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1963-06-07 第43回国会 衆議院 文教委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十八年六月七日(金曜日)    午前十時二十三分開議  出席委員    委員長 床次 徳二君    理事 上村千一郎君 理事 小澤佐重喜君    理事 竹下  登君 理事 長谷川 峻君    理事 八木 徹雄君 理事 小林 信一君    理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    大村 清一君       坂田 道太君    田川 誠一君       中村庸一郎君    濱野 清吾君       松山千惠子君    南  好雄君       杉山元治郎君    高津 正道君       前田榮之助君    三木 喜夫君       受田 新吉君    谷口善太郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         文部事務官         (大臣官房長) 蒲生 芳郎君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     福田  繁君  委員外出席者         大蔵事務官         (主計官)   赤羽  桂君         文部事務官         (初等中等教育         局審議官)   高山 政雄君         文部事務官         (初等中等教育         局教科書課長) 諸沢 正道君         自治事務官         (財政局交付税         課長)     山本  悟君         専  門  員 田中  彰君     ――――――――――――― 六月七日  委員横路節雄君及び鈴木義男辞任につき、そ  の補欠として前田榮之助君及び受田新吉君が議  長の指名委員に選任された。 同日  委員受田新吉辞任につき、その補欠として鈴  木義男君が議長の指名委員に選任された。     ――――――――――――― 六月七日  公立義務教育学校学級編制及び教職員定数  の標準に関する法律及び市町村立学校職員給与  負担法の一部を改正する法律案内閣提出第一  七五号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  義務教育学校教科用図書無償措置に関す  る法律案内閣提出第一〇九号)      ――――◇―――――
  2. 床次徳二

    床次委員長 これより会議を開きます。  義務教育学校教科用図書無償措置に関する法律案を議題といたします。  質疑の通告がありますので、これを許します。谷口善太郎君。
  3. 谷口善太郎

    谷口委員 この法律につきましては、これは教科書国家統制ないしは教育に対する政府支配を強めるものというので、たいへん強い世論の反対がございます。この間も、この法案反対するための市民大会が日比谷の公会堂で開かれましたときに、まことに痛烈なプラカードが掲げられておりましたが、その中で、「これは人づくりより人さらいをやるものだ」あるいは「無償の名目で千七百万の子供を誘拐する文部省」そういうスローガンが出ておったくらいであります。この点につきましては、文部省自体否定していないように私は思うのです。昨年でしたか、文部省がこの無位制度実施に要する予算獲得のために、自民党に対して説得工作をなされて、文書をお出しになっているようでありますが、その中で、「義務教育教科書については、国定化の論もあるが、現在検定は学習指導要領の基準にのっとり厳重に実施されているので、内容面においては実質的には国定と同一である。今後企業の許可制実施及び広域採択方式制度のために行政指導を行なえば、国定にしなくても……国定の長所を取り入れ得ることは可能である。」というふうに書いていられます。つまり本法案は、無償に便乗しまして教科書の実質的な国定化を意図したと言っても過言でないのでありまして、文部省自身公然とそれを言っているのであります。したがって教科書教育あり方に関しまして、実に重大な根本問題を含んでおると思うのであります。そういう意味から私は、きょうは、まず文部大臣にお伺いしたいと思うのですが、日本国憲法教育基本法のもとにおける現在の教育根本理念はどういうものであるか、特に戦前帝国憲法教育勅語のもとに行なわれました教育の実態と比較しまして明らかにしていただきたいと思っております。
  4. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 御質問趣旨がばく然としてよくわかりませんが、帝国憲法と新しい憲法との違いというものは、一言にして申し上げかねますけれども、新憲法趣旨にのっとって制定したと前文にも書いてある教育基本法憲法及び教育基本法趣旨にのっとってすべての法令ができておると思いますが、教育行政はその根本趣旨にのっとって行なわれるべきで、一歩たりといえども脱線することを許さない、そういうものだと思っております。
  5. 谷口善太郎

    谷口委員 そういうことは何も大臣に聞く必要がないことであります。大臣は常に言っておられますし、それはあたりまえなことであります。ただその内容です。憲法教育基本法にのっとってやるのだというその内容が、前の天皇制下における教育とどう違っているか、どこに違いがあるか、その点を具体的に話していただきたいと思います。
  6. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 そういうふうにお尋ねになっても、なかなかつかみどころがないように理解されますが、一言にして言えば、主権天皇にあった旧帝国憲法と違って、根本的には主権国民にある。教育はすべて国民本位に行なわれねばならない。日教組本位に行なってはならない。こういうことだと思います。
  7. 谷口善太郎

    谷口委員 それこそ抽象的なお答えでありまして、そういうあいまいなことをおっしゃるのは非常に残念であります。こういう問題は根本問題でございますから、一つ一つ問題点を確かめていく必要がございますが、それを一々大臣と問答をやっておりますとなんですから、私のほうで一応申しておきます。それについて大臣のお考えあと伺うことにします。  天皇制時代教育根本的原則と申しましょうか、それは第一に教育実権あるいは教育権と言いましょうか、それが天皇制椛力国家権力にあったという問題であります。それから第二に、教育内容教育の目的におきましては、個人尊巖の自覚を許さぬ、人権の意識を強権でつみ取るということを教育任務としたと思うのであります。個人がその生命、自由を大事にし、その幸福を追求するということを断念させるために、国家にすべてをささげ、神たる天皇に命をもささげ、国民各位は全く無権である、そういうことを信じ込ませることを教育中心任務としておったと思うのであります。徹底した奴隷制軍国主役の注入、これが戦前教育であったと私どもは思っているわけであります。したがってその行政権強権による国家支配、本来基本的人権であるはずの思想良心、道徳、価値観までを国家権力をもって統制支配しようというのが行政における根本的考え方であったと思う。したがって教育行政の強力な中央集権、逸脱を許さぬ教育用語国定教科書、実質的に憲兵的な督学、視学の制度、これが行政機構機能であったと思うのであります。しかし新しい憲法教育基本法のもとにおける現在の教育は、まず戦前天皇制教育制度を徹底的に排除、否定するところから出発していると思うのであります。それは国家権力による一切の干渉支配統制を不当な支配としましてこれを許さぬ、反対教育実権国民にあるもの、教育権国家権力から独立したもの、下からわき出るもの、そういう原則的理念の上に立ってその民主化地方分権教育行政独立という三原則を宣言したものとわれわれは考えております。したがって、その教育内容個人の尊厳を重んじ、その生命、自由、工k追求を是とする教育観学問思想良心、言論、真理追求の自由を承認する教育観、平和と民主主義を擁護し、軍国主義反対する教育観、これが貫かれた教育目標を持っておったと思うのであります。また教育上の行政機関といたしましては、一般の権力組織行政機構とは別個に独自の公選制による教育委員会制度を創設しております。これが新憲法教育基本法のもとにおける教育本質、実体でなければならぬと私ども思うのであります。したがって今日の教育教育行政戦前のそれとの継続でもなければ、また修正でもない。それは全く新しい原理に基づくいま大臣が言われたとおりに新憲法のもとにおける主権在民という根本的な立国の精神に照応した全く独立性を持った新しい教育だと私ども考えておるのでありますが、この点は大臣が先ほど抽象的におっしゃったおことばからも御承認になることと思いますが、いかがでしょう。
  8. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 いろいろと言われまして、共産党としての心情も含んだお説のようでありますが、それに具体的に一々お答えすることは困難であり、またここでは必要もないかと思います。ただ繰り返し申し上げれば、天皇主権主権在民になった、教育については教育勅語を頂点として、あとはすべて教育に関する限りは天皇大権事項として扱われて、ことごとく法令勅令の形で行なわれた。戦後におきましては、新憲法のもとにこれこそ主権在民のたてまえを貫いて、すべてこれ憲法教育基本法以下の法律によって秩序立てて教育を行なう、こういうたえまえになったことは、私はそういう意味のこともあったように思いますが、それは先刻申し上げましたとおり、憲法教育基本法以下の法令に従ってやるのだというのが教育行政のたてまえだということに尽きておると思います。ただ権力を否定し云々と言われましたが、いまでも権力行政機関に留保されておることが幾多あると思います。その点で戦後権力ということばを、憲法それ自体主権在民になっておることを承知しながら忘れたふりをして、旧帝国憲法のもとの権力というふうにことばがことさらすりかえられたような前提においてものが言われることは、私は非常にこっけいだと思います。民主憲法のもとではありますが、主権者が必要と認め主権者代表としての国会議員でもって構成する国権最高機関で定めた法律に基づいて権力を与える、その与えられた権力を忠実に完全に行使することが主権在民趣旨にかなうゆえんなりとする制度のもとに権力があるとすれば、あるわけでありますから、法律行政府に与えられた権力というものは、全国民に奉仕する立場において完全に忠実に行使されねばならぬ、それがいまの憲法のもとのデモクラシーの行政機能あり方だと思います。
  9. 谷口善太郎

    谷口委員 その点につきましては、あとで私も大臣に御所見を伺うつもりでおりますが、天皇制時代権力的支配、特に国家権力としての支配教育に及ぼしてきた弊害という問題についての反省が強く行なわれて、これを排除する、これを不当な支配として否定してかかるという、その出発が新しい憲法基本になっていると私どもは思っておるわけであります。この点についてはいかがです。
  10. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 この点は、主権天皇にあるという前の憲法が変わりまして、主権国民にありということになったということですべてを尽くしておると思うのであります。そのほかにかれこれ疑義がない、注釈を要しないことと思うのであります。ところが共産党の諸君は根本的には悪法は法にあらずといわれ、憲法といえども法律といえども共産党的なものの考え方に立って不利益なりと思うことは法にあらず、これを無視してもかまわないというようなへ理屈を並べる人々もあるようであります。むしろそのことが民主憲法下の国の行政その他万般について弊害を及ぼしているということは、厳に戒められねばならない。それは真に民主憲法下民主主義あり方ではないと思う節々があります。それは別といたしまして、如実に主権国民にありというたてまえに立った新憲法に基づいて制定されているところの教育基本法ないしは学校教育法以下の教育関係もろもろ法令に従って厳に行動されねばならぬ。それは行政府においてもそうであると同時に、教職員といえども、その集団たる日教組といえども、これを離脱することは許さない、そのことがほんとうの民主主義だと思っております。
  11. 谷口善太郎

    谷口委員 きょうは大臣、あなたが挑発をかけても私は乗らぬつもりです。私の言っている問題について答えてもらいたい。挑発にはあとから乗ります。私が言っているのは新しい憲法教育基本法のもとにおける新しい教育、現在の教育憲法のできましたときに、まず過去における経験についての反省を行なっておると思うのです。過去においては、大臣も言われましたが、国家権力によって一切の教育の権利が握られておって、これによって教育が行なわれたときの問題について非常に深刻な反省を行なっています。したがって新しい憲法のもとにおいて民主的な教育をやる場合には、政治権力教育への介入という問題を不当の支配としてこれを排除するという決意を持って出発していると思う。その点について大臣はお認めになるかどうかということを私は聞いている。共産党に対する御批判がございましたが、そのことについてはあとで話します。私どもはそうじゃないのでありまして、逆に今日の憲法教育基本法を擁護する立場に立っている。そういう立場でありますが、そのことはあとで話します。教育というものは人民の一つ基本的人権に関するものであるから、これを正しく民主的に発展させるためには政治支配という問題、過去の天皇制時代には最も露骨にあらわれましたが、その政治支配というものを排除する立場をとるべきだというのが根本的な問題となっていると思うのです。その点について大臣は御同意になるかどうかという問題であります。
  12. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 憲法は戦争に負けたことを出発点として制定されたわけであります。その要因が国民的反省に基づく部分もありましょうし、あるいはまた占領軍のいわば押しつけの部分もあると思います。それらはここで言う課題じゃむろんございませんけれども、一括していえば、先刻来二度にわたってお答え申したとおりであります。教育政治的な支配を受けてはならない、権力支配を受けてはならないということは、教育基本法も明記いたしておるのであります。しかるに現実には、政治的一部の偏向した力が教育の場に及び来たっておることを私は遺憾としながら、そのことを指摘し続けておるわけでありますが、同時に権力支配を受けてはならない、不当な支配に屈してはならないということは、民主憲法のもとに、これこそ民主的に合法的に国会で定められました主権所の意思である法律そのものには従わねばならない。その法律によって行政府に与えられた権限権力というものは、それを忠実に行使することが憲法趣旨に従ったところの民主教育行政あり方だ、こう思うということを先ほど来申し上げておるわけであります。
  13. 谷口善太郎

