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1963-03-22 第43回国会 衆議院 法務委員会再審制度調査小委員会 第2号
公式Web版
会議録情報
0
昭和三十八年三月二十二日(金曜日) 午前十時四十四分
開議
出席小委員
小
委員長
林 博君
唐澤
俊樹君
上村千一郎
君 小島 徹三君
猪俣
浩三
君 坪野 米男君 小
委員外
の
出席者
参 考 人 (
アジア極東犯
罪防止研修所教
官)
安倍
治夫
君 専 門 員 小木 貞一君 ————————————— 本日の会議に付した案件
再審制度
に関する件 ————◇—————
林博
1
○林小
委員長
これより
再審制度調査小委員会
を開会いたします。
再審制度
に関する件について
調査
を進めます。本日は、
本件
について
参考人
より
意見
を聴取いたします。 御
出席
の
参考人
の方を御紹介いたします。
アジア極東犯罪防止研修所教官
の
安倍治夫
君でございます。
安倍参考人
には、御多忙中のところ御
出席
いただきまして、まことにありがとうございます。
本件
について忌憚のない御
意見
を承ることができれば幸いに存じます。 議事の順序は、まず
参考人
より御
意見
を承り、御
意見
の
開陳
が終わった後、
参考人
に対する
質疑
を行なうことといたします。なお、時間の都合上、御
意見
の
開陳
は三十分
程度
にお願いいたします。
安倍参考人
。
安倍治夫
2
○
安倍参考人
参考人
としての
陳述
を始めるにあたりまして、この
法務委員会
の
再審制度小委員会
が、すぐれた
見識
と異常なる熱情をもって
再審制度
の
改正
という複雑かつ困難な問題と取り組んでこられたことに対しまして、
国民
一人として心から感謝と敬意とを表明いたしたいと存じます。
再審制度
は、
法律
の分野の中でも、どちらかと申しますと、なおざりにされてきた部分であります。このいわば日の当たらぬ場所に置かれてきた
再審制度
を、国の最高の機関である
国会
の
法務委員会
が
調査
の
対象
として正面からお
取り上げ
になったということは、諸
外国
においてもその例を見ない快挙でありまして、
委員会
の御英断と
見識
に対しましては、
再審制度
に関心を寄せる
法律家
の一人として頭の下がる思いがいたすのであります。
国民大衆
は、かねてから
国会
の
法務委員会
を
人権
及び、
言論
の自由の最後のとりでの
一つ
として
信頼
して参ったのでございますが、このたびこの
委員会
が
再審
問題を
吉田石松翁
の
再審事件
との
具体的関連
においてお
取り上げ
になったことは、
国民
の
委員会
に対するこのような
信頼感
を一そう深めることろうかと存じます。御
承知
の
通り
、最とな高
裁判所
の大
法廷
は、一世一代の詭弁を用いて
吉田翁
を救うような
決定
を下しました。また
名古屋高裁
の第四部は、史上まれに見る明快さをもって
吉田翁
の
積極無罪
を認定いたしました。しかしながら、ひそかに考えますと、
裁判官諸公
があのような勇気をもって
吉田翁
を救おうと決意するに至った陰には、当
委員会
がお示しになった
人権擁護
の大
精神
が大きな心のささえとなっていたのではないかと考えるのでございます。
吉田翁自身
もこのことを十分に意識しております。一たん許された
再審開始決定
が心なき人々の手によってむざんにも取り消されまして、いわば八方ふさがりの
状態
にありましたときに、当
委員会
が
再審
問題をお
取り上げ
になったのですから、
吉田翁
は天の一角から救いの糸がするするとおりてきたように感じたのでありましょう。そのとき
吉田翁
が私たちに語った
言葉
が今なお私の耳の底に残っております。
吉田翁
は申しました。
国会
様がお
取り上げ
下さったのだから、たといこの身は
有罪
となろうともわしは本望じゃと。名もなき民の
言葉
ではありますが、
国民
の
国会
に対する絶大なる
信頼
を端的に言い表わした古今の名言であろうかと存じます。ここにつつしんでこの
言葉
を
委員
の諸先生にお伝えし、
吉田翁
にかわって厚く御礼申し上げる次第でございます。 前置きはこの
程度
にいたしまして、
再審制度
の
改正
の要否に関する私の個人的な見解を述べさせていただきたいと存じます。
抽象論
に走るのもいかがかと存じまするので、さきに
日本弁護士連合会
の公表いたしました「
刑事訴訟法
第四編(
再審
)中
改正要綱
」という書面に現われた
改正試策
を批判するような形で
意見
を申し述べたいと存じます。ところで、あらかじめお断わりいたしますが、これから私の述べますことは、全く一
法律学徒
としての私の個人的な
意見
でありまして、
法務省
、
検察庁
及び
国際連合
の公の
考え方
ないしは方針とは直接には何の
関係
もございません。むしろ
法務省
や
検察庁
などの伝統的な
考え方
とは食い違った点も多かろうかと存じます。私の
考え方
は、新しい
時代
の
検察官
はいかにあるべきかという
使命感
の上に立ちながら、
合理性
、
近代性
及び
人道主義
の
精神
にささえられたものでございますので、
権威
に奉仕することを旨としがちな伝統的な
考え方
の方々から見ますれば、あるいは御
不満
の点もあろうかと存じます。 第一に、私は、
人権
を擁護し
言論
の自由を尊重することが真に社会の秩序を維持するゆえんであると考えます。昔から
国民
の
人権
と自由とを無視したために衰えた国はたくさんございますが、
人権
と自由とを審重し過ぎたために乱れた国は
一つ
もございません。
再審制度
に
関連
させて申しますと、多数の
国民
が名もなき一
国民
の
再審
について一喜一憂する
状態
は、一国の
政治的文化
が
健康状態
にあることを意味いたします。第二に、
検察官
の職責は、公益の
代表者
として世の中の悪人を取り締まるとともに、
被告人
の味方として
冤罪
を未然に防ぐことにあると考えます。いわゆる
検察
の
後見的機能
というのがこれであります。
再審制度
の
改正
は、
検察
の
後見的機能
を容易にするものでありますから、
検察官
といえ
ども
、これを忌みきらう必要はないのであります。第三は、
検察官
は謙抑的でなければなりません。なかんずく、
人間
はあやまちを犯すものだということをすなおに認めるだけの心の
ゆとり
が
検察官
にもほしいのであります。近ごろ
検察官
の中には、
再審開始
をおそれ憎み、一たび
再審開始
が
決定
されましても、
事件
が古いからだなどと見苦しい負け惜しみを言う向きもあるやに聞いておりますが、これは間違いでありまして、むしろ
国民
とともに
再審開始
を祝福する心の
ゆとり
が望まれるのであります。法の
権威
とは、過去のあやまちにしがみつくことによってではなく、あやまちを率直に認めることによってこそ高められるのであります。 以上述べました基本的な
考え方
に立ちながら、
日本弁護士連合会
の
再審制度改正要綱
について
私見
を述べさせていただきたいと存じます。
日本弁護士連合会
の
要綱
は、
再審制度
の
現状
を
不満
とし、
再審
への道を広げる方向にこれを
改正
しようとするものでありますから、まずこの前提の当否について考える必要がございます。
私見
を率直に述べますと、
わが国
の
再審制度
は、諸
外国
のそれに比べて特に著しく窮屈であるというわけではございません。従って、
運用
の妙を得まするならば、
現状
のままでも相当な
程度
まで
人権擁護
の目的を達することができるのではないかと思います。問題は、
わが国
の
裁判官
の平均的な教養と識見をもってして、はたして
運用
の妙を尽くすことができるかということであります。残念ながら、
日本
の
裁判官
のすべてが、
吉田事件
の
小林裁判長
のような崇高なヒューマニズムの
精神
を身につけておられるとは限りません。
法理論
に詳しい秀才型の
裁判官
は多いが、涙とともにパンを味わったことのある
人間
味豊かな
裁判官
は少ないのであります。それというのも、
裁判官
の
任用制度
に根本的な欠陥があって、それが
官僚
型の
裁判官
をつくり出しているからであります。ですから、現在の
制度
を改めて、
弁護士
または
検察官
の
経験
がある者の中から
裁判官
を任用する、いわゆる法曹一元の
制度
を採用しない限り、事態の改善は望みがたいのであります。そうだといたしますと、やはりある
程度
再審
への道をゆるやかにして、無実を救う
可能性
を広げてやる必要があるのではないかと考えるのであります。
連合会案
の
改正要綱
第一は、
刑事訴訟法
第四百三十七条のいわゆる「
