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肥田分科員 まず
海運対策から見ても、
海運対策ではなるほど画期的な
対策だといわれる法案が今出ています。しかしこれはいわゆる大企業の
外航船の
対策ということになろうと思います。先般も
關谷委員から強い
要望があったと思いますが、内
航船の
実情についてはその
実情さえも把握されておらないというような、いわゆる全く放置されておるような
実情になっておる。それから
航空関係についても、先般来いろいろな注文を
予算編成前に出しておりました。ところが、これらも具体的にはなかなか数字の上に現われておらない。要するに今のところ、いわゆる
交通戦は地上にあるけれ
ども、近い将来というよりも、もうすぐ目の前に
航空においても同じ
状態が起こるのではないかという、そういう非常に差し迫った事情にあると
考えておる。しかし、いわゆる
航空空港の
整備あるいはその他の施設の
整備、こういうものについても
予算が格別新しく獲得された
——獲得というよりも、
予算が盛られておるという面がない。それから
海上の問題にしても、ここではいわゆる近代化された設備がない限り
海上保安の
任務というものは達成されない。けれ
ども、
海上保安庁の方で要求しておるところの、いわゆる
高速巡視艇あるいは
救援用の
船舶あるいは
火災消火用の
船舶、こういう
機械化について、これもごく微々たるものです。いわゆる前年を踏襲しておるという
程度のものにしかなっていないと思う。気象庁の
関係でももうすべて同じことが言える。こういう消極的なといいますか、こちら側の方で見れば、非常に消極的な
運輸省の
予算の
内容を見たときに、私が冒頭に申し上げましたように、
経済成長政策というものを成功させるには、この
交通と輸送という
先決条件を解決せなければ不可能だろうというこの点が、どうも理屈通りいっておらない。こういう点は一体どうなっておるのか、これで一体いいのかということをまず
考えるわけです。これについてはそれぞれ
関係の各局の問題もあると思います。私はこういう問題については、そのたびごとに必ずいろいろな人から話が出ておったと思うんですけれ
ども、特に取り上げたい問題をやはりこの際取り上げておく必要があるだろうと思います。これはささいな問題ですけれ
ども、ささいな問題を取り上げることによって、その質的要求というものが強まってくる。今までのようにただ
予算というものは何かあてがい扶持のようなつもりで
関係局長がおるならば、
予算の獲得という二とはなかなかむずかしい。
予算の獲得というものは、本質的にはそれぞれの
任務を完全に達成するための金ですから、それなしにやれるはずはない、こういうことを
考えるのです。
先般も、御
承知のように、私たちは例の、今
山口先輩が
質問いたしておりましたが、車検などの問題について
陸運局の
調査をしました。そのときにこれだけふえてくる車両の検査を一体どうしてうまくはかしているんだろうかという気がしたわけです。職場
関係というものもまことに不十分きわまるものであるし、
人員が
不足しておることは申すまでもない。ところが、ことしの
人員増はこれもたった五十名、こういうことで実際激増するところの車検という
仕事がほんとうにできるのかどうか。職場では人をふやしてくれ、いろいろな施設が足らないからその面を充実してくれ、こういう要求が出ておるのにもかかわらず、それが実際には
予算の上に現われておらない、こういう問題もあります。
航空事務所の問題についても、これは
航空局長によく聞いておいていただかなければならぬと思いますが、管制という重大な
任務をつかさどる管制官というものが、実際には待遇が悪いためにこれが充足できない。こういう
状態がつぶさに感じられた。それからもっと大切なことは、われわれが見てきた中の通信施設といいますか、この職場の環境が非常に悪い。聞いたところでは、室内の温度が百三十度をこすこともあるんだということを言っておりました。窓をあけようとすればほこりも入ってくるし、いわゆる機械の障害が起きるから窓をあけるわけにもいかない。まるで溶鉱炉の風が吹きつけるような暑い中で
事務をとらなければならぬ。これでほんとうに
仕事ができるんだろうかという心配もありますし、それからこんな暑さの中ではいわゆる精密な機械である通信機の故障が起きるのではないかという心配をわれわれはしました。こういうところでは、いわゆる冷房設備をして、そうして機械の機能が完全に果たせるような
