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江口(俊)
政府委員 私が昨日まで
報告を受けておる限りにおいてお答えいたしますが、二月の二十六日に
任意同行を求めて、
赤坂署に
連れて行かれて調べられておる事実がございます。これは二月の二十四日と二十五日と二十六日にあらわれています。二月の二十四日には、
大使館の別館と称しておりますが、旧満
鉄ビルに来まして、
大使に面会するにはどうしたらいいかということを聞いております。それは、しかるべき
内容のものならば
守衛に言って、
受付係かなんかに行かれればよかろうということを教えられておりますが、その日はそのまま帰って、翌日
近視眼をなおしてくれというような
意味の
嘆願書を持って、これは
守衛に案内されて
受付まで行って、それを渡して帰っております。そのときに、ただいま話に出ませんでしたが、その前の月の一月二十日に、
大使館の
Aアパートという
大使館内にある
アパートの廊下の、これはぼやといいますか、壁、
床等十五坪くらいを焦がしたという火事でございますが、そういうことがあった。そのときに、どうも
犯人らしい者を見たという人が四、五人ございまして、その
うちの一人が、きょうあらわれたのはあのときの男ではなかろうかという疑念を持って
警察に
連絡をいたしました。そこで
警察は、その日は
嘆願書を置いて帰ってしまったものですから、きのうも来、きょうも来たなら、おそらくあしたも来るのではなかろうかというで張り込んでおったところが、はたして二十六日にあらわれた。そこで、
職務質問をかけて
赤坂署に
連れて行って三時間ばかり調べましたことは、先ほど申し上げたとおりでありますが、その際こういうことを言っております。
本人は、一月二十日の
放火については絶対にそういうことはないということをその際は否認しております。しかし、そこで使われた
ガソリン等のことから、
本人が買うたならばここで買うたと思われるところの
沼津の
油屋について調べたら、そういう若い男が買いにきた事実はないということ、及び
目撃者があれじゃなかろうかと言ったのは、さすがに半信半疑でございまするから、これは五分五分だという
証言がありましたが、他の四人は、どうも違うように思うという
証言をしております。要するに
面通しでも否定、
本人も否認、それからいまいった外部の
油屋さんに対する照会もなまぬるかったと言えばなまぬるいのですが、一応そういうことはなかったということになる。
さらに
本人の
母親に電話をかけて聞いたら、一月二十日は、
功和は
うちにおりました。そのころは金も持っていなかったので、
東京に行くはずはないということで、一応
近親者からの
アリバイ証言というのは、普通の
犯罪の場合はどうかと思いまするけれども、この場合は、それまでやったかどうかということを疑うのにそう的確な根拠もなかったものですから、
アリバイも一応立ったとして、それじゃ少し頭も弱いような気もするから、
連れにきたらどうだといったら、向こうから、いや、
連れにくる余裕はないから送ってくれということで、その日は帰した、こういうことになっております。それが事実
関係でございまして、今度の
事件を起こしましてから、あれも実はやったのだということを曲っているとか言っていないとか、支離滅裂なことを言っておりますから、いろんな
報道が行なわれておりまするけれども、私の手元には、まだ
放火をその
少年がやったと断定するだけには至っていないことになっております。それで、そういう
放火をやったということがわかれば、もちろんそこでつかまえるのですが、そうでなくても一応怪しんだのだから、そのことを
沼津のほうにきちっと、この
少年について
あとを気をつけておいてくれ、こういうことをやるべきじゃなかったろうかということは、現在私
たちも、その点は
手落ちといえば
手落ちになるのかなという気持ちです。これは、さらに、いやそういう
時点には、そういうことは普通しないということになるかもしれませんけれども、ひとつの疑点として残ります。と言いますのは、この人間が今度の
犯行を犯しまして、
沼津のだれだれだということをわれわれ聞きまして、すぐ
静岡県のほうに照会しましたところが、
静岡県としては、そういう者が居住しておるということの事実だけはもちろんすぐわかりましたけれども、そういうのが
精神に異常のある者だとか、過去において
警察の
注意の対象になった者であるというようなことについては、これはそうなってなかったわけであります。これは、
素行調査等の
方法をとっていない現在におきましては、何らかの
犯罪を犯すとか、あるいは家人から、
うちの
子供はこうこうだという訴えでもないと、そのすぐそばに住んでおる
警察といえども、特別な
視野に入ってなかったという点でございまして、この点は将来におきましても、こうした人物については、何とか
警察の
視野の中に入れておく必要があると思いまして、この
事件を契機になお研究したい、こう思います。
それから
事件を起こしました日の
鉄道公安官との
関係でございまするが、これは、こちらに関することでないものですから、特に申し上げていなかったわけでございますけれども、
本人が前の日に
一貫目もある大きな石を
自分の部屋に持ち込んだりなんかしておったから、
母親としては
胸騒ぎというか、
母親は
子供の性行をよく知っておるものですから、心配をしておったところが、朝早く出たものですから、
あとを追っかけて出ております。そして、
本人が六時五十三分の電車に乗り込んだので、
母親も続いて追っかけて乗ろうとしたのですが、その際は乗りおくれた。それですぐ届け出ればよかったと思いますが、一番ここでしっかりしているのは、長男、これは電気器具商をやっております。
うちに一ぺん帰って、長男にどうしたものだろうかということを相談しておりますが、それはやはり鉄道に頼んで、途中で押えてもらったほうがいいということで、もう一ぺん
沼津駅に帰りまして、
鉄道公安官室に、これは八時ちょっと前、七町五十五分くらいだと私は聞いておりますが、あの電車にむすこが乗ったが、むすこは凶暴性があるからひとつ手配をして、保護をしてもらいたいという申し入れをした。それから
鉄道公安室は、すでにもう八時ですから、熱海の次、あるいは小田原
あたりまで行っておりますが、そこで横浜の
公安室と
東京の
公安室に
連絡をし、なお乗っておる電車の車掌にも
連絡をした。ところが込んでおったために、これは捜索したといいますけれども、結局電車の中でも、横浜でも
東京でも発見されないままにそこで終わっております。それから
警察に
連絡があったかどうかということになりますが、これはどうも
連絡がなくて、普通の家出人というような取り扱いで、汽車の中で発見できなかったら、これはやむを得ないということで、そこでしり切れトンボになっておるというのが事実のようでございます。いま申し上げたのが私の知っております洗いざらいの事実でございますから、その間に、この
事件を参考に、いまの
公安官との
連絡方法の義務づけなり協定なりというようなこととか、あるいは
精神的におかしい者について、
警察的
視野に入れる
方法とか、あるいはその以前に、根本的にはそういう者を病院なり何なりに監置療養させることの必要性というようなことを、いろいろ考えなければならぬのじゃなかろうか、こう思います。