確定判決
に代る
証明
」の場合において、必要とされる
証明度
を緩和しようとするものであります。しかしながら、これは四百三十五条六号における
証明
の
度合い
と
有罪判決
を得るに必要な
証明
の
度合い
とを混同した
考え方
に立脚するものであって、にわかに賛成しがたいのであります。たとえば
偽証罪
の場合を考えてみましょう。
被告人
がある
証人
の
偽証証言
に基づいて
有罪
となったといたします。後にこの
証人
が
偽証罪
で訴追され、その
有罪判決
が
確定
すれば、それだけの
理由
で形式的に
再審
を開始してやろうというのが四百三十五条二号の
法意
であります。この
証人
を
偽証
で
有罪
とするには、
偽証
の事実を「合理的な疑いを越えた確からしさで
証明
する必要があります。ところが万一この
証人
が死亡したり、
事件
が
時効
にかかったり、
検察側
が故意に訴追をしなかったりいたしますと、実質的には
偽証
の事実があっても、形式的には
有罪判決
をかち得ることができないうらみがあります。この不便を救うのが四百三十七条の
制度
の趣旨であります。つまり、もし
時効
が完成してなかったら、
証人
が死んでいなかったら、
証人
がおそらく
偽証
で
有罪
となっていたであろうと思われる
程度
の
証拠
があれば、
再審
を許そうというのであります。ですから、そこには
証明
の
度合い
を緩和する
意図
は毛頭ないわけであります。
名古屋高裁
の
小林裁判長
は、
再審開始決定
をするにあたって、
日弁連
の要緩と同じように
証明度
が緩和されるという
考え方
に立って
北河芳平
の
偽証
を認定したわけでありますが、当時
検察側
が
異議申し立て
において鋭く指摘したように、これは誤った
考え方
であると言わねばなりません。このような誤った
解釈論
に立脚しながらこれを明文化しようとする
連合会案
には、にわかに賛成しかねるのであります。もとより
立法
は創造的なものでありますから、伝統的な
解釈論
を乗り越えて
被告人
に有利な
状態
をつくり出すことも可能ではあります。しかし
立法
は漸進的でなければなりません。必要以上に急進的な
現状改革案
は
反対者
に好個の口実を与えるおそれがありますから、これは避けなければなりません。
連合会案
の
改正要綱
第二は、
再審事件
の
管轄
に関するものでありまして、主として
原判決
をした
裁判所
の
直近上級裁判所
を
再審管轄裁判所
として
請求人
に選択させる余地を開こうとするもののようであります。私はこの案には
条件付
で賛成いたします。
裁判官
も
人間
でありますから、自己の初めの
判断
に固執しがちであります。そこで、他の
裁判所
に
判断
させる利点も生ずるわけでありまして、たとえばフランスの
制度
におきましては、
司法大臣
が
検事総長
を通じて
再審
の
申し立て
を
破棄院刑事部
に対して行ない、
破棄院
が
再審請求
に
理由
ありと認めた場合には、
原言い渡し
を取り消して、
原裁判所
と同等の他の
裁判所
に
被告人
を移送することになっております。しかしながら反面において、
原裁判所
は
事件
について一番よく知っているのでありますし、
審級
の利益や原審の
面子
などを考えますと、
原裁判所
に
再審
の
管轄
を認めることにもかなりの
合理性
があるわけであります。 私は結論といたしまして、
連合会案
と
円山参考人
が前回三月十五日にお述べになった
特別部
の
構想
とを折衷いたしまして、
死刑
に当たる罪に関する
事件
については、
原裁判所
に一定数の
しろうと裁判官
または
弁護士
を配して
構成
した「
参審裁判所
」に
再審請求事件
を
管轄
させるのがよいと思います。なお、
再審
の
本案事件
は
民間人
をまじえないままの
原裁判所
に扱わせてよいと思います。
要綱
の第三は、
日本弁護士連合会長
その他を
再審請求権者
に加えようとするものであります。
冤罪者
のすべてが
吉田翁
のようにすぐれた
精神力
の持ち主ではないこと、死亡した
被告人
の
縁故者
の
法意識
が必ずしも高くないことなどを考えると、
死刑
に当たる罪に関する
事件
についてのみ
日弁連会長
に
再審請求権
を認めるのがよろしかろうと存じます。
全国単位弁護士会長
にこれを認めるのは、まだ時期が早過ぎるのではないかと思います。 次に
要綱
の第四は、
請求人
の
申し立て
により、または
職権
をもって
ヒヤリング
を行なう特例を設けようとするものであります。
吉田翁
の例を見ても、初めの四回の
再審請求
は、十分な審理がないままに、いわば切り捨てごめん的な
棄却決定
が行なわれたらしい
形跡
が見受けられますから、こうした弊風を防ぐために
ヒヤリング
を開く場合があってよろしいかと思います。ただし、さしあたりは
死刑事件
についてのみ
職権
によって
ヒヤリング
を行なう
制度
を認める
程度
でよろしいかと思います。
要綱
第五は、第四百四十七条第二項にいう「
同一
の
理由
」とあるのを「前項の
決定
で審判した事実及び
証拠
」と改めることにより、「
同一
の
理由
」を不当に広く
解釈
する弊を防ごうとするものであり、傾聴すべき御
提案
とは考えますが、表現についてはなお推敲を必要とするものと思います。
要綱
第六は、一たび
再審開始
の
決定
があった場合に、
検察官側
から
異議
を
申し立て
る道をふさごうとするものであります。いわゆる
吉田事件
及び
免田事件
のいずれにおいても、一
たん再審開始決定
がありながら、
検察側
の
異議
がいれられてこれが取り消されたのでありまして、喜びの頂点から再び悲しみの底に突き落とされた
被告人
の
心理的苦痛
はまことに大なるものがあったと考えます。すでに
不利益再審
の
制度
を否定し、この限りにおいては
英米法
のいわゆる二重
危険禁止
の原則を導入したのでありますから、これを貫くことによって
不利益異議
を禁止することも十分考えられることであろうと存じます。また、
再審開始決定
をした
裁判所
が
請求人
の主張した
理由
のすべてについて
判断
せず、その
一つ
だけを
取り上げ
て
再審開始
を
決定
し、他の
理由
については
判断
を省略したような場合には、往々にして
判断
の
対象
となった
理由
のみが
異議
の
攻撃目標
となる不合理もありますので、この点からも
不利益異議
を禁止すべきものと考えます。
要綱
の第七は、
再審
の
請求
を棄却する
決定
に対する
特別抗告
(法第四百三十三条)の
理由
として、
憲法違反
、
判例違反
のほか、重大なる事実の誤認をも加えようとするものでありますが、この
提案
には全面的に賛成であります。
再審
の性質上、
法律点
ではなくて、事実点が常に争いの焦点となるからであります。 以上によりまして一応
参考人
としての
意見陳述
を終わることといたします。
林博
3
○林小
委員長
以上で
参考人
の
陳述
は終了いたしました。 —————————————
林博
4
○林小
委員長
次に
質疑
に移ります。
猪俣浩三
君。
猪俣浩三
5
○
猪俣
小
委員
今、
日弁連
の出しました
刑事訴訟法
第四編中
改正要綱案
、その第一、
刑事訴訟法
の第四百三十七条の
修正意見
ですが、「その事実を
証明
して」とあるのを「その事実を
証明
すべき
証拠
を提出して」、これは、大体あなたは
反対
のようなんですが、こういうことにつきまして
英米法
あるいは
大陸法
が実際どうなっているか、ちょっと御
説明
いただきたいと思います。
安倍治夫
6
○
安倍参考人
まず
英米法
の
制度
から御
説明
いたしますと、
英米法
におきましては
大陸法制
のような整備した
再審
の
制度
はございません。場合によりましては
恩赦権
を発動し、あるいはヘビアス・コーパスという
制度
を持ち、あるいは
特別上訴
の許可の
制度
を持ち、巧みにこれを援用
運用
しながら事実上
被告人
の
人権
を擁護することとなしておるのでございまして、
特定
の
証人
の
偽証罪
の
確定
をもって形式的に
再審
を開始するというような
制度
はないのであります。従って、この点については、直接に引き比べるべき
制度
がございませんので何とも申し上げられません。しかし
英米法
におきましても、ある
証人
が
偽証罪
となって、その罪が
確定
いたしますと、これは相当に強い新しい実質的な
証拠
が現われたと考えまして
再審
を開始する場合、あるいは
恩赦権
を発動する場合が多かろうかと存じます。 次に
大陸法制
でございますが、
大陸法制
と申しましても、国々によってこまかい点は変わろうかと存じますが、私の今まで理解した限りにおきましては、やはり
