○
赤城参考人 お手元に
放送法関係の
協会の
意見と、
研究会をつくりましたその
研究会の第一次
報告書と、その第一次
報告書のさらに追補という資料を提出してございますが、詳しくはそれに十分われわれの
意見が盛られておりますので、それによって御承知願いたいと思いますが、一応
NHKの
放送法改正に関する
意見の概要につきまして、簡単に御説明申し上げたいと思います。
第一番目に、
放送法制の体系をどうすべきかという問題がございますが、この問題につきましてわれわれは次のように考えております。
放送の社会的、
文化的意義を考えまして、
放送の使命を最も適切に果たし得るよう、
放送法制を
電波法制から分離確立することが必要である、そのために
法律体系は次の三つに整備するのが妥当ではないかというふうに考えております。
その三つと申しますのは、第一番目に
放送基本法というものをつくりまして、この中には
放送の
基本に関する事項及びわれわれが後に述べます
放送行政委員会としての
放送委員会等についてこれを定めてはどうか、第二番目には
日本放送協会法、これは
基幹放送としての
日本放送協会に関する
基本的な
組織運営をきめる
協会法という
法律をつくる、第三番目には
商業放送関係でございますが、
商業等放送事業法という
法律をつくりまして、私企業としての
商業等放送事業に関する
基本的事項をこれで規定してどうか、これが
放送法制の体系についてわれわれが
意見として持っているところでございます。
次に、しからば
放送基本法の内容には具体的にどういうものを盛ったらいいかということでございますが、第一番目に
放送基本計画と
放送の二系列、これをはっきり
基本法の中に書くべきである、これは将来にわたる
長期的見通しに立って、有限でありかつ稀少な
放送用周波数を最も有効適切に利用し、
放送を公共の福祉に適合させるようにするために、
放送基本計画を策定すべきことを明らかにする必要があるのではないか。また、これとともに、
わが国の
放送を、
日本放送協会の行なう
基幹放送と、
商業等放送事業者の行なう
放送の二系列といたしまして、それぞれの特質及び使命に応じて適切な位置づけを行なうことが必要である。第一番目に
基本法の中にはこういうものを盛るべきである。
第二番目に、
基本法の中に盛られるべきものは、
放送用周波数の
割り当て計画でございまして、それを確立する必要がある。
基幹放送としての
日本放送協会と
商業等放送事業者に対する
放送用周波数割り当ての
基本方針を
法律でもって定め、具体的な
周波数の
割り当ては、この
基本方針によって、後に述べます
放送委員会規則で定める
放送用周波数割り当て計画に基づいて行なわれるべきであるということを明確にする必要がある。
第三番目に、
放送行政の確立でございますが、
放送行政については、現在の
電波行政から分離して、
法律による
行政の原則を確立するとともに、
行政の
計画性、
中立性等を確保するために、
一般行政権から独立した
放送委員会を設けて、
行政機構を整備する等必要な措置を講ずることが妥当ではないかというふうに考えております。これは
基本法に関する問題でございます。
次に、
日本放送協会に関する
日本放送協会法の内容でございます。
第一番目に、
日本放送協会の使命を明確にすべきである。
日本放送協会の使命は、豊かで、質のよい総合的な
全国向け及び
地域向けの
放送番組をあまねく全国に普及し、
放送に必要な
調査研究を行ない、また対外的には
国際放送を実施し、これらを通じて公共の福祉の増進をはかることにあることを明定すべきである。
第二番目には、
日本放送協会の
業務でございますが、
協会の本来
業務については、原則として
現行どおりとするが、
任意業務については、本来
業務の一そうの円滑な
運営をはかるために、若干の条項の追加及び修正を行なう必要があるのではないかという
意見を持っております。
第三番目に、
受信料制度でありますが、
協会の
放送を受信することのできる
受信設備を設置した者は、
協会に対し、
受信料を支払わなければならない旨を規定することといたしまして、また、こういうような規定になりますと、
協会と
受信者との
結びつきを一そう緊密にするために、必要な措置を講ずべきではないかという
意見でございます。
第四番目に、
日本放送協会の置局の問題でございますが、
協会は、その使命の達成のため必要な
放送局の設置に努力することを明らかにし、また、
協会の
放送局に対する
周波数割り当ては、
放送用周波数割り当て計画との
