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小林委員 いみじくも
労働大臣がおっしゃいましたように、しばしば起こる
国鉄の
労働災害の問題についても
——しばしばではございません、これは毎日毎日といってよろしい、太陽が西から出るようなことはないと同じくらいに、毎日
国鉄の
事故というものは起きていないことはありません。
日本じゅうどこかで起きている。その起きている
事故の一番の
理由はどこにあるか。いま
大臣も過密ダイヤ、いわゆる安全施設の不足、この二つが
事故を起こしている
根本の
理由である、こういう結論が出たとおっしゃった。問題は明らかじゃございませんか。一体その過密ダイヤを組み得る力が
労働者にありますか。安全施設を完成する
責任が
労働者にありますか。これは
経営者の
責任じゃありませんか。その
経営者がダイヤを組む、管理者が行なうべき施設を行なわない、明らかじゃありませんか。これくらい明瞭な話はないじゃありませんか。しかし、それを刑事
責任を問うときになったら何とおっしゃいますか。一体その管理者に過失があったかどうか、それを実証することが困難である、だから彼らには刑事
責任がない。彼らには刑事
責任がないばかりではない、
行政上の
責任もない。こういうことでありますから、先ほどから私が繰り返しているように、こういう過密ダイヤを組んだその管理者や
経営者で、
事故が起きて処分をされたり、左遷をされたり、四十年、五十年の勤務をゼロにしたなんというものは一人もいない。そういう過密な、危険な
作業を命がけでやらされている気の毒な
労働者だけが、四十年五十年つとめていた生涯を棒に振ったり囹圄の人になったりする。それもいま言ういわゆる現行刑法の過失
責任があるかないかという、針の目を突っつくような、そういう過失
責任を問われて囹圄の人になるなどということが、正当な
人間に対する平等の扱いであると言われますか。これがいまの世の中の常識であるというならば、その常識こそが
人間を殺している。管理者として、あるいは
大臣としてのあなたが、それが正しい常識であるとおっしゃるならば、まず為政者のそんな常識から改めていかなければ、いま
労働災害のこういう
法案を出してわれわれが審議したって、こんなものはまことにむだな苦労です。
根本はそこから改めていかなければならぬ。もしどうしても過失というものが犯罪を構成する必要な要件であるならば、無過失
責任論ということばもあるのでありますから、過失なしとしたって、
責任をとるべきそういう
法律上の処置が行なわれている。どうしてもこういうような
事故が起きたときには、
労働者にまさる三十倍五十倍の
責任を、こういう過密のダイヤを組んだ、安全の施設を怠った管理者にどさっと
責任を持たせるという、そういう抜本的な
法律改正まで生まれてこなければ、私は問題の
根本的な解決にならないと思う。
大臣いかがでございますか。私の主張が誤っておりましょうか。ひとつお聞かせを願いたいと思います。