偽証罪等
の
確定
をもって形式的な
再審開始決定理由
といたします場合の
証明
の
度合い
というのは、
確定判決
ということと同
程度
に強いものであることを要するというのが
通説
であるように理解しております。これでよろしゅうございますか。
猪俣浩三
7
○
猪俣
小
委員
具体的な例といたしまして、例の
松川事件
ですが、あれは
門田判決
で
無罪
になり、
検事
が上告して、
判決
が近く下ると思いますが、あの
門田判決
の中に、
検事
が
調書
を
偽造
し、変造し、
警察官
が
偽証
しているということを指摘しておるわけです。そうして、こういう変造
偽造
した
調書
あるいは
警察官
の
偽証
ということで
有罪
の
判決がかり
に出たといたしますと、そうしてそれが
確定
したといたしますと、今度の最高裁の
判決
が不幸にして
有罪判決
になって
確定
したとしますと、ああいう場合にはどういうことになりましょうか。
安倍治夫
8
○
安倍参考人
ただいまの御
質問
は、多少
仮定論
を含んでおるのと、もう
一つ
は、私は
松川事件
の
記録
を通覧しておりませんので、
法律家
として専門的な
意見
を
具体的事件
に
関連
さして申し上げることは非常に困難でございます。そこで
抽象論
として申し上げますと、
松川事件
あるいは何々
事件
というような
特定
の
事件
を別といたしまして、ある
事件
についてたとえば
無罪
が
確定
した、その場合に、その
事件
の捜査の
過程
において
検察官
のつくった
調書
が
偽造
ということがわかり、後に、かりに
検察官
が訴追されてその点について
有罪
になって、その
有罪
が
確定
したといたしました場合を考えます。しかし、この場合には、いわゆる
不利益再審
の
制度
がございませんので、御
質問
のような危惧はないのではないかと考えます。逆にある大きな
事件
が
有罪
をもって終了し、その
有罪性
が
確定
した場合をとりますと、今度は
検察官
の
調書
の
偽造
が問題となり、その
検察官
が訴追されて、
偽証
について
有罪
となり、その
有罪性
が
確定
したという場合については、特にその
検察官
が
法廷
において
証人
として尋問された場合におきましては、その
偽証
の事実を基礎として
原判決
をくつがえし
再審
を開始する
可能性
も生ずるかもしれません。ただし、いずれもこのような問題は非常に多くの
仮定論
を含みますので、ここではあまり
確定
的な御返答ができないのを残念といたします。
猪俣浩三
9
○
猪俣
小
委員
それから
日弁連
の第二の
管轄
の問題ですが、今あなたの御
意見
によると、結局
原判決
をした
裁判所
が
一等事案
を詳しく知っておるということで、必ずしも
日弁連
のような
原裁判所
または
直近上級裁判所
が
請求人
の選択に従うということに対しては同意なさらぬようでありましたが、先ほどの
根本論
としての中に、現在の
裁判官
は非常に
官僚
的であって、
官僚
ということの特徴の
一つ
として、非常に
面子
を重んずるということがあるわけです。そうすると、自分のところで間違った
判決
をした
裁判所そのもの
にまた
再審
の調べをするというが、今の
裁判官
の
官僚性
とどう調和するのであるか、その
説明
を
一つ
聞かしていただきたい。
安倍治夫
10
○
安倍参考人
その点につきましては、
裁判官
の
官僚性
を修正する手段として
訴訟手続
に
民間人
の
参与
を認めようとするものであります。御
承知
の
通り
、いわゆる
しろうと
の
裁判官
の
参与
を許す
参審制度
は、ドイツを初め
ヨーロッパ
の幾つかの国において認められておる
制度
でありまして、また
ヨーロッパ
のみならずソビエト・ロシヤにおいてもこれを認めておると理解いたしております。こうした
制度
が新たに導入されますならば、
一般民間人
の
意見
が専門的な
裁判官
の
意見
と
訴訟
の
過程
においてほどよく混合されまして、おおむね穏当な
考え方
が生まれてくるのではないかと考えます。
猪俣浩三
11
○
猪俣
小
委員
あなたの御
意見
は、それは
開始決定
をするかしないかの問題だけについて
参審制度
として、
開始決定
するとなったらば、あとは全部
裁判所
がやる、こういう御
構想
ですか。
安倍治夫
12
○
安倍参考人
お説の
通り
でありまして、
再審制度
について一番
裁判官
の
官僚性
がじゃまとなるのは、
再審開始
をするかしないかの
判断
のプロセスであります。一
たん再審
が開始されるときまりますと、くろうとの
裁判官
におきましても、かなり熱心にまた公平に
証拠
を勘案して事実を終わらせるように
経験
上見受けられますので、そこまで
しろうと
ないしは
民間
の
法律家
を
参与
させることによって
手続
を複雑にする必要はないのではないかという
考え方
に基づきます。
猪俣浩三
13
○
猪俣
小
委員
そうすると、
再審開始
をすべきかどうかという
決定
に対して、これも
裁判
でありますが、それに対して
裁判官
にあらざる者を参加せしめるということが、現在の
日本国憲法
あるいは
裁判所法
から見まして直ちに採用できる
制度
であるかどうか。
安倍治夫
14
○
安倍参考人
参審制度
が
わが国
の新しい
憲法
の基本的な
考え方
とマッチするかどうかは、
専門家
の間においても対立した
意見
のあるところでございます。しかしながら、
裁判所
の
構成
に関する
法律制度
を総合的に検討いたしますと、終戦後の
裁判所法
の
立案者
は、ある
程度
民間人
を
参与
させた
裁判所
の
構成
を予定しつつ
法律制度
を組み立てていったらしい
形跡
がございますし、民意の反映ということは新
憲法
の
精神
と調和する
考え方
でございますので、私の考えといたしましては、
参審制度
の採用は
憲法
に抵触するという問題を生じないのではないかと思います。
猪俣浩三
15
○
猪俣
小
委員
それから今あなたは、
根本論
としてはとにかく、
再審
は
現行法
をもってしても、
裁判官
が成熟した
人権擁護
の
人道主義
に徹した
裁判官
ならば、そうかた苦しくなく
再審開始
ができるという御
説明
がありましたが、そうすると、広く
改正
しなくても
解釈
によっては相当救われるという
解釈
なんですね。あなたの「
刑事訴訟法
における均衡と調和」の本の中に、「
再審理由
としての
証拠
の
新規性
と
明白性
」という、これはまだ全部読み終わっておりませんが、この中で非常に私
ども
は耳新しく感じますことは、「「
証拠
」の意義」という中に、「通常、
証拠方法
の種類として
人証
、書証および物証があげられる。ここに
人証
とは、事実の報告を内容とする
法廷
での
言語的供述
が
証拠
となる場合をいうが、厳密にいうと、その場合に
証拠
とされるものは、単に符号としての
言葉
だけでなく、人の表情、
言葉
の抑揚、等、ひろい意味における
供述者
の「
態度
」もまた
証拠的評価
の
対象
とされる。
英米法
においては、これを「
態度証拠
」と呼んで、とくに
証拠
の
信用性
の
判断
における重要な賃料とされている。この
考え方
を押しすすめて行くと、
法廷外
の
人間行動そのもの
を「
行動証拠
」という
一つ
の
証拠形式
として把握する
考え方
が生じて来る。微妙な
事案
においては、こうした
行動証拠
の
評価いかん
によって事実認定の左右される場合が多いことに注意すべきである。」ここに
行動証拠
という
証拠形式
を提出せられておるのですが、これは現代の
日本
の学説の中にあることでしょうか、あなたの独自の
提案
であられるのか、
通説
であるか、しからざるものであるか。これは今度の
吉田石松
に非常に
関連
のあることであるのみならず、なお、私
ども
が今問題にしております
帝銀事件
の犯人にも非常に
関係
のある問題であると思って、非常に私興味を持って読んでいるのですが、この御
説明
を少しいただきたいと思います。
安倍治夫
16
○
安倍参考人
この「
再審理由
としての
証拠
の
新規性
と
明白性
」という
論文
は、
吉田翁
の
再審開始
を容易にしようという
意図
を持って書きおろした
論文
でございまして、初め「
警察研究
」という雑誌に二回にわたって発表されたものをここに収録したものでございます。執筆の
意図
が
吉田翁
を助けようという熱意に基づいておりますので、いささか
行動証拠
の理論を強く打ち出した観がございます。
学者
の中に、特に
日本
の
学者
で
行動証拠
という
観念
を
論文