適合性及び
技術的基準との
適合性についての審査によって行なうべきものではないかという
意見でございます。
第五番目に、
放送協会の
組織でありますが、現行の
経営委員会、
執行機関、
放送番組の
自律的措置、
財務等は、
現行制度において円滑に運用されておりますので、こういう制度は原則として
現行どおりとして維持するのが妥当ではないか。
以上が
日本放送協会法に関する問題でございます。
四番目に、
商業等放送事業、すなわち
商業等放送事業法の内容とすべきことでございますが、これは一つの問題だけを
意見として出しております。現在
商業等放送事業者に対しては、現行のの
無線局の
免許制を改めて
事業免許とすべきではないかということを
意見として出しております。
大体われわれの出しました
意見の概要は以上でございます。
この際、この小
委員会に陳述する機会をお与えいただきましたので、さらに二、三の
問題点について御説明申し上げたいと存じております。
われわれの
協会意見として出しましたものは、単に
NHKを弁護するための
意見ではなく、客観的に中正な外部の
意見も十分お聞きいたしまして、この
国民のものである
電波をどういうふうに使うかということを底辺にして立論の根拠としたと考えております。
問題点がいろいろ新聞その他あるいは
調査会に提出されておりますが、それらの二、三についてさらにわれわれの
意見を申し述べさしていただきたいと思います。
第一番に、
NHKと
商業放送事業とを対等にすべきだという
意見がございます。現行の
放送法上、
NHKに対しては、
商業放送にないいろいろな義務が与えられております。
NHKは
国民的基盤に立って、
国民の要望に沿った
公共放送を行なう公の
放送機関であり、そのためにこそ、
日本放送協会が特殊の法人として存在するのでありまして、このために
協会の
運営の財源をも直接
国民から寄せられる
受信料でまかなっているわけでございます。そういう
日本放送協会と、
番組を売ることによってその利益を得る株式会社の
商業放送とを対等にせよという
意見は、根本的に比較できないものを比較せよということと全く同様であると考えられます。察するところこれは、具体的にいえば、
電波の
割り当てにおいて同じ立場に立つべきだということを考えているのではないかというふうに考えられます。しかし、
日本放送協会というものを、
日本の国策として、公共的な
企業体という形でつくることになっているならば、その
企業体にふさわしい規定をつくりまして、これに基づく
行政施策が行なわれることは当然であります。たとえば、
日本放送協会は、全国あまねく
放送普及させなければならないという義務を負わされておりますが、このためには、当然それだけの
行政措置をしなければならない。端的に申し上げれば、十分なる
周波数と、十分なる
放送の
種類——番組を編成する上において必要な種類が与えられなければなりません。現在、御承知のように、
ラジオでは第一、第二、
テレビでは、総合、教育、それから
FM放送についても、
NHKの設立の目的である
全国普及の立場から、当然これは、
商業放送に対しては、別に
法律に基づく当然の措置をとるべきであって、決して
NHKと
商業放送が対等であるべきではないと考えております。両者は違ったものであって、遠ったルールで違った
行政措置をすべきである、決して優劣を問うわけではないという見解を持っております。
第二番目に、
放送委員会といいますか、
放送審議会設置についてでございます。
郵政大臣の
諮問機関として
放送審議会を設置せよという
意見がございます。これに対して、われわれとしては、現在の
電波行政から切り離して、
放送電波に関する限りは、違った
行政機構が必要であるという
意見を出しております。では、なぜそういうことを主張したかと申しますと、現在までの歴史を振り返ってみますと、昭和二十五年に
放送法をつくって、
日本の
放送の系列というものが、
NHKという
特殊法人と
商業放送の
二本立てとなりました。これに基づきまして、
日本の
放送の大体の構図というものが固まってきておりますが、その間、数少ない
電波を
放送に利用するという
関係における
行政措置というものを振り返ってみますと、いろいろな面ですっきりしない点がございます。今後こういう
放送の
電波というものを、
国民のために最も有効に使うべき
放送の
行政を行なう
行政組織は、はたして現在のようでよろしいかどうかということ考えなければならないと思います。これについてわれわれは、
