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公述人(力石定一君) 賃金と物価の問題につきまして私の所見を述べさせていただきます。
最近の賃金上昇率の状態を労働省から発表になっておりますが、これによりますと、昨年三十七年、暦年でございますが、一〇・六%の賃金上昇率を示しております。これの内訳を見ますと、五百人以上の大
企業は五・三%の上昇率、それから百人から四百九十九人までは一〇・七%の上昇率、それから三十人から九十九人の中小の下のほうは一四・九%、それから五人ないし二十九人の従業員数を持っているところは二三・〇%というような非常に高い賃金上昇率を示しております。このことは賃金較差がだんだん解消に向かっているということで、ある意味では
日本の
機械工業というものの非常な発展を
中心として、近代的な雇用構造にだんだん転型しつつあるということを示していることであって、好ましい現象であると思うわけですが、しかしながらこの五百人以上の賃金上昇率五・三%というものを、昨年起こしました六・八%の消費者物価の騰貴、これと比べてみますと五百人以上のところでは約一・五%ほど実質賃金としては低下しておる。すなわち消費者物価指数のほうが七%上がって賃金は五%、そうするとそれだけ五百人以上のところでは実質貸金が低下しているということが出ているのではないか。これに対して零細
企業のほうも二三%という非常に急速な賃金の上昇がある。ここでは実質賃金としますと一五、六%の賃金上昇になっている。このことは何を示すかといいますと、五百人以上の賃金所得者は賃金所得は非常に量が多いわけでありますから、ここのところからいわば零細のほうに回ったということでございます。すなわち二重構造解消、つまり底辺の賃金の上昇に伴う二重構造解消への傾向の負担を、その
コストを支払ったのは大
企業のほうの労働者が身銭を切ったということがここに示されておるわけであります。ここでは二重構造解消といいましても、上を低くして下を上へ上げていくというのでは困るのであって、全体として生産性も上がっているわけですから、全体として実質賃金が上昇していく中で二重構造を解消していくという方法をとらなければいけないということであります。そのためには五・三%の賃金上昇は名目でございますが、実質的には一・五%の低下というものを、どういうふうにして今後の
予算では問題にしていったらいいか、
予算的な観点からこういう賃金
水準というものに対して
政府はどういうふうに介入したらいいかということが問題になってくるわけであります。
で、近代国家ですと、こういうふうに消費者物価指数が上がりますと、最低賃金制が全国的に一律に最低賃金制が施行されておりますから、消費者物価が上がれば、それにリンクされて最低賃金は上げられていく、実質賃金は下がらないようにしていく、あるいは消費者物価のほうをいじってこれを上がらないようにしていく、これが
政府の責任として近代国家としてはやられるわけですが、
日本では残念ながら最低賃金制がないわけです。したがって
政府の介入ルートとしては、公共部門の賃金
水準あるいは生活保護者の給与
水準、こういうふうなものがルートになるだろうと思います。このルートでもって実質賃金の低下を防いでいくということが、今度の
予算においてやられているかどうかということが、
一つ問題になるところであります。
で、この公共部門の賃金を上げますれば、全体としての公務員並みというようなことが世間の賃金相場になるわけでございまして、全体として上がっていく。こういうふうな方向に
政府が努力することが必要ではなかろうか。そうしますと、やはりここでまた
予算の問題が、
予算をどうやってひねり出すかというようなことが問題になります。
先ほどから問題になっておりますように、
日本は農業
予算も要る、中小
企業の
予算も要る、あるいは社会保障をもっと十分出さなければいけない。上がっているけれども、ふえているけれども、なかなか十分じゃない。こういうふうな押せ押せで一ぱい
予算要求はある。なかなかこれをこなしていくのがむずかしい。そこで、
日本の
財政というものを、こういうふうな押せ押せになってきたやつをじっとがまんして待つという形でいかざるを得ないものなのかどうか。ここに
一つの根本問題があるのではないかと、こういうふうに私は思うわけです。だから公的賃金の問題は、単に賃金
水準全体の問題ではなくて、
日本のいわば公的な社会的な負担を国家はどれだけちゃんとやっているかという問題、
公共投資も確かに非常に必要でありますけれども、
公共投資の増大テンポに比べますと、ずっとその他の社会福祉的な支出の増大テンポは低い、こういう関係になっているのであります。これを
