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滝井委員 ここらはなかなか微妙でむずかしいところですけれども、いま申しましたような、アイスキャンディーの持ち運びをやるとか田植えの加勢にしかたなく行くとかいうようなものは、本人がもし私は
就職促進の
措置をしてもらいたい、一
般失対にぜひ行きたいということになれば、私はすなおにやるべきだと思うのです。それはあの
法律を
審議するときに出たように、
就職が困難な
中高年齢であり、しかもからだの
事情、家庭の
事情、あるいはその地域の社会的な
事情から考えて当然だというならば、私はやるべきだと思うのです。それをやられていないからこそ、五千五百九十人も
指示があったけれどもまだ一人も入っておらぬ。去年の十月から九カ月たっているわけです。九カ月たっておって、まだ今年になってから一人も失対
事業に入っていないということは、やはりどこかまずかったところがあると思うのです。どこかでやはり泣いておる人があるということがこれは具体的にあらわれておると思うのですよ。私は日雇いだけれどもぜひ失対に入りたいと言っても、いや月に十四日以上働いておるからだめだと言ってけられたり、いままでは行商をやっていたり露天商をやっていた、これではどうも不安定だ、雨が降ったら露天商もできないのだから失対に行きたいと言ったら、いやおまえはもうやっておったのだからだめだと言って
入れてくれない。それから、家庭の主婦が、子供も一人
学校にあがったので
自分が働かないと
自分のうちは食えないのだと言っても、主婦はだめだということなんですね。いままで主たる家計の担当者でなければ失対には
入れなかったということなんだけれども、この前の
法律の解釈で抜けたわけです。そんなものはないのです。だから多発地帯においては、急激に
職安の紹介もできないし、
職業訓練もうまくいかぬ、それからはなはだつかえてどうにもならぬということになれば、そのまま右から左に
入れますと言ってきておったわけです。そういうことをわれわれは
法律の
審議のときにも
大臣から説明を聞いておった。ところが、そういうことを聞いておったにもかかわらず、いまのように一人も
入れておらぬということなんですから、これは私はどうもちょっと納得がいかない。
それから、そういう
失業者というものの
認定について、日雇い
労働者とか外交員とか行商とか露店商とか主婦とかいうようなものについてなかなか問題があるように、もう
一つ問題がある。たとえば、
炭鉱で二万五千円もらっておった。ところが、今度新しく
職安に行ってみたところが、ここに一万五千円の口がある、それでおまえ行け、こう言うわけです。私は二万五千円もらっておって、そして
炭鉱には、その上に水道も無料だし、電気も無料だし、おふろも無料だ。だから六人も七人も家族がいるから一万五千円のところには行けませんと言うと、ぜいたく言うな、一万五千円のところに行くのがいやなら働く意思がない、誠実かつ熱心に
就職活動をやっておらぬ、こう言われる。そこで、緊就も男は一万七千円くらいじゃないか、一万五千円くらいのところに行ったらいいじゃないか、行きなさい、こういうことを言われるわけです。これは
職安の
職員も、わんさわんさと来られて、かっかかっかとなっておるから、売りことばに買いことばでそうなってしまう。これは
職安の
職員が悪いのじゃない。そういうことにならざるを得ないという形があるわけです。だから、こういう形をもし
職業安定行政がとるとするならば、これは低賃体体制を
日本の
職業安定行政というものが、いわゆる余っておる
中高年齢労働者層をてこにしながら
日本全国に低
賃金体制のローラーをしくことになるわけです。これは一番困ると思うのです。これでは職業選択の自由意思というものを
職業安定行政が踏みにじってしまうことになるわけです。こういう点をもう少しここで
——私、
大臣がいないと困るのですが、もう少し
職安局長から明白にしてもらいたい。日雇いの
労働者や主婦の皆さんが、家庭の
事情その他でどうしても働きたい、私は
東京なんかに行きたくない、ぜひ地元で一
般失対に入りたいと言えばすなおに
入れてやるべきだと思う。それをむずかしく、税金がどうだこうだと言う。税金がたくさんあったってかまわないじゃないですか。働くという人間が一番働きいいところに
入れたらいいじゃないですか。それから先は、
労働問題は
労働問題として、別個に労政局でやるべきだ。
職安がそれ以上のことを考えるべきではないと思う。働きたいという人はすなおに
入れてやればいいのです。しかもワクがあるのですからね。だからどうもこの点は、今年になってから一人も失対
事業に
入れてないといういまのおことばでは厳重な体制をしいておるとしか考えられないわけです。だからこの
状態は
職安の
職員からも不満が出、そして
職業紹介を受ける
一般の失業
労働者からも不満が出ている、こういう両方の形になっている。ただ、いま言い出し切らぬだけなんです。だから、これは少しく自己反省をして、謙虚な気持ちでやっていただかないと困る。
御存じのとおり、そういう無理な体制をしいているから、最近非常に失対の中に労災が出てきた。四月八日に大牟田で出ておる。三月の五日には飯塚で出ておる。それから大分の四日市でも出ておる。栃木県の宇都宮でも出ておる。がけくずれで死んだり何かして、失対にこういうのが出始めているわけです。これはやはりどこか気のゆるみが
全般に出てきている、無理があるという形だと思うのです。それらの問題に対する率直な見解をひとつお伺いをしたいと思うのです。われわれのとこは、
池田総理が炭災地を振興すると言いながら、ちっとも振興してくれないために、二万以上の
労働者が滞留をしている。そして失対にも
入れぬ、緊就も七千から六千四百にワクを縮めたということのために滞留して困っているわけです。これはやはりどしどし
予算を組んでおるのですから遠慮せずに、緊就、失対に
入れて働いてもらう、どこであろうとも熱心に働ければいいわけですから、そしてもしそこに全日自労に入るんだ、緊就が組合をつくって
職安行政を突き上げるんだからということは、それは
労働政策は
労働政策でおやりになるし、労務対策は労務対策でお考えになって、まず
入れてやる。そして職業を与えるという
政策はとらなければいかぬと思うのです。何か全日自労が強いから、
入れることさえも闘争が起きるから押えつけねばならぬ、厳然たる態度で臨めというようなしゃくし定木の訓示を全国の
職安課長
会議でやっておるそうですけれども、それじゃいかぬと思うのです。ここらあたりはやはりすなおに
入れて、それから先は、お互いに話し合いで悪いところを悪いと言って話し合ったらいいと思うのです。だから、
入れる闘争をやってけしからぬから、まず
入れることを防ごうというのでは問題にならぬと思うのです。そこらのところをもう少しきちっと言明してもらいたい。もう国会が終わったら、われわれが現地に行って、心配要らぬ、困っている人はどんどん失対に行きなさいと言わなければいかぬのです。ところが、こういう形ではそういうことは言えぬ。そんなことを言ったって先生、ことし一人も入っておりませんと言われる。もう戦々恐々としているわけです。どうですか。