放送委員会というものを設けて、それを
独立行政機関にしてはどうかという考えを持っているわけでございます。
アメリカ軍占領下においては、こういう
行政委員会がたくさんできましたが、現在は非常に削減されまして、いまは三つか四つか存じませんが、そのくらいしか残っておりません。しかし、
放送行政というようなものは、やはりそのときの政府なり、一
党一派あるいはその他の圧力によって動かさるべきものではなくて、長い目でもって、
日本の
放送行政というものを確立して、それに沿って公正なる
行政をやらなければいけないというふうに考えたのであります。
このような
放送委員会を設置して、
放送関係の
行政は全部この
放送委員会にまかせという考えをとったわけでございます。
放送委員会の
組織その他については、
協会意見の中に詳しく述べてありますが、こういう大事な
放送行政というものが、一年ごとに、あるいは
数カ月ごとに変わってしまっては迷惑するのは
国民でございます。
電波というものが紙のように幾らでもあって、
新聞社のように自由に設立されるという状態ならばいいのですけれども、
電波は有限でございます。そういう有限な
電波を、目がさめたら国家的または
国民的に必要な
割り当てる
電波がなくなっているというようなことになりましたら、これはたいへんなことであると考えます。そういう
意味合いにおいて
放送委員会というものを設置して、それに
放送行政をやらせたらどうかというふうに考えたわけでございます。
この
委員会組織に対しまして、いろいろなマイナスの面がございます。こういういろいろな
委員会組織をつくっても、いろいろな方面からの圧力なりあるいは働きかけが
委員たちにあるのは当然でございすが、これは
独任制の
行政長官に対するよりはよほど緩和するであろうと思います。また一方、この
委員会組織というものが、非常に
行政上
敏速性を欠くという反論がありますけれども、むしろおそくても公正で中立的な態度で
放送行政をやってもらったほうが、将来の
日本の
国民にとっていいのではないかと思います。そうして
委員会には、準立法的な
権限とか、準司法的な
権限なども持たせようというわけでございます。準司法的といいますと、訴訟というか、対立した
意見が起こった場合に、それを裁定する
権限を
放送委員会が持ちます。また準立法的な
権限というのは、
放送委員会規則、これは省令に当たるようなものですが、そういうものを制定し得るということで、そこが
放送行政の大もとになるという
考え方でございます。
しかし、この
放送委員会は、
電波全体に対して
権限を持っているわけでなく、ほかの
電波に対しては
郵政大臣が
権限を持ち、
電波監理審議会なりが審議してよろしいと思いますけれども、
放送に使用し得る
電波に関しては、
放送委員会がすべての
権限を持つべきだということを考えているわけでございます。
このような
考え方に立って、
電波監理審議会から
放送だけを切り離して、
放送審議会を置けという
意見がございますが、これはわれわれがいうような
独立行政機関でなくて、従来の
電波監理審議会と同じく、やはり
郵政大臣の
諮問機関にすぎません。これでは五十歩百歩でありまして、ただ
審議会を分離したというだけで、それだけでは現在の
放送行政というものを本来の道筋に戻すわけにはいかないのではないかというふうに考えられます。
第三番目に、
放送法と
NHK法の
二本立てでこれを組み立ててはどうかという
意見がございます。これは
商業放送関係者の
意見でございますが、この
意見は、まず
放送法というものをきめて、
日本放送協会法というのは特別な
法律にしてはどうかという
意見でございます。これに対してわれわれの見解は、先ほど申し上げましたように、
放送の
基本に関する問題を
放送基本法というものできめる。それから、
日本放送協会に関する問題は、
日本放送協会法できめる。それから、
商業放送に関する問題は、
商業放送事業法できめるという三本立てで
放送関係の全体をきめていってはどうかという
意見でございます。
二本立ての
意見というものは、あくまでも
NHKというものは、
わが国の
放送界における例外的な存在だという
考え方があるのではないか。この
法体系自体においてそれをあらわそうという考えではないかというふうに思います。
以上は、大体
放送基本法関係に関するいろいろな
意見の一部を申し上げましたが、
NHKそのものに関する
意見は、一番たくさん出ております。こういういろいろな
意見が出てくるというのは、まあわれわれ冷静に考えましても、いろいろな