    谷口委員 そのとおりです。行政府に与えられた範囲内で行政府はやるべきでありまして、それをやってないからこういう問題が起こるのでありますが、それはあとで言います。あなたは先回りをして言っておりますが、あとでみんなは言います。私の言っておりますのは、新憲法下における教育根本的な立場あるいは出発となりました理念の上に、教育に対する政治的な圧力政治権力圧力干渉、これを排除するということをまずはっきりと確認しているんです。大臣は、こういうことを私が申すまでもなくよく御承知だと思いますが、この新憲法ができますときの憲法改正当時の国会議事録の中で、政府議員もみな一致してその点を確認している。ちょっと読んでみます。田中太郎さんは当時は文部大臣だったのでありますが、この人はこう言っております。従来の教育というものが、国家による支配国家による干渉が全く重かったために民主的に発展できなかったが、この問題について何とか憲法に、はっきりと教育権限国民にあるという原則を入れる必要があるんじゃないかという議員質問に対しまして、こういうことを言っております。「御意見、全ク御同感デゴザイマシテ政府ト致シマシテモ教育ヲ極メテ重要視シ、共ノ民主主義的、平和主義的ノ精神則ツテ、今後ノ教育伴シテカナケレバナラナイ」と思っております、「此ノ為ニハ所謂教権独立」ということにつきましても、「一般世刑ノ有識者ハ勿論ノコト、又此ノ当歳介二於キマシテモ色々ノ御意見伺ヒマシテ当局ト致シマシテ甚ダ鞭撻シテ戴イタコトニナリマシタケレドモ、共ノ方向二従ツテ」やっていきたい、こう答えておると同時に、――これは第四回の委員会でありまして、第九十帝国議会昭和二十一年七月の衆議院の議事録であります。七月七日には加藤シヅエさんに対する答弁としてこう言っております。「民主主義的教育根本ト致シマシテハ、我々ハ文化トカ教育トカ云フモノハ、本来国家が高圧的二官僚的ニヤルベキモノデハナィ民間カラ社会カラ湧出ナケレバナライ、牛レ出ナケレバナラナイト云フ根本的ノ信念ヲ持ツテ居ル者アリマス、所が日本ニ於キマシテハ、明治以来中央集権的国家ノ形成二念ナルノ余り、総テ学問ナリ文化ナリ教育ナリ政府上カラ抑へ付ケテ社会事情デモ先程モ御話ガアリマシタヤウニサウデアリマス是ハ元来逆デナケレバナラナイ、」こういう意味におきまして、そのためにはやはり「今後文部省ハハ性格変ヘテカナケレバナラナイ」ものと考えております。こうして憲法にはその根本的な立場根本的な理念は入れないが、その立場に立った教育に関する、教育勅語にかわる根本法をつくる予定である言ってつくられたのが教育基本法であります。この点を大臣はあいまいに言ってはならない。大臣はさっきから言っておられますのは、国会できまった法律に基づいて政府行政権として実行するという、そういう椛限があると言っております.それはそのとおりです。その間艇につきましても、あとに大いに流儀のあるところでありますが、しかしこの憲法なり教育基本法なりをつくる、つまり国家根本的な性格なり方針なりを決定します根本法の決定のときに、教育の問題ではこういう論議がなされているのであります。教育というものの本質からして、本来政治支配国家支配というものから独立しておるべきものであり、全く自由でなければならぬ、逆でなければならぬと言っておる。その点を大臣はお認めになるかどうですか。
  14. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 いまのお話のようなことすべてが、先刻お答え申し上げましたように、帝国憲法が新憲法に変ったことですべてが解決しておる、その前提に立って教育行政教育そのものも行なわれなければならないということに尽きると思うのであります。いま国会論議速記録等を読み上げられましたけれども、それらのことをすべて含めて新しい憲法が制定されておる、その憲法趣旨に従ってこそ教育基本法が定められて、学校教育法その他も新しい憲法のもとに民主的に定められておるということですべては尽きておると思うのでありまして、その教育政治的な支配を受けてはならないとする教育基本法第八条それ自体を冒涜しつつあるのは、私はむしろ共産党じゃないかということを国民のためにおそれておるのでありまして、文部省教育基本法趣旨に完全に従いながら行動しつつあるという自負心を持っております。
  15. 谷口善太郎

    谷口委員 従っているかいないかは、あとによくただしてみます。この原則の上に立って教育基本法のできたことは大臣もお認めになりますな。またその原則の上に立って公選制教育委員会制度ができたこともお認めになりますな。その点いかがです。
  16. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私が個人的に認める、認めないにかかわらず、憲法は制定せられ、実施せられ、その憲法趣旨に基づいてあらゆる政治行政も経済も社会生活国民生活すべてが規律づけられて今日に来ておる、こう理解しております。
  17. 谷口善太郎

    谷口委員 あなたの答弁はいつもなかなか巧妙で、私個人認めようと慰めまいと事実としてそうなっておるというお答えをなさるので、私はある面では感心するのですが、それはしかし逆でありまして、あなた個人としてここに来ているのと違うでしょう。あなたは文部大臣です。文部大臣というのは内閣閣僚だし、いわゆるあなたの言う権力の一人だ。そういう公的な人です。その公的機関としての政府そのもの意見を聞いているので、あなた個人がこう考えるとかああ考えるとか、あるいは個人考えを言ったってしかたがない、客観的にはこうだという、そういうお答えをすることによって問題をごまかそうとしている。こういう立場に立って教育基本法公選制教育委員会ができたということについて、それはそうであったということを現在の政府認めるのか認めぬのかということを私は聞いている。
  18. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私が何かお答えしなければならないようなお尋ねですから、申し上げたのであります。お尋ね趣旨は、政府あるいは閣僚として公の立場においては、もう御返事するまでもないこと、憲法それ自体が物諮り教育基本法以下の法令が物証っておるということを申し上げておるのであります。それに忠実に従って歩く以外の考え方は公にあるはずがない。それを私に言え言えとおっしゃるから、個人的にはそれはいろいろな考えがありましょう。共産党といえども、いまの憲法を守るとおっしゃるけれども野坂参三君を代表に立てて、第九十帝国議会憲法制定議会においては幾つかの理由をあげて絶対反対された、そういういきさつをいまさらお互い言う必要がないであろうという前提に立って、閣僚の一人として文部大臣としてどう考えるかと仰せになりますから、先ほど来悪法及び憲法以下の法令に従って忠実に実行する以外に何らの考えがありません、こう申し上げたのであります。教育委員会公選制でスタートしたことは承知いたしております。ところが、それでは適当でないというので、いまの制度にこれこそ国権最高機関でそれをお定めになったから、その後はそれに忠実に従うことが私どものつとめである、こう考えておる。それ以上のお答えはちょっと考えましても出てまいりません。
  19. 谷口善太郎

    谷口委員 公選制教育委員会ができたことにつきまして、それは事実である、しかし後になってそれがうまくなかろうというので、国会がそうおきめになったから、いまはそうじゃないという、そういう御答弁であります。そのとおりでありますか、しかしうまくないというような問題については問題があるのです。もっと根本的に申しますと、私さっきから念を押しておりますのは、根本的な国家基本法としての憲法、それに準ずるものとして教育基本法ができた事情について、何も古いことをおさらいする必要がないと大臣は言いますけれども、非常に重大なことであります。この点をはっきりいたしませんと、戦後の新しい教育根本的な立場というものの理解について、常にいままで文部省なり自民党政府がなされたような、国会の多数によってきまりさえすれば何でもやっていいのだという考え方でこの根本的理念をくずしていくというところに問題がある。国民が心配しておるのはその点なんです。国家の成り立っているところの根本、多数の力でもって国会さえ通して立法さえすれば何でもできるのだという考え方でやっているところに問題があるのであります。その点を私は言っておるのでありますが、これはもっと後ほど詳しくいたします。  問題は、いま私が申しましたように、新しい憲法のもとにおける教育というものは、国家権力干渉支配というものとは別個な、これを排除した独自の権限を持っているということで、この教育基本法ができます当時、新しい憲法ができます当時にはこの点を確認して出発しているということ、この根本原則をここであらためて国民と一緒に確認する必要があると思って私は伺ったのでありますが、大臣はそういうことは全く考えていない、時の流れによって、多数党がきめれば何でもきめていくという考え方であります。その点間違いだと思うのです。
  20. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 新憲法の予定する当然のことについて、谷口さん自身が疑いを持っておられるという自問自答のお尋ねのように思います。多数決原理というものは、憲法認めておる。そこでその多数決原理に立って国権最高機関共産党反対されようとも、多数決できまったそのことが最終的な憲法の求める姿であって、その形で法律が制定されました以上、それに何でも従わねばならないという約束が私は民主政治であり、新憲法趣旨だと思います。法律できまれば何でもやってよろしいということがけしからぬというようなお尋ねですけれども法律で定めれば、何でもそれに従って執行しなければならない立場行政府である。法律ではそうきまっているけれども、おれは気にくわぬから、共産党からこう注文されたので違ったことをやるのだということは許されないのが私は民主憲法のたてまえだと思います。
  21. 谷口善太郎

    谷口委員 それではその問題に少し立ち入ります。  新しい憲法教育基本法のもとにおける教育本質の問題を私は先ほど申しました。大臣はその一々については答えるなにがないとおっしゃいましたが、その根本原則を私どもはやはり教育における日本の国の基本だと思うのです。法律をつくったりいろんな制度を設けたりするのは、この根本原則をいかにスムーズにしかも発展的にやるかという立場からやられるならばいいのでありますけれども、逆にこの根本原則をくずしていくというやり方をやられましては、大臣国会がおきめになったから行政府としてはそのおつくりになった法律に基づいて実行するのはあたりまえだとおっしゃる。形式的にいえばそうに違いありません。しかし国会の多数といえども、この根本原則をくずすということを多数の力でやっていくという問題を認めるといたしますと、どこにほんとうの日本の国の根本を擁護していくことができますか。憲法精神をくずす、憲法精神立場に立った教育基本法ができたこれをくずしていく、その方針、原則をくずしていく。多数であったならば何でもやっていいということになってきたら、それこそ多数の暴力じゃないか。そうであってはならないのです。その点はそういうふうに考えませんか。
  22. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 さっきも申し上げましたが、多数決原理に立って国会における政治が行なわれねばならないというのは憲法の鉄則だと思います。共産党立場に立って、多数決できまった法律で御異存があるならば、共産党が多数を占めて、自分の考えの多数説が国会で通るようにする以外に方法は許さぬぞ、暴力革命でかってなことは許さぬぞというたてまえがいまの憲法だと思うのであります。多数横暴と批評する人は、多数横暴かもしらぬが、いまの憲法では、その多数を是なりとする約束ごとに立って政治をやっていこうというたてまえだと思います。だからあくまでも多数の背後には少数があるでしょうが、その少数が憲法のルールに従って多数に漸次なっていくということは憲法の期待するところかもしれませんが、現実にいま少数であるのに、少数で敗北したからしゃくにさわるから、その多数が横暴だとしてひっくり返すことは許さぬ。そのルールが守られなければ憲法はどこかへすっ飛んでしまうということこそおそれるのであって、いまの谷口さんの御質問趣旨がわかりません。私はそういう御質問かと思って、いまのとおりお答えしてお答えにかえます。
  23. 谷口善太郎

    谷口委員 大臣、とんでもないことをあなたはおっしゃる。そうしますと、何か将来私どもが多数になって政府をとったら、憲法であろうと、教育基本法であろうと、その精神を全く無視して、何でもやっていいということですか。そういうことですか。あなた方のやっていられるのをあとから一々具体的に指摘いたしますが、憲法教育基本法根本精神に反したことを自民党の多数の頭でやっているという問題です。だって、委員会の審議をごらんなさい。一つ法案が出ると、に参加するのは社会党の諸君と、私なんか一〇〇%、自民党の諸君は二人か三人来て、採決のときにはみなやって来て立つ。こういうことをやって多数だからといって法律をきめる。教育はそういう権限、そういう圧迫、そういうやり方の外に独立してあるものだというのが新しい憲法教育基本法根本理念になっている。その根本的な理念を決定しておりますのが憲法であり教育基本法である。これを守り育てるという意味であるならば、大いにこれは行政上の措置としてもまた立法上もやっていく必要があると思う。そうではないのであって、それを破壊するようなやり方をやっているから問題になっている。共産党がもし天下をとりましてもやりません。もちろん今日の憲法も、さっき野坂さんのことを大臣がおっしゃいましたが、あれは野坂さんのみならず私ども全体の意見で、憲法につきましてわれわれ大いに不満を持っております。こうあるべきだという私ども考えもあります。したがって、その見地から反対しました。しかし国の根本法としてできた限り、これを守るということは現在一番大切である。ところが自民党政府自民党はこれを破壊してきている。多数だから、国会のおきめになることだからということで実は破壊してきているというところに問題があるのであります。そうあってはならぬ。教育というものは、本来からいって、そういう国家権力から独立した、人民自身から出発しているところの、そういう基本的人権の問題として独立したものとして考えなければならぬというのが教育基本法憲法のたてまえだと私ども考える。またそういうのが当時の論議から考えまして帰納的に理解できるわけです。その点について私ども言っているのでありまして、したがって私ども国会がきめたことを何でもかんでも悪いと言っているのじゃない。たとい反対でありましても、きめられれば法律に従わざるを得ない。これは客観的に私どもいやでもやらざるを得ない。しかし教育に関する限り問題はちょっと違うのです。だから私が最初に伺ったのは、新しき教育あり方として国家支配を排除するという立場に立ったのは、単に天皇制の政権だけじゃなくて、あの天皇制の政権のやった経験から、このとうとい結論を引き出したのでありますけれども、そういうものとは独立なものとして、教育という問題を考えていくべきだし、そういう考えの上に立って、制度法律をつくるということが根本になっていると思うのです。したがって大臣の言うのは、そういうむちゃくちゃなことを言って私を挑発するつもりらしいけれども、そうじゃないのですその点いかがです。
  24. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 もともと挑発する意思は毛頭ございません。お尋ねお答えをしておるにとどまります。先ほど憲法共産党反対したのだけれども、きまった以上は従うのだというふうなお話でございますが、しかるにまた一方法律の段階になりますと、多数で横暴できめたからけしからぬとおっしゃいますが、憲法について反対したけれども従うという同じ考え方を及ぼせば、共産党反対して通った法律であろうとも、法律となった以上は尊重するという考えに御同感だろうと思いますが、そのことを私は先刻来お答えしておるにとどまるのであります。  いろいろ教育とはかくあるべしというお説も含めてのお話でございますが、いまの憲法にその趣旨は盛り込まれてある。その趣旨に基づいて教育基本法は制定されてある。その憲法教育基本法趣旨を没却しないように、その趣旨に従って学校教育法以下の法律国会でお定めいただいておる。だからそれに忠実に従うことが、民主教育あり方だ、それ以外に法律にきめてない、いろいろなかってなことをすることこそが憲法を尊重しないゆえんだから、脱線した者は行政指導や何かを通じて是正するという責任も文部大臣にあるという信念のもとに今日まで行動しておるわけでありまして、おっしゃることそれ自体が何かしらん前後矛盾したような御質問でございますから、お答えに困りますけれども、いま憲法についての御見解を承ってやっと安心しましたから、以上お答えを申し上げます。
  25. 谷口善太郎

