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堂森分科員 三十七年度はそうでしょう。そうしますと、三十八年度は十四億くらいになるでしょう。そういうふうにあなたのところの説明書には書いてあるわけですが、労働省からも労働者を海外に送る、あるいは農林省からも派米青年団の団体だとかいろいろありますね。いろいろなものを加えると、おそらく二十億くらいの金額には、一切がっさいの費用を含めるとなるのじゃないか、こういうふうに私は
考えるのであります。そこで二十億もお金を使って、しかも今までは六千名、七千名の人たちが海外に出た、これがぐっと減って、二千名に満たない、こういうことはあなたがおっしゃいました国内における労働力が非常に不足してきておる。あるいはまたドミニカ等における移住の、これはあなた方の非常な
責任があるのですが、そうした集団帰国の問題、あるいはまた御
承知のようにブラジルを初めラテン・
アメリカ諸国では、インフレが非常に進行しておる。経済的にも多くの不利な問題がある。あるいはクーデターが各国にあって、
政治的な不安もある。いろいろなこともあると思うのでありますが、一つはやはり移住に関する
外務省あるいは
政府というものの、これは金はけっこう使っておるけれ
ども、そうした移住の行政というか、あるいは移住政策というか、あるいは機構の内部とかそういうものに多くの問題があると私は思うのであります。
実は私、去年の秋、列国議会同盟
会議に行く機会がありましたので、五十日ほどラテン・
アメリカの
日本の移民諸君が行ってコロニーをつくっておられる個所を三十六ケ所見たのであります。そうして現地のいろいろな人たちと、小屋みたいなところが多いのですが、そういうところにも泊って彼らといろいろ懇談をする機会も毎日のようにあったわけでありますが、現地の人たちの意見を聞きましても、あるいは私が見た結論から申しましても、必ずしも
日本の国内における労働力の不足というもの、あるいは向こうにおける
政治的な、経済的ないろいろな困難な
事情があるというようなことだけではなしに、私はやはり
日本の国内の、特に
外務省ですよ、
大平さんよく聞いておいて下さいよ。移住を推進しておる
外務省に大きな
責任があるということです。よく頭においてもらいたいと思うのです。時間がありませんからあまり詳しく聞けませんが、第一、私が南米に五十日ほど行ってきたということだけで、私のところにあなたのところの、たとえば海協連というものはこういうものだ、こういう団体はこうだという怪文書が毎日くるのです。そして
外務省というものは、言うては悪いですが、御殿女中みたいなお役人ばかりおって、ものすごい派閥抗争をやっておる。派閥抗争が主体となって、移住行政というものはあっちに向いておるのです。これが大きな原因となっておる。しかも農林省と
外務省とけんかばかりしておる。たとえばブラジルにグァタパラという移住地があるでしょう。これなんか百年戦争と言うのです。何だというと、
外務省と農林省とけんかばかりしていて、五年もきまらなかった。これは百年戦争の一つの産物であると言っておった。現地の諸君はそう言っておるのです。百年戦争、これは
外務省と農林省となわ張り争いをやっておる。農林省が行くと、
外務省が横やりを入れる。そしてあなた方の出先の領事館あるいは大使館のそういう連中はそれをじゃまする。今度
外務省がやると、農林省がそれをじゃまするということで、いろいろそういうことで、
日本の移住者が向こうに行って
——それからの移住という
考え方は、戦前と今日とでは完全に変わってきたのでありましょう。私は少し調べてみたのですが、明治二十何年かに初めて
日本の移民がチリーに始まって、そしてその後ブラジルに移民の諸君が行くようになった。それは過去においては俗に棄民と言った、完全に捨てたんです。
日本の移民が多いときは必ず
日本の農村恐慌のときに大量に行く、そして幾らか農村が助かったときには移民が減ってきておる。そしてこの
日本の先輩たちが明治以来非常な苦労をして、そして命を捨て、栄養失調になりあるいはマラリアになり、いろいろな現地における地方病によって倒れておる、あるいは飢餓によって倒れておるというように、非常な苦労をしてきた。昔の明治時代あるいは大正時代における棄民そういう時代があったことは事実であります。今日はそんなことは当然あり得べからざることでありまして、またあってはなりません。
そこで私は
移住局長にお尋ねしますが、大体移住に関連して地方、中央あるいは出先で計算しますと、移住に関係した人は一体幾らぐらいおりますか。大体でいいですが、言って下さい。