○
高野一夫君 実は、憲法二十二条との
関連において、一番私
ども提案者として苦心した点でございますが、一応提案者としての
責任において、概略私の見解を申し上げてみて、なお、専門的の点は法制局の部長からお聞き願いたいと思います。
この
薬事法の改正によりまして、薬局等の適正配置をやることが憲法二十二条違反でないという見解を私
どもがとりましたことについては、一応三本立ての柱を立てたわけであります。その
一つは、取り扱われる医薬品というものが
国民の生命、健康に重大な影響を持っている特殊なるもので、
一般商品と変わったものである、この点がいわゆる憲法二十二条に「公共の福祉に反しない限り、」ということをいっておりますとおり、公共の福祉との
関連性が一番強く出されていいものではないか、こういう
考え方が
一つ。それから、もう
一つは、医薬品に対して需要者側が価値判断をする資格がない。たとえば魚屋に参りましても八百屋に参りましても新鮮なる魚、新鮮なるうまそうな野菜ということは一目見てもわかる。一目見てもわからなければ、手に取って見ればわかる。たとえば私がいつも例にあげることでありますが、同じ店でサンマに上中下の値段の相違がある、イワシでもそうである。目に見て鮮度はわからなければ、手に取って見ると、一番高いサンマはぴんとはねている、中ぐらいの値段のサンマはまっすぐ、投げ売りされるような値段のサンマはだらっと下がる。そういうふうにいたしまして、目で見、手に取って買う者が価値判断ができる品物とは、医薬品は全然本質を異にいたしております。使う人、買う人がその価値判断ができない。これは一にその売る人、取り扱う業者自身の
責任にまかせるよりほかない。この業体の特殊性が
一つ。もう
一つは、現在すでに各都道府県で内規などを作りまして、適正配置の行政指導をやっております。この既成事実が
一つ。これはそういう適正配置をする必要性というものがいかに緊迫し、いかに高まっているかということを物語るものでございます。私
どもは、まずこの三つをたてにとっていろいろ
考えてみたのでございます。そこで、このまず一番大事な取り扱い品に対して需要者が価値判断をする能力がない、あげて業者にまかさなければならぬ、こういうわけでございますから、業者は
責任を持って取り扱わなければならぬようにあらゆる規制を加えられておる。その規制を加えられたる規制の中で、業者として
国民に間違いのないサービスをしなければならないような義務遂行をしなければならぬわけでございます。そういたしますると、もしも過当競争、乱売等が行なわれまして、自分の薬種商なり薬局なりの経営上に不安が生ずる、あるいはすでに赤字になってきたということになりますというと、やはりすべては人間のやる仕事でございますから、適正な調剤をしたり、間違いのない適正な医薬品を販売したりすることに支障を生ずるおそれがなしとしないと思うわけであります。でありますから、安心してりっぱな調剤をさせ、安心してりっぱな優良なる医薬品を取り扱わせるためには、やはり経営もでき、また、勉強も十分できるような経営の安定をはかってやる。その上で
法律、省令等によってがんじがらめに押えられている規制を守って、その
範囲において
国民に適正なサービスをするというふうに
考えてやらなければいかぬのじゃないかと思うわけであります。現在、薬事監視員がございまして、いろいろ不良の場合、あるいは適正でない場合は取り締まることになっておるのでございますが、これはここに薬
事課長がおられて、材料があると思いますけれ
ども、私も調べまして、全国で千人の監視員が、わずか五百七十名しかおりません。県を入れましても千九百九十八名しかおりません。そうすると、薬局と、薬種商と
一般販売業、この三つの小売業、そのほかの品目を数種限定して駅などで売っておる特例販売業というのがございますが、それを入れますと十一万軒になる。これをこの薬事監視員と当たらせるということは、一人当たり実に二百軒を担当しなければならぬ。多少の予算をふやして増員をいたしましても、とうてい全国のすみからすみまでの薬店、薬局の監視をさせる、十分目的を達するということは、とうてい不可能ではないけれ
ども、非常に困難を伴う。それよりは、むしろ業者みずからの良識をもって、適正な