対策が立てられなければならぬ。なぜこの重要な
任務を持つ
航空管制の諸施設がこんな
状態でほうっておかれるのだろうかという気がしたのです。それから、機械の血も当然ですけれ
ども、人の面にもまだずいぶん無理がありました。
一つの例を申し上げてみても、すみっこにおんボロのソファーがあった。こんなものは外へ捨ててしまったらいいじゃないかということを言いましたところ、とんでもないことです。これは私たちがちょっとした余暇を腰をかけて休むのです。こう言う。ところが形はソファーだけれ
ども、上のシートが破れて中からスプリングが飛び出してきて、全くそこらにほうり捨ててあるソファーと同じ
程度のものです。そういうものが二つ、三つ置いてあって、そこで休憩をするんだ、こう言っておる。ほとんどの人がもう一日じゅう立ったままで
仕事をしておるという
実情のように見受けました。
それから
海上保安庁
関係で、例の川崎のタンカーのまる焼けの現状を視察いたしました。ここでもわれわれが聞いたことは、こういうふうに言っておるのです。いわゆる監視所だとかあるいはいろいろなところで働いておる人々が、限られた人数でとにかくもうほんとうにそこに居切りというのですか、もうそこへひっついたままで
仕事をしておる。ほんとうに食事も便所も何もかも一緒くたのところでやっておるんだということでした。人の交代もなかなか思うようにはいかない、五人の定員のところで三人くらいで
仕事をしておるんだ、こういう話もありました。人間的にこういう感情も出てくると思うのです。片一方では
海上自衛隊の諸君は、所定の時間の演習が終わればさっさと服を着かえて、もう町へ遊びに出ていく姿が見られる。ところが
海上保安庁の監視員やその他の勤務の人人は、そういうものを見ながら窮屈な職場の環境の中で終日
仕事をしておる、こういう話でした。この姿はちょうどわれわれが戦争で体験したところの正規の軍人と軍属ほどの大きな差がある。まことにこういう待遇というものは今日われわれが想像もできないことだと思うのです。
それから気象観測所の問題でも、私は同じことが言えるんじゃないかと思います。御
承知のように、
海上保安庁の灯台の
関係あるいは気象庁の観測所、こういうような
関係については、これははたで見る目とはずいぶん違っておる。テレビや新聞の写真なんかで見せてくれる
状況というものはない、これはまるで詩か夢のような姿しかわれわれの目には映らない。けれ
どもそこで働いておる人々の苦労というものは、これは大へんなものなんです。実際人間の社会に大きな
関係を持つところの
仕事をしておるのに、その人たちの職場環境というものは人間とは全くかけ離れたところで
仕事をしておる。こういう問題を解決する道は、私はその人たちの職場環境、処遇あるいは施設のいろいろな問題を、これを特別な扱い方をもって充実をしていく以外に、この人たちの恵まれない職場の運命的な点を解決する道はないだろうというふうに
考えるのです。それで
予算の問題で本質的に
考えなければならぬことは、施設の
関係を無視していわゆる本質的な
予算を要求するということはむずかしいだろうと思う。要するに施設というものを無視された場合に、これくらいならしんぼうできるだろうといういわゆるあてがい扶持の
予算がそこに立てられる。けれ
ども施設というものを基底にして、どうしてもこれだけなければ
任務が果たせないのだということになれば、あてがい扶持はいけないはずなんです。こういう点について、
予算獲得という立場では、
予算化する各省の計画という立場では、それぞれの局長がそうした気持を、そうした
実情をよく把握をして
予算を立てる、そうすればその姿が
運輸大臣の強力な運動となって現われてくる、こういうふうに思うのです。要するにこれを簡潔に言うと、えらい失礼だけれ
ども、局長は少しものの
考え方が甘過ぎるんじゃないか。
予算というものは
大臣が取ってきてくれる、だから要求をして、要求しておるだけ出なければ、仕方がないからあてがい扶持でがまんする、こういう
考え方が習慣的になっておるとするならば、これは大へんな問題だと思うのです。この点で各局長が
予算を要求する上において、自分のこの
関係の
予算を立てる上においてどの
程度の決心を持っておられるか、簡単でよろしいから
お答えをいただいておきたいと思います。