、著書その他において用いられた方は今までございませんでした。私がかような
観念
を創造した最初の者であるかもしれません。しかし、
学者
がそうした名前を付与するかいなかにかかわらず、従来
裁判
の実務においては
行動証拠
はかなり重要な役割を演じてきたように思います。古い
日本
の
大宝令
以来の
手続法
を検討いたしますと、
日本
の古い
時代
の
裁判
と申しますか、
人間
の顔色や息づかいな
ども
証拠判断
の資料として用いたことが
記録
に出ております。
英米法
におきましては、特に
民事事件
において
態度証拠
ということをやかましくいうのでございますが、これは
民事事件
に限定する
理由
は少ないかと思いまして、私はそれを
刑事証拠
の方に適用してみたのであります。この
考え方
は、最近におきまして実務家からも注目されているかに見受けられます。その
証拠
の
一つ
は、最近
吉田翁
を
無罪
とした
名古屋高裁
の
判決
理由
の中に、
小林裁判長
が、
吉田翁
の五十年間にわたる首尾一貫した
冤罪
主張の
態度
を非常に重要視いたしまして、それを
証拠
評価の一手段として用いられていることからも知られるのであります。
猪俣浩三
17
○
猪俣
小
委員
こういう
行動証拠
のようなことは、
大陸法
あたりには何かありましょうか。
安倍治夫
18
○
安倍参考人
はなはだ申しわけありませんが、寡聞にして
英米法
の
態度証拠
に対応する
大陸法
上の用語を知りません。従って、
大陸法
規においては状況
証拠
の一形態として理解されてきたのであって、その形態に対して特別な名称を付する必要を
大陸法
糸の
学者
は感じなかったのではないかと思います。
猪俣浩三
19
○
猪俣
小
委員
そういう状況
証拠
の
一つ
として理解されたといたしましても、それが
再審
事由として採用されておるでしょうか。
安倍治夫
20
○
安倍参考人
その点については、
大陸法制
のもとにおける
再審事件
の全
記録
を詳細に検討して初めて御回答申し上げることができるのでありますが、不幸にして私は今まで
大陸法制
下における
再審事件
のなまの
記録
を通読したこともございませんし、その微妙な審判
過程
に立ち会ったこともございませんので、その点については何ともお答えいたしかねます。
林博
21
○林小
委員長
坪野君。
坪野米男
22
○坪野小
委員
安倍参考人
の先ほどの御
陳述
を非常に敬意を持って拝聴したわけですが、
日弁連
の
改正要綱
の第一点について、先ほど
参考人
の
陳述
を聞いておってまだ十分理解ができなかったわけなんです。もう一度、どういう
理由
でこの四百三十七条の
改正
に
反対
をされるのか。その必要がないという御
意見
のように承ったのですが、例を示して
説明
されたけれ
ども
、私、ちょっと考えてみて納得いきませんので、もう少し御
説明
を補足していただきたいと思います。
安倍治夫
23
○
安倍参考人
その点についてもう一度
説明
をいたします。 一番わかりやすい例として、
証人
が
偽証
をいたしまして、その
偽証証言
に基づいて
被告人
が
有罪
となった場合を考えます。最近におきまする
吉田事件
もこれに近いのでございまして、
吉田事件
におきましては、海田及び北河両
証人
が
偽証
をいたしまして、その
偽証証言
の上に
吉田翁
の
有罪
が
確定
した、かように理解しております。そこでもし北河
証人
が現在生きておりますならば、
偽証
事件
を
理由
とする告訴をいたしまして訴追の開始を求めることができます。もしその結果が北河
証人
の
偽証
の
有罪
の
確定
をもって終了いたすといたしますと、
吉田翁
はその事実を
理由
として
再審
の開始を求め得たわけでございます。しかし、一個の
人間
を
偽証罪
について
有罪
とするためには、相当に強い
程度
の
証拠
、
英米法
学者
のいわゆる合理的疑いを越えた
程度
の強い心証の形成を必要といたします。このことは何人から考えても合理的であると考えます。ところで、不幸にして北河
証人
はすでに死亡しております。そこでもし死亡しておらなかったならば、今、北河
証人
を訴追して
有罪
の
確定判決
を得られたであろうと
吉田翁
は残念に思ったに違いありません。そこで本人の死亡または
時効
の完成ということを一応度外視いたしまして、純粋に実質的に
証拠
を検討いたしまして、訴追を阻害する形式的な障害がないと仮定した場合に、はたしてこの
程度
の
証拠
で北河
証人
は
有罪
となったであろうかということを考える必要があります。その場合に必要な
証明
の
度合い
というものは、やはり
英米法
学者
のいわゆる合理的疑いを越えた
程度
の強い
証明
の
度合い
でなければならないと考えます。その
証明
の
度合い
を特に
再審
との
関連
において緩和すべき
理由
はごうもないのであります。そのような意味から、私は
証明
緩和の
制度
を導入することに不賛成だと申し上げたわけでございます。しかし、これに対しては
反対
説もあるのでありまして、現に最近に至って
吉田翁
の
再審
を開始すると
決定
した
名古屋高裁
の第四部は、
証明
の
度合い
がこのような場合において緩和されるという見解をとったもののように見受けられます。明白に
決定
理由
にそのようなことが書かれておりませんが、
決定
理由
を総合的に検討いたしますと、そのような前提に立った
決定
であることがありありとうかがわれるのでございます。しかしながら私は、
名古屋高裁
第四部のこのような
考え方
は
通説
と著しく反するものでありますから採用しがたいと考えております。従って、そのような
通説
に反した
解釈論
を明文化する
立法
についても
反対
であると申し上げたわけでございます。
坪野米男
24
○坪野小
委員
御趣旨はわかりました。
日弁連
のこの
改正
意見
は、いわゆる
偽証
した
証人
が死亡した、あるいは
時効
が完成して訴追することもできない、
有罪判決
が得られないという場合に、
偽証
の事実を
証明
するその
証明
の
程度
を、すでに訴追が得られない、あるいは死亡しておるというようなことで少し緩和しょうということで、
証明
すべき
証拠
が云々、こういう
改正要綱
になっておると理解するわけですが、今の
参考人
の御
意見
は、なるほど
偽証
犯人についても、厳格な
証拠
によって
有罪
が得られるというそういう
証拠
でなければ困る、そういうお考えのようですが、そういたしますと、
参考人
の著書を私、この
再審制度
に関する
論文
だけは一読をさしていただきましたが、
参考人
の御
意見
では、この四百三十七条は、理論的にこういう
証明
力を緩和することは
通説
としては工合が悪い。ですから、これでなしに、むしろ
証人
が死亡してしまったり、あるいはもう
時効
完成しておっても、やはりその後の、今の
再審事件
の
被告人
の
有罪
の
判決
が
確定
した後に、その
偽証
証人
の言動その他から新たな
証拠
が現われたということで、四百三十五条の六号の規定を
人権擁護
の観点から相当合理的に、あるいは
冤罪者
に有利に、ゆるやかに
解釈
することによって、救済の道があり得るのだ、だからもっぱら六号でいくべきだ、こういうお考えに立っているように拝見します。そういうことですか。
安倍治夫
25
○
安倍参考人
お説の
通り
でございまして、いわゆる四百三十五条の六号を十分に活用いたしますならば、
要綱
第一のごとき
改正
は必要ではないのではないかと考えます。現に、
吉田翁
に対する
再審
を開始した
名古屋高裁
の
決定
におきましても、何も事好んで四百三十七条を利用する必要はなかったのでございまして、新たな
証拠
をすでに原審判において考慮された他の
証拠
と総合的に勘案いたしますならば、十分に四百三十五条の六号を適用し得る
状態
にあったかと考えられます。それを
名古屋高裁
第四部は、おそらくは柔道におけるきれいな一本をとりたいというような心のあせりから、四百三十七条を援用したい気持になられたのではないかと思います。それがかえってあだとなりまして、
検察側
から鋭い
異議
の
申し立て
を受け、ついに
再審開始
の
決定
を取り消されるという運命になったのではないかと考えます。
坪野米男
26
○坪野小
委員
私もあなたの
論文
をただ一度読んだだけで、なるほ
ども
っともだと非常に教えられるところがあったわけですが、あなた、ここで引用されておる比較法的な反省ということで、
外国
の
立法
例、また大審院の判例その他から
日本
の
裁判所
の判例の傾向等から論を進めておられるわけですが、あなたのお考えでは、特にこの
論文
