の貧困な商業放送としましては、大きくそのような活動をすることは無理でありまして、それに期待することはたいへんむずかしいのではないかと思います。それはやはりその背景に長い報道、評論活動の経験と歴史を有し、どのような複雑困難な事象に直面しましても、決して動揺しない視点に立ちまして、明敏、的確な判断と、正しい本質的な理解と、冷静透徹した洞察力に加えまして、勇敢な社会倫理的な信念と、公共奉仕の情熱を持ち、しかも独善に走ることのない新聞というものが、放送という電波媒体の弾力な利器をあわせ備えてこそ、十二分にその威力を発揮できるものであることを信じて疑いません。これは単に一つのなまなましい具体例を引きまして説明したにすぎませんが、このように、あらゆる面からしさいに検討しますと、新聞放送を持つことの社会的の意義の重大さというものは、まことにはかり知れないものがあるように存じます。  どうか、以上申し上げましたところを十分御理解くださいまして、ひとつわれわれの要望が達成できますように強力な御支持をお願いいたしまして私の説明を終わりたいと思います。ありがとうございました。     —————————————
  33. 秋田大助

    秋田小委員長 これより質疑を行ないます。森本靖君。
  34. 森本靖

    ○森本小委員 日高参考人にちょっとお伺いしたいと思います。  先ほど来、藤井参考人のほうから御意見がありました、いわゆる新聞放送経営の問題でありますが、確かに新聞社側から申しますると、これは一理屈があるわけでありまして、その理屈のとおりでありますが、現実に藤井参考人も申されましたように、放送というものは新聞と違いまして有限的であります。そこで、現在民間放送というものがすでに行なわれておるわけでありますが、かりにそれじゃ新聞社にそれを許可するということになって、京都においてサンケイ、読売、朝日、毎日に許可をしてあなたのほうには許可できぬ、こういうことになった場合に一体どうするか。要するにこれは有限的な問題でありますから、全国的な四紙の朝、毎、読売、サンケイが、どうしてもこれがおれのところでなければならぬ、こういうことになって、京都に現実に常識的に五つの波を割り当てるなんということはほとんど不可能に近い。そういう場合に、それじゃ私のほうはけっこうですということで、あなたのほうは地方紙としてお引っ込みになるかどうか。その辺の問題を考えてこれは言われておるのかどうか、ちょっとそれをお聞きしたいと思うわけです。
  35. 日高為政

    ○日高参考人 お答えいたします。  われわれは新聞経営の面でも、全国紙と地方紙というもののバランスというものを考えに置きまして、無用な競争はできるだけこれを自粛して、そうして公共使命を達成することに努力しております。したがって、放送に対するいろいろな権利の獲得という面でも、ただ自分のところさえうまくいけばいいという狭い考えでなくて、全体のバランスを見て、最も公共奉仕の効率の上がるような形でその権利をお互いが享受するという方向で問題を解決したいというふうに考えておるわけでございます。したがって、どうもその広い視野に立ってものを考えるという雅量がない人たちがおれば、そういう話は非常にむずかしい場面に直面することがあると思いますが、しかし、やはり公共性という立場、特に民放は、NHK公共性というか、国家的な背景を持った独善性に対して相当反発しておるわけでありますから、少なくとも民放同士あるいは新聞社との間では円満な話ができるくらいの雅量を持たなければいかぬと私は考えますし、その方向へ問題はうまく動いていくんじゃないかというふうに考えております。
  36. 森本靖

    ○森本小委員 それは理屈であって、現実の問題として、たとえばFM放送においても、実際問題として、地方紙が全部遠慮すれば別ですが、そうでない限りは、現実に有限的な波はそれ以上出てこないわけでありますから、全国紙の系統でありますところの朝、毎、読売、サンケイというものは、この全国的な問題を、たとえば北海道方面はサンケイだ、東京方面はどこだ、こういう形にならなければならぬ。なるほどあなたのおっしゃるとおり、確かにそれは理想論でありますけれども、いわゆる全国紙がそういうことになった場合には、地方紙は遠慮して、それでは要りません、新聞社にとにかく与えてもらえればけっこうですと、こういうことに——あなたのおっしゃることは理想論は理想論であっても、現実問題として処理をする場合には、これはどこかが引かなければならぬわけです。その場合に、全国紙が一社もそこに入らずに、それじゃ納得するということは、いまのネットワークとキー局を見た場合に、とうていあり得ないと思う。そういう場合に、それはあなたのおっしゃるとおりいけば別ですけれども、確かに理想論だけれども現実にそれじゃかりに波を配分することになった場合に、一体これはどうしたらよかろうかということになると、なかなかそれは話がつかぬ。現に京都、和歌山、さらに姫路、これはすでに現実問題でありますから申し上げてけっこうでありますが、第二次のチャンネルプランにおきますところのUのテレビにおいてすらいまだに解決がつかない。現実問題として、当委員会で大臣もかなり強力にこれは早くやれということを言っておりますけれども大臣自体が全く立ち往生の状態でどうやっていいかわからぬという情勢になっておるわけです。現実問題、いまのこのUのテレビ局を開設するときにおいてすら近畿は全く五里霧中の状態になっておる。いまの時点においてすらそういうことである。ましてやこれがFM放送なり、あるいは今後発展をしてくるところのUの親局をやるということになった場合、これは大阪に現在ネットワークを持つところのテレビ局が四つあるのははっきりしておるわけですから、それがそのまま京都に出ていって、その上にさらにローカル色を持ったあなたのほうが一つ置けなんて言ったところで、これは京都の人口と経済力から見て、置くということについては行政上われわれは反対です。京都に置かなければならぬ必要はないわけです。また混信状態から見た場合、それほどの波はないわけです。そこで私たちが新聞社なり民放連に一番聞きたい点は、理想論は理想論でよろしい。それは十分われわれも聞きますけれども、さて、それじゃ現実にどうこれを解決をつけるかということについて、一体どういう御意見があるか、たとえばいまあなたがそういうふうにおっしゃいましたから、それじゃいまの近畿のチャンネルプラン現実の問題をどう解決をつけたらいいとお考えですか伺ってみたいと思います。
  37. 日高為政