    谷口委員 さっき外部勢力の圧力というようなことばで、何か国家支配以外に共産党圧力をかけるとかなんとかということをおっしゃいましたが、それはどういうことですか。
  26. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 共産党の諸君は、私の承知しておる限りでは、気に食わない法律は、悪法は法にあらずと称して従わないでもよろしいのだという考えを持っていらっしゃるがごとくであります。そういうことが不当な圧迫が加わるおそれを感じる、そういう意味でございます。
  27. 谷口善太郎

    谷口委員 そうです。憲法教育基本法に反していろいろな立法措置をなさってこられました。自民党の多数が背景となってそういうことをやってこられました。そういうものを私ども憲法教育基本法に反するものとして当然反対します。そしてそれを破棄するために戦います。当処であります。あなた方は憲法教育基本法を無視し、これを破壊するようなやり方をやっている。だから私最初に新しい教育あり方について、帝国憲法の時期と根本的にどう違っているかということを大臣に伺った。大臣はそれはよく答えなかった、大臣が自信をもって意見を持っていられるが、理解を持っていられるが、答えなかった。しかし問題はそこにあります。今日までなされた幾つかの立法措置にしましても、行政措置にしましても、教育基本法根本原則を破壊する方向へ政府は常に動いている。荒木大臣になりましてから特にそれがはなはだしい。その問題を私ども言っているのでありまして、そういう法律に対しましては私ども反対します。当然破棄を目ざして人民の戦いも起こります。あたりまえであります。だれが憲法を擁護し、だれが憲法を破壊しているかという問題であります。共産党に対するそういうことを圧力だと言うならば、大臣、あなたはもう一ぺん憲法をお読みになる必要があると思う。憲法をゆっくりお読みになる必要があると思う。人民の基本的権利としまして団結し、政府の間違ったやり方に対して戦う、あるいは天皇制時代には何らの発言権もなかった、つまり政治的自由のなかった者に政治的自由を与え、団結して行動する、政府に批判を加えるというこの自由を、基本的人権として憲法が与えておるのは一体何のためです。私どもはそれをやっているのです。大臣は、きょうは共産党を盛んに言っておりますが、大田はたとえば日教組に対しても常にそういう攻撃を加えておる。日教組圧力を加える、こういうことを言っています。円教組の諸君は憲法基本的な権利に基づいての団結をやり、憲法擁護の立場に立って、そうして政府のやっておる憲法破壊の行動に対して反対して戦い、批判を加えておる。圧力と感じるのは、大臣自身憲法を守っていない。教育基本法を守っていないから圧力を感じる。この問題についてさっきから申し上げますとおり、一つずつ具体的にあとで入ります。外部の圧力という、そういう言い方でもって、憲法が許しております民主的な権利、人民の権利、戦う権利というものを否定することそれ自体、おそろしい憲法違反です。その点大臣はやっぱりそう思っていますか。
  28. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 憲法二十八条が勤労者の団結する権利、団体行動する権利、これを保障する、このことはもう如実に文部省は守っております。教育基本法第八条ないし第十条がいうところの教育の中立性ないしは不当な権力に属してはならないという趣旨は、私が先ほど来申し上げますように、教育基本法等の趣旨にしたがって定められた法律の許した範囲を逸脱してやるような、いわばめちゃな力に屈してはならない、それは政府が誤りをおかす場合もありましょう。あるいは集団でおかす場合もありましょう。いずれのケースにいたしましても、法律認められていない行動、力によって教育の場をスポイルしてはならない、こういうことだと思うのであります。そのことをそういう意味でいままで文部省が行なったためしはございません。常に法律に基づいて行動しております。法律に基づかして行動しておる事例は、共産党がそそのかすところの集団行動にあらわれておるわけであります。そのことを申し上げておるわけであります。
  29. 谷口善太郎

    谷口委員 ばかばかしいことを大臣は言っておりまして、あなた方が憲法を破壊している。教育基本法を破壊している。それで私は伺います。ここに「中等教育講座」というのがあります。これは文部省の初中局が編集監修した叢書のようであります。この叢書の中の一冊で、ありますが、「道徳教育編」であります。福田局長は御存じですな。この中に高山岩男氏が、「現代倫理の基本問題」という論文を書いておる。この論議に入る前に、この叢書は文部省の監修と書いてありますから、文部省の責任のものでしょうな。局長いかがです。
  30. 福田繁

    ○福田政府委員 監修と書いてございますればもちろん文部省で監修の責任はあると思います。しかしおそらくその中の個々の論文等につきましては、これはそれぞれのその仕事の関係の人がお書きになった論文ではないかと思います。私よく詳細は読んでおりません。
  31. 谷口善太郎

    谷口委員 つまり文部省監修ですから、この内容全体が文部省に責任があるのですか、ないのですか。
  32. 福田繁

    ○福田政府委員 監修責任はあると思います。
  33. 谷口善太郎

    谷口委員 監修責任というのは、内容にわたっての責任は持たぬが、編集していることの責任だという意味ですか。それとも内容にわたっての責任を持つということですか。
  34. 福田繁

    ○福田政府委員 編集の責任だと思います。
  35. 谷口善太郎

    谷口委員 この中で、いまは次官になっていられるのじゃないか、内藤さん、当時の初中局長が序文を書いている。この序文は、長いから全部は読みませんけれども文部省昭和三十三年に中学校教育過程を改訂し、昭和三十七年度からこれが全面実施されることになっています。」「しかし、中等教育の振興は、なんと申しましても中学校および高等学校の教師ならびに関係の指導主事など、指事者の指導能力にまつほかはありません。」その指導能力を高めるための一つの資料としてこの仕事をやっているという意味のことを書いている。したがって文部省はこの内容についてもちゃんと文部省考えに合致するものとして出しているものと私ども認めますが、いかがで
  36. 福田繁

    ○福田政府委員 文部省考えに一〇〇%一致しているかどうかは私存じませんが、先ほど申しましたように、少なくとも監修をやっている以上は監修の責任はあると思います。
  37. 谷口善太郎

    谷口委員 この高山さんという方は、文部省とはどんな関係がございますか。
  38. 福田繁

    ○福田政府委員 大学教授でありまして、教科書検定審議会の委員でございます。
  39. 谷口善太郎

    谷口委員 非常に重要な立場にいられる人でありますし、私ども聞き及んでいるところでは、専任制の検定調査官、文部省に調査官を置かれる前から審議会の委員として活動していられる方であって、専任制の調査官ができたころには、相当審議官として、調査官の検定に、調査に対して独自の立場からまことに強力な指導をなさって、進歩的な教科書苦行に対して大きな圧力をかけて、著者の方たちをふるえ上がらせたということもあったことを伺っております。業界では、あるいは著者の間には、F項パージといわれているようであります。五人の調査官の次に出てきて、名前をあらわさないで、しかも徹底的な弾圧を加えて、片っ端から教科書の検定申請を落としていったという、そういう人だと伺っておりますが、そういう人が「現代倫理の基本問題」の中で、教育勅語のことについて書いております。これも長いから全部読むわけにいきませんが、この教育勅語を、とにかく不朽の精神があるというふうに彼は言っているのであります。こういう立場文部省はお認めになりますか。教育勅語教育上の不朽の立場、こういうふうに言っております。お認めになりますか。
  40. 福田繁

    ○福田政府委員 その全文を拝見いたしませんので、どういう点が不朽なのかわかりませんが、かつての教育勅語の中に書かれておりました道徳については、これはやはり現在の日本の社会においても適合するものも当然あると思います。したがってかつて憲法制定議会におきまして、当時の田中文部大臣だったと思いますが、この教育勅語の書かれている内容につきまして、それは古今を通じての誤りない道徳だということを御指摘になっておられるということを記憶いたしておりますが、もしそういう意味でございますれば、私どももそういう不朽のものはあるだろうと思います。
  41. 谷口善太郎

    谷口委員 福田さんのおっしゃるのと高山さんのおっしゃるのと若干違っております。それはあなたも安心していいんじゃないかと思いますが、あなた自身のお考えにも問題があると思いますが、その道徳上の問題についてはむしろ高山さんはこういうように言っています。「人は教育勅語において多く徳目にのみ目を奪われて、これは封建道徳だとか、いや、明治絶対主義をでっちあげるための国家主義倫理だとか、いろいろ批評するようです。これらの批評はやはり徳目しか見ていない。」また徳目しか見れない批評であります。徳目は、明治時代なら明治時代で適当なものをあげておけばいい。百年後には百年後にまた適当なものをあげておいてよい。」まあ、変わっていくだろうという意味だろうと思います。ただその中で、その徳を一にせんことをこいねがうという点に不朽の倫理的な意義がある。こういうことを言っている。もちろん高山先生自身教育勅語内容に書かれております徳目に対して肯定していられるのでありますが、また支持していられるのでありますが、いずれにしましても教育勅語を、まことに教育上重大な文献としていまも生きているという立場をとっておられる。その点ではあなたと同じであります。これはやはり文部省考え方はそうなんですか。いまおっしゃったのはあなたのお考えにしましても、あなたのお考えか、文部省のお考えか、どっちです。
  42. 福田繁

    ○福田政府委員 私ども考えておりますところは、教育勅語そのものは現在はございませんけれども、その中に書かれております道徳、徳目というものは、当然現在の社会においても当てはまるものはある。これは憲法議会におきましても、先ほど申しましたように田中文部大臣は当時、それは孔子、孟子あるいは釈迦、キリスト、そういう方々の書説と共通のものがそこにあるのである、こういうような意味合いにおいて、この徳目については当然今後においても残るものがあるということをおっしゃったようでございます。そういう意味において私どもは、教育勅語自身はございませんけれども、そういうものは当無に今後の社会においても残っていくというように考えておるわけであります。
  43. 谷口善太郎

    谷口委員 教育勅語がございませんという意味は、教育勅語を書いた紙がないとかなんとかいう意味ではなかろうと私は思う。したがって、ございませんという意味はどういう意味です。
  44. 福田繁

    ○福田政府委員 教育勅語自体は廃止されたと思っております。
  45. 谷口善太郎

    谷口委員 そのとおりです。教育勅語は廃止されたのです。昭和二十三年六月二十日、第二国会で、衆議院で廃止決議案が決議されております。教育勅語等排除に関する決議というのが通っているわけであります。これは衆議院で通ったと同時に参議院でも同じ趣旨のものが通っております。これを読んでみます。あなたの言うようなあいまいなものではないのであります。「民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語ならびに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。思うに、これらの詔勅の根本理念主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明らかに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理性格認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。右決議する。」これが決議の全文であります。これは福田さんも御承知のことだと思う。これは単に、教育勅語をなくしてしまう、教育勅語を書いた紙をどこかへやってしまうという意味ではなくて、この中に盛られています根本的な理念は明らかに基本的人権をそこなう神話的国家観に基づいている。したがって、新しい憲法をそこなうものだとして、その指導原理性格認めないということを宣言している。ところが福田さんにしましても、文部省の中で重要な役割を果たして、下で教育をやっているいろいろな行政者あるいは教員に対してこういう本で指導する。その中でそういう人がいま申しましたような立場に立って教育勅語を肯定する。あなた自身も、教育勅語の内部の徳目の問題は不変だということを言っている。これは国会の決議です。それこそ、荒木大臣のさっきのお話ですが、国民全体の意思がそこへ結集する国会の決議で、その原理を排除するといっていることに対して、文部省は反逆しているのじゃないですか、反対しているのじゃないですか。この国会の決議に対して、これに反対する立場をいまあなた方はとって、教育行政の指導をやっているのじゃないですか。どうです。その点。
  46. 福田繁

    ○福田政府委員 その国会での決議のことは、私どもはよく承知いたしております。したがってその決議の趣旨に反逆するという問題ではないのであります。私先ほど申しましたのは、教育勅語自体は廃止されましたので、そういった意味におきましてそれは通用しないものでございます。しかし、その中に書かれておりました個々の徳目につきましては、これは現在の社会においても当然に通用するものがあるということを申し上げたわけでございます。
  47. 谷口善太郎

