○高橋参考人 ただいま
局長からいろいろ詳しい御
説明がありましたが、その補足の
意味で私から、担当しておる公社の
理事長として、もう少し詳しい数字的な面で御
了解が得られるのじゃないかと思いますので、一応御
説明申し上げます。
今日まで八年間われわれが
仕事をやってまいりましたが、その間に探鉱、採鉱、選鉱、製錬というふうにいろいろ多岐にわたった工業の重要
研究をやってまいったのでありますが、まず
最初の探鉱の面で先ほどから
お話がありましたとおり、今日までに約三百万トン、品位にしますと万分の六というふうな鉱量を一応われわれは
考えております。なるほど外国の例を見ますと、カナダあたりの約半分
——カナダは千分の一・二くらいのものです。それからアメリカですと、またその四倍くらいの品位のものをいま実際にやっています。ですから千分の二・四。しかし低いものは、南アのような日本の半分くらいのものでも、やはりいまやっているところもございます。それは条件が違いますから一がいには申されませんけれ
ども、先ほ
ども話が出ましたとおり、日本のウラン鉱が非常に
たちがいい。つまり製錬なり照射、技術面で楽だということが非常に取り柄だと思います。
そこで、そういういろいろのわれわれの
研究結果を総合しまして、現在の段階で、かりにこれを事業化したらどういう採算になるかということを試算したものがございます。それによりますと、一日千トンの鉱石を掘って、それを採鉱、選鉱、製錬の工程にかけた場合に、どのくらいのウランができるだろうかということを
計算しますと、一カ年に約百トンの原子炉に入れられるようなウラン金属ができるという一応のわれわれの目標がございます。百トンといいますと、これはかなりの金額でございます。現在外国から鉱石を輸入しますと、外国は非常に安いといいますけれ
ども、いろいろ買う場合になりますと、やはり大体そんな見当になりそうです。ということは、一応実績を申し上げたほうがはっきりすると思いますが、今日まで私
どもが外国から輸入した鉱石、これはイエロー・ケーキですが、約七十七・五トンくらいのものを輸入して、われわれは実際に金属ウランを東海製錬所でつくった経験を持っております。その輸入する価格は年によって非常に違っておりまして、一番
最初に輸入したのは一九五九年ですが、その当時はFOBで十六ドル、ところがその次は十三・九ドル、それから十二・四ドル、十・七ドル、十一ドル、九ドル、九ドル、八ドル、八ドル、最近輸入したものは六ドル、こういう相場にいま変動しておるわけです。そうしますと、われわれがかりにいま千トンつくって、それがどれくらいで仕上がるかといいますと、これは概算ですけれ
ども、われわれの
計算では、まずトン一千万円以下でできるという見通しでございます。ということは、外国の相場に換算しますと、ちょうど約八ドルくらいの相場に相当するのです。ですから、八ドルの相場が一いまアメリカが民間から買い上げている標準の価格は八ドルなんですから、もし将来この数字で落ちつくとすれば、われわれが国内で採掘して製錬して金属ウランをつくっても、まずまずとんとんにはいくんじゃないだろうか、こういうふうな一応の予想を持っております。ところがいま六ドル、最近の情報だと五ドルあるいはそれ以下で買えるんじゃないかというふうな国際市場ですから、いますぐこれを手をつけることはきわめて困難な状態であります。そこでそれに
関連して、それではいつになったら八ドルという線
——アメリカは従来依然として八ドルの線をくずしておりません。これは民間工業に対するいろいろ国内政策の面からもしているんだろうと思いますが、依然として八ドルの線をアメリカは堅持しておりますから、われわれも大体八ドルの線はいつくるだろうかということを
——いま輸入するのが五ドルあるいはそれ以下では、われわれの国産ウランを経済的に生産することはとうてい不可能であるということをわれわれは現在
考えておるわけです。
そこで世界の
原子力発電の経済性というものはいつか、こういう問題が起こってきます。アメリカは、大体皆さん御承知と思いますけれ
ども、一九六八年、いまより四年後ですが、一九六八年ごろが経済ベースに乗る大体の年ごろになるだろうと思っておりますが、日本の場合を
考えてみますと、一九七〇年ごろ、つまり
昭和四十五年ごろにウランの市場はかなり上がってくるだろう、世界的にウランの価格が上がってくるだろう、そのころが大体日本で金属ウランを生産し得る経済性の出てくる時期じゃないだろうか、こういうふうに私は
考えております。
そこで、そういう一応の目標を立てまして、私がいまやっておることは、約三百万トンの鉱石、品位が悪いけれ
ども、これをいかにしてそういう経済ベースに乗るような仕上げ価格に持っていけるかということを、実は今日までずっと
研究しておりまして、先ほど
局長の
説明があったとおり、山元に小さいパイロット・プラントをいま建設中であります。これは大体昨年手をつけまして、今年の中ごろには多分完成して運転できると思います。それで、今後さらに三年くらいはどうしてもいろいろな
研究問題を解決するためには試験運転の時期がありまするから、まずいまより五年後、四十六年ごろ、一九六八年ごろには、大体アメリカがいっておる八ドルの線がそろそろ出てくるのじゃないだろうか。そうしますと、さらに、それじゃ大いにやろうかというふうな結論になっても、建設には約二年くらいの月日を要しますから、一九七〇年には大体日本のいま持っておる三百万トンあるいはそれ以上のウラン鉱が経済性を持つ時期じゃないだろうか。そこで、初めてわれわれがいままでやった努力が結ぶ時期が近寄るというふうに一応私は自分の
立場上見当をつけて、いま諸般の準備をその方向に進めておるわけでございます。