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説明員(
大石重成君) 近江
鉄道と国鉄新幹線との関係につきまして御
説明いたします。御質問の個所は、近江
鉄道——新幹線が滋賀県下を通ります区間でございます。彦根から近江八幡、ちょうどあの辺のところを通ります区間におきまして、近江
鉄道と新幹線が全く並行をいたした区間が約七キロ半ございます。この並行区間の線路を決定いたしました経過といたしましては、いろいろ、国鉄におきまして、新幹線の計画につきまして調査、研究をいたしたのでございますが、いずれの線につきましても、地元の方が、農地をたくさんつぶす、また町をつぶすことによりまして、移転家屋がたくさんできる、いろいろな観点からいたしまして、最初は、滋賀県下を新幹線が通りますことにつきまして、全面的な反対を申されたのでございます。その後、地元の方々といろいろ折衝をいたしましたところ、大体、御指摘の、近江
鉄道の線路に沿いまして——近江
鉄道の用地でございますが、これが帯状に
鉄道用地といたしまして残っておる区間がございますので、地元といたしましては、この新幹線を近江
鉄道にできるだけ密着をさせまして、近江
鉄道の法尻と申しますか、近江
鉄道の用地を使いまして、なお不足の分は民地を提供することによりまして、民地の被害を最小限度にして通ってくれと、こういうようなことで地元の方々と
お話し合いがついたのでございます。そこで、われわれといたしましては、できるだけ近江
鉄道に新幹線が沿いまして民地をつぶすことを少なくする、これがまた沿線の移転家屋、
支障家屋その他の点から見ましても一番被害が少ないというようなことが
考えられましたので、採用線路を設定いたしたのでございます。
そういたしまして、近江
鉄道に対しましては、いろいろ
比較検討をしたけれ
ども、この線が一番地元の方々にのみ込みやすい、また農地をつぶすことも一番少ない、また今まででき上がっておりました沿線の町の形態をつぶすことも一番被害が少ない線であるから、この線に沿って私たちは線路を決定したから、近江
鉄道の用地を買収し、またその他踏切の改良その他につきまして、私たちは近江
鉄道と協議したいということを近江
鉄道に申し込んだのでございます。
そういたしましたところ、近江
鉄道といたしましては、これまた全面拒否をして参ったのでございます。さようなことで、自分たちだけが犠牲になって線路を作られては困るということの観点からいたしまして、全面的に協議を拒否して参りました。しかしながら、私たちといたしましては、その他に線路を移すというごとは非常に
支障が大きくなりますので、鋭意近江
鉄道に対しまして説得をいたしまして、この近江
鉄道に並行する
路線の決定を承諾してもらうように働きかけたのでございます。
そういたしましたところが、近江
鉄道といたしましては、それでは自分のほうの
条件があるということでございまして、まず第一に言って参りましたことは、話は少し前後いたします——少し申し落としましたが、拒否いたしましている間に、近江
鉄道といたしましては、自分たちは新幹線に対して全面的に反対するわけではないのだが、自分たちの線路に乗りかかってくるような構想が困るのであって、数百メートル離してくれという話がございました。しかしながら、この離すということは、地元との問題がございますので、これは私たちとしては承諾することができませんので、どうしても近江
鉄道に並行する線を強硬に申し入れたのでございます。
そういたしましたところ、近江
鉄道といたしましては、最初に
条件として出して参りましたことは、近江
鉄道は、さように大きな
鉄道が乗りかかってこられたのでは、
運営することができないから、全面的に買収をしてくれという申し入れがございました。しかしながら、この申し入れにつきましても、私たちといたしましては、聞く筋合いのものではございませんので、これを拒否いたしました。そして、買収はいたしません、だから並行するということで承諾をしていただきたいということを、なお執拗に近江
鉄道と折衝したのであります。
そういたしましたところ、近江
鉄道といたしましては、しからば補償を出してくれというような話が出て参ったのであります。その補償に二色ございまして、
