○
説明員(
小川清四郎君) それでは、私から御
説明をさしていただきます。
本件は、きわめて特異な事案でございまして、入国管理局といたしましても、いままでかつてなかったような
事件でございます。ある程度新聞その他で発表されておりまするので、私は、入管のほうで身柄を引き受けましてから後の事情につきまして、なるべく簡略に申し上げたいと存じます。
この中国人
周鴻慶は、去る本年の九月から一ヵ月間中国の油圧機器、オイル・コンプレッサーでございますが、訪日代表団の一人といたしまして入国してまいりまして、三十日間の在留資格を持って入ってきたわけでございます。代表団における
地位は、代表団の通訳ということになっております。
それで、一行八名は一応在留期間三十日の期限がきまして、無事に本邦から出国したわけでございますが、当該本人だけは、十月六日の滞在期間をこえまして、その翌日にソ連の大使館に逃げたわけでございます。その後、警察のほうで身柄を引き取りましたのでございますが、これは入国管理令違反容疑ということで警察に身柄が渡されまして、そうして
東京地検におきまして結局微罪ということで起訴猶予に相なりましたわけでございます。
われわれのほうへは、十月九日に収容令書を執行いたしまして
東京入国管理
事務所に
調査取調のために収容いたしました次第でございます。本人が
東京入国管理
事務所に収容されましてから、取り調べが行なわれたのでございますが、先ほど申し上げましたように、きわめて特異な
事件でございますので、慎重に取り扱うようにという注意は一応いたしておきました。もちろん入管令上、御
承知のように、
東京入管の所長が、これは主任
審査官になっておりますが、独立の官庁として権限を行なうものでございますので、取り調べ一切につきましては、
東京入管
事務所において執行されてまいったわけでございます。
調査は、入管令に従いまして、違反
調査、違反
審査、そうして最後に口頭審理という手続に従って行ないましたわけでございます、ところが、彼がホテルを出てソ連の大使館に入りました事情につきましてもいろいろございますようですが、非常に異常な精神状態で出ておりますので、われわれのところで
東京入管で違反
調査、違反
審査等の段階におきましても、きわめてむずかしい取り調べになったわけでございます。と申しますのは、当人の意向が、それぞれの段階におきまして相当変わってきております。もちろん当人の異常な状況で残留したという事情に基づくものとは思いますが、はなはだしく矛盾したいろいろな供述を行なっている次第でございます。ただ、この供述につきましては、当人のやはり将来の問題にも影響いたしますので、ここではなるべく申し上げるのを差し控えたいと存ずる次第でございますので、平板的に
調査、
審査、口頭審理の段階につきまして簡単に御
説明いたしたいと存じます。
まず、十月十日、十一日にわたりまして違反
調査が行なわれたわけでございます。この段階におきましては、もちろん中共へ帰る意思がない、
日本に在留したいというふうな、もしそうでなければ他の第三国に行きたいというふうな供述をいたしております。ところが、違反
審査の段階に相なりますと、またかなり異なった供述が行なわれているのでございます。十月十四日、十五日の二回の違反
審査におきましては、本人は、
日本には左右両派の華僑がおって非常に活動が制約されるので、台湾に行きたいと、こう言っております。ところが、翌日の第二回目の違反
審査におきましては、前回
日本が在留を認めないと思ったので台湾に行くと申しましたけれども、もし
日本政府において受け入れてくれるならば、ぜひ
日本におりたいというふうなことを言っております。そこで、次の口頭審理の段階に入ります前に、前日及び前々日の違反
審査の結果、不法残留と認定する、それに対して口頭審理の段階にいくかどうかということを確かめましたところ、さらに口頭審理を願いたいということで、次の口頭審理の段階に入ったわけでございます。口頭審理の段階に至りますまで、すなわち、
調査、
審査の段階におきましては、本人の冷静な心理状態を保つという意味におきまして面会は一切許可していなかったわけでございます。
そこで、十月の十六日に口頭審理の期日の指定書を交付いたしましたわけでございます。入管令によりましてその際は代理人を選任することができるということを
説明をしておきました。そこで、本人の選択によりまして国府の代理人というものと、それからこの中共の代表団を招聘します際の保証人となっておりました
