○倉成
分科員 原爆犠牲学徒の援護に関する御
質問を申し上げたいと思います。
政府におきましては、今国会におきまして戦傷病者戦没者遺族等援護法を改正せられまして、いろいろな面においていろいろな条件を緩和されまして、戦没者遺族の処遇についていろいろと御配慮をいただいておることは、御同慶にたえないところであります。ところで、これらの戦没者の遺族と同様の
立場にありながら、あまり大きな声を出すことのできない原爆犠牲学徒の問題について
大臣に聞いていただき、御所見並びに対策についてお伺いしたいと思うのでありますが、長崎大学の学生の問題であります。
昭和二十年八月九日午前十一時二分に長崎に原爆が落ちたことは御
承知の
通りでありますが、当時長崎医科大学並びに医学専門の学生が四百六十七名、この医学部において解剖学の講義その他いろいろな講義を受けておったり、あるいは実習をいたしておったわけであります。不幸にして原爆中心地が長崎大学のすぐそばでありましたために、これらの四百六十七名の学生、生徒諸君はほとんどこのとうとい犠牲になったわけであります。当時御
承知のように
医者が非常に足らない時代でございましたから、これらの学生諸君はいろいろ
医者の方々の助手として民間の
医療活動の応援をしておったことも事実でありますし、またこの八月九日には原爆の中心地において鋭意医学の研修に努めておったわけであります。そこで問題は八月九日という時点でありますが、これは通常から申しますと、夏休みに入るわけであります。長崎大学の学生というのは、長崎在住の者だけではなくして、九州のみならず全国から学生が参っておるわけでありますから、当然これは通常の
状態でありますならば、夏休みとして郷里に帰っておったと
考えられるわけであります。そこで、八月九日にこういった長崎大学の実習を受けておりながら原爆被爆を受けたということは、何らかの国家的な
要請があったのではないか、たとえば軍医が非常に足らないから、とにかく夏休みはなくして早急に軍医を養成しなければいけないというような
要請その他いろいろあったと
考えられるわけでございます。当時長崎大学の教授をしておりました調という教授がおられるわけでありますが、この方の記憶によりましても、文部省その他から何らかの
要請があって――詳しい法律の名前はわからないけれども、そういう指示によってこういう勉強をしておったといわれるわけでありますが、何分時間がたったことでありますから、その記憶をつまびらかにすることができないのが非常に残念であります。そこでこれらの学生の諸君の父兄といたしましては、戦後十八年
たちまして、各戦没者の遺族の方々の援護がだんだん充実して参りますし、これらの方々は、そういった国家的な扶助のみならず、靖国神社にも祭られて、国家のために死んだのだということで、非常に厚い処遇を受けているにかかわらず、これらの学生諸君の父兄は何らのそういった恩恵を受け得ないということで、まことに残念だという気持を持っておりますし、だんだんこれらの父兄も年をとって、中には死亡された方もあるわけでありまます。
そこでこれらの方々の
要請の第一点は、ちょうど動員学徒と同じような
意味においてこれらの遺族の方々に扶助年金を支給していただきたいということであります。第二は動員学徒と同様に靖国神社に合祀していただきたいという点であります。第一の問題につきましては、これは国家総動員法その他法律がいろいろ明らかになれば当然こういう処置がとられると思うのでありますが、特に第二の問題について
大臣の特別の御配慮をお願い申し上げたいと思いますのは、これらの遺族の方々の一番のね
らいは、扶助年金等が受けられれば、もちろんこれが一番いいことには相違ありませんが、そのことよりもさらに重要なことは、これらの自分
たちの子弟が決して犬死にをしたのではない、単に戦争によってばく然と死んだのではない、とにかく一生懸命国家目的のために働いておって死んだのだから、これを
一つ認めていただいて、せめて靖国神社に祭っていただいて、そういう
立場の父兄の気持も慰めていただくし、これらの死んでいった学生諸君の霊も慰めても
らいたい、こういう非常に純粋な気持の要望が強いわけであります。この点についてほかにもこれに似たような例が若干あるとは聞いておりますけれども、いかような処置をされるつもりか、
一つ伺いたいと思います。