利害得失がありますので、そういう
考え方が底に流れているというふうに感ぜられます。
第一に出てくる大きい問題は、
NHKの
分割論であります。これは分割の方法として、二つの
分割論が出されております。一つは
放送種別による
分割論でございまして、
ラジオ、
テレビあるいはFMその他の
放送というふうに種別によって
NHKを分割せよという論であります。もう一つは、
地方別の
分割論でございます。これはどの程度こまかく分割するか知りませんが、とにかく
地方別に
NHKを分割してしまえという議論でございます。これらはまともに反論する必要はないかと存じますが、いずれの論をとりましても、総合的な
放送番組をあまねく
日本全国に受信できるようにするという
日本放送協会の使命を根本から否定するものでありまして、また、
事業経営の
合理化に逆行し、
国民に過大な負担をかけることにもなりますので、非常に危険な
考え方であり、絶対にとるべきではないというふうに考えております。
次に、
NHKから
娯楽番組を除いてしまえという
意見がございます。
NHKは教育、教養、
報道番組に重点を置いて、ほかの
番組にはあまり手をつけるなという議論でございます。
娯楽番組を
NHKがやるのはけしからぬ、これはいたずらに
商業放送と競争しようと思っているわけであって、
NHKのような機関は
娯楽などに手をつける必要はない。教育とか教養とかかたい
番組をやっていればよろしいという
意見でございます。これは相当根強い議論でございますがわれわれはそういう議論はおかしいということを言っているわけでございます。
NHKの存立の基礎というものは、
国民のための、
国民に基づく、
国民的基盤に立った一つの公共的な
放送機関であって、これに基づいて
NHKの
組織なり
運営なりが行なわれていることは御承知のとおりでございま。そういう
意味合いから言いますれば、
NHKは
国民の要望に応じて
放送番組をつくるべきだということは当然でございます。これを教育とか教養とかあるいは報道だけに限るということは、全くかたわの
番組をつくれというのにひとしいのであります。やはり
総合的観点において編成された
番組を送るということが、
NHKの
国民に対する要望にこたえる道であって、決して
娯楽番組を軽視すべきではないと思います。
娯楽というと、何かむだなものだという
考え方は、今日の
社会生活を考えると、とうていとり得ません。
娯楽というものは生活の
必需品でございます。特に
商業放送のない、
NHKしかない地域、これらは
商業放送としては、開局してもなかなか採算が合わないような
山間僻地が多いと思いますが、これらの地域の
受信者は、
娯楽番組を聴視する恩恵を全く奪われてしまうことになります。そういうことから、
娯楽を
NHKの
放送から落とせという
考え方は、とうてい受け入れられないというふうに考えるわけでございます。
次に最も問題になっているのは、
受信料の
性格に関する見解でございます。これは
NHKの本質というものをどういうふうに規定するかによって
受信料の
性格があらわれてくるのであって、こう考えていきますと、結局
NHKの
性格というものは、
国民的基盤に立った
国民的な
企業体であるというふうに規定すべきであって、これは政府のものでもだれのものでもない。
会長は、
NHKこそはまさに
国民的放送である、ということをよく言っておりますけれども、まさに
国民自身のものであると考えております。この
NHKが
基幹放送としての
業務を遂行するためには、多額の経費を必要としますが、しかしこれを国の税金によってまかなうということは絶対に避けなければなるまいと考えております。
受信料を税金にせよという見解は、従来もいろいろな面で強く主張されてまいりましたが、税金ということにわれわれが最も反対している理由は、
NHKの
事業が政府の
交付金によってまかなわれている形になるからでございます。税金で徴収して、その金を
NHKに交付するということになりますと、やはりわれわれの
業務活動の基盤、つまり財政を政府に握られるということになりまして、ひいては言論の自由というものを守らなければならない
言論報道機関である
放送事業に対して、非常に危険な
関係を生ぜしめやしないかということを考えるわけでございます。やはり
番組というものは、憲法の保障する表現の自由のもとに、
NHKの自主的な編集によって遂行することが最も必要であると考えております。それから見ても、