公共投資のほうを落として、増大率を落として、支出構造をもっと社会保障的なほうに回していくということも
一つのやり方でありますけれども、全体としてやはり
日本の
財政ファンドというものが少ないのではないか、この点に
一つ問題をしぼって考えたらというのが、私の
一つの提案であります。
国民総生産に占める租税の負担率を国際的に比較してみますと、御
承知のように
日本はことし二二%、これは地方税とかその他全部入れて租税の負担率が二二%でございます。これは近代国家の普通の
水準というのはどのくらいかといいますと、西ドイツが三四%、オーストリアが三三%、フランスが三二%、イギリスが二九%、イタリアのような割合と貧乏な国でも二八%ほど租税を負担している。たっぷり租税はやはり出して、公的な
仕事はやっているという形になっております。
日本では国民所得が全体として低いのだから、低いところへもってきてあんまり高い租税負担率をかけると苦しいというようなことが、
一般にいわれているわけです。そのことが二二%からあまり上げまいということの大きな理由になっているわけでありますけれども、私は二二%という
水準は、あまりにも
水準として低いのであります。大体トルコとかスペインとか、ああいう割合と近代的な国でない国の
水準だと、二二%までも租税を取るということになりますと、どこから取るかということが
一つの問題になります。近代国家として当然やるべきことをやるだけの
水準というのは大体二五・六%くらいに一挙に引き上げる、もっと二八%くらいに引き上げるということがやっぱり必要になってくるわけですが、これを今までの勤労者の所得税から取るといったって、これ以上取りようがないわけです。そこで私は、取る基本的な場所をどこに置くかということで、ひとつ国際比較をやはりやってみたい。
一つは
法人税でありますが、これは
日本は
法人税が高いようにいわれておりますけれども、国際的に比較しますと、非常に安い。
アメリカが五二%、収益の中の五二%を出しております。イギリスに至っては五四%で
法人税の率が高いわけです。西ドイツが五一%。フランスが五〇%くらいです。大体、近代国家は五〇%くらい収益の中から公的な負担を
企業は負っている。
日本はこれに対しまして三八%くらい、四〇%を割る
水準であります。一割以上
法人税は安い。しかもその安い
法人税を、いろんな特別措置でもって負けてあげたり、払わなくてもよいということがたくさんやられているわけであります。
そこで、それと所得税につきましても非常に累進性が乏しい。
日本の所得税とか地方税全部含めまして所得階層別に租税負担率を出してみますと、何と直接税、間接税全部入れまして租税負担率を出してみますと、年間十万円以下の人が二一%でありまして、これが一番たくさん租税を負担しております。それからずっと二十万円以下が二二%、三十万円以下が一〇%くらい、五十万円以下が一〇%、それから七十万円までが一〇%くらい、それから百万円までが一二・三%、それから百万円以上が一九%となっておりまして、百万円以上のところが十万円以下のところよりも総合負担率としましては、間接税なんか全部入れますと総合負担率としては低い。これはいわば累進課税の原則に反しているわけでありまして、累進性が非常に乏しいのであります。これは逆進性といいます。こういう租税の構造を逆進性といいますが、こういう逆進的な構造では、なかなか租税は捻出できない。もっと近代国家並みの累進的な性格をこれに与えていくということによって、かなりの財源を支出することができるのではないか。そういうふうにしてたっぷりやはり二八%程度の
予算をもって、そして
公共投資ばかりふやすのではなくて、そのほかのものも同じテンポでふやしていくということをやりますれば、
日本の近代的な社会体系というものは、もっとスムーズに行なわれるのではなかろうか。
こういうふうにすると
予算がふくれてくる、インフレの原因になるから、なるべく二〇%くらいのところでとめておいたほうがいいと、
一般にいわれますけれども、むしろ二〇%くらいに押えているために、
財政規模が比較的総体的に低い。したがって金融面では野放図な貸し出しをやっていて、
投資競争をどんどんやって、そうしてどんどん二重
投資、三重
投資をやるというふうな形が出てくるのではなかろうか。また、
投資課税を安くしておるために、安いからどんどん蓄積をやるというので、不必要なほど
民間投資が先行してしまう、こういうことになっておるのでありまして、むしろ二八%はちゃんと先に取るものを取ってやって、それでしかもインフレにならないように金融面では慎重にもっと押えていく。
投資を全体としてコントロールしていく、こういうやり方をするならば、租税あるいは