    谷口委員 指導原理性格認めないということを国会は決議している。正直だとかなんとかいうような個々の徳目、そんなことの問題ではなくて、教育勅語の持っておった指導原理教育勅語の果たしてきた反人民的な役割を排除し、その指導原理認めぬということを国会が決議しているのです。いかがですか。それはやはりあなた方認めますか、認めませんか。認めるとすれば、いま言ったようなことは言えないわけでしょう。高山さんが言っているようなこういうことは言えないでしょう。教育の内部で働いている人々を指導する一つの本としてこういうものを出してやっている。そのこと自体、この国会の決議、教育根本的な理念憲法根本的な問題、それに対して反対する立場を公然と文部省がとっていることを意味しませんか。どうなんです。
  48. 福田繁

    ○福田政府委員 私はその教育勅語の指導理念を云々しているわけではございません。私の申し上げているのは、たとえばいま御指摘になりましたような正直だとか、勤勉だとか、あるいはまた夫婦間の親愛とか、あるいは家庭生活におきまして親に孝行するとか、そういうことは当然の問題でありまして、これは社会生活を営む上においては、あるいは家庭生活を営む上においては当然の徳目だろうと思います。そういうことは、教育勅語は廃止されましても、現在の社会において当然に通用すべきものだ、こういうように申し上げておるのであります。
  49. 谷口善太郎

    谷口委員 教育勅語の個々の徳目を福田さんは上げておりますが、その問題につきましても現在では内容が変わっているまして、親に孝行だの、君に忠だのという問題は、教育勅語根本的理念としてこれを排除する、これを否定するということを言っているのであります。問題は、教育勅語をいま引っぱり出しまして、それを国民の中で宣伝し、広げていって、昔の教育理念に立ち上返ろうとしているのが、高山さんの、この新しい教育の倫理という問題に書いている全体です。これはたいへんおもしろいのです。私はこれを読みました。読んだが、一々やっていくわけにはいきませんけれども、少なくとも教育勅語を支持し、教育勅語根本理念を支持するという立場を持っている。文部省はそれを木に監修しまして、中学教育振興のために教育関係者にこれを読ましている。指導する一つの仕事としてやっている。一体それが文部省あり方ですか。それでもって文部省が現在の憲法基本法に反しない立場を持っているというふうに言えますか。どうですか。
  50. 福田繁

    ○福田政府委員 高山教授の所論は高山教授の所論であろうと思います。私どもはそういう所論につきましても、いろいろそういうものを読んでも差しつかえないというように思いますので、そういった見地から監修の中に高山教授の論文を入れたのだと思います。それが全部私の考えと全く同じだというようには私は考えておりません。
  51. 谷口善太郎

    谷口委員 この前いつだったか、初中局長は村山さんかの質問お答えになって、日露戦争は、私としましては自衛の戦争であったというふうに学んだから、いまもそう思っておりますというふうに言われたと記憶しているのですが、この点やはり初中局長はそう思っておりますか。
  52. 福田繁

    ○福田政府委員 そう思っております。
  53. 谷口善太郎

    谷口委員 とんでもないことであります。この間参考人に来ていただきまして、私どもいろいろ参考意見を伺ったときにも、参考人も言っておられましたが、日露戦争は自衛の戦いでなく、これはロシアの帝国主義と日本の帝国主義とが朝鮮や中国の大陸を分割支配するための戦争であったという点につきまして、これはもう一致する現在の認識であります。この点については、そういう立場に立って戦後の教科書には書いてある。ところが、教科書も変わりましたが、変わったはずでありまして、教科書を検定する、全く重要な責任の立場におられる初中局長がそういう考えを持っている。あなたは一体あの残虐な戦争から何も学ばなかったのですか。国を焦土にしましたあの戦争から何も学ばなかったのですか。その点いかがですか。
  54. 福田繁

    ○福田政府委員 いろいろ経験はいたしましたが、日露戦争についての考え方は、私どもは変わりません。
  55. 谷口善太郎

    谷口委員 それは重大な問題であります。日露戦争について初中局、長がそういう考えでもって教科書の検定を指導しているということでありますから、教科書がだんだん悪化してくる。内容が、軍国主義的なものになってくる。これに対して国民は大きな批判を加えている。あなたはあの戦争から、日露戦争はやはり自衛の戦いであった、こういうふうにいまも考えているとおっしゃるわけですが、そういう立場でほんとうのことがわかりますか。ほんとうの歴史がわかりますか。あの日露戦争からずっと引き続いて大陸への日本の資本主義的な侵略が行なわれてきた、その結果としての第二次世界戦争のあの悲惨な結果をもたらしたのでありますが、その点があの敗戦のときにおける新しい憲法制定における大きな批判、反省立場になっていると思うのですが、その点あなたは少しも変わりませんか。昔そう習ったからおれはそう思っているという立場でありますか。その点はいかがですか。これは大事なことでありますから伺います。
  56. 福田繁

    ○福田政府委員 私は私なりに理解をしているつもりでございますが、教科書の検定につきましては、御承知のように検定調査審議会というのがございまして、そういう問題はそこで専門家が決定をいたします。したがって私が私の考えを審議会に押しつけたり指導するようなことはございません。
  57. 谷口善太郎

    谷口委員 あなたは自分の考えであるから、それを押しつけたりしない、こういうふうにおっしゃっているのでありますが、教科書があなたと同じ考え方に変わってきているのです。  私は専門的に調べた人たちから資料をいただいてきたので、ここで指摘することができますが、――ちょっと日露戦争の資料をなくしておりまして、これは教科書をしさいに調べていただけばわかりますとおりに、日露戦争につきましては、最初の教科書では大きな反省がなされております。日本が国力を高めるというような立場で侵略したために、なるほど日本は世界的な国際場裏で相当の地位になったけれども、しかし反対に侵略された中国人民や朝鮮人民がいかに苦しい目にあったかということ、そうしてそのことが日本の国民の幸福と必ずしも結びつくものじゃなかったという点を教科書に書いているわけです。ところが、三十三年の指導要領ができました後の教科書の中には、いまあなたがおっしゃるとおりの言い方で書いてある。またこの前も指摘された方がございましたが、日露戦争につきましての解釈で、戦後はこれは侵略戦争という考え方が多かったけれども、最近になって自衛の戦いだというふうに変わってきたことはまことにいいことだという意味のことを、調査月報に書いている文部省の官僚もおるわけです。こういうやり方でもって一つ一つ  憲法根本的な反省をし、その立場に立って事物の真実を知ろうという、そういう教科書内容を新しい教科書編さん者、著者たちが全力を尽くしてやってきたものを、あなたのような考えを持って指導するから、どんどん教科書が逆なほうへ変わっていっている。ここに国民は、いまの政府憲法教育基本法根本問題を一つ一つ、多数の力を頼んでくずしていく、あるいは行政指導でくずしていく、そういう役割を果たしているということを痛烈に感じている。ここに不安があるのです。ここに国民の大きな不満がある。そういう点につきまして、あなたはやはり当然だと思っておりますか。
  58. 福田繁

    ○福田政府委員 終戦直後の教科書におきましては、御指摘になりましたように、ことさらに一方的な立場を強調する教科書が多かった。それは必ずしも真実を伝えるものではないと私は思います。やはり歴史でございますから、したがって客観的な問題としてこれをとらえていかなければならない。ただ侵略だというような一方的な見方のみでとらえますと、それは非常に曲がってくると思うのであります。私はそういう考えを持っておりますけれども、しかしながら教科書を編集する側におきましては、やはり戦後からずって十数年を経まして、だんだんに考え方というものが落ちついてきたというように私ども見ております。したがって教科書は検定教科書でございますから、会社側でそういう編集をいたしまして、検定を受けに来るわけであります。そういう場合におきまして、やはり戦争の見方というものも、かつて終戦直後にありましたような片寄りた一方的な考え方でなくなった、これは当然だろうと思います。
  59. 谷口善太郎

    谷口委員 侵略戦争と見るのが一方的であって、自衛戦争と見るのが一方的でないのですか。あのときに、たとえばロシヤの勢力が日本の領土に攻めてきましたか。そうではなくて、満州における権原あるいは権益、あるいは朝鮮における支配権、これを日本の資本主義とロシヤの資本主義とが争ったのです。そして結果においては、いわゆる日本が勝利したといって――これは勝利の内容も大いに検討すべきものがありまして、最近その点が明らかにされておりますが、とにかく形の上で和解をして、あそこに日本の勢力を扶植して、日本があそこに出ていったのです。これが第二次世界戦争の大きな根源になっているのであります。大陸を日本が支配するために武力でもってよその領土に出ていった、侵略戦争と考えていくことが事物の本質を知ることであって、自衛の戦いだというのは、国民をごまかすためにやってきた帝国憲法時代の宣伝だ。学問でも何でもない。歴史でも何でもありません。そういうことを私は認めるわけにいかぬのです。そういう立場に立っておることが、いまの憲法に反する立場だ。憲法を読みなさい。教育基本法を読みなさい。侵略戦争を合理化する、これを子供たちに合理化して教えて、再び軍国主義的に子供たちを教育されるという意図が歴然としている。ここに国民の大きな心配があるのだし、私どもは、荒木大臣がどんなに共産党を非難されましても、政府に対する攻撃、自民党に対する戦いをやらざるを得ない。そういうことをあなた方はやっているのです。そうして教育基本法を守っていると言っている。何を守っているのですか。  教科書の問題の幾つかに入ります。憲法第九条に対する考え方でも、教科書内容は変わってきた。五一年の学習指導要領によって出されております一つ教科書にはこう書いてある。「日本国憲法は、まず前文で「日本国民は恒久の平和を念願し」といい、第九条でも「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希望し」といって、強く平和の希望をかかげている。さらに第九条第一項では、「戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」とさえいっている。」こういうふうにはっきりと憲法の条章を正確に子供たちに教え込んで、憲法の平和主義、戦争をやらぬ、戦争放棄、武器を持たぬという条章について、完全に正確とは言えませんけれども、やや正確に教えてきているのであります。ところがそれが五五年の学習指導要領による教科書になりますと、こういうふうになっている。「日本は、戦後民主主義に基くさまざまの改革を行ってきた。一九四七年には、これらの改革の中心をなし、その後の日本の政治基本となる日本国憲法が施行された。この憲法は、完全に戦争を放棄し、軍備をもたないことを示した、世界で最初の憲法である。けれども、二つの分かれた世界の中で、平和国家として進んでいく日本の歩みは、決してなまやさしいものではない。」いかにも客観的にものごとを書いたように見えまして、二つの世界は対立しているという問題を子供に教えて、その中でなまやさしい状況でないからしたがって軍備を持たなければならないということを教え込むような準備を始めている。ところが五八年になりますとこれはもっとひどい。「平和への願い、わが国の憲法では、わが国は、どこの国ともなかよく交わって、自分から進んで戦争をしないということが、はつききりきめてあります。これは、世界がいつも平和であることを願っている、国民の願いのあらわれです。」ですから進んで戦争をせぬ、こんなことが書いてありますが、これは自民党が多数でもって憲法九条を全く破壊して、自衛隊をつくってきた中で言われた理論です。簡単に言えば、戦争をしない、武器を持たない、平和だ、国際協調の中で話し合いでものごとを進めていくというのが憲法精神です。これを二つの対立があるからそれを守るのがたいへんだという不安感を与えておいて、子供たちが再軍備の方向へ考えを持っていくような指導を与えておったら、次になってきたら、みずからは進んで戦争をせぬ、よそがやってきたら戦争をするということを教科書の中で教え込んでいる。自衛の戦いの権限はあるんだ、外国から攻めてきたらやるんだということでもってこの憲法の条章を破壊して再軍備をやってきたのは自民党じゃないですか。多数を頼んでこういうことをやってきたじゃないですか。そうした自民党考え方に対してはたくさんの反対者があるのです。学問の上からも反対者がありますし、実際にも反対者があるのです。この自民党が多数を頼んでやったところの憲法に対する解釈を子供に教えようとする、これこそ片寄っていると言わなければならぬじゃないですか、これこそ教育基本法に反することじゃないですか。どうですか。
  60. 福田繁

    ○福田政府委員 私は必ずしもそう思わないのでございます。現在の日本国憲法が平和主義で貫かれておることは私もよく承知いたしております。しかしながら日本国家としてあるいは日本民族として存立する以上は、自衛権を持っていることは当然であろうと思います。そういった意味においてこの自衛隊というものが組織され、現に国家の機関としてあるわけでございます。そういった観点から申しまして、別に再軍備を子供に教え込むというようなことではございませんが、当然に国の組織としてあるものを教えていくというのが学習指導要領考え方だと思います。
  61. 谷口善太郎

