○石原
説明員 お答えいたします。こういう御指摘を受けました点につきましては、まことに遺憾であると存じます。しかし、これはお
ことばにありましたように、こちらが
相当期限を切られていて買収しなければならないというのにつけ込みました要求でございまして、俗な
ことばで言えば、結局いくさに負けたということでございます。負けたというとまことになんでございますが、当時の情勢全体から判断いたしませんと、
一つのものを単独に買ったという問題と違いまして、いろいろな当時の情勢からやむを得ざる措置として行なったということになります。
まず、近江
鉄道のほうとも——大体湖東線と言っておりますが、湖東地方につきましては、用地買収その他については、
相当困難な
事情が一番初めからございました。三十四年の四月に起工式を行ないまして、直ちに用地買収、それから長大墜道の工事にとりかかりましたが、あの湖東線を通過する工事を地方にはかりましたときも、非常に強い反対を受けました困難な
事情がございました。結果的に申しますと、米原から瀬田川までの間は、現在線よりも新幹線のほうが結局
キロ程が少し延びてしまいます。これは
東海道新幹線の五百十五
キロメートルのうちの唯一のところでございまして、他は全部、現在線のように曲がっておりませんで、まっすぐになっております。ところが、あの湖東地区のほうは現在線以上に延びてしまうということになります。それで、まず平野地方を通ります案をこちらから提示しまして、三十四年中にはかりました。地方に
説明いたしましたところが、非常に強い反対を受けました。
第一は、当時伊勢湾台風の被害の記憶も残っておりますが、非常にあすこは出水の多い地方でございまして、東海道現在線も、
鉄道の上を川が通っているようなところもございますが、そういったような地形になっておりますので、出水の被害が非常に多うございます。
国鉄の現在の東海道線も、あすこでよく水害を受けております。そういう
状態がありまして、
鉄道が築堤をつくりますと、そのために出水が湖のほうに流れていかないので、一そう水害の被害を大きくするということがまず第一、これが絶対反対している理由であります。
それから、もう
一つは湖は普通山にはさまれておりますので、比較的狭い地域になります。たてについておりまして、農地が分断されるということになりまして農耕の妨げになる、そういったような理由で、山のほうを通るか、湖岸を高架にして通るか、どっちかにしようというのが、地方をあげての非常に強い運動でございます。実はその前に名神国道もその運動にあいまして、とうとう山のほうを迂回して通ったように聞き及んでおります。同様にしてこちらも山のほうに行くということでございますが、これは山のほうへ参りますと、
東海道新幹線はほとんど直線のルートでございますので、谷につくれば高架にしなければならない、山に入ればトンネルにしなければならぬということになり、非常に高いことになります。それから、湖岸を通ればこれは全部高架にしなければ間に合わない。これも築堤に比べましてはるかに
工事費がかかる。これはどうしても平地部を通らなければいけないというので——現在線に沿って敷設いたしますのは、現在線の駅を
中心にして町が広がっているところが多いのでございますから、用地買収もできない。最終的には、結局近江
鉄道に沿って
鉄道をつくりますならば、これは農地の分断という問題は、もうすでに近江
鉄道ができておりますので、起こりません。もう
一つは、近江
鉄道は平地ではございますが、
鉄道敷地はやはり若干高くなっておりますので、そこである程度水ばけが悪くなる、せきとめるということもございまして、そこに並んでつくることによりましてもう
一つ障害物ができるということにならないという判断から、それ以外に道はないという判断をいたしまして、近江
鉄道沿いに七
キロ半走るという線で進めたのでございます。
したがいまして、近江
鉄道に対しましては、三十五年の一月から、こちらでは線路沿いに用地を買いたい——そうなりますと、若干向こうの用地に食い込むところ、あるいは駅でもって向こうの用地を借りるところ、それからあちらの線路を立体交差で横切りますところが四カ所、そのほか建物の移転とかいろいろな問題につきまして、折衝を開始いたしたのでございますが、なかなか返事をよこしませんで、三十五年の十二月、向こうが正式に態度をきめて回答してまいったのでありますが、それは絶対反対。というのは、いろいろな理由があげてありますが、水はけが悪くなる、あるいは日陰になるというようないろいろな
事情から、線路保守上困る。それから踏切が、向こうが平地のところに新幹線は高架になりますが、高架の踏切を通ってすぐ近江
鉄道の踏切にかかるというようなことで、踏切の危険度が増す。それから
赤字の近江
鉄道がますます
赤字になる。それから観光
鉄道としても、そういう線路に沿って大きな壁ができるということは迷惑であるといったようないろいろ理由をあげまして、全部買収してくれるか、百メートル以上離れるか、どっちかにしてくれということで、強く要望してまいりました。しかし、これはさいぜん申し上げましたように、それと沿っていかなければ、今度は地方のほうが納得いたしませんので、近江
鉄道の
承知を待たずに、とにかく用地買収だけは近江
鉄道沿いに確保するということにいたしてまいりました。
そのうち、さらに半年、一年の間に、しからば全部買収してくれ、買収しないならば、こちらが築堤になったのでは踏切が困るから、高架にしてくれ、高架にするには四億かかるから、四億で高架にしてくれ——いろいろな問題を言ってきて、こちらの出しました案では容易に
承知しないというようなことで、非常に難航いたしたわけでございますが、それで、最後的には七億まで補償その他を出せというような案を向こうは提示してまいりました。
実はこちらとしましては、ただいま申しました直接の買収
関係以外にも、そこら辺でこちらの材料を搬入するといったような点で近江
鉄道を利用さしてもらうというようなこともございます。また、さいざん申しましたように、立体交差の点なんかもありまして、この工事なんかも、長引きますれば当然間に合わなくなってしまうというような点もございます。また、あれは西武
鉄道の系統の会社でございますが、
東京のほうには西武との
関連問題が先にたくさん控えておりますので、できるだけ早く円満に妥結しよう、それ以外には、将来
東海道新幹線を通じまして円満に早く解決していく道がないということで、遂に二億五千万円ということで、御指摘にありましたようなごね得も確かにあったわけでございますが、それで妥結せざるを得なかった、敗戦をせざるを得なかったということになりました。その内訳のことにつきましては、一億と一億五千万と二度に分けて払っておりますが、問題は、結局その
総額がその辺で手を打つというような妥結のしかただったと思います。