○堀末治君 あなたの
お話はみんなよくわかるのです。私ら零細業者も多くて、多いということはよくわかるけれ
ども、しかし、
清酒、
合成酒といったって、とにかく最近は一切はものを合理的に
考えられていく時代であって、しかも今言ったとおり、全然、
清酒というものの、もと言っておった
清酒というものと、
税法からいくと
清酒というものが変わっている。その
清酒は、今言ったとおり、せっかく
合成酒が研究した技術をそのまま取り入れている。全部取り入れて、そうして要するに
清酒というものはできているんだと。何も
性質は変わらない、実際いうと。それに対して、どこどこまでもこれは
清酒と、これは
合成酒だと、こうあなた区別しているというのは、どうしても私は納得できない。しかも、
合成酒業者は、せめて新
清酒というようなことで名を変えてくれということを、これはきのう、きょうのことじゃない、私の時代からずっと言っている。さもなかったら、米をもう少しふやしていってくれぬかと。これも何べんも言っていることです。とうとう今日までやっていない。それはいいですよ。今あなたおっしゃったとおり、
清酒業者も多いし、これはもう昔から何代も続いている父祖伝来の業者も多いことだから、それゆえに、ここでもってぺちゃんこになっては気の毒だということはよくわかるから、そんなものをぺちゃんこにせいとは申しませんけれ
ども、しかし、要するに
合成酒業者は、今
野溝先生もおっしゃったが、今大資本がやっている、これはよくわかる。
しかし、大資本は大資本じゃない。零細な資本を集めてその会社ができている。
清酒のほうは、失礼ですけれ
ども、零細な営業がたくさん集まっておらない。そういうことを言い出すというと、父祖伝来の要するに個人の資本がうんと多い。今の
合成酒業者からいうと、これはみんな零細の株を集めているのです。五十円の株をずっと集めてできている。これは大資本でない。そういう小資本が集まって要するに大きくなっているというだけで、実際いうと、今言ったとおり、そのあがった利益は全部
大衆に持っていって還元されている。今の
清酒の大部分は、どっちかというと、
大衆にその利益は還元されないで、ある程度みんな、これは失礼ですけれ
ども、会社といえば大部分同族会社です。そういう
状況です。今の
大衆資本をもってやっていくということになってくると、ほんとうをいえば、あなたなんかの
意見からいえば、
合成酒のほうをうんとふやしたほうが
大衆に利益が還元される。
清酒業者のほうだというと、今言ったとおり、同族会社が多いものだから、親方のところによけい入っていくという形になっている。そこは私は今あまり責め立てはしませんけれ
ども、しかし、今言ったとおり、
合成酒、
清酒というものは実際に区別できない。飲んでみて区別したら、はっきりできるのはだれもありゃしない。一ぺんここで持ってきてごらんに入れますよ。失礼だけれ
ども、私、酒の審査員を長くやって、そんなことで藍綬褒章もらったりしている。今でもたいていの酒は分けますよ。酒の審査なら他人にあまり劣らないと思っているのですが、それで区別つくかというと、区別つかない。
ただ、問題は、合成という
名前がつけられているばかりに、けられているというのが今の実情です。それでもいいです。せめて今まで売れた程度のものが黙って売れておれば。
合成酒業者もあまり黙っている。今年度からの
売れ行きの悪いことは驚くべきものだ。私、きのう旭川の工場から帰ったのですが、旭川の工場で聞いたら、酒の入れ場がないというほど、どうにもこうにもならない。そういう
状況になっている。どうしようもない。
清酒は、このとおりうんと売れているのですよ。政務次官は知らないでしょうが、これ以上
清酒がふえたら、たちまち、それこそおけをふやさなければ入れようがないのです。そういうことですから、幸い米がふえたからけっこうですけれ
ども、あの米のないときにできたものは
合成酒なんです。それを鈴木梅
太郎先生がやったので、とにかく日本はこういう国で、肥料がないと米がとれない、米がとれないということになると飲む酒がなくなるというので、
合成酒というものを研究し出した。幸い今日までその技術を全部
清酒が取り入れてやっている。差しつかえないのです。差しつかえないのですが、せめて
合成酒という名だけ、それならば、
清酒に対しても
合成酒という名をつけるのは当然なんです、同じ製法ですから。何も変わりない。裏からいくか表からいくかだけだ。ただ米の量がそれだけ違うということで、あとは何にも違わない。そういうわけです。それをいつまでもこうして区別しておくということは、はなはだ賛成できない。
今のこれを
法律で五%にきめるということは、こんなことはどうでもいいことです。こんなことは
政令できめていることだから、
法律に書き直すならけっこうですが、そういうわけだから、
合成酒と
清酒というものに対しては、実際技術上からいっても、
性質からいっても、ただ米の量が違うというだけで、何にも区別ないのですから、それだから、あなた方も、せっかく
合成酒業者も何とか
合成酒という
名称をやめてくれというのだから、ひとつ
局長も
次長も、真剣に、早急に
考えてやってほしい。そうでないと、
合成酒業者に対して不公平です。とにかくこれが合成か
清酒か、実際飲んでみて区別もつかない。
製造方法も同じ、何らの差異もない、裏からいっても、表からいっても。それに対してあくまでも、今言ったとおり業者の請願を顧みないで、そうして区別しているということは、どうしても酒造業者においてこれほど不公平なことはない。税なんかそのときの情勢からして、上げようが下げようが、国会できめていくことだから、かまわないと思う。ただ、この
名称を、何かあなた方いつまでもがんばっているのは、どうしてもおかしいと私は思いますよ。近いうちに真剣にお
考えなさいということです。決して私は悪いことじゃないと思います。