○岡本隆一君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、ただいま
議題となっております
河川法案に対しまして、反対の
討論を行なおうとするものであります。(
拍手)
反対の第一の理由は、本
法案におきましては、河川法改正の本来の目的が見失われているというところにあります。
河川法改正の必要が叫ばれましてよりすでに久しいものがございます。その理由といたしましては、従来の河川
管理が府県別に分かれたこま切れ
管理であり、上下流に一貫した統一性に乏しく、上流、下流の利害の衝突によりまして流量調節
施設や利水
施設の設置にしばしば著しい困難を来たし、治水上、利水上大きな障害となっているところにありました。したがって、従来の府県別のこま切れ
管理を排しまして、水系ごとの一貫した
管理体系をもって治水を行ない、大河川については国が、中小河川については府県が治水の
責任を負い、あわせて利水の効率を高めるというのが今回の河川法改正の理由でありました。
ところが、いよいよ
政府が改正に手をつけますと、各省の間のなわ張り争いで、改正案は川の流れのごとく蛇行して、当初の改正の目的とはおよそかけ離れたところにたどりつき、今回の改正案となっておるのであります。これを本年二月建設省が最初に示しました改正要綱と比較いたしてみますと、まず第一に目につくことは、水系別
管理の一元化という一番大きな柱がくずれ去っているということであります。知事や
自治省の攻勢の前に、
管理の水系別一元化の線がくずれて知事
管理区間が設けられ、治水
管理が従来どおりこま切れ
管理となっておるのであります。さらに大蔵省の抵抗にあいまして、財政面における国の
責任体制が大きく後退し、最初の案のうち残されておりますのは利水の一元化のみであります。かくては利水権の一元化、中央集権化のみが改正案の柱となりまして、治水、利水の総合的一元的
管理ということは全く骨抜きにされているというよりほかありません。これこそまさに
政府の思うつぼだったとも
考えることができるのであります。本改正案策定の最終段階で総理の裁断がこの案決定のかぎとなったと聞いておりますが、本案は足して二で割るというよりも、足して五で割ったともいうべき全く無原則な妥協案であります。河川法改正の必要が叫ばれるに至りました改正本来の目的を完全に見失ったところの利水一元化案であります。これが反対の第一の理由であります。
第二にわれわれが本改正案に反対するゆえんのものは、本案におきましては、国が治水の
責任を明らかにしておらないというところにあります。
もとより、河川法の改正は水利用の合理化をその目的の一つといたしておりますが、あくまでもそれは治水を第一義的な目的としていることは言うまでもありません。治水の完ぺきを期するとともに、無効放流されておる水をたくわえて水利用の効率を高めるという
考え方に立った河川
管理が行なわれなくてはなりません。ただいたずらに水不足に悩む産業界の要望にこたえて利水をはかることにのみ急であってはならないのであります。したがって、大河川の
管理権を国の手に一元化せよという声は、治水について国があくまで
責任を負うとともに、総合的な利水計画を国の手で立てるということであります。しかるに、本案におきましては、国は利水権をその手に一本化しておきながら、治水については国が最後まで
責任をとるといった
態度をどこにも見ることができません。
そこで
日本社会党は、本
法律案に対する修正案の中で、洪水常襲地帯の指定を行ない、連年洪水に見舞われる地域については水害防除のための
措置を優先的にとることを国に義務づけようといたしたのであります。
川は生きているということばのとおり、われわれが利水のために河川にいろいろな
施設を行ないますと、川はそれにさまざまな形で反応してまいります。ことに、最近の膨大な利水
施設は、河道に著しい変化を起こさせまして、上流には土砂の堆積による水害を、下流には河道の掘さくによる干害をもたらしてまいりました。また、河川の改修による疎通の
改善は狭窄部における洪水となってあらわれてまいりました。こうしてわれわれの生活の河川への接近は、一部に第二次的な水害常襲地帯をつくり、こうして人工的につくられた洪水常襲地帯は、毎年毎年大雨ごとにどっぷり水につかりまして非常な犠牲を払わされ、その悲運に住民は泣いておるのであります。いまやその地方の住民の嘆きは
政府の無策に対する怒りの声と変わってきておるのであります。したがいまして、これらの洪水常襲地帯を水禍から解放するための治水
施設は、他の治水、利水
施設に優先すべきであるにかかわらず、利水を目的とする
施設が常にこれに優先しているのであります。
そこで私どもは、このような地域を洪水常襲地帯として指定いたしまして、この地域に対する治水
施設を他の地域に優先して行なうことを
政府に義務づけようとしたのであります。このわれわれの修正は水禍に悩む住民の声であります。また、政治の当然あらねばならない姿であります。本
法案の取り扱いをめぐるところの自社両党の話し合いの中で、罹災住民の立場に立って私はこの修正をねばりにねばったのであります。しかるに、
政府並びに与党の理事諸君は頑強にこれを拒否したのであります。そして
委員会におきましては、われわれの修正案は否決されたのであります。それでは、利水権は国の手に、水は自由におれ
たちに使わせろ、ただし、そのためにどこにどんな水害が起ころうともおれ