    谷口委員 それなら伺います。これは昨年のことだったと思いますが、次官会議で防衛政務次官が、現在の教科書の中には自衛隊のことについてほとんど書いてない、教科書の中で自衛の軍備、再軍備、軍隊、こういう問題についてもっとたくさん取り上げて子供たちに教え込むように教科書の改訂を望むという強い要望が出されて、ここにいる長谷川前文部政務次官は何と答えたか、これはあなた方知っているでしょう。私のことばで言えば、承知しました、指導要領に基づいてその点は大いにやりますから御安心願いたいと答えているじゃないですか。軍部が教育内容に――さっき大臣のおっしゃったことで言えば外部の力と言いたいだろうと思うのですが、つまり政府部内では一応外部の力になっておる軍部、武力を背景とした軍隊が、文部省に対して、教科書内容軍国主義の復活を要求している。干渉を加えてきた。そのときに政務次官はもちろん文部省代表として出ておったと思う。そのときに政務次官は承知しました、大いにやりますということを言っているのです。日露戦争に対するあなたの解釈が、現実の政治、現実の教育指導の中で、そういう全く危険な方向を公然と生んでいるわけなんです。これはやはり教育基本法に反しませんか、これも教育基本法にのっとることになりますか、憲法にのっとることになりますか、どうなんです。
  62. 福田繁

    ○福田政府委員 私ども憲法教育基本法に違反するとは考えておりません。防衛政務次官から当時自衛隊のことについて教科書に記述が少ないじゃないかという御発言があったことは聞いております。私どももいろいろ教科書を調べてみますと、かなり記述は出ておりますけれども、しかし現在の自衛隊のいろいろな活動について記述が十分であるかどうかという点になりますと、まだ少ないのじゃないかというように思います。したがって国の組織として当然に自衛隊があり、災害の場合にいろいろ活動するとか、そういう事態につきましても、これはやはり当然そういう自衛隊の活動というものは子供に知らせるべきだと考えております。これは別に再軍備を強要する、あるいは慫慂するという観点からじゃないと思います。
  63. 谷口善太郎

    谷口委員 軍隊をもたなければならぬとか、自衛隊のことを宣伝するようなことを教科書にどんどん入れていく、これは再軍備あるいは軍国主義復活以外の何ものでもございません。それだけじゃありません。いろいろなところで防衛博覧会というものが自衛隊によってされる、あるいは地方の教育委員会がこれを後援する。そういうことをやっていることを文部省は、憲法立場から、教育基本法立場から、それは間違いであるという指導をやったことがありますか。子供たちを集めて兵器を見せて、これはラジオやテレビなんかのあの暴力的な宣伝と一緒になって子供たちに作用するわけでありますが、一方では教科書において自衛隊のことや戦争のことや軍隊のことを子供たちに教え込んでいく、軍国主義の復活です。一方ではその見本を見せて、現にこうなっているのだ、世界はこうで日本はこうだ、だからこうしなければならぬという気持ちを子供たちに起こさせる事業に文部省が積極的に参加する、あるいは後援する、こういうやり方をやっている。これは憲法に違反しないと思うと幾らあなたが思ったって、現に日本を破壊する、そういう考え方でいまの行政がやられているわけです。私は先ほど申しましたように、ここに幾つかの専門家の調査に基づいた資料を持ってきておりますが、時間の関係上詳しくは申しません。たとえば明治維新の問題についての考え方、あるいは満州事変と満洲の植民地化、満州国ができた当時の考え方、それから労働問題、労働運動に対する考え方、そういう点でも、最初は基本的人権を強調し、民主主義と平和主義の根本原則に立った日本憲法精神に基づいて教科書が一応つくられておったのが、文部省のいまのあなたの考え方のような指導によりまして一々これは破壊され、逆なものになってきているという事例を教科書の実際につきまして指摘することができるわけであります。しかし時間の関係上詳しくは立ち入らないことにいたしますが、こうしてまず教科書が検定制度でもって非常な反動化のほうへ、軍国主義化のほうへ実際になされているということが、やはり国民全体の大きな不安になっている。日教組の先生方が書かれております教え子を再び戦地へ送らぬという精神は、憲法教育基本法に基づく全く不動の精神だと私は思う。この立場から見ますと、文部省のとってきました教科書の改訂の中で行なってきた反動化、軍国主義化の方向というものは、これは実際において子供たちを預っておるものの心のすみにまでしみ込んでくる大きな不安なんです。これと戦うということをやってくるのは当然でありまして、さっき大臣はそれをまるで外部の圧力憲法を無視した行動というような言い方をいたしましたけれども、それは逆であります。憲法にも書いてございますとおりに皆さんよく御承知です。この憲法につきまして、これを守るためには国民は不断の努力をやる必要があると書いてある。また天皇や摂政や総理大臣や各大臣あるいは公務員、これらに対する憲法擁護の責任を規定しています。あたりまえのことであります。文部省がいまのような態度でやってくれば戦いの起こるのもあたりまえのことであります。しかし、この教科書問題につきましては一応はしょります。  そこで、次の問題でございますが、検定ということについての考え方の問題であります。これはおそらくことばの上では一致すると思うのです。教育基本法憲法精神に基づいてこれが実現できるような教科書であることを望んでいる、それに反するようなものを落としていくという考え方、これはおそらくあなた方もおっしゃるだろうし、この間参考人として御出席になった先生方もそうおっしゃっていた。私どももそう思うのであります。ことばの上では一致するのであります。そういう点で検定制度があるのだと思います。しかしいまの文部省立場、その考え方から検定するということになってくると、教科書の事例で申しましたとおりに逆のものになる。憲法教育基本法基本に基づいて、教育権というものは国民にあって、一般の行政権とは別個に国民自身主権者として教育の問題の一切を支配し、一切を運営する立場に立って、そしてもし文部省がやっているとすれば、この精神を生かして実際にやっているとすれば、たとえば防衛庁の政務次官からそう要求されてもはっきりと断われる、そういう立場から教科非の検定もなされると思うのでありますが、そうでないというところに問題があると私ども思う。基本法に反するものは落としていく、それはいいんです。実際にそれがなされていればいいんです。逆なんです。そういう点で現在検定権を文部大臣が持っているということについて私ども反対するわけなんです。いまの文部大臣にまかしておいたら何をやるかわからない。日教組のばかやろうという男ですからな、勇ましいですけれども。こういうあなたのような考え方の上に立ってなされたら何をやるかわからない。検定する権限国民に渡すべきです。その点についての考えを持ちませんか。
  64. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 検定はいまあなたが言われたとおりの考え方でやっております。具体的にやるについては、文部大臣みずからがやることは物理的に不可能ですから、学習推算要領というものをあらかじめ専門家の方にお願いして定めてもらって、それに合うかく合わないかということを中心に、これまた専門の立場の行がいまおっしった気持ちでやるのが検定でございまして、憲法趣旨に合わないものを採用ずるなどということではむろんございませんで、いまの趣旨に従うようなものを選定する。そうしておっしゃるとおり教育国民のものであって、教組のものではない。ですから国民のものであるにふさわしいものとして提供する。もしそれが適当でないということありせば、国民は当然その修正、是正を要求する権限を持っている。そのことを是正しないならば、国民はこれまた文部大臣の首をちょん切るという権限も持っている。さらにそれすらもなさないならば、内閣それ自体を選挙を通じて引きずりおろすという権限も持っているという約束ごとのもとに、責任の所在をはっきりして教科書の検定といえどもやらなければならぬという制度にいまの学校教育法で定められたとおりにやっているつもりでございます。
  65. 谷口善太郎

    谷口委員 形式論理を言っておってもだめなのであります。先ほどから皆さんのお話を聞いて粗らかになりましたとおり、その根本におきまして憲法教育基本法に反する立場を公然ととっておるわけです。そういう立場で検定をやって、教育基本法に基づいておるのだといかに抗弁しましても、それに反する事実が続々と出てきておる。いま申したとおりであります。そういう権限を一体いついまの政府は持ったのですか。いやだったら国民はわしを選挙で落とせ、この次には福岡であなたを落とします。落としますが、落としてこいということを裏返して言えば、先ほども私が申しましたとおりに、たとえば社会党が多数になる、あるいは共産党が、多数になる――社会党と共産党が協力すればすぐなります。その場合に、憲法も、教育基本法も無視してかってなことをやっていいということを大臣は主張しているのと同じです、そんなことをやる権限をいつ、だれが、どうして大臣に与えたか。民主主義をそういうふうに考えて、立国の基礎になっておるものを破壊することも平気でできるという考え方、それこそおそるべき民主主義の破壊であります。そういう立場大臣はとっておる。大臣は多数党であれば何をやってもいいという考え方ですか。何をやってもいいという考え方を持っておるからこういうことをやっておるのでしょう。そういう考え方こそ民主主義を破壊するものだ、またそういう立場に現在の自民党政府は立っておる。荒木さんはその一番先頭に立っている。そういう点はなかなか勇敢です。日教組教育権がないことはあたりまえです。教育権国民にある。その国民の子弟を父兄が最も教育の専門家である先生方に預ける。先生方はそれを預かっておるという立場で彼らはこの国民の意思を代表しておる。そういう意味で教員組合なり、あるいは教員の皆さんの教育に対する責任は大きい。したがってまた教育基本法憲法を守るという大きな憲法上の責任と義務がある。だから守っている。これを大臣は敵視しておる。どんなことでも多数党であれば、立法措置さえとれば、あるいは行政措置でできるという考え方は間違いなんです。(「そんなことは言ってないよ」と呼ぶ者あり)そんなことを言った人はないというやじが飛んでおりますが、そう言っておるじゃないですか。同時にそういう立場憲法教育基本法を破壊してきておる。そこを私は問題にしておるのであります。大臣はまさか、社会党や共産党が政権をとったときにどういうことをやってもいいとは言われないでしょう。いま自民党がやっておるように憲法教育基本法を破壊する教科書内容をつくる、行政指導もやる、あるいは公選制教育委員会を時代が変わったとか進歩したという理由で任命制にして文部官僚が任命する――実質的には文部官僚が任命するのと同じです。今日どこの府県の教育委員会に行きましても、実態は文部省が内命を与えましてみな文部省の役人が来ておる、あるいは文部省と最も関係のある連中がここに任命されておる。こういうやり方をやって、民主主義教育あり方の根源をなす、つまり国民教育をやる権利があるというその根本に立ってできた制度を破壊した。教員に対して政治活動の自由を奪い去ったのも自民党政府です。こういうことをやってきた。多数であってもそういうことをやってはならないという立場教育あり方根本でなければならぬという点を確認しないといけない。もしこれを踏みはずしてやるとすれば、たとえ立法措置で行なわれようとも、これに対して戦うのは当然国民の権利であります。日教組にしろ、労働組合にしろ、あるいは父兄の団体にしろ、そういう立場に立って戦っている。これは外部の圧力でも何でもないのでありまして、これは憲法上の権利であり、また義務であります。こういうことを私は主張するのでありますが、いままで文部省のやってきたことを、これも一々私は指摘しようと思っておる。たとえば勤評などという、ああいう残酷なやり方で教職員全体を支配しようというやり方をやってきたことも問題であります……。
  66. 床次徳二

    床次委員長 谷口君に申し上げますが、時間のこともありますので、簡潔に願います。
  67. 谷口善太郎

    谷口委員 それから今度の国会に出しませんでしたけれども大学管理法案なんかも出してきている。こういう問題ももちろん根本問題にあります。このお出しになった法案も、私はそういう点で大きな憲法違反の内容を持っておる、こう考えざるを得ない。採択権を、地方の教育委員会にあるとする。選択権を、府県の教育委員会にあるとする、それを規定して、おそらくこれはまた法律の改正が、こうやったら、法律ができたからといって、これに基づいて徹底的な強制をやると思いますが、そういうことをきめて、出版業者に対しまして、これに対する立ち入り権を文部省は握る、こうやってこれを支配するというやり方で、この法案はそれを内容にしている。無償という名前で、実は先ほども虚しましたとおりに、無償の名目で千七百万の子供たちを誘拐する、そういう行政をやろうという目的を持っているので、この間からこの本委員会でも問題になっている。問題はそういうところに争いがあるのであります。  文部省がこういうことをやっておりますので、最近行政調査会から出されました報告書、あるいは大臣お読みになったと思うのですが、あの中で、文部省にかわった新しい教育行政機関をつくるべきだという問題が出されておりますが、あの点についてどうお考えになりますか。
  68. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 何か新聞でちょっと見ましたが、委員会制度にしたらどうだというお説のようであります。あれは国民に対する責任の点が不明確になりはせぬだろうかと思って、新聞だけですからはっきりしたことはむろんわかりませんけれども、ちょっとそう感じた程度でございます。
  69. 谷口善太郎

    谷口委員 新聞で見た程度というようなごまかしは大臣よろしくないです。ちゃんと文書ができている。私でさえ手に入っている。あなたの言うところの共産党でさえ手に入れている。関係の大臣が知らないはずがない。ちゃんと書いてあります。だから新聞記事を見たところによればというような言い方をしないで、もっとあなたらしく、言ってみれば九州男児らしくはっきりおっしゃい、反対なら反対だと。ここでは私どもはこの案全体についていろいろ論議するところがあると思う。しかし文部省が、文教行政が、一般行政機関から独立して別個な、国の支配を受けない独自のそういう行政機関をつくるべきだという意見では一致するのです。これは、昨年私はこの委員会で、やはり教科書問題で質問しましたときに、文部省は廃止せいと言ったら、荒木さんえらい顔をまっかにしておこったんですけれども、つまり文部省は廃止して新しい独立した行政機関をつくるということで一致していると思います。聞くところによりますと、そうするといまの政府行政権の侵害になるとか何とかという意見文部省は持っていられるようであります。あるいは縮小になるという意見を持っておられるようでありますが、縮小じゃない。逆に国民立場からいったら、国民教育する権利、教育権というものについて国民自身が責任を持つという立場、これを政府が頼んでこさえました調査会の中から、一種の政府機関だと言ってもいいと思いますが、この中からこういう意見が出てくるということにつきましては、これは単なる思いつきじゃない。いままでやってきました自民党政府教育行政が、いかにかつての天皇制時代と同じように多数を頼んで国家権力立場から一つ一つ教育基本法精神に反するようなことをやってきたという、その事実の中から、見るに見かねて、こういうやり方では教育に危機がくるという立場をはっきりさせるために、こういう報告書を出していると思う。この点どうです。どうお考えになります。
  70. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 いま申し上げたとおり、新聞記事程度を出ないいまの状況かと思います。正式に意見がきまってそれに対してどう考えるかということは、別途十分検討してから、お答えするならばしたいと考えます。
  71. 谷口善太郎