の中に書かれておるお考えでは、この四百三十五条六号の
解釈
をあなたがおっしゃるような
解釈
に、最高裁、大審院の判例が大体基づいておるというようにあなたは主張されているわけですけれ
ども
、
再審
のこの規定に関する学説はあまりないようですけれ
ども
、一般の刑訴法
学者
が、あなたのそういう今の
証拠
の
新規性
、
明白性
あるいは
証拠
評価における一体性の原則、こういう三つの観点から
現行法
の援用で十分救い得るのだということを論じておられるわけですが、現在の大審院の判例、最高裁の判例の傾向から、あなたのこういう学説を支持する
学者
か学説というものは従来あるか、あるいは、あまり
再審事件
の
裁判
の例はたくさんないようですけれ
ども
、これと矛盾するような——あなたは、大体自分の説を裏づけるような大審院判例を引用されておりますが、あなたの学説に反するような大審院の判例その他がありはしないかどうか、そういう点ちょっとお教え願いたい。
安倍治夫
27
○
安倍参考人
私がこの著書の中で、私の所説を裏づけるような古い大審院の判例を援用いたしましたのは、昔の
裁判官
はそれだけの広い心の
ゆとり
を持っておったということをまず述べ、最近におきましてはこのような尊い伝統が失われつつあるということを述べたかったからでございます。従って、ここでは私の考えに反する判例を一々援用いたしませんでした。また、このような点について正面から
判断
いたしました最局
裁判所
の判例は、私はまだ寡聞にして見ておりませんが、実務の傾向から申しますと、私のような
考え方
はむしろ少数説に属するのではないかと考えます。高等
裁判所
の中では、最近
名古屋高裁
の第四部が、
吉田事件
に
関連
いたしまして、私の
考え方
に近い
考え方
を各所に採用しておるやに見受けますが、これもごく最近の動きでございまして、大勢は依然として
証拠
の
新規性
及び
明白性
をかなり窮屈に考えておる
考え方
に立っておるのではないかと思います。
坪野米男
28
○坪野小
委員
そういたしますと、
参考人
のこの理論は、まことに明快で私も全面的に賛成するわけなんですが、現在の司法部内において非常に狭い、
再審
を制限するという
解釈
がむしろ多数であり、支配的であるということであれば、この四百三十五条六号の規定を、もう少し
被告人
、
請求人
に有利な
解釈
をする余地を認めるような法
改正
が考えられはしないかどうかということで、あなたの学説、理論はけっこうですが、そういう
立法
的に、こういうように
改正
すればあなたのお説の
解釈
に近づく、多数説がそういう
解釈
に傾くというような
改正
の
立法
をお考えになったことがあるかどうか、ちょっとその点をお伺いしたい。
安倍治夫
29
○
安倍参考人
それは大へんむずかしい問題でありまして、私は実は
改正
を前提として
要綱
案を考えたことはございません。しかし、もし皆さま方のお考えによって、四百三十五条六号の字句を多少修正することによって、よりゆるやかな
解釈
のとれる
可能性
を生ずるかどうかという点を問題にいたしますならば、私はいろいろな
立法
形態が考えられるのではないかと思います。たとえば「明らかな」という文言を「実質的な」という文言に置きかえますならば、
再審
の道はやや広げられることになろうかと存じます。しかし、私個人といたしましては、
英米法
にいわゆる実質的
証拠
の
観念
をここに直ちに導入することがはたして適当であるかどうかについては、まだ疑問を持っております。そのような
立法
的な手当をいたします前に、
法律家
としては、やはり
運用
の適正を考える必要があるのではないかと思います。しかしながら、もし
裁判官
の
官僚性
というものが、そのようなゆるやかな
運用
の
可能性
をふさぐ
程度
に強いものであるとするならば、これはまことに残念なことでございますがそれに対する対策は、法文の字句を変えることではなくして、むしろ
裁判所
の
構成
を変えて、
民間人
を
裁判
に関与させる方法をとる方が一そう合理的ではないかと考えるのであります。
坪野米男
30
○坪野小
委員
お説ごもっともですが、今の実質的という
言葉
は
英米法
にある専門的な
言葉
ですか。「明らかな」を「実質的な」と直されるというのは、「実質的な」という常識的な
言葉
ではなしに、
英米法
にある
言葉
をそのまま申されたのか、私は
英米法
を知りませんから、ちょっと参考までにお聞きしたい。
安倍治夫
31
○
安倍参考人
その点につきましては、私の著書の中で
説明
を加えておったかと記憶いたします。ただいま急いでその分を通覧いたしましてお答えいたします。——たとえば私の著書の「
刑事訴訟法
における均衡と調和」の二百二十九ぺ−ジ以下に、「アメリ方法における判例
通説
および
立法
」の
説明
がございまして、この個所がただいまの御
質問
にお答えする部分になろうかと存じます。「たとえばテキサス州
刑事訴訟法
典七五三条六号は、ニュー・トライアルの要件の
一つ
として、「事実審理終了後において、
被告人
にとって実質的な新証言が発見されたとき」」と規定しております。また、「テキサス州の一判例は「新
証拠
の実質性が、もう一度事実審理をすれば恐らく異った結論をえるであろう
程度
であることを要する」」と判示しております。従いまして、実質性という
言葉
は
英米法
、特にアメリカ法におきまして公に認められた
法律
用語ではなかろうかと存じます。
坪野米男
32
○坪野小
委員
その点わかりました。しかし問題は、
現行法
で「明らかな
証拠
」という場合と「実質的な
証拠
」という場合、幾らかニュアンスは違いますが、その
程度
の修正よりも、私は、やはり
参考人
も言われたように
裁判官
の意識の切りかえの問題だと思うので、「実質的な
証拠
」というようにこの「明らから
証拠
」を解するのが、この
再審制度
を認め、しかも
被告人
に有利な
再審制度
を認めた
現行法
なりあるいは旧刑訴法の
精神
に合致するのじやないか、その
程度
でも一歩前進の
改正
立法
にあるかもしれませんが、問題は、やはり
参考人
も指摘されているこの六号の
解釈
について、もう少し合理的な
解釈
に
裁判官
一般がなることが望ましい根本の解決方法じやないかと思うのです。 そこで、もう
一つ
お尋ねしたいのは、
参考人
は、戦前の
裁判官
は
人権擁護
の点で非常に
見識
も持っておった、戦後の
裁判官
はいわゆる
官僚性
で法
解釈
が形式的になるというのでしようか、戦後の裁制官の方にむしろ不信感を持っておられるようです。私はあなたと同じ年代のいわゆる戦中派ですが、
官僚
じやないのですが、戦前の旧刑訴
時代
、特に予審
制度
がありという戦前の
裁判
制度
の中で、これは
検察官
による拷問とか相当な
人権
じゆうりんがあったことも事実でありましょうが、戦前の
裁判官
も
官僚
の一人としてある
程度
は
検察官
に抵抗したということもわれわれは聞いておりますけれ
ども
、むしろ戦前の
裁判官
の方がある意味では
検察官
と同じ司法
官僚
という頭で、
人権擁護
という点で欠けるところがあったのじやないか。戦後の新
憲法
下に育った新しい
裁判官
の方が、むしろ
憲法
感覚が身についておってしかるべきではないか、またそうあるのじゃないかと私も半ば想像し、半ば期待的に見ておるのですが、あなたが今戦後の
裁判官
の
官僚性
ということを強く言われるのは、旧刑訴なり戦前の教育を受けた今の中年以上の
裁判官
、従って最高裁、高裁あるいは地裁の部長クラス、そういった
裁判官
、そういった今の指導的立場にある
裁判官
の意識を問題にしておられるのでしょうか、その点ちょっと——。
安倍治夫
33
○
安倍参考人
ただいまの御
質問
でございますが、多少私の
説明
、
言葉
の足りない点があるために誤解を生じられたかとも存じますので、その点を補足いたします。 私は、全体的な流れといたしましては、戦前の
裁判
制度
の方が
人権擁護
の
精神
において低かったと考えます。特に予審
制度
との
関連
におきましていわゆる拷問的な慣行が半ば公然と認められておりましたことは、いろいろな
記録
からも明らかなのでございまして、そのような慣行が戦後において次第に影をひそめたということは大いに喜ばしいことと考えております。従いまして、新しい
憲法
下における
裁判官
の
考え方
は、戦前の
裁判官
に比べますと、より民主化したということが一般的に言えるかと思います。ただ私が先ほど申しましたことは、
再審制度
との
関連
において
証拠
の
新規性
及び
明白性
を考える点だけに言及いたしますと、昭和初期の
裁判官
の中にかなりおおらかな考えを持たれた
