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1964-06-19 第46回国会 衆議院 社会労働委員会 第57号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十九年六月十九日(金曜日)    午後二時二十一分開議  出席委員    委員長 田口長治郎君    理事 井村 重雄君 理事 亀山 孝一君    理事 澁谷 直藏君 理事 田中 正巳君    理事 河野  正君       浦野 幸男君    熊谷 義雄君      小宮山重四郎君    坂村 吉正君       竹内 黎一君    地崎宇三郎君       中野 四郎君    西岡 武夫君       西村 英一君    橋本龍太郎君       藤本 孝雄君    松浦周太郎君       松山千惠子君    渡邊 良夫君       亘  四郎君    伊藤よし子君       滝井 義高君    八木 一男君       受田 新吉君    本島百合子君       吉川 兼光君    谷口善太郎君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 小林 武治君  出席政府委員         厚生政務次官  砂原  格君         厚生事務官         (大臣官房長) 梅本 純正君         厚生事務官         (援護局長)  鈴村 信吾君  委員外出席者         厚生事務官         (援護局庶務課         長)      八木 哲夫君         厚生事務官         (援護局援護課         長)      木暮 保成君         専  門  員 安中 忠雄君     ————————————— 六月十七日  委員浦野幸男辞任につき、その補欠として福  田繁芳君が議長指名委員に選任された。 同日  委員福田繁芳辞任につき、その補欠として浦  野幸男君が議長指名委員に選任された。 同月十九日  委員吉川兼光辞任につき、その補欠として受  田新吉君が議長指名委員に選任された。 同日  委員受田新吉辞任につき、その補欠として吉  川兼光君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 六月十八日  公衆浴場営業用上水道及び下水道料金減免に関  する請願奧野誠亮紹介)(第四三一二号)  同(坪川信三紹介)(第四三一三号)  同(服部安司紹介)(第四三一四号)  同(前田正男紹介)(第四三一五号)  同(八木一男紹介)(第四三三五号)  じん肺法の一部改正等に関する請願外二件(橋  本龍太郎紹介)(第四三二〇号)  同外二件(亀山孝一紹介)(第四三四四号)  同(吉村吉雄紹介)(第四四〇〇号)  業務上の災害による外傷性せき髄障害者援護に  関する請願岡田春夫紹介)(第四三二六  号)  同(塚田徹紹介)(第四三四六号)  同(粟山秀紹介)(第四五〇九号)  業務外災害による外傷性せき髄障害者援護に  関する請願岡田春夫紹介)(第四三二七  号)  同(塚田徹紹介)(第四三四五号)  同(正力松太郎紹介)(第四三五五号)  同(粟山秀紹介)(第四五一〇号)  日雇労働者健康保険制度改善等に関する請願  (中澤茂一紹介)(第四三二八号)  同(原茂紹介)(第四三二九号)  同(中澤茂一紹介)(第四三六一号)  同(林百郎君紹介)(第四三八八号)  同(小坂善太郎紹介)(第四四五三号)  同(吉川兼光紹介)(第四五一一号)  人命尊重に関する請願松浦周太郎紹介)(  第四三三二号)  P・T師法の制定及びあん摩師はり師、きゆ  ら師及び柔道整復師法改正等に関する請願(  大坪保雄紹介)(第四三五二号)  失業対策事業従事者希望退職一時金支給に関  する請願(上林山榮吉君紹介)(第四三五四  号)  動員学徒犠牲者援護に関する請願江崎真澄  君紹介)(第四三六三号)  診療報酬引き上げに関する請願外四十件(田川  誠一君紹介)(第四三六四号)  同外百十三件(門司亮紹介)(第四三七九  号)  同外百九十八件(門司亮紹介)(第四三八九  号)  同(原田憲紹介)(第四五九五号)  国有林労働者差別待遇撤廃等に関する請願外  四件(淡谷悠藏紹介)(第四四二三号)  同外三十四件(淡谷悠藏紹介)(第四四四五  号)  全国一律最低賃金制即時法制化に関する請願  (加藤清二紹介)(第四四四三号)  同(有馬輝武紹介)(第四五六〇号)  全国一律最低賃金制の確立に関する請願(板川  正吾君紹介)(第四四八一号)  同(田中武夫紹介)(第四五一二号)  同(肥田次郎紹介)(第四五一三号)  同(平林剛紹介)(第四五一四号)  同外一件(森本靖紹介)(第四五一五号)  同(山中吾郎紹介)(第四五一六号)  同外一件(石橋政嗣君紹介)(第四五六一号)  同(野口忠夫紹介)(第四五九七号)  公衆浴場業健全経営維持管理特別措置に関  する請願石田博英紹介)(第四五〇八号)  同(大坪保雄紹介)(第四五九六号)  老人の福祉対策に関する請願今澄勇紹介)  (第四五四四号)  生活保護基準引き上げ等に関する請願加藤  常太郎君紹介)(第四五四五号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第一〇六号)      ————◇—————
  2. 田口長治郎

    ○田口委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。滝井義高君。
  3. 滝井義高

    滝井委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案について質問をいたします。  その前に、いま新聞記者が来て、社会党戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律をなかなか通さないのは、何か八月十五日の遺族慰霊祭社会党が反対だから通さぬのだというようなことを言っておるが、ほんとうかというお話がございました。(「厚生省が流しているんだろう」と呼ぶ者あり)決してそういうけちな気持ちはさらさら持っておりません。ただ問題は、御存じのとおり、党と党とが約束をした公約を、ILOの問題を実行しないわけです。政治信義がなくなったら、もう一切のものはおしまいになるわけです。したがって私たちは、いま池田総理に向かって、ひとつ信義を守りなさいという強い要求をしているわけです。そういうことで国会がこういう停滞をしているわけで、遺族のこの法律をもって江戸のかたきを長崎で討つというような気持ちはさらさらないということだけを、ひとつ冒頭に明らかにして審議に入りたいと思います。いま、厚生省がそういう宣伝を流しておりはせぬかというお話がございますけれども、まさか厚生省もそういうけちなことはおやりになっていない、こう理解をいたしております。  そこで質問に入るわけでございますが、まず法律出し方についてでございます。戦傷病者戦没者遺族等援護法等と、「等」というのがついておるわけです。そこでこの法律の内容を見てみますと、少なくとも戦傷病者戦没者遺族等援護法と未帰還者留守家族等援護法、旧軍人等遺族に対する恩給等の特例に関する法律、それから昨年制定された戦傷病者特別援護法、こういうような四つ五つ法案一緒にして出されているわけです。こういう法律出し方をするのは非常によくないことなんです。これは国会審議を、事務的にめんどうくさいから省略をしようという議会主義の否定の思想に通じておるわけです。これは似ているところがありますけれども、性質が違うわけです。もしこれが同じならば、こういう形で何もかにも一緒出していいというならば、これらを全部一本の法律にしてお出しになったらいいのです。ところがこれはそれぞれ独立をしておる法律であるし、戦傷病者特別援護法のごときは、昨年議員立法でわざわざつくったものです。したがって、もしこういうような形で一緒になるような性質のものならば、戦傷病者戦没者遺族援護基本法なら基本法というふうにして一本にされてしまえば、そういうことも言わなくて済むわけです。池田内閣は、何か国会というものをめんどうくさいものである、目の上のたんこぶだ、こんなものはないほうがいいというような思想が一本流れておるのです。こういう法律出し方がまず第一に私は気に食わない。やはりおまとめになるならば、堂々と一本のきちっとした体系的な法律におまとめになってお出しになるがいいし、そうでなければやはり独立をして出すほうがいい。これらのものは必ずしも直接に関係のないものなんですからね。こういう出し方を今後してもらいたくないのです。かつて失業保険法等の一部を改正する法律という形で、失業保険のほかに日雇い健康保険健康保険法や何か、四本ぐらいみんな一緒にして、当時八木先生だったと思いますが、おきゅうを政府はすえられたはずです。出てしまったものはこれはやむを得ぬと思います。しかし今後やはりそうごっちゃにして、議会政治を無視するような行き方は、すなおな気持ちでやめてもらって、めんどうくさくてもやはり審議を尽くして、遺族の問題その他の前進をはかっていくというやり方をとるべきだと思いますが、大臣の所見をまずお伺いいたしたい。
  4. 小林武治

    小林国務大臣 これはかような関係もあって出したのであるが、お話のこともございますので、今後は十分気をつけたいと考えます。
  5. 滝井義高

    滝井委員 ぜひひとついまの大臣ことば事務当局は銘記しておいてもらいたいと思うのです。援護局長が出世をして上にいけば、その次の人が局長になってくるでしょうから、十分ひとつ大臣のいまのことばを肝に銘じておいていただきたいと思います。  法案に入りますが、いただいた参考資料の五八ページ、戦傷病者戦没者遺族等援護法昭和二十七年法律第百二十七号の二条で、「文官補闕の件」というのがあるわけです。これをひとつ説明してください。文官補闕の件というのは、どういうことを意味するのか。
  6. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 御説明申し上げま下す。  文官補闕の件と申しますのは、明治三十八年勅令第四十三号でありまして、「戦時又は事変に際し臨時特設部局又は陸海軍部隊に配属せしめたる文官補闕の件」という名称でありますが、これはたとえば大東亜戦争中等のように、戦時に際しまして、当時の逓信省職員あるいは内務省の職員等を現地に配属する場合に、いわゆる従軍文官ということで派遣した例がございますが、そういうような従軍文官に関する件を、この文官補闕の件ということで処理したわけでございます。
  7. 滝井義高

    滝井委員 そうすると、そういう明治三十八年の勅令第四十三号で配属された人は、これはその官庁定員外ですね。
  8. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 そういうことでございます。
  9. 滝井義高

    滝井委員 そうすると、かつて所属しておった官庁定員外の人が、戦時事変に際して臨時の特設された部局なり陸海軍部隊に配属をされる。そうすると、いままでそういう人たちが、一体いかなる理由軍人軍属として取り扱われなかったのかということです。
  10. 八木哲夫

    八木説明員 お答えいたします。いままで従軍文官につきましては、恩給法上の公務員でございます。したがいまして、原則といたしまして恩給法では処遇になっておったわけでございます。ただ従軍文官内縁の妻、別戸籍父母等につきましては、処遇がなかったわけであります。しかも援護法で従来高等文官内縁の妻でありますとか、別戸籍父母処遇をされておりましたので、従来従軍文官高等文官等に比較しまして不均衡があるということで、今回改正対象にいたしたわけでございます。
  11. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、文官補闕の件で、従軍した文官というのは、高等文官はいなかったのですか。
  12. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 高等文官もおりました。
  13. 滝井義高

    滝井委員 そうすると、おれば、いまの答弁では高等文官を除いたような御答弁をされておったわけでしょう。内縁の妻それから……。
  14. 八木哲夫

    八木説明員 高等文官につきましては、援護法で従来処遇がされておったわけであります。しかし従軍文官判任文官内縁の妻、別戸籍父母——これは普通の本来の正妻でございますとか、それから戸籍が同じ父母につきましては、恩給法処遇がされておった。ところが、従軍文官の場合には処遇内縁の妻、別戸籍父母に限ってされておらなかったということで、今回改正対象にしたわけであります。
  15. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、今までは文官補闕の件における高等文官援護法で救われておった。ところが判任文官については、内縁の妻と別戸籍父母が救われていなかったので、今回文官補闕の件の判任文官以下について救おう、こういうことですね。
  16. 八木哲夫

    八木説明員 さようでございます。
  17. 滝井義高

    滝井委員 次は五九ページの四条です。この四条における「軍人軍属昭和十二年七月七日以後事変地又は戦地における在職期間内に負傷し、又は疾病にかかった場合において、」云々と、こうあるわけです。この在職期間内に負傷し、疾病にかかったという証明と申しますか、この証明のしかたというものの有効性というものは、一体どういう範囲のものをとれば有効だということになるのかということです。今度昭和十二年七月七日というように、二十五、六年もさかのぼることになるわけです。そこでその在職期間内に負傷し、疾病にかかったという証明というものが、医師診断その他がなければ全部だめだということになると、これはなかなかたいへんなことになるわけです。  そこで、過去の運営のしかたその他で一体これはどういうものを証拠として持ってきたら在職期間内に負傷し、疾病にかかっておったということの証明になるのか。診断書が右から左に陸軍病院その他にあれば問題ないと思うのです。ところがなかなかそうはいかぬという問題がある。二十四、五年も前のことですから、四分の一世紀前のことですから、なかなか文書、公文書、その他がない場合もある。この前局長さんの個人的なお話で、今度生存者叙勲をしようとした場合に、やはりなかなか証拠というものが見つけにくい、あるいは死亡者叙勲をする場合に、遺族弔詞が出てきた、その弔詞が有力な証拠になったというお話も個人的にあったのですが、何かそういう負傷し疾病にかかったという有力な証明があればいいことになるのかどうか。これはいままでの条文で、今度の改正条文ではございません。しかし、私が特にこういう質問をするのはあとで述べますけれども、一つ理由があるからそういう質問をするわけです。一体役立つ書類というものはどういうものまでを役立つ書類として認めるのか。いま言ったような死没者叙勲をやろうとする場合に、弔詞が役立ったというようなのも一つの運用上の重要な参考資料になるわけです。一体そこらはどういう程度のものならばお認めになってきているのか、それから今後認めるつもりなのか。
  18. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ただいまのお尋ねでございますが、何分にも三十年近い前のことになりますので、あまり形式的なことにとらわれておりますと、適正な援護はできかねるということになりますので、われわれとしてはとり得るものはできるだけ広くとりたい、適切にとりたいという考えを持っております。したがいまして、いまの傷病にかかったというような証明につきましては、死亡診断書とかその他の診断書類があればこれはもう当然でありますが、その他に陸海軍兵籍、これにも疾病記録が載っておりますので、そういう兵籍記録参考にするとか、あるいはいまお話のような弔詞というようなものも参考になり得ると思います。それから家族証言であるとか、あるいは家族以外の近隣の人々の証言というようなものも実際にとり得るわけでありまして、そういうふうなものも適切に処理をしてまいりたいというふうに考えております。
  19. 滝井義高

    滝井委員 その場合に、兵籍証明その他いろいろなものを出してきたらよろしいというお話でございますが、その場合に、特に精神病結核です。今度の改正で見てみますと、たとえば、戦地勤務期間が六カ月以上の軍人軍属で、復員後一年、結核精神病については三年以内に死亡した者の遺族に対しては、遺族の一時金十万円を支給する、今度の改正の中にこういう改正があるわけですね。この場合に、六カ月以上勤務しておった、そうして復員後に一年以内に死ぬるという場合においては、当然これは在職期間に負傷し疾病にかかっておらなければいかぬことになるわけです。そうすると、あの精神病結核というのは、これは復員後一年以内の場合の普通の病気ならば、わりあい職務関連というのが気やすく見出し得る可能性があるのです。ところが、精神病結核ということになりますとそうはいかぬわけです。御存じのとおり、われわれが結核の空洞を持っておるけれども知らない、いわゆる有疾無感というのが結核の特徴です。病はあるけれども感覚がない、こういう有疾無感という状態、それから精神病だって、戦地で非常に緊張の連続をやっておった、そうして内地に帰ってきたらとたんに緊張が抜けて、逆に精神病になったという場合だってあり得るわけです。そうすると、これは在職期間内に負傷し、また疾病にかかったということとの関連が、非常に困難なことになるわけです。その場合に、病気になっておるからこれは医師に見てもらっておるはずですが、昭和十二年ごろは、皆さん御存じのとおり、まだ恩給法も復活しておらぬ。それから援護法もできていないのです。昭和二十七年の四月二十八日に平和条約ができて、そうしてその年の四月三十日に戦傷病者戦没者遺族等援護法が公布をされて、四月一日にさかのぼって実施されたことになっている。それから恩給法は二十八年八月に軍人恩給の復活です。したがって、そのころはもうそういう観念で医者診断書を書いていないし、遺族もその要求をしていない。もう勝ってくるぞと送られていっておるのですから、そんな金をもらうことなんかみんな考えていないわけです。いちずに国家のために、ということしか考えていない。そこで、むすこが帰ってきて結核になって死に、精神病になって死んでも、それだけの配慮を医者のほうもしておらぬし、遺族のほうもしていないわけです。ところがいまになって、今度は昭和十二年にさかのぼっていろいろな処遇をしてやるのだということになると、さあ二十五年、四分の一世紀も前の診断書は、医者に行ったってなかなかないのです。私のところにもよく、いまから二十年前に先生に見てもらったことがあるんだ、先生ひとつ診断書を探してくれというから、私は蔵から出して何回も探したのです。幸い私は二十年くらい前のを持っておるから、何人か出してやった。沖縄から言ってきたのもある。何人か出してやった。けれども都会なんかでは、そんな二十五年も前の診断書をなかなか持っていない。また、法律的に、診断書を保存しておかなければならぬ期間を忘れましたけれども、そんなに二十五年も持つ必要はないわけです。そうすると、証明のしようがなくなってしまう。またわれわれの記憶は、一週間か十日はまあ何とか確かだけれども、はるか霧のかなたに消えている二十五年の歳月を思い起こすことは、もう不可能なんです。そうすると、やはり遺族が、確かにうちむすこ戦地でときどき微熱が出たり何かしておったのだ、そうして帰って一、二年の間ぶらぶらして、三年以内に死んでしまいましたというようなことがはっきり指摘でき、しかもそのむすこが二度も三度も召集されて、満州に行ったりシナに行ったりして帰ってきたということの証明が、町内会長市町村長から出れば、そういうものはこの際救ってやる必要があるのではないか。それは重大なる過失とか故意でなければ、もうみんな公務ということを認めるところまで踏み切っておるのですからね。だから私は、もうここまで来れば、ノーズロースになりなさいとは言わないけれども、まあまあある程度証明が出てくればやってやっていいんじゃないかという感じがするのですよ。特に昭和十二年のシナ事変までさかのぼっていくということになれば、ますますその感じが濃厚なのですが、その点どうですか。
  20. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 仰せの点でございますが、これは、たとえば戦地におりましたときには、まだはっきり結核というような診断がついていないというような場合でありましても、それが在職期間経過後、いわゆる復員しましてから診察を受けたところが、相当進行しておったというような場合もあり得るわけでありまして、そういう場合には当然結核診断がついていなくても、戦時勤務中にかなりな病状になっておったということも予想されますので、そういう場合には当然在職期間内に発病したという想像がつくわけでありますが、仰せのようにこの条文が入りました経緯から申しましても、できるだけ広くとっていきたいというふうに考えておる次第であります。
  21. 滝井義高