日本油圧工業会と日中貿促会というものの代表として小田弁護人にも面会したいというようなことで、口頭審理に入る前に、代理人の選定のために順次面会をいたされましたのでございますが、その際、最初に本人の希望によりまして国府側の人が会いましたときに、本人は台湾に行きたいという意思表示をしたわけでございます。そうして、台湾への渡航手続の依頼、それから藤井弁護人への委任状というものを一応書いておる次第でございます。ところが、その次に、先ほど申し上げました小田弁護人が面会いたしましたときには、小田弁護人が質問したのに対して、周本人はできれば
日本にいたい、もしそれがだめならば台湾に行きたいというようなことを申しております。そこで、国府側の代理人とそれから今申しました小田代理人との間にその
趣旨がやや相違しておりますので、さらに三人——周本人と藤井、小田両代理人とを会わせまして、はっきりした意思確認と申しますか、本人の希望を確めております。その結果、藤井代理人のほうは、それでは、本人が台湾に行く希望がないということならば、
日本に滞在を嘆願する場合の代理人の一人として協力するというふうな形になりました。
結局、口頭審理の期日を延ばしまして、十月十八日に口頭審理を行なったわけでございます。十八日とそれから二十一日、いずれも十月でございますが、それから二十三日と三回にわたりまして口頭審理を行なったわけでございます。その際、結局最終的には台湾には帰りたくない、ぜひ
日本に滞留したいという希望を表明いたしまして、結局
日本在留のための手続をお願いしたいという結果になった次第でございます。もちろん、この際、口頭審理の判定が出まして、そうしてそれに対しましては異議の申し出を提出することに相なりますので、本人も異議の申出書を提出することにお願いしたいというふうにはっきり申したわけでございます。そこで、一応口頭審理の判定の結果に
日本在留のための特在を嘆願する意味におきまして異議申出書が出る手順になっておりましたところ、翌十月二十四日に至りまして、周本人が百八十度と申しますか非常に意見が変わりまして、結局、自分は中共に帰りたい、それでお願いしようと思っておった異議申し出は放棄するということを申しました。小田弁護士もいささか驚いておったようでございますが、そこで、周は、御
承知のように、中共に帰るという新聞発表を小田弁護人に依頼しておりました。二十五日の朝刊で各紙に発表されたわけでございます。われわれ
東京入管の立場といたしましては、急に意思の変更がございましたので、すぐに退去強制令書を出さないで、本人の十分な気持をよく確かめるという意味で、念を押した上で二日後の十月二十六日に退去強制令書を発付いたしたわけでございます。この点で、いままで本人の意思が転々しておるのにもかかわらず、何ゆえに退去強制令書を早急に出したかというふうな意見もございましたが、これは、入管令の手続といたしまして本人が異議の申し出をしないということに相なりますとすみやかに退去強制令書というものが出るように入管令上相なっておりますので、二日間の考慮期間をおきまして出したわけでございます。
その後のいきさつにつきましては、いろいろ変転がございましたけれども、本人としては退去強制令書も出たことであるし、自分の意向も中国本土に帰りたいということを主張いたしまして、すみやかに出国をさしてくれるようにということでわれわれのほうにいろいろ連絡があったわけでございます。しかしながら、退去強制令書が出まして、令書には、一応強制退去させる送還先を、
法律の条文に従いまして、中華人民共和国というふうに書き入れをしてございますが、しかしながら、本人が退去強制令書に書かれた送還先に帰る、送るということにつきましては、従来のいろいろな慣例もございまして、中国本土とは国交もございませんし、いろいろ途中の経路などにつきましても問題がございますし、自費出国という形で国交のない国に対しては取り扱いをいたしておるわけでございます。そこで、この自費出国を許可するかどうかということにつきましては、条文で、直ちに送還できないときは、一応送還ができるまで収容するという建前にもなっておりますし、この点につきましては、ある程度主任
審査官の裁量と申しますか、自費出国の時期とか方法等につきましては、ある程度の自由裁量権を持っておるわけでございます。
とにかく本人の入管における段階につきましては以上のとおりでございまして、その後本人はすみやかに自費出国をしたいという意味で非常な熱望をいたしました結果、早急に自費出国の許可が下りないことに対して断食を十一月の一日から始めたわけでございます。これにつきましては、入管当局といたしましても、せっかく公正な……