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委員長(
横川正市君) これは現地の
調査の事実上明らかになったのですが、三十六年の二月の八日に、
日立の生
コンクリート会社が、方南北町会に対して、あいさつとして清酒二升、現金一万円、これを届けて、
農業委員会、それから
建設についての
許可、そういったものが進められておるので、今後
工場の建築その他について協力をしてもらいたいという、そういう趣旨のあいさつ回りが行なわれている。これは現品は会社に返したと言っておりますが、返されたというのが一件。それからさらに会社側は、居住者四十名に金品を贈り、都の
許可があったからというのであいさつ回りをし、そのあいさつ回りの際に、領収書捺印と称して
地元民の署名をとり、その署名が
日立生
コンクリート工場建設に賛成署名と後にすりかわっているという事実が、これが明らかにされておる。さらにこの問題を推進したのは、
地元の区議で農業
委員をやっております鈴木某という男ですけれ
ども、この区
会議員で農業
委員が、農業
委員として現地の視察に参加をし、それが土地その他のあっせんをしております。こういう事実があるということをまず根底にして、この問題の発生が
地元に起こってきた。これは三年前であります。この三年前にこの問題が起こってきて、初めて
地元民が一体何ができるのかと
調査をした結果、あすこに生
コンクリート工場ができる、こういうことになりました。今度はその生
コンクリート工揚の用地の選定ですね。選定の第一は、
東京都の総務
首都整備委員会の
速記録によって明らかにされているところによりますと、もと明治大学のそばにありました
工場が、
地元民の反対にあって転地を必要とされた。その転地を必要とするときの交渉の中心であったのが都
議会議員の
——現職ですね、現在も当選をしておるわけです、現職の都
議会議員、名前は出口という人、この人がこういうふうに
速記録ではっきり言っております。「ずっと私が忘れたころに、この請願の紹介議員になってくれ、こういってきたわけです。ちょっと見たところこの請願なので、これはまずいなというと、そのときに今の都の理事者の方々がここならよいといった、こうおっしゃるんです。それじゃいいでしょうということで請願に署名したのですけれ
ども、それで私としても今さらあそこに対してだめだというふうなこともいえない状態で
——ともかく引っ越してもらったのですから。引っ越してもらった先が今の
杉並の最も反対者の多いところなんです。前にあったところは、ただ明治大学の周辺が困るというだけであって……。そういうふうな一つのあれがありますので、私があまりここで強くどうこうということもいえない
立場にあります」、こういうふうに都
議会議員の手を経て明治大学のそばから……。まず和田堀
風致地区の
指定があった。この和田堀
風致地区と準
工業地域二重
指定の問題が判明したのは、これはずっと
あとです。準
工業地域ということだけが
最初にわかっておって、
風致地区の二重
指定だということは
審議の過程で判明した。ところが、
審議の過程で判明する前後の都
議会の理事者の
答弁というものは非常にあいまいになってきました。そのあいまいさは二つある。一つは、その
風致地区でも準
工業地域の場合には
日立生
コンクリートのような
工場建築できるという
考え方が一つ。それからもう一つは、
風致地区にそういう
工場を持ってきたのは非常に遺憾である、そういうことが事前にわからなかったのは非常に当事者としては遺憾であるという
意思表示が一つ。これが並行線になって、この都
議会での
審議というものが行なわれております。そこで、一体この二重
指定の
地域に、この
地域が生
コンクリートの
工場として適地だと言った理事者は一体だれかということを調べてみましたところが、これは
東京都の理事者間ではだれが言ったのあわからない。しかし、だれが言ったかわからないだろうけれ
ども、出口という議員と生
コンクリートの当事者に聞けばわかるはずです。実際にはそれが不明のままになっている、
審議の過程では。そういうふうにして進められている過程で、
東京都の
考え方は、あすこは
風致地区としてはもうすでに存続の
意味がなくなった
地域だ、こういうふうに解釈をする解釈が出てきました。その
理由づけとしては、準
工業地域に
指定をしたときにこの風致
地域を解除すべきであったのが、
行政上のミスであった、こういうふうに
答弁が変わってきている。こういう変わり方をこの
委員会でいろいろ
審議した結果、
松澤政務次官は、法律がある限りその法律にのっとってやるべきだということと、もう一つは、これは
建設大臣の
意思として、
風致地区は存続の方向でこれから進めていくのだという、この二つが食い違ったままに現在になっているわけです。その食い違いをたださないで、今度は
風致地区の解除という問題が出てきた、それがいままでの概略の
いきさつなんです。本来これは
風致地区だ。二重
指定のミスであれ、何であれ、わかったときには、
日立の生
コンクリート工場の建築請願を取り消すべきであったのを、建築
許可をそれから
あとに与えておる。たしか去年の十一月二十六日に
許可を与えておる。こういうふうに
行政上のミスというのが次から次に重なって、
地域の住民の
立場というものは、いわゆる
行政の権力でずっと押し込められてしまって、いまもう最終
段階を迎えているのがこの
委員会です。こういう
いきさつをまず私のほうから明らかにいたしたわけでありますけれ
ども、そこで私がふに落ちかねるのは、どうして
風致地区を解除したのか、問題がこういうふうに紛糾している時期に。それからもう一つは、周辺が、御案内のように、居住
地区に
地域変更がされ、緑地帯の
地域も明確である。その谷間の中に準工業単独
指定に今度は切りかえられた
地域があるわけでありますけれ
ども、これは一体都の
行政と
建設省の
風致地区存続の
考え方とどういうふうにマッチしておったのか。私は、これは非難に悪い言い方をすれば、
日立生
コンクリートの
工場の請願が行なわれ、その裏にはいろいろの問題があって、どうにも抜き差しならなくなって、それを合法化するために
風致地区の解除という形に持ってきたのだと、こういうふうに見られる節があるわけです。
まず第一に聞きたいのは
いきさつと、第二は、こういう
いきさつがあったものに対して、
建設省としてはこのまま認可しますか、そこをひとつはっきりしていただきたい。