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平岡小
委員 忘れるといけませんから……。先ほど別段
賞与、
水増し給与その他の点につきまして、
冒頭にもあなたの引例がありましたが、あなたのことばのうちに、別段
賞与について、
会社につとめて一年三カ月になる
女子従業員、
月給が二万円であるのに、これに対して別段
賞与として六十万円、三十カ月分の
賞与を
支給している。もう
一つ同じく若い社員が二百万円くらいもらったということを陳弁されましたけれども、もう少し正確に言わぬといかぬです。この
女子従業員と
男子従業員——岩村興業株式
会社の斎藤という女の子、それからもう一人の
従業員です。私は一月ごろ鳩山さんに会ったときに、この点であなたのほうに
誤解があってはいかぬと思うので、岩村興業の
社長自身がこの問題について証言しました文書を
飯塚君が持っておったのだけれども、
国税局のほうに送るようにということを言ったのですから、あなたはその真相を知っているはずです。右の証言の必要個所を抽出して、私が鳩山さんに話をしてから、
あとでこういうものは、
国税庁の善意を信じて、送ったほうがいいということで送らしたわけです、写しのほうはありまするけれども。あなたのおっしゃるのは岩村興業の斎藤という女の子に間違いないと思います。斎藤君は岩村興業の姉妹
会社であるところの岩村産業に、その前に十三年
勤続しておった。それでしかも
経理部長でした。斎藤さんは、岩村興業が設立されてからは、岩村産業と岩村興業と両方の
会社の
経理、金融及び財務の責任者として勤務してきたのであります。岩村興業が、これはプレハブの建築
会社で、異常な利益をあげたので、最高の功労者の一人として斎藤さんに六十万円の別段
賞与を出したのであります。それはすでに昨年の十月岩村
社長から関東信越
国税局長あての上申書で真相が開陳されておるはずであります。だから、いまさら不正
指導の典型のごとく歪曲することはいかぬことと思っております。
それから、つとめに出てから一年三カ月の
男子従業員で、
月給が三万九千円の者に対して、実に二百万円、五十ヵ月をこえる——こういう表現であったかどうか知らぬけれども、二百万円を
支給した。それで
会社側としては相手方に支払う
意思もなく、また相手方もこれを受け取る
意思もない。そういう例は
脱税とみなさざるを得ないとあなたはおっしゃっておる。これもあなたは事実を曲げている。この
男子従業員は、岩村興業の
東京営業所長の原田禧八郎君のことであります。原田君は岩村産業と岩村興業と両姉妹
会社の
東京営業所長であります。
昭和三十七年度の三千万円に及ぶところの異常利益は、プレハブでもうけた利益。原田君の数億円に及ぶ一人でやった、受注活動の結果なのです。それで原田君は岩村興業の異常利益の第一の功労者であったのであります。したがって、
社長としては論功行賞の
意味合いから、
飯塚とも相談をせずに、
自分でかってにこの金額をきめたのです。そのいきさつは、さっき言ったように私から送らしたのですから、
社長の証言文書として
国税局のほうに届いているはずであります。
ついでですが、
会社は当然、
昭和三十七年度末におきまして別段
賞与の源泉
課税を全額支払っておりまして、引き続き
従業員からは貸し付け承諾書を受け取っておることも事実であります。そればかりでなしに、一年後の
昭和三十八年九月三十日付で源泉税差し引き後の借り入れ金に対する利息を五十万一千六百八十五円正式に
会社は計上しております。そういうことですから、あなたが何かあなたのほうの都合のいいことだけを抽出しておっしゃることは当を得ないと思っております。この点を忘れるといかぬからここで一応申し上げておきましょう。
さて、森病院の二千万円の問題につきましては、当然私の予想どおり、あなたはこれを存じない、こんな事実はなかったと主張しております。私の予想した回答であります。しかるべき方からの電話依頼の事実を
前回一応は肯定したものの、その次の瞬間に、及ぶべき影響の重大さに気づかれましたのですか、
答弁後の休憩中にあなたは
相当な行動を起こされたと私は考えております。そういうことですから、あなたのほうが、そう簡単にこれは事実ですとはおっしゃらないと思ってまいりました。
