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田原分科員 農林大臣は海外移住問題にあまり熱心ではない、勉強不足だと
思います。名前からして海外移住振興事業団なんという法案は出ておりません。海外移住事業団法案です。それからしきりに国策々々と言いますが、国策というのは、聞く相手の国によっては非常に神経をとがらす。現に今度の海外移住基本法の原案なるものを見ましても、移住者本人の自由意思で行くべきであって、
政府はサービスする
程度になっておるようでありますから、私はそうなれば移住事業団法案に関して
質問を進めてみましょう。
第一は、
農林省と外務省の移住問題に対する対立は、百年戦争と普通にいわれておるくらいに非常に深刻なものがあるらしい。主として所管問題であるかというと、所管問題もあるが、またそれ以上いろいろな政策上の違いがあるのじゃないか。今度移住事業団法が
国会に出されて、まだ審議に入っておりませんが、いずれ審議に入ったならば、詳しく聞かしてもらいたいと思っておることがたくさんあります。特にブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア等のおよそ六十万ばかりの日本人は非常に注目をしておりまして、私どもにも陳情書だけでも二百通くらい来ております。従って、せっかくつくるならばりっぱなものをつくってもらわなければならぬと思う。内地の役所間では所管の争いの方が非常に興味があるようでありますが、現地においては、一日も早く多くの人が来、機材が来、それから
農業移住に対しては、それだけの資本も来てもらいたいと思っておりますが、ちっともはかどっていない。御
承知だと
思いますが、
大蔵省は毎年一万名までの海外渡航費を予算に計上しているが、近年一万名をこしたことはない。七、八千名どまりです。特に
昭和三十七年は、事業団ができるのではないかという空気におびえて、現在ある海外協会連合会及び海外移住振興会社では、
一体わしの首はどうなるであろうかということの方が先になってしまって、ほとんど移住者の募集、必要な啓蒙、訓練等はやっておらない。ですから、
昭和三十七年の一月現在で千七、八百名しか行っておりません。私の福岡県のごときは、いつも海外移住のトップをいっておった。数年前には年間に一千名をこえたのですが、ことしは一月末の計算で三十二名です。行く人がない。
一体それは何に
原因があるかというと、私の見ているところでは、数年前のドミニカ移住の失敗、これによって、これから移住を志す人が非常に神経をとがらせている。あれもやはり外務省と
農林省の責任であって、調査の粗漏、責任のなすりつけから、せっかくの先祖代々の家を売って、非常な希望を持って千数百名の者がドミニカに行ったにもかかわらず、途中で引き返した者が半数以上もあった。ところが、引き返した者の
国内における再出発に対して少しも親切味がない。昨年の春の決算委員会でやりましたが、それっきりになっている。今なおドミニカの移住者は東京で路頭に迷っておりますよ。それらがこれから行こうとする人々に及ぼす心理的な影響は非常なものです。私どもが海外移住をやってほしいと勧めても、ドミニカはどうですか、とみな言います。そういうわけですから、もし国策でという
言葉をお使いになるならば、不幸にして引き揚げたドミニカの引揚者を再び南米に行かせるなり、あるいは
国内で他の
農業、北海道かどこかに定着させるなり、あるいは
農業がだめなら、都市において仕事につかせるなりの努力が必要だと思うのです。これは全然やっておりません。そこへ加えて、先ほど申しましたように、移住
関係の二つの団体がもう手を
上げている。そういうときに海外移住事業団というものをつくってみても、いわば
農林大臣が今まで白いオーバーコートを着ておったが、これがみなから攻撃されて、今度は黒いものを着た、しかし中身は同じです。そういう不信がありますよ。
政府の移住問題に対する取り
扱いを私どもは非常に心配している。基本的には、憲法で海外移住が認められているし、また確かに海外にたくさんの先輩が行っておりますから、後続部隊を出す必要があると思っておりますが、
扱い方において非常にまずさがあるために熱がさめております。こういうときに海外移住事業団というものを出してみても、だれが
一体行くかということになる。そういう心配をしておりますので、多少とも海外移住の問題を扱っている私どもとしては、急いでそんなオーバーコートを着かえるみたいなことをやるな、悪いときは悪かったと反省して、いかにしたらよくなるかということを
考えろ、こう言っているのですが、ついに外務
大臣と
農林大臣ですか、新聞によると話し合いで移住事業団法を出すに至ったらしい。出てみると、やはり通すということになってくる。私はやはり通す前に、行く人の子々孫々にわたる問題でありますから、よほど慎重にやるということが
一つ、こう思うのですが、あなたと大平外務
大臣との間にもめたというのは何であるか、どの辺で妥結したのか、これもやはり明らかにする必要があると思う。