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佐藤参考人 ただいまの御
質問にお答えいたします。
ただいまの御
質問の内容は、現在までに
原子燃料公社が行ないました
探鉱の
成果と申しますか、
現況と、それに基づきましての将来の
発展像というような
意味と解釈いたします。順序といたしまして、先ほど副
理事長から御
説明いたしました
探鉱費概略二十億を投入いたしました中の大部分、十六、七億を投入しております
人形峠地域の
ウラン探鉱の
現況を
中心といたしまして、そのほか全国的な問題にまで話を広げたいと考えます。
人形峠につきましては、
発見いたしましたのが
昭和三十年十一月十二日のことでございますから、今日で八年半ほどたっております。この間、
原子燃料公社が担当いたしましてから約七年余りになるのでございます。これは、私
ども地質学を専攻いたしました者が
最初夢にも考えていなかったような姿において
発見されたのでございます。
発見されました当時はまだ
原子燃料公社ができませんで、通産省の
地質調査所の手で
調査しておったのでありますが、そのころから私その問題を担当しておるのでございます。
地質調査所以来の
原子燃料公社の
探鉱を含めまして、いままでにたいへん新しい、科学技術的に非常な興味の深い、また
資源としても重要ないろいろな
資料が集まりました。私
ども振り返ってみまして、むしろ驚きを感じておるのが正直な心境でございます。
概況を申し上げますと、まず
発見されましたのが海抜七百三十メートルの
中国山脈のまっ
ただ中でございます。この山奥の
一つのポイントから
発見されました
ウラン鉱床が、この八年間に北のほう、
日本海のほうに向かいまして約二十キロメートル弱、だんだん低いほうに
発見されてまいりました。さらに、
人形峠から東のほう岡山県側につきましては、約二十キロメートルばかり
ウラン鉱床が
発見されております。したがいまして、端的に申し上げますと、北に二十キロ、東に二十キロ、この二辺で囲みました
直角三角形、大体二百平方キロメートルの
面積でございます。この二百平方キロメートルの
面積にわたりまして、
ウラン鉱床が断続して
発見されております。この二百平方キロメートルの広さ、これはちょっとしたまとまった
面積でございまして、たとえて申しますならば、
石炭のコール・
フィールド、
炭田では、
北海道の
留萌炭田、あるいは
九州の天草の無煙炭の
炭田、これが大体面五十平方キロメートルから二百平方キロメートルの広さを持っております。したがいまして、
ウランの
鉱床地帯といたしましてはちょっとした中小の
炭田並みの広さにまで発展してまいったわけでございます。したがいまして、これを
人形峠ウラニウム・
フィールド、
炭田並みに訳しますと
ウラン田でありますが、
ウラン田がごろが悪ければ
ウラニウム地域、
ウラニウム地帯とでも申したらいいのでありましょうか。
この
面積約二百平方キロメートルにわたります
人形峠ウラニウム・
フィールドの中におきまして、現在までに大体把握いたしました
埋蔵鉱量が、粗
鉱量といたしまして
概略三百万トン。その三百万トンの中に含まれております
金属ウランの量が、これまた大ざっぱに二千トン、こういうことになっております。
それから先のことは、今後適当な
予算をいただいて、私
ども大いに
探鉱に努力した上での結果を見ないと、
数字的なことは一切申し上げられないのが当然でございますが、ただ、私といたしまして
一言申し上げたいのは、この三百万トン、
金属ウラン二千トンのほかに、プラス・アルファ・ベータ、たくさんあるのでございます。これを
数字で申しますのはたいへんはったりになりますから遠慮いたしますが、大体現在目の前に見えております
埋蔵量の増加と申しますのは、ほとんど五割
増しのことは確実でございます。五割
増しからさらに十割
増し、つまり現在の二倍の数量、これもあえて不可能ではない、比較的容易なことであると私
どもは考えております。さらにそれが三倍にまでなるかどうか、これはまだはなはだ疑問でございますが、これとて不可能とは申せない。もちろん非常に
探鉱の大きな努力が必要でございますけれ
ども。ということをあえて申しますゆえんのものは、
人形峠ウラニウム・
フィールド内におきましての
探査探鉱の
方法、その
探査探鉱の重点を置くべき場所、いずれも相当はっきり把握しております。したがいまして、あえて申しますならば、とんとん拍子で
埋蔵鉱量はふえていく、そういう自信を持っております。したがいまして、現在
日本が大かた把握しておる
金属ウランの量が、
数字としては二千トンでありますけれ
ども、それが二倍、三倍までなることは決して不可能ではない、あえて申しますならば有望であるということが言えると信じております。
これは
人形峠ウラニウム・
フィールドでございますが、このほかに
日本国内相当各所に
発見されております。
委員長、ここでちょっと
図面をお示ししてよろしゅうございましょうか。
〔
佐藤参考人地図を示す〕
これはたいへん簡単な
略図でございますけれ
ども、
日本全国の
地質図の
略図の上にいままで
発見されましたものを記入したものでございます。専門的なことは一切省略いたしまして、それをさらに非常に概念的に圧縮いたしました
図面が前回お配りしてあるものであります。
これについて申し上げますと、この
日本全国の小さな
図面の上に黒く塗り込みましたのが、一口に申しますれば
探鉱についての
有望地、つまり
探鉱価値のあるところ、
探鉱の