実は先ほども申し上げましたけれども、鹿沼市から御殿山病院の波木病院長が遠路わざわざ所沢市の私の自宅まで見えられて、五時間にわたって詳細に報告されて帰ったのであります。その結果、私の四月十六日の森病院に関する二千万円
事件に私はさらに一そうの確信を得た次第であります。
国税庁内部にも正義の士はおります。
国税局にもおります。いわんや、いじめ抜かれて心ならずも
飯塚氏との顧問契約を解除した人々の中には、水ぎわに連れてはいかれたが、水は断じて飲まないという気骨の士のいることは当然のことであります。私は、波木氏もそうした被害者の一人と思うが、数多い証言の申し出の中から、ここに
木村さんのおっしゃることを完全に否定し得るような、また一連のこの
事件の関連者の、国税
当局側の
指導者の首を召し取るためと言ったら語弊があるでしょうが、首を召し取るための必要にして十分な第三者の証言を取り上げたいと思います。
ここで、陪審員ならざる同僚諸君、ここまでくると、私の意に反して、証明書原文の中から
特定の人の名をはずして読むわけには参りません。この証明書をすらうそだと言い出しかねないことをおそれるからであります。
平岡はもともと
国税庁当局の目に余る
税務行政の暴虐性を改めさせて、明るい民主的
税務行政の確立を目ざすことを目的として、この問題を取り上げたのであります。しかるに、今日までのあなたの論述の示すとおり、
長官はサギをカラスと言いくるめ、知らぬ存ぜぬ、とんでもないうそだとの
答弁一点ばりであります。心ならずも私の意に反しましてここに証明書を持ち出す以外にないではないか。この責任はあげて
長官の
答弁態度にあるのです。ただし、後日裁判所においては別として必要のない個所は中略として読み上げることにいたします。
それでは朗読さしていただきます。——これは
飯塚君からの材料ではないのです。私のところにみな頼みもしないのに来るのです、速記がみな出ましたから。それだけあなた方の暴風のごとき徴税
行政がどういうように怒りを買っておるかという証拠にもなるわけです。私から頼んだわけではありません。しかし、先ほど言ったように、波木さんもわざわざ私のところに尋ねてこられた。この方もそうなんです。
それでは読み上げます。
証 明 書
栃木県日光市上鉢石一、〇三九
有限
会社奈良屋
代表取締役中路國雄
昭和三十八年十二月一日后後二時三十分頃、栃木県今市市の山七油店の事務所に、森病院の副院長森昇二氏、御殿山病院長波木一男氏、小西ホテル
社長小西喜雄氏、伊藤材木店
社長伊藤節氏並びに私の計五名が集合し、今回の弾圧的
調査の対策等に付色々と懇談し、后前中三共物産の
社長矢野登氏(十一字省略)から電話連絡を受けて居たので、此の山七油店の事務所で某氏を待ちました。
后後三時頃某氏が
自動車で到着したので私達五人は某氏に対し今回の
調査が残酷で而も長期に渡って居るので病人になる者も有り之れでは年末をひかえて中小企業者が安心して生活が出来ないから何とか某氏の御力で、もっと穏やかな
調査にしてもらいたいと御願した。(以下百七十五字省略)
后後五時頃
飯塚税理士が到着したので私達は直ちに今市市内の料亭喜八に行き腹ごしらえ致しました。喜八では二階の広間に森病院の副院長と
飯塚税理士とがテーブルをはさんで向かい合って居り、森副院長に向かって右側が伊藤
社長、向かって左側が波木院長、其の左側が小西ホテル
社長が座り、私は
飯塚税理士の左わきに座りました。
丁度后後五時三十分頃でした。座敷に座ると同時ぐらいに森病院の副院長が「今回の
調査で、うちでは二千万円ばかりの隠し預金が見つかってしまった。
東京の銀行から出ちゃったんだ。
国税局の調べでわかったんだ。もちろんそれが
飯塚さんの責任というのじゃありませんよ。うちでかってにやったのだから……。しかし正直言ってだね、われわれは
飯塚さんなんかどうなったってかまわないんですよ。私はうちの事でもう頭が一ぱいなんだ」と言いました。其の日現在では伊藤、波木、小西と私の四名はまだ
調査されて居なかったので
調査の被害を訴えたのは森副院長だけでした。森副院長は「ゆうべはどうしても寝れないので、きらいな酒を飲んで寝た」と洩らして居ました。」其の後種々雑談を交えた後、七時頃今市市を三台の
自動車に分乗して川治温泉に向かい、川治温泉ホテルに八時半頃到着致しました。私達は部屋を取りました。(以下二百二十九字省略)森病院問題等ここに来た用むきもすんだので、十時頃辞し、私どもはそろって帰宅致しました。私が日光の自宅に戻ったのは十一時一寸過ぎでした。