たちの知ったことではない、こういうことになりまして、今度の河川法改正は利水オンリーの改正であるといわれてもしかたがないのであります。これでは地域住民の犠牲において、水を求める産業資本に奉仕するための改正であるとのそしりを免れることはできません。(
拍手)これが本改正に反対する第二の理由であります。
第三には、本改正案におきましては、災害
防止のための緊急
措置に対しましてきわめて憶病であるということであります。
旧河川法におきましては、流水は私権の
対象となすことを得ずと
規定されておりましたが、今回の改正案ではそれが著しくぼやがされております。河川は
公共のものである、
公共の安全を保持し、
公共の福祉を増進するように
管理すべきであると
規定いたしておるにすぎません。従来発電ダムは、洪水に際しましてしばしば予備放流を怠り、あるいは急激な放流を行ないまして、下流住民の生命を奪うような事故を起こしてまいりました。かかる経緯にこりまして、今回の改正ではダム操作に関する詳しい
規定を設け、ダムの安全性のために特段の配慮を払わんといたしております。ところが、流水に対する私権の排除の
規定がなくなり、
法案の底を流れる基本的な
考え方の中に、利水権を物権とみなし、私権の
対象と見るという
考え方がありますので、災害防除に対するダム操作の統一的
管理にきわめて憶病になっております。
政府原案では、災害を
防止するため緊急の場合には河川
管理者はダム設置者に対して必要な
措置をとるべきことを「勧告」することができるとありましたが、
委員会におきましてその不徹底なことが追及され、「指示」できると修正されております。
流水は確かに
公共のもりであります。ダム設置者は
施設を設けることによってダム使用権を持ちますが、それは権利として流水を事業の目的に使うことができるのではなく、資格として流水を使用することができるのであると私
たちは理解しておるのであります。したがって、
公共の安全に重大な影響ありと懸念される場合には、進んで災害
防止のために協力する義務がダム設置者にあるものと私
たちは
考えております。そして河川
管理者は、各水系ごとに洪水
管理本部を設けて、これらの幾うかのダム群を科学的に統一的に
管理し、指揮し、災害の
防止につとめるべきであります。そのためには、河川
管理者は、緊急の際にダム設置者に対して命令権を持たなければならないのであります。ところが、流水の使用権を利権と見て、これが損失に対しては国の補償義務ありやに見られる本案は、災害
防止についての緊急
措置に対しきわめて消極的であります。レーダや電子計算機の発達した今日では、ダム群の科学的操作によりまして完全な洪水
管理ができるはずでありますが、命令権のない河川
管理者は、刀を持たずして敵を切れと言われておるにひとしいのであります。魂なき洪水
管理では災害を防ぐことはできません。これ、私が本案に反対する第三の理由であります。
さらに、最近、河川の遊水地帯が、土地の効率的利用の名のもとにどんどんと取りくずされ、それが干拓されて農場となり、地上げをされて宅地となっております。そのために河川は一そう堤防を高くしなければなりませんが、それとともに洪水の破壊力は一そう大きなものとなってまいります。それは自然の力にさからってはならないといろ治水の原則に反するものでありまして、まことに愚かな人間の自然への反抗であります。
一昨年、私は、北海道の災害調査に際しまして、石狩川流域で非常に広大な地域にわたって遊水地帯の中に農地が造成されつつあるのを見ました。また最近、利根川の遊水地帯である印旛沼または霞ケ浦を埋め立てまして、ことに国際空港をつくろうという計画が立てられております。これらの湖沼は、利根の遊水地帯として、利根の洪水調節に非常に大きな役割を果たしておりますので、その埋め立てについては当然これに見かわる調節
施設を設けなければなりません。
社会党の修正案は、これらの治水上必要ある地域を遊水地帯として指定し、この遊水地帯は、これにかわるべき洪水調節機能を有する
施設をつくるまでは、遊水の状態に影響を及ぼすような行為を禁じようとしたものであります。
狭い国土は、あるいは台風に、あるいは集中豪雨に、至るところ河川のはんらんに苦しめられております。したがって、既存の遊水地帯の取りこぼちには厳重な規制を行なわなければなりませんが、原案はこれに対してきわめてあいまいな
態度をとっておるのであります。これが私の
政府原案に反対する第四の理由であります。
明治二十九年に制定されました河川法は、いま、時代の進運に伴って画期的な改正が行なわれようといたしております。それだけに、われわれは、その改正にあたっては本来の目的を見失ってはなりません。
政府部内のなわ張り争いでゆがめられたところは、国会の手でそれを正しい姿に戻さなければなりません。そして、国民の生命と財産を守るための治水を何よりも重要なものとしなくてはなりません。しかるに、
政府原案はその重大なる使命を忘れているのであります。いわば魂を置き忘れた河川法とも言うべきであります。これに魂を入れようとしたのが
社会党の修正案であります。(
拍手)
委員会におきましてそれが否決されましたことはまことに残念というほかありません。ただし、本案は、本日衆議院を通過いたしましても、
参議院ではおそらく継続審査になると思うのであります。(
拍手)その場合には、
政府並びに与党の諸君は、次期国会において、この点を十分に考慮されまして、われわれの修正に応じられんことを切望いたしまして、私の反対
討論を終わります。(
拍手)