○
古池国務大臣 ただいま
上林山
委員からの
お尋ねに対しまして
お答えを申し上げたいと存じます。
最初にお述べになりましたごとく、私は現在
参議院に議席を持っておるものでございます。院は違いまするが、
上林山
委員の御芳名はかねがねよく私は承っております。十分に
承知しております。私も仰せのとおりかつて若い時分に
郵政省、当時は
逓信省と申しておりましたが、ここに職を奉じまして
郵政の
事業に力をいたした時代がございました。もう二十年も昔の話でありまするけれ
ども、今日でも非常な愛着を
郵政事業に持っておるものであります。したがいまして、
日本の
郵政事業をさらに一そうよりよいものにしていく、そうして
国民の
皆さんが十分御満足していただける、喜んでいただけるものにしたい、こういう熱情におきましては、私自身どなたにも劣らないつもりで今日やっておるのであります。ただ非才微力にいたしまして
先生の御
期待に沿わない点があることがございますれば、まことにこれは遺憾でありまして、今後十分に気をつけて、さらに一そう勉励をいたすつもりでおりまするから、足りない点、あるいは気のつかない点がございましたたら、どうぞ御注意をいただきたい、かようにお願いをまずもって申し上げておきたいと思います。
昨年の年末にあたりまして、
全逓組合のいわゆる秋季年末
闘争というものが行なわれました。このことは当時
新聞その他の
マスコミ機関も詳細に
報道をいたしまして、
皆さんも
御存じであろうと存じまするが、私は
郵政省に参りまして、三十万という
職員をかかえた大きな
事業でありまするから、正常なる
労使の
関係を維持して、
お互いが理解し合って仲よく
事業の
発展のためにつとめていくということが正しい道であろうと信じまして、そういう
考えのもとに
行政を進めてまいったのであります。ところが、
全逓の
組合の
諸君は、私の真意を了解されたかどうかわかりませんけれ
ども、私としてははなはだ不本意な
態度をとられる事に至りまして、この点は非常に私も遺憾に
考えております。一応その経過について
概略を申し上げたいと思いまするが、御
承知のこの
郵政事業の
郵便局制度の中で大きな比重を持っておるのは
特定局でございます。
上林山
先生も、かって
郵政政務次官として
事業の
発展のために非常な御尽力をいただいておりまするから、私から詳しく御説明申し上げるまでもなく
十分御存じと存じまするが、この一万四、五千の
特定局の今日まで
郵便制度草創以来果たしてきた
役割りというものは、非常に大きかったと私は思います。また、今日においても、
日本の
郵便事業を円満に運行していく上において大きな業績をあげておることも否定できないと思うのであります。ところが、残念ながら、この
局舎のうちの三分の一程度というものは相当老朽をし、あるいまた手狭になったという局がございます。そこで、これらについていかに
改善をすみやかにすべきかということで頭を悩ましてまいったのでありまするが、もちろんそのうちの一部は国の
予算をもって
国費で
改善をやってまいりましたけれ
ども、これも
予算の上からいいまして限度のあることは申すまでもございません。そこで
国費でやる以外のものは、どうしても民有の
方法によって
改善することが近道でありますし、また、それが緊急の問題であろうというので、幸いに
簡易生命保険の
積み立て金がございまして、これを今日まで多額に
地方の
公共事業のために運用しております。その例にならいまして
特定郵便局舎——もちろんこれはりっぱな
公共機関でありますから、この
公共機関をよりよく
改善するための
費用として
簡易保険の
積み立て金を運用したらどうかという案が研究されまして、もちろん大蔵省、
自治省あたりとも十分に協議を遂げた上で、その
方法でいくということになりまして、三十八年度において
財政投融資の
計画の中に三億円が計上され、これを第一年度として五ヵ年
計画で二十三億円の
費用をかけて、およそ千局余りの
特定局舎の
改善を実行しようという案が立てられたのであります。私はこれはけっこうな案であると
考えましたので、これを決定しまして、
地方の局に
実施方を
通達いたしたわけであります。
ところが、この問題に
全逓組合が反対をされまして私に
会見の申し入れがありました。八月十二日に
会見しまして、その
通達を撤回せよ、かような
要求でありましたが、これはもとより
管理者として当然やるべき仕事であり、またよい案であると自分は
考えておるから、
通達を撤回する
意思はないということをその際に