予算の所得再分配効果というものがもっと近代化するというふうに私は考える。そういうふうにしてやれば、今出ております農林
予算だ、中小
企業予算だ、あるいは公務員の賃金はどうだと、こういうような問題、社会保障の問題なんかも、もっと十分なやり方がとり得るのではないか。この点でどうも
日本の
政府は遠慮し過ぎているというふうな気が私はするわけであります。これはまあ賃金ファンドをどうやって捻出するか、それによって公的部門の賃金を上げますならば、全体として賃金の上昇、実質賃金の低下を防ぐことができるというふうな努力、これをやる必要がある。
その次に、物価の問題に入って参りますが、
先ほど言いましたように、消費者物価は七%も非常に騰貴しているのです。この騰貴の原因を見てみますと、御
承知のように、生鮮食料品が上がったとか、あるいは今言いましたように、零細
企業の賃金が二割も三割も上がるわけでありますから、賃金
コストが上がってくる。そうすると、零細
企業の商品の騰貴が起こる。それからまた公共料金の騰貴が起こる。こういうふうな騰貴が起こってくるわけであります。これに対してどういう態度をとるかということが
一つ問題になって参ります。生鮮食品なんかにつきまして流通機構を整備する。これに対してちゃんとお金をつけていくということが
一つ問題としてはあるわけでありますが、昨年の三月の
政府の物価問題についての
政策を見ますと、こればかりでなく、もっと広範な対策が出ておりました。ところが、最近はどうもこの生鮮食品ばかりに熱中されているわけでありますが、私は、この消費者物価の騰貴に対して、やむを得ない部分は、今言いましたように、この賃金
水準を全体として引き上げて、実質賃金を低下させないように、消費者物価の騰貴におくれないように賃金を上げていくということが、やむを得ないものに対してはそういうふうにやっていく。しかしながら、ある程度押える手段もあるのではないかということも考えてみたいわけであります。たとえばこの零細
企業の賃金騰貴は、これは望ましいわけでありまして、また、賃金が上がって二重構造を解消するということは
政府の目標でもあるわけです。だから、賃金を押えて物価を上げないということはできないわけでありまして、賃金を上げて、しかも物価が上がらないようにするにはどうやったらいいか。
一つのやり方は、零細
企業が使っておりまする原材料、これをもっと下げるという努力をやってみたらどうか。たとえば鉄鋼原材料については、鉄鋼価格をもっと下げていく、あるいはプラスチックというような原材料を使うものに対しては、プラスチックをもっと下げていく、こういうふうな大
企業製品の価格をもう少し下げるように努力したらどうか、
日本のように二重構造が非常に激しくて、どうしてもこの底辺労働者の賃金を上げなければならぬ国におきましては、どうしても消費者物価の騰貴率は大きくなってきます。だから、ほかのいわば下げ得る物価を下げていくという努力も並行して、相殺していくという努力をやらなければいけない。外国の例ですと、大体消費者物価の騰貴率は二・三%でありますから、相殺努力はそれほど必要ないのでありますが、
日本のように二重構造解消の課題をになっている国におきましては、物価構造を変えていく。すなわち、大
企業の製品についてもう少し手を加えていくということが必要である。昨年の三月の対策には、ナイロンとかその他につきまして
政府も勧告をやりまして、その面で少し上がる方向を調整するということが、原材料を安くすることによって吸収していくというふうな努力がやられましたけれども、最近はどうもその辺が忘れられてきているんではなかろうか。御
承知のように、この
日本の大
企業製品というものは、かなり製品価格が動くわけでありますけれども、それにしましても、やはり硬直的な、いわばかなりの生産集中度に達しまして、
市場を無視して価格を硬直的に維持していくというふうなものがたくさんございます。こういうふうなものにつきまして、もっと
政府の介入を促していく、そうすれば、それによって相殺努力が強められていくんじゃなかろうかということであります。御存じのように、
アメリカの国会では、キーフォーバー
委員会というのがございまして、鉄鋼価格とか自動車の価格とか、そういうふうなものについて、全体として物価騰貴傾向がある場合に、そういう大
企業製品に対して抑制の努力を行なう、そうして
調査をしっかりやって、物価を引き上げないように、また、むしろある程度下げるような方向に努力するということをやってきておるわけであります。
日本におきましても、やはり
日本のように特に二重構造解消の課題の激しい国におきましては、そういう努力がもっと強められ、