    滝井委員 結核というのは、非常に重くなって帰ってきたというものはわかるわけです。そうではなくて、奔馬性みたいなものがある。たとえば肋膜があった。そして脳膜炎にきたといったら、これは一挙です。しかも肋膜は、からだがだるかったが、本人は気づかなかった。たいして悪いとは思わなかった。戦地におるときはちょっとあって、帰ってきても軽かった。ところがそれが脳膜炎を併発した。御存じのとおり、昭和十二年から十五、六年、ずっとあの時期はいい薬はなかったわけです。いまのようにパス、マイシンみたいなものがないわけですからね。これはザルブロを注射したり、カルシウムを注射したりのこそく療法しかなかったわけでしょう。それで急に腹膜炎を起こしたり脳膜炎を起こしたりして死んだというのは全く関連がないわけです。関連証明のしようがない。しかしわれわれはほとんどみな結核菌を持っているのだから、これは確かに戦地で過労のために結核を起こしておったのだ、遺族がそうおっしゃれば、いま言ったように証明書その他は出しようがないけれども、やはり配慮する必要がある。そんなものは多くないですよ。私はどうして言うかというと、実はあなた方から出ておる厚生白書等を見ても、現在裁定業務の中で却下したもの九万八千八百件の内訳を見ると、その大半は死因公務性が認められなかったというものなんです。死因公務性が認められないということは、結局、戦地で発病したとか、兵営内で発病したとか、何か職務関連がわからないということですよ。そうすると、あなた方が親切心で結核精神病というものを、普通の病気は一年だけれども、わざわざ復員後三年間と延ばしておきながら、そこの証明をということになると、はるか二十五年のかなたのことですからなかなかできない。こうなるとこの法文は死文になる可能性が出てくる。いままででさえも九万八千八百件のものが公務性がはっきりしないということで却下されておるわけでしょう。この遺族にとっては、確かに戦争で死んだのだけれども、うちむすこだけは、うちのおとうさんだけは差別待遇をされているのだということで、むしろ国家を恨みこそすれ、決して靖国神社に祭ってくれたからといって感謝していないのです。勲章をくれたからといって感謝していないのです。やはりこれはみんなの遺族と同じような取り扱いをして差し上げる必要がある。そういうことをひとつ十分配慮してやらなければいかぬと思うのです。だからこういうものについては、あなたの示唆にもありましたとおり、当時は戦死する人が少なかったですから、わりあいみんな市葬町葬村葬をやってくれているわけです。そこでやはりそういう証明がなくても、弔辞でとるならば、市町村が公の葬式をやっておれば、これは認めてやるという形をとるべきだと思うのですよ。これは証拠がはっきりあるわけです。これは何か公務関連があったからこそ、そのときの市なり町なり村は、市葬なり町葬なり村葬をやっておるわけです。だから、いま言ったように、結核精神病退職後三年以内に死亡しておったということで町葬その他をやっておった。それで弔辞も出てきたというような場合には、やはりそこら弾力性をもって運営してやらないと、二十五年も前のことをいまごろになって診断書を出せ何を出せといったって、遺族からさか恨みを受ける。それなら、われわれのかわいい子供、愛する夫のためになぜもっと早く政府はこういう法律出してくれなかった、こういうことにもなりかねないのですね。この点は大臣どうでしょうか。
  22. 小林武治

    小林国務大臣 お話しのようなこともありますし、本人に有利なあらゆる資料を活用すべきである、こういうふうに申し上げておきます。
  23. 滝井義高

    滝井委員 ぜひひとつ本人に有利なあらゆる資料を活用してもらいたいと思うのです。ところが大臣、何とか審議会というのがあって、なかなかそうはいかないのです。私はあとで具体的な例を出して論争しますが、これはとにかく三年くらい論争しているけれども、結論が出ないのがある。  次は、いま大臣からお答えいただきましたけれども、四条の三項です。六〇ページから六一ページにかかるところですが、「自己の責に帰することができない事由により負傷し、又は疾病にかかった場合において、厚生大臣公務上負傷し、又は疾病にかかったものと同視することを相当と認めたときは、公務上負傷し、又は疾病にかかったものとみなす」という、きわめて政治的な配慮を加える一項がいままでもあったのです。「厚生大臣公務上負傷し、又は疾病にかかったものと同視することを相当と認めたとき」という、こういう弾力的なものがあるにもかかわらず、いままでなかなかそうはいっていなかったのですよ。一体この運用というものはどういう形で運用されておるのか。それから、一体どういう場合に「厚生大臣公務上負傷し、又は疾病にかかったものと同視する」ような基準をおつくりになっているのか。
  24. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ただいまのお尋ねの件でありますが、われわれの実際の運用を申し上げますと、実はこの点について特に基準というほどのものは設けておりませんが、実際の運用としては、四条二項と同じように、故意または重大な過失によっていないような場合には、大体救っておるという実際の扱いをいたしております。
  25. 滝井義高

    滝井委員 「自己の責に帰することができない事由により負傷し、又は疾病にかかった」というのは、「故意又は重大な過失」ということがなかったということなんですね。裏を返せば大体同じようなことです。わざわざ表現を、「故意又は重大な過失」ということを掲げずに「自己の責に帰することができない事由により」、とこういうことを書いているわけです。そして戦地に行ってマラリアにかかり、栄養失調になり、困苦、苦難の中に戦って、そして、たまたま帰ってきたらなくなったということは、明らかに「公務上負傷し、又は疾病にかかったものと同視する」ということが可能なわけなんです。ところが、いまあなたの言うように、「故意又は重大なる過失」でなかったというときと同じだということになれば、こういう政治的な規定を入れる必要はなかったわけです。入れているところに、やはり私は援護法援護法たるゆえんがなければならぬと思うのですよ。ところが、それがいま言ったような解釈になると、この条文は死んでおるということになる。これはいままで大臣お気づきにならなかったかもしれませんけれども、こういう条文があるのですから、ひとつ何とか審議会というあの審議会でやった結論が、やはり大臣がひっくり返し得る政治的な配慮ができるのだということを考えておいてもらわなければいかぬと思うのです。あの恩給審査審議会ですか、何かあそこがやったからもうだめですということでは、私はこの条文は要らない、削除すべきだと思うのですよ。しかし、こういうものがあるからには、やはりある程度の政治的な配慮というものがときには加え得る。しかもそれが間違った配慮なら困るけれども、常識的に見て、これはみずからの責に帰することができない事由によって負傷または疾病にかかったもので、そしてそれで死んだのだ、こういうことになれば、あるいは負傷したのだということになれば、ぜひひとつ取り上げてもらいたいと思うのです。
  26. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 お話のような点がございますので、今度十分そういう点を考慮いたしまして運用してまいりたいと思います。
  27. 滝井義高

    滝井委員 それから、六ページの四条五項です。今度新しく「第二項に規定する事変地又は戦地の区域及びその区域が事変地又は戦地であった期間は、政令で定める。」となるわけです。この「事変地又は戦地の区域」とは一体どういうところを言うことになるのか。これは前にいろいろなことを——故意または重大な過失でなかったとかあるとかいったところで、この区域の中でなければ、中で勤務していなければ問題にならぬわけです。お帰りになって、そうして結核精神病で三年以内になくなってしまった、あるいは普通の病気で一年以内になくなっておっても、これはこの事変地または戦地の区域の外であったら問題にならぬ。一体どこをさすのか。
  28. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ただいま法の施行令によりまして、軍属等の身分、つまり在職期間に関しまして事変地の規定がしてあるわけであります。在職期間をどういうふうにとるかということに関します事変地の規定が政令にあるわけであります。たとえば、中国は十二年七月七日から十六年十二月七日までというふうな、満州のどこどこについては何日から何日までというふうな事変地の規定がありますが、これはいまのところは一応在職期間にからんできめられております。今度の場合には、在職期間にからんだ問題ではなくて、別な見地から定めるわけでありますが、実際上は、現在政令で定めております事変地のきめ方をほとんどそのままとれるというふうに考えている次第であります。
  29. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、非常に広範にとる、私は、むしろあまり範囲を限定せずに、やはり日本軍が派遣をした満州なら満州、中国なら中国全土をとってもいいではないか。どうせ軍人政府の命令で連れていったんですから、あるいは軍人軍属は徴用その他で行ったんですから、やはり行った先で本人が逃亡したり何かしてない限りは全部とってやる必要があると思うのです。それを何か在職、勤務期間ということで小さく区切っていく必要はないじゃないかという気がするわけですがね。
  30. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ただいま在職期間にからみまして事変地の区域、期間が定めてありますが、これは実は在職期間をとるという性格からいいまして、かなり広くとってあるのであります。つまり、理論的に申しますと、この広くとってあるのを若干狭くして新しい事変地の規定にすることもできるわけでありますけれども、われわれは、そう狭くしないで、むしろいまの広いところでそのままとっていきたいというふうに考えている次第であります。
  31. 滝井義高

    滝井委員 逆な質問のしかたをすれば、こういう事変地または戦地の区域をきめるということによってどの程度の人間が漏れますかということを聞いたほうが早いかもしれない。どの程度の人が恩典に浴さないことになりますか。
  32. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ちょっといまその資料を持っておりませんが、仰せのような、なるべく広くとるという趣旨から言いますと、われわれがいま政令できめているものをとりますれば、かなりその趣旨に合うではないかというふうに考えている次第であります。
  33. 滝井義高

    滝井委員 ここまで援護法がくれば、もうあまり地域の指定なんかする必要はないと思うのです。召集を受けた文官、別の件で行けと言われた人は皆入れるのだということでよいと思う。これは私は削除してよいと思う。政令でわざわざ入れる必要はない。援護法がここまできているのですから、それをまた縮めれば、また遺族の方々が運動費を使って自民党に圧力をかけなければならぬということになるから、全部してあげる。遺族の方々を何回も骨を折らせる必要はない。こういうことは、私に言わせればけちくさい。もうさっさとしてあげたらよい。また未亡人の方々が陳情してくるというようなことをやるべきではない。漏れれば漏れた人は必ず来る、私のところは漏れましたということになるのだから。私は、こんなものは削除すべきだと思うのです。(「賛成」と呼ぶ者あり)賛成と言っているから、削除の修正を出しますから覚えておいてください。六一ページの五は削除。  それから第五条です。いままで五条一項の二号に「遺族年金又は遺族給与金の支給」となっておったのですが、今度「遺族年金及び遺族給与金の支給」ということになるから、これは当然両方差し上げます。こういうことでしょうね。遺族年金をやるから遺族給与金を差し上げておったのを取り戻すとは言わぬのでしょうな。
  34. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 お答えいたします。遺族年金と遺族給与金とは全然別個のものでございますので、そういう議論は全然起こってこないわけであります。
  35. 滝井義高

    滝井委員 遺族給与金をもらっておって——あれは五年間ですね。それが今度は年金になってからもずっと続いていくということですね。取り返すということはないのですね。わかりました。これは確認をしておかないといけないから。  それから急ぎますが、六四ページの八条の加給金についてです。こういうように加給金をお出しになるのなら、わざわざどうして加給金を十分の六にするとか、あるいは六六ページの八条の六項にあるように一万五千五百円、それから三千五百円というようなぐあいにするのかということです。この表の不具廃疾の程度の一款症、二款症、三款症、それから不具廃疾の程度の特別項症、一項症、二項症、三項症からずっと六項症までありますね。このもとの金額をどうしておふやしにならないのですか。わざわざ加給金というものを上にお加えになるならば、表を直しておふやしになったらいいのに、なぜ恩着せがましくやるような形にするのですか。
  36. 八木哲夫

    八木説明員 ここでそれぞれ三項、四項、五項、六項につきまして別段の規定を置いておりますのは、今回のみなし公務——故意、重過失行為を公務とみなすという規定につきまして、支那事変につきましては十分の六にするという規定に基づいて三項、四項、五項をそれぞれ本来の額の十分の六というふうなのが入っておりますために、こういうふうな数字になっておる次第であります。
  37. 滝井義高

    滝井委員 私はわからぬのですがね。一体人間の命というのは大東亜戦争と支那事変でどうして違うのかということです。大東亜戦争では全額差し上げて、片や支那事変は十分の六だ、こういう差別をやることが私はそもそも問題だと思うのですよ。だから加給金だって、満州事変であろうと支那事変であろうと大東亜戦争であろうとみんな同じ、みんな国家総力戦に狩り出されていったのですから。だから特に支那事変について十分の六にしなければならぬ理由があれば申し述べてもらいたいし、その青年の命が一体〇・六しかなかったのかどうかということです。そんなばかなことはないはずです。そうすると、全部これは同額にしなければならぬ。そうでなければ援護法の精神というものが差別待遇になる。われわれはそういう差別をなくするということなんですからね。だからそれはどういう理由で十分の六にすることになるのか。これも何なら修正しなければならぬ。
  38. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 支那事変の件に関しまして十分の六にいたしておりますのは、現在いわゆる勤務関連による特例遺族年金が一般の遺族年金の十分の六になっております。それから支那事変と大東亜戦争を比べますと、戦闘の苛烈さにおいて若干そこに差異もあるということで一応十分の六にしたわけであります。
  39. 滝井義高

    滝井委員 戦争が激しかったとか、やさしかったとかいっても死んだ人は一つなんですからね。片方が一の英霊で片一方が〇・六の英霊ということはない。政党ならば自由民主党が一・五で社会党が〇・五ということはあり得る。これは〇・五しか力がないのですから。だけれども、なくなった英霊が片や一で片や〇・六ということならば、御遺族の皆さんはおこりますよ。だからこの点は田中大蔵大臣は浪花節調だから反対じゃないと思うのですよ。自民党の皆さんも賛成だと思う。社会党でも、御遺族の皆さんに冷たい冷たいと言われておるから、こういうときにこそ修正して、まさか与党さん反対ではないと思うから、これは全額にすべきだと思う。戦争が激しかったから一〇やって、激しくなかったから六しかやらぬというその論理は通らぬということです。わかりました。これは、遺族年金でも障害年金でもみな十分の六になっておって同じですから、その点はぜひひとつ直してもらわなければならぬと思います。  次は、十二条の意味を説明してください。「障害年金または障害一時金の控除」のところ、十二条に「既に受けた傷病賜金又は障害一時金の額に相当する額の全部又は一分を控除することができる。」ということを、ちょっと具体的に説明してください。
  40. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 十二条では、新たに最初の恩給法というものがつけ加わっておるわけでありますが、新たに恩給法が入った理由は、今回判任文官が入ったことに伴うものでありまして、たとえば傷病賜金を受けておった者等に障害年金の支給ということがある場合がありますので、そういう場合の額の調整をしようという規定でありまして、そういうことについてすでに受けた額を一部控除あるいは全部控除するという両者の調整の規定であります。
  41. 滝井義高

    滝井委員 わずかな傷病賜金なり障害一時金を差し上げておって、今度もらう額からそれをまた差し引くというのもなかなか薄情なことだと思うのです。あまり大きな問題でないからこれ以上追及しませんが、こういう法律を技術的に、あまり重箱のすみをほじくるようなそろばん勘定ばかりでいくということはよくないと思う。そのくせ、こういう公平の原則を貫いて、すでに与えた傷病賜金なり障害一時金を減らすかと思うと、片方では十分の六にするというようなことをやるのですね。命の差別をつけるのですから、そういうことは、よくないと思う。  それから二十三条、「遺族年令及び遺族給与金の支給」のところで、「昭和二十七年四月一日前に死亡した軍人軍属又は軍人軍属であった者」こうなっておるわけですが、いままでは軍人は入ってなかったわけですね。軍属だけだったのです。今度軍人が入った理由というのは、どういう理由から入ることになったのですか。
  42. 木暮保成

    ○木暮説明員 従来は、軍人の方は増加恩給を恩給法のほうからいただいておったわけであります。今度の改正によりまして四条二項が大幅に拡大になりまして、公務の推定を受けて障害になる場合がありまして、その場合に初めて軍人に対して援護法から障害年金が出るケースが出てくるわけであります。
  43. 滝井義高

    滝井委員 その場合に恩給法にどうして入れられないのですか。今度の国会恩給法改正をお出しになっておるわけです。そうすると、いままでは、御存じのとおり恩給法の復活とともに、軍人及びその遺族の大部分はみんな恩給法を選択していかれたわけです。そして、主として雇用人たる軍属及び準軍属援護法に乗ったわけです。これは御存じのとおりであります。そうしますと、同じ国会恩給法をお出しになっているのに、恩給法に乗せずに、わざわざ今度は援護法に持ってきて、——いままで援護法というものを軍人軍属という非常に幅の広いものから、雇用人たる軍属、準軍属にして、わりあいに系統的にしつつあったわけです。ところが、またこれによって軍人を持ってくれば、恩給法とその両方を見なければならぬから、これは見る事務がたいへんなんです。また遺族の皆さんもたいへんですよ。恩給法でお金を受け、援護法で受けるなんというのは、これは手続が違うのですからね。こういう事務的に複雑なことをおやりになるならば、一つ国会恩給法をお出しになったでしょう、内閣委員会恩給法は通ったのでしょう。だから、恩給法で処理したらよかったんじゃないでしょうか。
  44. 木暮保成

