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関根説明員 お手元に「
松山市における
郷田会と
矢嶋組の
猟銃、
けん銃使用による
対立抗争事件」というのを資料で配付しておきましたが、さらに若干こまかい点につきまして、
報告を受けておりますことで印刷に間に合いませんでしたことをつけ加えまして御
報告申し上げます。
まず、事前に
警察が
情勢を
把握しておった
状況についてどうか、こういう点でございますが、
矢嶋組が
松山市に進出しておったというふうなことを
警察はいつ、どの程度に知っておったか、こういう問題につきまして
報告を受けておりますことは、
矢嶋組——組長矢嶋長次——という
団体でありますが、
松山市の
大手町二丁目二十二番地の
大陸ビル、
経営者古川という人の
ビルでありますが、その一部屋をことしの四月二日、
八木保、これは
矢嶋組の
関係が現在あるようには聞いておりませんが、
八木保という人の
名義で敷金二十五万円、家賃五万五千円で借り受けまして、
電通局の
下請業者として
認可をとり、事業を行なうべく
協同電設株式会社という看板を掲げて、この
矢嶋組の
幹部の
片岡正市たちが出入りを始めておったのであります。しかし
電通局の
下請業者としての
認可をとるべく奔走しておりましたが、下がむずかしいというような事実を四月の十日ころ
松山の
東警察署において
探知をいたしまして、その
探知した
状況に基づいて内偵しておりました。かような
実情であったのであります。それから六月一日に
東雲ビル、この前申し上げましたが、この
ビルを借り受けておったことについて
警察はどうかということでありましたが、これは六月一日に
入居契約をいたしまして、実際には六月三日に入居したということが判明いたしましたが、この点につきましては
事件発生の当時には
警察は承知しておりませんでした。また六月五日、この
事件の
前々日の夜に第一
事件とおぼしき
事件があったのでございますが、
警察がこの
事件を知っておればもっと的確な手を打てたのではないかということもございましたが、この点につきましては、その
状況は
事件発生後
取り調べによりまして承知したのでございます。その
事件と申しますのは、
松山市内の
バー「
村はずれ」というところの前で
矢嶋組員と
郷田員にが
いさかいをした、こういう
事件でございましたが、たまたま
バー「
村はずれ」というのは
郷田会長の
関係のある女性が経営しておるところでありまして、ちょうどそこで下作が起きて、また逆行した
場所が郊外の右手川の堤切に連行した、こういうことで、比較的目に触れにくい、また
情報が入りにくい、こういうことで第一の
いさかいがあったことについては
警察は承知することができなかった、かような
実情でございます。
それから
矢嶋、
郷田の両組が、かような
矢嶋組の進出をめぐりまして、若干不穏な形勢があるということを承知しておりながら、
警察はどういうふうな手を打ったか、こういう点につきましては、
矢嶋組が
松山市の
大手町の
大陸ビルを借り受けまして進出してきたことを四月十日ごろに
探知をしたのでございますから、この
矢嶋組が
県外の
団体と
関係があるというふうに
警察ではかねて見ておりました
関係上、こういう
県外団体との
関係などを排除する必要がありまして、そういう方面とも
連絡し、あるいは
動きの内偵ということについてつとめておったのでありますが、さらに
郷田会のほうにおきましても、悪い感情を持っておるということがわかり、視察を継続しておりました。しかしながら、いま申し上げましたような
対立抗争の具体的な
事件が起きるという点について、十分な
情報というものは承知しておらなかった、かような
状況でございます。
次に、
抗争の
事件の
状況でございますが、現在まだ
取り調べ中でありまして、その
取り調べを通じて
関係者の
自供も若干食い違う点もあり、真相を全部完全に
把握しておるという
状況ではございませんが、現在まで
取り調べの結果、一応こういう
状況だろうというふうに承知しておりますのは、まず、
矢嶋組側におきまして、
阿部という
人間を拉致したのでございますが、拉致をすることについて、いつごろ
計画を立てておったかというふうな点につきましては、現在までの
調べでは、先ほど申したような六月五日の
事件がありまして、その翌朝
東雲ビルで
矢嶋組の
組員数名が、前の
事件について協議をした末、
矢嶋組がやられたのも同様だ
——こういうことはよくあることであります 、
相手方に対してほうっておけない
——通常ほうっておけないということは、こういう
団体の者にとりましては、不法な
実力行動を起こすことになりますが、そういうことで、ほうっておけないということに意見が一致して、そうして
矢嶋組の
片岡という人物が
郷田側に掛け合うということで、六月六日、
事件前日の昼前ごろに、
市内の喫茶店で
郷田側の
幹部と
話し合いをしたということがわかりました。現在のところ、その
話し合いは物別れとなったというように聞いております。
そういう
状況で、
事件の当日、六月七日の朝を迎えたのでありますが、六月一七日の朝、
東雲ビルで
矢島組の
関係者数名が謀議をいたしまして、