アメリカ以上に引き下げるというふうな努力をやらるべきではなかろうか。そこで、そういう管理価格、寡占価格のものを少し見渡してみましてどういうことが言えるかと申しますと、第一には、管理価格を常に設定しているものに対しまして、
政府のいろいろな形での保護
政策、その
産業への保護
政策がやられているわけであります。したがって、ギブ・アンド・テークの関係におきまして、大
企業は税金の面でもっと負担するだけではなくて、価格の面でも社会的なそういうふうな摩擦を防ぐために、自分たちの利潤をある程度はき出してもらいたい、こういう努力がもう少しやられていい。管理価格を形成しているものはだいぶたくさんもう出てきております。たとえばアルミとかガラスとかナイロンとかビニロンとか銑鉄とか、あるいはブリキ、珪素鋼板、こういうふうなものは非常に硬直的な価格現象を呈しておりますから、こういうふうなものに対しまして、これは私的部門でありますから、なかなか
政府としては介入しにくいわけでありますけれども、介入のルートを探しますれば、いろいろな形で
政府はこれに援助してやっているわけであります。そうしてまた膨大な
資本を蓄積してきておるわけでありまして、価格を下げてある程度協力してもらうというふうなことは、ギブ・アンド・テークの関係においてもやり得るのではないかということが
一つであります。そのためには、やはりこの部門でどの程度蓄積をはき出させ得るかということを
調査する必要がありまして、そのためには、やっぱり原価計算をちゃんと法的な努力でもってやって、そうして利潤はどの程度ということをもっと明確に把握する。ちょうど公共料金に対しまして値上げ要求があった場合には、その原価計算をはっきりさせて、その利潤はどの程度かということをはっきり見て
政府が介入するような、そういう努力がやはり必要ではなかろうか。大体これほど生産全体に対しまして集中度は一〇〇%から九〇%に達しておるわけでありますから・大体近代国家では五〇%以上の生産集中度を持った部門に対しては、やはり生産力はいわば寡占的な支配をしているわけでありますから、社会に対してもっと責任を持つということが常識になっている。
日本もそういった常識をもっと働かすならば、
予算面で金を出すだけでなくて、価格面で所得再分配効果をやって、二重構造解消の負担を調整していくことができるのではなかろうか。これはまあ寡占価格、管理価格といわれるものの状態。
そのほか、
日本では公取の独禁法の適用除外を受けておりますところのたくさんのカルテル価格がございます。このカルテル価格も、不
景気だから、何とか調整価格を
政府が介入してやってもらいたいという形でいろいろやられているわけでありますが、この場合でも、ほんとうにそれが利潤がもうなくなったか、非常に弱り切った状態で適用除外を受けてカルテルを結んでいるというふうなものは割合に少ないのではなかろうか。そういうものも中にございますけれども、
政府が参加して独占的な利潤を何とか確保させてやっているというふうな傾向が多いのではなかろうか。こういうものに対しては、やはりちゃんとした公正な原価計算を国会あたりで明確につかんで、そうしてこの程度の利潤を吐き出して、この程度の標準価格ならカルテルを認めていいというふうな
政府の努力を行なっていく。こういうふうな形で原材料をもっと下げていきまするならば、中小
企業といたしましても、騰貴しつつある賃金に対抗するだけの余裕が出て参ります。また、
日本に国際
競争力をつけるためには、中小
企業の近代化が必要なんでございますが、近代化のため
コストをそういうところから得ることができる。中小
企業に、単に
予算面、
財政や金融面から援助するだけではなくて、価格面で大
企業がもう少し援助を与えてくれるように
政府が介入していく、こういうやり方が必要なのじゃなかろうかと思います。そうすれば、
予算の足りないところはそういう面からやっていくことができる。そういう形で中小
企業の近代化と、高い賃金に対抗できるだけの余裕が作られる。そういうことによって、全体として中小
企業製品がりっぱな製品になり、そのことは大
企業の製品とあわせて、
日本の製品の、何といいますか、性能を
強化していくというふうなことができるわけであります。こういう今までの
日本の社会
政策で忘れられておる、しかも、欧米の近代国家では当然やられておるような価格
政策、こういうようなものを
政府としてもう少し考えていく必要があるのではなかろうか。これが零細
企業の賃金騰貴に対してどう対抗していくか、この賃金騰貴に対してそれがプッシュするところの物価の騰貴、これの半分くらいをこういうふうなもので相殺できるのではなかろうか。半分くらいは相殺できますけれども、
