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滝井委員 その十四条の三で十角形というところが問題なんですね。私は、いままでの
鉱区で十角形以上のものがずいぶんあったと思うのです。それはもう実に複雑怪寄な形状のゲマンダー
鉱区ができてくるのです。それを
財産権の移転だといって抑制をする方法がないとすれば、そのしりぬぐいは全部国にきてしまうのです。しかも国がその
鉱区のあとさらえをやるまでは、その住民というものは泣かなければならぬわけです。だからここらが、私はやはりある
意味で経理的な
基礎と技術的な
能力というものを非常に重要視しているならば、
鉱区というものはあまり分割すべきものではないじゃないかという感じがするのです。もう譲渡というものは、これは神さまが与えたものなんだから、そのままで売買をしていくということのほうがいいのじゃないかと思うのです。これを三つ四つに分けるということになると、必ず悪用するのです。そしてたとえば十五ヘクタールなら十五ヘクタールというと、三百五十ヘクタールのものを十五ヘクタールずつ幾つにも分割をするのです。これはもう知恵が多いですからね。金をもうけようとする人間はありったけの知恵をしぼってくるのです。それを悪知恵というのでしょうが、ありったけの知恵をしぼって、自己中心的にこの
法律を悪用してくるわけですね。したがって、私は
鉱区というものは、それは普通の財産ではあるけれども、やはり売買はそのままやらせるほうがいいのではないか。たとえば農地についてみますと、やはり
日本の農地はなるべく分割しないほうがいいのだというので、最近は新しい親子契約の方式なんかというものも生まれてきつつあるでしょう。やはり農業でさえも、猫額大の土地を耕して天にのぼるというようなあのたんぼを、幾つも幾つもむすこたちや娘たちに分けてしまうのでは
日本農業はだめになってしまうのと同じで、やはり
鉱区を総合調整しようという
段階が出てきているわけですからね。だから、そういう点でやはり私はそれだけの
鉱区を売ろうとすればそのまま売っていく。それのほうが、それだけの大きな
鉱区を買える人ならば必ず経営的な
能力があるはずですし
技術的能力もついている。
石炭開発の上からいっても、これは
中小企業抑圧という点も出てくるかもしれないけれども、
石炭企業なんというのは
中小企業にはできやしないのですね、大体言って。
中小企業でも、どこまでが
中小企業かということはいろいろ議論のあるところですけれども。だからこういう点について、何か
鉱区の分割のやり方についてある
程度の
規制というもの——十角形というものもなかなか——これはウナギの寝床のような
鉱区をつくってしまうのですよ。たとえばぐっと一本筋の町がある。そうしますと、その町のところだけを
鉱区を分割してしまうのです。そしてたんぽと山のところだけを残して売山に持っていくわけです。そうすると、町のところはばく大な
鉱害の復旧をやらなければならぬですから、そこでそこだけは残してしまう。そうしますと手も足も出ないですよ。そしてその町の下は、今度はその
租鉱権を受けた人がちょっぴり掘っていくわけです。掘っていって、私はもう何もできませんでしたとやる。町の下を掘りくり返して手を上げたらどうにもならぬ。無資力で、国があとを見なければならぬということになる。国がばく大な金を出す、こういうことは
現状では見えすいておるわけですから、
鉱区の売買は自由にするけれどもやはり細分は許さぬ、もういま
鉱区を持っておるのは大手の炭鉱が大部分ですからね。
中小はほとんどつぶれてしまったのですから、残ったのは大手ですから、
明治の日清、日露の戦争のときから掘って掘って掘り尽くしておる大手が、これから
鉱区の分割を始めるわけです。それはもうあまり許さぬほうがいいんじゃないかという感じがするのです。