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参考人(
吉村徳蔵君) 私は、現在
中学校一年生の担任をいたしておりまして、新
教科書の
無償に関する
法律が
実施されたことを心から喜んでおります。と申しますのは、ここに子供たちが作った
憲法ノートというのがあります。この
憲法の第二十六条を子供たちが読むたびに、
義務教育が
無償になっているのに、どうして私たちは
小学校のときから、いろいろと費用を払ってきたのですかといこうとを聞かれて実は困っているわけです。この条文はおかしいのではないかということをときどき言われて困っておったことが、今度はなくなるのではないかというので、たいへん心から喜んでおります。父母と共に、また
教育費の負担が減ったことを心から喜んでおります。
私は
学校をあけて参りますときには、できるだけその
理由を子供たちに申しまして静かに自習するなり、また課題を与えて、やっているように言ってくるのでありますが、今回私が国会に行くと申しましたところが、ではひとつ国会議員の皆さんにお願いしてほしいと子供たちが申しました。第一に出ましたのは、ひとつ古い校舎を早く直していただきたい、その次出ましたのは、プールを作ってほしい、その次出ましたのは、掃除用具が少ないから掃除用具を多くしてほしい、こういうことでございました。いろいろ注文がございましたが、その中に
教科書は
国定にしてほしいという
要求は出ておりませんでした。
教科書についても、いろいろと子供たちは注文を出しておりまして、ある女の子供は、
教科書について望むことといって、こんな個条書を書いております。まず
社会科の
教科書には、たくさんの
写真やグラフを載せていただきたい、数学の本は、どうも文章がわかりにくいから、文章をもっとわかりやすくして、むずかしい言葉を使わないでもらいたい。それから
国語の本には有名な
物語など、本が厚くなってもいいから載せてほしい。それから
教科書はひとつ使う人の身になって、天然色の
写真や表、グラフ、有名な
物語など、めずらしいものを載せてほしい。それから表紙には、すてきなデザインのもので勉強するのに楽しくなるような、きれいで上等な紙でできているものを作ってほしい。また、ある男の子は、
教科書はもっと厚くてもいいから、もっと詳しくしてほしい、そして
参考書を一々買わないでも済むようにしてほしい、また、
国語のときにむずかしい語句が出てきたら、
教科書のうしろを見ると、むずかしい字句の意味が載っているような辞書もつけてほしい。いろいろな注文がございますが、また間違いやすいと思うような字にルビをふってほしい。もう少しおもしろい
義務教育の本をただにしてほしい。音楽には、うっとりするような歌がたくさん載っていていいけれども、ひとつ英語の本にも歌を載せてほしい。
こういう子供の声を総合してみますと、教える中身のことは、子供たちは十分わかっておりませんけれども、現在の教材に対して、いろいろな点で要望なり、子供なりの
教科書に対するイメージを持っていることはおわかりだと思うのであります。こういう子供たちの要請にこたえまして、私たちはもっといい
教科書を作らなければならない。また、作っていただきたいと思っております。
ところで
教科書が、ただになるということは、私たちのひとしく望むところでございますが、同時に、先ほど来いろいろとお話がありましたように、
教科書が安くなる、あるいはただになりさえすれば、中身がどうでもよいかというと、そうではないと思うわけであります。
義務教育が
無償になったということが、
教育の中身が貧弱になったということでは、今、高度成長を遂げている
日本といたしましては、やはり何か矛盾があるのではないか。今ここに、私自分で使っておる
教科書を持って参りましたが、たとえば
日本の自然を教えますと、自然の、たとえばここにデルタの地帯、それからここにリアス式海岸と、こういうのがありますが、これは子供たちは色もありませんし、非常にわかりにくいわけです。で、私たちはやむを得ず、こういういろいろな——ちょっと時間を取らして恐縮なんでございますが、たとえばこれをこういうふうに見せますと、そうすると子供たちは、ああっと言います。あ、それは先生、扇状地じゃないの、こういうふうに、別に
説明しなくてもわかる。それからもっとわかりやすく、たとえばここに——
教科書の中には、川の蛇行というのがございまして、これを見せれば、子供たちには一々
説明をしなくても蛇行ということはよくわかります。ひとつ
教科書をよくしていくということの中身として、ちょっと私は例を申し上げたわけですが、私たちはそういうふうに授業をやる場合、いろいろと工夫をしております。しかし私たちの力では、なかなか十分できないことがある。たとえば一本の川と外国の川とがどれだけ違うのか、アマゾン川ということを聞きましても、南アメリカのところにアマゾン川という川幅をただ線でやったんでは、これは実際アマゾン川とわからないわけです。実際河口に立ちまして、東西南北に
写真をとってみると、回りが水ばかりであった。高度千メートルか二千メートルのところからとってみたところが非常に幅の広い、まさに海のようなものであったというスライドや
写真があったときに、初めて子供たちに、アマゾンならアマゾンのイメージを豊かに与えることができるおけです。