    ○日高参考人 いま私の申し上げたことは理想論だとおっしゃったのですが、私から言わすと、いまの御質問は一つの仮定に立った御質問のようで、仮定論だと思うのです。理想論と仮定論をここでやってみても、これは意味がないので、われわれは新聞放送を与えてくださるならば、その上で具体的にその問題を検討したいと思うし、それでなければ、ここで全国紙と地方紙の立場あるいはキーネットと地方局との関連を幾ら論じてみても結論が出ないと思うのです。それじゃひとつ新聞放送をください。十分うまくやっていきます。  それから、京都はいま人口が少ないとかなんとかおっしゃいましたけれども、私はそういう考え方は非常に困ると思うのです。京都というところの持っておる文化的な土壌、それからそれが世界的に、国際的に持っているウエートというものを考えて、その地域の特殊性というものを考えて問題を処理してもらわなければならぬ。ただ大都市中心主義でものを考えて、大阪中心で近畿の開発問題を考えて、逸脱したことをやって、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしておりますが、そういうような考え方では困るので、京都というものの独自の力というものをもっと考えにおいて京都の問題を解決していただきたいと思うのです。反対していただいてもけっこうですが、もっとよく理解していただいた上で反対していただかなければ、われわれはちょっと情けないのです。
  38. 森本靖

    ○森本小委員 それは私に言わせますと、あなたのほうが情けないと思うのです。少なくとも私は電波その他放送については専門家のつもりであります。新聞社についてはあまり知りません。しかし電波放送というものが有限的な問題であるということは、あなたも御承知のとおりであります。だから、いかに京都の持つ特殊性というようなことを言われても、いまの東京、大阪、それから北九州、名古屋と比較をいたしまして、京都に六局もあるいは五局もテレビ局を開設するということは現実問題としては不可能に近い。その現実問題として不可能に近い問題が、いますでに争われている問題である。これすら最終的に解決をつけることがなかなか困難である。これはあなたもよく知っておりまするように、電波監理当局、さらに郵政大臣、こういう方々も再々近畿に行って、解決をつけるべくお互いの話し合いもなされたにもかかわらず、今日まで解決がついていないという現状であります。そういう現状において、今後FM放送その他の問題についても、これが新聞界にその波が与えられれば、その配分はわれわれのほうで考えますということを簡単に言われるけれども、いまの時点において解決がつかない問題が、今後すらすらと解決がつけ得るとは私には思えぬ。なかなかむずかしい問題ではなかろうか。こういうことを心配をして言っておるわけであって、別に私は皮肉な話を言っておるわけではなしに、現実に行き詰まっておる問題を、どうやって解決すべきか。たまたまあなたがきょう来られておるから、実は近畿の問題については、あなたも御承知のとおり、当委員会においては、もう数回にわたって論議がなされておるわけであります。しかしいまだに問題が解決つかない。そういう事例がある上に、先ほどのような御意見であるから、それなら一体それをどう処理したらいいとお考えであるかということを聞いてみたわけであります。だから私は理想論と仮定論を言っておるわけではなしに、現実の問題をどう処理すべきかということを行政当局としては考えるべきであって、その行政当局をわれわれは監視しあるいは監察をするというこの立法府としては、そういう問題については、皆さんが一体どういう御意見があるかということを、きょうたまたま参考人として来られたからお聞きをしておるわけであって、別に私は意地の悪い質問をするとか、あなたをやっつけるとかいうつもりで聞いておるわけではなしに、たまたまあなたのほうも、しいて言えば一つの当事者みたいな形になっておるわけであります。だから、たまたま来られておるので、今度のたとえば近畿のチャンネルプランについても、どういう御意見であろうか、そこにおける御意見が発表せられることによって、いまあなたのおっしゃったような理想的な問題の解決をつけ得る糸口も出てくるのではないか、こう見ているわけであります。
  39. 藤井恒男

    ○藤井参考人 私から若干の補足説明をいたしたいと思います。  ただいま森本さんのほうから具体的な問題に触れられたわけですけれども、われわれきょうここへまいりましたのは、要するに新聞というものを、言論の独占などということでこれからの放送の割り当てから排除されては困るのだ、われわれも新しい、さらに強力なにない手として当然にそれに加わるべきであるということを主張し、そして放送法改正にあたって考慮を願いたいということを申し上げているわけでありまして、確かに有限の世界でありまして、たとえば東京をながめましても何倍かの申請者がございます。ここであの申請はどうだ、この申請はどうだということをわれわれは申すべき場でもありませんし、そのことを考慮を願いたいということでございます。この有限の波をいかに割り当てるかということは国会の大きな問題でもございましょうし、電波監理当局、郵政当局の大きな問題でもございましょう。現在のFMの帯を、あるいはUHF帯をFMに使うとか、そんなことも一つの手でありましょうし、あるいは東京に幾つかあるのを、さらに努力して幾つかふやすということも一つの手でありましょう。これは賢明なる国の行政に待つより手はないのであります。  そこで、しからば具体的にどうすればいいんだということを言われましても、私たちが免許する側でありませんので、ひとつまたいずれ、長い問題でございますし、機会があればいつでもまいりますから、ひとつ将来の問題として大いに論じたい、こう思うのでございます。御了承願いたいと思います。
  40. 森本靖