    ○木暮説明員 先ほど申し上げましたように、支那事変まで故意または重過失でない場合には公務とみなす規定が入ったわけでございます。従来は、大東亜戦争疾病にかかりまして、死亡に至ったもののみ、故意または重過失でない場合はみなし公務としておったのでございますが、傷害につきましては今回初めて入ったわけでございます。それで、今回は援護法として処遇の改善をいたしたわけであります。
  45. 滝井義高

    滝井委員 恩給法でおやりになってもいい措置で、昭和十二年の支那事変以降のものを今度の恩給法でも改正していいわけですよ。援護法改正すれば、当然恩給法に波及するんですからね。だから、こういうところは恩給法でおやりになっておればいいのです。いままで選択をさして、みんな恩給法でいっておったのに、今度はまた昭和十二年の公務、重過失であるということが明らかでなかったものを、軍人まで拡大をして、今度は援護法に持ってくれば、途中のものはみんな恩給法に行っておるのに、前の者だけが援護法にくることになって、立法体系からいってもおかしくなるのですよ。それならば、この法律は、先ほども言ったように、四本も五本も一緒法律だから、恩給法改正の中に入れてお出しになっておったら、それでよかったのですよ。だから、どうも立法形態として非常に私はまずいんじゃないかと思います。実を言うと、これはミスプリントじゃないかと思っておったのです。援護法の中に恩給法軍人を呼び返してくるということは、立法論からいっても、ちょっと私はおかしい感じがしますよ。これはできてしまったことだからやむを得ませんけれども、やはり適当な機会に改めて、軍人の方々は恩給法で整理しておるのですから、それにいっていただくようにしたほうがいい。  それから三十四条の二項の一号です。「昭和十二年七月七日以後における事変又は戦争に関する勤務(政令で定める勤務を除く。)に関連する負傷又は疾病」こうなっておるわけです。この「戦争に関する勤務」とは何か、それから「政令で定める勤務を除く。」というその勤務は一体何か。
  46. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 「戦争に関する勤務」と申しますのは、大東亜戦争に関する勤務でございますが、その内容は、たとえば現実に戦地へ行って戦闘行為に参加することのほかに、その兵たん業務あるいは内地における戦争に関する勤務、それを全部含むわけでございます。  それからカッコの中の政令で定める勤務が除かれておりますが、この「政令で定める勤務」といいますのは、一つ陸海軍の官衛の勤務、それから第二が侍従武官府とかあるいは軍事参議院とかいうところの勤務、その二つが入っておりまして、あとの侍従武官府あるいは軍事参議院勤務は、兵とか営内居住の下士官は除かれておりますが、そういう除かれたもの以外の勤務、これをいうわけであります。
  47. 滝井義高

    滝井委員 そういたしますと、軍事参議院ですか、それから侍従武官府ということですが、普通の役所の勤務戦争関連するものになるでしょう、官衛勤務は。
  48. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 いまの政令で定めるものは二つございまして、第一の陸海軍の官衛の勤務、これは特別に政令で除かれるわけであります。第二は侍従武官府と軍事参議院の関係であります。したがって、陸軍省、海軍省のような陸海軍関係の官衛の職員は除かれるわけであります。
  49. 滝井義高

    滝井委員 それから二号「昭和二十年九月二日以後引き続き勤務していた間又は引き続き海外にあって復員するまでの間における負傷又は疾病で厚生大臣戦争に関する勤務関連する負傷又は疾病と同視することを相当と認めるもの」とあるわけです。これは非常に問題のあるところですが、まず第一に、「勤務していた間」とは在職期間とどう違うかということです。
  50. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 在職期間というのは、軍人あるいは軍属についてそれぞれ第三条に一応の定義があるわけでありますが、この在職期間の一部として、ここに九月二日以後引き続き勤務している期間というのでありまして、在職期間の一部、こういう考え方であります。
  51. 滝井義高

    滝井委員 だから在職期間でいいわけじゃないですか。そうすると、在職期間内に負傷または疾病をした、在職期間の一部だから広く書いてもいいんだが、なぜ在職期間の一部を今度わざわざとらなければならなかったかということです。在職期間とどうしてされなかったかということです。  それから「引き続き海外にあって復員するまでの間」というのは、これは在職期間でない場合があるわけですね。外地で召集解除されて帰ってくるまでの間は、これはもう在職期間ではないわけですね。ところが、引き続き勤務しておる間は、在職期間と同じじゃないけれども、その中に包含しておる。四条の2のごときは在職期間と書いたわけです。ところが、特にここで弔慰金の支給の場合に、なぜ「引き続き勤務していた間」と書かなければならなかったのかということです。
  52. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 お答えいたします。  第一号のほうで、いわゆる在職期間うちで本体と申しますか、昭和十二年七月七日以後のことが書いてありまして、第二号のほうで九月二日以後のことが出てくるわけでございますが、仰せのように、結局これは在職期間の一部でありますが、特にそういうことばを使いませんでしたのは改正前の古い規定、つまり下のほうにある規定におきまして「九月二日以後引き続き海外にあって復員するまでの間」こういうことばを使っておりますので、従来の規定を生かす意味におきまして、それとの関連在職期間ということばを使わなかったということでございます。
  53. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、たいして理由はないわけですね。丁寧に見ていきますと、いまのようにわれわれ法律のしろうとが見ても在職期間というならわりあいすぐわかるわけです。ああそうか、勤務していた間だなと。ところが、わざわざ「勤務していた間」ということになりますと、在職期間ということばが前に出ていなければいいけれども、出ているわけです。そうしてこういう違ったものを書いてきているわけですから、何かこれは特別な意味があるな、こう見るわけです。ところがいまのように在職期間の一部で特別な意味がない。ただ、「海外にあって復員するまで」というのが前にあるから、それで調子を合わしたということのようです。わかりました。  それから三十九条の二の一項一号の「昭和十二年七月七日以後における在職期間内に公務上負傷し、又は疾病にかかり、当該在職期間内又はその経過後二年以内に死亡した軍人軍属又は軍人軍属であった者の遺族。ただし、重大な過失によって公務上負傷し、又は疾病にかかった者の遺族及び当該公務上の負傷又は疾病関連しない負傷又は疾病のみにより死亡したことが明らかである者の遺族を除く。」こうなっているわけです。この「公務上の負傷又は疾病関連しない」というところなんですが、「重大な過失によって公務上負傷し、又は疾病にかかった者の遺族」だから、これはいままでは救われなかったわけですね。今度は救いましょうということでしょう。これは私は重過失かどうかということはわりあいわかりやすいと思うのです。これは特別な場合で、ここで言うにたえない場合だってあるわけですから。ところがその次の項で、いま言いました公務上の負傷または疾病関連しないものは、「負傷若しくは疾病のみにより死亡したことが明らかである者の遺族」は除かれることになるわけです。そこで、この関連しないということの問題ですが、これはさいぜん御質問申し上げた逆になるわけです。遺族としてみれば、おまえのむすこは重大な過失で死んだんだぞ、こういうことが明らかになれば、これはむすこの罪だといってあきらめるわけです。ところが、戦地で死んだんだけれども公務上の負傷または疾病関連しないんだということの証明は、たまたま証拠書類がないということでこうなるわけです。証拠書類がありせば当然公務上負傷し、または疾病で死んだんだというので公務扶助料その他全部もらえるけれども、この場合は一時金だけになる。一時金をいただけるようになったことはいままでよりは前進です。前進ですけれども、ここらあたりはさいぜん申し上げたことと同じになるのだが、よほどひとつしっかりした態度で——厳重にやられると遺族はやはり泣かなければならないことになる。この前小林君が言っておったようなことになるのですね。だからこの前とうらはらの関係ですから、ぜひ注意をしておいていただきたい。  そこで私はここで一つの実例を出すわけです。これは援護課長の木暮さんの前の援護課長のときから私が交渉しておる問題ですが、これがなかなかきまらないのです。どういう例かというと、大腿骨の盲管銃創をやったわけです。すなわち大腿骨の複雑骨折です。そうして軍隊で治療のしかたが悪くて復員をしてきた。しかしこれは御存じのとおり大腿骨の複雑骨折だってある程度の一定の年限がたつと自然にまずい治療でもびっこ引きながら治癒することになるわけです。ところが帰ってその男が運搬夫——いわゆる石炭のトロッコが坑内から上がってくる、それを選炭機の方向へ持っていく。相当足を使わなければならない、鉄道線路みたいな凸凹のところを動くわけですから。そうすると帰ってしばらくやっておったら足が痛み始めたわけです。そこで足が痛んだので陸軍病院へ行ったら、これは温泉に行きなさいというので別府かどこかの陸軍の温泉に行ったわけです。そうして行って間もなくそこで心臓麻痺で死んだのです。そこで私はその死因を見ると、右か左かの大腿骨の盲管銃創兼心臓麻痺と書いてある。ところがあなたのほうはこれは職務に関連はない心臓麻痺だからだめですとこうなっておるわけです。ところが私の主張はそうではない。大腿骨の複雑骨折が起こると神経痛が起こる。これは坐骨神経痛が起こる。神経痛が起これば痛くてめしが食えない。めしが食えないから衰弱する。だから診断書には大腿骨の複雑骨折、非常に衰弱しておると書いてあるのに、この者が陸軍の温泉の療養所でなくなっておるのにこれを公務関連とは認めない。そうして却下をして御両親は泣いておるわけです。こういう場合、われわれ医者が見ても当然関連があるという主張なんだが、一方においては恩給局その他が、過去においてこういう裁定をしておるからというメンツばかりにとらわれてなかなか認めない。もう三年になるのです。先生、待ってください、結論を出しますまで待ってくださいといって認めない。これがどこにもからだに傷がなく帰ってきてやったというのならいいのです。帰ってきて心臓麻痺でなくなったというのなら、それはもうなるほど公務関連がないということになるのです。ところが複雑骨折があって、しかも大腿骨の盲管銃創ですから、まだたまは残っておる。あるいは大腿骨に腐骨ができておるかもしれないのですよ。当時の兵馬倥偬の中における医学のやり方ですから、そんな複雑骨折を金属で骨と骨とを連結するなんていうことをうまくやっておるはずがないわけですよ。こういう場合は、私は当然過去の行きがかりにとらわれずに認めるべきだと思うのですが、なかなか認めない。言を左右にして認めない。私は恩給局へも言っておるけれども認めない。もうちょっと待ってくださいといううち援護課長が三代かわったのです。それでいまの木暮さんになった。私が言ったら木暮さんは知っていました。だから前から事務の引き継ぎはあったらしい。らしいのだけれども、そういう状態であります。診断書に盲貫銃創兼心臓麻痺と書いてある。主病は何かというと盲貫銃創なんです。そういうのを認めない。だからしたがって私は、そういうときはやはり大臣政治的な判断を下すべきだと思うのです。それを専門家が言うのでどうしてもだめだ、こうおっしゃる。しかし無傷で帰っておるというならともかく、盲貫銃創があって本人が別府の温泉療養所か何かに行ってそこでなくなった。しかも陸軍省の所轄病院でなくなっているという。これを認めないというばかなことはないと思うのです。どうですか、これはひとつやり直しますとはっきり言ってください。もう三年以上かかっている。
  54. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ただいまお話の件でございますが、種々検討いたしまして、なかなかむずかしい問題でございますが、今回の改正によりまして、遺族一時金の制度ができましたので、三十九条の二のほうでこれが遺族一時金支給に該当するのではないかというふうにいま考えておる次第であります。公務上の負傷または疾病関連しない負傷または疾病、この関連のない問題、それからそういう負傷のみによって死亡した場合、あるいは関連しない疾病だけで死亡したことが明らかであるというのは、かなりむずかしい問題が出てまいるわけであります。したがいまして、この三十九条の二というのは相当広く適用していける。また公務性の明確でない人を救う趣旨でございますので、趣旨から言ってもそうでございますが、相当広くいける。お話の点は三十九条の二に該当するということで処理できるというふうにいまのところは考えております。
  55. 滝井義高

    滝井委員 私はそれは反対です。一体関連しないという証明がどこにありますかということなんです。その証明ができないでしょう。心臓麻痺だということだけをとるから関連しないというのです。それならば盲貫銃創というものがあって、これが痛んでおったというような現実はどうするのかということです。だから私の言い分は、その者が複雑な大腿骨の骨折を持っている。しかもそれが盲貫銃創である、痛んでおった。そして別府の療養所にやせこけて行った。やせこければ衰弱する。人間は死ぬときはみんな心臓麻痺で死ぬのだ。盲腸を切ったって、切りそこなって死ぬときは心臓麻痺で死ぬのだから、心臓麻痺と医者が書けば全部だめになるのです。心臓がとまったときに人間は死ぬのだから、そういうところをいま言ったように職務関連がない、それは明らかだということでやれば、いままでたとえばマラリアとか何かで死んだ者は全部だめだということになる。ところがそれは全部認めているのです。だから私は、これは今度は十万円の遺族一時金を差し上げますということでは納得しない。医師診断書にも明らかに書いてある。故意に書いたのではない。昔の診断書を持ってきたものを見ると書いてあるわけです。こういうところが、私はこだわるのはおかしいと思う。私も専門家ですから理論闘争をやったのです。それならば逆に、これは盲貫銃創に関連がなかったという証明をしてくださいと言ったけれども、証明できないのです。初めこの者はいろいろな代議士に頼んだのです。それでできないので私のところに持ってきた。私はこれをずっとよく調べてみると、心臓麻痺というものがいかなる原因によって起こったかという証明が何もないのです。そうすると、盲貫銃創で痛んでおって、衰弱して心臓麻痺が起こったということに考えることのほうが正当だというのです。これのほうが証明がやさしいわけです。ところが恩給局にしてもあなたのところにしても、過去において、昭和の初めにこんなものをやっているのだからいまさら引っくり返せませんと言って、いたずらにメンツにこだわるわけでしょう。それがいかぬというのです。戦死をした近所の人はみんな公務扶助料をもらっている。年老いた母親がくやんでいる。どうして私だけがこんなに分が悪いのだろう、近所の人はむすこが死んでもらっている公務扶助料をもらえない、私はよほど前世で悪いことをしたのだろうかと、くやんでいる。それで代議士にもいろいろ頼んだけれどもできないので、滝井さん、あなたはやぶ医者だろうがお医者さんだから、専門的に見てやってください。そこでその医者を連れてきてください、論争しようと言ったら、私たちが何とかやってみよと言って、援護課長が三代かわって、いまになったら今度は関連しないということで十万円出しましょうでは了承できないというのです。それは何も傷がなければ別です。あるのです。しかもその傷が痛んで入院して死んでいるのです。率直に言って私は初め、これは悲観して首をつって死んだのだと思っておった。それでいろいろ調べたところが、そうじゃない。突如として心臓麻痺で死んだ。それならば、これは盲貫銃創があって神経痛が痛んでおったのだから当然認むべきです。こういう条文をつくると、これからは満州事変のころのものはみんなこれになって、十万円の遺族一時金でお茶を濁されてしまって、公務扶助料はもらえぬということになる。
  56. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 私がいま申し上げましたのは、具体的な心臓麻痺が公務障害に、ここでいう関連があるかないかということを申し上げたのではなくて、ここに書いてあります書き方が、関連しない負傷または疾病だけで死んだということはなかなか証明しにくい。したがってそういう非常にしにくいものを除いているわけですから、かなりこの規定は実際上は広く適用される。したがいましていまおっしゃいましたようなのは遺族一時金の支給対象として処理できるということを申し上げたのです。ただ従来この心臓麻痺につきましては公務性と申しますか、その立証がなかなか困難な疾病一つでありまして、そういうことでいままで解決が延びておったわけでありますが、われわれとしてはこの今回の規定によって救っていきたいと考えているわけであります。
  57. 滝井義高

    滝井委員 診断書に心臓麻痺一つが出ているならば私はそういう無理は申しません。ところが主病には大腿骨の盲貫銃創というのが出ている。そして兼心臓麻痺と、医者死亡診断書に書いてある。だから主病は大腿骨の盲貫銃創なんです。その主病を見てもらわぬことにはいかぬわけです。二つ書いてある。一つじゃない。「関連しない負傷又は疾病のみにより死亡したことが明らかである者」で、「のみ」でしょう。これが心臓麻痺だけならいいのですよ。そうでない。二つ書いてあるのだから。木暮さん、あれには二つ書いてあるでしょう。
  58. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 いまちょっと診断書の内容が手元にありませんのではっきりいたしませんが、病名についてはよく調査してみたいと思います。
  59. 滝井義高

    滝井委員 たまたま私が扱った例がちょうどこれに当てはまるから私は質問している。九万八千八百件の却下されたものの一つにそういうものがあるわけです。だからこういうものについては、ここまでくれば、そんなにわずかなことを目の色を変えていじめる必要はない。母親もおい先短いのですから、温情もって処理してやるべきだ、それによって日本の財政がひっくり返るような状態じゃないのですから。三十九条の二の一項の二号は「故意若しくは重大な過失による負傷若しくは疾病又は当該在職期間経過後に発した負傷若しくは疾病のみにより死亡したことが明らかである者の遺族を除く。」こうなっておるわけです。その場合に、「疾病のみにより死亡したことが明らかである者の遺族を除く」という、この疾病の中には精神病結核が当然入ることになるのですね。
  60. 木暮保成

