○藤井参考人 ただいま
勝澤先生の御
質問によりまして、大体
本件に関する経過を
説明申し上げます。
電源開発
会社といたしましては、北山川筋の開発につきまして、
昭和三十一年十二月十九日、第二十一回の電源開発調整
審議会におきまして東ノ川に大瀬ダムを設け、竜ノ谷及び尾鷲に発電所を建設する開発計画が承認されたのであります。これによれば、工事用資材運搬道路は尾鷲から入って東ノ川の右岸沿いにダム地点まで建設し、また工事に要しまする骨材運搬道路といたしまして、ダム地点右岸から採取予定地でありまする音枝まで開発する計画であったのであります。この骨材運搬道路につき、奈良県から
地方交通、産業開発のためにぜひ北山川本流の右岸沿いの国道百六十九号線につなぐようにしてほしい旨の要望がございました。
会社といたしましては、これは工事用資材運搬に資する点もありますので、三十一年十一日一日付の文書をもって実施することをお約束申し上げた次第でございます。そうして
会社は中央官庁のあっせん等によりまして、三十一年十一月一日、当初計画に対する水利権の許可を得るまでにこぎつけ、地元は先ほど申しました回答を信頼いたしまして、当初計画のもたらす道路その他の
地方的な便宜並びに当社の補償に対する考え方などを相当
理解いたしていただきまして、協力の機運が高まってきたのであります。ところがその後、電力需給上の要請とアーチダムの技術的な進歩によりまして、いろいろ経済的、技術的な考慮を払いまして、その結果、開発規模の拡大と、もう一つ負荷能力の増大をはかる必要がありましたので、そのため尾鷲湾の分水量を減らしまして大貯水池式とする計画に変更することによって、より経済的な開発を行なうことができるという見通しができまして、三十四年七月二十三日、第二十七回電源開発調整
審議会におきまして池原発電所を中心といたしまする修正計画が承認されたのでございます。しかし、このために工事用道路計画等が根本的に変更され、
地方的便益を大幅に削減しなければならないような情勢となったのでございます。すなわち計画全体としては水没する面積が非常に増加いたします。特に北山川本流沿いの水没家屋が非常にふえまして、また上北山村では村の存立にも
影響するということを非常に
心配いたしまして、そのため地元では、この計画の変更により
会社の利益が非常にふえるのだから、
会社の計画はそうであるかもしれないが、そのために地元の犠牲が非常に多くなるということは非常に困るというので、最初の計画に対しては御協力をいただきながらも、計画変更に対しましては
——いろいろその間には感情
問題等もあったかもしれませんが、新しい計画に対しましては一斉に猛烈な反対の態度を表明するに至ったのでございます。
会社といたしましては早急に修正計画に着手する必要から一生懸命に地元の説得を試みたのでありまするが、
事態は容易に好転しないのみならず、反対の態勢は日増しに強くなり、ついには全面的に直接お目にかかって説得することができないような
状態になったのであります。この局面を打開するためには地元の説得を県当局にお願いせざるを得ないと判断いたしまして、奈良県のほうにそのことをお願い申し上げましたが、県当局といたされましても、従来の約束は大瀬ダムをつくって、それによって地元に承認せしめるためにされたその右岸の道路をどうしてもつくらなければならないのだから、当初の計画において予定された程度の
地方的便益、すなわちもとの計画でありまする大瀬ダム地点から本流沿いの百六十九号線までの道路をつくる、それだけに相当する費用はひとつ考えたらどうだ、そうすれば私どもも考えてみる余地があるが、そうしてくれないのだったらとうていこの計画は承認できない、こういうような強い御
意見がございました。それで、三十年の四月二十七日に申請しました修正計画の尾鷲第一、第二発電所の水利権の変更願い並びに池原発電所の水利権の願書につきまして、地元の了解が得られない限りはどうしても許可するわけにいかない、こういうことを申されましたので、ここに私どもは何とかしてこの問題を打開したいというので非常に苦心したのでございまするか、この問題につきましては、地元はもとより、県の御当局におかれましても非常に強硬な御
意見であったのでございます。しかし私どもはしんぼう強く数次にわたりまして折衝申し上げました結果、当初計画の大瀬−音枝間の骨材運搬道路計画、総延長三千六百二十メートル、総工費三億七千八十万円の範囲内での犠牲であるならばやむを得ないであろうということを考えまして、県に対して当
地方の開発発展をはかるために三億円程度のものをお支払いいたしましょうということを申し上げまして、前の計画の変更についてひとつお骨折りを願いたいということをお願い申し上げた次第でございます。県当局は
会社の意を受けられ、直ちに地元の説得に乗り出されて、地元といろいろ御相談の上、三十五年四月から五月にかけて尾鷲第一、第二発電所
関係は漸次解決するようになったのでございます。しかしながら池原発電所
関係について、上北山村
関係は依然として絶対反対を続けまして、調査するための立ち入りもできないような
状態でございました。県当局の非常な御努力によって長いことかかりまして、ようやく解決の見通しがつきまして、三十五年の秋以来池原発電所の開発に曙光が見えてまいったのでありまして、その水利願は三十六年二月十日に、工事実施願は三十七年二月二十日にそれぞれお許しが出たのでございます。
以上申し述べましたような計画を変えることによりまして生じた問題でございまするが、この計画変更につきまして蛇足ではございまするが、あらましのことを御
説明申し上げておくと多少の御参考になるかと存じます。尾鷲、竜ノ谷を中心とする最初の計画は、尾鷲、竜ノ谷、音枝、池原、田戸の五地点に発電所を設けまして、十七万六千キロワットの出力を確保し、六億八千九百万キロワット・アワーの電力を
生産するもので、その建設費は二百九十七億円を予定したのでございます。しかしながら、その後調査を進めるにつれまして、発生電力量は六億五千九百万キロワットに減ぜざるを得ないこと、及び工事費は三百八十一億円を要することがはっきりいたしたのでございます。この出力及び発生電力量を当時の火力発電コストをベースとして計算いたしますと、一キロワット当たりの維持費が年額九千三百七十九円になります。一キロワット・アワーの燃料費等の運転費が二円七十二銭五厘という計算になるのでありまして、投下資本三百八十一億に対しましては九%程度の便益となるのであります。これに対しまして変更いたしました新しい計画は、尾鷲第一、第二、川合、池原、七色、奥瀞の六地点において合計三十五万三千キロワットの出力を確保し、発生電力量は九億三千七百万キロワット・アワーに及ぶものでありまして、その建設費は四百七十二億円を要しますけれども、先ほど申しました出力及び電力量の火力ベースの価値額は五十六億三百万円に達しまして、投入建設費に対しまして一三%余りの便益率となるのでありまして、これはどう考えましても計画を変えたほうが非常に有利であるという観点に立ちまして、計画を変えたようなわけでございます。したがって計画変更の当初において予定していなかった
本件三億円の支出を建設費を加えてもなおかつ計画全体としては経済性をはるかに高めるものである、こう考えまして先ほど申しましたいろいろの
事情を考えあわせて、三億円の支出をいたしたわけでございます。そうしてそれは地元の便益になるように、ことに道路を中心にして便益になるようにやっていただくことを条件といたしましてお願いしたようなわけでございます。
なお、この種の問題がほかに例があるかとのお尋ねでございまするが、道路に対して、こういう計画変更によって道路をつけないにかかわらず、補償した例はいまのところございません。