一つは、近江
鉄道は間の構造が地平の線路でございます。畑の地区から約五十センチないし一メートルの高さの線路でございます。また、そこを並行して通ります新幹線の線路の高さは、平均いたしまして約六メートルの高さでございます。これは、六メートル以上のところもございますが、最小六メートルの高さを通るような格好に相なりますわけでございますので、近江
鉄道と新幹線とのレールの高さが、一番小さいところで五メートルないし五メートル五十の高さの差が出てくるわけでございます。そういうようなものを作りますのに対しましては、近江
鉄道といたしましてはいろいろの障害がある、これに対して補償をしてもらわなければ承服はできないということを言って参ったのであります。その補償の項目が二項目ございまして、一点といたしましては、踏切が見通しが悪くなる、その他というようなことで、そういうような物理的と申しますか、そういうものにつきまして二億六千万円の補償をほしい。それからまた、今までそういう平らな所を走っておりましたところが、そういう谷間になりまして、ほこりをかぶりましたりいろいろなことになりますので、お客さんが減ってくるということを申しまして、この補償が、最初は一億五千万円の損害があるということを言って参ったのでございます。でございますから、二億六千万円とプラス一億五千万円、合計約四億一千万円の補償をしてくれということを言って参りました。しかし、これに対しまして、私たちといたしましては、さような大きなものに対して補償するわけにいかぬということを言っておったのでございます。そうこういたしまするうちに、今度は、さようなことで話がまとまらないのなら、自分たちといたしましては、そういうこまかい問題で議論をしておっても話がつかないから、近江
鉄道を高架にしてくれ、新幹線と同じレベルにそろえてくれ、そういうことのほうが安全でもありますし、いろいろな点において地元の方もよりよい
状況になりまするので、並行区間を並ぶような高架にしてくれという要求が出て参ったのでございます。これにつきましては、私たちといたしましては、一応理屈のあることでございますので、ひそかにこの高架にいたします金がどのくらいかかるかということを算定をしてみたのでございます。そういたしますと、約四億金がかかる、こういうことが——これは近江
鉄道に発表したのではございません、私たちが事務的に、内々におきまして、高架にした場合にはどのくらい金がかかるかということを算定をいたしましたところが、約四億金がかかる、こういうことでございます。しかしながら、まことに近江
鉄道に対しましては申しわけのないことを申すのでございますけれ
ども、あの
程度の
鉄道だったなら何も高架にしなくてもいいのではないかということを私たちはひそかに
考えまして、この四億は少し金がかかり過ぎるので、もっと安くこの問題をおさめられないだろうかということにつきまして折衝を重ねたのでございます。そういうような高架にしてくれと言って参りましたのが、三十五年の暮れでございます。約一年かかりまして、この問題につきまして折衝をして参ったのでございます。
そういたしましたところが、先ほど申し上げました、収入減が一億五千万円、設備の増強費が二億六千万円といったのは、その後いろいろ調査をしてみた結果、収入減といたしましては、先般一億五千万円と言ったけれ
ども、これは五億余りになるというような返事が来たのでございます。そういたしますと、七億数千万円の要求に四億一千万円ばかりのものが変わってきたのでございます。しかしながら、私たちといたしましては、あくまでさようなことに取り合う気持はございませんし、またその交渉の途中におきまして全面的に高架にしてくれというような話もありました。高架にいたしますと四億でいくのでございますので、四億以上の七億というような金を出すくらいならば、高架にしてしまったほうが国鉄のほうとしては安上がりでいい。しかし、なお一そうこの四億を安くいくために折衝いたしまして、現状のままの姿にしてできるだけ会社の説得をするということをやったのが、約一カ年かかりましてやりました。