考え方、適正な行動をとるということにしむけることが一番いいんじゃないか。もう
一つは、最近の現象といたしまして、しろうとが、薬剤師でない者が薬局を開く、これは
現行の
法律では許されます。薬剤師さんを置くことによって許されます。ことにスーパー・マーケットのごときは、どんどん薬局なり
一般販売業をやる。薬剤師さんを雇って薬局をやる。これは売らんかな主義、営利主義、全く医薬品取り扱いの特殊性ということに深い理解、
責任感を持ったやり方でなくして、いわゆる営利的にやる、あるいはおとり戦術としてやる、乱売の根源になる、こういうようなこと
自体も事実全国にわたって起こっているのでございまして、こういうことも
一つ押えなければならない。それが要綱の第一にありまする、そういう大企業が営利的にばかりやることはけしからぬから、ひとつ、管理薬剤師等の人数をふやして、十分の適正なる仕事をやるのでなければ許可しないということに持っていくべきじゃないかというのが、要綱の第一項に戻っての
考え方でございます。
そこで、私
どもは、また公衆浴場法について
考えたのでございます。今度の改正案は公衆浴場法と非常に似ているのでございまするが、先年福岡で、条例の許可を受けないで公衆浴場の営業をやって処罰を食った。それが裁判をやりまして、これはもう皆さん御
承知のとおりで、詳しく申し上げませんが、福岡の高等裁判所から最高裁判所に参りまして、この福岡県の条例でもって、市部二百五十メートル、郡部三百メートルの距離制限をやったその条例が憲法違反だ、その条例のもとになる公衆浴場法が憲法違反だと、こういう訴えでございましたが、
昭和三十年の一月の最高裁の判例では、憲法違反ではないというりっぱな判例が下されているわけです。浩瀚なる理由書でございまするから、これを要約しますると、私は二つの点に尽きると思う。それはどういうことをいっておるかといいますと、公衆浴場というのは一体何だということ、それは
国民の健康管理に必要な厚生施設である、こう判定しております。
国民の健康管理に必要な厚生施設だから、家庭の延長であるべきだ。それが、ある地域には偏在して、ある地域にはないというと、ない所の住民がこれを利用することにきわめて不便である、だから、これは一口に申し上げまして、やはりある所、ない所の地域がむらがないように、まんべんなく普及開設さるべき性質のものである、こういうふうにいっております。その判決の理由の第二点は、公衆浴場が一カ所に偏在、乱設されると、料金の過当競争が起こる。そうすると経営に不安な状態が当然起こってくる、そうすれば浴場の公衆衛生的施設に欠陥を生ずる、また、生ずるおそれが多分にある、それは避けなければならない。したがって、公衆浴場の配置の適正を期するためにいろいろ制限をするということをきめた
法律並びにそれに基づいた条例は、憲法二十二条違反とは認めないという判例でございます。これを今度のこの
薬事法改正の場合に準用いたしますれば、それじゃ薬局等は一体何だということになる。公衆浴場が
国民の健康管理に必要なる施設であるならば、薬局、薬種舗等は
国民の生命保持に必要な医療的施設でなければならぬ。それが一地域には偏在して、一地域にはないというと、これはない地域がこれを利用することができない、非常に住民に不便を与える、公衆の福祉に反する結果が出て参る。一方において、薬局等が、今もお話がございましたとおりに、ある地域、特に都会あるいは繁華街に集中いたしますと、当然販売政策上、過当競争が起こる。そうすると、経営不安な状態が出て参りますから、設備、器具等にも欠陥が生ずるだろうし、あるいはいろいろな医薬品の適正を期することができなくなるおそれが多分にある。それは避けなければならぬ。こういうふうに
考えます。しかも、ふろ場は自分の家に置くことができる。ふろ場を持たない人だけが公衆浴場を利用する。薬局等は自分の家に置くことを許されません。すべて足を運んでその店まで行かなければならない。それなら、なおさらこれは当然適正に配置をされて、全
国民がひとしく平等に利用されるような便宜を与えられる、そういう状態に配置さるべきではないか。これはそのこと
自体が公衆の福祉に沿う
ゆえんである、決してわれわれは憲法二十二条違反の規定とは
考えられない、こう思います。
以上簡単に。