    ○森本小委員 どうもたいへん失礼しました。ただ、しかし、ここで私は一言皆さんに申し上げておきたいと思いますことは、当委員会としてはすでに参考人としてNHK当局、民放連、それからきょう新聞社、こういう代表的なところを呼んだわけであります。ところが放送の法制化そのもの、NHKをどうすべきかというような問題については非常に御意見が出てくるわけであります。ところが、それでは現実に具体的に日本の今日の放送界というもののビジョンをどう描くべきであるか、こういう具体的なビジョンを描いて、そのビジョンについての論議をしなければ何も意味がないのではないか。その付近の形骸の問題をああせい、こうせいと言ったところで、ほんとうは、日本テレビラジオあるいはファクシミリというような将来性のある問題をどういうふうにこれを配分をしていくべきか、日本放送界というものはどうあるべきであるか。そういうものが明確に一つのビジョンがなされて、それによって一つの法制化の裏づけがされていくというやり方もあるのではないか。ところが、この問題についてはNHKも黙して語らずであります。それから民放連も黙して語らずであります。いずれの人々も、この問題については、肝心の一番大事なところは、やはりこれは政治家のほうで考えてくれ、こういうことになってくるわけであります。  そこで、われわれがあなた方のほうの新聞界にも望みたいのは、それは反対、賛成の意見があってもけっこうでありますから、できれば新聞社としては、全国新聞界としては、今後のラジオテレビという放送界のビジョンに対してはこうあるべきである、こういう一つの明確なビジョンというものを新聞社新聞社なりに示してもらいたい。それから民放連は民放連として示してもらいたい。NHKNHKとしてこうあるべきだというあり方を示してもらいたい。というのは、単にNHKNHKだけのことを考えずに、それから新聞社新聞社だけのことを考えずに、民放連は民放連だけのことを考えずに、日本放送界全体の一つのビジョンというものをそれぞれ持ち合わせてきていただきたい。そうすればそこに自然と——われわれはまた自分たちの意見も持っておりますけれども、さらにその上に加えて判断する非常にいい御意見が出てくるであろう、実はそういうことを非常に期待をしておったわけでありますけれども、残念ながらNHK民放連、新聞界ともにそのビジョンの何がないわけでありまして、その点ひとつ今後とも御研究なさるようでしたら、新聞界は新聞界としての放送界のビジョンの問題について十分に御研究願いまして、できればそういう御意見がありましたならば、後日でもけっこうでありますが、ひとつ御発表願いたい、こう考えているわけであります。
  41. 嶋信治

    ○嶋参考人 ただいまの御質問、まことにごもっともと思います。ただいま幹事社の代表からその点について概論として申し上げましたが、実はわれわれもその点しろうとではございますが、若干の面から検討をしております。  簡単に具体的に申しますと、まず第一点は、現状をNHK民放もこの機会に全く白紙に返して検討し直したらいいじゃないか、そういう意見も聞いておるのでございますが、われわれとしてはそういうことをしてはとても今日の間に合う問題ではない、そういう見地から、やはり現状は現状として認めよう、そういう一つの結論を持っております。  そこで、NHK民放の渡り合いというものもわれわれは耳にしておりますが、との点は両者が歩み寄って謙虚な気持ちで事を解決していただきたい、そういうふうに考えてみんなの意見の一致を見て今日に至っております。  具体的に申しますと、一番の問題はやはり料金問題でございます。これについてこの公開の席上で両者がどのように申し上げましたか存じませんが、新聞界といたしましては、NHKの料金をどういうふうに分けて民放にあげなさいとか、そういうふうなことを言ってもとても解決する問題ではないというふうな見地から、料金問題については、あなたのおっしゃるビジョンに非常に遠いでございましょうが、しかもその料金というものは年々増加していく一方でございます。しかしこの料金というものは、ここにNHKの方がおるか知りませんが、NHK単独でふえておるのではないのでございます。やはり民間放送局の増局につれてこれが増加しておる。こういう事実に目をつぶるわけには絶対にまいらない。これがわれわれの意見でございます。したがいまして、具体例を引いてはなはだ失礼ですが、ここへ出る前、たとえばどこの発行か知りませんが、「文化放送」という名の雑誌を見まして、その中に若干の人々の論議を私、読んでまいりました。そうしますとNHK考え方は非常に強烈であります。強烈ということは、料金を民放に回すというふうなばかげたことはわれわれは全然考えていない、こういうふうな意味の強烈でございます。しかし全文を読むとその気持ちもよくわかりますが、新聞界といたしましては、そういうことではいけないのではないか。あなたのおっしゃる高いビジョンに立ってしかし具体的な例にはならぬと思いますが、やはり使い道があると思うのです。これは民放も確かにスポンサーをつけて莫大な利益を生じておることは否定いたしません。しかしながら、この台数の増加というものは民放に比例して今日に至っておるのでございますから、やはり施設の共用とか、いろいろな機関の公開とか、そういう意味で相提携していったらいいのじゃないか、そう何もいがみ合ってけんかする必要はないじゃないか、そういうふうに考えておるのです。やり方がどうこうということより、私は第三者としてそういうことが一番適当じゃないかということでございます。
  42. 森本靖