    ○木暮説明員 三十九条の二の一項二号の考え方は、復員後短期間内に死亡したという場合には、立証できなくても、できるだけ今回の遺族一時金の対象に取り上げようという考え方でございますので、精神病結核等の場合には、大体戦地で栄養失調とかマラリア等でからだがかなり衰弱されているということも考えられますので、在職期間経過後に発した負傷もしくは疾病のみにより死亡したということが明らかにはならないということで、大体戦地でマラリヤなり結核なりになっておるという場合には、精神病等も取れるということになっておるわけでありまして、ここで考えておりますのは、復員後明らかに、在職期間経過後に発生した病気であるということが非常に明らかである、しかもその病気だけで死んだということがはっきりしておる場合だけを除こうということでございますので、復員後短期間内の死亡の場合には、かなりな者が遺族一時金の対象として取り上げられるのじゃないかと考えます。
  61. 滝井義高

    滝井委員 復員後間もなく死亡したという者は、遺族一時金が支給になるであろうということは、裏を返して、さらにもう一歩突っ込んでいくと、そのことは公務関連可能性が出てくるわけです。そこでさいぜん言ったように、町葬されておるとか、弔辞があったとかいう場合には認めなければならぬ、こういうことになる。そういう場合には認めるんでしょうね。いま言ったように、復員後間もなく死亡した者は遺族一時金の対象になりますということは、弔辞その他が出てくれば、公務扶助料の対象になる、こう割り切って差しつかえないですね。
  62. 木暮保成

    ○木暮説明員 復員後短期間の死亡で、しかもそのほかの立証書類、たとえば先生お話しのありました弔辞等で、戦死等の死病というものがかなりはっきりしておるという場合には、一時金ではなく、本来の公務として取れるのじゃないかと思います。
  63. 滝井義高

    滝井委員 あと二、三問大事なところが残っておりますから、あとで……。
  64. 田口長治郎

    ○田口委員長 本会議散会まで休憩いたします。    午後三時四十三分休憩      ————◇—————    午後六時三十二分開議
  65. 田口長治郎

    ○田口委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続けます。滝井義高君。
  66. 滝井義高

    滝井委員 前回に引き続いて質問を続けますが、「二以上の遺族年金を受ける権利を有する者に支給する遺族年金」ですね、これは六九ページのやつです。二人の子供が戦死したという場合における遺族年金の支給、たとえば母が生き残っている、その場合に、むすこが二人戦死をしたという場合における遺族年金の支給のしかた、いままではそれがどうなっておって、そして今度のこの昭和十二年の支那事変以降における者に対するやり方、ひとついままでの場合と今度の場合、これを御説明願いたい。
  67. 八木哲夫

    八木説明員 お答えいたします。  母親がおりまして、その御子息の方が二人なくなられたという場合に、従来、年金につきましては二人分の年金が支給されることになっております。それから今回におきましても、全く同様でございます。
  68. 滝井義高

    滝井委員 その場合に、二人の子供が死んだ場合の金は引くでしょう。
  69. 八木哲夫

    八木説明員 五千円分の差し引きはございます。それ以外は二人分が併給になるわけでございます。
  70. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、いままでは、二人のむすこがなくなると当然二人分の遺族年金をもらうところだけれども、一人のほうから五千円差し引きますね。そうすれば今度の場合は、御存じのとおり、遺族年金なり障害年金は六割でしょう。そうすると、この内容はどうなるのですか。
  71. 八木哲夫

    八木説明員 支那事変の場合、御子息がなくなられたという場合の方が一人入っておる場合には、三千円差し引かれるということになります。五千円の六割でございますので三千円分。二人分は出ますけれども、お一人の方については、三千円が引かれるということになるわけであります。
  72. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、五千円引くわけですね、いままでの分は。その六割を引くと、三千円引くのなら今度支那事変のほうがよくなるのですか。
  73. 八木哲夫

    八木説明員 支那事変分は年金額自体が十分の六でございますので、そのほうから三千円引かれますから、十分の十の場合に比べますと当然低いわけであります。年金額自体が十分の六でございますから、それから三千円引かれる、こういうことになります。
  74. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、六九ページ、「二以上の遺族年金を受ける権利を有する者に支給する遺族年金」というのがあって、三十二条がありますね。三十二条を省略して、三十二条の四項の説明をしてみてください。「第二十六条第二項に規定する遺族に支給する遺族年金に関し第二項の規定を適用する場合においては、前項中「第二十六条第一項」とあるのは「第二十六条第二項」と、「五千円」とあるのは「三千円」と、「三千円」とあるのは「千八百円」と読み替えるものとする。」というのがあるでしょう。この五千円とあるのは三千円、三千円とあるのは千八百円、その千八百円というのはどういうことですか。
  75. 八木哲夫

    八木説明員 御説明いたします。  障害年金を受けておられる方が、普通の病気で、本来の公務でなくて平病でなくなられました場合は、障害年金の額が十分の六になりますので、その意味でまた本来の遺族年金のまた十分の六ということになるわけでありますので、今度の支那事変の場合は十分の六のまた十分の六という年金もあるわけでございます。その意味で五千円の六割の三千円、またそれの六割の千八百円という数字になるわけであります。
  76. 滝井義高

    滝井委員 実にややこしいですね。だから私は、こういう支那事変だからと言って、六割のまた六割をやるというような、そういうことをせずに、そう人数の多いものでないでしょう。一体これは、この法律が通って、いまの六割というものを全部大東亜戦争と同じような取り扱いをしたときの財政負担はどのくらいかかるのですか。六割に四割加えればよい。
  77. 木暮保成

    ○木暮説明員 本年度は二千四百七十八万円を予算に計上しておりますが、これが六割を十分の十にいたしますと、本年度で千六百五十三万よけい予算がかかるという計算になります。
  78. 滝井義高

    滝井委員 千六百五十三万くらいなら、恩給、それから援護法関係というのはばく大な金があるわけですから、何とかやりくりして、これはやはりやるべきだと私は思うのですよ。  それから九〇ページの「遺族年金の支給の特別等」、これは第二条に当たるわけですがね。「厚生大臣在職期間内の職務に関連して負傷し、又は疾病にかかったと同視することを相当と認める場合」という表現と、その同じ条文の最後をごらんになりますと、「その負傷又は疾病が職務に関連することが顕著であると認められる場合に限る。」こういう表現のしかたがあるわけです。ニュアンスが非常に違うわけですね。在職期間内に云々というような場合と、在職期間内の職務に関連をしてという場合と、同じ職務に関連をした疾病や負傷でもその関連することが顕著である場合と、こういうようにあるわけです。一体こういう区別というものはどうしてやるのかということです。
  79. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 結局昭和十九年の一月一日で区別いたしまして、それ以前のものとそれ以後のものと区別しておるわけでありますが、それ以前のものについては関連が顕著でなければいかぬということを規定しておりますのは、やはり戦況が十九年一月以降におきましては非常に苛烈になっておりますので、そういう戦況の模様等も考慮いたしまして、それ以前のものについては顕著であることを規定しておる、こういうことであります。
  80. 滝井義高

    滝井委員 その戦況が苛烈であったかどうかということで、負傷をした程度に差別をつけるということもおかしなことだと思うのですよ。戦況が激しかったかどうかということは、負傷には関係ないことなんです。どんな激しい戦争で足が切れても、ゆるやかな戦争で足が切れても、それが支那事変で足が切れても、満州事変で足が切れても、大東亜戦争で足が切れても、足が切れたというこの現実は変わらないと思うのです。それを戦況が非常に激しかったからそれは職務に関連が顕著であった、そうでなかったものは顕著でなかったんだ、こういうことはどうもおかしなことだと思うんですがね。そういうことで今度取り扱いが違ってくる、これは十分の六にします。顕著だったから十分の十あげますということも、これはおかしなことだと思うのですよ。この十分の六はどうしても修正してもらわなければならぬですね。修正しないと簡単に通らぬですよ。  次は、こういう場合は一体どういう取り扱いをしますか。台湾のおまわりさんであった。そしてその台湾のおまわりさんが、政府の命令によって満州国のおまわりさんになった。満州国のおまわりさんになっておるうちに、今度は戦犯で抑留された。そうしてようやく二、三年前に帰ってきた。この場合に、いま台湾でおまわりさんをしておった人は恩給をもらえるわけです。もらっておるけれども、その恩給の基礎は、台湾のおまわりさんであったときに限っておるわけです。満州国についても、抑留されておった間についても、これは戦犯ですからなおもらってないわけです。その場合に、これは恩給法審議するときに出てきておるのですが、満州国の軍人であって旧日本帝国軍人であった諸君は、満鉄職員等という「等」の中で処理されて、満州国軍人であった人が恩給をもらっている。やるようになったんだという答弁政府はしているんですね。そうしますと、もしかつての帝国軍人であった人が、政府の命令で満州国の軍人になった、すると満州国軍人であった期間は恩給はもらえないわけです。もらえないんだけれども、それは気の毒だというので、満鉄職員等という「等」の中に入れて、その満州国の軍人在職期間を帝国軍人在職期間に換算して払うことにするんだ、という答弁をしたというのです。そうしますと、もしそれが事実であるとするならば、台湾で巡査をして満州国で巡査をしておった人は、当然台湾と満州国のものを継いでやらなければいかぬことになるのです。なるほど満州国というのは、いろいろかいらい政権とかなんとかいうことはあるけれども、たてまえとしては、明らかに国が違うから、他の国のおまわりさんなり軍人になった人はだめなはずです。恩給には通算ができなしわけです。しかし協和会とかいうような、ああいう機関までこれは見ることになっておるわけですね。そうしますと、いまにして軍人をもし「等」の中へ入れて見ておるとすれば、やはりおまわりさんも見てやる必要があるのではないですか。これはたいした人数はいないわけです。まず第一に、軍人を見ておるかどうか、「等」の中に入れてやっておるかどうかという点、もしそうであるならば、当然おまわりさんも入れてやらなければいかぬ、こういうことになると思います。
  81. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 支那事変当時の陸軍部内の取り扱いといたしまして、たとえば日系の軍人軍属が日浦共同作戦に参加し、戦死あるいは戦傷したというような場合につきましては、これを日本軍人として臨時召集されたものとして扱うというようなことにされておりまして、現在も大体その線で取り扱いをいたしておるわけであります。  それから、満州国の軍人軍属以外の方々でも、日本の在郷軍人でありました者が陸軍の戦闘に協力して死亡した場合、これらも同じに取り扱っておるわけであります。いわゆる「満鉄等」としてということではないわけであります。
  82. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、満州国所属の日系の軍人軍属が、日満の共同作戦に参加したということで満州国の在職期間を帝国軍人としての在職期間に見てやるということになれば、おまわりさんも見ざるを得ないのではないですか。これはどうですか。検討してくれますか。
  83. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 いまの件は、結局、その間日本軍人として臨時召集されたものとして扱うということで、向こうの期間をこちらに通算するというのでなくて、日本軍人として臨時召集された取り扱いをしておりますので、在職期間を通算というような形ではないわけであります。
  84. 滝井義高

    滝井委員 臨時召集されたものということになれば、台湾の巡査を臨時に満州国に派遣しておったということでもこれはできるわけです。その人数は多くないでしょう、おまわりさんたちですから。しかも戦犯として抑留されておった期間は全然入らぬわけでしょう。もしその人が、戦犯で抑留されておった期間に栄養その他が悪くて、内地に帰って結核でなくなった、精神病になったというような場合には、これは救いようがないわけですね。だからやはりそういう点は、何も戦犯で抑留されておったといったって、日本軍の命令、関東軍の命令でおまわりさんだってやっておるわけですから、そういう点ではあまり差別する必要はないのではないか、もうこの段階にくれば。そういう点はどうなっておりますか。これは最近は陳情その他が出ておるはずです。
  85. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ただいま申しましたように、日満共同作戦等に参加いたしまして戦死傷されました方については、日本軍に召集たされものとして取り扱うという取り扱いになっておりますが、ただいまお話のような満州巡査となって抑留されて、戦犯となって死亡したというような場合には、むしろ恩給のいわゆる特別未帰還者ということで準軍属として扱える道が残されておりますので、そちらのほうで取り扱うことになると思います。
  86. 滝井義高

    滝井委員 そうしますと、準軍属としてそれは恩給法対象になるわけですね。
  87. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 準軍属でありますれば、援護法として遺族給付金が出るわけであります。
  88. 滝井義高

    滝井委員 その場合は、恩給の関係はどうなんですか。台湾の巡査としては、当然に日本の巡査と同じですから恩給をもらうわけです。ところがいま言ったように、満州国に命令で行ったために、満州国のものが通算されないわけです。そこでよわい六十歳になってきた。ところが台湾のときだけしか見てもらえないので、満州国に抑留された期間は見てもらえないから、非常に恩給が少ないという不平が出てきているわけです。そうすると、軍人では満州国でも共同作戦だというので見てもらえるということになると、共同作戦ならばこれは戦地加算になるわけですね。そういう点で、非常におまわりさんから不平が出ているわけです。だからそれは、もし元気で生きておったら恩給は一体どうなるのか。恩給がはっきりしておれば、これは病気したり死亡した場合には、今度はそれに右へならえしてすぐ出てくるわけです。
  89. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 いまの方が生きておられる場合には、援護法ももちろん適用はありませんし、恩給法の適用もありませんが、先ほど申し上げましたように、日満共同作戦に参加して戦傷死されたような方についてそういう取り扱いをしておるということで、生きておられる方については適用はないわけであります。先ほど申し上げましたように、お話のようなケースで死亡されておりますれば、当然準軍属として遺族給与金が出る。しかしながら、生きておられれば援護法恩給法もない、そういうことになります。
  90. 滝井義高

    滝井委員 満州国の軍人であって共同作戦に参加して生きて帰った人は、これは通算してくれるわけでしょう。
  91. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 それはいたしません。
  92. 滝井義高

    滝井委員 それはいたさないですか。そうすると、これはちょっと理論的にはおかしくなるわけです。死んで金がもらえるというのは、生きておってももらえるという基礎の上に立って考えているわけですね。死んだ場合にはもらえるのだけれども、生きておるときにはもらえないというのは、基礎がないということになるのです。砂上の楼閣になるのです。
  93. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 なくなられた場合には遺族の方がもらわれるわけでありますので、その点は別に問題はないと思います。
  94. 滝井義高

    滝井委員 それは遺族の方がもらえるけれども、それは生きておってもらえるという形のもとにもらえるわけです。しかし長年つとめておって満州国に行けと命令されて行った、それから抑留された、そしてようやく帰ってきたらよわい六十歳だったということになると、台湾のときのものだけしか見てもらえないのですから、これは非常に不公平だと思うのです。それではその人が台湾の巡査で満州に行きたくないと言っても、これは陛下の命令じゃ、行け、こう言われればやむを得ず行っておるわけでしょう。行った結果が、おまえはおまわりでみんなをいじめたのだから戦犯になる、ようやく四、五年前に帰ってきたということになると、全くこの人は生けるしかばねみたいになってしまっているわけです。そうすると、恩給は台湾の巡査のときだけです。こういう形になっておるのです。だから国家の至上命令で全部動いてきているわけです。自分が好きこのんで行ったわけじゃないわけです。満州国におまわりさんが足らぬから、行きなさいということでやられてきているわけです。そして抑留をされておる。そして帰ってみたらということですから、何かこういうものは、やはり私は考えておく必要があると思うのです。これはそう多くないですよ。  それから妻の場合ですが、いままでは妻が再婚をして実家に帰ると、妻は何ももらえなかったですね。
  95. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 さようでございます。
  96. 滝井義高

    滝井委員 そうすると、妻が再婚をしても内縁関係になっているときは、いまはもらえますね。しかし戸籍に入ると、いまはもらえないですね。
  97. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 たとえ正式な再婚でなくても、内縁的な事実婚であっても、そういう関係があればもらえないことになっております。
  98. 滝井義高

    滝井委員 実は私もそういう解釈をとったのですよ。当然援護法でも、内縁関係にある者は事実上の婚姻関係にあるというたてまえをとっておった。ところがある代議士が私に最近質問をして、いまのあれは、妻が結婚をしておっても内縁関係にあればもらえる、籍に入ればもらえぬ、それはおかしいじゃないかと言われてきたわけです。私はそんなことはないと思う、しかし事実はそうだ、それをひとつ解決せよ、こういうことなのです。  いま一つは、さいぜんの、結婚をしてそしてまたもとに返るといままではもらえなかったわけです。これもおかしいじゃないか。ところが今度は、もとに返るともらえますね。
  99. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 一定の期限までに再婚解消をしておられる方につきましては、資格があるわけであります。
  100. 滝井義高

    滝井委員 軍人恩給の停止から遺族援護法の施行までだから、どのくらいの期間になりますか。
  101. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 二十七年の四月三十日までに再婚を解消しておられる方はもらえます。
  102. 滝井義高

    滝井委員 問題はここにもあるわけです。どうしてその期間に再婚した人がもらえて、その後再婚を解消してもとに返った人がもらえないのかということなのです。これはどういう理論に立っているのですか。
  103. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 一応軍人恩給が停止になりました後、未亡人の方等が、ほかに何ら生活上の援護を受ける道がないということで再婚されるのはやむを得ない事情があると認められるわけでありますが、ただし、そういう方が援護法の施行前に一応再婚解消されて、もとのなくなられた夫の霊を祭るという状態になっておられれば、これに資格を与えるほうがむしろ適当ではないかということで認めることになったのであります。
  104. 滝井義高