そういうことを実は私たちが現場でもってやりますと、私、また
教科書に、そういうものがあったり、すぐにそこで使えるものがあったらいいなと、こういうふうに思っております。で、このものは別に外国のものではございませんで、
日本のものでございまして、ただ定価が非常に高いわけです。二千八百円するものですから、とても一人々々の子供に、今のような状況の中では与えられないわけですけれども、今後の、
教科書を作っていく上にやはり
参考にして、子供たちの先ほどの、要望の中にありますような、いい
教科書を、そして楽しく勉強できるような
教科書というときに、ぜひ
参考にしていただきたいと、こう思うわけであります。
と申しますのは、中学生は、大体一
学年の
教科書は、千円からまあ千二百円ぐらいの見当でございます。私の
学校まあかりに千六百人の生徒がおりますと、その千円が、もし
無償になりますれば、百六十万円の金額が、相当浮くわけでございます。その金額で教材教具を買いますと、だいぶ買えるわけであります。ことしの私たちの教材、教具の費用といたしまして、ざっと六十万でございます。それを九
教科、また、ほかのいろいろの部で分けますと三万円にしかならない。これは技術、家庭科の先生などは、とてもこれだけでは足りない。技術、家庭科だけでもって数十万、多いときは数百万ぐらいの費用が必要である。私なども、たくさん地球儀を持って子供たちに教えたいと思っておりますけれども、たった二個しかございません。一学級四十五人のところに、二個の地球儀でやるんですから、二十人が
一つの地球儀に集まりますから、いかに地球が小さいかということしかわからないわけです。これではとても、地球の意味を子供たちにわからすことができませんので、そういう今の費用を教材に使いますと、そういう
価値が出て参ります。そういう点で、
教科書の
無償に関しまして、
教育の中身が貧弱にならないようにということを、ぜひお願いしたいと思っております。
私たちは、できますなれば、
教科書は、自分たちが実際教える現場でもって、少し時間的な余裕と条件を与えて下さいますれば、私たちは子供たちと一緒にいいものを作りたい、こういうふうに思って、意欲を持って、私たちが授業できるようなものを作っていただきたい。そのことに国が惜しみなく援助を与えていただけますならばありがたいと思っております。
現場
教師といたしまして、先ほどの海後先生のお話と重複するのでございますが、よい
教科書というのは、どんな
教科書かということを少し申し述べてみたいと思うのでございますが、まず
教師と子供とが一体となって
学習ができる、しかも楽しい
教科書でなければならないことはもちろんのことでございます。しかし、楽しく学べるということだけでなくて、その
内容が、子供たちをほんとうに賢くするものでなければならないと思います。今の子供たちは、実は今後四十年たちましても、やっと五十数才でありまして、二十一世紀に、皆さんよりもあるいは若い年令になるかもしれません。だと、まさに働き盛りでございます。そのとき、二十一世紀の時代を想像しますと、どんな時代であるか、そのとき子供たちが、かつて
小学校、
中学校で習ったことが何の役にも立たないことであっては、やはりまずいと思います。また、そのときの政府や一部の人たちのための
内容が、われわれに与えられたりするということであっては、現場の
教育を担当する者としては困る。そのことに関しまして、実は私たちは、こういうふうに
考えております。
今のおとなの人は、子供たちが学力がないと言われておりますけれども、一体、その原因はどこにあるか。その
一つは、やはり
教科書の編さん上にも大きな問題があるのではないか。私は
社会科を教えておりますけれども、先ほどの子供の
意見にありましたように、たいへんむずかしい字句などが出て参ります。どちらかと申しますと、
国語の
教科書が一番やさしくて、それを使って
考えなければならないほうの
理科だとか数学、
社会科のほうが、ずっとむずかしい字が出てくる。これではちょうど、さびたナイフでかたい木を切るようなもので、一向に切れないわけです。で、こういうことに関し、また、たとえば数学でも九九が
小学校の二年生と三年生にまたがっておりまして、これはなかなか——私たち子供のときには、九九といえば、
小学校の二年か三年のときに、まとまって毎日音楽の時間のように暗記をしたものだと思っております。これが今では、またがっております。そういう点で非常にいろいろ
教科書の編さん上問題があるのではないか。
一つは
学習指導要領の問題にも及んでくると思うのです。そういう
教科書をよくしていくためには、やはり今、先ほど海後先生がおっしゃいましたように、根本的にもっと、ただ、
教科書をただにする、ただにしないというだけの以前に、もっと大きな子供の学力を高めるために何をしなければならないかということがあるのではないかと思うわけです。
で、いや、そんなことは心配ない、
検定教科書があるから心配ないということがあるかと思いますけれども、しかし
文部省検定済みの
教科書を使っていれば、それでみんないいのかというと、なかなかそうはいきません。私たちの仲間が調べましたところが、家庭科の
教科書にこんな例がございます。それはカレーライスの作り方というのがございます。「ルウ」の割合いを見ましたところが、小麦粉と油の割合が、それぞれ各社みんなまちまちでございます。一体これは、どれが