    谷口委員 私が申し上げておりますのは、文部大臣は検討したくなければしなくてよろしい、あなたはこういうものは検討する必要がないという考えを持っていると思うんだ。なぜかといったら、多数の上に立って何でもやっているんだから、いまさらこんなことを言われたら困るわけなんだな。共産党谷口が言っているくらいなら何でもないけれども行政調査会がこう言ってきたんだから、これはあなたは七月を待たぬうちにどうかなるというふうなお考えをお持ちになるのは当然だと同情を申し上げておるのでありますけれども、問題は根本的な問題なんです。自民党政府、荒木さんが文部大臣であるという、そこから大いに啓発もされ、経験もくみ取られたと思いますけれども、しかしあなたが大臣であろうとなかろうと、自民党政府であろうとなかろうと、社会党の政権であろうとなかろうと、それとは独立した教育行政の独自の教育機関を持つべきだという意見であります。この意見に対しては、私どもも当然であるし、またそうあるべきだと思うのでありますが、ただ意見が一致しませんのは、政府が任命したりなんかするという立場をとった、そういう機関を考えていられるようでありますが、私ども教育権国民にあるという見地から、もとの公選制教育委員会制度、これをもっと充実した、もっと有効なものを、前より違ったものを考えるべきだと思いますが、公選制教育委員会制度がかつて一度実行されました。あの原則を復活すべきだ。また中央の機関におきましても、この国民教育に関する権限ということを基礎に置いて、現在の行政機関とは別個なものをつくるべきだという考えを持っておるわけなんです。これは調査会の人たちだけではなくして、先ほどから問題になっております田中さんあたりもそう言っております。田中さんはこの件につきましては政治権力の内部分析をしまして、いま三権分立と言っているけれども、これは四権にすべきだ、教育権というものを、いまの司法、立法、行政の機関から別個なものとして、教育的な権利を認め教育書というものを独自に認めて、これを四権にすべきだという意見を持っていられるようであります。正当であります。したがって私どもはそういう方向へいくべきだと思うのでありますけれども文部大臣は知らぬ存ぜぬ、まだそれに対する意見を発表する時期じゃないということを言って、この問題に真剣に取り組まないという態度、それ自体に問題があると思うのであります。一体皆さんがそれほどがんこな態度で、自分の最も信頼する人々の中からすらこういう意見が出てくるというような自態について、なおかつこれを認めまいとするような態度は、一体どこからくるのです。どこに皆さんのそういうがんこな権限があるのです。この文教委委員で見ておりますと、大臣を中心にそこに五、六人の人がおります。私はつくづく思う。日本の子供たち、何千万の子供たちを毎年毎年教育し、育てていくというその大事な仕事に、あなた方五、六人か十人ぐらいの文部官僚が、自民党の多数を背景にして全く傍若無人なことをやってきている、その皆さんの自信の根源は一体何ですか。それを私は伺っておきたい。
  72. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 自信の根拠は憲法でございます。憲法多数決原理基本線として認めて日本の政治が行なわれる、共産党は少数独裁を目ざされるのですからたいへんなことだと思って心配しております。
  73. 谷口善太郎

    谷口委員 なかなか最後になると挑発――私は挑発を受けてかかってもよろしいのでありますが、そこへまだ行けぬのです。残念ながらいけぬのです。けんかにはならぬ。あなた方は、憲法だというふうにおっしゃるけれども、その憲法を破壊しつつある。うそをついてはいかぬのです。あなた方のがんこなやり方に対して、学者も、教職員の諸君も、労働組合も、民主政党も、父兄の非常に多くの人々も厄除だと感じて、いまの文部行政なり教育あり方についての文部省の指導方法、やり方、これに対して大きな危惧を持ってこれに反対し、悪法教育基本法に戻るべきだ、この根本原則に立ち返るべきだという運動をいろいろな運動を通じてやっておられる。にもかかわらずあなた方はがんとして、自分たちは、正しいのだという態度をとっておられる。その自信の根源はそんなところにないでしょう。あなたのうしろに、政府のうしろに、自民党のうしろにおりますのはアメリカ帝国主義です。池田とロバートソンが合って何をきめたか、この委員会でも何回か論破されているところであります。あなた方御承知のとおりです。日本の青少年に、日本の国を守り、いつでも戦争をやるような、そういう人間が育っていくような教育をせよとアメリカは言った。これが基本になってあなた方の教育破壊の政策が年々行なわれてきた。池田とケネディがお会いになったときもこの問題について触れております。それに基づいて日米教育合同委員会がつくられて、号てこで何をやったか、これは私もいつか問題にしたところです。アメリカは一本へ軍隊を持ってきて、軍事的に政治的に支配している。日本の国民はそういう点ではアメリカ帝国主義と日本の独占資本の手先です。この二つの敵を時っているというのが共産党の主張です。これにささえられて、憲法にのっとっている、教育荒木法にのっとっているといって、実はそれを破壊してきた。その破壊してきた内容は、先ほどから申しましたとおりです。あなた方はアメリカ帝国主義の番頭になっているのです。いかにいばったって、何のいばりがいもないのです。そうじゃなくて、日本の憲法教育基本法の止揚に立ち返ることはできませんか。私どもはそれを主張しているのです。その点をやはりはっきりする必要があります。したがって私どもはこれと戦います。当然のことであります。皆さんに対して何の期待も打ちません。われわれ自身教育の権利は国民にあるという見地に立って、私たちは大衆行動でやります。そうして許さんを打倒するまでやります。あたりまえのことであります。そういう意味では日教組の諸君もこの根一本の立場に立って行動し、勇気を持ってやられるべきである荒木さんからばかやろうと言われたことは、人民からまことに信頼されることの別な表現です。私どもはこの法律を直ちに撤回することを上要求しますが、同時に、今日までやってきました公選制を任命制にした教育委員会制、あるいは教員の政治活動を禁止しましたような法律、こういうものの廃止のために戦います。  これで終わります。
  74. 床次徳二

    床次委員長 次に、小林信一君に質問を許しますけれども、その前に、前回の委員会における村山委員からの御質疑に対しまして、政府委員から答弁があります。
  75. 福田繁

    ○福田政府委員 この前の委員会におきまして村山委員からの御質問にございました点について申し上げたいと思います。  その問題は、教科用図書無償給付及び給与に関連いたしまして、国の事務か、地方の事務かというような問題であったのでございますが、一つは、教科用図書を児童生徒に無償で給与することは、憲法の役務教育無償原則に即して、その理想をより広く実現しようとする措置でございます。教員給与費、施設費等の従来の義務教育経費のように、学校経費ではなく、直接児童生徒に給与する経費であるから、新しい観点に立って、教科用図書の購入費についてはこれを全額国庫で負担することにいたしまして、本法律案を立案いたしているのでございます  二番目に、しかしながらこの措置によって、地方公共団体等学校の設置者も、教育上あるいは行政上多くの利点を享受することでもありますので、実際の手続といたしましては、国が購入して、地方公共団体等学校の設置者に給付し、給付を受けた地方公共団体がこれを児童生徒に給与することとし、国と地方公共団体との相互の協力においてこれが円滑に実施されることをばかっているのであります。  三番目、文部省設置法第五条を改正して、義務教育学校教科用図書の給付及び給与を行なうことしたのは、上述の教科用図書の購入及び無償給付並びに国立学校の児童生徒への給与を文部省権限として規定した趣旨でありますが、法律案第五条第一項に規定してある教科用図書の給付を受けた地方公共団体が、校長を通じて児童生徒に給与する事務は地方公共団体の事務であります。  第四番に、無償給付等の国の事務の一部を都道府県の教育委員会、または市町村の教育委員会が行なう場合は、もとより国の機関として行なうものであります。その場合の財源一世は、独立財源の付与、国庫支出金の増額、あるいは地方交付税の基準財政需要額への算入等の何らかの方法により、地方公共団体に義務づけられた事務を行なうに必要な財政需要を財源的に充足すれば足りるのであって、その具体的方法のいかんは問わないものと考えられます。したがって都道府県教育委員会、市町村教育委員会が行なう教科書の受領、給付、給与等の事務に必要な経費については、今回は地方交付税の基準財政需要額に算定して財源措置をいたしているのでございます。  以上でございます。
  76. 床次徳二

    床次委員長 小林信一若い
  77. 小林信一

    ○小林(信)委員 これは文部省あるいはわれわれという立場でどうのこうのと言うことではなくて、法律上の問題であるし、実際国が負担すべきものである以上は、あくまでも国がめんどうを見て、なるべく地方財政に迷惑をかげないようにする。実際問題として、この両者から正しいものを見つけることがお互いの話し合いだと思うわけです。文部省としましても、むりに地方財政に経費を負担させるというふうなことを考えずに、できるならばできるだけ国の財政でもってまかなうように心配することが、私は文部省としての配慮だと思うわけです。先日からの話し合いの中では、なるべくそういう経費は除こう、あるいは法律上の手落ちを何とか文部省側に有利なように解釈しようというような様子も見えたわけですが、私はそんなものじゃないと思う。もっとまじめに考えて、なるべく地方財政にしわ寄せをさせないようにしなければならないというたてまえで問題を考えなければならない、こういうふうに私ども考えて、しかも法律上の正しい見解というものを確立しなけれどならぬという使命から、問題を提供したわけでございます。いま御説明を伺いましたが、まだまだほんとうに納得することができないわけなんです。というのは、これは実際問題ですが、文部当局が予想したよりもかえってよけいな人員を要する、繁雑な事務があるということが地方から訴えられてきておるわけなんです。したがって教科書無償というこの問題が今後各学年に及ぶような場合にはどういう態勢をとらなければならぬか、それに対する経費がどうなるのかという心配が最近特に多くなっているわけでございまして、そのためにこの問題はここで明白にしなければならぬという立場からの村山委員質問であったわけでございまして、なおこの問題は、きょうは村山委員も欠席しておりますが、さらに納得のいくようにあるいは御質問申し上げるかもしれませんが、一応そういうたてまえでお聞きしておきます。  そこで私は、もう各委員政府に対しまして十分に質問をしておりますので、少なくとも私の考えておる点はほんとうにわずかでございまして、その点をこれから質問してまいりたいと思います。  この審議が始まる当初でありましたが、村山委員から大臣に対しまして沖繩の教科書の問題で質問をされまして、大臣から一応御答弁があったのですが、私のまだ納得のいかない点がありますので、その点をまずお聞きしてまいります。そのときに大臣は、同じ日本人である、だから教科書無償を沖繩に実施することも差しつかえないじゃないか、これは私も了解をしましたが、まだ本土のほうがことし一年を始めたばかりであるのに、沖繩は六年まで実施した。この問題について大臣から御答弁がありましたけれども、私はちょっと納得いかない。  その後いろいろ情勢を調べてみたのですが、これは決して沖繩の人たちの意向でもなければ、また日本政府の意向でもない。アメリカの弁務官の考えで行なわれた。しかもその弁務官の考え方というものが、アメリカ本国の指令によって行なわれた、こういうようなことに対して文部省は一応検討をされて、大臣が前回のような御答弁をなさったかどうか、まずお伺いしてまいりたいと思います。
  78. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 いまおっしゃったことは特に調べて知っておったわけではございません。今日といえどもいまあなたが言われましたからそうかなと思う程度であります。ですけれども、そのことは施政権が不幸にしてアメリカにある現状におきましては、沖繩の住民がどうしようにもできないという教育行政あり方のもとに施政権が行なわれておる、こういうことでありましょうから、おっしゃるようなことがよしんばそうであったといたしましても、事柄自体としては、沖繩では本土よりも先んじて数学年にわたって一挙にやるということが実現したということは、そのこと自体は沖繩住民にとって、島民にとってけっこうなことだと私は思います。日本本土のほうといえども沖繩に負けないようにやりたいとはむろん思わねばならない課題であることは言うをまちませんけれども、現実問題としては御審議を願いました予算の範囲内において年次を追うてやっていくということになって、沖繩よりも少しおくれておることを残念には思いますが、そのこと自体、相互関係といたしましては、現実問題としてはいたし方のないことであり、むしろ沖繩に早く追いつく努力をせねばならぬ課題を新たに与えられたような気持ちがするわけであります。
  79. 小林信一

    ○小林(信)委員 その教科書の金はどの費用から出されるのですか。これは沖繩自体の費用で出すのか、あるいはアメリカが統治しておれば、アメリカのほうでそういう金を心配するのか、あるいは日本のほうからも援助資金が出ておる、その援助資金の中から出されるのか、まずこの問題が非常に大事な問題だと思うのですが、お願いいたします。
  80. 福田繁