受信料を税金にすることは非常に危険をはらむ制度であります。それではどこにその財源を求めるかということが問題になるわけでございますが、
NHKは
国民的基盤に立つという
企業体組織ですから、
受信者はそういう公共的な
企業体の社員的な
性格をもって
NHKの
放送を見たり聞いたりする権利を取得すると同時に、
NHKの
業務運営に必要な費用を負担するという
考え方をとったわけでございます。当然
法律的にはそういうむずかしいことは何もいう必要はないので、
協会の
放送を受信することのできる
受信設備を設置した者は、
協会に対し
受信料を支払わなければならないということになるわけでございます。そういう見解のもとに、契約という形ではなしに
拠出金ということで
NHK運営に必要な経費をまかなうということをたてまえとするのが一番妥当ではないか、そういうふうに考えたわけでございます。
すなわち、
受信者が法人としての
NHKのそういう社員的な
性格を持ってくるわけでして、それでは
受信者の
意見をいかにして
NHKの
運営に反映していくかといこうとが次に問題になってまいります。しかし二千万にも達しようとするそういう
聴視者の意向をどうして反映せしめるかということは、技術的に非常にむずかしく、全員を一堂に集めてどうこうしようということはとうていできません。そこで
NHKの
組織をどういうふうにするかという問題が当然起こってくるわけでございます。
しかし、現在でも
NHKの
組織というものは、
国民といいますか、
受信者の
意見を十分反映した
組織であるということを配慮してございます。現在、
経営委員会の
委員は、国会の承認を経て
内閣総理大臣の任命になっておりますが、
経営委員会は
受信者の代表、
国民の代表として、各地区並びに
学識経験者の十二名の
委員をもって構成されており、
NHKの
経営の
基本的事項について決定しております。それに基づいて
会長以下
執行機関がその執行の責任に当たるという制度になっておりまして、こういう意味で
経営委員会制度は
受信者の
代表制度ということができると思います。
さらに、
番組面におきましては、
中央放送番組審議会と
地方放送番組審議会が法定されております。これはやはり
受信者の
代表的性格を持って、
NHKの
番組に対して、
会長の諮問に応じ、それに答える、あるいは
意見を開陳するということになっております。
ほかに制度的にこの趣旨を徹底さした大きいものを申しますと、御承知のように国会が
NHKの
事業計画なり予算なりを審議して、承認しておりますが、これは全
国民の代表としての立場から、
NHKの予算なり
事業許画を討議するというふうに考えられます。また、決算を国会に提出するというのも、
事業計画なり予算なりが適正に執行されたかどうかを十分検討するために、
国民の代表としての国会がこれを審議するのでありまして、さらに会計検査院が
NHKの会計の検査をするというのは、
国民的基盤に立って、
NHKの会計が、
国民の要望に応じた
運営を的確に行なっているかどうかということを検査するというふうに考えられます。こういう形で
受信者の意思の反映を行っているということから、
受信料を
拠出金というように考えても少しもおかしくはないのではないかというふうに考えるわけでございます。
しかし、この場合、さらに現在以上に
受信者の声を十分に反映して
運営するということを、法的にも考える必要があるというふうに考えまして、たとえば現在
受信者との
座談会というものを、年に数百回催しておりますが、これを継続的に、あるいは計画的にやるということを法定してはどうかという
意見を持っております。それから、年度の
事業計画なり予算なりを決定したときは、
放送その他を通じて十分
受信者に報告し、決算についても、十分その内容を
受信者に知らせる義務があるということを
法律で定めてはどうかというふうに考えております。このことによって、先ほど申しました国会の承認その他いろいろな制度と相まって、
NHKの
性格をこういう
法律上きめられた一種の公共
企業体と考え、
受信者は
NHKの
放送を受信する権利と、それから
NHKの
運営の費用の一部を負担する義務を持つというふうに考えてよろしいのではないかというふうに考えたわけでございます。
次に、
受信料の使い道に関する
意見がいろいろ出ております。これは非常に大きい問題でございます。これは、先ほど述べましたように、
NHKは
国民全体の機関であり、
受信料は、
NHKの
業務の遂行に必要な経費を、
NHKの構成員と見らるべき
