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田原委員 私も、同僚の
穂積氏の
質問に続きまして、
中国問題、特に
中国国民党と
中国共産党との妥協合作による新
事態が来ておりはしないか、これに対する
日本民族の行き方についてどうすればいいか、それを
中心に御
質問申し上げたいと思います。
昭和三十一年の十一月二十七日の夕刊に、APのカンボジア発電報として、周恩来首相とシアヌーク殿下との会談の記事が出ております。この中に、周恩来が蒋介石氏に対する態度を言っております。これは、要約しますと、蒋先生の処遇について私は旧友であるから申し上げます、北京にお帰りになれば、部長の地位では低過ぎると思います、——溥作義が当時国防
委員会の副主席でありましたが、少なくともそれ以上でなければならぬと思います、それから、
台湾の帰属は、まず蒋先生が北京に帰ることが先であり、その後において平和的
解決を進めますという電報が載っております。私は私なりに
一つの夢を持ちまして、同年の暮れに単身第二回目の
中国訪問をいたしました。そして、北京飯店にずっと一月中旬までおりまして、私なりの
情報の収集と要望をして回ったのです。それは、もはや大陸は
中国共産党が完全に占有しておるし、
台湾に蒋介石
国民党が行っておるんだから、いつまでもこのままでおってはやっぱりよくないから、この辺で
話し合いを進めてはどうか、われわれ
日本民族がいつまでもお手伝いするという申し出をした。ところが、向こうは笑って、そんなむずかしいことを言わないで、芝居でも見なさいということでありました。しかし、私はまじめにやるということで回ったわけです。最後に、謝南光という
台湾の人で高等師範を出ました非常に有能な方で、
台湾同志会の会長をやっておる人がおりまして、私の泊まっておる北京飯店に参りまして、実は
田原先生がおいでになると同じ飛行機で
アメリカ人のコーヘンという者が参っております。これも北京飯店に泊まっております。そうして、
自分は蒋介石の密使である、
中国国民党と
中国共産党との
話し合いができないかと言うて来た、
田原先生と同じであるし、同じ飯店に泊まっておるから、何か連絡があるかと思って二週間見ておったが、何にもない、そこで、あなたがお帰りになるならば、コーヘンとの交渉のこともありますので、周恩来首相としての公式の御回答を香港に着くころいたしましょうと言うて、私は北京を立ったわけであります。そして、香港に参りまして、昭和三十二年の一月の中旬に某大新聞の香港特派員が特電を打ちまして、六段抜きで記事が載ったそうであります。先日来さがしておりますが、どうしてもわかりません。それは、香港に大公報という
中国側の公式の新聞があります。その新聞に出たわけです。題は、「蒋先生に答える、周恩来」という題であります。
内容は、私が言うてまいった
内容を全くそのまま周先生の案として出しておるわけです。私は非常に喜んで帰ったわけであります。たまたま、いま御
質問になりました
穂積さんは、
穂積さんの独自の見地から大陸においでになった。帰りまして
情報を聞いております。しかるところ、浅沼稻次郎故
委員長が、私たちがそういう行動をしておることをあまり知らずに向こうに参りました。ただいまの成田書記長と一緒に行ったのですが、行きましたら、私の接触しておる部面の連中が、
田原先生の案はどうなりましたかと聞いたから、何もしておりませんというわけで、私はその話を聞いたのです。
田原君、かってなことを言ってもらっては困るということで、その後運動を打ち切っております。本日
外務省のほうに要望して資料を出してもらいましたのは主として国共合作の従来の経過ですが、現在吉田さんの行こうとする段階における
日本民族の行くべき道はどうかということについて、特に
日本政府の
大平さんの御見解を明らかに聞いておきたいと思う。
それは長くなりますから簡単にいたしますが、第一次国共合作は一九二四年から二七年、孫逸仙の時代にやっております。これは結果があまり思わしくなかった。第二次は、一九三七年から四五年の長きにわたりまして、主として抗日戦線の結成の
意味で、当時
アメリカのほうからマーシャル特使が参りまして、
中国共産党と
中国国民党との提携による抗日戦線の結成を要望いたしまして、これも途中では少し変わってきておりますが、一応できております。第三次の国共合作に似たようなものは、一九五五年から今日まで、ヨーロッパにおいてやられておることは、ときたま新聞に出て、私
ども承知しております。ある場合においては、ポーランドで米国と中華人民共和国大使との交渉、ある場合にはジュネーブにおいてやっておる。すでに八十数回やっておるというふうに聞いておるわけです。これはこまかい問題でありますが、両国にとって必要な問題については、
国交は回復しておりませんが、出先の機関において話をする。これは出先だけで勝手にやっておるのではなくて、本国
政府の
意思を十分聞いておると思います。したがいまして、その米中の大使級会談はそれなりにそれは
意味があることとしまして、いまわれわれが
考えるべきものは、
フランスの
中国承認による問題をどうするかという問題もさることながら、
台湾と大陸とをいかに仲よくさせるかという問題であると思います。先ほど
穗積委員も言いましたように、
台湾の
台湾人は大体八百万人おり、これは、過去五十年間、
日本の支配のもとに
日本の教育を受けて、やや裕福に暮らしておったわけです。そこに大陸から蒋介石軍が大体六十万、それに随伴して来ました文官その他避難民四十万、約二百万と言っておるわけです。この二百万が
中国国民党と称して
日本と結び、それと話をしているわけであります。これに対しても様々な動きがあることは、おそらく
外務省も御存じだと思います。東京におきましても、私のところにも蒋介石
関係の代理の者が、要らぬことをしなさんなということで来まして、いろいろな動きがあるわけです。そこで、なるほど吉田茂氏は個人で行か執ると言い、また、私
ども社会党としては好ましくないと思っておりますけれ
ども、池田首相とも会ったりしておることを見れば、全然現
政府の
考え方を無視して行かれるのじゃないと思います。行かれるならば、この辺で蒋介石とその御一統が北京に平和に帰れるような
方法、メンツ、待遇等を
考え、号して
中国と
台湾との平和的な統一をさしてやるべきじゃないか、こういうふうに私は思っております。この意見に対しまして、なかなかむずかしい問題もありますけれ
ども、
大平さんの御見解をただしておきたいと思います。