あとの半分はむずかしい、騰貴せざるを得ない、消費者物価に影響さぜるを得ない、そういうものは賃金を上げることによってカバーできる、こういうことであります。
それから、最近の消費者物価の騰貴で重要なのは、公共料金の値上げです。これは非常に昨年度から問題になってきた点でありますけれども、この公共料金につきましてもいろいろな問題がございます。
先ほどいいましたように、
日本の
予算が非常に不足しているために、窮屈な形で編成されているために、当然
政府が負担すべきものを出していない。たとえば郵政事業なんというのはそうですね。こういうものは一番もうかるものじゃない。だから、どうしても
政府がやらざるを得ない。もうかるもの、電電公社とか国際電電とかは、公社なり、あるいは私的部門に譲ってしまう。もうからぬものばかりが
政府の手に残されているわけですから、そういうところにちゃんと
政府が金を出してみてやらなければならぬ。ところが、そういう金は
先ほど申しましたような
予算構造から出せないということになっているわけです。そこのところをひとつ突破していただきたい、これが
一つ。それから、この公共料金と申しましても、
内容を見てみますと、料金体系にいろいろ違いがございます。
一般的に公共料金
水準を論ずるのではなくて、大体公共
企業体は、あるいは公益
企業体は、価格を、いろいろな多角的価格
政策といいますか、多角的に編成しております。たとえば電力をとってみますと、大
企業、工業用の電力に対しては、かなり安く提供する、あるいは電灯に対しては、これに対してかなり上回った形で提供するというふうに、価格に格差を設けているわけであります。したがって、価格格差、この格差をもっと慎重に
検討してみる必要があるのではなかろうか。たとえば電力をとりますと、値上げがどうしても必要な場合に、大
企業の特約料金あたりを上げるのと電灯料金を上げるのと比べますと、電灯料金のほうは消費者物価に非常に響きますけれども、大
企業向けの特約料金、大口電力を少し上げるということになりますと、それはかなり大
企業の利潤でもって吸収できるわけであります。だから、消費者物価にすぐ影響しないように料金を改定し、消費者物価に響くようなところはむしろ据え置くと、たとえば電力の価格体系を見てみますと、国際的に比較しましても、
日本の大口電力は少し安過ぎるのではなかろうかという気がいたします。たとえば電灯料金を一〇〇といたしまして、大口電力の
比率が
日本では約三五%ぐらい、三割強、これに対しまして、イギリスあたりですと、電灯料金に対して大口電力は八〇%ぐらい、八割ぐらいです。非常に高く取っている。それから、
アメリカですと大体五五%ぐらい。ですから、大体半分より強いぐらい取っているわけです。原価計算をしますと、大体においてイギリス並みの電灯料金に対して、大口電力は、割合に大口にわっと供給するわけですから、
コストがかからない。したがって、少し安いのはあたりまえなわけですけれども、原価計算をいたしますと、大体八割ぐらいのところがいいところじゃなかろうか、こういうふうに考えます。
日本は一〇〇に対して三〇と、あまりにも安過ぎる。だから、この安いやつを上げまして電灯料金のほうを下げますと、消費者物価のほうを下げて、そうして特約料金を上げるということができる。すなわち、電力
企業そのものに、消費者物価騰貴に対して抵抗するだけの負担を負わせることもできる、それだけのかなりの利潤を上げている部門であります。それから、私鉄あたりになりますと、これは御
承知のように、その
関連部門、不動産とか、あるいはデパートとか、そういうふうなもので非常に利潤を上げている、これは鉄道を持っているという、いわば独占的な保有力というものがそういう利潤を上げさせるわけでありますから、これをひとつプールした形で計算をしていく、そうして、そこからいろいろな形での私鉄の
投資をやっていくというふうな介入が必要なのではないか。もう赤字になったからすぐ上げたいといえば、すぐ
政府としては、それでは困るから、上げないように、そのかわり私鉄の税金をまけてあげますというふうな形で簡単に考えるのじゃなくて、やはりもっと大
企業として負担できるものを負担してもらうというふうな努力が
政府としてもやられるべきじゃないか。そういうふうにしますれば、公共料金の騰貴傾向というものは、かなり抑制できる。すなわち、多角的価格
政策の体系をいじるというふうなやり方を加えることによりまして、
予算に負担のかからない形で公共料金の値上げを抑制できる、値上げを抑制するために税金をまけてあげますということになりますと、ますます