裁判官
がおられた、そうした事実を申し述べただけでございます。従って、御
質問
の
通り
私の
考え方
はむしろ逆で、戦前が民主的意識において低く、戦後が次第に民主的意識が高まってきているということになります。
坪野米男
34
○坪野小
委員
了解しました。そこでもう
一つ
。先ほど
参考人
は、
検察官
の使命、あるいは
検察官
が
再審開始
に対して消極的、拒否的であってはいけない、やはり後見的な機能ということからもう少し寛容でなければならぬ、
裁判
に誤りがあり得るのだという御指摘もあり、
裁判官
も同様だ。こう言われたのですが、私も、
検察官
が圧力を加えて
再審開始決定
を阻止するというような政治的な動きが一部にあるやにも聞いております。もちろん
検察官
の圧力は重大問題ですが、むしろ、
検察官
というよりも
裁判官
の意識が、今の新
憲法
下における、また現行
刑事訴訟法
のもとにおける
再審制度
の意義を十分理解すれば、今の
参考人
と同じような
解釈
に当然なるべきだと、私、読んで感じたわけですが、問題は、
裁判官
が
官僚
だからというだけでなしに、自分の先輩、同僚のやった
裁判
に対して
開始決定
するということをちゆうちよする、何か同僚意識、それは
官僚
意識ということになるのかもしれませんが、そういったものがあるところが私は問題じゃなかろうかと思うのです。ですから少なくとも旧刑訴
時代
——新刑訴になって第一審が非常に慎重な事実審理がなされますが、旧刑訴
時代
、特に戦前の予審
制度
時代
の
事件
についての
再審開始
の要件をもう少し緩和する。そういう時期的に区切って、拷問があり、あるいは相当な
人権
じゅうりんのあった旧刑訴
時代
、戦前の
事件
についての
再審制度
の要件を緩和するというような特別の
立法
、実は
吉田石松
事件
でもそういうことを、
吉田石松
個人に限るわけにいかないけれ
ども
、そういう昔の司法
制度
、
検察
制度
のもとにおける
再審
を救済するということをいろいろ検討したこともあるわけなんですが、そういうことは理論的に——予審
制度
あるいは旧刑訴
時代
の戦前の
裁判
で
有罪判決
を受けた人に対する
再審
を特に認めるというような
立法
は、理論的にこれはおかしい、筋が通らぬということなんでしょうか。あるいはそういったことも現実に新しい
訴訟
制度
と戦前の
制度
——
制度
というよりも
運用
が違うわけですから、そういう
立法
ということは
再審制度
あるいは
刑事訴訟法
全体の体制の中で理論的に不可能というか、あるいは筋が通らぬということになりましようかどうか、
参考人
の御
意見
を聞かしてもらいたい。
安倍治夫
35
○
安倍参考人
ただいまの御
質問
になられた
考え方
に対しましては
参考人
は原則的に賛成でございます。私の著書の二百二ページにもそのことに言及されております。そこには次のように書かれてございます。「両
請求
とも原
確定判決
以来約半世紀を経てなされたものであるが、これは偶然の一致以上の意味をもっていると見るべきであろう。すなわち、それは一面において、歴史の距離が事実の客観的評価を可能ならしめた結果であり、他面において、全体主義的統治体制のもとにおける暗黒
裁判
の矛盾の指摘が民主主義的
憲法
の下におけるより自由な司法的雰囲気の中ではじめて可能となったことによるものとも考えられる。」かように書かれてあります。 そこでただいまの御
質問
の特別
立法
をもってこのような
時代
における
裁判
に対する
再審開始
の要件を緩和してはいかがかというお考えでございますが、結論といたしましては、そのような特別
立法
をすることの相当性については疑問を持っております。しかしながら、それに類した
立法
例は
わが国
にもあるのでございまして、占領下において不当に
有罪判決
を受けた者に対するかなりゆるやかな
再審開始
を促進する
立法
が終戦後になされております。その点につきましても私の著書の二百三十五ページに
説明
がございます。そこには次のように書かれております。「新
憲法
施行以前の権力的統治体制のもとで一種の暗黒
裁判
をうけた
有罪
被告人
が、今日に、おいてその不正を指摘し、
再審
を求めた場合には、その取扱はとくに同情的かつ慎重でなければならないということである。戦前の権力的統治体制の重圧のもとにおいては、
被告人
が拷問をはじめとする幾多の
権威
的手段によって取調べを受け、予審および公判段階における弁解やアリバイの主張も権力によって圧殺または一蹴されることが少なくなった。しかも、このような体制のもとにおいては、貧しき者弱き者が、このような不正をあばいて自己の権利を主張することは、実際問題として極めて困難であったのである。これに反して、戦後の
わが国
の社会は、新
憲法
下における民主主義体制にささえられたものであって、
裁判
手続
における
被告人
の権利もまた著しく伸張された。このような自由社会の明るい空気を呼吸し、
人権
意識に目ざめた
被告人
のなかには、不当な重圧の除かれた公明な今日の
裁判
機構のもとにおいて、もう一度正しい裁きを受けたいという願いをいだく者も少なくない。もし原審の認定が今日のような民主的な
裁判
手続
によって行なわれていたとすれば、
再審
を望むこともさほど切実ではないであろう。原審
手続
が、絶望的ともいうべき苛酷な重圧のもとに進められたがゆえに、その重圧の除かれた今日において、
再審
をうけたいという要求は、一そう拍車をかけられる。いわば、新旧両
制度
における
手続
の公明性の落差が、
再審開始
の必要性を一そう明瞭にきわ立たせるのである。権力の重圧の下における
裁判
は
裁判
に似て非なるものである。旧
制度
の犠牲者としての
被告人
達に対しては、今こそ真に
裁判
の名に値する
裁判
を受けしめるべきであり、それこそ近代民主国家の神聖な義務である。この
考え方
は、戦後の
再審
立法
のうちにも明らかな形態をとってあらわれている。すなわち、昭和二七年、平和条約の発効実施に伴い「平和条約の実施に伴う、刑事
判決
の
再審
査等に関する
法律
」(昭和二七年
法律
一〇五号)が公布施行された。この
法律
は、平和条約の第一七条(b)項に基づき、戦時中に連合国人が受けた
有罪判決
に対して、平和条約発効の日から一年間に限り、ゆるやかな条件で、
再審
を認めようとするものであった。その基底を流れる
精神
は、戦時中の
裁判
が独裁的軍国主義の影響によって、連合国——人に対する偏見をもって行なわれたであろう、という一般的
可能性
を率直に認めたうえで、軍国主義的統治体制の崩壊した戦後の明朗な空気の中で、
被告人
にもう一度正しい
裁判
をうける機会を与えようとするものであった。この
考え方
は、全体主義的統治体制下の
有罪
裁判
に対して、民主主義体制の確立したのち
再審請求
があったときは、一そうゆるやかな
態度
で、これを認容すべきだという思想に通ずるものである。」この部分が御
質問
にお答えする部分になるかと思います。
坪野米男
36
○坪野小
委員
それでは結論的にもう一点お尋ねしておきます。そういたしますと、
参考人
は、
日弁連
の
改正
意見
の中で技術的な面で賛成された点もあるようでございますが、
再審開始
の実質的要件の部分では、
現行法
の
運用
によって十分救済の道は開かれておる、こういう結論的な御
意見
のように伺ったわけですが、問題は、いかにしてその
裁判官
の意識を改良するかというところにかかっているわけでありますが、非常にけっこうな参考になる御
意見
を聞かしていただいてありがとうございました。
質問
をこれで終わります。
猪俣浩三
37
○
猪俣
小
委員
ちょっと一点。これはあなたの著書をまだ全部読んでおりませんので、その中に論じられていると思うのですが、
解釈
においてあるいは
立法
において
再審
の道を開く、
人道主義
に基づくならばそういうふうな
考え方
になるわけで、当
法務委員会
が
再審制度
を検討するようになりましたのにも、その基底は
人権擁護
、
人道主義
の感情から出てきているわけです。ただ、そういうふうな
人道主義
的な情緒的な主張に対しまして、
再審
を広く広げることは
裁判
の安定性を害する、あなたの著書の中にも
再審
が第四審みたいになってはいけないということを主張されております。 そこで、
裁判
の安定性という問題と、
再審
の道を
解釈
においてか
立法
においてか、なるべく広げようという主張との調和点と申しますか、
裁判
の安定性を主張するものに対して、
再審
の道を広く
解釈
すべきであるというものの主張の根拠ですね。いつも必ず
裁判
の安定性ということが主張され、これもまた非常に尊重しなければ、一審、二審、三審
