○
田中一君
後手に回らないで、
法律というものは、原則をきめておいて、
あとは
行政権の中で、
国民生活を豊かにするための
政治を行なうのが建前なんですよ。あるものに対しては、こまかくまるで重箱のすみを突っつくような
法律を作って、
鬼面人をおどろかし、あるものに対しては、野放しにしておくということだから、いろいろな意味の
脱法行為、いろいろ
合法非
合法のすれすれの問題が起こるから困るわけなんです。勝手に自分のへいなんかに
張り紙されちゃ困るという感情は、みな同じなんです。私は、昨年の七月の参議院の
選挙の際にも、はっきり違犯とわかっている
交番の前の
橋梁ですら、
愛国党とかなんとかいうものは、明らかに
日の丸の旗をべたべた張っているんです。それすら、今度の法の
改正によって、そういうことが防げるということを言っているけれども、防げていないのですよ。張ったものは、今の
接着剤というものは非常に強力なものがございます、強いもので石べいなんかにべたべた張ったものをはがすには、
代執行という形ではがすために、これは相当な
費用と労力がかかるのです。私が言っているのは、法というものは、守るように作るのが法なんです。守れないような法を作って、
あとでもってそれをどうしろこうしろということは、
後手々々の
政治なんです。それは間違いじゃないかと言うのです。ここまではいいのだ、ここからいけないのだという
制限よりは、そういうことがいけないのだ、しかしながら、かくかくの場合にはいいのだということを言ったほうがいいと思うのですよ。今度の
法律を
改正する趣旨の
精神というものはそこにあると思うのですよ。
国民が、まぎらわしいような、一々
ビラ一つ張るにも
行政管理庁に相談に行ってものをきめるよりも簡単ですよ。たとえば
補習教育をいたします、と、
ビラがどこにでも受験前になりますと張られるものなんですよ。また、新しい店を開店するために、いつ
幾日開店でございますというものを、資金その他でもって
精一ぱい、悪いのじゃないかと思いながらも、
電柱等にも張るわけなんですよ。だから、そういうことがまずいけないのだと、一々
許可を受けるのだというような
前提から、判断しやすいような形に持っていくのが一番いいと思うのです。
後手に回っちゃ何もならぬということなんですよ。法は知らしむべしです。法というものは、
国民の
生活の中に溶け込ますような
行政上の努力をして、そうして、しかしながらこういう場合には認めるぞということのほうがよい
行政だと思うのです。今言う
除外例を作っておいてものを言ったのではだめだというのですよ。ことに、まあここでこんなことを言っちゃおかしいけれども、
権力を持っている、その中におるところの
人たちは
平気でやっている。暴力を持っている、力を持っている者に対しては、それを
平気でやっていても阻止もできない。弱い者だけが同じ
ビラ張りの
行為一つにすら圧迫されているのですよ。どれもみなだめなのだということから出発したほうがいいと思うのです。今日の
社会環境というものはだいぶ変わっております。
人口もふえております。
農村におきましても、
テレビ等の発達によって
文化程度というもの、
生活水準というものが上がっております。
東龍太郎氏の
立看板でも
ビラでもそれは非常に
合法、違法すれすれのところで上手に立っている。ほかのものは、ほかの違った形の、野党というか、が、
立看板をやった場合には猛烈なる干渉を受ける。こういうことは枚挙にいとまないのです。われわれは身をもって体験しているのです。これはもう
選挙じゃない、
事前の問題ですからね、
はんらんするのは
事前運動の場合に起こるのです。だから、そういうものはいけないのだという
前提から、かくかくの場合によろしいということになったほうがいいと思う。だから、すべて
屋外広告物法にしてもだ、根本的に考え方というものを変えてかかっていいと思うのです。今度の
法律の
改正というものは、
代執行権というものを、
裁判所の認定を受けないでも自由にやれるようにするのだということになってくる。そして、違法と
合法が
国民はわからないですよ。
東龍太郎氏のやっているものだったらこれは
合法的であろうと、
阪本勝の場合にはこれは非
合法的であろうと思うのです。これは
権力に対して
恐怖感を持っているという、これは伝統的な
封建制がまだ
国民の中にあるわけなんですよ。そういう点が明確になっておらないですよ。
選挙の問題は
選挙法で
規定しておりますと言うけれども、
事前運動は一番激しい
選挙じゃございませんか。
谷藤君はまだ
選挙に出たことないだろうけれども、われわれはみんな
選挙に出ている。その間隙を縫って、いかにして
田中一というものを知らしめようかと努力しているのです。だから、その点はいけないのだという
前提から、かくかくはいいのだということを言ったほうがいいと思うのだ。今言ったとおり、四千九百九十九名の
人口を持つ
市街地はよろしいんだということになってくるのです。どっちみち
条例でそれを規制していこうというならば、初めからいけないんだということをきめておけばいいんですよ。それは決して非民主的なものではございません。何といっても
国民が
生活する
市街地なんです、その
環境なんです。決して特別な金持ちや
総理大臣が住むばかりの町じゃございません。
民主主義のはき違えですよ。だからもう一ぺん、あなた方の
答弁を引き出す前に申し上げますと、今まであった
事例——もう
ほんとうにたまらない
事例があるんです。
交番の目の前にどういう感興をもって張ったか知らぬけれども、
愛国党の
日の丸の、赤い紙に
日の丸、赤い
日の丸だったか、それがまるで欄干から橋げたから一切べたべたに強力な
接着剤で張りつけてある。これをはがすという
費用はどれくらいかかるか、また、そういう場合の
費用というものはどこから出てくるのか。大体において
都知事選挙なんという場合には、
現職知事の
反対党の
ビラのほうが一番窮屈な思いをするわけです。まあ
現職知事や市長の場合にはお目こぼしにあずかるのがあたりまえ、人情なんです。そういう場合の
費用等はどうなるのか、それはちゃんと予算が組んであるのか。
東京都は
——あなたが
東京都の例を言うから、
東京都は昨年の七月
選挙を中心にして、以前のそうした
ビラを撤去するために
代執行を
裁判所からその
権利をもらって、それを清掃したという例、それから
選挙後の跡始末を同じように
裁判所から
代執行の認可か
許可か、何か決定を受けて行なったかという例、それをひとつ明らかにして下さい。これは
局長が話してもだめ、ちゃんと
東京都からさっそくそれらの書類を持ち出してきて、ここでわれわれに見せて下さい。法を作っても、それが行なわれなければ何にもならないんです。従来そういうことをしたかどうかということを
事例をもって示していただきたい。