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川俣分科員 逆に質問を受けたことに
なりますが、私は、逆に、移動がある程度制限され、あるいは地代部分であります小作料が制限をされたりいたしますと、その元本であるものが上がることが停止をする、または引き下げられることになると思います。あるいは
構造改善でどんどん移動が激しくなるということになって参りますると、限られたものですから、たとえば畜産にしましても同様です。大いに畜産を奨励しますると、子豚や子牛の値段が上がってくるわけです。手当をして融資をすれば、あるいは補助を出せば出すほど子豚の値が上がってくる、あるいは子牛の値が上がってくるということになる。また、そうやらなければ奨励にならないということに
なりましょう。そのことが子豚や子牛の値段を上げておる原因でありましょうけれ
ども、
土地におきましても同様であります。従って、ある程度制限を加えてきて、よほど地価の値上がりというものを押えてきた役目を農地法は持っていた、私はそう思う。小作料の統制、これは収益の統制ですから、それで耕作する者が地代としてでなく利潤を生んで生活費にする、こういうやり方をしたわけです。前の小作人の場合は、小作料と自己
投資を合わせたものが収益にならなければならなかったけれ
ども、今はそれだけ小作料を納めないでいいというたけに収益率が上がってきたわけですから、収益率があまり上がると地代が上がってくるということになるので、そこが問題だ。ですから、収益が上がると
土地の値を上げていく。次にやる人は、高い
土地を買って収益を上げようとしても限度にくる。こういうところから、
農業というもの自体はなかなか収益を上げるわけにはいかない制約が社会的にあるのだ、こう私は思っておるわけです。そこで、どうして押えるかということに
なりますが、
構造改善事業を進める上に今の世の中の空気で一番障害になっておりますのは旧地主に対する補償の問題で、これは
構造改善事業と逆行したものだ。
構造改善事業を進めていくのに、
土地そのものに価値があるのだという
考え方では
構造改善はできません。
選択的拡大もできない。そうではなくて、
土地を利用して
構造改善をしていこう、こういうことなんでしょう。活用してということだ。持っていてということになれば、みんな不在地主という傾向になって、
農業生産には役に立たない。不在でも補償するのだという
考え方になると、
農業の生産性は高まってきませんよ。これは生産性を否定し、不労
所得を奨励するような形ですからね。その方に報償をやる、ほうびをやるというのですから、不労
所得にほうびをやるというような
考え方をしたら、
日本のような勤勉な
農民に対して不勤勉を奨励するような結果になる。そうではなくして、やはり
政府も
農業生産には力を入れるけれ
ども、
農民自体も大いに力を入れなければならないというところに持っていかなければならぬ。そうではないですか。私はそう理解する。
政府がどんなにしゃっちょこばっても
構造改善はできない。
農民の自主的な
考えに、これをアドバイスしてやることによって成績が上がるのだと私は理解する。従って、旧地主の補償などというような
考え方はおやめにならないと
構造改善事業等がうまく進まぬであろうということを、苦言を呈する程度にいたしておきます。なぜ
一体旧地主問題が出るかというと、かつて
土地を持っておった時代は、財産的に持っておった。これで収益を生むということも
一つでしょうけれ
ども、財産的に持っておった。
自分の財産を
土地にして保存をしておくという
考え方、ただ、保存をしておくには収益があった方がいいということであって、売りたくないのに売らされたというところに問題はありましょうけれ
ども、持っている
土地というものは
近代化の
考え方ではないのです。定期預金のつもりなんですね。むすこやあるいは孫が、現金だと、預金だと分散してしまってなくなるであろうが、
土地ならばいつまでも不動であろうという財産的な所有から、今日の
構造改善というものは
土地を利用して収益を上げるというふうに変わってきた。その変わったやり方が
構造改善だ、こういうわけでしょう。従って、もとのように財産として持っていればいいんだという
考え方があると、
構造改善というものはできなくなってしまう。荒らしておいたっていつかは売れるだろうということになると、
構造改善などはくそ食らえということになる。そんなものは何も金をかけないでも、黙っておっても、収益が上がらぬでも、十年たったら幾らになる、だろうと
考える。そうならば何も手をつける必要はない。それで五倍あるいは十倍に売れるとしますれば、
構造改善なんてやらないで寝ておった方がよほどいいということになる。これでは
構造改善というのはすっかり停頓してくるだろうと私は思うのですが、
大臣も大体私と同じ
考えだろうと思うのです。