    滝井委員 そうすると、私の意見と同じになるじゃありませんか。いまの答弁ならば、再婚をしておった人が、もとに返って夫の霊を慰めるようになれば当然上げるのが至当だということになれば、遺族援護法の施行までの期間うちに再婚して、同期間中に離婚により当該再婚を解消している戦没者の妻等に遺族年金を支給するという、限られたものでなくてもいいことになる。ところが法律は、いまの限られたものだけでしょう。
  105. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 再婚を解消される期限を一応昭和二十七年四月三十日まで、つまり援護法の施行のときまでに一応解消しておられるという方については認めるわけでありますが、その後いつまでも認めるというのは必ずしも適当でない、つまり戦後もう二十年近くもたっておりますので、その間相当長い間新しい婚姻生活を続けておる人が、いつ解消してもそういう資格があるというのはむしろおかしいのではないか、やはり援護法施行の日というのを一つのめどにしまして、そのときに再婚解消しておられる方、そこまでを救うのがむしろ適当ではないかという考え方に立っております。
  106. 滝井義高

    滝井委員 御存じのとおり、援護法という法律は幾度も改正されてきているわけです。そして今度もまた昭和十二年までさかのぼるわけですね。そういうように、ずっとさかのぼるという法律の新しい事態が起こってきているのです。それを古い昔の事態だけで区切ってしまうということは、やはり問題があると思います。何も離婚を好んでするわけではないのだから、法律ができたから離婚の形態を装うなんという人は、何人かおるかもしれないが、そんなに数は多くないわけです。人生というものは、偕老同穴でやはり二人で生活するほうがいいわけなんだから、ノーマルな状態なのですから、異常な状態をつくるというようなことは例外なんです。そうしますと、やはりこういう法律をつくったところで、現実に返っておる人は上げますということにすれば、弊害はないわけです。それを何も、はるかかなたの昔でする必要はないのではないか。きょう法律が成立するならば、今日この日までにもとのさやに返っておる、もとの夫のところに返っておる、こういう人はやはりやってもいいんじゃないでしょうか。それを援護法の施行のときだ、昭和二十七年のわずかの期間だけに限るということは、せっかくつくっていただいたこの法律が実効性がないのですよ。一体これで何人が適用になりますか。
  107. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 お答え申し上げます。  いまの数は七百六十人でございますが、戦後もうすでに二十年近くもたっておりますので、たとえば昭和二十一年ごろ再婚されて、十数年も新しい婚姻生活をされたというような方のことを考えてみますと、その方がたまたま最近になって婚姻を解消されたというときに、また昔の夫の霊を祭るというようなことで遺族年金の受給資格を得るというのは、必ずしも適切ではないのではないか。やはり前の夫の霊を祭るという考え方でありますので、援護法施行の昭和二十七年四月三十日までに婚姻を解消しておられる方というところで切るのが、むしろ妥当ではないかという感じがいたすわけであります。
  108. 滝井義高

    滝井委員 七百六十人ということは、やはり秩序があって、そんなに法律ができたからといって擬装して離婚をやり、そして恩給法の金をもらおうなんというさもしい心を出す人は、そういないと思うのです。遺族の方を信頼していいと思うのです。そうしますと、昭和二十一年までさかのぼって新しい制度をおつくりになるときは一やはり当時は、夫が死んだあとは若いわけです。だから一族郎党みんなが、おまえは再婚すべきだということをすすめておると思うのです。そして再婚をしてみたところが、間もなく、四、五年したら、やはりもとのほうがよかったということになってもとにおさまる、もとの里に入っていくということはあり得ると思うのです。それは相当あると思うのです。何も恩給が目当てでなくて、自然の姿でそうなっているという方が相当おると思うのです。そしてそれからすでに二十年の歳月が流れているのですから、もうみんな五十近いわけです。そうしますと、差し上げてもいままで七百六十人ですから、そう何万人となることはないと思うのです。だから新しい制度ができるときには一せっかくこういう親切なことをおやりになるのに、軍人恩給の停止のときからその援護法の施行のときまでという期間を限って、わずかに七百六十人を救うというようなことでなくて、やはりもう少し期間を寛大にする必要があるのではないか。たとえば、この法律ができるときまで、そのできたきょうまでにしましょう、こういうことならば、何もこういう法律ができることを知らないわけですから、できて初めて恩典に浴する人たちというのは、みんな自然に離婚になって、そしてもとの夫のところに返って仏を祭るという人なのですから、私はそれは不自然ではないと思うのです。そうすると、こういう人はどうなるのですか。妻の二十万円の給付金をもらえることになるのですか。
  109. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 妻の給付金は、昨年の四月一日現在で遺族年金等をいただいている人ということであります。今回新たに権利の発生する人は、給付金の受給権がないわけであります。   〔委員長退席、亀山委員長代理着席〕
  110. 滝井義高

    滝井委員 そういうようにわずかに七百六十人の皆さん方、軍人恩給の停止から遺族援護法の施行のときまでと、こう限った七百六十人の人たちは、結局妻の遺族としての権利というもの、すなわち二十万円の特別給付金の恩典にも浴せないことになるわけですね。だからそういう点は、私はやはり浴させてやるべきだと思うんですよ。ほんとうは、こんなに押し詰まらないで、前もって私に質問させてもらったら、私たちはいまのようなことは附則で修正を出しますよ。しかし何せ忽忙のうち質問をさせられて、もうぎりぎりで上げなければならぬという状態ですから、なかなかそういう修正案が出せない。やはりそういうことは考えてやるべきだと思いますよ。  以上で一応終わっておきます。
  111. 亀山孝一

    亀山委員長代理 受田新吉君。
  112. 受田新吉

    ○受田委員 今度の改正案の中で問題点として指摘したい数カ所について質問を申し上げ、政府の所信をたださせていただきます。  私は、この戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定された昭和二十七年以来この法案に取り組まさせていただいたので、この法案の審査をするときには感慨無量なものがあるのでございますが、当時のおい立ちのときから比べると、飛躍的に改正が重ねられまして、今回の改正点などは相当行き届いた、未処遇の皆さんにも手を差し伸べているという点、確かに感謝したい政府提案であると申し上げたいのです。特に私からもしばしば当委員会等で指摘しました問題点が、一歩一歩片づくような提案をされているという点で、私個人としても感謝したいのであります。  特に私、ここで基本問題としてお尋ねしておきたいことがあるのですが、恩給法援護法というふうに法律が二本立てになっている。恩給法は、非常にきびしい制約を持つ規定がつくられている。援護法は、ある程度幅を持っている。それぞれの特色は確かにあります。しかし基本的な考え方は、援護法恩給法も、国家の至上命令で動員をされた、いわば国家のために奉仕されて生命をささげられ、からだを傷つけられた方々である。そういう方々を処遇するのには、国家補償の原則に基づいて、基本的には同じ感覚でこの両法律案は取り扱うべきものだと私は考えるのです。  そこで、この恩給法の精神では救われない分を援護法で拾うというような行き方でなくて、できれば両方を同じ基準にすべきである、この考え方を持っていただきたいと思いますが、政務次官、この法案の立法の精神から見て、いま私が指摘した重大な点は共鳴されますか、あるいは差があるのが当然だと御判断になりますか。これはたいへん大事なことでございます。
  113. 砂原格

    ○砂原政府委員 御指摘の問題でございますが、恩給法で制約をされておって、それがために救済できない準軍属とかそうした方々の処遇を処理するために、援護法でこれを救済しようとして立法について格段の御配慮をいただいたわけであります。できるだけこうした問題は幅を縮めながら解決していきたいと考えておりますが、しかし恩給法援護法というものが同額になるべき性質のものかどうかという点については、なお検討を要するように思うのでございます。大臣がお見えになりましたから……。
  114. 受田新吉

    ○受田委員 昭和二十七年の四月に援護法ができたときに、その第一条にこの法律の目的が書いてあるわけです。これは国家補償の精神に基づき援護すると、こう書いてあるわけです。そして、この法律ができて一年半たってから恩給法が再出発をしたわけです。そこで恩給法に救われる皆さんの分は恩給法に移譲しましたけれども、援護法で残された人々は、また恩給法とは変わった角度のちょっと低い処遇をお受けになっておる。スタートのときは同じであったけれども、援護法に残された人はその後差別を受けておるわけです。この精神は、国家補償という意味からは——大東亜戦争の様相などを見たら、もう国家の至上命令で生命をささげられ、身体を傷つけられた方々は、平等の精神で国家が補償するという、この考え方が基本的な考え方でなければならぬと思うのですが、大臣、お疲れでございましょうが、御答弁をお願いしたいのです。
  115. 小林武治

    小林国務大臣 私も、まあ抽象的な理論としてはさようあるべきであると思います。したがって、さような具体的問題についても検討しなければなりますまい、かように考えます。
  116. 受田新吉

    ○受田委員 お考えは、基本的には私の考えに御共鳴をされております。そこで指摘したい相違点を申し上げたいのです。  まず、遺族年金、一方は公務扶助料になっております。遺族年金は、今度増額されたものは七万一千円である。公務扶助料との間に相当の開きができておるわけです。当初三万五千円当時は同じ金額であったものが、今日、公務扶助料と二千円近く離れておるということは、どういうところに原因があるのかをお答え願いたいのです。事務当局でもけっこうです。
  117. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 遺族年金と公務扶助料との関係でありますが、これは仰せのように、出発当初は歩調を合わせておったわけでございますが、その後にちょっと援護法のほうの額が少なくなったということでありまして、またその後その差の約半分を解消いたしまして、いまは千数百円の差があるということでございます。この点につきましては、将来恩給のベースアップ等の場合におきましては、援護法と十分均衡をとりたいというふうに考えておる次第でございます。
  118. 受田新吉

    ○受田委員 明快な御答弁です。この前五万円に上がったときに、この問題の差が初めてついたときに私がこれを強く指摘をして、次のベースアップのときには同一にせよということで御注文をしたときにも、局長さんと同じようなお答えがあったわけですが、差を縮めておられるけれども、やはりそれの差が出ておる。なぜ差をつけられるかの理由に苦しむわけです。もうはっきり公務扶助料と遺族年金は同額にすべきだ、私、はっきり提唱を申し上げておきます。  援護法では、大半の遺児が法定の十八歳になられて、英霊の子供さんの場合、適用者がほとんどなくなったと思うのでありますけれども、恩給法は二十歳ということになっている。遺族の規制年齢、この差の少なくとも十八歳から二十歳という間は非常に大事なのであって、いまちょうど大学へ最後の英霊のお子さんが行っているころです。最後のもう二年間、大学の学生としてもう二年間救っていただいたならば助かるという子供さんがたくさんある。そういう非常に大事な時期に、この十八歳を二十歳の恩給法と同じ年齢に引き上げるということは、社会政策的な意義から言っても、人道主義から言っても非常に大事な意義があると思うのですが、今度の改正に出ておりません理由を御説明願いたい。
  119. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 年齢の問題でございますが、これは単に援護法のみならず、その他の一般の社会保障関係の法令等におきましても、一応十八歳という年齢を基準にしております。それとの関連があるわけでございまして、将来他の制度との均衡等も考え、十分検討はいたしたいと考えます。
  120. 受田新吉

    ○受田委員 ところが他の法律は、「国家補償の精神」ということばが書いてないのです。国家の至上命令で動員された皆さんの場合でございますから、「国家補償の精神」ということになれば、公務扶助料と同じ年齢で、他の援護関係法律と比較検討すべき筋合いではないと思うのでございますが、御所見を承りたい。
  121. 小林武治

    小林国務大臣 いまの問題、やはり私は検討すべき問題だと思います。今度の重度精神障害者の扶養手当は二十歳にしております。さような例もあって、お話しのような十八歳を二十歳という問題は、非常に大事な問題でありますから、この委員会で今夜可決していただきます法律も二十歳ということにいたしておりますし、他の福祉年金なども二十歳まで延ばせ、こういう問題も出ておりますので、そういうふうな横の関連もあるし、二十歳まで延ばすのは、いろいろ例が出てきておりますから考えたいと思います。
  122. 受田新吉

    ○受田委員 大臣、非常に英断ある御答弁です。私、この問題はこれまた多年主張したことでありますが、いま初めて大臣からこのおことばをいただきました。いままでは、なかなかそういう明快な御答弁がなかった。ちょうどいま十八歳から二十歳、この二年間が非常に大事ですから。大東亜戦争が終わって、一番最後は、胎内にあったお子さんが二十一年にお生まれになっている。いま一番きわどいときです。そういうときにこの二年間が延長される。大学に行くにしても、就職されるにしても非常に大事な時期である。そこで私、提唱申し上げたいことは、すでに戦没者の英霊の未亡人には、給付金支給制度で二十万円、十カ年でお支払いをする制度が生まれました。ところが成年に達し、援護法では十八歳、恩給法では二十歳になると、お母さんもおられない、英霊の御両親もおられないという場合は、子供さんが二十歳、十八歳になるとこの公務扶助料及び遺族年金の恩典からはずされるわけです。ところが十八——二十歳という辺はまだ大学に行く途中でありますし、就職をしたとしても薄給のときです。英霊の子供さんとしてそういう人々に、せめて私は、一人前になって一応独立家庭を持って安定する三十歳のころまでは、戦没者未亡人の給付金と同様に戦没者遺児特別給付金制度なるものを設けて、公務扶助料及び遺族年金の支給対象からはずされておるその家族の中の、何らの恩典に浴することができない人に、せめて三十歳くらいの一応社会的に安定した地位を確保できるころまで特別の給付金——扶助料とか年金とか遺族年金とかいう形でなくて、特別の給付金を支給するという制度を創設されることがきわめて意義あることだと思うのでございますが、御所見はいかがでございましょう。
  123. 小林武治

    小林国務大臣 このお話は、実は私は初めてお聞きする御意見でございまして、いまどうこうということは申し上げられませんが、私も検討すべき御意見である、かように考えます。
  124. 受田新吉

    ○受田委員 そういう制度ができますならば、十八歳で援護法で打ち切られる皆さんも十八歳から十年間ということにもなりますし、その二年の年齢差を解消する手だてとしては名案だと私は思うのです。これは人数等についてもそう多くはないと私は思うのです。この英霊の血筋を受けた遺児を特別給付金制度で救うという提案を、いま趣旨として御共鳴されておりますが、これは御存じのとおり大学生であるか、就職しても薄給のときで、何らの恩典に浴することができなくなった人々にこういう制度を創設されるということは、いま委員長代理もうなずいておられるわけです。大臣、これはぜひひと一つ御検討をお願いしたいと思います。事務当局で、大体戦没者未亡人特別給付金の場合は四十四万という数字が出ておりますが、遺児の場合はおおむねどのくらいの数字になりそうであるか、資料がなければけっこうです。あればある程度お示しを願いたい。
  125. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 お尋ねの的確な資料が実はここにございませんが、現在、公務扶助料あるいは遺族年金等を失権している遺族が約四十万あるわけであります。ただ、この四十万の中には、御指摘のような遺児だけの世帯もあると思いますが、また逆に、両親しか遺族として残っていなかったという世帯で、その両親が死亡されて現在失権中であるという世帯もあるかと思いますので、この四十万の中でどれくらいがそういう世帯であるかちょっとわかりませんが、いずれにしても全体としては失権世帯は四十万あります。
  126. 受田新吉

    ○受田委員 事務当局として見られましても、やはり未亡人給付金支給法ができておる以上は、遺児の救済をするためのこの行き方というものは御共鳴していただけると思いますから、ひとつ御検討をお願いしたいと思うのです。  そこでもう一つは、恩給法援護法に大きな差がある問題として、障害年金の金額にも差があるわけです。もう一つは、款症度において、一方に三款症で打ち切っているという差があるわけです。同じ障害を受けられた方々の苦痛というものは、援護法で適用を受けられる方々といえども同様だと私は思うのですが、この差がそのまま容認されている。もちろん三項症以下に一万五千円、それからおしまいのほうに三千五百円という特別加給制度はできておりますけれども、しかしながら、原則は半額だというこの規定は問題だと思うのです。一項症で二十四万八千円、一方はその半額であるということでは非常に大きな開きがあるのでございます。これはいかがでございましょうか。是正の道は必要でないでしょうか。
  127. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 お話しの点につきましては、やはり傷病恩給受給者との関係を十分考慮する必要があると思うのでございますので、将来恩給局とも十分この点について協議した上で慎重に検討したい、それからやはり傷病恩給につきまして間差等の是正等があります場合には、障害年金についてもぜひそういう措置を講じたいというふうに考えております。
  128. 受田新吉

    ○受田委員 おしまいの間差の是正は、私から次に提唱しようと思っていたわけですが、局長さんから先に持ち出されましたけれども、これは当然のことです。一項症一〇〇とした現行制度の中では下が非常に軽くなっている。これを一つ上に近づける配慮は、恩給法同様に御検討願わなければ問題だと思います。なお、障害年金の款症を三款症で打ち切った理由、並びに準軍属の場合の遺族給与金と障害年金とが、これまた半額であるというこのことを是正する方策はないか、この二つについてお答え願います。
  129. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 三款症で打ち切っておりますのは、大綱においては両方は同じ趣旨でございますが、やはり一方は雇用主としての政府の責任という立場がございますし、またこちらは社会保障的な色彩というものが加味されておりますので、そういう点から若干そこに差がついておるということだと思います。  それから準軍属遺族給与金が遺族年金のほうの半額であるというような点につきまして、実は昨年の改正でかなり準軍属についての処遇改善をいたしたわけでありますが、今後とも準軍属処遇改善については十分検討してまいりたいと考えておる次第であります。
  130. 受田新吉