制度
までも採用されておる。それをまたくつがえすということになれば際限もないということも考慮しなければならぬと思うのですが、その点についてあなたのお考えを聞きたい。これが私
ども
が、
立法
的に解決しないと、今のこの
裁判
の安定性ということは、非常に伝統的にあるいは職業的に強く考えている今の
裁判官
に、
解釈
によって広く
再審
の道を開け、あなたの主張された
行動証拠
までも考慮に入れろというようなことはなかなか困難なことじゃないか、こう思うのですが、それについての御所見を承りたいと思います。
安倍治夫
38
○
安倍参考人
ただいまの御
質問
でありますが、
再審制度
を必要以上にゆるめますと、法的安定性を阻害し、
審級
制度
を事実上の四審、五審、六審
制度
に拡張することになるというような批判は伝統的なものでございます。昔から
再審制度
改正
に対する
反対
論者がしばしば用いた論法でございますが、これは抽象的な立言でありまして、そのような一般的な原則の中から具体的な結論は何
一つ
出てこないのではないかと考えます。問題は、そうした
考え方
をもととしながらも、具体的な場合について法的安定性と実態的真実の探求の理想とをどのように調和するかということを真剣に考えることによって解決されなければならないと考えます。私の著書の二百二ページにおきまして、次のように触れておきました。「
再審制度
は実態的真実のために法的安定性を犠牲にする非常救済
手続
であるから、これを
運用
するにあたっては慎重を旨とし、いやしくも濫用にわたってはならないことは云うまでもない。このことは、法が
再審請求
の
理由
を列挙的に限定し、それぞれに厳格な条件を付しているところからもうかがうことができる。しかしその反面、法的安定性を強調するのあまり、
再審
の条件をいたずらに厳格かつ形式的に解し、
国民
に対して事実上
再審
の道を閉すようなことがあってはならないこともまた多言を要しない。もし司法の職にあるものが安易な形式主義に流れ、
再審制度
の本質を無視して、機械的に
再審
を拒むようなことがあるとするならば、
再審制度
の存在意義はたちまちにして失われるであろう。」こう書いておきました。問題は、
再審制度
は事実上の四審であるという
考え方
は、形式的にはもっとものように見えますが、具体的に見ますと正しくないのであります。なぜかというと、前回も
円山参考人
が指摘なさいました
通り
、
再審
が開始される例は何万件に一件という少数例でございますから、実態的真実を探求するために、何万件に一件の場合において、
裁判所
が一たん閉じたケースをまた開いても、必ずしも法的安定性が阻害されるとは考えません。そのよい例は、今回の
吉田石松翁
の
再審事件
でありまして、あの
再審事件
が
被告人
に有利に解決されたことによって、世の中の法的安定性に対する意識は少しも乱されなかったと思います。全
国民
は
小林裁判長
の英断に対して厚い尊敬の念を払いこそすれ、
小林裁判長
が
わが国
の法秩序の根幹をゆるがしつつあるとは少しも考えなかったのではないかと考えます。問題は、
制度
を
運用
する人の具体的な場合における
見識
と英知にかかっているのでございます。 しかしながら、繰り返し申すようでございますが、この
見識
と英知というものは、
官僚
裁判官
に対して早急にこれを望むことはなかなかむずかしいのではないかと考えます。これはいわば十年あるいは百年河清を待つというようなことでございまして、
官僚
裁判官
の頭を切りかえさせようといたしますならば、
裁判官
を任命し訓練する
制度
を根本から変えなければいけません。そのためには司法修習
制度
の
改正
というところまで深く考える必要があろうかと存じます。現在の修習
制度
が行政的には最高
裁判所
の
管轄
のもとに置かれているということに対しても、当然疑問が持たれなければならないと考えます。もし修習
制度
が単に行政的に最高
裁判所
にのみ従属するのではなくして、
裁判所
、
検察庁
、
弁護士
会を連合とする、より民主的な合議体のもとにおいて運営されることとなり、教育方針においてもヒューマニズムの鼓吹ということに重点が置かれるようになりますならば、徐々に
裁判官
の意識は改善されていくのではないかと思います。そのことが早急に改まらないならば、私が先ほど申しましたように、
裁判
手続
に
民間人
を
参与
させる
参審制度
を採用するよりほかいたし方がないのではないかと存じます。
猪俣浩三
39
○
猪俣
小
委員
今
裁判官
の
官僚性
を相当論じられて私
ども
同感でありましたが、あなたも
検事
の肩書を持っておられる
検事
出身者であられますが、実は明治、大正にわたりまして天皇政治が極端な時分の天皇の名における
裁判
の時分、そういうことに対して幸徳秋水の大逆
事件
なんというものが今
再審
のあれになっているわけです。それから先ほど
説明
されました占領中における
裁判
、これに対して相当
再審
の道の要が出てきた。同じような論法で、実はこの刑訴が変わりまして弾劾
訴訟
、当事者
訴訟
あるいは起訴状一本主義、これは刑訴の進歩的な面であったと思いますが、どうもこれに相当の弊害も出てきて、
検事
が当事者主義というものにあまり踏み込み過ぎて、
民事事件
の原告、
被告人
の
弁護士
のような考えになって、そして一たん起訴したものはどこまでもこれを
有罪
にしなければならぬというような、どうもこれは当事者主義のはき違えだと私は思うのでありますが、そのために
松川事件
みたいなのが相当起こってきて、諏訪メモみたいなものを隠してしまう。その他
証拠
を隠滅して、
証拠
を
検事
自身が
法廷
に出さぬで握りつぶして、
被告人
に有利なアリバイの
証拠
をみな隠匿してしまったというようなばかげたことをやって、あのように十余年も
裁判
を長引かしてしまった。一審に出せばみな一審で
無罪
になったかわからぬ
証拠
を握ってしまって、とうとう今日まで
裁判
をやってしまった。これは
検事
がいわゆる公益の
代表者
という任務を忘れたためだと思う。さっきもあなたが基本的
態度
として御
説明
があったように、
検事
は公益の
代表者
であることは当事者主義の刑訴においても変わりがないことです。しかるに被告に有利な
証拠
を握りつぶしてしまう。弁護人は強制捜査権がありませんから、
検事
に握りつぶされますと、諏訪メモのように偶然のことで発見しない限りはわからぬようなことがあるのです。ここに相当当事者主義に徹底した
時代
における
検事
のやり方に対して私
ども
は疑問を持つわけです。この点に関しまして
検事総長
も感じられたか、今回の
検察官
の会同において、公益の
代表者
である面を忘れないようにという訓示が新たにされたようであります。こういう意味におきまして、
再審
ということがやはり相当重要性を帯びてきている。こう私は思うのですが、この
検事
の当事者主義における
態度
、そして被告に有利な
証拠
が
法廷
にあまり出ないために相当無実の罪に陥れられておる者もあるのじゃないか、こう私は思うのでありますが、現在そういうことがこの
再審制度
の検討をしなければならぬ
一つ
の動機になっているわけですから、
検事
の立場というものについてのあなたの御所見を承りたいと思います。
安倍治夫
40
○
安倍参考人
ただいまの御
質問
でありますが、先ほど申しましたように、具体的な
松川事件
に関しましては、私は
記録
を全然通読したことはございませんので、その
事件
との
関連
性においてお答えいたします資格はないと思います。一般論といたしましては、もし
検察官
が公益の
代表者
であり、
被告人
の後見人であるという立場を忘れて、
被告人
に有利な
証拠
を故意に隠匿するようなことがございましては一大事であろうかと存じます。私は具体的な
事件
にそのようなことが行なわれたかどうかについては事実を知りませんので、そういうことはなかったと考えたいのでございますが、もしあったとすれば、これはゆゆしき一大事であろうかと存じます。 しからば、そうした弊風をいかにして改めるかということでございますが、
英米法
においてはいわゆるディスカヴァリィというような
制度
がございまして、弁護人側から
検察官
手持ち
証拠
の開示を求めるというようなことができる場合もあるのでございますが、この
制度
も軽々に
わが国
の法体制の中に導入いたしまして正しく
運用
せられるかどうかについては疑問がございます。そこで一番根本的な対策は、やはり
検察官
及び広い意味の法曹に属する人々の教育の問題であろうと存じます。まだ年令が若いころにおきまして、
人権擁護