受信者から拠出したものと考えているわけでございます。このことから、
NHKの
業務と
関係のない
事業に
受信料を支出することは当然できないと考えます。しかるに、
受信料を公的な負担金と考えて、これを
NHK以外のものにも使ったらどうかということを、
商業放送側は強く主張しております。研究施設に使えというのもその一つですし、また今後、非常な僻地に
放送局を建てなければならないような場合に、その共通部分である道路などには使っていいのではないかとか、そのほか、いろいろな面で、
NHKの
受信料というものを
NHKの
業務以外にも使ってはどうかという
意見でございます。もともと、
受信料だけを
経営財源として商業行為を一切行なわない
NHKと、スポンサーによる広告料を収入源とする
商業放送とは、設立そのものからして異なった基盤に立っております。それにもかかわらず、広告料収入に加えて、
受信者から負担金を徴収しようということは、どう考えても無理な
考え方ではないかというふうに考えております。このような公的負担金説は、
NHKの
事業のためだけに充てられている
受信料を、何とかして
商業放送にも使わせようとするためだけの説明の道具ではないかというふうに考えられます。
本来、
協会の予算というものは、一年間の
事業計画に基づいてつくられるものでありまして、それを国会に出して、その承認を得て初めて具体的な
受信料額がきまるというのが、現在の法体系でございます。
協会の
業務遂行の基礎になるものが、そういう国会の承認によってきまるので、それ以外にこれを使うということになれば、予算外の支出にもなりますし、また一そうすることによって、
受信者にはさらに多くの負担をかけなければならないというような結果にもなりかねない。これは
受信料の
性格からいって、まことに論外な
考え方ではないかというふうに思っております。
さらに、もう一つ、
放送公団というものを別に設置して、これが
受信料を徴収するという
意見がございます。これは集金会社のような機関が集めた
受信料を、
NHKとその他の
放送界全般に対する
業務に分配するという
考え方でございます。これも、
協会分割論と同じような、
協会の
受信料の
性格を十分理解しない、現実的でない
意見であると思います。
受信料に関する
性格並びに使い道に関してのわれわれの
考え方は、以上でございます。
その次に、研究機関の独立論がございます。現在
NHKには、技術研究所と
放送文化研究所と、二つの研究機関がありますが、これらを
NHKから切り離して独立させて、
放送界全体に対しての研究機関にしようという
意見でございます。
しかし、一つの
企業体が付属機関を持つということは非常に必要なことでありまして、これを独立させては、研究機関としての機能を十分に発揮することはできません。また
運営面からいっても、人員の交流の面からいっても、これを独立させるという
意見は机上の空論でないかと思います。何も独立しなくても、現在、技術研究にいたしましても、
放送文化の研究にいたしましても、その成果は広く一般に公開しており、しかも、研究について委託がありますれば、いつでもそれに応じて研究をやったり、技術援助をしているので、これを独立する必要はいささかもないと考えております。現在の
運営で十分その目的が達成されておりまして、独立する必要は全くないというふうに考えております。
次に出てくる議論は、
NHKの
業務範囲を縮小してはどうかという
意見でございます。
NHKの
業務範囲は、御承知のように現在の
放送法でも、必要
業務と
任意業務との二つの
業務範囲が
放送法にきめられておりますが、
協会の行なう
業務範囲を狭くせよということ、あるいは、特に
郵政大臣の認可
業務の範囲を厳格にして、
NHKの
業務範囲を狭くしてはどうかという
意見があります。
これは先ほど申し上げましたように、
NHKの
業務活動を縮小さしてしまえという論議といろいろ通ずるわけでございますが、われわれは、むしろ今度の
意見で申し上げておりますのは、社会的な進歩に基づきまして、将来の
放送や受信の進歩発達に即応して、円滑に合理的に
NHKの
業務が遂行されるようにすべきであるということを申し上げております。
受信者の負担を少なくするために、
受信料は合理的に使っていかなければいけないということは当然でございまして、そのためには
経営の近代化なり
合理化なり、いろんな面で合理的な
運営をしていく必要がございます。そのためには、単に
放送番組をつくるというだけの仕事でなくて、その周辺の仕事も十分やりやすくするようにしなければ、