    ○受田委員 この給与金の半額であるということは、一向改正されていないのです。これは、準軍属という名称を用いさしていただくようになったことは前進でございますけれども、その年金額というものは一向変わっていない。もう一つ遺族給与金という、遺族年金と給与金の差がついている。この給与金という名称は私気に入らないのです。私、臨時恩給等調査会のときに、滝井さんも当時委員でございましたけれども、将来の問題として、これは非常に考えなければならぬ問題だと当時から思っておったわけでございますが、準軍属、学徒動員などであのすなおな子供さんたちが国に殉ぜられた、またつぼみのままで散っていかれた人の御両親、御遺族に対する補償という問題は、やはり給与金でなくて遺族年金として一括したお取り扱いをしてもいいのじゃないか。さしあたり金額の十分の五を前進させるならば恩給特例の十分の六という制度もあるのだし、またもっと近づければ十分の八という制度もあるわけでございまするから、それを一歩でも前進する御配慮がされておれば私はうなづくのでございますが、一向その比率が変わっていない。給与金の名称は私、気に入りません。遺族年金として統一すべきだと思うのです。御所見をお伺いいたします。
  131. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 御承知のように、遺族給与金は最初は年金でなかったわけでありますので、そういう関係もありまして給与金という名前がつけられたということだと思います。ところがその後に、給与金もいわゆる年金に変わりましたわけでありますが、名称は依然としてそのままであります。ただ現在十分の五になっております額につきまして、これが増額等につきましても、過去にいろいろ検討したこともございます。また将来十分検討してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  132. 受田新吉

    ○受田委員 局長さんは非常にまじめな方でありますから、ここで私が発言することは初耳がたくさんあると思いますけれども、非常にすなおなお考えを持たれるだけに、私が提唱している問題はひとつ熱心にお聞き取り願いたい。大臣も非常にすなおにお受け取りいただく方でありますから、すなおなお取り扱いをしていただくことをお願いしておきます。  ここで、今度の改正案の中に、幾つか英断をふるっておられる節を拝見しております。その一つの例は、公務死の範囲を拡大をしていること、また支那事変にさかのぼって措置されておること、関連疾病もお取り扱いをされているということ、いろいろな点で敬意を表するのでございますけれども、ここで問題がある。それは先ほど社会党滝井委員からも指摘されたような差等の問題もありますけれども、今度の遺族の範囲を伸ばす問題について一つの問題があるわけです。一例は再婚解消後の妻に対する遺族年金の支給、このことはフランス等の立法例などを見ましても、むしろ恩給法にいかして差し上げるほうがいいのじゃないか。つまり、いままで恩給法の恩典を受けておった人を、結婚したからというので削除されたわけですから、復活するとすれば、恩給法の適用の中へいくべきではないかと思うのでございますが、御所見を伺いたい。なぜ援護法でお取り扱いになったか。
  133. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 やはりこれは、援護法として取り上げるのがこの性格上適当であるという考え方で、援護法で取り上げた次第であります。
  134. 受田新吉

    ○受田委員 その基準は何かです。英霊の祭祀をされておる途中で、経済上の事情などで戦後の混乱の中で結婚されたけれども、結婚を解消されてお帰りになったおうちは英霊のうちであり、英霊の妻として、またもとのところに帰っておられるのです。それを援護法のほうへお取り扱いになるという根拠は、援護法のほうが適当であるという根拠では、これは何でも適当であると言えばそれまででございますから、立法理由というものを明らかにしないと納得できないのでございますが……。
  135. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 再度のお尋ねでありますけれども、やはりわれわれとしては、現在の援護法の性格からいたしまして、援護法で救済することが一番適当であるというふうに考えた次第であります。
  136. 受田新吉

    ○受田委員 それ以上追及をしますまい。お立場もあるようでございますから、私の気持ちだけを十分くんでいただけばけっこうでございます。  もう一つ、この遺族の範囲拡大の中に、一つ漏れているものがあるわけです。それは、今度の範囲拡大の中に、別戸籍父母、祖父母、孫等に遺族年金を支給する規定ができたのでございますけれども、実際は英霊を自分の子供として育てた実父母でない、もらい子があるとか、あるいは特別の関係で自分の子供として育てて大きくして、それが召集を受け戦死されたという、その事実上の親の立場で子供を育てられた英霊の養い親という立場の方が救われていないわけなんです。これはその御本人にとったならば、英霊をほんとうに命がけで育てて、それがもぎ取られたということになれば、実父母に変わらない立場の方でございますが、こういう方々、これは旧民法と新民法の関係等もあって、お取り扱い上の問題がひそんでおりますけれども、こういう方の現状というものは非常にさみしいものがあろうと思うのです。幾つも例を取り上げたいのでございまするが、この一例だけを、未処遇の中の、子供さんをほんとうの子供として育ててきた実父母でない親、これを救済する手はないか。これは援護法であれば幅を持った解釈ができるはずです。
  137. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 私どもが、個々のケースにつきましていろいろ申請がある中で、現在将来の問題として考えておりますことは、旧民法時代にありましたいわゆるまま親子の関係であります。継親子関係であります。これが新民法になりましてから親関係として認められなくなったということで、まま母であった方が何ら救われていないという事例がございまして、やはりこういう関係は、将来何とか考えていくべきじゃないかというふうに考えておる次第でありますが、いまお話しの事実上の親子関係にあった者というものにつきましては、その事実関係の認定というのは、かなりむずかしいのではないかというふうに考えられますので、十分先ほどの継親子関係を考慮する際にあわせて検討はいたしたいと思います。
  138. 受田新吉

    ○受田委員 事実婚として事実上の親子関係がつくられた者は、旧民法においては、一度入籍しておれば救われることになっておる。しかし、いまのような新民法では、その点について行政上の措置がなかなかむずかしい。しかし、何かの方法でそういう関係を救済する特別措置ができるのです。たとえば未帰還者に対して、厚生大臣は、現状では小林さんは、失跡の民法規定があるにかかわらず、戦時死亡宣言をする権限が与えられておるのです。これは特別立法です。こういう特殊規定もいま生まれているわけでございますから、事実上の親子関係にあったそういう不幸な御両親というものは、ほんとうの子供として育てて、目に入れても痛くない子供として育てた子供さんは、やはりいま局長さんが指摘されたような何らかの方法で救済されるように、大臣ひとつ御考慮をお願いしておきます。よろしゅうございますか。
  139. 小林武治

    小林国務大臣 この問題は、ぜひ検討させていただきたいと思います。
  140. 受田新吉

    ○受田委員 私、別に政府当局を困らせるような発言をしておらないつもりです。非常にまじめな立場で、真実を訴えて、未処遇の皆さんの問題解決に真剣に取っ組んでいただきたいという意味を申し上げて、すなおにお答え願っている、うるわしい質疑応答であることを天下に宣言したいと思います。この点、ひとつ熱心に御検討をお願いいたします。  今度はずいぶんたくさんの改正をされて、膨大な規定が改められておるわけでございますが、この未帰還者留守家族関係で一言お尋ねを申し上げておきます。現に未帰還者である数字は、先般橋本委員から指摘されておったようでございますから、私、数字をお問いしません。この未帰還者の中で、戦時死亡宣言をお取り扱いになった件数が幾つあるか、これをまずお答え願います。これは新しい質問でございます。   〔亀山委員長代理退席、委員長着席〕
  141. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 本年四月一日現在で、一万五千二百九名につきまして宣告が確定いたしております。
  142. 受田新吉

    ○受田委員 相当な数字を戦時死亡宣言にして、民法規定の特別措置をされておられる。その方々は、その瞬間から遺族年金あるいは公務扶助料に切りかえられておる。しかし、残された方々は、これはいま八千幾らやら数字をお示しになられたようでありますが、依然として未帰還者留守家族援護法のお手当を、留守家族手当をお受けになっておられる。そしてその方々は、生死不明の自分の肉親に戦時死亡宣言をしてもらいたくない、生きておるという確信を持って未帰還調査を要望しておられるわけですが、未帰還調査の進捗状況、目下援護局の調査課が御担当されておると思いますが、引き続き未帰還者の実態調査というところをどういう形で取っ組んでおられるか、お答えを願います。
  143. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 一万五千二百九名戦時死亡宣告が確定したと申し上げましたが、四月一日現在で八千五十七人の未帰還者がまだあるわけです。われわれは、この未帰還者の調査につきましては、八千五十七名のほかに一万五千二百九名という方が戦時死亡宣告はされておりますが、やはりこれはわれわれの夫帰還者の調査の仕事の対象にすべき方々であるということで、合計二万三千余りの方々を未帰還調査の対象にいたしておるわけでありますが、新たに新年度の各県におきます重要な事項の一つといたしまして、未帰還者の調査をさらに徹底してやる、あるいはその新しい把握にさらに努力をするということで、特に来週月曜の全国の課長会議におきましても、この点は強く指示いたしたいというふうに考えておる次第であります。幸いに未帰還調査協議会というような団体も誕生いたしまして、この仕事を特に御協力いただいておりますので、われわれも非常に心強く感じておる次第でありますが、この八千五十七名といううちで、生存の可能性があると考えられます者が大体三千七百名おられるわけでありまして、あとの方は非常に生存の可能性が少ないという状況になっております。  未帰還調査の予算は、毎年、ここのところ大体七百万あるいは八百万という程度の予算でございますが、全力をあげてこの問題の解決に尽くしておるということであります。具体的には既帰還者からの多面的な資料をいただくとか、あるいは現地通信の把握によるもの、あるいは国内調査、それから関係当事国との外交折衝、あるいは赤十字社のルートによる話し合いというようなことで・できるだけの手を打ってきたつもりでございます。さらに、先ほど申し上げましたように、本年度はそのために積極的な努力を傾けたい、こういうように考えておる次第であります。
  144. 受田新吉

    ○受田委員 これは人道上の問題としても大事なことでありまするから、生死不明の方々の実態を明らかにして、御遺族あるいは御家族を安心さして差し上げるように——これは少々の金がかかっても私はいいと思うのです。こういうところに金がどんどんかかっていくのは、国民は納得します。したがって、ソ連や中共へ政府職員が直接出かけられて、墓参の方々のお手伝いをされながら実態調査をやるというようなこと、これはたとえ国交が回復してない国であったとしても、こういう問題には積極的にお取り組みになって私はけっこうだと思うのです。現に、私たち、協議会というものをいま大いに育てようと骨を折っておるわけでございまするけれども、未帰還者の実態調査をはかりながら、いかにして実態を明らかにするかということは、これは予算など惜しみなく使わなければならぬと私は感じておるのです。大臣、ついゆうべも中共から墓参の方々が大ぜいお帰りになりましたが、その御遺族の行かれた戦犯の処刑の場所とかお墓へ参られて、その付近にあった石ころを拾って、遺族がなくなられた英霊をしのぶよすがにして帰っておられます。これは胸に迫る思いでございます。こういうことを考えるときに、その未帰還者の留守家族気持ち戦時死亡宣告をされた方も、いつまた帰ってくるかもしれないという希望を持っておられる、そういう方々のためにせっかく骨を折っていただいて、外交上の努力などもしっかりされて、墓参等も、中共、ソ連あるいは南方諸地域、この遺骨収集とあわせて墓参をどんどん皆さんに奨励する。そのためには、もうこういうことは国も打ち切るということではなくして、これからも引き続き国家がお手伝いをしてあげて墓参を進めていく、同時に、未帰還者の実態調査をするということにお骨折りをくださいませ。よろしゅうございますか。
  145. 小林武治

    小林国務大臣 了承いたしました。
  146. 受田新吉

    ○受田委員 ここで関連的な問題が一つあるわけです。私、これまで二回ほど委員会で指摘して、そのままになっている問題がある。それは韓国人、北鮮人あるいは台湾人等で、戦後外国人になった英霊の御家族に対しては、法律の定めるところによって、遺族年金も公務扶助料も支給されてない。しかし、なくなられた当時は、日本軍人として召集を受け、日本軍人として戦死しておる。そういういまは外国人になっているけれども、しかし現に日本へ住み、現に韓国人などはみんな日本に住んで、その英霊のみたまを祭ってある靖国神社にも参拝しておる。靖国に祭られている方もたくさんある。しかしながら、外国人であるということで、これを法律の規定で削除するというやり方でなくて、外国人になったとしても日本軍人としてなくなった方々には、やはり扶助料、遺族年金を差し上げて、かつての祖国に尽くされた、戦死された人に対する霊に報いるということは、これは非常に大事なことです。日韓交渉の請求権に関係することだというような、そういうけちな考えをせぬで、こういうことを先にお取り計らいをしておいても、韓国人にしても、台湾人にしても、北鮮人にしても決して憎みはせぬ、感謝こそすれ憎まない。こういう善政は、そういう外交交渉などの請求権にそれを含めてなんてけちな考えなどせぬで、こちらから自発的にどんどんやったって向こうはおこるものではないのですから、こういうことは、特にいま日本国に住んでおって生活保護法の適用を受けるような不幸な、いまは他国人になっているかつての日本人、かつての日本軍人として戦死した英霊の家族を救済するという非常措置をおとりになる必要はないか。これは私、たいへんな問題であると思いますので、外交交渉などというさもしいことではなくて、独自の見解で御処理されても、決してだれもおこる者はおらない。国際的には、むしろ日本の高い人道主義に敬意を表されると思うのです。国務大臣としての小林先生、これは閣議で御主張されて、日韓交渉の請求権の問題などとは別個に、ひとつ独自の見解で何とかならないものかということ一これはあなたにはなかなかむずかしい課題かと思いますけれども、国務大臣でいらっしゃる小林先生には御発言し得る、他の事務当局には御発言ができない問題です。
  147. 小林武治

    小林国務大臣 ただいまの御意見はごもっともな点もあり、過日の閣議においてもこの問題が出て議論がされておりまして、検討すべき問題としていま扱っております。
  148. 受田新吉

    ○受田委員 検討すべき問題に取り上げていただいた、あなたからも発言をされておられる。そうなれば、私、もうこれは昭和三十年ごろから提唱してある問題ですから、ぜひひとつお手当てしてあげていただきたい。  それから、いま外国人に籍を移された英霊の数がどれくらいありますか、お調べになっておられますか、また、その中で靖国神社に奉祀されておる数字はどのくらいあるか、これは御調査ができておりませんか。
  149. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 ちょっといまここに数字を持ち合わせておりませんのでございます。
  150. 受田新吉

    ○受田委員 御無理は申し上げませんが、これはぜひひとつ数字を明らかにして、これに伴う予算はどのくらい必要であるかということなど、これも外交交渉を抜きにして、独断による日本の英断を世界に示していただきたい。これはひとつ、ぜひ小林さん御在任中に実現をさせていただきたい。国際関係においても非常にいい影響を及ぼします。御善処方を要望申し上げておきます。  さて、ここで、英霊の問題とは別に、長い間の国家公務による名誉の身体障害を受けられた立場の方々の処遇についてお尋ねをしてみたいと思います。  戦傷病者特別援護法が昨年の国会で成立をしたのでございますけれども、これは御存じのとおり、一応法律の体系を一本化したというだけであって、まだ善処をすべき幾多の問題がひそんでおるわけです。これは小沢委員から出たように伺っておりますが、戦傷病者のお世話をする相談員の設置の提案もあったようでありますが、この問題は、やはり私も戦傷病者の皆さんのお手助けを手続上しておる途中でも感じたのでありますが、技術的になかなかむずかしい、書類の調製などなかなか骨が折れる、しろうとではなかなかうまくいかないのです。そういうときに、一応こういう手続上の経験を持つ有能な方々にお骨折りを願って、手続上の相談相手になってあげる。いまこれを県単位に処理されておりますので、ほかの社会福祉関係とは違って、社会福祉事務所にそれぞれこの担当職員がおるわけではないわけでございますから、これに詳しい人はおらぬわけです。せめて各社会福祉事務所単位に一人くらいの相談員を委嘱される——今国会の母子福祉法の中には、初め衆議院では非常勤だけでございましたが、参議院で常勤の制度も設けることができて、つい二、三日前に通ったわけですが、戦傷病者にも常勤、やむを得ないところでは非常勤の相談員というものを、各福祉事務所単位ぐらいに、一人ぐらいは設置されるということがぜひ必要だと思うのです。小林さん、けっこうでございましょうか。
  151. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 来年度におきましては、ぜひこれを予算化いたしまして、何とか設置するようにいたしたいというふうに考えております。
  152. 受田新吉

    ○受田委員 それを設置される基準を、せめて各社会福祉事務所単位に一人ぐらいの割合の人数をひとつ私要望し、またそれに対しては、手続上の経験を持つということになればやはり該当者の中から任命されるのが、学識経験者としても一番適格であるという点も、私申し入れさしていただきたいと思うのです。この点もお含みを願って、御答弁願います。
  153. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 将来そういうものの設置あるいは任命等につきましては、仰せの点、十分参考にいたして検討したいと思います。
  154. 受田新吉

    ○受田委員 非常に真剣に取っ組まれる態度を伺って、敬意を表します。  ところが、もう一つ問題は、戦傷病者の皆さんが、自力更生の意味でみずからの力で立ち上がろうという意欲を持って、お互いも金を出し合い、また皆さんの御協力もいただいて会館を建設しようという計画もあるようです。これは私、すなおに受け取ってあげなければならぬと思うのです。現に動員学徒援護会のほうには一千五百万円の財政措置をして、これに類似の措置をされておるわけでございますが、そういう計画を進める上に、戦傷病者のみずから生き抜こうとするたくましい意欲を大いに助成するという意味から、そういう場合に国家予算のお手伝いなどもするということが可能であるかどうか。これも、特に自力更生をしようとする意欲に燃えた皆さんに対して、政府が誘い水をかけてあげるという心がけは、愛情ある厚生省政治としては大事なことだと思うのですけれども、御答弁願います。
  155. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 日本傷痍軍人会におきまして、東京に戦傷病者会館を建設されるような計画があるように聞いておりますので、政府としましても、これが国庫補助等につきまして十分検討いたしたいというふうに考えております。
  156. 受田新吉