    ○森本小委員 きょうは委員のほうは出席者が非常に少なくて参考人に申しわけないと思いますけれども、しかしこれは速記録にきちんと載っておりますので、その点はひとつ十分に御答弁願いたいと思うわけであります。  そこで、参考人が言われたような意見については、個々の具体的な意見は、たとえば受信料はどうあるべきだ、NHKはどうこうだとうんと出てきているわけであります。ところが、その全般を見た総合的な問題が一つも出てないわけですね。要するに新聞社新聞社の観点から論じておるわけですね。民放連は民放連の感じ方からこれを論じておるわけですね。NHKNHK自身の考え方で論じておるものだから、ちっとも歯車がかみ合ったところがないわけですね、現実問題として。  そこで私が言いたいのは、さっきから言っておるように、新聞社も自分を含めて総合的なこういう一つのビジョンというものを考えてもらいたい、NHKNHK自身のことばかり考えずに全体のビジョンを考えてもらいたい、民放連も民放を含めて日本放送界全体のビジョンを考えてもらいたいということを言っておるわけでありまして、これはできれば、賢明なる人々ばかりでありますので、ひとつそういう点も十分御研究されて、御意見を後ほどでも発表していただきますならば、まことにわれわれとしては参考になりますし、非常に幸いだというふうに考えておるわけであります。  それから先ほどのファクシミリの問題でありますが、これも正規の委員会でありますので、私は一言申し上げておきたいと思います。確かにこの問題は新聞社にとりましてはきわめて革命的な問題になってくるわけでありまして、かりにこれをNHKが将来家庭放送というようなものを始めるということになりますと、これはまたたいへんな問題になるわけでありまして、われわれとしては、そういうことは現在の段階においては毛頭考えておらぬわけであります。ただしかし、ここで問題になりますことは、いま藤井参考人が言われましたように、これがあくまでも通信であるということで将来もずっと続けていかれるということには私は法制上ならぬと思うわけです。これが現在のように特定のものに対するところの契約による放送でございましたならば、これはあくまでも通信という観点に立っていくと思いますけれども、将来これがかりに家庭受像機というようなものができまして、少なくともこれが不特定多数のものに行なわれるということになりますと、それを現実にどう、どなたが利用するということは別にいたしまして、やはりこれは放送の中に概念的には入ってくるというふうに法制上は考えなければ無理がいくであろうというふうに考えるわけであります。私が言いたいのは、現実にだれが運営する、だれが行なうということは別に、法制上の理論としては、現在の段階では、それはあなたがおっしゃるような形でけっこうだけれども、将来においては、かりにこれが家庭放送というふうな形で家庭受像というようなことになりますと、不特定多数ということになりますと、これはいかに言われましても、一応放送の中に概念的に入ってこざるを得ない、こう思うわけでありますが、その点はどうでございましょう。
  43. 藤井恒男

    ○藤井参考人 この問題はまだ世界のどこでも実現しておりませんし、また世界じゅう、技術的に可能であるけれども、これをいかに運営していくかという問題についてもまだ研究不十分でございます。われわれは、将来の問題、ビジョンとして、こういう可能な技術を持ったものに対して無関心ではない。したがって、国会といたしましても、あるいは郵政当局にいたしましても、そういう可能性を持ったものであるということを十分認識してほしいということを申し上げているのです。ただいま森本さんのおっしゃったように、確かにそれが不特定多数を対象とする場合は放送なんだ。それから、それを特定者との契約によってやる場合は通信業務でもいいんだというふうなお話でございますが、これもそれを放送——つまり私が申しておりますのは、そういう記録性、保存性というものは確かに放送的手段ではあるけれども、それが現在の放送という概念とはたして同一でいいのかどうか。それは法制上いろいろ技術的に問題が研究されて、混乱の起きないようにしていただきたい、こう思うわけです。  それからちょっと話が戻って、時間がないので恐縮ですが、先ほどNHKからの御意見もあった、民放関係の御意見もあった、新聞社意見もあった、しかし、これは歯車がどこも合っていないというお話ですが、私も若干意外に思ったのです少なくともNHK立場民放立場も、もっと高い次元でものをしゃべっている、あるいは考えているのだ、こういうふうに思っているのですが、たまたまきょうの陳述が新聞放送というリアルな問題に触れましたので、何か新聞社が主張して歯車が合わぬようにおとりになったようですけれども、私たちは日本放送のビジョンといたしましては非常に言いにくいことがたくさんございます。そこで、現在中波の標準放送が出て、全国的にNHKがあり、またその後それを使って民間放送があり、逐次波が一つずつ開発されてまいりました。そこでもうあと残る予想される波は、FM放送とUHF帯の開発であります。そこで中波には中波の特性を持っておる、あるいは北九州方面に行けば大陸との混信が多いが、FMにはそういうものがないとか、それぞれの特性を持っておるわけです。そこで先ほど嶋参考人が申しましたように、ほんとうは民間といいますか、われわれ国民放送電波として使い得るものを全部ここへ並べてみて、これを一体どう組み合わしたらいいのか、こういう問題なんです。そこでここで出直してみるのだ、そしてFMFMの特性を生かして、その必要なるにない手にこれを免許するのだ、中波はこうするのだ、短波はこうするのだという意味で新しい政策を立て直さなければならない。ところが、既存の実績といいますか、一つの波を持っている方々がそれを啓蒙して、おまえの波は返せ、日本の国では国策としてこうするのだからということがはたしてできるかどうか。これだけのものをもし示し得るならばそれが一番いいのです。そしてめいめいもう手心を加えなくてもいいような日本放送体制をつくるのだ、それに合った法体系をつくるのだということが一番いいのですけれども、これは御存じのように、NHK民放というものの現状から見まして、これを遂行し得る政治力というもの、説得力というもの、政策というものは、国策としての立場から考えてもたいへんなわざだ。そこで勢いNHK民放はこのままにしておこう。波をどうするかという問題は別です。たとえばNHKにさらにFMを全部やるのか、またNHKの要求によりますとFMの一波を二波にしてほしい、そうなりますと、テレビが二波であり、中波が二波であり、FMが二波である、これではあまりにも過当集中ではないか。日本の限られた電波というものが一つのNHKに六波も集中してはたしていいのかという問題があります。そこでNHK中波を一体どうするのだという問題が出てくるわけです。そこでわれわれとしては、そういうことをほんとうに抜本的に郵政当局なり国会がお考えになってしていただくことが一番いいのです。しかしこれは非常にむずかしいことだ、こう思っている。そこで私たちとしては、国がそういうりっぱな政策をお立てになったら、われわれはそれに従うのですけれども、いま当面、音声放送で申しますと、最後に残された波というものはFMである、そうすると、そのFMにはいま言うステレオ放送と同時にSCA業務で総合できるという一つの性能を持っているということに重大な関心を持っておるわけです。そこでビジョンを示せとおっしゃるならば、要するに御破算にしてやることが一番いいのです。その辺にいま問題があると思います。また確かにおっしゃたようにこれは国会委員会でございます。ここの発言内容は全部記録されて残るわけでございます。私は、八十何社の新聞社を代表して一般論を述べる立場から申しまして、一つの立場がございます。その範囲内で言える最大限の御説明をしたつもりでございます。その点も十分御了承願いたい。
  44. 森本靖