人質をとって
郷田の
会長を呼び出してやっつけようというふうな
話し合いをした。こういうふうなことで、この
事件のかたき討ちをとってやろうということになったように聞いております。
現在までの
調べでは、その
関係者の武器はどこから入手して
準備したのであろうかという点につきましては、
現存のところ
自供をいたしておりません。なお追及をしておる次第でございます。
なお、
郷田会から押収した
猟銃は、前回も申し上げましたが、いずれも無許可、不法の所持でございます。
それから、
郷田会の側におきまして、
阿部という
人間が拉致されたという
状況を詳しく聞いてみますと、六月七日の十一時半ごろに、
郷田会の事務所に
矢嶋組側から
電話がかかりまして、
阿部を
人質にとっているから
東雲ビルまで連れにこいというふうな
電話がかかった。この
電話を受けました、一々
名前は申し上げませんが、
郷田会の
組員の一人が、他の三名とともに、
猟銃二丁、
拳銃一丁を持って、
平素郷田会が
使用している
乗用車二台に二人ずつ分けて乗りまして、その一人ずつが運転して
現場に行った。
現場に行く、こういうことについて、
計画、
準備あるいは指令を受けていないか、どうかというふうな点につきましては、現在なお
捜査、
取り調べ中でございます。
車は、いずれも詳細申し上げませんが、
郷田会の
幹部の
所有名義になっております。
事件の
現場でございますが、
湯山先生は私
どもより
現場の地名、それから
状況を詳しく御存じでございましょうが、私は
報告を受けた点に基づいて申し上げるので非常に何でございますが、この撃ち合った
事件の経過につきましては、午前十一時五十分ごろ、
東雲ビルの西側の通りを北に向かって四名を乗せた二台の車が、歩いておりました
矢嶋組員の二名と遭遇をした。
矢嶋組の
組員の二名がそれから北のほうへ逃げて行くのを、
郷田会の華がこれを追っかけて行って、
丁字路と書いてありますが、そこで互いに数発撃ち合った。それからなお、その付近で、逃げて行く
矢嶋側の
人間を
郷田側のほうが追跡して行き、さらに三十メートルくらい行った
現場で
猟銃、
拳銃を双方で撃ち合い、そのあとこの二名の者は
東雲ビルの中に逃げて入った。
郷田会の会のほうの
乗用車二台が
東雲ビルの路上に来たときに、
ビルの三階の窓から
矢嶋組側の数名の者が、
郷田会の
会員の車めがけて
拳銃、
猟銃を数発撃ち込んだ。どちらが先に発射したとか、どうだこうだということにつきましては、現在詳細
取り調べ中でございます。
なお、
ビルに立てこもっておった
矢嶋組側が、
阿部を
人質として
郷田会に対してどういうふうな働きかけをするつもりであったかというふうな点につきましても、現在のところは、
矢嶋組の
松山市に出てきた
組員の大部分は、
市内の地理にうとい。郷町会にやられてはいけないということで、その
ビルの三階に立てこもっておった。
人質をとってありますので、
郷田会のほうから
組長が受け取りに来たときにやってやろうというふうなつもりで立てこもっておった、とこういうふうな
状況でございます。
さらに、その後の時間
的経過につきましては、先般簡単に申し上げましたが、十三時三十分ぐらいから十四時ぐらいまでの間に、
矢嶋組の立てこもっておった
組員がお互いに
拳銃、
猟銃数発を、人のいない路面に威嚇をして発射をした。
警察が
出頭を要求したことは前にも申し上げましたが、
警察の
出頭要求には応じないという
状況が続いたのであります。
そのほか
現場におきまして
警察官が集合し、
相手方と対峠をし、
現場の
指揮官の
判断でいろいろな
準備をしながら
警察側の態勢の整うのを待ち、
負傷者を出さないように
逮捕の目的を達することを考慮して、かなりの時間がたちまして、四時ごろに至りまして
逮捕を完了した。
逮捕の際、
警察側に軽い
負傷者も出た。かような
状況につきましては、若干時間
的経過も聞いておりますが、前回申し上げましたことにたいして追加することはございません。
事件の
現場の
指揮の
判断と
問題点、これは
警察側におきまして
現場の
判断をするにつきまして、
矢嶋組員が狭い
ビルの一室に立てこもっておるとか、あるいは銃器を持っているのではないかということから、
説得をして
逮捕するのが最良の
方法だ。かように
判断をいたしまして、パトカーの
広報マイクによって
説得するとか、たび重なる
説得にも応じない者につきましては、
催涙弾を発射してこれを
逮捕した。時間がかかり過ぎたかどうか、この点につきましては確かに
一般の
方々が不安を覚える
状況というのは察知できるのでありますが、慎重に
ものごとを行なうということの、慎重さの加減が、こういう
現場の
判断の場合には非常にむずかしい、こういうことで、
一般の
方々に不安を与えたというような点につきましては、私
どもも、もっといい
方法がなかったか、どうかということを総合的に
調査をしたいと思っておりますが、現在のところ
報告を受けております
状況では、私
どもが慎重にやるということについて成功した。この点と、それから時間がかかり過ぎたということについてのかね合いというものは非常にむずかしいと
判断をしているところでございます。
以上が前回申し上げました
事件報告の追加でございます。