○高橋(俊)
政府委員 これは金融全般の問題と関連いたしますので、私から
お答えいたします。
利子の問題と、それからそういう高金利にたよって
経営する問題と、二つに分かれております。まず、利子決定の要因というものは非常にむずかしい問題であります。明治時代の非常にたくさん銀行のあったようなときから現在まで、非常に
産業界も
高度化しておりますが、
経営が
近代化するにつれまして利子決定要因というものは
企業利潤を
基準として定められる。つまり
企業が普通に
経営をいたしまして生み出すところの利潤の
範囲内で金利を払う。ただし、先ほどからの御質問もございますが、全額を借り入れにたよって
設備をするというふうなこと、これは
日本ではままありますけれ
ども、これはあまり正常とは申せません。やはり
自分である程度資金を持っておる、資産を持っておる、そういう者が金融を受け得る資格があるのであって、無一文の者は
政府資金を借りられるということはあり得ないわけであります。ですからある程度の自己資金がある——外国では自己資金の割合のほうがほるかに高くて、
設備投資を借り入れにたよっているものはないというのが常態です。
日本の場合には、それではいけない。戦後の
状態においては成長が急速であったために借り入れにたよるということになっておるが、正常な金利水準というものは利潤率の
範囲内できめられるものでございます。ただ遺憾ながら、まあいかなる時代においてもそうでございましょうが、前近代的な利子決定要因というものは別でございます。一般的に徳川時代から高利貸しというものはあったわけであります。その当時においては、さむ
らいはわれわれのようなサラリーマンであったと思いますが、その月越しの金が足らないとか、病気のためにどうしても金が必要である。そういうことから無理な借金もしなければならない。こういう場合には金利は際限もなくはね上がるものであります。つまり利潤というものから割り出すものではない。それが高利貸し存在の理由である。こういうものがなぜあるのか。すべて高利貸しのようなものを一切なくしてしまうということは、金融的には理想国家でございますが、そのようなことは望めない。当分の問どうしても
経営とほとんど
関係のないところから定められる利子というものが存在するものである。また世の中の資金需要が非常に鎮静化いたしまして、金融機関が金が余ってしょうがない、こういうふうな
状態がくれば、そういった高利貸しの存在は非常に狭められる。狭められると言うのは、全くなくなるということはないんじゃないか。ですから一般的な中小
企業の
経営と結びつけて、三十銭というふうな高利はべらぼうじゃないかとおっしゃいましても、これはそういうふうに直接結びつかない。しかし、たまたまそういう高い金利でも借りる人が非常に多いというふうな
状態から、たまたま
企業者が
経営に行き詰まって一時的なしのぎのために高利貸しにたよるという事態が生じます。これは、つまり名の知れた会社の手形を高利貸しに割ってもらうという事例は私
どもも
承知しております。その場合における金利は十銭とか二十銭とかいうふうな金利であることも知っております。しかしこれは、金融全体として需要が常に
供給を上回っておるような
状態においてはやむを得ない。その需要に全部応ずるような資金をつけたら、
日本のインフレはとんでもないことになる。こういうことから資金の
供給総ワクというものはおのずからあるわけでございます。そういう
状態で考えますと、高利貸しの跳梁を許さないようにするためには、やはり資金需要全体が鎮静するような
政策をとっていくことが必要ではないかと考えております。