○佐野委員
道路基本問題調査会の答申案を私
どもも読ましていただきましたけれ
ども、経営問題その他、島田会長の性格、あるいは政府の諮問の
内容にもよるでしょうけれ
ども、決して
道路交通の基本に対する取り組みとしての
考え方の問題ではないんじゃないかということも感じますし、それから行政管理庁が陸上
交通の緩和並びに
事故防止に関する行政監察結果に基づく勧告、こういうのをずいぶん各機会ごとに出されておりますし、それらの集大成されたものが私
たちの手元にも、国会図書館に行けばずいぶん目につくわけです。そういう具体的に勧告されておることがやはり実行できないという問題、それからもう
一つは、やはり法そのものが、いま大臣の
ことばの中にも不安に感ずるのは、
事故防止の取り締まり
法規である、こういう
考え方が強く出ておるんじゃないか。それでは過去における
道路交通取締法でけっこうなんで、この取締をとって
道路交通法という
規定をする意欲的な作業を進められてまいりましたのは、
道路基本法としての性格を持たせたい、
道路交通のあり方に対して、あるいは
道路交通の経済的効率的なあり方は一体どうあるべきか、こういうものがやはり法の中にうたわれていなければ、
道路交通法としての体系化がなされてこないんじゃないか。たとえばアメリカの統一
車両法、あるいはスイスの
交通法典、これらの中にもそうした意欲的な努力が見られておるわけですけれ
ども、しかし今日の
交通行政のように、このように多岐にわたり、多岐の役所に
関係があり、かつまた多岐の
法律がそれぞれ施行されておる、そういうのがやはり一元化して、しかも将来の
道路交通のあり方はどうあるべきか、こういうことを明確にしなかったら、単なる取り締まり
法規に堕していってしまう性格を持っておるんじゃないか。こういう点に対して、大臣としても少し腰を据えて、取り締まりという問題だけでなしに、あるべき
道路交通行政、これらに対して一体どうしたら法体系が一貫されたものがっくり出せるか、こういう努力をひとつ内部においても続けていただきたい、かように要望しておきます。
時間もありませんので、第二点として、私はやはりこの
法律そのものの欠陥と同時に、順法精神を政府は非常に強調しておられる。ですから、順法精神という面からもこの法案の内部を見てまいりまして、私、大臣にもひとつ、要望と申すよりも、大臣自身は
道路交通法をお読みになっておるかどうかということをまずお尋ねしてみたいと思うのです。この
道路交通法をもし大臣がお読みになったら、おそらく十分間お読みになれば、頭が痛くなって、何が何だかわからぬ、どっかのクイズでもやっておるんじゃないかという錯覚を持たれるくらい難解な文章に私は満ちておるだろうと思うのです。このことは、たとえば大臣おひまがあれば、三十一条を読んでもらいますならば、たとえば路面電車を追い越す場合の
規定が書いてあるわけでございます。これは毎日新聞の「余録」にも載っておりましたし、各新聞紙にも取り上げておられますので、あるいは御存じかもしれませんけれ
ども、この文章だけを読んでみますと、一体どうすればいいのか全く判断に苦しむ。しかも一行ごとに「当該」という
ことばが入ってきておる。当該、当該、当該、これは一体何のことだろうか。はなはだしいのは、五十一条をお読みになりますと、当該という
ことばが二十個所もあるわけです。こういうことになってまいりますと、ほとんど理解に苦しむというのが私この
法律の特徴じゃなかろうか、かように
考えるわけであります。しかも十六歳、十八歳から
運転免許が取得できるわけです。十六歳、十八歳の少年が、この
法規を一体どうして読むことができるだろうか、こういう疑問すら持つわけです。ある大半の法学部の先生が試験を受けて落第をしたというのは、昭和三十五年のときの本委員会においても参考人から
指摘があったことですが、それほど難解に満ちておるわけです。こういう点も
考えまして、あるいは文部省における
交通道徳なり
交通法規に対するいろいろな教育ということも政府は取り上げておられますけれ
ども、一体学校の先生でこれを読める人がどれだけおるだろうか、理解を持つだろうか。あるいはまた、私、取り締まり警察官に対しましてもやはりこの前の委員会において
指摘しておったのですが、一体警察官の中でさえも、たとえば東京の警視庁の
一般の警察官のうちで、
自動車の
運転免許を持っているのが三〇何%ですか、この
