○三城晃雄君 私は、ただいま
委員長から御紹介がありました三城であります。
昭和三十四年であったかと思いますが、日本の第八十七号条約の問題が初めてILOの場において取り上げられました当時、ここにおられる原口さんと御一緒にこの社労委の
参考人として皆さま方にお目にかかりまして、すでに五年を経過しました。いまだに同じ問題で呼びここへお招きをいただきましたことは、私はなはだ残念に思う次第であります。
ただ、この問題は、ただいま青木
政府代表からお話がありましたように、
政府と組合との問題、また日本の国会の問題であるというわけで、私
ども使用者側の者は、いわば番外の者と申し上げていいかと思うのであります。したがいまして、ジュネーブにおける私の活動も、いわば介添え役でありまして、必ずしも
事情をつまびらかにし得ないこともありますので、本日は、私は、ジュネーブの
理事会における
使用者側グループが、この日本の問題についてどういうふうに
考えておるかということをきわめて率直に申し上げまして、皆さま方の御
参考に供したいと思うのであります。
基本的に申しまして、この八十七号条約の
内容とするところの結社の自由というものは、
使用者側のグループと申しましても、私の申します
使用者側というのは、資本主義をもって立っているところの
使用者側でありまして、共産圏の
使用者側を含んでいないことを御了承願いたいと思いますが、この資本主義を基盤とするところの
使用者代表なるものは、結社の自由というものを非常に重要視いたしておるのであります。したがいまして、この八十七号条約が各国において批准されることを強く願っております。それはどういう
事情かと申しますと、第一には、日本においてはこれはあたかも
労働組合の問題のごとく理解されておりますけれ
ども、これは皆さま方が御承知のように、条文に
使用者の結社の自由もうたっておるのであります。日本においては
使用者の結社の自由が完全に認められておりますので、われわれは別にどうということを
考えませんけれ
ども、近隣諸国で最も全体主義的な色彩の強い国においては、
使用者団体といえ
ども政府からかなり制約を受けておるのであります。そういう意味において、
使用者側も、われわれの自由ということにおいて、これを非常に尊重しておるのであります。
それからいま
一つは、ILOの場において、共産圏諸国の
使用者側あるいは広い意味において共産圏諸国の代表たちと立ち向こう場合に、私
ども使用者側の者は、この八十七号条約の精神を錦の御旗として戦っておるので、共産圏の
使用者側の代表をわれわれは仲間に入れていないのでありますが、その第一の理由は、共産圏諸国においては結社の自由がないから、したがって、彼らは自由なる代表でないということをもって理由といたしておるような次第であります。それのみならず、最近の経営者は、基本的人権を尊重するということを非常に重要視しておるのでありまして、われわれ
使用者側の国際的組織であるIOEの綱領にも、われわれは、ただ物質的に社会に福利をもたらすだけではなく、基本的人権を尊重して、道義的にも社会に福利をもたらす責任があるということを非常に強く主張しております。そういうわけで、われわれ
使用者側のグループは、ジュネーブにおいてはこの八十七号条約を非常に尊重しておるということを
一つ申し上げておきたいと思うのであります。
しからば、日本の問題について彼らはどういう態度であるかと申しますと、初めは日本の
政府の
使用者という
立場からこの問題が訴え出ているのでありますから、そこはやはり
使用者的な感覚から、日本の
政府の
立場に対してかなり同情的な
考え方を持っていたように了解しております。したがいまして、私も、実は結社の自由
委員会の副
委員をしておりまして、たびたび
会議にも出たのですが、彼らの気持ちは、日本
政府がすみやかにこの問題を解決して、こういうトラブルをひとつなくしてもらいたいというような気持ちを非常に好意的に持っておったのであります。ところが、一年、二年、三年と経過して、日本
政府はすみやかに批准して云々という約束をたびたび繰り返しているうちに、彼ら好意を持っているところの
使用者グループといえ
ども、これは少しおかしいぞという疑問を持ってきたのであります。
ちょっと申しおくれましたが、
使用者側としては、総評方面からあまりにたびたびいろいろな提訴をなさるので、実は
委員のほうもいささか倦怠を感じておったということを申し上げておきたいのであります。
