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新谷政府委員 これは長いいきさつになるのでございますが、時期的に申し上げますと、川崎に入国者収容所ができましたのが
昭和三十一年であります。その当時あの周辺にはほとんど工場らしい工場も多くはございませんで、川崎化成株式会社と神奈川県の水産指導所、そんなものがあった
状況でございまして、設置しました当時は収容所の設置場所としても適当だということでやったわけでございますが、その後の急速な工場地帯の発展によりまして必ずしも適当でない、むしろ有害だということになりまして、人道上の見地からも、
法務省としましてもこれを早急によそへ移さなければならないということになったわけであります。そういたしまして
昭和三十五年ごろからその移転の検討を始めたわけでございます。いろいろと候補地なんかも提示を受けたのでございますけれども思わしくございませんで、三十五年に至りましてようやく本牧の土地が神奈川県のあっせんによりまして提示されたといういきさつになったのでございます。その後、ただいま申し上げましたように六千坪と四千坪の敷地を交換いたしたのでございますが、その後地元の人たちの反対運動がございまして——これはむろん私どもも事情をよく
説明いたしまして、十分に納得していただきましてさらに次の段取りにかかったわけでございますが、その間にすでにもう五、六カ月を経過しているというふうなことがございます。さらにまたこのあと地につきましては、現在川崎に残っております約六千坪の敷地とそれから建物でございますが、これにつきましては川崎化成株式会社が幹線道路に出るためにあの土地が非常に適当なんでぜひこれを譲ってもらいたい——これは入国者収容所の移転問題が起きます以前といいますよりは、むしろ
昭和三十一年に収容所をあそこへ持っていきます以前からそういう希望があったようでございまして、財務局のほうにもそういう申請が出たというふうに承知をいたしておるのでございますが、たまたま収容所が移転をするということになりましたために川崎化成株式会社におきましてぜひその土地を譲ってもらいたいということになったわけであります。そこでそのあと地を譲るというかわりに本牧にそのかわりの建物をつくって、それと交換したらどうかというふうな
お話になりまして、そういう方向で進めておりました矢先に、ただいま申し上げましたように地元の方々の反対があったわけでございます。これもようやく終わったと思いまして、やれやれと思って次の契約にとりかかろうといたしましたところが、今度は川崎化成のほうで資金ぐりがちょっとむずかしくなったからちょっと待ってくれというような申し出もございました。しかしこれも見通しがついたので、さらに今度正式に契約をいたそうといたしましたところが、すでに一年以上経過しておることでございますし、川崎の土地、建物の評価の問題もあらためてしなければならないというふうな事態になりまして、財務局に評価を依頼いたしましたところが、これがまた地価の値上がりによりまして相当大幅な値上がりの結果が出たわけでございます。そういたしましたために、川崎化成といたしましても当時の金融引き締め、その他の事情によりまして、ちょっと会社としてこれを引き受けることが困難になった、これは辞退さしていただきたい、こういうふうな申し出があったわけでございます。私どももそういう
状況下にありますのに、無理に川崎化成に、約束は約束だからということでお願いするわけにもまいりませんので、財務
当局あるいは
検査院等ともよく相談いたしまして、これは事情やむを得ないということでその辞退を受け入れたわけであります。
その間、
昭和三十六
年度に新しい施設を買収いたしますための
予算といたしまして、これは庁舎等特別取得費ということで大蔵省に一億八千万円余りの
予算が計上されておりました。これをだんだん手続が進行するに従いまして
法務省のほうに移しかえを受けまして、
法務省のほうでこの
予算の執行に当たろうとしておったのでございますが、いま申し上げましたようないきさつがありましたために、これはまことに残念なことでございましたけれども、
年度の途中その執行が不可能だという見通しが立ちましたので、
不用額に立てることにいたしました。一方、あらためて、会社を相手にしないで、国だけの立場で
予算を計上して新しく施設をつくろう、こういう方針に切りかえたわけでございます。その結果、
昭和三十八
年度に約一億五千万の
予算によりまして工事に着手いたしまして、ことしの一月無事に竣功した、こういう経過になっております。