○曾祢益君 最近の
原子力潜水艦の
日本寄港問題でも、今度の
F105D
戦闘爆撃機の問題でも、なぜこういうふうに世論が騒いでいるかということを
考えますと、やはり今羽生君が言われたような、
一つは
日米間の相互
信頼というものが必ずしもはっきりしてない。確立していない。それからもう
一つは、国民と
政府との間のはっきりした
信頼感というものがぐらついているのではないか、こういうことに
関係していると思うのです。ですから、大体
アメリカとの防衛協力が絶対いけないという立場からの議論もありましょうけれ
ども、そうでなくて、国民の立場からいって、やはり
核兵器の
持ち込みになりはせぬか。現在の何か
政府のやっていることが、そのつどそのつど逃げ回ったというか、何か弁明ばかりしていて、小出しにやっている。したがって、その先の先が心配だと、こういう議論に発展している場合が多い。たとえば
原子力潜水艦の問題でも、大体原子力
兵器の定義からしてごちゃごちゃの議論をしてみたりする一方、今度はまた防衛庁のあるお役人さんが、これはまあ
一つの
日本の将来の戦術論を論じたある種の講演の
速記録によると、確かにこれからの核戦略というものはいわゆるインヴァルネラブルなもの、核兵力を持たなければならない、つまり攻撃にたえて、脆弱性のない、非脆弱的な核兵力を
日本も
考えておる。つまり、ポラリスの寄港どころではなく、ポラリスという非常にインヴァルネラブルな、そういうものの
日本はむしろ基地を設けてもいいのではないか。これは個人的意見でしょうが、そういう議論もある。ですから、やはり
政府は国民感情を云々して
核兵器についてはお断わりしますと言いながら、
一つ一つは何か忍び寄るあれで、
一つ一つはあしたに一城、夕べに一郭という感じを与えているのではないか。このことが
アメリカとの協力そのものに
反対の人になおさら大きな力をかしておるきらいがないか、こういうことを私は
考える。それは非常に重大な問題で、
政府もほんとうに、そのつどの逃げ口上ではなく、
日本が防衛上
アメリカと協力するのは、これは当たりまえだというか、人によっては現状においてはやむを得ないと言う人もある。しかし、実際それがどんな小さなものでも
核兵器は
日本は持たないし、持ち込ませないということについては、ただ
安保条約の
事前協議でそのつど断わるからいいというようなことではなく、何らかほんとうに、ハイ・レベルの政治的立場で、一点の疑いのないような、何らかの政治的約束なりをかわしたほうが、一切のもやもやしたものを払拭するために非常にいいのではないか、こういうふうに
考えられるわけです。ですから、確かに
核兵器のそれ自身の開発の進め方から見れば、けさの
新聞にも出ておったように、遠からず小銃弾にまで小型化する
核兵器ができるのではないか、これはまじめに論じられておるのです。
F105に例をとってみても、105からは絶対にいけない、102まではいいかというと、そうではなく、これはすべての用途と目的によると思うのです。だから、かりに機種の変化とか
近代化というだけではなく、つまり、ともかく
水爆まで積めるための設計をしておる。そういう多目的の
兵器であるということと、足が相当長いということ、ときたまたま中共のみずからの核
武装化といいますか、
核爆弾実験をやるというふうなことと相待って、何らかの
日本における
アメリカの基地の性質が違ってくるのではないか。少くとも
日本に基地をおいて
核爆弾を持ったいわゆる通常
戦闘爆撃機が
日本に常駐するというようなことは、そういう印象がはたしてプラスかどうか、そういう政治的な考慮を加えての議論を私はすべきである。単に機種が違ったからいいのではない。そういう小出しの議論では片づかない。もう
一つの政治的
要請があることを知りつつ何か逃げ回っておるという感じを与えているのではないか。これは私は非常にまずいと思う。ですから、あらためてこういう際に、たとえば今のポラリスのことなんかあってはならないと思うのですけれ
ども、そういう戦略論もあるこういう際に、やはり
日本の防衛のはっきりした
方針で
アメリカとの協力についてはいろいろ政治的責任があるのですから、
アメリカとの協力を肯定する立場、あるいは最小限の自衛力を肯定する立場に立っても、なおかつ
日本の防衛については核
武装は絶対やらないということについては、むしろこの際
アメリカとの間にもっとハイ・レベルな約束を遂げるというような大きな手を打つほうが私は非常に政治的にも望ましいのではないか、こういうふうに
考えます。その点を両
大臣から御所見を伺いたい。