程度にしかすぎない。地方の場合はもっと率がいいそうですが、そういうような形になってきておることの中で、いろいろな問題もありましょうけれ
ども、私はやはりこの
法律の持つ難解さ、これはどうしても改めてもらわなければ困るのではないか。
先ほど来の委員会では、
長官からも、イギリスのハイウェイコードに以たような、もっとわかりやすい、しかもだれでもがわかるような規範をつくって、これを
一般に周知させたい、この
法律を読まなくても、このハイウエイコードを読めばわかるようにしたい、こういう発言があったのですが、いかし、法を守らなければならない、法を順守しなければならない、こう強調しておられる中にあって、
法律は読んでもむずかしいから国民は読まなくてもいいんだ、この安易な解説書さえ読めばわかるんだということでは、やはり法そのものとしての存在価値から問題が出てくるんじゃないか、私かように
考えるわけです。
第二の点としては、非常に抽象的な
ことばがずいぶん出てきておるわけです。この点は、
先ほど午前中の委員会におきましても
華山委員から、
過労とは一体何であるか。こういう判断そのものが、心理学的にも医学的にも非常にむずかしいんじゃないか。そういう
ことばがずいぶん
条文の中に出てくるわけです。あるいは
運転免許の場合における適性検査試験。一体適性とは何であるのか、これも非常にむずかしい問題だろうと私は思うわけです。そういうことを何らの基準も設けることなく挿入、成文化されておる。ですから、ここに
一つ問題が起こるのではないか。このことは、国鉄あるいは自衛隊あたりにおきましては、適性検査なりあるいは
過労に対しても相当
研究が進んでおる役所だと思いますけれ
ども、私は先般国鉄のある問題で地方の局長さんとお会いしたときにも、国鉄の中における
過労に対するいろいろな
規定があるわけです。しかし、その
過労という解釈が非常にむずかしいということを局長自身も言っておるわけです。たとえば診断書をつけてまいる、
過労だから休ましてくれ、こういう場合も、今日の国鉄におきましては、医者の診断書を付してきたとしても、
過労として休むことは、正常な勤務に対する意思がないものとして処罰の対象にしておるのだということも言われるわけです。と同時にまた、本人は
過労じゃないんだ、当然
運転ができるんだ、こういうぐあいに出勤をしてまいりましても、当局とすれば
過労だからこれをやめさせる。しかしながら、その場合におきましても、当然欠勤しなければならないにもかかわらず
過労を押して出勤してきたものだから、これも行政処分の対象にするのだというようなことが行なわれていることに対して、あれをあずかる者として、この解釈に非常に苦しんでおられたわけですが、同じことがやはり脅えるのではないか。
自動車の
運転の順守事項にしても、あるいは
雇用者の順守事項の中にも、こういう問題が出てまいるわけですけれ
ども、こういう問題ももう少し明確にするということが、画然法としてなされなければならない正義ではないか、かように感ずるわけです。
それと関連いたしまして、たとえは
運転の順守事項にいたしましても、あるいは停車あるいは駐屯、こういう
規定にいたしましても、最高速度に対する制限事項を見てまいりましても、いろいろな
規定が挿入もされておりますし、あるいはこの
法律による命令あるいは
規定によっていろいろな制限がつけられておるわけです。しかしこのことも三十五年の本法の審議のときにもやはり問題にいたしたわけですが、こういうことは前の取締法のときにも、あるいはその施行令の中にも取り上げられておるわけです。そういう
規定が一体どのような
根拠に基いて置かれているのだろうか。実際
運転している者の
立場から
考えてまいりますと、そういう
規定に対する
科学的な
根拠——こうなんだからこのようなことが必要なんだという
規定をやはり設けておる。その
根拠が明らかにされていないと思う。ただ何メートル以内にしろ、何十キロなんだ、それを守らなければ
違反なんだ、処罰なんだ、こういうような
規定の置き方ではなくて、そういうものがなぜ必要になっておるのか、どこに
根拠があるのかということを明らかにされる必要があるのではないか。そういう点が
一つ欠けておる。ただ不用意に——不用意ということではなくて、従来からとられているからそういう
規定を挿入するのだということであっては、守られない原因を
法律そのものがつくっておるのではないかということを私は
考えるわけであります。
第三点として、