文部省特選ライスカレーかとみんな笑ったのでございます。それでは子供たちは、一冊の本を見て、自分たちが習っているライスカレーが一番いいと思っておりますから、水っぽいのや油っこいのや、カレーの多いのや、どんなのを食べさせるかわからない。若い先生たちに、君たちお嫁さんをもらうのに、どこの会社の
教科書で習ったかよく聞いてからお嫁さんをもらわないと、えらいことになるから、
教科書の
選定をよくやったらいいということを申したわけでございます。
この
教科書につきましては、私どもは
検定して下さる方には御苦労で感謝しております。いろいろ間違っていることをなくしていただくことに非常に感謝しておりますが、ただ、
基本的な観点では、ただ、
教科書を
検定したら、それで完全なものができるというふうには私たちは
考えておりません。これは私の言葉ではいけませんと思いまして、たまたま読んでおりました福沢諭吉先生がこういうことをおっしゃっております。「そもそも
教科書の完全、不完全というも、実際に完全なるものは望むべからざるのみか、またいかに完全のものを用うるも、書籍の力によって生徒を導かんとするがごとき、とうてい人力に及ばざるところなれば、
文部省の
検定は、ただその有害を認めたるものを排斥するにとどめて、いやしくも無毒のものは一切不問に付すべきのみ。」また「世間の人は案外に眼識に乏しからず、めいめいに取捨して適当なものを用うるに、他人のお世話は待たざるなり。もしも
文部省がみだりに
検定を窮屈にするのみならず、一種の偏見をかまえて、その間に我意に調合することこれまでのごとくならんには、ただ
教育の発達進歩を妨害するに過ぎざるのみ。みずから省みてみずから悔悟すべきものなり。」これは明治三十年四月二日に福沢諭吉先生が書かれたものでございます。
最後に
採択の
実情について、ちょっと私の感想を申し上げたいわけでございますが、先ほど
木下先生は数社にしぼられたほうがいいと、そしてまた、たとえば
中学校の
社会科は十二社のうち十社くらいに集中しているというお話でございます。私の区で調べましたところでも、やはり十二社のうち九社に固まっております。ところがその中では、少ない一社、二社というのもあります。しかし、会った先生方にお話を聞いてみますと、むしろ一社、二社を選ばれた先生のほうが、実はこれはほんとうにいい
教科書と思っているのだといって、むしろたいへん卓見を持っていらっしゃる先生もあるわけです。ですから、一社だ二社だということによって、その
教科書が悪い
教科書ということには私はむしろならないのじゃないかというふうに感じております。また私たちが
教科書を選ぶ際には、一人ではございませんで、職場のいろいろな仲間と集団でもって討議をしておりまして、そして
採択が終わって、いろいろな
学校の先年たちと、君のところは何を
採択したか、僕のところはいろいろ検討したけれども、どうもこれがいいのじゃないかと思ってこれでやってみる。それでは、ひとつお互いにこの一年間、どっちの
教科書が教えよいか、ひとつやってみようじゃないかといって、また、その結果をみんなで持ち寄るようにしているわけでございます。で、私たちはそういう点で、
義務教育費用は安くなり、
教科書が
無償になるということによって、
教科書が一種か二種になってしまって、そういう私たちの
研究の意欲がなくなるということをたいへんおそれるものであります。私は子供たちに、こんなことを聞いてみました。来年の
教科書を先生はちょっと選びたいのだけれども、君たちも一緒に行くかねと言ったところが——これは冗談に言ったのですが、生徒はみんな一斉に行くという。ところが、これは十何種類もあって、とてもわからないよといったら、先生、僕たち大ぜいで行けば、みんなで読むから、先生が一人で読むよりずっといいのじゃないかと、こういうふうに言われました。私たちは子供たちと一緒にも
考え、また父母と一緒にも、いい
教科書を選ぶように
指導すべきではないか、こういうふうに
考えております。これがほんとうに
憲法、
教育基本法にのっとっておりますような、
国民に対し
責任を負うという
教師の態度ではないかと思っております。
現在
東京都で広域
採択ということが問題になっております。
東京都では、なかなか各
学校みんなそれぞれ独自の
立場で
教科書を選んで少しも差しつかえがございません。ところが広域
採択について、私たちはいろんな疑義がございますので、とのことを区議会に陳情いたしましたが、そうしたところが・区議会でも、この陳情はちょっと待ってほしい、と申しますのは、文教
委員の
方々が、この
法案はまだ全然見たことがないということでございます。そして、この
法案はまだ見たことがないから、もう少しあとで陳情してほしいということでございます。そうすると、区の担当者であらせられる文教
委員の方が見ていないということは、私たち現場の
教師にとって、たいへん不安を覚えるわけであります。そういう点で、この
法案が審議されるにあたりまして、慎重に配慮されることを、そして私たち
教師が、今後あまり政治的な問題で右左にやられることなく、のんびりとヒバリとともに、子供たちと一緒に、大空のもとでのんびりと愉快に
教育のできるような環境に、私たちを置いていただきたいと、こういうふうにお願いいたしまして、私の
意見を終わらしていただきます。