    ○森本小委員 これで私もやめますが、確かにいま参考人が言われたとおりでございますが、問題は、現在の民放並びにNHKが動かしがたいものであるという考え方に立っていくとするならば、いままでのものがすべて正しいという結論にならざるを得ない。だから、いままでのものをただすべきものはただして、誤りをこの際直していこうとするならば、やはりビジョンを描いて、そのビジョンに近づけていくという方向をとらなければならぬ。現実の問題としては、たとえば中波放送のごときは、これを整理しようとすればできるわけであります。確かにテレビ局の設置の問題については、これを統合するということは、不可能に近いけれども、今日、中波放送については、ある程度FM放送の許可認可のときに相当改善の余地はあるわけであります。またでき得るわけであります。だから、そういうふうな問題とかみ合わせながらわれわれは考えていきたいというふうに考えておるわけでありますけれども、ところが具体的な問題になってくるとややこしくなりますので、その問題は私は省きますけれども、一がいにそういうふうに固定的に考える必要はない。特にラジオ放送については、これは終戦後第一回目の大きな一つの改革期にあたっておる。そこでそうなってくると、新聞民放NHKというものがどうあるべきかということにもなりますけれども、先ほど来あなたがおっしゃったように、UのテレビとVのテレビ、さらにFMラジオ放送中波放送短波、これを並べてみて具体的にこれをどうやっていくかということを先に描いてみて、そしてそれに現状のNHKなり民放なり、あるいは、かりに新聞社にもおろすということになるとするならば、それと歩調を合わせていく、そこにあまり無理がいくというような改革はまただんだんやっていくというような形をとらざるを得ない。そうしないと、あなたが最初におっしゃったように、これがややもすると利権的に相争われるということになるわけでございまして、そういう点がないように、基本的な総合計画というものを、できる限りこういう問題については、一党一派に偏せず、超党派的につくるべきである、こういう考え方を持っているので、先ほど来申し上げたわけであります。  私が言いたいのは、現在の問題が、テレビの問題は別として、ラジオの場合は永久不変の固定的な問題ではない、経済的にも、財政的にも。あるいは波の問題にしても、そういう点は十分にお考えを願っておきたい。ただし現在ある既設のテレビ局を廃止するとかどうこうするということになりますと問題になると思いますが、ラジオの場合は必ずしもそういうことはないというふうに私たちは考えておるわけであります。その点もし参考人の中で御意見がありましたら、私の質問に最後にお答えを願いたいと思います。
  45. 青山行雄

    ○青山参考人 確かに先生がおっしゃるとおりビジョンが必要だと思うのです。そのビジョンを描く場合に、国民電波ということを藤井参考人から申し上げましたが、国民電波というのは、これは一種の批判を含んだ擬制であり、フィクションであると思うのです。国民全部が放送業務を担当するわけにいかないので、だれかに放送業務を国民の委託を受けてやらせなければならぬ。だれがこれをやったら一番いいかということは、ビジョンを描く基礎になると思うのです。ですからわれわれが言っているのは、それはだれに一体放送業務を担当させるのかということをはっきりきめてもらいたい。その上に立ってビジョンを描いたらいいじゃないかという大原則を言っているわけなんです。たとえば子供が病気になったら医者に見せるということは常識的なことですが、医者が個人的な健康を守る。放送というのはやはり社会全体の健康を増進というか、健康管理というか、そういう社会的な役割りを持っておる。ですから医者というのはどういう人間をいうかと申し上げますと、医学的な知識を身につけるためある一定の期間訓練を経たものを医者というのだと思います。そうすると、放送の場合は、そういうふうな社会的な健康増進ということに奉仕する、一定の期間訓練を経たものがあるとすれば、一体それは何だということをまず考えていただきたい。それは別に私は新聞だけが適格者だとかそういう思い上がった言い方をするつもりはないので、ほかにもあると思うのです。たとえば学校とかそういう特殊なあれで放送のにない手として妥当なものがあるのじゃないかと思いますが、しかし何と言ってもこれは一種の限定された奉仕であって、包括的な放送のにない手として考えるならば、結論は当然一つに向かっていくと思うのです。ですから、そういうことをお考えになって、まず国民の負託を受けて放送業務をやるとしたらだれがいいのかということを十分に御検討なさっていただいて、この際それこそ逓信委員会の権威をもって、新聞こそ、新聞だけが有資格じゃないけれども新聞が第一の有資格者であるという大英断を下していただけば、あとの問題というものは簡単に済むのじゃないかと思います。
  46. 秋田大助