法律が非常に多義的な解釈を持っておるわけです。大臣も忙しいので、私
条文を読み上げるのは差し控えますけれ
ども、第七十二条の場合におきましても、第七十二条の
条文を大臣がお読みになりますと、この
条文そのものを一体どう解釈するか。たとえば
交通事故における
ところの救護
義務と報告
義務をきめてあるわけです。同じ
条文の中に救護をなした場合におきましてはこうこうこういう報告
義務を
規定しておるわけです。
ところが、実際問題として、そういうものをもう少し理解をしてまいりますと、いろいろな問題が出てきます。単にこれはしろうとだけでなくて、
法律の専門家の間にすらも問題が起きてまいっておる。すなわち併合非というものがとられておる。前段の
義務規定に
違反をした、だから当然後段にいたしましても、その処罰と併合するのだ、もとは
一つだけれ
ども、おのおの異なった
義務が課せられておるのだ、このような解釈をする場合と、そうじゃない場合、これは多義的に解釈される。専門家すらも判断に迷う。しかもそれが併合罪という形をとってきますと、他の
刑法なりあるいは
特別法との関連を見ましても、いろいろ疑問が出てくるというようなことがこの
条文の中にもずいぶん出てきておるわけです。あるいは
罰則の場合におきましても、倍加罪をとっておられる。一体倍加罪をとるのは、倫理的、道徳的に予防
措置としてこういう
規定を取り上げられておるのか。あるいは
刑法理論上こういうことが妥当だとして取り上げられておるのか。こういう点に対しましてもやはりその是非を検討しなくてはならない問題が含まれておる、かように
考えるわけです。
ですから、ここで大臣に私総括してお尋ねしておきたいのは、そういう
意味においてもう少し
法律そのものをわかりやすくするということ、あいまいな
規定では解釈が分かれるということ、抽象的な表現をもう少し具体的に成文化する、あるいは政令の基準の中にこれを明確化するということ、取り締まり
法規は、
法規としてもう少し
科学的根拠を待つ
規定によって当事者を納得せしめるということを含めて、しかも加重罰、併合罰という、基本的人権にも非常に大きな影響を持つ
刑罰の適用を、その是非の討議というよりも、安易な形でこれに採用してきておる。もちろん
交通事故の激増する今日の情勢からくる
一つの
措置ではありましょうけれ
ども、もっと本質的にそうした問題を検討すべきではないか。ですから、
現行法の内部的なそういういろいろな問題を解決して、ほんとうの順法精神というものを守らせる。このために大臣としてはどのような解釈を持っておられるか。私
たちは、近い将来において、少なくとも大臣の
責任においてそうした問題を解決する、こういう
考え方のもとに検討を進められる意思があるかどうかということをこの機会にお尋ねしておきたいと思います。
私も、この法案を提案しておりますからには、言うまでもなく
道路交通法は読んでおるわけでございます。御案内のとおり、私
ども頭が悪いから、なかなかわかりにくい
ところがあるわけであります。この間参議院でも、この解釈がなかなかむずかしいので、結局マグネットの鉄板に豆
自動車がついているようなものまでぶら下げて説明を聞くと、ああわかったということになる。しかし、いろいろなものを文字で表現しようと思っても、日本語の不備のせいか何か存じませんけれ
ども、どうしてもこういう表現になってしまうのではないか。まことに残念でございますが、こういう点についてもっとぱきっと、たとえばこの
条文はこうしたら一目瞭然で法の趣旨が徹底するというような名案でもございましたら、また御教示にあずかってそのとおりにいたしたいと思います。いまいろいろ御議論のありました点は、
先ほど私ちょっと申し上げましたけれ
ども、基本問題調査会の答申でも、実は子供がこういうけがをするのは児童遊園地がないからだから、児童遊園地をつくれとか、いろいろなことがいわれているわけであります。基本法、つまりハイウエーのハイウエーコードみたいなものをつくることは何でもないことでありますけれ
ども、ハイウエーコードだけでものが解決するわけのものでもございませんし、根っこからやるにはいろいろな問題を含んでおるということは御案内のとおりであります。ただいまの御
質疑の要旨はよくわかりましたので、そういうことは十分尊重しながら、この問題解決については具体的な方策を着々立ててまいりたいと思いますので、私
どものいまやっております
ところは一応了としていただきたい、かように思う次第であります。