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国務大臣(
宮澤喜一君) 御
質疑の点は非常によく私にはわかります。確かにそこに問題があるわけであります。で、
総合開発計画が
法律制定後十何年できなかったということであったわけでございますが、これは本来
全国総合開発計画の
基本法ができましたときには、御記憶のように、いわゆる
食糧増産でありますとか、
電源開発でありますとか、そういう
考え方の
時代、
昭和二十四、五年の
時代であったわけでございます。で、当時の国の
経済の
要請と今日の
要請とはかなり質が違っておると思うわけでございますが、昨年立てました
全国総合開発計画は、したがって、
母法が
考えておりましたのとはかなり違った
要請を盛り込んで
考え方を立てたわけでございます。ところで、その間にいろいろな
地方の
計画が
一つ々々作られて先行した。さしずめ、したがってその間をどうやって
調整するのか。
あとからキー・
プランができたわけでありますから、それを
現実に進んでおる
時代とどう
調整するかということをしなければならなかったわけであると思うのであります。そこで、ただいま御
指摘の点がよくわかりますと申し上げる
意味は、
わが国——これはあるいはどこの国でもそうであるかもしれませんけれ
ども、全体として、片方に、
地域間の
格差をどういうふうに是正していくかという問題がございます。これは
経済にいたしましても、
文化にいたしましても、国内の数カ所の地点に過度に集中するということは本来よくないことでありますし、また、政治の
目的としても、
地域格差を是正するということは大切なことであると思うわけでございますが、そのことは、
現実にはしばしば、短期間の
投資効果ということから判断をすれば、
地域格差是正ということは、短時間の
投資効果を
考えれば、この
両者は必ずしも常に一緒の方向を差し示してはいないわけでございます。そこで、
全国総合開発計画は作りましたけれ
ども、国全体としてのバランスシートと申しますか、そういうことを常に
地域の住民が頭に置いておるかといえば、私は正直を申してそれは必ずしもそうでないと
考えます。何といっても、
地域社会がよくなるということは当然なことながら
考えやすいわけでございまして、それが国全体の効率からいってどういうものになるであろうかということは、
国民の間の
認識の問題としてはともすれば第二義的に扱われやすい。これも、
地域格差がこれほどございます限りは、ある程度は私はやむを得ないことだと思いますけれ
ども、しかし、そこをやはり
全国的な
視野の中で処理していこうという試みはなされなければならないと思うわけでございます。それが、
全国総合開発計画がねらっておりますところの
考え方だと思いますが、
現実には、しばしばいろいろな妥協をせざるを得ないということが事実であろうと思います。しかしながら、この
近畿圏の
整備法案は、多少私はそういう
意味での
——まああちこちから出て参ります
地方開発あるいは
整備の
考え方とは性質を異にしておると思います。と申しますのは、やはり
阪神という、
経済あるいは
文化の相当長い歴史を持った
一つの
中心は、これはやはり
東京首都圏と並ぶ
性格のものであると
考えましても、そんなに私は普通の常識ではずれておる
考え方ではないというふうに
考えます。したがって、そういういわば
日本の二大
拠点の
一つであるところの
阪神地域を
中心にして、そうして、まあこの
法案にはこれは
整備ばかりでなく、
開発という
観念もありますし、
既成都市区域という
観念もございますし、保全という
考えもございますから、いわば
日本全体の縮図みたいなものがこの
法律案では
考えられておるわけでございますが、まず
阪神というような二大
拠点の
一つを
中心にして、そういう
考え方を作ってみるということは、これは
意味のあることであろうというふうに私
ども考えます。ただ、それが先刻申しましたように、
全国的な
視野と無関係に、あるいは場合によっては相反して進んでいってもらうということは困る。そこは
調整の問題でございますけれ
ども、本来はもうそういうふうに
考えるべきものではないか。したがって、私
ども全国総合開発の観点からこの
法律案に反対であるというふうには
考えておりません。むしろ、
全国総合開発計画と調和のとれた形でこの
法律案が
法律として
実施されることを望んでおるわけでございます。そこで、おそらく御質問の中に含まれておった点は、たとえば同じような問題が
中京について起こってきたらどうするかというようなことは
考えられそうな点でございますけれ
ども、どうも私
どもは、この
首都圏整備に関する現在の
行政が、
臨時行政調査会などで
検討をされておる
段階でありますし、また、
近畿圏のこの
法案は、もう少しそれよりは
弾力性のある、したがって
提出の仕方をしておるわけでございますから、そういう
段階でさらに
中京をまた
考えるということは、にわかにはいかがなものであろうかという感じが、実は私いたします。それは先刻申しましたような
地域社会の
利益ということが、しばしば国全体の総合的な見地を飛び越えて議論せられることがわからないわけではございませんが、さて、
中京についてそういう問題が起こりましたときに、再び同じようなことを
考えるかどうか、どうも私自身はその点は消極的に
考えざるを得ない。ただいまのところは、そういうふうに思うわけでございます。