お答えをしたのであります。その際には、ほかにもいろいろな
案件について
要望事項がございましたが、それらのいわゆる
団体交渉によってきめていくべき問題については、
誠意をもって
交渉にあたりましょうというわけで研究を約したのでありますが、その後九月ごろから
事務当局のほうで
交渉を始めておりましたが、十月の末になりまして、
組合側の
都合によってこの
団体交渉はしばらく休んでくれ、こういう
要望がありました。私のほうでも、
組合の
都合ということでありますからその
意思を尊重いたしまして、
団体交渉を中休みをしたわけであります。たまたま十一月といえば衆議院の総
選挙がございました。総
選挙が終わりましてその下旬、二十六日に至って年末もだんだん近づいてくるから、すみやかに
団体交渉を再開をして、年末
手当その他の経済的な
要求もありますからこれらは早く
誠意をもって
お互いに
交渉に臨んで
妥結しようではないかという呼びかけをしたのであります。そこで
組合側のその
関係の
人たちは、よろしい、やりましょうということで一たん帰られたのでありますが、翌二十七日におきまして突如として
組合の下部に
指令を出して、十二月一日からは三六協定を結ばない、いわゆる時間外の
超過勤務をやらないという
指令を出したのであります。そこで私
どもとしては、はなはだこれは本意ないことであるというのでさらに説得をして
団体交渉をやりましようということを言ったのでありますが、はなはだこれがうまく進まないという状態で、結局十二月の三日に私は
組合の
幹部と会ったのであります。そのときに、
組合はやはり
特定局舎の
改善問題というものを撤回してくれという
要望が重ねてありましたが、私は
既定方針のとおり、
組合がいかに言われましても、これは撤回をするわけにはいかない、こういう話をしましたら、それではもうこれ以上話し合っても
意味がないからというので、
組合の
幹部は席を立って帰られたのであります。
その後いろいろ曲折はありましたが、
組合の言われることは、数十項目の
要求は出しておるが、最も重要に
考えるのはこの
特定局舎改善問題である、これを
当局側が撤回しない限りは、
あとの経済の問題の
団交には入らないし、また経済問題の
団交をかりにやってその点において
妥結をするとしても、
特定局舎問題について
組合の言う
主張が通らなければ、
最後まで
闘争態勢は解かない、こういう
組合として非常に強い
態度で迫ってこられたのであります。私はつくづく
考えますのに、
郵政事業という大切な
事業をおあずかりしておりまして、
国民、
公共のために迷惑を及ぼすということは、これはあくまで避けなければならない。また、同時に、
従業員の
立場も
考えなければならない。しかしながら、かような
労使間の
交渉におきまして間違ったことをやってはいかぬ、これは将来のために非常に大きな禍根を残すことになるから、やはり通すべき筋は通していかなければならないというので、
組合とも再三その問題を話し合うように
努力はしたのであります。ところが、
組合はあくまで先ほど申したとおりの
主張を変えてくれないのであります。それで、私はこの
特定郵便局を
改善するというような問題はあくまで
管理運営に属する
事項である。これは公労法にも御
承知のようにはっきり定められておりますように、
団体交渉の
対象とはすべきではないということは自明の理でございます。これに対してあくまでも
組合側が聞き入れられませんので、私
どももこれに妥協をして、こちらの
主張を曲げるというわけにはいきません。といいながら、一方においては、年末は御
承知のように
郵便物が非常に増加してまいりますし、その措置のために非常に
苦心をいたしましてあらゆる
努力を尽くしたのでございます。その
努力は尽くしましたけれ
ども、なおかつ
郵便物の
滞留を見、あるいは万やむを得ず
小包郵便物の一部の
引受け制限もいたしました。はなはだ遺憾でありました。けれ
ども、
重要通信確保のためにさようなことをしたのでございます。これが大体年末
闘争における
概略でございます。
そうしておりますうちにだんだんと日がたって、いよいよ年末ぎりぎりに迫ってきた。そこで私
どもは、いわゆる
非常勤職員すなわちアルバイトを多量に雇い入れて、あるいはまた民間の
団体にも協力を依頼しまして、幸いにして
郵便物の
滞留は十二月二十日をもって峠を越しまして、一時多いときには百七、八十万通が
滞留しましたが、それから以後においてはだんだんと
滞留は減ってきたのであります。ここで、従来は