    秋田小委員長 大柴君。
  47. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 ちょっと参考までに藤井さんに伺っておきたいのですが、報道面におけるテレビなりラジオと、これからの新聞がどうなるか、実は私こういう話を聞いたことがあるのです。昔は朝日新聞新聞を刷って発送のために上野駅で汽車に乗せるまでに三十分かかった。いまは二時間かかる。これは交通の面とか人の面があるのでしょう。一部刷っても五厘しかもうからない。これは斜陽産業で、新聞はだんだん先細りだ、こういうような話を聞いたことがあるのでありますが、ここ見通し得る限りにおいて、たとえばテレビとかラジオのいろいろな放送番組も変わってくる。新聞というものは、ここ十年くらいの間見通し得る限りにおいてどういうふうに変化していくか、それを各新聞社がどういうように予想しておるか、それをちょっとお聞きします。
  48. 藤井恒男

    ○藤井参考人 新聞がこういう電波化時代に一体どうなっていくか。ことにニュース報道の媒体としての電波の発達した今日、新聞は影が薄くなるのじゃないかというふうな御意見かと思うのですけれども新聞電波が発達すればさらに発達するとわれわれ信じております。ラジオというものはこのごろトランジスタの小さいのが出まして、私の近くの牛乳屋さんは、ポケットへ小さなのを入れて何か聞きながら配達をしております。ラジオというものは小さく発達したために、自分の望む場所で聞くことができる。テレビというものは、もちろん小さいものもできまして、このごろは自動車の中でテレビを見ながら行く豪華な人もおりますけれども、これは相当場所的に制約を受けます。しかし新聞は自分の望む記事を望む時間に望む場所で読むことができます。これが新聞の記録性、保存性、解説性という特性でございます。いま申しましたように、ラジオは、いわゆる音声放送には音声放送としての特性があり、テレビのいわゆる映像放送には映像放送としての特性がございます。新聞にはただいま申しました特性がございまして、いかにラジオが発達いたしましても、いかにテレビが発達いたしましても、新聞が斜陽であるということは断じてあり得ないと思います。そこで私が先ほど申し上げましたのは、いわゆる時間、空間の克服のために電波媒体電波開発というものが、大きな報道、言論の手段として行なわれてきたのだ。われわれの先輩は、もし明治の初期において今日のように電波が開発されていたならば、電波を使ってもっと言論、報道活動をしたと思います。それが当時活字が開発されてきて、印刷技術の改革とともに進んでまりました。先ほど申しましたようにムービーが出ればムービー使をう。そのムービーがさらに電波によってテレビジョンになってきたわけです。それぞれの特性を持っておりますので、十年先に私の言うとおりなるかどうか、それをここで保証しろと言われてもわかりませんけれども、しかし、少なくともわれわれが新聞人として考えますときに、ラジオテレビの発達とともに新聞は発達すると思います。  アメリカ新聞のストがありました。これは議員諸公も十分お読みになったりお聞きになっていると思いますけれども電波ではこの機会電波新聞を駆逐するといってずいぶんがんばってやったそうでありますが、結局は新聞新聞であり、電波電波であるという結論になったようであります。そして電波では、ものの重要性、軽重というか、それがはっきりしない点もあります。いま実際に何が大きな問題だということを静かに考え機会も非常に少ないというのでございます。そこでお互いの特性を組み合わせて、速報社、同時性を組み合わせて、新聞というものが、いわゆる新聞社というものが、ニュースペーパーとニュースウエーブと有機的に一元化する、そこに新しい体制があるとわれわれは信じております。お答えになりましたかどうかわかりませんが、そう信じております。
  49. 富岡正造

    ○富岡参考人 ちょっといまの藤井さんのお話に補足いたしますけれども、卑近な例で申しますと、たとえばある大きな事件が起きると、あくる日の新聞は非常に売れるわけであります。われわれ新聞社の発行部数は百万部とか二百万部とかありますが、その日その日によって一万とか二万とかあるいは玉万とか、発行部数が違うわけであります。非常に大きな事件が起こってその日のうちに事件を知る。そうするとあくる日の新聞をみんな争って読むというような一つの関連もある。たとえば卑近な例で申しますと、巨人軍が勝った、すると某新聞はあくる日非常に売れて、発行部数がぐっとはね上がるというようなこともあるわけでありまして、決して電波新聞——民間放送ができたときには新聞は斜陽じゃないかというような危惧をわれわれは抱いたのでありますが、実際はそうじゃないということをちょっとつけ加えておきます。
  50. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 民間放送なり新聞の人の話を聞きますと、大体NHKに関して、受信料の一部をよこせ、この議論に尽きるだろうと思うのです。しかもその議論の根拠になるのは、同じテレビを見ていてNHKだけ金を取るのはおかしいじゃないか、こういうことが根源なんです。そうすると、さっき森本委員も言ったように、抜本的な対策、あるいはまたNHK無用論とか不要論とかいうものがなぜ出ないか、聞いている私たちがむしろふしぎなんです。そうすると、必ず今日の間に合わぬとか、そういう政治力がないとか——しかし、政治力があっても、今日の間に合わなくても、もしそういう理論があるとするならば出すのがほんとうじゃないのですか。そういう議論は、いままで民放界じゃ、あるいは新聞というものには出ないのですか。どうなんですか、その辺は。
  51. 藤井恒男