予算が足りなくなる。ですから、そういう形をとる必要があるのではないか、こういうやり方をとりますれば、消費者物価の全体としての騰貴傾向に対して、反対に相殺傾向をある程度動員することができるのではなかろうか。このようにして、全体として消費者物価の騰貴率をもっとなめらかにして、そうして二重構造解消の負担が勤労者のみにかかるのではなくて、今までの大いに上げてきた蓄積を、ある程度価格の面で再分配していくという形で二重構造を緩和していく、こういうやり方が近代国家にふさわしい二重構造解消のやり方ではなかろうか、こういうふうに私は考えるわけであります。
先ほど申しました管理価格の問題について、多少補足さしていただきますと、生産集中度が非常に高いものがおくれているということ、それから、利潤ですね、利潤が非常に管理価格によって大きくここにはらんできている。で、この利潤率をやはりずっと調べてみる必要がある。非常にそこに高い利潤率が滞留しているということになりますと、そこに負担してもらう能力は非常にあるということでありますから、やはり生産集中度と利潤率、この問題をよく
調査して、これを単に会社から出してもらう資料ですと、やはり問題があるわけでございまして、やはり客観的にそれが
調査できるような
政府の努力、
調査委員会を
政府としてはやはり持っていく、こういうやり方は
アメリカあたりで非常にやられている近代的なやり方でございます。
それから、かなり下がっているものもございます。たとえば自動車とか電気製品、そういうものはかなり下がっております。こういうものは下がっているからいいというふうに一概に言えないのでございまして、この下がり方が、どの程度の下がり方をしているのか、すなわち、利潤率が、下がりながらも上がっていく、
日本の新しい
産業でございますから、いろいろな形で、そこに価格を下げても、新しい
産業ですから、価格が、どんどんどんどん量産効果が出て参りますと下がって参ります。にもかかわらず、そこに一定の高い利潤が蓄積されていくというふうな、いわば硬直的でないような管理価格といいますか、変な概念でありますが、そういうふうなものもかなりあるのではなかろうか。こういうものにつきまして、もっと客観的な
調査をやりますれば、そこに負担してもらうものがかなり出てくる。そうしてそのことによって価格を下げれば、消費者物価の一
要因も、騰貴の一
要因をむしろマイナスに持っていくことができる。そうすればプラスを非常に相殺できる力を持ってくる、こういうふうなことになっているのじゃなかろうかと思います。
それから、たとえば郵便なんかにおきましても、
政府として、
先ほど私は
政府がたっぷりもっとお金を出す、もうからぬところに金を出すと申しましたが、こういうものに関しましても、たとえばもうかっている国際電電だとか、あるいは電電公社とか、こういうふうなものと、プールした形でやれば、かなりそちらのほうに負担してもらうことができるわけですし、それから価格を見ますと、最近ダイレクト・メールが非常に多くなっております。これは非常に重量としても重いわけですが、しかも郵便料金は安い。このダイレクト・メールが非常に多いために、労働者——郵便労働者は非常に労働が過重になってきている。しかもこれは非常に安い。こういうふうなものは、このような料金はいじっても、消費者物価に影響しないわけであります。宣伝用のものでありまして、大
企業のかなり利潤を蓄積した大
企業部門の宣伝用の
コストでありますから、そういうような
コストを負担してもらう。そうしますというと、郵便料金あたりでも、もっと下げ得るものが出てくるし、あるいは少なくとも上げるのは防ぐことができる。上げないでやれる。また公務員の労働者の賃金もそういう面でファンドをカバーできるというふうなことがあるわけでございます。
こういうふうに私は概観して見て
感じますことは、
日本では、どうも非常な高
成長が行なわれましたけれども、大
企業が社会的な費用に対して何といいますか、考慮する点が、社会的に意識が低過ぎるのじゃないか、社会的費用というものが、近代的な概念として出て参りまして、
資本蓄積をやっていくのに、どうしても社会的負担として
企業が負わなければならぬ社会的な費用、ソーシャル・オーバーヘッド・
コストというものがあるということが、近代国家では常識になっております。そういうふうなものを大
企業で租税の面で、価格の面でうんと負担してもらうということを、社会的な習慣として定着させるという努力をもう少しやっていきませんと、いつまでたっても、高蓄積の
あとを
公共投資や社会的な
投資が追っかけていく。なかなか先行
投資に追いつくことができないというふうな全体としてのソーシャル・アンバランスといいますか、社会的なアンバランスが大きくなっていく。多かれ少なかれ、社会的なアンバランスというものは、私的部門が非常に進み過ぎて、公的部門が立ちおくれるという傾向が近代国家どこでもあるわけでございますが、
