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押谷委員 局長は
選挙をおやりじゃないからその辺の消息は十分御
承知じゃないようでありますが、特定の
候補者に物を贈るという場合におきましては、それは、よほど顔の広い人が全部の
候補者に物を贈るということもない例ではありません、あるでありましょうけれ
ども、おおむね九〇%以上のものは、
陣中見舞いを持ってくる人は、その特定の
候補者に力こぶを入れておる人でありまして、そういう人が物を持ってくるのであるということをよく御了承を願っておきたいと思うのであります。さらにまた物々持ってくれば、その物を食べさせるであろう、飲ますであろうということで、その持ってくる者を罰するというお話であります。もちろん法の
趣旨はそんなところにあるかもわかりません。しかし酒を持ってきて、酒を飲ます
行為、これはいけないのです。
候補者あるいは
選挙運動者が酒をふるもうたならば、もちろんいけない。ふるまう段階において
犯罪が成立する。酒を飲ます段階、ごちそうをする段階に至って初めて
選挙の公正は傷つけられるのであって、それは明らかに禁止されておるのです。その前に、事務所へ
陣中見舞いを持ってくるということまで禁止するということは、これはあまりにも行き過ぎであって、そんなことまで罰するということは、私はどうもあまり神経質になり過ぎているようにも
考えます。また実際問題として、私の知っておる範囲においては、一週間か十日、
選挙事務所へ何十人分かの食パンとあんパンを運んだ人があるのです。これが引っぱられて、検察庁でぐんぐんいじめられた。私はどうもおかしいことだと思って、何で罰せられるのですかといって、
専門家なる検事に
相談をいたしましたところが、こういう
条文がある、なるほどこういう
条文はあるけれ
ども、どうもおかしい、
解釈上間違いがあるように思うがと言ったら、
法務省の統一
解釈の指示がありまして、それで私もがくんと頭を下げてしまったのですが、罰せられるかどうかわからぬけれ
ども、罰したならばひとつやってやろうと思って待っておったところが、
起訴猶予になりました。
起訴猶予になりましたが、
起訴猶予になった本人は、
起訴猶予になるまでの間、検察庁と警察に引っぱられて調書をとられる、拇印をとられる、全く罪人
扱いされてふしぎでしようがないと言っておりましたが、その人がふしぎでしようがないと言うのはもっともで、各
候補者の事務所に山のように積まれている酒の
陣中見舞いが罰せられないで、あんパンが取り調べを受けるという
矛盾、へんてこりんなことが
現実にある。これは
法律があるのだからしようがない。そこでこの法は
改正してもらわなければいかぬと、常々私は持論として
考えておるのでありまして、これは
立法問題としてひとつお取り上げをいただきたいと思います。
刑事局長、お
見えになる前に、実は
刑事局長に
お尋ねしたいことを
大臣に
お尋ねしたのでありますが、重ねて
刑事局長の御
意見を伺うためにもう一度簡単に
質問をいたします。
その第一点にお伺いいたしましたのは、
候補者用の
車種の
制限であります。
衆議院、
参議院、
知事、
指定都市の
市長につきまして、
選挙用に用いる車の
制限があるのです。それは
有蓋車で
乗用車ということになっておるのであります。ところが、
選挙の
実態によりますと、ある
候補者は届け出の当日から
無蓋車に乗って
街頭を流しているという事実がある。これはおかしいことであると
考えました。これは
大阪の例であります。
知事、
市長の
革新系の
候補者は届け出初日にもう
街頭で、
トラックによる
宣伝車に乗って歩いておる。こちらは
有蓋車のライトバンに乗って歩いておる。見たときにまるで違うのです。もうここで勝負は決したというくらいに、大きな
相違が戦術として出てきておる。そこで私は
関係者として、これはおかしいことだからというので
研究をしてみましたが、保守の
候補者があほうであって、
無蓋車に乗ったほうがりこうだという結論が出ました。それはその
条文にある、主として
選挙運動に使う車という、主としてという
ことばに実はひっかかってきたのです。主としてという
ことばには、従としてということが裏にあるであろう、常時使うというならば、
臨時という
ことばが裏にあるでありましょう。原則として使うということであれば、例外ということが反面にあるということになるのです。これは
条文の
解釈上そうなるのです。そこで私はこれは違法だと思ってがんばってみましたけれ
ども、実はそのときの姿を見ますと、
社会党の
宣伝車だと思いますが、
トラックがさあっと来て、それに乗っておるのです。そうしてその
うしろにその
候補者が主として使う
宣伝車がついてきておるのです。二台で行くのです。つかまえると、主としての車はこれじゃないか、
有蓋車じゃないか、従として
自分はこれに乗っておるのだ、こういう
ことばが成り立つのです。これは
現行法上成り立つ。だからそれは賢い、それはりこうである。
解釈上そうなるのだから、これはいたし方ないのであって、やらぬやつがばかだということになる。正直者がばかをみるということが、この
条文上出てきたのです。これは
現実なんです。うそのないところが、そういうことになる。そこで検察庁の
立場から、一体この法の
解釈上、主としてという
ことばがあるから、そういうことは一応許されるということを私も後日に至って教えられて、なるほどと
考えたのですが、どうお
考えになりますか。これは
現実の問題ですから御
意見を伺いたいと思います。