    ○福田政府委員 沖繩の子供たちに対します教科書無償につきましては、無償制度調査会におきましても、日本の義務教育の小中学校の子供に無償措置を講ずる以上、沖繩についても何らか援助してこれを考えるのが適当だというような御意見があったわけでございます。そういうこともございましたので、これは総理府のほうの予算になるわけでございますが、沖繩の援助費の中に三十八年度の予算といたしまして、約四千二百万程度のものをこれが実施される場合の用意といたしまして計上したわけでございます。ところで琉球政府のほうの事情を聞いてみますと、琉球政府の立法院は、琉球政府から提出されました教科書無償に要する補正予算、これは学校運営補助というような項になっておりまして、琉球政府の予算の中で二十万九千二百八十六ドルとなっておりますが、それを十分審議の上、三月二十七日に原案どおり可決したというように聞いております。したがって琉球政府としては、学校運営補助という費目の予算でもって教科書無償実施するというようになっているようでございます。その中身については、まだ詳細なことは私どもも承知いたしておりません。
  81. 小林信一

    ○小林(信)委員 いま私がお伺いしたのは、その教科書無償にするための費用というものは、日本から出された援助資金の中から出されるのがたてまえになるのか、そういうものが含められて一緒になった琉球の予算の中で考えられるのか、この点を明確にしたいための質問だったわけです。
  82. 福田繁

    ○福田政府委員 これは総理府のほうで直接おやりになっておりますので、その形のことは私どもよくわかりませんが、まだ最終的にそれがきまったわけでもないようでございますので、考え方といたしましては、総理府の予算の中に計上しております援助費の中から、一年から六年生までに必要な経費の大体三分の一程度の相当額を琉球政府に対して援助資金としてこれを支出する、そして琉球政府のいま申しました学校運営補助の中の一部にこれが充当されることと思いますが、琉球政府としては独自の立場におきまして、学校運営費補助というような予算の項目を、立法院の議決を経まして、その議決を経ました予算によって必要な措置をとる、こういうような形になろうかと思っております。したがって最終的な取りきめ等につきまして、まだ私ども総理府のほうからも具体的な話は聞いておりません。これは目下いろいろな点を交渉中だろうと考えております。
  83. 小林信一

    ○小林(信)委員 いまのお話も十分に御答弁を承ることができないのですが、しかしその話の中に、日本のほうから出した金というものがやはり教科書無償にするという内容を含めて出されておるということになれば、その使途に対しては、ただ大臣のように喜ばしいことだというふうなことで済まされないものがあると思う。私は別にアメリカのほうに文句を言えとかなんとかいうことでなくて、前回の大臣の御答弁は、ただいまの御答弁もそうですが、いいことじゃないか、だから沖繩に日本も早く追いつくようにしたいというような簡単な御説明をなさっておりますが、もっとまじめにそういう事態を御検討になって、そして文部大臣としてとらなければならない態度というものをしっかり持っていなければいけないと私は思うのです。それでなければ同じ一本人だというふうなことも言えないのじゃないか。沖繩から帰った人の話を聞けば、沖繩では決して喜んではおらないそうです。かえって教科書が全学年に無償になったということを非常に悲しんでおるそうです。(谷口委員「そうだろうな。こんな内容だからな」と呼ぶ)というのは、谷口さんのような御意見ではないのですが、沖繩の学校の実情というのは実に悲惨な状態にあるそうです。だからまず教科書無償にすることよりも机、腰かけの整備というそれに優先する問題がたくさんある、そういうものを自分たちが整備しようとするのに、アメリカのほうからのそういう指示があって、そして日本のほうから来た援助資金、教科書はことし一年に支給をすべきたというふうな内容をもって出されたものが、自分たちの思うような費用に使われずに、これが教科書無償として全学年に支給されるというようなことで、ほんとうに沖繩の人たちは悲しんでおる。これを日本の文部大臣が、そういう意図をもって出しながら、たいへんけっこうで沖繩の人が喜んでおるというふうなことでは、何か大臣として沖繩の問題を簡単に考えており過ぎやしないか、こうも考えるわけなんです。文部当局はそういう沖繩の実情というのをお聞きになったことはないのですか。
  84. 福田繁

    ○福田政府委員 沖繩の実情をあまり詳細に私は承知いたしておりませんが、教育界の代表的な方々のお話を何ってみますと、日本でも義務教育教科書無償ということにつきまして実施されるにあたって、沖繩でもぜひ同じような歩調でやりたい、そういうようなことは熱望しておりたようでございます。したがって、日本の実施の場合と若干違うようでありますけれども、一年から六年までの教科書を一気に無償にする、その経費のうちで大体三分の二は琉球政府が負担して三分の一は日本からの援助資金によろう、こういうことになったようでございますけれども、それにいたしましても教科書無償ということはやはり喜ばしいことだというように私どもは伺っております。それ以外のことはあまり詳細なことは存じておりません。
  85. 小林信一

    ○小林(信)委員 それは無償になることはきっとうれしいことに違いはありませんが、いまのような経緯を聞くときには、沖繩としては迷惑を感じておる。しかし、そういう沖繩の人たちがどうしようもないというような状態にある場合には、これをどこにもって解決してやらなければならぬか。文部大臣がおっしゃるように、同じ日本人であるという考えがおありになるならば、そういう実情をただして、そして日本政府とアメリカの政府という関係でもって沖繩の問題を、たとえ小さい問題であっても事教育の問題である以上は、話し合って、沖繩住民の希望するような形に常に善処することが大きな問題だと思うのです。いま申しましたように、教科書よりももっと先にこういうふうなものをつくりたいのだ、こういうふうな設備をしたいのだ、そのほうに金をいまは使いたくないというふうな意向があっても無理押しをされるような沖繩の実情であるならば、常に大臣という立場でそういう問題を取り上げて、そして大臣の可能な範囲でもってアメリカのほうと折衝して、そして沖繩の教育は沖繩住民の希望するような方向に行くよう努力すべきだ。こういう点で、私は大臣にこの問題をお話ししたわけですが、残念ながら、簡単にもう手放しでもって弄んでおるというふうにお考えになっておられるようでは、ほんとうに沖繩住民に対する教育のことでの思いやりというものが私はないのじゃないかと思う。大臣、もしいまのような経緯だったとするならどういうお考えですかお述べを願いたいと思います。
  86. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 気持の上では私も小林さんと同じような気持で、ございます。ただ、全面的におっしゃるようなことをやり得るためには何としても行政が返還されるという根本義が解決されませんければどうにもならないという現実を遺憾に思う一人であります。それはそれで、文部大臣という立場だけではどうにもならないことでありますが、政府もしくは日本の本土全体としての課題として、今後に残された努力すべき問題だろうと心得ます。ただ、不便ではございますが、その範囲内において、できるだけ潜在主権があるという唯一のよりどころを根拠にしてではありますけれども、たとえば育英制度につきましても、あるいはまた教師の研修問題についての講師の派遣にしましても、留学生の問題にいたしましても、比較的、他の行政面よりは、教育の関係は、ずっと以前からの努力の積み重ねによりまして、沖繩住民の気持にある程度はこたえつつ漸進しておるというふうに思います。そういう考え方に立って、漸進主義で、なるべく沖繩住民の希望する方向へ実績を積み重ね得るような努力をしていかなければならぬ、かように思うわけで、あります。
  87. 小林信一

    ○小林(信)委員 現在教科書問題を扱っておるから、私は教科書問題を取り上げて申し上げたのでありますが、こいねがうところは、教育行政全般について常に沖繩の実情というものを、ただ行政権が返還されない限りはどうしようもないのだというあきらめではなくて、これからどのように続くのかわからない現状から考えれば、金を出しているのですから、日本政府の意向というものを何らかの方法でもって常にアメリカ政府にこれを要求する、注文をする、要請するというふうな醜悪が続けられなければならないはずだ、この教科書問題という一つ問題から教育行政全般については私は非常に遺憾だと思うので申し上げたわけでございます。  そこで、ほんとうに今度は教科書問題に入りまして、大臣に、いままでいろいろな質疑の中からぜひここで確認したいという問題を申し上げますが、大臣が、採択にあたりまして教師を採択の上にどういうふうに参画させるかということについて、いろいろな御答弁をなさっておられます。当初においては検定というものをやっておるのだ、したがってどの教科書を使おうが問題ないのだ、したがってだれが選んでも差しつかえないのだ、いうような御意向から、教師はこの採択に関係しなくともよろしい、必要ないというくらいまで言明されたときもございます。また、あるときには教師が採択に参画することが望ましいというような御意向を漏らしたこともあります。また、これは大臣でなくて局長その他の御答弁の中には、必要である、何Aかの形でもって参画させることが必至であるというような、幾通りも意見というものが出たわけなんですが、大臣、ここでもって審議の最終段階に入っておるわけですが、必要でないというのか、望ましいというのか、必要であるというのか、この点を私ははっきり明確にしてもらいたいと思うのです。もし必要であるとか、望ましいとかというならば、これをどのように生かさなければならぬというところまでお聞きしてまいりたいと考えるわけです。
  88. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 結論から先に申し上げれば、必要であると同時に望ましいと思うのであります。  いままで御指摘のような一、二にわたると思われるような御答弁をしたことは、むろん私も意被しております。それはいわゆる採択権という概念論としての権限あり方、あり場所はどこだということであるならば、いまの法律で明瞭であるように、教育委員会に採択権がある。教師に採択権があるのではない。これはきわめて明瞭である。ただ、教育委員会に採択権ありといたしましても、現実にたくさんの種類のある教科書を、市町村の教育委員が一々それを専門的に見る能力が現実にあるから、現実の選定の仕事そのものも教育委員会ができるという意味では、むろんございません。それはどなたかの御質問の中にもありましたように、文部大臣教科書の検定権を持っておる。法律に明記されておることは疑いを入れませんが、しからば文部大臣何の何がしが現実にできるか、できっこない。したがって、その文部大臣が検定せねばならないという責任を国民に果たすためには、検定能力のあると思われる人に委嘱しまして、そして文部大臣の検定責任というものを果たし得る内容のことをかわって検討してもらって、その結論を、いわばめくら判というとおかしゅうございますけれども、それが妥当な問題と信じて検定という行政処分をする。そのことの結果につきましては、よかれあしかれ、全国民文部大臣が責任を持つという制度が検定権限である。それと同じように、教育委員会に採択権ありということは、一体末端の教育委員、ところによれば教科書選定能力なんというものがない人があるのに、できるかという現実問題と、採択権の所在、それが住民に責任を持つ意味における権限なり責任の所在いかんということとは別個に、制度論としては考えざるを得ない。そのたてまえに立っていまの制度があるんだという意味で、検定権は教育委員会にあり、こう申し上げたのであります。それが住民に対する選択の責任を果たすということにつきましては、あたかも検定に際しまして文部省で専門家に頼むがごとく、その実体的なことは現場の先生方のしかるべき人にお願いをして調べてもらうということは、住民に果たす責任内容を裏づける意味において必要でもあり、望ましいことは言わずして明らかだと思うのであります。  そこで、必要ありと申し上げるのは、県の検定段階におきましては、政令で定めることと思いますけれども、現場の教師の意見が具体的に反映するような構成メンバーの選定委員会というようなものをつくるというやり方で必要なりと申し上げるわけであります。市町村の段階におきましては、従来も現実にはやっておると承知いたしておりますが、現場の先生の意向を十分に聞いて、それを反映させて具体的な採択をするというそのやり方は尊重されてしかるべきものであろう、かように考えておりますから、御質問に対して総括的に、いままで申し上げたことも振り返りながら申し上げれば、これですべてでございます。
  89. 小林信一