予算をここに投入しても適当であるところ、そういう判断をいたしたところでございます。これを専門的なことばで
山塊と呼んでおります。北は
北海道から南は
鹿児島の両端に至るまで、各地に
地点をプロットしてございますが、このプロットしてある
地点は全部
山塊という地質学的な特徴のある
地域に集中しております。
人形峠ウラニウム・
フィールドがその
代表でございますが、
人形峠ウラニウム・
フィールドと大体
地質環境を
共通に持っておりますところが、大ざっぱに申し上げますればこれだけまだある、これだけ
日本全国に分布しておるということでございます。もちろんこれ以外のところもないとは言えませんが、まずさしあたりこれだけのものが対象になるべきである。この
面積はどのくらいになるかということでございますが、非常に大ざっぱなことでございますけれ
ども、
日本全国の
北海道から
九州に至るまでの
面積が大体三十七万平方キロでございますから、その約半分の二十万平方キロ
内外のところが
探鉱の値打ちのあるところ、こういうことになってまいりますと、
日本は
ウランについて非常に忙しい、あえて申しますならば、まだまだ今後たくさん
埋蔵鉱量が把握される
可能性を持っておるところであり、その
可能性は、ポシビリテイーを通り越しましてもうプロバビリティーのところまでいっておる、そういうふうに考えております。
人形峠以外のおもなところを申し上げますと、
山形児の
小国を
中心といたしましたところ、それから愛知県と岐卓県の県境に近い東濃地区、それから京都府の北西の
奥丹後地域、そういったところが
人形峠以外の
地域としては現存クローズアップされておるところであります。
ここから先の問題につきましては、まだ
探鉱のほんの初期に当たっておりますので何とも印せないのでございますが、しかし、私
どもは私
どもなりに相当な
ビジョンを持っておるのでございます。このピジョンと申しますのは、単なる、空虚なる空想ではなしに、専門的な
根拠に基づいた
一つの
ビジョンでございます。これはあえて申しますならば、第二、第三の
人形峠ウラニウム・
フィールドが
あとに続いているということでございます。それがこの
図面の中のどれであるかはなかなかちょっと困難でありますけれ
ども、たとえて申しますならば、
奥丹後とか東濃とかいうところが比較的
ビジョンのはっきりしているところでありまして、あるいはもしかしたら第二、第三の
人形峠になり得る
可能性を持っておる、そういうふうに考えております。そうしますと、
人形峠が現在二千トン、そのほかの
人形峠に大体匹敵できると思われるところがかりに二カ所あるといたしますと、二千トン掛ける何倍かというものが大体具体的な
数字として頭の中に浮かんでくるわけでございます。したがいまして、もし国策として
国内の
ウラン資源の
探鉱を強力にやるというふうなことになりますれば、それにおこたえし得る科学技術的な
根拠を私
どもは持っておるつもりでございます。
特に、この中で
北海道につきましては、
北海道は地質学的にも非常に未知数の多いところでございますので、
西南端のほんの一局部的なものにごく最近に露頭が見つかりました
程度で、ほとんどアンノーンでございますが、まだまだこれは今後の問題は多分に残っております。なお、
東北地方は、金、銀、銅、鉛、亜鉛の
金属鉱床につきましては、御
承知のとおり非常に豊富な
地域でございますが、こと
ウランに関しましては、これだけたくさんプロットしてございますが、まだ
人形峠並みに太り得るだろうというところははっきりしておりません。
これはちょっと専門的になりますけれ
ども、ちょうど本州のまっ
ただ中に北から南へ
一つの大きな割れ目、断層がありまして、これを
フォッサマグナと呼んでおります。
フォッサマグナを境といたしまして、
東日本と
西日本とは非常に地質学的な
構造が違う。
構造が違うということは、その土地が経験したいろいろの何億年昔からの歴史が違っておる。したがいまして、
ウラン鉱床が生成いたしまして今日まで、われわれの目の前にあらわれてくる
状況も、
東日本と
西日本とではかなりな差があるかもしれない、そんな感じもいたしております。
しかし、とにもかくにも、
山塊と名づけましたところは
——これはもともと
フランスのマシフ・サントラル、
中央山塊と訳しておりますが、この
中央山塊で、
フランスが戦後
国内としては初めての大きな
ウラン資源を
発見いたしました。その
代表地域がこの
中央山塊にありまして、この
中央山塊の
地質環境が、
日本のこの
図面にあります
山塊とずいぶん
共通性がある。そういうことから、
フランスの
探鉱方法に根本的には学んだところがあるのでございますけれ
ども、しかし、
人形峠の
発見によりまして、
フランスで経験しなかった
日本独特の
人形峠という、むしろいままで全然考えられなかったような新しいタイプの
鉱床が
発見されまして、これを私
どもは八年から十年にわたりまして一生懸命勉強してまいりましたところが、ただいまお話し申し上げましたような専門的な面での
成果をあげたと私
どもは考えております。これがすぐ
資源の
確保、
資源の把握にどのくらいまでものをいいましたか、さらにこれからものをいうかにつきましては、ただいま申し上げましたようなことでございますが、しかし何と申しましても、これはりっぱな
うしろだてをもって私
ども専門の者が、あえて申しますならば、腕を十分にふるわしていただきましたならば、それだけ必ず
成果をあげてお目にかけるということを私は申し上げたいのでございます。
以上で終わります。