超過勤務なくしては年末は乗り切れない、こういうのが常識でございましたが、かような
制限はいたしましたけれ
ども、
超過勤務がなくてもどうにかこれは乗り切れるのではないかというふうな
考えもしてまいったのであります。しかしながら、一面におきましては、年末になって非常に重要な、たとえば商業上の取引の
決済関係であるとか、そういう
通信が出てまいりますから、これはあくまで確保せなければならぬ。そしてこれ以上
公衆に御迷惑をかけたくないという気持ちが
一つと、それからもう
一つは、この多数の二十何万という
従業員をかかえておりますが、その
従業員の
諸君は
組合の
指令によって動いておられますけれ
ども、その
人たちの心理を
考えてみると、なかなか複雑なものがあろうと私は思うのです。
そこで、できればそういう
人たちに年末
手当をあげないで年を越させるということは、
管理者の
立場としてまことに忍びないものがあるということも
考えつつ、私は非常に心を悩ましておったのであります。そのうちに、二十四日ごろでございましたか、
組合のほうから
情報が入りまして、
管理者側はどうしても
特定局舎の問題は
あとへ引かないと言っておるから、
組合も
考え直して、この問題は
団体交渉からはずそう、いわゆるほんとうの筋道に戻ろうというふうな決意が
組合側でできたという
情報が入ったのでございます。それなら非常にけっこうである、いままで
組合として筋の通らない
闘争をしておられたが、その点が自覚されて、この問題は
管理運営事項であるから、
組合としては
団体交渉の
目的にしないという、そういうことをはっきり自覚されたならば非常にけっこうであると私は思っておったのであります。
そこで、そういうふうな
態度に
組合も変わってきた様子でありまして、
団体交渉をする前に一度
幹部が私に会いたいという
申し込みがありました。この
申し込みは、私が受け入れようと受け入れまいと私の
判断によることでありまして、
法律的に何ら義務が生じておらないわけであります。けれ
ども、この事態を収拾する
意味において、筋の通った
やり方においてやるという
意味なら、何も
組合側の
要望を拒否するにも当たるまい、こう
考えましたので、それではどういう話か知らぬが会いましょうということで、私のほうでは、私の部下に、政務、
事務両次官、
人事局長、これだけが
大臣室において待っておりましたら、
組合側のほうでは、
組合の
臨時代理者でありまする
尾島繁君ほか三名の随員を従えてやってきたのであります。そこで私は
会見をいたしましたところが、
組合側としては、いままで
大臣の言っておった
特定局舎問題が
管理運営事項である。したがって
団体交渉の
対象にはならないということはよくわかりました。認めます。が、しかし、いままでもこの問題は、
組合としても非常に重要に
考えておって、歴代の
大臣との間では
話し合いを続けておったのであるから、そういう
慣行があるからこれは尊重してほしい、こういう
発言がございましたから、私はそれに答えて、今日まで過去のことを研究してみたが、それはそのときどきの
大臣によって、その
大臣の見識と
判断によって扱われたということは認める、しかしながら、こういう
管理運営事項を
組合との
話し合いによって、いわゆる
組合が反対すればやれないというふうな
意味合いにおける
話し合いによってきめていったというふうには私は
承知しておらない。それから、
慣行であると
組合が言われるけれ
ども、
慣行であるということは認めない。それは
ケース・バイ・
ケース、そのときどきの
事情によって
話し合いはしたということはあるけれ
ども、そういう
慣行が樹立されておるということは私は認めない、こういう話をしました。それならばこの問題について
組合の
意見を聞いてくれないのかと言いまするから、さような狭量なことは私は申さない、多数の
組合の
従業員の
意見は、
大臣として十分に聞いていくべきことは当然であるから、
意見は
意見として聞くが、あくまでそれは
参考である、かような問題について
最後の
決断を下すものは当然
大臣にあるのであるから、それだけの
責任があるのであるから、ただその
考えに至るまでの
参考資料として
組合の
意見を聞いてくれというならば、それはぼくは聞きましょう、こういう話をしましたら、
組合側も納得をいたしまして、それではけっこうでございます。そういうことでございました。大体その話が約一時間ばかり続きましたが、かいつまんで要領を申せばそういうことでございます。
以上が大体ただいまの
お尋ねに対する私の
お答えでございます。