    ○受田委員 非常に誠意のある御答弁です。こうした財団法人的な性格を持ったまじめな機関に対しての国庫補助は、国民も納得することでございますので、ぜひひとつ御決定を願いたいと思う。  ここで法律案に戻って、こまかい問題に二、三触れておきたい点があります。今度の改正点で、未帰還者が死亡の事実が判明するという場合に、葬祭料の額をちょっとほど引き上げたのですね。この程度の増額で一体お葬式ができるかどうかという問題があるわけなんです。このちょっとナンセンスの増額の理由を御説明願いたいのです。
  157. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 もちろん、今度の引き上げ額は必ずしも十分であるとは申せませんが、他の制度における葬祭料との均衡を考慮いたしまして、一千円引き上げることといたしたわけであります。
  158. 受田新吉

    ○受田委員 いまどき千円というのは、お花を二、三本立てたらなくなるのです。時代が変わっているのですから、これもひとつ思い切った措置をされても、決して国民が納得しないことはないわけなんですが、未帰還者であると思っていた方がなくなられたと聞いたときに、その御遺族に対する葬祭料は、やはり相当額の思い切った増額措置をされてしかるべきではなかったか。これはチャンスですから、もう援護法ができた年から十二年もたって、今日情勢が変わっておるのですからね。それから遺骨の引き取りの旅費、こういうものもひとつ改定されて、静かに英霊となって帰られた方と一晩一緒に休まれて、英霊と一緒に帰られるという、そういう遺骨を引き取るときの旅費の改善なども、ひとつ一緒にあわせてもっと奮発していただきたいと思うのですけれども、これは何とかなりませんか。
  159. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 われわれとしても、この増額等については将来ともできるだけ努力したいと考えておりますが、他の制度におけるかようなものの額との関係がございますので、やはりそういうものとの均衡を考えつつ善処してまいりたいというふうに考えております。
  160. 受田新吉

    ○受田委員 これは私、たびたび指摘して申しわけない、くどいようでございますが、国家補償の精神に基づくものと、それからしからさるもの——もちろん未帰還者の中には一般邦人があるので、一般邦人の場合は国家補償の精神ではない、こうおっしゃればお話は別です。しかし国の責任の戦争処理に伴う犠牲者に対して、これは国家補償の精神というものを、未帰還者留守家族にも同様に適用していいわけです。未帰還者留守家族法律には「国の責任において、」と書いてある。国家補償ということばがない。変わっておるのです。国の責任ということばは、やはり私は国家補償の精神と同格に据え置く精神と理解をさしてもらいたいのですが、政府としては、国の責任、国家補償の精神、これは同等の取り扱いと了解をしてよろしゅうございますか、いかがでございましょう。
  161. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 さように考えてまいりたいと思います。
  162. 受田新吉

    ○受田委員 きわめてはっきりしておられます。そのとおりです。これは法律の文章を、私当時、未帰還者留守家族等援護法のときに、国の責任ということばは適当でないという質問をした記憶があるわけでございますが、いま局長さんは全く同等に考えるということで、非常に前進しております。したがって、一般邦人の場合もそうした国の責任で不幸な状態になった方々でありますので、ひとつ同等の精神でお取り扱いを願いたい。適当な機会にさらにいま申し上げました遺骨引き取り旅費、葬祭料をひとつ大幅に増額してあげて、もう経済も安定しておる、開放経済まで前進しておるのですから、この機会に未帰還者の留守家族の方々の中で、死亡という悲しい現実にぶつかった方々をひとつお救いをして差し上げたいと思います。  きょうは、法律論争をされる方で法制局がおられるとまことに都合がいいのでございますが、私、通告を忘れたので、厚生省のお考えをひとつただしてみたいと思います。  それは、靖国神社と千鳥ケ渕の墓苑、この二つの英霊を祭る機関があります。千鳥ケ渕墓苑は、厚生省が御尽力をされてつくられたわけでございますけれども、この墓苑はいま御所管が国立公園部の中に入っておるので、援護局長さんとしては御答弁がなかなかむずかしいでしょうが、大臣としては、これはちょっと質問の通告をしておけばよかった問題でございますけれども、いままでお聞き取りになって、お考えの範囲内でけっこうでございますが、千鳥ケ渕墓苑の性格と靖国神社の性格というもの、これは英霊をお祭りしている立場では同じ精神ではございますけれども、靖国神社には氏名のはっきりわかった方が奉祀されてある。千鳥ケ渕墓苑では、姓名のわかった方もあるけれども、無名の方がおられる。しかし千鳥ケ渕墓苑の考え方というものは、各地域における英霊の象徴的なものをお祭りしてある墓苑であると了解をさしていただきたいのでございますが、これは厚生大臣、大体そういう英霊の象徴的な奉祀された墓苑である、これは厚生大臣が草葉さんのころにお始めになられて、いま毎年お祭りされておるわけです。これはあなたの御所管の中で非常にいま参拝者も多くなっておるわけですが、そういう判断でよろしゅうございますか。
  163. 小林武治

    小林国務大臣 これはただいま受田委員お話しように、象徴的な遺骨を各地から収集して、お祭りをしてあるというふうに考えております。
  164. 受田新吉

    ○受田委員 私、この靖国神社のお名前のわかった方々をはっきりお祭りしてあるところと、象徴的な立場でお祭りしてある、この二つの英霊のお祭りしてあるところがあることは、けっこうだと思うのです。諸外国にも無名戦士の墓と英霊をお祭りしたところがありまして、そこに旅行される方々も参拝をするという美風がある。日本の場合も、そういう意味で靖国神社も千鳥ケ渕墓苑にも、諸外国の日本旅行者が、きれいな気持ちで参拝をしてもらうような方向に持っていかなければならぬと思うのです。  そこで、靖国神社の問題として、憲法の二カ条にわたる立場からの、現状を国家護持にすることは困難であるという法制局の意見が一応出ておるのですけれども、しかし厚生省としては、また御遺族をお守りになるお立場の役所でございますから、国家護持の性格というものを何かの形、靖国神社の国家護持の性格を、国民全体の尊敬できるような形を事実問題としてとっていただくような方法はないものであるかという、これは非常に問題が重大でございまするけれども、何かの形で国全体が、祖国に殉ぜられた方々をお祭りするという形に持っていける方法はないか。大臣としても、一応日ごろ考えておられることだと思いますので、御所見を伺いたいと思います。
  165. 小林武治

    小林国務大臣 この問題は、今日私からはっきりしたことを申し上げるのは適当でない、こういうふうに考えております。私個人の意見は持っておりますが、政府としてどうこう、こう言うことは差し控えたいと思います。
  166. 受田新吉

    ○受田委員 よろしゅうございます。政府として態度がきまっていないということであります。しかし、すなおな国民感情から、よし一部に異論はありましょうとも、これは国全体の立場から見て、祖国に殉ぜられた方々を国がお守りする、お祭りするという行き方は、これは決して特定の宗教法人などという議論で解決すべき問題じゃないと思うのです。ひとつ大所高所から、この問題はあまりむずかしい政治問題と考えないで、すなおな考え方でこれを処断される、法制局に対しても、そういう意味でひとつすなおな考え方で処断されることを要望申し上げておきます。  いま個々の問題に触れていきかけたわけでございますが、ここでもう一つ、いま比率の問題に関係する恩給特例法なるものがあるわけです。内地平病死、この方に対する十分の六という比率の規定ができておるのでございますが、これはどうでしょうか、局長さん、この十分の六という、当時内地で平病死されたんだからという軽い気持ちで、何とか処遇したいという気持ちでスタートしたと思うのですけれども、この十分の六とか十分の五とかいうこの比率は、一つ問題があると思うのです。英霊としてお取り扱いをする以上は、そこへ一つの線にまとめる方向へ前進しなければならぬと思うのでございますけれども、これは遺族給与金にもつながる問題です。それから先ほど滝井委員から指摘された、支那事変の場合の十分の六にも関係する問題です。同じ立場で英霊となり、身体障害者となった方々たちにも、そういう問題の解決の大目標のもとに、同一水準に置くという形をおとりになる方向が、国家に殉ぜられた方々に対する取り扱いとしては公平ではないかと思いまするが、これは御答弁はむずかしいのでございますか。これはひとつ大臣から御答弁願いましょうか。
  167. 小林武治

    小林国務大臣 ただいまのことは、ひとつ今後の問題として検討させていただきたいと考えます。
  168. 受田新吉

    ○受田委員 一応私の提案した方向へ検討させていただくことでございますか、いかがでございますか。
  169. 小林武治

    小林国務大臣 お話しのような方向へ向かうように検討いたしたいと思います。
  170. 受田新吉

    ○受田委員 御意思のほどがはっきりしました。  そこで、ここに問題が別の方向であらわれてきておるのでございまするが、国民年金との併給制度、今度これが八万円に改正されてきたわけです。これで、公務扶助料の引き上げで七万三千円未満でございまするので、公務扶助料の場合も、遺族年金でも、併給の立場はこわされないということになっておるわけです。これは各党とも御賛成申し上げたわけです。この社会保険の国民年金と、それから国家補償に基づく遺族年金あるいは公務扶助料という形は、今後扶助料や遺族年金が引き上げられるつど、国民年金の改正をあわせて行なって、併給制度はこれを存置するというたてまえでおありになるのか、これは一般社会保障制度の社会保険的な性格のものとの関係で非常に参考になることでございまするので、いま私が申し上げた方向をひとつお示し願いたい。
  171. 小林武治

    小林国務大臣 これは、方向としては併給の制度を存置するという、こういう方向で考えなければなるまいと思っております。
  172. 受田新吉

    ○受田委員 その方向もはっきりしております。私、非常に納得さしていただきます。  私、ここで特にこの際、政府の見解を明らかにさせていただきたいことは、大東亜戦争の様相が、これは決してそれ以前の日清、日露などと違ったいわば全面戦争であった。したがって、全面戦争の様相の中に、国家の至上命令で動いたという意味においては、なくなられた方も傷ついた方も、同じ立場で生命をささげられ、からだを傷つけられておる、こういう考え方を基本的にはっきりとここで確認をさせていただきたいのです。その中に、さっき申し上げた恩給法援護法の差等解消という問題も含むし、今後の未処遇者の処遇という問題も含みます。この基本的な考え方さえはっきりしていただくならば、残された問題もおのずから解決すると思いまするので、戦争の性格、支那事変から大東亜戦争に及ぶ戦争の規模、その影響力から見て、いま私が指摘した点を御了承いただけるかどうか、これもひとつ伺いたい。
  173. 小林武治

    小林国務大臣 いまその問題を直ちに了承するというわけにはまいらぬことでありますが、これからまたいろいろの考え方があり得る、いまのままですべての考えが停止するものだとは思いませんが、この際すぐにさよう了承したとは申し上げかねる、こういうふうに思います。
  174. 受田新吉

    ○受田委員 それは大臣、すなおにお考えになられたらいいのです。別にそれはあげ足をとるような問題ではないのですから。いろいろな形で国家の至上命令が発動されておる、その方々に対する処遇を同じ水準にするという、先ほどからの御答弁にもつながるわけですから、ひとつその点を御検討願いたいと思う。  そこでもう一つ、基本的な大きな問題があるのです。ベースアップに伴う措置、これは私、お尋ねする大事な問題に取り上げておるのです。これは恩給法関係を持ちますので、厚生省の側ではどうお考えになるかの御答弁を願えればけっこうです。もう物価上昇と国民生活の高度化という点は動かすことができません。したがって、公務扶助料と対応する遺族年金あるいは未帰還者の留守家族手当、こういうものが、もういまの水準で適当であるという段階ではないわけなんです。公務扶助料が上がれば、遺族年金を上げるという意味ではなく、むしろ厚生省のほうから、社会生活をする上において現在の年金ではとても遺族の生活を保障し、あるいは傷痍軍人の不自由なからだを動かしての社会生活は困難である。このあたりで、物価上昇に伴い、高度の社会生活を営む日本国になったのであるから、ひとつ思い切った年金及び扶助料の増額措置をする段階ではないか。公務扶助料の増額を待つという意味ではなくして、そういう国民生活の面からの適当な年金額、手当額の昇給というものをお考えになる時期が来ておると思うのです。これは、国民生活に直結するお役所である厚生省の側からむしろ声を出していただくほうが、へ理屈を言う役所よりははるかに効果があると思うのでございますが、ひとつお答え願います。
  175. 小林武治

    小林国務大臣 これはもう一般問題として、さような考えでいくべきだ、かように考えております。遺族年金に限らず、いろいろな問題がほかにもあります。それらのベースアップというようなことは考慮しなければならぬ、このように考えております。
  176. 受田新吉

    ○受田委員 これは一般問題という形であればそれまででございますけれども、やはりそこに国の至上命令で動いた立場の皆さんの側から見ると、そこにまた別の観点からの要望が出てきておるわけです。一般問題は当然考えなければいけません。しかし、いまの遺族年金あるいは障害年金が適当な額であるという立場を一般の問題とつないでお考えになる考え方、一般の問題は一般の問題として当然考えなければいけませんけれども、そういう特別の立場を考慮した御処置というものが必要な時期ではございませんでしょうか。
  177. 小林武治

    小林国務大臣 これはまあお話のとおりと思います。
  178. 受田新吉

    ○受田委員 これはこの十月から遺族年金の残り半分が引き上げられるわけです。もう次の段階として、来年度予算にひとつ思い切った措置をされることを、むしろ厚生省の側から推進をされるように希望する。同時に、これは一般の物価上昇、公務員のベースアップ、こういう問題に終始追っかけていかなければならない大事な問題でもあるわけでございますから、そうした現職の公務員の昇給昇格よりもあまりにもかけ離れた、取り残された立場に置かれないように、きわめて接近した立場で終始これに追っかけていく、そういうスライド的な性格をもって年金額というものがふえていくように御配慮される必要はないでしょうか。これは国務大臣としてのお考えがあると思います。
  179. 小林武治

    小林国務大臣 スライド制の問題は、ほかにもいろいろ問題がありまして、私は、考え方として、やはり何らか具体的にスライドのことを考えなければならぬということで、これらの問題も関係の向きで検討をいたしておるわけでございます。
  180. 受田新吉

    ○受田委員 スライドの問題もあわせて検討しておられる。そこで御期待を申し上げたいのは、来年度予算にこの問題の大幅な処遇改善の結論をお出しいただくように、閣僚の一人として御推進を願いたい。  いま一つ、これは事務当局でけっこうですが、遺族年金及び障害年金並びに留守家族手当等の支給状況、そして書類不備等によって手続上却下され、あるいは不服申し立てによる取り扱いをされる等、最近非常に困難な問題だけが残っておると思うのです。いま厚生省でお取り扱いになられている遺族年金、遺族給与金、それから障害年金の未処理の、しかしながら進達をされている書類がどれだけ残っているか、その残っている書類の中身はどういうようなのがあるか、お答えを願いたいのです。
  181. 八木哲夫

    八木説明員 援護法関係遺族年金につきましては、未裁定の件数が、ことしの一月一日現在で一千三百六十八件でございます。障害年金につきましては、同じくことしの一月一日現在で六十二件が未裁定になっております。  それから、この未裁定のおもな理由でございますが、当時の物証資料等がなかなか集まらないというふうな問題もございますし、最近になりまして資料等が整って、新しく出てきたというようなケースもあるわけでございます。
  182. 受田新吉

    ○受田委員 未帰還者留守家族手当の軍人軍属並びに一般法人別による数字をお示し願いたいと思います。
  183. 八木哲夫

    八木説明員 留守家族手当の現在の受給者の調べでございますが、軍人につきましては三十九年四月一日現在で十二名、法人につきましては五十一名、計六十三名でございます。
  184. 受田新吉

    ○受田委員 未帰還者留守家族手当がいまの未帰還者の数の中で非常に少ないわけですけれども、その手当申請に疑義があるというので、手当を出していない向きがあるわけでございますね。
  185. 八木哲夫

    八木説明員 未帰還者留守家族手当につきましては、援護法の未裁定状況と異なりまして、疑義があるからというので支給対象外になっているというのは、ほとんどないというふうに承知しております。
  186. 受田新吉

    ○受田委員 大体これははっきりしておるわけだけれども、やはりそこに所在が明確でないというようなので疑義が起こっているのがありはしないかと私は思っているわけなんですが、これはもうむしろ在外事実だけを何かの形で証明することですべてが救われると思います。ただ、ここで未裁定の千三百六十八件という援護法関係の分、この中でさらにお聞きしたいのは準軍属、特に準軍属遺族生計主体者という制限を一応抹殺したわけでございますが、その軍人軍属、準軍属別の数字をひとつ示していただきたいのです。
  187. 八木哲夫

    八木説明員 未裁定件数千三百六十八件のうち軍人につきましては四百七十七件、軍属につきましては百六十件、準軍属につきましては七百三十一件という数字になっております。
  188. 受田新吉

    ○受田委員 この未裁定の処理の中で、私、ここで特に行政措置上御配慮願いたい幾つかの問題を指摘したいのです。たとえば公務性がはっきりしないというようなこと、あるいは証明の不備というようなことで、もうだれが見ても遺族として、軍属としてお祭りもしてある、葬式もやってある、こういうようなものであって、なおかつ書類不備のためにこれが取り残されておるというのが私はたくさんおありだと思うのです。このときに、そういう書類上の不備を何かの形で、たとえば市町村長証明、民生委員その他社会的に信頼のある人の証明等の、これにかわる形のものでこれを御措置されるという御用意がないだろうか、そういうことによってこの未裁定の、これは公務扶助料にも波及するわけでございまするが、御相談をされて、未裁定、すでに地方の世話課から進達をしてあるというものについては、幅広く行政措置によってこれをお救いになるという時期が来ておるんじゃないかと思うんです。これについての未裁定の非常に困難とされている事情、及び私がいま指摘しました特別の高度の行政措置、政治配慮と言ってもいいと思うのですが、こういうものによって未裁定の解決を急ぐ方向をおとりになるべきじゃないかと思います。御答弁願います。
  189. 八木哲夫

