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片島分科員 私の知っておる
特定局におきまして、十年あるいは二十年と定員は少しも変わりありませんが、ある局は非常に平坦地でありますために、その当時は、自転車でもいけなくてやはり歩くところがありましたが、割合平坦地であるために、全部自転車なりあるいはオートバイでいけるようになった。あるところは、谷の底にありまして、両側だけを受け持っておるから、今でも自転車は配置してありますけれども、やはり歩いていく。その当時のその受け持ち局区内の人口は、少しふえておりますけれども、どちらも同じくらいふえておって、あまり変わらぬ。交通が非常に便利なところと交通が非常に不便なところでは、大へんな違いがあるわけです。結局そういうところはサービスの低下となって現われまして、
郵便局の隣まで――隣は市内でありますが、従来二度配達しておったのを一度配達しておる。物量はどんどんふえる。物量がふえますと、自転車で行けないから、かついでいくということになると、なかなか容易なことじゃない。郵政局を呼んで、どうしても定員が足らぬというので、郵政局も、これはほんとうに足らぬ、本省に要求しても、くれないとというので、十五度地をやたらにふやす。しかも、三人とか四人とか足らぬということを郵政局も認めて、市内は一度便にし、市外の遠いところは十五度地をたくさんふやしてやっておったところが、住民の方から、公衆の方から、初めて苦情が出まして、それが問題になっておるところがある。そういうふうに物量がふえても、交通事情が非常に好転したために、さほど住民も迷惑もしないし、労働強化にも、幾らかなりましょうが、それほどならぬ。ところが、非常に労働強化になって、郵政当局そのものがサービスをもっと今までよりも格段に落とす、こういうような事例があるわけです。そういう場合には、定員の算定根拠にこういうものがなるんじゃないか。
それでもう
一つ、私はお伺いをしておきたいのでありますが、今の
特定局というのは、明治時代から大正、あるいは
昭和にかけて、最近できたのもありますが、置局をされておりますが、農村なり山村に行きますと、局の廃止もなければ新設もありません。そういたしますと、ここに、私はこういう図面を書いて持ってきたわけでありますが、A局とB局がある。この部落にはこの
郵便局から、今言ったように、山を越えて持っていくんですが、ここは十五度地なんです。電報が来ましたときに、別紙電報がオートバイに乗って、この局の前を通ってここに行きます。なぜかならば、ここからバスが出ている。昔はなかったんです。昔はここも山の中だったんです。ところが交通事情が変わりまして、ここに役場があるために、同じ町村ではあるが、集配区域は、こう切ってあるために、ここは十五度地なんです。ここから毎日バスが出ている。急ぐものはここからオートバイで運びますが、集配はこちらへ行きます。こちらに部落がありますから、山を越えてここに行く。こういうものについても、ここの人はあまり文句を言いません。ここは非常に交通の便のいいところです。ここの人間は、こちらにも山があって、山の中を背負って歩いて、毎日バスがここを行ったり来たりしているのに、郵便は隔日くらいにしか行かないというようなことがある。
これも明治、大正にできた局ですが、ここからこの
郵便局に逓送して、ここに持っていく。この集配区域は、この部落へは山を越えて持っていくわけです。ここから逓送しますと、新聞でも、郵便でも、早くても一日おくれますが、ここに発電所ができたときに道路ができて、バスが一日四、五回行く。郵便がおくれては困るとここの部落の人たちが言いまして、私は郵政局の方にいろいろなにをしてみましたが、何とかここの定員を一人減らしてこちらに配って、郵便を早く配達しようと思って調査しましたが、この途中に八十二条適用地、要するに郵便を配達しないでいい地、それから十五度地、一日おきに配達すればいい地域、ここにバスが通っていて、停留所の中間にあるわけです。ここにある八十二条適用地の一番奥までバスが行っていて、その途中に停留所がある。郵便はここから配達している。しかし、ここから配達してもらえば、一日早く新聞が読めるのでありますが、途中の八十二条適用地や十五度地をまん中にはさんで、奥の方ばかり便利をよくしてやるわけにいかないので、そのままほうってある。そういうことでいろいろ問題がある。
