○吉田(賢)
委員 昔からも
土地の取引はあるのですから、方法はいろいろあるでしょうが、究極するところ、たとえば、これは逆に申しますると、
公共事業ならば予算を先に組まなければなりません。予算を組むためには、
土地の買い取り価格が幾らかということを一応積算してみるのであります。そういたしますると、そのような計画があり、予算を作成する、そのときにすでに
収用の代償
補償はきめられておらなくちゃならぬ、こういうことになりますのですが、いまお聞きすると、いろんな
機関はあり、また鑑定人の制度も新たにできる等々、整備していきつつありますことはけっこうでありますけれども、逆に予算ができてしまって後に、幾ら
補償するのが妥当かということをきめるというのがどうも実態ではないだろうか、こういうことを実は案ずるのであります、そうでなければしあわせですけれども。もう少し、たとえば、
建設省の各般の
事業が予算の積算があって、そして予算の配分がある。積算の基礎としては、一応何に幾らということが、相当こまかい費目が出ておるはずでございます。そういった場合の
土地に関する
補償が、それから後に評価しなければならぬというふうにお考えになっておるとすれば、これは逆になるのではないか。依然としてこれは未解決の問題として、従来と同じように、やや速度は早まるかもわかりませんが、従来と同じことを繰り返すのではないかということを私は案ずるのです。と申しますのは、この
収用法のみならず、以前にできました
公共用地の取得に関する特別措置法との
関連を考えてみましても、その他いろんな諸問題を考えてみましても、ぶつかっていくところは
土地取得の問題ではないかと、最近だんだんと私も考え方が固まってきたのであります。ただ、しかし私においても、ずばりと解決する案はほんとうはないのであります。それだけ一つ悩みを持っておりますのですが、そういう中で、
お互いにこの重大な問題に対処していくのでありまするので、やはり計画、予算の作成、それから代償
補償等の
内容、それの形成の方法、順序、そういうものは事前に相当明確に基準ができておらぬといくまいじゃないかと思うのです。もっとも、私もいわゆる閣議の
補償基準というものを一応読んでみました。文書はできておりますのですけれども、これは幾ら読んでみましても、そんなに処方せんのようになっておりません。処方せんなら薬局に持っていって適当に薬を盛れば、それでいきますけれども、なっておらないこれはやはりこれを一つの基準としまして——一つのある抽象的なものさしです。だから、具体的に当てはめて検討していかなければならぬということにすぎませんから、数字は全然出てきません。だから、この作文をもっていたしましても、基準がはっきりしてまいりませんので、そこでほんとうの一番重要な
土地の取得、その
補償、その基準、何が適正な基準であるか、何が一体
妥当性を判定する基準になるのだろうか、そういう基準設定についての要素は一体何であろうかということは、この際立法の作業の過程におきましては、相当明確になっておらねばなるまいと思う。でなければ、元来やはり
公共用地を取得せんとする起業者と、私有権を主張する所有者もしくはその他の
権利者と、この間の
調整というものは、双方の対立のまま進んでいって、問題は問題を生んでいくということになりはしないだろうか、憲法が二本立てにななっておりますから、二本立ての
調整をせんとするのが、やはり立法の底を流れておる一つの
法律意識だろう、こう考えております。そういうふうに考えますと、やはりこの点はできるだけ精密なもしくは正確な、地価
妥当性の基準というものが相当具体性を持ってここにあらわれてきませんと、立法作業といたしましても、これは非常に不備になるのではないか、こう思うのでございます。