    ○藤井参考人 NHKは、いわゆる放送聴視料によって経営されております。民間放送はやはりわれわれが負担して経営されているのでございます。言いかえれば各業者といいますか、スポンサーが、自分の広告費の中に放送料というものを織り込んでわれわれに売っているのであります。税金でいえば直接税と間接税によってこれは民間放送併立されております。そういう意味でNHK放送料をよこせということは言っていないのであります。NHK放送料が、いまから五年前でございますが、約五百億でございましたけれども、五年の間に五割ふえまして約七百五十億くらいになっております。これは膨大なふえ方でございまして、新聞の場合は一部売るためには紙代が要ります。しかし放送の場合は、出していること自体で幾らでも同じ労力で成果が上がって、どんどんふえていくわけです。先ほど、嶋参考人の申しましたのは、そのNHKの聴視料の七百五十億というものは、NHKだけでできたのではない、こういう話です。したがって、私は、ある意味で国民の負担を下げるべきである、もし金が余るならば。しかし、まだまだわれわれには、たとえばカラーの問題だとか、あるいは放送技術の改革の問題だとか、あるいは近く始まる宇宙通信の問題、こういう問題で幾多のものをかかえております。このための技術協力、技術開発をしなくちゃならぬ。そこで、もしNHKというものがそういう国民の負担において直接税的に入ってきたもので余剰があるならば、これを使ってNHK民間放送とはけんかをせずに、共同研究、共同開発をしたらどうだろうというのもその一案でしょうし、あるいは電波があまねく、日本のすみずみに——これは私はいつも言うのですけれども、同じ消費財を使いながら、東北地方だとか、あるいは遠隔の地の方々は選択する電波はわずかであります。ところが、東京、大阪、ことに東京の場合は十二チャンネルを含んで七つもテレビが見られる、選択の自由を持っている、いわゆる見返りとしてあまりにも過剰のサービスが多過ぎる。そこで全国的にもっと波を出して、国民のものならばどこでも自分の見たい番組が東京の人間と同じように見られるように開発していくべきだ、そのためには、さらに電波の技術的に許す限り地方にも波をもっと出して、そのための共同施設——同じ山に三つも四つもアンテナが立つのではなしに、一つのアンテナを共同に使って、何とかそういう設備投資を少なくしていく方法はないものだろうかというようなことにもなるわけです。  そこで、ただいまNHKのことについて、なぜ廃止論が出ないかという話がございますが、私はNHK的なもの、たとえばたくさんの海外放送をやっている、あるいは国際放送をやっているというふうなもので、われわれは一万何千かの人間をかかえたいままでのNHKをこれから是正していくならば、当然存在価値があると思い、また民間商業放送についてもその存在価値があるということで、その併存が適当ではないか、こう言っているわけです。  そこで、これも大柴さんの答えになるかどうかわかりませんが、われわれはいま言うビジョンという、さっき森本さんのおっしゃった点のビジョンで、ここで電波を御破算にして新しく建て直すということが一番いいんですけれども、その建て直す案をつくってみて、そうして現実とどうそれを調和さしていくかということに尽きるんじゃないかと思っているわけです。そこでわれわれはNHKをつぶせという議論はしていないわけです。それがもの足らぬとすれば、これはまたわれわれ何をか言わんやでございますが、そういう立場に立っておるわけでございます。
  52. 嶋信治

    ○嶋参考人 いま幹事社代表から申されたこと、私全く同感でございます。これに対して何らつけ加えるところもございませんが、ただ、せっかくの御質問がございましたから、具体的な面でちょっとお答えいたしたいと思います。  私たちもNHKが現在テレビ局二波、中波二波、それからFMを一波という、こういう巨大な、放送とはいえ言論機関の権力を一手に握るということに対しては、考えなければならないと常々思っております。そういう意味におきまして、ただいま申されましたように、本来は白紙からスタートすべきが至当ではございますが、やはりわれわれもそういうことを言うておったのではとても間に合わない。それは間に合わなくてもよいじゃないかという御意見ではございますが、実際論を考えた場合に、われわれもそこまでは割り切れないで、先生のお考えからすれば中途はんぱであるかもしれません。しかし、そこで具体的に私が意見として希望したいことは、この上にNHKにさらに言論の権力を与えるべきではない、そういうことを願っておる次第でございます。と申しますのは、先ほど幹事社代表から申しましたように、これからの電波技術というものは一日一日と開発されていきます。その世界は無限でございます。当面しておるファクシミリというものが問題でございますが、私の手元にございます郵政省の放送関係法制に関する検討上の問題点とその分析という中にも、ただいま申したような点が指摘してございます。私全くこれは、郵政省にしてこういうことを申されておるということを驚いたくらい同感な次第でございます。そこで、ファクスは、NHKはそれは番組の予告とか、それから教育的なものに使うとか、いろいろお考えもあるでしょうが、やはりこれ以上NHKに言論の権力を集中するという点は、これは考えなくちゃいかぬのじゃないか、そういうふうに思っております。
  53. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 最後に一つ、日高さんに私のほうの要望を申し上げておきます。  報道機関の独占ということで、われわれもそれをおそれていたのでありますが、ところが、たまたま安保闘争を例にしていろいろ発言なされたので、実は私ども社会党は、あのときに、テレビというものはたいへんよろしいものだ、いかに警官がむちゃくちゃをやるかということで、あるいはあのことによって非常にテレビというものを高く推賞したわけであります。ところが一方、新聞のほうでは、何か資本につながる偉い人が規制すると見えて、どうもさっぱりいかぬ。特にいかぬ例は——ここでそんなことは関係ないから、説明してもしようがないからしませんけれども、われわれは、テレビというものの真実性、大衆性、何ものにもこだわらぬところの一つの性格というものを高く評価したわけです。しかも、その評価をしたわれわれが、いま国会にやはり三分の一を占めているわけです。ところが、あなたの説明を聞くと、何かこういうものをだんだん規制していったのが新聞なんだというような発言を、京都新聞意見新聞協会の意見か知りませんが、やっているわけです。そうなってくると、われわれの言う真実性というものは、むしろ新聞の面によって歪曲される、こういうことになるだろうと思うのです。そうすると、その議論は勢い新聞ラジオテレビあるいはFMというようなものの独占はどうも好ましくないという意見になってくるだろうと思うのであります。ここでお答えは要りませんから、お帰りになりまして、そういうこともひとつ十分御討議を願いたいと思います。
  54. 日高為政