日本では特に、このアンバランスがひど過ぎるわけであります。そのことは、結局もう少し大
企業が、そういうふうなものに対して、社会的責任を感ずる、こういうことが習慣として定着してない、むしろそういう社会的費用は勤労者の税金で何とかやっていくというふうなことになって参りまして、どうして本職的には限られたものになる。その場合にアンバランスが激化する、こういうことになっているのではなかろうかと思います。
こういうふうに社会的責任をはっきり示してもらう。そうして近代国家としてやれるものをちゃんとやりますと、その上でもって、しかもインフレーションにならないように
経済を運営していくということになりますと、
設備投資も、あまり二重にも三重にもやるということをしないで、このインフレーションなしに着実に
投資をやっていくという習慣が生まれるのではなかろうか。まあ、その社会的にがまんし過ぎているために、私的
資本が暴走するというふうな構造になっているのではなかろうかと思うわけであります。
で、こういうふうにして
財政面での所得再分配効果と、価格面での所得再分配効果をもっと引き上げて、そうして、そのことが結局
投資の合理的な、蓄積テンポの合理的な量を決定していくということに客観的に寄与するのではなかろうかと思います。また、そういう条件を作っても、なおかつ、暴走しようというふうな場合には、これは非常に危険だということが一目瞭然でありますから、もっと
設備投資の合理的配分につきまして、
投資配分につきまして、
政府が真剣に考えるように、日銀ももっと真剣に考えるようになるのではなかろうか。たとえば大
企業が、おれにやらせろおれにやらせろといいますと、全部それに対して金融をつけていくというふうな場合は、もっと抑制できるのではなかろうか、こういうふうに考えるわけであります。で、この二重
投資、三重
投資に関しましては、やはりどっかに集中して、
投資を集中してやっていくというふうなやり方、そうしますと、ほかのところは、
競争企業が非常に困るというふうなことが起きて参りますけれども、この
競争企業に対して、また特殊な分野を設定していく、
投資の全体の量をむだにならないようにぎゅっとある程度圧縮しまして、それの配分をもっと適正化する。そうして
資本効率をもっとよくします。そうしますと今のような
設備投資の量でなくても、今のように大規模な
投資率でなくても、国民総生産の占める
投資の量が、今のように大規模でなくても、今の高度
成長率を維持できる。
投資効率がよくなれば、それだけ
投資操業度の低いものがなくなるわけでありますから、
成長率は別に落ちないということになるわけであります。総じてこういうふうな
投資再配分と価格の所得再配分効果、
財政の所得再配分効果、このことを全体を統括いたしまして、全体の
資金の配分を、国民所得全体の
資金の配分を合理的にやるというふうな、何といいますか、
投資配分の客観的な、何といいますか、
審議を行なう、こういうふうな機構が、
アメリカでは発達しております。社会的な部門が非常におくれておりますから、こういうものがおくれないように、私的部門があまり暴走し過ぎない、こちらのほうはちょっと待ってもらう、社会的部門がおくれないようにする。この合理的なバランスをたえず保っていくようないわば平衡器、耳の中にあります平衡器のような機能を果たす、そういう
委員会を国会の中に設定する、こういうようなことを
アメリカではやっておりますが、こういうふうなことが、
日本の場合にももっと
予算問題なんかを討議する場合には、問題にしていいのではなかろうか、そういう全体のソーシャル・バランスというものを基礎に置いて
予算の構造を
検討していくということが必要でございまして、このことを抜きにして、社会保障がだんだん社会的支出が上がってくることを千年一日のごとく待っているというふうな待期的な姿勢では、なかなか問題が解決しないのではなかろうかと思います。こういう問題をどんどん積極的にやっていきませんと、まだまだ大
企業として二軍
投資、三軍
投資をやれば過剰生産になり、今度は、これを過剰
投資を解決するために、
投資の集中あるいは
企業の集中をやらなければならない。集中をやるために金が要る。また
資本輸出をどんどんやっていくためにもお金が要る。大
企業としては、ほうっておきますと金の要ることは幾らでも出てきます。ですから、これはもっと整然とやっていただくということにしないと、いつまで待っても、社会的な部門での費用は捻出できないということになるのではなかろうかというふうに私は考えます。
私の
公述を終わります。(
拍手)