    八木説明員 先生御指摘のとおり、現在千三百件の未裁定の案件があるわけでございますが、私どもといたしましては、待っておられます遺族の方々のためにできるだけ早い促進をはかりまして、法的な立証書類等がないものにつきましても、できるだけ何らかの方法で、たとえば都道府県あるいは市町村を通じまして職員が現地で実態調査をするというような方法も場合によってはとりまして、できるだけ裁定を促進いたしたいというふうに考えておる次第でございます。
  190. 受田新吉

    ○受田委員 この未裁定の中には、すでに弔慰金をもらった人がほとんど全部でございますね。これははっきりしますね。
  191. 八木哲夫

    八木説明員 弔慰金の支給対象になっている方は、ほとんどこの中には入っていない数字であるというふうに御了承願いたいと思います。
  192. 受田新吉

    ○受田委員 弔慰金を一たびもらっておる、これは昭和二十七年当時の法律のときには、弔慰金を全部の方に差し上げたわけです。そのとき漏れた方はもういないわけですか、その当時からの懸案の分は……。
  193. 八木哲夫

    八木説明員 ただいまの答弁、必ずしも十分でなかったのでございますが、弔慰金の支給対象になっておらなかったという方がこの未裁定の中に入ておるわけでございますので、すでに弔慰金の支給の対象になっておったという方々につきましては、この数字の中には入っておらないというわけでございます。
  194. 受田新吉

    ○受田委員 それがあるのです。つまり、弔慰金はもらったけれども年金も扶助料ももらえない、こういう方が当然あるわけです。おありでしょう。だから、その弔慰金をもらった方は、すでに一応弔慰金をいただくときの認定資料があるわけです。それをもとにされて弔慰金は差し上げるけれども、年金は差し上げられない、こういう立場の方というものは、弔慰金を差し上げた方には救われる要素が入っておるわけですから、そういうことを前提に、いま最後に御答弁いただいたようにできるだけの配慮をして未裁定の全面処理をしたい、こういう御配慮を——これは、はっきりここで申し上げますが、少々政治的配慮でけっこうです。お国のためになくなられたということだけで、一応世話課から上がってきた書類は、いろいろな点でもう大衆が認めている御遺族でございますので、その点をお含みの上、御配慮をお願いしたいと思います。  なお、時間があるようですから、この機会に総ざらいをします。民社党に久しぶりに長時間の質問時間を与えていただいたわけで、非常にありがたい機会に、残された問題を総ざらいしてお尋ねをさせていただきます。日ごろから、私、こういう機会にお尋ねをぜひいたしておきたい問題が幾つかあるわけでございますが、特にこの戦傷病者戦没者遺族等の援護法は、厚生省としても非常に熱心に取り組まれ、引揚援護庁、引揚援護局、さらに援護局と時の流れを追いながらも、非常に熱心に御処理をしていただいて、少なくとも戦後処理の大事な英霊諸君については、厚生省がずいぶん御尽力をいただいたことは私はよく認めます。  そこで、そのとうとい御努力のあとを、この機会にずばっとりっぱな答えを出して、問題の処理をはかっておいて、歴史に残る援護局の事業として後世にとどめてもらいたいのですが、援護局としては、この未帰還者及び戦傷病者戦没者の処遇の今後の見通し、事務量から見て、今後の見通しをどういうふうにいたしておられるかということ、これは行政上の問題として、事務量からくる援護局のお仕事というものは、局長さんが十分御承知いただいておると思います。特に、いま私が指摘したこの援護法関係の事務量の将来の見通しをお答え願いたいです。
  195. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 本年の一月の閣議決定で、戦没者の叙勲を行なうことになりまして、この二百万有余の戦没者の方の叙勲を、一応五ヵ年で終わるということになっております。ところが、現実に始めてみますと、遺族の調査その他に予想外に手間どりまして、いままでのところ、一万五千人くらいの叙勲しか終わっていないということで、本年度二十万、それから来年以降は四十万ずつという予定で一応五ヵ年ということでありますが、よほど馬力をかけないと、五ヵ年では終わりそうもないような状況でございます。そういう新しい仕事が、最低五ヵ年分あるいはそれ以上に現在ある。それから、そのほかに従来やろうとしてやれなかったいろいろな仕事がまだ残っておるわけでありまして、一例をあげますと、きのうも御質問を受けました戦没者の方が、一体どういう状況で具体的になくなったのか、遺族の方には全然わかっていないというようなことがありますので、これはやはりもう一度その辺の詳細をできれば遺族の方にお知らせするような仕事もまだ今後の仕事として残っておるというようなことで、いままで二十年と申しますか、倉卒の間に非常に急いでやった仕事でいろいろなこぼれがあるわけでありまして、それをさらに反省して補うと申しますか、つくろうと申しますか、そういう遺族の方がまだ非常に待望しておる仕事がいろいろありますので、やはりそういう仕事をこれからやっていきたい、こういうふうに考えております。したがいまして、従来援護局の定員はわりあい減ってきておりますけれども、少なくともここ当分は横ばい——増員は実際上むずかしいかもしれませんが、横ばいということで、しかもかなり忙しい仕事になるという見通しでございます。
  196. 受田新吉

    ○受田委員 いまの死没者、戦没者叙勲の問題、これは五カ年計画で完全に処理をしようというお考えでございます。これは、私、賞勲部からもそのことをお聞きしておりまするし、また非常に特殊な方があって、その叙勲の証書にきれいな気持ちでお名前を書くことを専門で申し出られた奇特な方も伺っております。これは前の美山さんでしたか、なかなかそういう崇高な精神の方によって死没者叙勲というものが今後早期に解決できるように、これは援護局のお仕事として非常に大事なことでございまするから、ひとついま指摘されたことを実行していただきたい。  もう一つ、特に今日、この戦争のあとの日本の引き揚げ援護記録というものは、すでに厚生省で二、三回お出しになっておるようでございまするが、歴史に残る記録を、援護局があった時期にこういうことをやったのだというとうとい記録をひとつこのあたりで収録していただいて、日本の歴史の上に、戦後の戦没者の処遇、引き揚げ者の援護、引き揚げ促進の歴史、こういうようなものをまとめて、ひとつ後世に残す記録をぜひとどめておいていただきたい。これは大臣としても、ある程度の予算をお取りになっても、特殊の事情にあった日本の戦後の二十年史というものをひとつ厚生省で御立案願うことをお願いしたい。  お話がまとまったようでございまするから終わりますが、そこで最後に一言、今度の法律改正によって新しく遺族年金を受ける妻の再婚解消後の遺族年金を受ける奥さんたちにも、二十万円の未亡人給付金は当然支給されるものですね。
  197. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 今回の改正によりまして遺族年金を新たに受けられる戦没者の妻の方には、実は特別給付金は支給できないことになっております。といいますのは、昨年の四月一日現在扶助料等をもらっておられる方に特別給付金が出るようになっておりますが、今回新たに遺族年金を受けられる方には、遺憾ながら特別給付金は出ないということになっております。
  198. 受田新吉

    ○受田委員 それは片手落ちでございます。あの法律改正される必要があります。これはやはり、遺族年金を受けられて英霊のお守をされる奥さんとしては同等でございますから、未亡人給付金の支給基準の改正を当然されなければならぬということを私は御要望申し上げておきます。同時に、重症度の戦傷病者の奥さんに対して、これは長い生涯を通じて重い戦傷の夫を介護されるものでございますので、この重症の戦傷病者の奥さんに対しての特別給付金制度というものは、当然御考慮していただきたいと私は思うのです。この点もひとつ御答弁をお願いして、長時間にわたる私の質問にピリオドを打たしていただきたい。
  199. 鈴村信吾

    鈴村政府委員 お話の点、将来、改正の際に十分検討いたしたいと思います。
  200. 受田新吉

    ○受田委員 それではどうも失礼いたしました。
  201. 田口長治郎

    ○田口委員長 河野正君。
  202. 河野正

    ○河野(正)委員 いろいろと、連日にわたりまして戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部改正に関しまする質疑応答が行なわれてまいったわけでございます。その間、それぞれ各委員から御指摘ございましたように、なるほど今日までの改正によりまして、たとえば公務範囲の拡大、あるいはまた対象の拡大、不均衡の是正という、やや前向きにこの法案改正が行なわれてまいりましたことにつきましては、私ども全く同慶の至りに感じております。しかしながら、各委員からそれぞれ具体的に御指摘がございましたように、なお不十分な点あるいはまた不均衡に失した点、多々問題点があっただろうというように考えております。そこで、私は、先般の委員会におきましても、要は、それらの援護に対しまする厚生省の姿勢という問題が非常に重大な要素を持つということを強く指摘をいたしてまいりました。本日は最終段階でございますし、あらゆる問題点の集約が行なわれましたからいろいろ申し上げませんけれども、要は、この援護法そのものに対しまする運営あるいはまた考え方の中で、厚生省としても血の通った心がまえ、あるいはまた運営というものが行なわれなければならぬ。この点は、特に強く私は要望をいたしてまいりたいと考えております。  とにかく私は、そういう意味から、時間の制約はございますけれども、特に一、二の点について若干申し上げておきますが、たとえばこの援護のあり方につきましても、先般の委員会におきまして私がいろいろと御指摘を申し上げましたように、厚生省の行政の態度において非常に問題がございます。特に私は、外地引き揚げの問題、あるいはまた遺骨収集の問題、死亡宣告の問題等々、具体的な例をあげて指摘をしてまいりましたけれども、それらに対しまする厚生省の今日までのあり方というものが、血が通っておったかということにつきましては、まことに残念でございますけれども、われわれは厚生省に多くの反省を求めなければならぬというふうに考えております。さらにまた、本日非常に大きな問題となりました、いわゆる非公務の点につきましても、たとえば具体的に申し上げますならば、大東亜戦争の際におきまする非公務の場合と、日華事変の際におきまする非公務の場合とに不均衡がありますことは、御案内のとおりでございます。私どもは、やはり戦争犠牲者のすべての犠牲を救済していく、また遺族あるいはそれぞれ戦争犠牲をこうむりました方々に対して国があたたかい手を伸ばしていく、そういう意味においても、いま私が具体的に指摘をいたしましたような大東亜戦争と日華事変との間に不均衡なりあるいは不公平な差別が行なわれておる、こういうことにつきましては、私どもはとうてい容認していくわけにはまいりません。  そこで、今日まで私どもが指摘をしてまいりましたように、根本的にはやはり血の通った行政を行なう。具体的にはいろいろございます。ですけれども、私は、きょうは時間がございませんからあえて申し上げません。そこで一つ申し上げておきたい点は、いま申し上げまするように血の通った行政の中に、大東亜戦争あるいはまた日華事変等に従事された軍人軍属、または遺家族の方々その他において差別待遇が行なわれ、不公平な処置が行なわれる、こういうことは適切な処置ではなかろうというふうに考えます。この点に対します大臣の率直な意見をひとつお聞かせをいただきたい。
  203. 小林武治

    小林国務大臣 ただいまの御意見は私も同感でございまして、均衡のとれた、また血の通った行政のしかたをすべきだ、お話しのとおりであります。なお、特にお話しのありました支那事変中の非公務に関する遺族年金及び障害年金につきましては、公務の場合の十分の六となっておりまするが、この間の均衡の問題につきましては、今後すみやかに検討をいたし、少なくとも実態上不公平にならないよう、政府としては最善の努力をいたしたいと思います。
  204. 河野正

    ○河野(正)委員 大体前向きの形で御答弁を願ったわけでございますが、私どもといたしましては、それはぜひそういう不公平というものはすみやかに停止されるべきだ。そこで、こいねがわくは今国会の中でということで、私どもは当初考えてまいりました。いろいろ事情もあるようでございますけれども、そうであるといたしますならば、それはやはりすみやかにということは、少なくとも来年度においてそういう均衡の是正というものが考えられなければならぬというふうに考えるわけでございますけれども、具体的に私どもそのように理解してよろしいものでございますかどうか。あらためてひとつお答えをいただきたい。
  205. 小林武治

    小林国務大臣 その向きで最大の努力をいたします。
  206. 河野正

    ○河野(正)委員 そこで、もう一点だけ、時間の制約がございますけれども御指摘を申し上げて、大臣の率直な意見を聞かしていただきたいと思いますが、私ども、委員会におきましても、かねがね一切の社会保障的な政策を取り上げてまいりました。その中で、それぞれこの委員会におきまする意向というものが尊重されて、だんだん前向きの解決をはかりつつあるわけでございますが、それらの点に関連してでございますけれども、やはり戦争犠牲者、特に戦争によって傷つきました犠牲者、こういう方々と一般の身体障害者との様相と申しますか、性格というものには若干の相違があろうと思います。そこで、それらの諸君に対しましては、やはりそれらの実情なり性格に合うような行政措置というものが行なわれなければならぬであろう、こういうふうに私ども痛感をいたすわけでございます。  具体的に申し上げまするならば、この戦傷病者の授産の問題にいたしましても、あるいはまた補装具等の問題におきましても、また職業補導等の問題におきましても、やや一般の身体障害者とはおのずから異なった面があろうかと考えます。そういう意味で、身体障害者におきまする福祉司というような制度もございまするけれども、やはりその面におきましては、この戦傷病者援護にふさわしい相談員的な制度というものが取り入れられるべきではなかろうか、こういうことを考えておるわけでございます。それらの点につきましても、ひとつ率直な意見をお聞かせをいただきたい。
  207. 小林武治

    小林国務大臣 ただいまお話しのよろなことは、関係者の間からもかねてから要望されておりますから、それに昨年戦傷病者の特別援護法もできましたが、これは単に法律の整理でありまして、内容等きわめてまだ不十分なものがある、こういうことでありますので、お話しのような方向にひとつ考えるべきである、かように思っております。
  208. 河野正

    ○河野(正)委員 これまた前向きのお答えをいただきましたけれども、やはり私ども母子福祉法の審議の際にも、いろいろと相談員の問題等におきまして、政府に対しまする善処をお願いしてまいりました。そこで、こういう問題を徹底的に遂行するためには、やはり常勤、専従と申しますか、そういう相談員という形でぜひ実現をはかっていただきたい。そういたしませんと、母子福祉法の問題の際にもいろいろ問題になりましたけれども、ややもいたしすまと非常勤のままなしくずしでこの問題が解決される、そういう可能性がございますので、それらの点につきましても率直な意見をお聞かせいただきたい。
  209. 小林武治

    小林国務大臣 ただいまの問題につきましては、先ほど局長からも、来年度予算においては相談員を置きたい、こういうことを申しております。その際、他のいまの母子相談員等の問題も、常勤のことも考えたい、かように考えます。
  210. 河野正

    ○河野(正)委員 時間の制約もございますので、以上大体問題点を取り上げてまいりましたけれども、いずれにいたしましても、要は厚生省が、厚生行政の中で血の通った形で運営していただくということがきわめて重要な要件だというふうに考えております。そういう問題から申し上げますと、今日この委員会の中でもいろいろ問題点として取り上げてまいりましたように、いろいろ問題点がございます。それらの問題点につきましては、一通り大臣も十分尊重し、また十分反省をし、そして遺家族援護の実というものが完全に果たされてまいりますように、そうして戦争犠牲者に、あるいは遺家族の方々に対して十分な処置が行なわれますように、この点は強く要望をいたしまして、私の質問を終わります。(拍手)
  211. 田口長治郎

    ○田口委員長 他に御質疑はありませんか。  なければ、これにて戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する質疑は終局いたしました。     —————————————
  212. 田口長治郎

    ○田口委員長 次に、本案を討論に付するのでありますが、別に申し出もありませんので、直ちに採決いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  213. 田口長治郎

    ○田口委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  214. 田口長治郎

    ○田口委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。     —————————————
  215. 田口長治郎

    ○田口委員長 この際、小宮山重四郎君、河野正君及び本島百合子君より、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対し附帯決議を付すべしとの動議が提出されておりますので、その趣旨の説明を求めます。小宮山重四郎君。
  216. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員 自由民主党、日本社会党及び民主社会党三派共同提案にかかる戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対し附帯決議を付するの動議を提出いたします。  案文を朗読いたします。    戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議   政府は、日華事変中の非公務に関する遺族年金及び障害年金の額について、大東亜戦争中の同種のものと均衡を図る措置を速やかにとるべきである。   なお、戦傷病者援護については相談員の設置等援護内容の充実に努めるべきである。以上であります。  その趣旨は、案文で明らかでありますので、省略させていただきます。  何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。
  217. 田口長治郎

    ○田口委員長 本動議について採決いたします。  本動議のごとく決するに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  218. 田口長治郎

    ○田口委員長 起立総員。よって、本案については小宮山重四郎君、河野正君及び本島百合子君提出の動議のごとく附帯決議を付することに決しました。  この際、小林厚生大臣より発言を求められております。これを許します。小林厚生大臣
  219. 小林武治

    小林国務大臣 ただいまの御決議の趣旨に沿うよう努力いたします。     —————————————
  220. 田口長治郎

    ○田口委員長 ただいま議決いたしました本案に関する委員会の報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  221. 田口長治郎

    ○田口委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。   〔報告書は附録に掲載〕
  222. 田口長治郎

    ○田口委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は公報をもってお知らせすることとし、これにて散会いたします。    午後八時五十一分散会