其の後十二月十日に到り、后前八時頃、鹿沼市の御殿山病院長波木氏が自家用車で私を迎えに来ました。実はその日、同病院に前日、受けた関信局の
指導にもとづき、私ども
飯塚税理士の得意先二十数社の代表者が集って
飯塚税理士との解約の
内容証明発送の為の署名捺印を致す事になって居たわけであります。私は終日之の仕事を手伝って居りました所、后後六時三十分頃森病院副院長の森昇二氏が今市市から署名の為にやって来ました。やがて仕事もすみ、夕食をすませたので、后後八時頃、私は森さんの
自動車で一緒に帰りました。その途中の事であります。森さんが言うのには、「この間はびっくりした。夜十一時頃来訪者が有り、急患だと思ってあけたら、鹿沼
税務署の斉藤総務課長だった。こんな遅くまた家宅捜索かと思ったら、何と
国税庁の方から偉い人の電話が有ったので、夜分申し訳有りませんが御詫びに参りましたと云うわけで、あの問題はきまりがつき、やっと安心したよ」との事でした。
以上の事実は天地神明に誓って絶対に間違い有りません。私は必要と有ればどこへでも出て証人となります。
右証明致します。
昭和三十九年五月八日
右中路國雄印
ただいまの証明書提出者の中路國雄氏は、四月十六日の私の
質疑応答議事録第三ページ四段目にある五名の会談者の一人であります。またこの証明書の中で、特に御留意願いたいのは、一、 鹿沼署の斉藤総務課長が、今市の森病院宅などは知らないとその存在を否定したことは、明らかに不実の証言であり、何者かにしいられた偽証であること。二、二千万円の裏預金が見つかったのは、
東京の銀行から出たということと、それが
国税局の調べでわかったという事実関係であります。
さらに、ついでですから、この際申し上げます。四月十六日の速記録三ページ下段に述べてある事実、すなわち
飯塚氏が二月二十三日の夜、波木院長を訪問した際に、波木氏から聞いたという森病院のチョンの事実の記録は、昨日
平岡の所沢宅にて波木氏
自身がそのままこれが事実だとこれを確認しました。結局二千万円については、十二月一日の今市市料亭の会合のおり、十二月十日の中路國雄氏が森病院副院長森昇二氏から直接聞いたおりと、さらに二月二十三日波木氏を通じて
飯塚氏が聞いた事実、さらにこれに加えるならば、
飯塚氏
自身が四月三日午後二時
東京事務所の居室において森病院の今度は、長男の森亮一氏からの電話で、例の裏預金の件は何もなかったことにきまりましたからと連絡を受けた事実、この四つの一連の符節の合う証言からして、天下におおうべくもない事実であることが明白であります。
長官は、もとよりこの二千万円の事実を知っていたと私は思いますが、鹿沼署が何も知らぬ、斉藤は家も知らぬと言ったと答えることによって私をはじめ
委員諸君の錯覚を誘い、結果として、このことがあたかも事実無根であるかのごとき
答弁の綱渡りをたくらんだものでありまして、
長官の心事はその
意味では陋劣だと私は思います。睡棄すべきであります。国権の最高機関たる国会を侮辱するものと断ぜざるを得ません。貴殿のような心がけの者が国政の最高の座にあることが一日長ければ、それだけ国民の被害は大きく、徴税の公正と正義を毒するものであります。
なお容赦ならぬことは、官吏の守秘義務に藉口して、
調査及び処理の
内容を国会において、しかも必要とするならば秘密会でもよいという提案に対してすら、報告できないと強弁されていることであります。歴代の
長官にこの傲慢ぶりはかって見られなかったところであります。先ほど
平林君からも御指摘のとおり、同じ官吏である安井直税部長や金子訟務官などが昨年八月十六日、同二十日、十一月二十日、同二十五日、十二月十二日と前後五回にわたり「税のしるべ」、「納税通信」、朝日
新聞、産経
新聞、下野
新聞、栃木
新聞等々に、大々的に予断をもって
飯塚君を
脱税指導者なりと断定して公表したことと、あなたの呼号する官吏の守秘義務とは明確に矛盾するではありませんか。浅薄にしてすぐしりの割れる御都合主義の一語に尽きます。もしあなたが官吏の守秘義務をしかく強調されるのであるならば、明らかに官吏の身分、権限を大逸脱した安井、金子両名をそのままにしておくことは許されるべくもないことであります。直ちに処断したらよろしいでしょう。しかして、監督不行き届きのゆえをもって、貴殿みずからもいさぎよく
長官の座を去るべきであります。
貴殿の所懐を、われわれの納得のできるようにお聞かせを願います。