そういうふうなところで、日本
政府に対して、同情的ではありましたけれ
ども、いま申し上げましたように、約束ばかりで、一向に実行がなされない、何度待ってもどうも実現がない。そこで、私に対して、一体どういう
事情だろう、日本では民主主義政治が戦後行なわれているということを聞いている、いわゆる新
憲法においては、西欧的な民主主義であって、議会政治が多数決原理で行なわれると自分たちは了解しているが、多数党、しかも大多数党の総裁である総理が、これほどはっきり国会においても声明しているにもかかわらず、どうしてこの
法律の改正も条約の批准もできないのだろうかという
質問を、私はたびたび浴びせられるのであります。それはもっともな話で、日本では多数政治でやっているのだ、日本の国会の多数決主義ということは、ILOの総会同様である、しかしながら、わが池田内閣は低姿勢、つまり、野党の意見も十分聞いて、願わくは満場一致で事を運びたいという気持ちでいるのだ、そういうわけで、隠忍自重して今日まできている。しかし、隠忍自重にも程度があるのじゃないか、こういう
質問であります。それももっともであるが、しかし、遺憾ながらわが国会はまだ未熟である、したがいまして、どうかすると、意見が合わない場合は、少数党が多数で押し切られる場合には、場合によっては力、フィジカル・パワーを用いて阻止する場合もあるのだ、まだこういうふうな
状態でありますから、その辺は、なかなか何百年の歴史を持っているイギリスなどの民主主義のようにはいかないのだということを私は説明して、もっぱら汗をかいているような次第であります。しかし、やはりそれにも限度があります。そういうわけで、今回は
調査団の派遣ということになりました。
そのとき、私は、昨年の
理事会にこの
調査団派遣の案が出たときに、
使用者グループの中で、これはILOの本来の筋道と違う、この
調査団というものは、提訴があった問題が現実に即して調べないとわからぬときに、初めて
調査団を派遣するのが筋道であって、そのためにできている、コンプレイントがないものに対して
調査するというのは筋が違う、もっとも、総評から提訴されている問題で、懸案になっている問題を
調査するだけならよろしい、しかしながら、これには一括して日本の条約批准の問題も調べると書いてある、これは大体
調査団設立の趣旨に反するということを私は言ったのであります。と申しますのは、総評さんといえ
ども、条約を批准していないということを提訴してはおられない。なぜかならば、条約を批准するとかしないとかいうことは、主権の問題であって、これは提訴されるべき問題ではない。アメリカでも、カナダでも、インドでも批准していない、にもかかわらず、
調査団を派遣していないじゃないか、日本が批准していないことによって
調査団を派遣するというならば、アメリカにもインドにも
調査団を出さなければならぬことになるということを私は言ったのでありますが、それに対しては、
使用者側のわが同僚いわく、あんまり何べんも侮辱されると黙っておるわけにはいかないのだ、こういうわけです。つまり、何べんも約束して実行されないにはよほどミステリアスな理由があるのだろう、だから、これをこの機会に行って調べるということは間違いじゃなかろう、しかも
理事会がそういうふうにきめれば、必ずしもこれは筋違いとは言えない、こういう説明で、なるほど
理事会できめたのでありますから、きめた以上は、これは筋違いと言うわけにはいかぬわけです。ただ、日本
政府がこれを受け入れるか受け入れないかは、日本
政府のこれまた自由であります。
そこで、その問題を申し上げる必要はないのでありますが、そういうぐあいで、
使用者側の人といえ
ども、やはり国際機関としてちゃんとした職務を果たすべき結社の自由
委員会というものが、最も先進国、強国である日本の国のような
政府から侮辱されているというような意識を持てば、これはなかなか黙っておれない。アメリカの裁判所のことはよく知りませんけれ
ども、裁判所に出頭して法廷を侮辱すると、侮辱罪というものがあるそうでありますが、本来の罪悪のほかに侮辱罪でさばかれるということを聞いておりますが、ややこれに似たようなものではないかと私は
考えておる。そういう意味におきまして、ひとつ国会においては多数決原理ですみやかに解決していただいたほうが、ILOのほうはおさまるのじゃないかと私は思うのであります。
一言簡単でありますけれ
ども、御説明申し上げます。(拍手)