○谷口
委員 三分間で反対討論をやります。実は私、病気をしておりまして、労働大臣にたいへん御迷惑をかけて、大いに質問しようと思っておったのですが、時間がなかったので、無理に
委員長にお願いして反対討論の時間をいただいたわけであります。簡単に読みます。
労働災害が毎年増加しつつあることは、本
委員会の審議を通じましても明らかになりました。
政府の統計によりましても、
昭和三十年には五十五万九千余件、そのうち死亡者が四千四百九十五件の
労働災害がある。三十六年にはこれが九十六万七千余件にふえております。こういうふうにして毎年
災害がふえておりますのは、
災害がふえてないというふうに、いろいろな
資料やあるいは発言で言っておられる
政府の言明とは違っている事実があるわけであります。
労働災害のこのような累年にわたる増大の原因は何か、一口に言えば、日米経済協力に基づく軍国主義復活のための経済的土台を築く
池田政府の所得倍増政策、人民を犠牲にして経済の拡大をやり、独占集中、技術革新あるいは残酷な合理化政策にあると思うのであります。一々例をあげませんけれども、
一つのことを申し上げましても、たとえば、三井三池の大
災害のごときは、採炭夫の能率を三倍近くにしたにもかかわらず、保安要員がむしろ三分の一くらいに減らされるということが、坑内に炭塵が充満する結果を生んで、爆発が起こったということは
天下周知の事実であります。国鉄におきましても同様な事情がございまして、人間の能力を越えた過酷な過密ダイヤを組んだ上に、独占メーカーの利益のために、使っておりましたA型車警なるものをやめて全機関事に危険なS型車警を採用する、これはもう従業員諸君がすべて反対をしているのでありますが、そういうことをやっているというようなやり方でおりますが、こういうことが事故を起こす必然の事態であろうと考えておるのであります。官庁や商社、あるいは
保険、銀行、貯金同等におきます電子計算機を用いる事務の機械化、こういうやり方でも新しい職業病が起こってきている。たとえば、キーパンチャーのごときは、全く人間に対する労働じゃないのでございまして、
一つの消耗品のような形で酷使されている。総理府統計局の中のキーパンチャーの
実情を見ましても、実にこの
状態が明らかでありまして、安い
賃金の上に非常な酷使をされておりますので、六〇%に近い者が、たとえば斜角筋症候群とかあるいは腱鞘炎というような病気にかかっている。にもかかわらず、よそへ夜間アルバイトに出なければならないというような状況にありまして、三年くらいの間に人がかわっていくというような状況にあるのは事実であります。
こういうふうにして、新しい合理化の中で、あるいは機械化の中で新しい職業病ができておるのでありますけれども、これも職業病などと認められていないというような状況で苦しんでおります。だから
労働災害と申しますけれども、汽車がひっくり返るとか、あるいは炭坑が爆発するというようなことだけではなくて、日々目に見えない中で新しい肉体的消耗が行なわれているというような
状態が、全産業にわたってあるのであります。
なお、そのほかに申しますと、有害な薬品を使った化学工業などでは、そのいろいろな薬品による中海症状が起きておる。これなども、職業病としてすみやかに認めて
対策を講じなければならないにもかかわらず、これはなかなか認められぬというような状況にあります。
この
法律案は、二百にして申しますと、こういうような残酷な、しかも普遍的で必然的な
労働災害を
防止対策する、こう言っておるのでありまして、しかもそれが、資本家の自主的活動に一任しようというところに本質があります。これはこの
委員会でも、どの
委員も非常にやかましく言われたところでありまして、
労働者のいない
防止対策——
労働者の不在というようなことばを使っておる人もありますが、そういう
労働者のいない資本家が、使う側が
労働災害対策をやろう、こういうのがこの法案の本質であります。一体
政府は、資本家とか
使用者というものをどう考えておるか、どういうものだというふうに考えておるかということを私は聞きたいと思うのです。彼らが
労働者を雇い、事業を経営するのは利潤追求が目的であります。それ以外の何ものでもないのであります。彼らにとって、雇い入れた
労働者は投下した資本の一部にすぎません。工場を建て、機械を買い入れ、あるいは原料を仕入れるということと何ら違わないのであります。したがって、
災害防止のために何かの
対策を立てるという場合には、これは利潤に
関係がある場合である。
政府のほうの指導も、
災害防止のために何かのことをやることは、諸君のほうのもうけになるのだという指導をされておるようでありますが、そういうことは非常に本質をはっきりあらわしておると思うのであります。したがって彼らは、
労働者を人間とは考えておりません。だから、もしも利益のために
災害防止をやらなくて人が死んでもかまわないという状況であれば、
災害防止をやりません。これが大体本質であります。
こういう
労働者階級の生命やあるいはその権利を認めないという立場に立っている本質を持っている資本家や
使用者に、
労働災害防止のための実際の権利、実際のそれの実権を与えるようなやり方をやろうとするような
法律案というものは、とうてい私どもは認めるわけにはいきません。
近代社会の中では、
労働者の権利の問題が相当問題になりまして、
労働災害の問題につきましてもこうして問題になってきておるのでありますが、これは資本家や
使用者が
労働者を人間として考えてきたからではなくて、
労働者階級が非人間的な立場におけるこういう自分の立場を自覚して、資本家に対して、長い百年にわたる血の闘争をやって獲得したからでありまして、これを無視して、そうして資本家に一切のものを一任する、
災害対策についてのそういうものをまかせるというようなやり方、これは全く本末転倒、逆行しておるのでありまして、どうしてもこういう
法律を私どもは許すわけにはいきません。これが第二点であります。
それから第三点になりますが、私どもの考えによりますと、したがって
労働災害の実際の
防止あるいは
対策ということをやり得るのは、実際に働いておって、毎日命をそれにかけておる
労働者が一番知っておる、この
労働者の発言、
労働者の要求、
労働者の行動、
労働者の声、これをもとにして考えていくのが基本でなければならぬ。これは社会主義諸国のことを皆さん御
承知だと思いますけれども、社会主義諸国におきましては、各企業におきます労働組合の中に
災害対策の
委員会がございます。ここで一切の原因、設備や工場の衛生環境や、あるいはそれに対する
対策を考え、これが法的根拠を持って管理者、
政府を支配するのであります。こういう立場に立つのが
ほんとうだと思います。これは単に社会主義社会だけではありません。日本の労働組合の強いところでも、この間、私ある経営を見に行きましたが、これはやはり
労働者が強いから、そこでの非常な
労働災害のおそろしい
状態につきましては、労働時間や労働
賃金や、あるいは休憩の問題で相当有効な利益をかちとっている。この点が一番大事じゃないか。