    ○日高参考人 いまおことばがありましたが、私はテレビの報道は現象的な報道が主になっておると思うのです。それで、その現象をどう解釈するかというのは、受け取る側の任意にまかされておると思うのです。ところが、新聞テレビに出てくるような現象の裏にある真実を追求して、そして正常な国民的な動きはどうあるべきかという方向に世論形成をやって、国家秩序を維持するという意味で動いていくというたてまえをとっておりますので、私は、テレビの現象的な報道よりも、やはり新聞のほうがより高い文化的な公共的な使命を持ち、それを果たす役割りをやっているというふうに考えます。しかもあの場合、新聞がああいうふうな非合法的な暴動ざたをやめろという共同宣言をやりましたことは——決して、りっぱな組織を持っておる団体の行動に対してどうこう言うのではなしに、政府当局並びにボス的な秩序のない、まことに乱脈な非合法性を持った集団の行動に対して批判を加えたわけでありまして、特定の組織を持った団体であれば、正しい指導のもとに動くのであれば、それに対してとやかく批判をしたりという意味のものではないので、やはり新聞の持つ公共的な使命というものはきわめて高い、しかもテレビに劣らないりっぱな役割りを果たしているというふうに私は考えております。これは私自身の個人の考え方でございます。  それから、先ほどのお話に返ってちょっとお答え申し上げたいのでございますが、十年後の新聞はどうあるかという、そのビジョンでございますが、なるほど新聞は、電波開発によって放送手段を兼ね備えることによって速報性をそこでカバーして、そして報道をスムーズにやるということは、なるほどやることになりますが、しかし、ここ十年ぐらいの目標において考える場合には、私は、新聞の速報性というものはやはり高度化していくということを考えていいんじゃないか、決して記録性という点にそうウエートがかかり過ぎるということはないと思うのです。といいますことは、今日取材活動一切が非常に機動化しております。たとえば事件のある現場から写真を送るにしても、その現場から写真電送をやる、あるいはニュースは無電でやる、いわゆる国会その他における固定した場所からのニュース伝達は、先ほど御説明がありましたように、漢テレというような一つのオートメ的な機械で非常に効率をあげるというので、取材並びにニュースの伝達というのは非常にスピーディーになりますし、それがまた社内の製作段階に移りましても非常にオートメ化がされまして、スピーディーに行なわれております。たとえば鉛版一つつくるにいたしましても、いままで想像もできなかったくらいのスピードでそれが行なわれており、また新聞印刷にいたしましても、今日時速十五万を刷るほどの超高速輪転機がぼつぼつ出てきております。こういうことは数年前にはとうてい想像できなかったことで、まさに倍増しているような生産能力であります。そうしてまたさらに、いわゆるカラーでございます。世界の各新聞はカラーというものを非常に多用して効果をあげておりますが、カラー印刷というものがいままでは非常に困難で、紙質を選択したり、インクの調整、あるいは時間的ないろいろな関係ということで非常にむずかしい問題と取り組まなければならなかったのですが、いまでは普通のざら紙に相当早いスピードをもってカラー印刷もできるというような状態になっておりまして、製作速度が非常に上がってきております。  それからまた、その製作工場というものが、いままではPR目的に相当人口の密集した地域にそれがあったのでありますが、最近ではそれよりもより早くニュースを伝達して、それを製作し、さらにそれを読者に配る上で便利な地域に散らばっていきまして、そうして新しい製作現場を持つことによって製作のスピード化、さらにその配達のスピード化というようなことをやっておりまして、逐次その効率を高めておりますので、ここ十年くらいの間は、新聞の速報性というものは、電波放送手段を兼ね備えると同時に、その面でも相当高く能率をあげていくというふうに考えて、斜陽化なんてことは決して考えられないのであります。  しかし、新聞はいかにオートメ化しましても、マスプロによってそれを販売しても、およそその限界がありますので、もうけ過ぎるということは決してない。しかも頭脳生産をやるわけでありますから、その頭脳生産の面で相当の経費を要する。しかし、そういうものをあえて意図しないでりっぱな文化的な役割りを果たそうとするのでありますから、これが放送という新しい手段を持ちました場合にも、利害を超越してとは言いませんが、かなり収益というものを犠牲にしてでも公共的な使命を果たすということに専念できると思いますので、その点新聞は独自の一つの高い地位にあるのじゃないか。放送をどういうふうに配分するかということをお考えになる場合、その点を十分お考え願いたいというふうに私は思います。
  55. 大柴滋夫

    ○大柴小委員 これで終わりますが、前段のほうは私どもとしてはたいへんな問題なんですよ。しかし、あなたはいろいろことばを使いますからここでは結論をつけないことにして、後日また速記録でも見て、私どものほうの意見を京都新聞社のあなたに申し上げます。以上で終わります。
  56. 秋田大助

    秋田小委員長 これにて参考人よりの意見聴取は終了いたしました。  参考人方々には、御多忙中にもかかわりませず、御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次会は来たる五月二十九日午前十時から開会し、学識経験者及びFM単営期成同盟より参考人を招致し、意見を聴取することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時三十八分散会