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西村(力)
委員 そういう御
答弁であるならば、教育基本法では人間はつくれないというような、いやしくも文教の衝に当たるあなたが、そういうことを言われること自体を控えられてはいかがかと思う。あなたが教育基本法では
日本人はつくれないということはおれの信念だとこの席でおっしゃっておることは速記録で私
たち承知しましたが、そういう場合に、信念を持って言われるならば、やはりここで明確にすべきである、私はそう
要求したいのです。それこそ文部行政の
責任の衝にあるあなたの
責任ある
態度表明ではないか、こう思う。ですから、私はその点について
答弁を求めたわけでありまするが、しかし、今のように
答弁をされないとするならば、これはまあ文教
委員会におきまして問題としてこれからも解明されていかなければならないことではないだろうか。その際に、文教の衝にある
責任のある立場で言った言葉に対する確信は、明瞭に表明されてしかるべきではないか。うやむやのうちに、
ただ立法論として改正の必要あり、こういう言い方だけでは、これは文部
大臣としての御発言としては不十分である、私はさように思うわけなんであります。
ところで、この人づくりの問題に関連をいたしまして、私は、去る三十五年の十月に発せられた伊勢神宮の御鏡の問題に対する
政府の
答弁書、これについて
お尋ねをいたしたいと思います。
この概略は申し上げるまでもないことであると思うのでありまするが、三十五年の十月十八日に濱地文平議員がこういう質問書を出しておるわけなんであります。「伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問主意書」、「近年伊勢の神宮の制度について、いろいろの議論がある。この問題は、
国民精神上重要な問題であるが、憲法との関係からして、あるいは一般宗教との関係からして、複雑な問題もあり、その結論を得るのには慎重な研究を要すると思う。しかしながら、世上この問題に関連して、伊勢の神宮に奉祀されてある御鏡(ヤタノカガミ)が、天皇の御鏡であるかそれとも宗教法人のものであるかというような議論もあるが、このような問題を、いつまでも不確実あいまいのままに放任していることはよくない。これは
国民良識上明らかなことで、伊勢の御鏡は、皇祖から皇位継承者たる皇孫に授けられたものであって、皇室
経済法第七条にいわゆる「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣が、これを受ける。」とあるように、
日本国の天皇の御位と不可分の関係にあるものと信ぜられる。
政府は、この点について、いかに解釈しているか。」、そのあとまた第二、第三と質問が続いておりまするが、それについて十月の二十二日に内閣から総理
大臣名をもって出された
答弁書は、「伊勢の神宮に奉祀されている神鏡は、皇祖が皇孫にお授けになった八脳鏡であって、歴世同殿に奉祀せられたが、崇神天皇の御代に同殿なることを畏みたまい、大和笠縫邑に遷し奉り、皇女豊鍬入姫命をして斎き祀らしめられ、ついで、垂仁天皇は、皇女倭姫命をして伊勢五十鈴川上に遷し奉祀せしめられた沿革を有するものであって、天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである。したがって、皇室
経済法第七条の規定にいう「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」として、皇居内に奉安されている形代の宝鏡とともにその御本体である伊勢の神鏡も皇位とともに伝わるものと解すべきであると思う。」、それから第二、第三点の御
答弁が続いておりますが、今読み上げました
通り、この
答弁書は、伊勢神宮の御神体である御鏡は、皇祖が皇孫に授けられたもので、崇神天皇の御代に大和の笠縫邑に移し奉り、次いで垂仁天皇の御代に五十鈴川のほとりに移し奉祀せしめられた、こう申しておりますが、このことは、
日本書紀に記述されている
通りの沿革というものを認めて、したがって、皇室
経済法第七条の規定にいう皇位とともに伝わるべき由緒ある物と断定をしておるわけなのでございます。
そこで、私一応
お尋ねをいたしたいことは、この件に関しましては、憲法調査会における参考人の発言におきましては、憲法調査会の第三十八回総会の議事録には、岸本英夫氏が、東大教授でありますが、その岸本さんは、「それが新憲法の結果、現在では、国から離れた
一つの民間の神社としての伊勢神宮の所有に属しております。」、かような
表現をしておりますし、また、憲法調査会第三
委員会の第十四回
会議録を読んでみますと、飯沼一省さんが、「皇室
経済法第七条によりますと、」とあって、「天皇のお受けになった神器と解釈されます。しかしまた一面、宗教法人法の
建前から申しますれば、それは神宮という一宗教法人の所有物であって、一私法人が任意に管理をし、任意に処分をしてさしつかえないものであるという解釈の成り立たんこともないという、制度上まことに遺憾な状態が、今日そのままに放置されておるのであります。」、かような工合に申しております。私も、神宮の御鏡が勝手に処分されたり、
外国に渡ったりすることは許してはならないことであると思います。
ただ、皇室のものか宗教法人のものかという議論のあるときに、
政府が公権解釈あるいは公式見解としてこれに断を下すということは、これは相当慎重を要する問題であると思う。しかも、事宗教法人に関することであります。われわれの憲法には、信教の自由、政教分離というこういう大原則がはっきり立っておるはずであります。でありますから、こういう断を
政府が下すということは、
政府の見解でこういう宗教上の問題について公的な立場というか、そういうものを与えるという、これは重大なものでありまして、私は、現在の法制上から言いますと、これはいろいろな
国民の願望や何かはとにかくとしまして、現在の法制上、宗教法人というものは
政府がそこに介入をすべきじゃないということが明確でありますので、この
答弁書は、この政教分離という大原則に抵触する危険がないか、こういう工合に
考えられるわけなのであります。この
政府見解が発表された当時、キリスト教あるいは仏教その他の教派神道、その他の一般宗教団体あるいは宗教人は、この危険というものを
指摘して、行く行くは神社神道を国教としてすべての
国民に神社の崇敬を強制した昔のような
日本に逆戻りするようなものではないかという疑念さえ唱えた者があったのは御
承知の
通りであると思うのであります。でありますから、こういう
政府の断定というものは、政教分離の原則というものに抵触する危険というものが非常にある。であるから、私をして言わしむるならば、そういう
気持があるならば、
政府の公権解釈というものでなく、別の方法でそういうようなことをやる方法はなかっ
ただろうか。そうすれば、この政教分離に対する危険性も払拭できるはずであります。そういうようなことを
考えるわけなのであります。この件に関して、文部
大臣の所見を明確に
一つ出してもらいたいと思います。