の重要であること、ヒューマニズムの
精神
が大切であることを十分に鼓吹いたしますならば、それらの人々が長じて重要な地位につきましたときに
裁判
制度
が正しく
運用
せられることになろうかと存じます。その点におきましては、やはりさかのぼって司法修習
制度
及び
裁判所
、
検察庁
、
弁護士
会における実務修習の
制度
について何か欠けるところがないかということを深く考え、そのプロセスの中において
人権擁護
の
精神
が吹き込まれるような
制度
を考えていく必要があろうと思います。
猪俣浩三
41
○
猪俣
小
委員
最後に具体的の問題を一点。先ほど「明らかな」というのを「実質的な」というふうに変えると相当
再審
の効果があるようなお話がありましたが、これは具体的にいうとどういうことになりますか。「明らかな」というのを「実質的な」と変えた場合にどう違いができてきますか。
安倍治夫
42
○
安倍参考人
これはおそらく
解釈論
における雰囲気の問題ではなかろうかと思います。私個人といたしましては、明らかな
証拠
という意味は実質的な
証拠
の意味であろうと
解釈
しております。私の
論文
をお読みになればおわかりになると思いますが、明らかな
証拠
という意味は、
再審開始
を正当化する
程度
の実質的な
証拠
の存在、言いかえますならば、相当の蓋然性をもつ白の
証拠
という意味であろうと
解釈
しておりますが、
反対
論をとる者は必ずしもそのような
考え方
をとらないのでございます。従って、その点を明確化しようといたしますならば、実質的
証拠
という文字を用いますならば、ゆるやかな
解釈論
をとることがより容易になるであろうというだけでございまして、私個人といたしましては、
現状
の法文のままに置きましても、これを実質的な
証拠
と
解釈
する余地が十分残されておろうかと考えます。
猪俣浩三
43
○
猪俣
小
委員
終わります。
林博
44
○林小
委員長
上村君。
上村千一郎
45
○上村小
委員
一、二点お教えを賜わりたいと思います。非常にりっぱな御
意見
でありますし、われわれが
再審制度
に関する審議を進めていくに際しまして非常に参考になる多くの点をお示し賜わったので感謝いたしておるわけであります。 先ほどの、
裁判官
がその修習
過程
において
人道主義
的な面を強調しつつやっていく、これは非常に大切なことだろうと思うのです。この
人道主義
的というのにつきましては、これは普通わかった
状態
にはなっておるけれ
ども
、具体的にどういうような点をお考えになっておられるのか、その点をお尋ねしておきたい。
安倍治夫
46
○
安倍参考人
具体的な例をもってお答えするのは非常にむずかしいのであります。ヒューマニズムの
精神
は非常に深くかつ微妙なものでございますので、直ちに実例をもっては示しがたいのでございますけれ
ども
、たとえば今回の
吉田石松翁
の
再審事件
に現われました
裁判官
の方々の
態度
を比較してみますと、ある
程度
御了解がいくのではなかろうかと存じます。たとえば
名古屋高裁
第四部の
小林裁判長
のおとりになった
態度
は、まさに私の申します
人道主義
的な
態度
であると言うことができようかと存じます。それに反しまして、それ以前四回にわたりました十分の審理も尽くさずに
請求
を棄却した
裁判官
の方々の
態度
は、人道的な
精神
において薄いものがあった、かように見受けられるのではないかと考えます。
上村千一郎
47
○上村小
委員
ヒューマニズムの内容あるいは
考え方
というものにつきましては、大体わかったふうでありまして、具体的な問題になりまして非常に
意見
が分かれてくるだろうと思うわけであります。内容は深くまた微妙な問題を含んでおります。
参考人
のおっしゃらんとする
意図
はわかりますが、これをどういうふうな教育方針のもとに持っていくか、修習課程に持っていくかということは、これは今後もいろいろ検討し、また考えなければならぬ点が非常に深いであろう、こう思うわけです。 その点はそのままにしておきまして、
再審
の
裁判
をする機構の問題、
裁判
の開始をするという
決定
に際して、従来の
裁判官
以外の
民間人
を参画させる、
再審
が開始になった後におきましては、通常の
裁判官
で審理をしていく、こういうふうなお考えなのかどうか、この点をお尋ねしておきたいと思います。
安倍治夫
48
○
安倍参考人
御説の
通り
でございまして、現在のところ私は、
再審開始
をなすべきかいなかの
判断
の
過程
において
民間人
の
参与
を得れば十分ではないかと考えます。なぜかと申しますと、一
たん再審
が開始されますと、その後の
手続
においてはくろうとである
裁判官
で十分正しく
運用
できるような
状態
が備わっているのでございまして、一番きわどい問題になる部門は、
再審
を開始すべきかどうかというその微妙な点にあるのであります。ことに
再審開始決定
後のいわゆる
再審
の本案
裁判
は、
裁判官
が長年手なれてきた事実審理の
裁判
過程
と同じ構造を持っておるのでございまして、かえって足手まといの
民間人
を
参与
させない方が
被告人
の利益になる場合すらもあるのではないかと考えられます。
上村千一郎
49
○上村小
委員
一応きわめて具体性も持ちますし、そのお考えについて理解する点も深くあるわけですけれ
ども
、
再審
を開始するかどうかという
過程
においての
判断
というものは、実際上
再審開始
の
決定
後に本案の審理に入る
過程
と分離ができぬのではないか、要するに
再審
を開始するかどうかという
判断
をするそれだけの理解と洞察力を持っておられる本案のくろうとの
裁判官
とすれば、すでにその
考え方
によって
再審
を開始するかせぬかということを御
判断
されるのじゃないか、
再審
を開始するかせぬかという
判断
をするというそのことが、実際問題として本案の審理をする場合において相当
関係
する、場合によればその
考え方
があとの方を拘束するような
状態
になるのかどうか、それとも全然別々になるのか。その問題ですが、
質問
の仕方が十分でないかもわかりませんが、二つのものを実際の
過程
においてそう明白に分けられるものかどうか、その点がちょっと私も理解しかねる点なんですけれ
ども
、いかがなものかという点をお尋ねするわけです。
安倍治夫
50
○
安倍参考人
ただいまの
質問
でございますが、理論的には二つの
手続
は分けられるのでございますが、ただいまの非常に鋭い御
質問
の
通り
、実は両方の
手続
はかなり微妙な交錯性を持っておるのでございまして、このたび
吉田石松
事件
について
再審
を開始いたしました
小林裁判長
も、私的に私に向かいまして、この
手続
は非常に区別がしにくかった、それゆえにわざとその
手続
か違うのであるということを示したいという気持も手伝って、
再審開始
にあたっては
偽証
という点をとらえられたように承っております。しかし、これはどうも御
質問
によりまして語るに落ちることになるのでございますが、実は
再審
が一たん開始されますと、ほとんど十中八、九その
事件
は
無罪
になることが宿命づけられているのでございます。これは
有罪判決
に必要な
証明
の
度合い
の問題と
関連
するのでありますが、
わが国
におきましては、
大陸法
の法制を受けまして、疑わしきは
被告人
の利益に従うという原則をとっております。従って、事実審理におきまして
証拠
の比重が黒白相半ばする五分々々でありますと
無罪
になるのでございます。ところが
再審
を開始いたしますためには、たとえば私のとります高度の蓋然性をもって白であることが立証されたというような立場をとりますならば、もうすでに
再審開始
の段階において白の
証拠
が六割、黒の
証拠
が四割ということでございまして、この比重が
再審開始
後の
再審
の本案
裁判
に持ち込まれますれば、理論的に当然
無罪
が言い渡されなければならないのでございます。ただ具体的な場合を考えますと、
再審開始
が行なわれた後におきまして、
検察側
が非常に熱心に捜査活動をいたしまして、確実な黒の
証拠
を発見するということもあろうかと存じます。
上村千一郎
51
○上村小
委員
いろいろ今後の問題点を提起され、なお貴重な
意見
を承りましたことを感謝いたしまして、私の
質問
を終わります。
林博
52
○林小
委員長
以上で
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。
安倍参考人
には御多忙中のところ長時間にわたって貴重な御
意見
を述べていただきまして、まことにありがとうございました。 本日はこれにて散会いたします。 午後零時二十六分散会