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小林(信)
分科員 政府は今回の
予算を提出するにあたりまして、人づくり
予算ということをよく言われるのですが、これは英国あたりで、将来への投資というキャッチ・フレーズをもちまして
教育を重視するという、世界各国の風潮にならって、今の
政府も人づくりということを言われておるものと思うのですが、この
予算をうかがいまして、ほんとうに誠意をもって人づくり
政策をやろうとしておるのか、ということを私たちは非常に疑問を持つわけです。問題は人づくりの
考え方であって、これは文教委員会等で
大臣にとくと承りたいと思うのですが、ここではほんとうに誠意をもって人づくりをやろうとしておるような点を二、三取り上げまして、これに対する見解を承って参りたいと思うのです。
人づくりの問題は、決して、文部
大臣がこういう人間をつくりたいのだ、それをいろいろな手段、方法を講じて、まあ極端にいえば型にはめて人をつくるということでないことは
大臣もよく御承知だと思うのです。これは総理
大臣もその本人自身に自分をつくらせるのだ、そういう傾向をつくっていくのが文教
行政の役目である、こういうふうに言ったことがありますが、言うことは確かにその
通りでございますが、実際に行なう
行政の中にはそういう点が残念ながら見当たらない、私はこの際そういう観点をしっかり踏まえて人づくり問題というものを
考えてもらいたい、こう思うわけです。これはほんとうに小さな問題でございますが、しかし新聞では大きく取り上げておりますけれ
ども、ある山間の
子供が
学校へ通学するのに大体四キロぐらい歩かなければならぬ、たまたまそこを国鉄のバスが通っておるわけなんです。あるいは
大臣もこれを読んでおられるかもしれませんが、あまり小さい部落であるために、その
子供がただ一人通学しておるのですが、そこには車がとまらない。しかし運転する人の誠意から臨時停車をして通学の便をはかっておったのであります。ところがたまたま停留所を改正するというふうなことがありましたので、国鉄の方では反対意見もあったけれ
ども、ただ一人の通学者のためでございますが、これは名前は恵子ちゃんというのですが、一年生の恵子ちゃんの通学のためにバスの停留所を新設してあげようという、一助役の心がまえから、とうとうここに——国鉄のバスですから停留所といっても停車場と同じで非常にむずかしいものでしょうが、一応の
規定があるにもかかわらず、特にバスをとめて停留所にした、こういう話が出ておるわけです。こういうふうに、
教育行政をするものにはこの一助役のような、
規定はどうあっても、そしてただ一人の
子供の便宜であってもはかってやろう、こういう愛情というものが根本にならなければほんとうに人づくりの仕事はできない、私はこう
考えておるわけです。先日も武蔵野学園という少年院と同じようなものですが、テレビを見ておりましたら、その
学校の校長さんの
教育方法が詳しく出ておったのです。その校長さんの言うには、そういう特別な
子供たちを
教育するにはなかなか苦労が要るわけでしょうが、その人が簡単に
教育方針を表明するのに、情緒の栄養を与える。この情緒という言葉が適切な言葉かどうか知りませんが、その校長さんは情緒という言葉を使っておりました。情緒の栄養を与えて、そうしてその
子供の周囲を情緒でもって包んでいかなければいけない。しかし、とかく
教育というものが理詰めの
教育をして、そうして
子供にきわめて無味乾燥な形でもって
教育がなされておる。これでは、普通の
子供ならりっぱに育つかもしれぬが、特殊な
子供なんというものは
教育できないのだということを言われておった。こういうものが教師にもある、社会にもある、また文教
行政の中にも猛烈に燃えておるところにほんとうに人づくりの
教育がなされると思う。それがやはりいろいろな
予算面にもきめこまかく現われるようでなければほんとうの人づくりはできないのだ。最近、松木清張あたりも、文芸春秋に書かれておった文教
行政全体を批判する中に、
文部省はますます官僚化して、いわゆる文部官僚という特別なものができ上がっておる。
教育の問題には触れておりませんが、そういう中から出てくる
教育というものは、これは統制された
教育、あるいは官僚の独善的な
教育行政がなされるというふうなことが言われておるのですが、実際には今申しましたような愛情のある
教育行政でなければならぬのに、ますます
文部省は、世評ではそういうふうに何か統制された形の中でもって人間の型を一定にしてつくっていこうとしているというような批判まで受けておる。そういう中からほんとうに人づくり
教育行政というものがなされるかどうか、私は非常に心配するものですが、その例を引いて申し上げれば、これも先ほど問題になったことでございますが、初中
局長がいろいろ
答弁をされましたが、いかに
答弁をされても、実際においては地方ではこの問題でもってさまざまな問題を起こしておるのです。要するに標準法の政令一条、これを都道府県の中では、教師の方の
立場から、
父兄の方の
立場から実際的に削除して、そうしてほんとうに
文部省が言っておりますように、一学級五十人、これを確保したい。ところが都道府県の当局もその事情は了察できても、これがはたして
基準財政需要額に認められて交付金が裏づけとなって出てくるかどうか心配であるために、なかなかその要望に応じきれない、こういう問題がもし先ほどのような気持でもって
行政というものが
考えられるならば、
政府がまっ先に政令一条というものを削除して、多少
予算的な
負担がありましょうとも、五十人といったら五十人にするというような雅量、誠意がなければならぬと思うのです。そこでこの政令一条に該当する
一つの
学校が二の学級に編制する場合五十三人をこえる、一の学級に編制する場合に五十五人をこえる、こういう
学校が
全国でどれくらいあるか、一応お示し願いたいと思います。