経営の
合理化ということはできません。そういう
意味合いにおきまして、
放送に
関係のある特に必要な
事業については、ある程度の助成なり投資なりを認めてもらえば、もっと
受信料を合理的に使い得るということを言っておるわけでございます。
それからあと、いろいろ
組織についての
意見がございます。
経営委員会の地区制を廃止してはどうか、あるいは選任資格の範囲を拡大してはどうかというような
意見がございます。この
意見は、
経営委員会の中へ
商業放送の代表者を入れよとか、あるいは
経営委員会の事務局を設置せよとか一執行役員の資格をゆるめて、たとえば新聞の
関係者とか、あるいはメーカーの社長だとか、そういう者もすぐ
NHKの執行役員に送り込めるよう資格任命の基準をもっとゆるめよというような
意見とか、現在、
経営委員会が任命している監事を主務大臣の任命にしてはどうかとか、あるいは監事の事務局を置けとか、監事のうちの一人は少なくとも
協会以外から選任せよとか、あるいは
協会の収支予算を国会に対しては報告だけにして、
郵政大臣の承認でよろしいというふうにしたらどうかという
意見がいろいろ出ております。まあこれは一つ一つ違ったニュアンスがございますけれども、それらを通じてわれわれが考えておりますのは、こういう問題は言論、報道機関としての
NHKのあり方にとって、
番組の自主性を守るということについて危険な
意見が出ておるというふうに感じておるわけでございます。
その他県域
放送の問題が出ております。ローカル
放送は、いまの
放送法上もローカル
放送が義務づけられておりますが、現在われわれが考えておりますローカル
放送の単位はどこに置くかということが問題になるわけでございます。やはりこれは現在の
行政単位からいいますと、県を単位にした県域
放送が一番
基本のローカル
放送の単位であるのではないかということを主張しております。もちろんある経済圏があり、社会的にいっても、経済的にいっても、もっと広域圏的な
考え方を必要とする場合もあるわけでございますが、そういうものは数県一つのローカルも必要となってきます。しかし、
基本的には、県域
放送ができるようなローカル体制が必要であるということを主張しておるわけでございます。
行政単位からいって県を単位にするという
放送そのものが重要でありまして、たとえば選挙
放送でもそうでありますし、あるいは災害対策
基本法に基づく災害
放送においてもそうでありますし、天気予報その他のローカル
放送も県単位を必要とします。むろんさらにきめのこまかいローカル
放送ということを必要としますけれども、
経営の合理的な
運営からいえば、まず県域を
基本単位とするのがローカル
放送の
基本的な単位である、そういうふうに考えておるのでございます。そのための
電波の
割り当てなり
放送局の設置なりが必要であるというふうに考えております。
第二番目に、これは国会審議でもいろいろ出てまいりましたが、いろんな大型
番組を出して
NHKはいたずらに
商業放送と対抗しているのではないか、こういう点で
NHKは少し行き過ぎているんではないかというふうな
意見がございます。たとえば「花の生涯」とか「赤穂浪士」とか、そういう
番組を制作して、いたずらに
商業放送と対抗しているというふうにいわれております。これは言いわけがましくなりますが、「赤穂浪士」にしたところで、原価計算をしてみますと、直接費で約二百万円の経費を要しておりますけれども、これを視聴率から割ってみますと、五一%でございまして、三千四百万人人が一応見ているというふうに考えますと、
聴視者一人単位の額でいきますと、非常に安い
番組になっており、決してこれによってむだづかいをしておるということではないとわれわれは考えておりますし、さらに、これによっていたずらに
商業放送と対抗しているとは考えておりません。
娯楽放送も、先ほど申し上げましたように、健全な
娯楽放送を
国民に届けて
国民の要望にこたえたいと努力しているわけでございます。
試みに、
商業放送の外国
テレビ映画の単価を調べますと、大体一時間もので一本当たり二百万円、さらに貿易の自由化でもっと高くなろうとしている状態でございまして、それを「赤穂浪士」と一体どちらが効果的に
受信者にサービスしたかということを考えますと、大型の
番組を出して、いたずらに
商業放送と対抗し、いたずらに
受信料をむだづかいしているという論は、全く当たらないということを申し上げた次第でございます。
一方、