ところが、総額二億五千万円という数字におきまして会社が妥結をする様子が見えて参ったのでございます。そこで、私たちといたしましては、この総額二億五千万円ということであれば、まず私たちが全面的に高架をすれば四億かかるであろうということから見ますると、相当内ワクにこれを押えたのでございますし、もちろんこれは全面高架の問題ではないということで承知をして参りましたので、ここでもう
一つ一押ししようという努力をしまして、まずしからば二億五千万円をあなたのほうでおのみになるということになるならば、七億数千万円の補償に対しまして二億五千万円ということできたのだから、これをあなたのほうはどう解釈するかという、折衝のうちに話が持ち上がったのでございます。そういたしましたところが、会社といたしましては、自分たちが最初二億六千万円設備改良その他にかかるというものが、この二億五千万円のワクにはめてみると一億五千万円になるということを会社のほうが申してきたのでございます。そこで、私たちといたしましては、それでは一応二億五千万ということにつきましては、あなたのほうから設備の改良その他につきまして一億五千万という数字が出てきた、この問題の一億五千万ということについては直ちに話がわかりました——これは近江
鉄道の用地も使っておりますし、いろいろな問題が入っておりますので、話がわかりました。それでは一応一億五千万円を最初差し上げることによりまして工事に着工さしてくれということを話をしたのでございます。これが三十六年の十二月でございます。そのときに、一応設備改良その他につきまして一億五千万円の補償を払うことによって直ちに全面的に工事着工の承諾を得たのでございます。そうして同時に、残る一億につきましては、なおこの線路ができましたためにいろいろと
支障を来たすことによって減収をするという問題については私たちも納得がいきかねるから、もう少し資料を突き合わせて調査をしようというようなことを申し残しまして、工事に着工したのでございます。そのときに、十二月に金を一億五千万円払いまして、年度内にこの話をつけてくれ、そういうことを目途にして協議をいたしましょうということで、工事に着工をしたのでございます。
その後、現地におきまして、いろいろと調査をし、協議をいたしましたが、なかなか結論に到達をいたしませず、三十七年の三月になりましてもまだ結論が得られずにおりましたところが、近江
鉄道といたしましては、総額二億五千万というものについて国鉄と当会社とが協議が整っておるのに対しまして、一億五千万だけ払って工事をやって、その後何ら誠意を見せてこないので、今までの話はやめて工事を中止してくれという申し入れが出て参ったのでございます。そこで、私たちといたしましては、工事を中止するというわけにも参りませずいたしますので、再びいろいろな資料をとりまして検討をいたしました結果、残りの一億を三十七年の六月に支払うという段取りに相なったのでございます。そのときに、もはやいかなる要求も今後はしない、二億五千万円において——これは、私たちといたしましては、いろいろ問題がごたごたいたしまして、再び全面高架というようなことを言い出されましても、問題が複雑になるということも考慮いたしましたし、また用地その他につきましても、沿線の地元の方と近江
鉄道との言い分が食い違っておるところもございますしいたしますような問題が残っておりましたので、あとで何かこの問題につきましての要求がましきことが出てこられては困るということを
考えましたので、これをもってすべてを打ち切りにするという一札を取りまして、三十七年六月に残り一億を支払ったのでございます。そういたしまして、その支払うときに、近江
鉄道のほうの総額が四億を、私たちといたしましては二億五千万に妥結をいたしましたので、内訳を近江
鉄道の出して参りました七億の内訳に合わせまして、一億五千万は設備改良その他、一億は減収その他ということで支払ってほしいという要求がございましたので、総額が二億五千万に押えられておれば、内訳は会社の最初に申し出ました姿にし、また会社の要求の姿に合わせてやるということが話を妥結させますのに便利であろうかというふうに
考えまして、ただいま申し上げましたように、一億五千万は設備改良その他、一億円は減収その他に対する補償であるということで、二億五千万円を支払ったのであります。
近江
鉄道と新幹線との関係、またこれに対しまして二億五千万を支払いました経過の概要は、以上であります。