○田原
委員 先ほど来聞いておりましたが、
苦情処理の
運用で行き先が不明になってしまっておるものがあるわけです。具体例を申し上げますが、それは海外移住事業団ができる前の問題で、南米のボリビアで起こった事件です。南米のボリビアに海外協会連合の支部というものがございまして、そこに現在も少しずつ日本から移住者が行っておりますが、
昭和三十六年かの若槻という支部長時代に、これは非常に性格の片寄った男で、約二カ年の間に三家族の日本人をそれぞれ
理由をつけて、内地に強制送還したわけです。そのうちの一名は植田、もう一名は白木という男です。植田はいま香川県に帰っております。白木は佐賀県に帰って、いま医者をやっております。これらが外務省に抗議を申し込んでも具体的な回答がない。そこで法務省の人権擁護局に書類を出したが、これまた今日まで少しも回答になっておりません。海外に移住する者は先祖代々の家屋敷を売り、将来の希望を托して家族を連れていくわけです。その行っておる者に対して、いまでいえば海外移住事業団、そのころは海外協会連合会の現地の
職員はよい意味の
相談相手となって、土地を買う場合にはその所有地の点をよく調査をするとか、資金が必要な場合にはそれぞれのグループを通じて営農資金を借りてやるとか、
相談相手にならなければならないのに山の中に入ってしまって、自分だけが何だか代官のようなつもりになって、好かぬ者は
理由をつけて追い返しておる。ほかの
地方ではあまりありません。最近起こっておるものは、ボリビアの三家族の追放事件と、それからその二年ほど前に中米のドミニカで多数の人々が帰ってきた事件、いずれもどこに
苦情を持っていっていいかわからないままになってしまっておる。今日海外移住が毎年大体一万二千人くらいを、旅費等の補助金は大蔵省から出しておるにもかかわらず、特にことしは千六百人しか行かないというのは、そういう出先の親切な世話が届かない、親切にやっていないのみならず、きらいな者は事をかまえて追放するというような暴挙をやっておる。それをどこにも責任の持っていき場がない。その植田事件は、若槻という支部長が生活協同組合の店を開いた。たいへんお役所
仕事で、物価が高い。そこで植田君は別にその近くに個人の商店を開いた。値段が三割くらい違うというので、どんどんその個人商店に物を買いに行く。そこで非常に怒りまして、事をかまえていろいろ圧迫しております。それまでその前を通っておる道路をつぶしてしまうとかさまざまな圧迫をした結果、最後には事をかまえて
——その
内容はいまあなたのほうで
調べればわかるわけですが、一晩のうちに急に飛行機に乗せて送り返してしまった。家族は自分たちは残りたいということを言ったが、残さない。ボリビアの
政府や
国会に陳情したら、家族は残ってもいいと言ったにもかかわらず、これも強制的に送り返した。植田君という夫婦は帰ってきまして、三度ばかり自殺を考えたそうです。あるいは外務
大臣を刺し殺してしまうということまで言ったけれども、一応ルートがあるからというので、法務省の人権擁護局に出したら、約二年間かかって何の音さたもない。こういう目に見えざるところに手を伸ばしていかなければならないにかかわらず、これは
行政管理庁に何ら申告しておらぬと思います。先ほどのあなたのことばの中に出たと思いますが、海外協会連合会と資金面を
担当する海外移住振興
会社は、いずれも十年ばかりの間に成績が悪くて解体いたしまして、新たに海外移住事業団が発足したわけであります。大部分の役
職員はほとんどみな退職させられました。現在海外移住事業団をやっておる者は全然新しい人がやっておる。それは今後の行動を見なくちゃわかりませんから、一応新しい人に対しては私ども
期待をしておるわけでありますが、そういう解体、新発足の前後にたまたま起こった事件に対して、外務省は責任のがれで
苦情をどこへ持っていっても返事をしてくれない。それから法務省に持っていったが、これが調査だけで一年半もかかる。何でも事件の起こった土地を見なければわからないというわけで、そこで今度はいろいろな費用の面、補助金等の使途の面に不明があるということになって、去年
会計検査院から二名行って調査しております一これはいずれここの
決算委員会でまた問答が起こると思っておりますが、
会計検査院の調査も不当な
支出をやっておるという。
支出でも、補助でも、それと
関係のない
行政面でも
——同一人が国費の乱費、この点では
会計検査院が調査しておる。それから居住民に対して非常な権力をふるう、ない権力をあるようにしてふるっている。強制的に送還して路頭に迷わしておる。どこにも
苦情の持っていきようがない。法務省に持っていったら、法務省は調査ばかりしておって何の回答もしていない。その場合には、たとえば
行政管理庁にこういう
苦情の
処理を持っていった場合に、法務省と外務省とそれから現地と、現地は大使館ですが、こういうものに対する調査まで
——帰ったものはしようがないのであきらめろということであったならば、一面で海外発展を計画しながら、実際は行くところがなくなってくるということになる、こういう場合にどうなるか。いま思いつきで質問するのですが、管理庁に持っていけばずっともとをトレースして外務
大臣に持っていかれるのかどうか。外務
大臣というよりか、外務省が責任のがれになっておるのでありますから、ただ
大臣に遺憾であると言われてみたところでどうにもならないわけですね。こういう場合の処置を
苦情処理に出した場合、とことんまでいって、
行政運用の間違った
やり方によって迷惑をこうむり、泣きの涙で帰ってきた者に対する救済措置がどこから出てくるか。これはいま思いつきですけれども、一応申し上げておきます。また他の
機会にもっと詳しく申し上げますが、そういう場合の管理庁としてとるべき態度、これをひとつ承っておきたいと思います。