まだあります。これはある市でありますが、ここの
郵便局から、前に交通が不便なときには、ここの部落から山越えをしてここに行っておったわけです。ところが、隣の町村からこの部落に道路がひけたために、こちらから配達している。自転車に乗っていくには、こちらが便利である。こちらの局は、この道のこの局よりの方を配達して、朝、お早ようございます、今ですか。今です。帰るときには、また局の方から来るのが、私たちはすれ違いと言っておりますが、今かい、おそくなったねと言って、こちら側は向こうが配達して、向こう側はこちらの局が配達している。これは町村ごとに配達をしているからであります。
そこで、私は
郵政省にお尋ねをしておきたいのは、明治、大正時代と今とでは、交通事情や
経済交流の
関係、こういったものが非常に変化しておりますけれども、いかなるときの
予算を見ましても、この局とこの局の設置場所についてうまく合理化するということをきめたことは、一回もないわけです。ずっと昔からあった局がそのままあって、その不合理がそのまま続いている。できるだけサービスをよくしようというなれば、これは金が要るわけですが、金が要らないでもできることがあります。それを都会に追われておって、お前のところの山の中のことは考えておられぬということならそれは別ですが、これはだれが考えても、道路がなかった場合と、私がさっきも言いましたように、発電所の八十二条適用地と十五度地に電報配達する。こちらから配達するのがほんとうですけれども、山を越えて行くのはいやです。今配達人でもオートバイに乗っておりますから、電報配達が来たときは、ぶうっと飛ばしてこの十五度地、八十二条適用地域を通って、この別紙配達をここから持っていく。しかし、電報の発信人は、これの方が近いから、別紙料はこれしか取っておらないが、山を越えて行くのより簡単だから、人の局のところまで出ていくのです。
郵便局となりますと、幾ら速達で急ぐといっても、ここに行ったときにすでに一日おくれているのです。もしここからだったら一日早く行く、こういうふうな不合理が昔ながらに取り残されていては、私は、多少自転車をふやすとかあるいは
計算機を買うてやるといったような合理化よりも前に、
郵便局の制度――全逓はすでにこの制度の改革案というものをつくっておりますが、私は、郵政当局が制度改革について具体的な案を示されたものをまだ実は知りません。やっていないと思うのです。こういうような事情から見た場合に、
経済圏も、交流圏も、また流通圏も、違ってしまう。また、交通網がこういうふうになったために非常な矛盾ではないか、不合理な状態になっておる、こういうものについて、何とか設置の問題、今ある局をどういうふうに配分をするか、あるいはこの集配区域について、現在の交通の便から考えた場合に、どうやったならば
一般利用者に対して便益を与えるか――また私は、こういう矛盾があるので、実は相当申告なり苦情がきておるかと思ったら、苦情を言うような人は、山の奥にはおらぬのです。おれたちが言うたからといってとても取り上げてもくれないし、それから、昔からそうサービスが悪くなったわけでもないわけです。しかし、経営者として見た場合には非常な不合理があり――ただ私がこういうなにをすると、これは私がまことにあれですが、個々の局について言いますと、実は全逓の組合としてもあまりそういうことは言わないから、どこの局がどうだということは言いません。組合としても一応やはり問題になることがありましょうし、いわんや従業員も局長も言うてこなければ、あなた方の方にはわからぬ。
一般公衆――今言ったような山奥の人たちは昔より幾らか便利になったし、ラジオも聞いておるし、まあいいじゃないか、また局長も局員の方もだれも言ってこぬというようなことになると、そういうような非常に不合理な経営をそのままやっておられる。それがひいては農村地帯における
一般大衆に対して、非常に文化の恩恵を受けないというようなところに取り残される
一つの大いなる原因にもなると思うのです。こういう問題について
一つ当局としては何か考えられたことがあるか、まあ
大臣は一ときやってはやめておられるから、そこまで深く取り組んでおられるひまはないかもしれませんし、しかも
大臣はこれは初めて聞かれたかもしれませんが、こういう問題について
検討すべきだと思うのですが、いかがですか。