放送センターの建設に対しましても、これは非常に大きいものを建ててむだづかいではないかという議論がございます。これは簡単に考えますと、比較にならぬのでございますけれども、まあ世界の
放送事業体で
NHKのように多くの
番組を多くの媒体でもって
放送している
事業はないと考えております。BBCにいたしましても、第一、第二、第三の
放送と
テレビは一波でございます。
NHKはこれと違いまして、御承知のように、
ラジオで第一、第二、
テレビで総合、教育、さらに、FM、
国際放送、カラー
放送もやっております。これらの
放送時間を全部集めますと、どうしてもこういう
事業をやる上には、その
番組を制作するセンターというものが当然大きくならざるを得ないと考えております。現在数カ所に分かれておりますスタジオなり事務所なりを総合的に一元化することによって、企業の
合理化をはかり、
受信料をより合理的に使うという将来の見通しのもとに、
放送センターを建設しているわけであります。これらのいろいろな議論は、われわれの
考え方を理解しないか、あるいは実情を知らないことによる
意見であるというふうに考えているわけでございます。
最後に、以上述べられたいろいろな
意見についてわれわれの
意見を申しげましたわけですが、ここで非常に概論的に、
NHKの
基本的な見解というものを結論として簡単に申し上げておきたいと思います。
まず、
放送法制を考える場合に、非常に抽象的になりますけれども、一番大事なことは
放送とは何かというところから問題を解明していかなければならないと思います。一言にしていえば、
放送の持つ文化的な意義、あるいは社会的な意義、あるいは文化的、社会的な影響力、そういうものを考えなければならないということでございます。
放送というものは
電波そのものが問題になるのではなくて、
電波にのせる
番組が問題なのでございます。
放送というものを考えるにあたって、まずこの
放送の持つ社会的、文化的な意義の重要性を正しく把握するということが大前提になるというふうに考えております。
そこから、しからば
放送の果たすべき重要な使命を達成させるために、
わが国の
放送制度はいかにあるべきかまた、これを
放送行政としていかに取り扱うべきかということが、その次に出てくる当然の問題でございます。ところが、現在の制度では、本来
放送法に属する重要な事項までが
電波法として規定されております。これは
放送というものを文化的、社会的な意義に沿ってとらえていないためであって、単なる技術的な
周波数として扱うという形になっているからでございます。技術的な
電波としてではなく、その中に盛られている
番組というものを
基本にして考えなければ、
放送行政なり、
放送法の改正というものを論ずるわけにはいかないと考えております。そこから問題が出発しているわけでございまして、
電波法の中には非常に重大なことが規定されていますが、事
放送の
電波に関する問題は全部
電波法制から分離して、
放送法制の中に規定すべきではないかというのがわれわれの見解であります。
それから
電波の
割り当てということが郵政省なりあるいは
電波監理局の仕事でありますけれども、これは単なる
電波の
割り当てではなくて、
放送という重要な意義を持つものに有限かつ希少な
周波数をどう配分するかということではないかと考えます。これが非常に重要でありまして、まず第一に
国民の福祉に合致するための適正な配分が行なわれているかどうかということを考えなければならないと考えます。
国民の立場からいいますれば、この高度の公共性を持っている
放送が、全国あまねく普及され、
国民の期待にこたえる豊かで質のよい
放送が行なわれる必要がございます。
この
国民的要望にこたえる
放送をどう確保するかが
放送法制上の大きな問題でございます。ここに
NHKのような
国民的基盤に立つ公共的な
放送機関の必要性があると考えます。しかしながら、現在までに至ったこの
NHKと
商業放送の二系列の秩序を根本的に変えてしまうという考えは持っておりません。
商業放送も
NHKとは全く違った基盤のもとに、
放送の多様化、広告媒体としての役割りを果たしてまいりました。こういう歴史的事実は、やはりこの上に立たなければいけない。このような
NHKと
商業放送の二系列による
放送を認めながら、さらに
放送をよりよく
国民のために使うための規律を考え、これを新しい
放送法制に規定していくべきだというように考えておるわけでございます。
以上が、たいへん長くなってお聞き苦しかったと思いますが、われわれの
基本的な
意見の概要であります。たいへんありがとうございました。