    ○小林(信)委員 もう大臣と、採択権がどこにあるかとか、あるいは検定制度というのは、業者の持ってくるものを文部省が検定をするという、それだけではなくて、いわゆる指導要領を出して、業者が業者の自由な立場から教科書をつくる、これを文部省がいわゆる検定をやる。これを今度は教える者が――ここら辺が大臣と見解が違うわけですが、教える者の立場で自由に教科書を選ぶ、こういう形が検定制度であるわけですが、この検定制度あり方、それから採択権の問題、もう相当な議論をしましたけれども大臣が一歩も自分の見解を出ないで、またその大臣の見解というものは私たちに絶対に了承できない、こういう状態にありますので、いまさらこの議論をむし返しても仕方がないと思うのですが、いま大臣が、教師が採択に関係するということは必要である――その必要であるということを、いまの大臣の御説明では、先生も入れておいたほうがいいだろうくらいの考えであって、やはりほんとうの必要感というものは大臣にはわかっておらないと思う。このことにつきましては、もう各委員から、一体教師は何をするんだという本質的な問題から論議をしたわけでございまして、大臣にこの点が了解されぬのはきわめて残念でございますが、しかし私から重ねて申しますが、採択権が教育委員会にある、これは明白であると言っておりますが、決して明白ではないわけです。ただ文部大臣の解釈上の見解だけなんです。こういう点からいたしますと、いまのような法案、いまのような文部省の解釈でまいりますと、教師の採択に対する関係というものはますます薄れてくると私は思う。少なくともここで大臣が必要であるということをおっしゃるならば、教師が将来とも、教科書の採択に対しては必ず関係するというたてまえを、はっきり――ここで口で約束するのではなくて、法案に明確にしなければならぬと思う。いまのような見解でいけば、教師というものはますます採択には関与しなくてもいいんだというふうな形になる。時には、かえって教師を無視することによってとんでもない教育行政が行なわれることも予想されるわけでございます。したがって、私は、必要であるとするならば――いまおっしゃるところでは、政令等にそういうものが考慮されるだろうというふうなことでごまかされるのですが、大臣の責任からしても、教師ははっきり採択に関係すべきものであるということを明白にしなければならぬと思うのですが、その必要はありませんか。
  90. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私はないと思います。採択というのは一つ行政行為であると思います。採択すべき教科書そのものは、教育的な立場においては、学校教育法が明記しておりますように、教科に関することは文部大臣がこれを定めよ――そこで学習府県要領が定められてある。学習指導要領をいわばものさしとして検定というものが行なわれる。そこで検定を受けた教科書以外は使ってはならないと、学校教育法は明記しております。それ以外のものは、検定された教科書、もしくは文部省が著作権を持っております教科得の基本線をふえんし、これを充実する立場において有意義な、有効な、必要なものは使ってよろしい。教育委員会の認可を受けて使ってよろしいというものと一緒になって、現場では教えられるというものだと了解いたします。したがって、すでにして検定を受けたもの以外は使ってならないというたてまえで、教科書会社がつくりましたもろもろの種類の教科書を、どれを選定採択をするかということ、そのことは教育活動それ自体ではなくして、無関係ではないにしても、一つ行政行為として、教育委員会が住民に対して採択の結果の選択のよしあしの責任を負うというたてまえを採択権として、責任と権限を定めておる制度、そういうことに理解しないならばおかしいと思うのであります。ただし、先刻も申し上げましたように、教育委員会が具体的に地域性を考えながら、これがいいと多数のものの中から選定し、採択という責任行為をやるにつきましては、現場教師の意見を聞くことが通例であり、当然であり、常識的な課題である、そういうものだと思うのであります。責任はあくまでも教育委員会にある。選択のよしあしというものは、教員みずからが住民に責任を負う問題じゃない。全国で何十万の先生、各地区ごとにいたしましても何十人、何百人、何千人の先生が一人々々責任を負うべき課題じゃない。そこで、その採択のよしあしは、あくまでも教育委員会が住民に責任を負う。採択の結果が悪かった場合には、採択するについて現場の教師の現場認識を反映しないようなやり方で採択したから結果が悪かったというならば、そういう手はずをとらなかったことについても、あわせて教育委員会が住民に責任を負うという責任体制のもとに行なうべきものという制度だと私は理解するのであります。  さらに、繰り返すようですが、文部大臣のもろもろの権限が留保されておりますけれども、それはあくまでも政治的なあるいは行政的な課題として国民なり住民に責任を負うか負わないかという必要によって、ある権限なり責任を与えられておる、職責を与えられておる、そういうことで制度が運営されるところに民主教育のほんとうの責任体制が厳然として動いていくものと理解するわけであります。その裏づけたる努力の不足というものは、その権限なり責任を負わされたものが国民と住民に責任を負う、そのよしあしまでも一々の先生に責任を負わせることは不当だ、私はそういうものと思うのであります。
  91. 小林信一

    ○小林(信)委員 そのことは相当に議論をしてまだ解決されなく残っておるわけで、しかし一歩も前進をしない状態でありまして、いまさらこの議論を繰り返したくないのですが、一つだけお伺いいたします。  その前提として、大臣の理論というものは非常に狂っている。教科書を選定するということには何かえらい責任があるようなお話なんですが、大臣の理論からすれば、大臣が責任を持って検定をしておるのだ、だから、どの教科書を使おうとも問題はないのだという前提に立たれておる。したがって、採択する場合の責任というふうなものを非常に強く強調されるのですが、その強調のしかたからすれば、あなたが検定した教科書の中には、ときには悪いものがあるかもしれない、間違ったものがあるかもしれないという前提でなければ、いまのようなことはおっしゃれないわけなんです。その点の御見解は、私が言わずとも大臣もわかっておる、そこら辺にあえて責任問題を持ってくるのは、私は御自分にもよくわかっておると思うのですが、それはお尋ねしません。それより、採択をする場合にはどういう条件でもって採択するのがたてまえか、このことを大臣が検討していただくなら、私はもっと問題は簡単に解決すると思うのです。そうしてその能力というものはどこに地盤がある、その結果として、ほんとうに子供に与える影響とすれば、どこが採択したほうがいいだろうということになるわけで、まず大臣に、採択をする場合の条件をお述べ願いたいと思います。
  92. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 尋ねないのだとおっしゃいましたけれども、ちょっと申し上げたほうが……。あとの問題にも関連を持つようでありますから言わしていただきますが、検定した教科書に絶対に間迷いないということを期待しながらベストを尽くすべき責任があると思います。しかし、なま身の人間でございますから、信頼しておる調査官といえども考え漏れなしとしない、考え漏れのあるような調査官を選んだこと、そのことに基づく検定の欠陥というものは文部大臣国民に責任を負う、そういうものだと思います。その他許認可事項等も文部大臣に課せられた責任課題でございます。それらも同じことだと思います。そういうことと理解してすべてを申し上げているわけであります。教育委員会権限があり責任があるというのも同じことでございます。したがって教師は教育をつかさどることもありますが、現場教師が教科書を教えるわけですから、その一人々々の先生が一番関心を持つ人であることは一点の疑いをいれません。むろん私もそう思います。それを極端にその点にのみ重点を置いて考えるとするならば、教科書というものは、先生が五十万人おれば五十万種それぞれの教科についてあるべきものであるけれども、現実にはできない。そして、教師の意見というものが反映さるべきであるけれども、常時教科書を教えながら検討しつつその誤りあるいは選定そのものの適当不適当という考えも一人々々の先生にあるでしょう。そういうことをかねがね学校としても検討されるであろうし、教育委員会との共同の検討もあり得るでありましょう。採択しました教育委員会にそれぞれ意見が出されるであろう。そのことが一年間の経験を経て翌年の採択に意見として反映させるということが一番現実的であり、望ましい姿かと思います。さりとて、しからばそういう意見を総合しながら現実に採択するのだというときには、さらに教師の意見が具体的に反映するという考慮が当然常識的に払わるべきもの、そのときにだれを選ぶか、一郡市をとりましても何千人となく先生はいらっしゃると思うのだが、その人たちの意見を一々全部聞くことは物理的にも不可能であります。したがって、そのうちの最もしかるべき人、この人に頼んで意見を言ってもらえば、よき判断がつくであろうという人を選んで意見を聞くことは、責任を持って採択する以上当然なことであるという理解のもとに運営さるべきだ、そのことが必要であり、望ましいと申し上げるゆえんであります。この段階におきましては、少なくとも政令で定めるとしますならば、はっきり書いておいたほうがよかろう、そういうふうに受け取っておるのだということを申し上げているわけであります。
  93. 小林信一

    ○小林(信)委員 私は、そんなむずかしい議論は、もう何回も聞いておるので……。それよりも、簡単に申し上げますと、採択をする場合の条件、どういう条件が必要であるか、どういう観点から教科書を選ぶのかという点を率直にお聞きしようと思ったのですが、かえって採択権というふうなむずかしいところで大臣が御説明になってはっきりすることができないのです。いまの大臣のお話を聞いておって思い出すのは、先ごろの参考人の方たちの御意見です。これは与党のほうでもって選んだ参考人のお話ですが、やはり教師の採択ということは重視しなければならぬ、だから採択というものは教師の代表にさせろ、こういうようなところまで意見を述べた人があるほどなんです。やはり教師というものは絶対に忘れてならないものだ。ことにある中学校の先生である参考人のお話を聞いておりますと、おそらく大臣があの席におれば、教員というものがどれくらい教科書の問題については執念を持っておるかということがわかっていただけたと思うのですが、文部省のお役人でもあんなに教科書に対する関心を持っておる人はないと私は思うのです。明治四年からの教科書を持ってきたり、それからの教科書の変遷の“実を具体的なものを持ってきて並べて、私たちに参考に見せてくれるし、あるいは外国のすぐれた教科書、あるいは参考書、こういうふうなものまで持って、彼らは教科書の問題と取り組んでおる。その人が言うことに、私は一時間の授業をするには少なくとも三時間の教材研究をしなければならぬ、こうまで教科書の問題に深く関心を持つ教師というものが何ら法律的に関係を持たなくてもいいような形でほうっておかれることは、私はこれは教育行政としてまことに無責任だと考えざるを行ないわけです。  そこで大臣がおっしゃいませんから私から申しますが、教科書課長教育委員会月報に書かれた中にもありますが、まず第一番に、その土地の事情というものを考えなければならぬ、あるいは子供たちの特性を考えなければならぬ、子供たちの能力を考えなければならぬ。父兄の負担というようなことも書いてありましたが、父兄の立場考えなければならぬでしょう。しかし、こういうふうなことについて最もよく判断できるのは一体だれなのか。いまの教育委員会というのは、決して制度の上から教育委員会に採択権ありとはっきり書かれてはございません。そういうような制度の中でだれが最も適当であるかということを考えれば、私は教師でなければならぬと思う。この教師を無視した採択権というものを許すならば、日本の教育はどうなるかわからぬ、私はこうまで言いたいと思うのです。私は先日はほんとうに不用意でございましたが、大臣に野球の選手のバットの問題をお話ししたら、それは違う、こういうふうな御見解でしたが、大臣が野球に対してどれくらい経験を持っておられるか私は知りませんが、あれをもし、監督が選んで、このバットでやれ、打てというふうなことをやったら、これはもう絶対に野球なんというものは上達しないと思うのです。(「教科書とバットは違うよ」と呼ぶれあり)教科書とバットは違うと言うけれども、私は同じようなものだと思う。その人間が自分の体力を考えたり自分の経験というものを考えたりして、自分に適当なバットを選ぶ。これと同じような気持で教師が教科書を選ぶということも絶対に必要な条件だと私は思う、いまの教育委員会あり方から、ことに任命制の教育委員がそろっている中で、教科書を選ぶというようなことは絶対に私は、不可能だと思うのです。しかし、そういうふうに制度を解釈しながらも、なおかつ大臣も教師に選択の機会を与えることは絶対必要である、こう言うならば、やはりどうしても制度の中に、法律の中にその必要さをぜひとも表明しなければならぬ、こういうふうに私は考えておるのですが、その必要はないと、大臣がおっしゃるならば、これはもう議論の余地はないわけで、やはり望ましいくらいの程度で大臣考えておる、こうしか私には受け取れません。したがって、日本の教育というものは教育委員会文部省がやるような形になるのじゃないかと私は思うのです。もっと教師を生かす教育というものが必要であって、こういう法案を出すということは、ほんとうに教育を後退させるものではないか、こう考えるわけです。したがって、その問題はなおまたあとでほかの委員から質問をされると思いますので、その程度にして次へ移ります。  これもやはり何回か問題になりましたが、この法案と出版業者の問題でございますが、いままでの審議の中では出版業者はあまり問題にしておらない。かえって賛意を表しておるというような簡単な業者に対する判断を文部当局はなさっておられるようでございますが、はたしてそのとおりであるかどうか、あらためてこの問題についての御意見を承りたいと思います。
  94. 福田繁

    ○福田政府委員 出版協会の方々が教科書出版の会社でございますが、問題にしていないというように申し上げたわけではございませんので、この教科書協会に加盟している会社自体におきましても、無償実施についていろいろ関心を持っていることは事実でございます。しかしながら、この法案について私どもがいろいろ説明をし、また御意見を伺った際におきましては、こまかいいろいろな運営のしかたについての御質問あるいは御意見は拝聴したわけでございます。しかし、その限りにおいては反対とかなんとかいうような声は聞きません。
  95. 小林信一

    ○小林(信)委員 聞きませんというのでなくて、やはり業者に対しては、文部省ももっと相当鋭敏な神経をもって見る必要があると思うのですよ。ということは、反対か賛成かということではない。いまの検定制度というあり方からすれば、業者の立場というものは、単に商売人という立場で見るということは許されないと思う。業者に対する文部省考え方というものをもっと確立しておく必要があると思うのですが、一体業者に対して当局はどんなお考えを持って臨んでおられるか、この点この際御説明を願いたいと思います。
  96. 福田繁

    ○福田政府委員 業者に対する態度とおっしゃいますが、私どもといたしましては、現在ある教科書の出版会社にいい教科書をつくってもらうことが望ましいのでございます。したがいまして、実際の運営については、会社側もいろいろな御意見は常時持っておいでになりますし、またそういう御意見については、私たちはできる限りそういう意見を伺う機会もつくっております。それからまた、私ども考えを業者の方々に聞いていただく機会もつくっておるつもりでございます。そういうことによりましてお互いの共通の理解を深めながら、要するに義務教育教科書を、いかにいいものをつくっていくかという御努力を願うわけであります。そういう限りにおきましては、現在の会社に対しまして、この会社ができる限りりっぱに育成をされるように、そういう立場から私たちはいろいろと業界の方々に対してもお話を申し上げ、そういう態度で臨んでいるわけでございます。
  97. 小林信一

    ○小林(信)委員 了解を求める、話し合いをするというふうなことが大体重点のようでございまして、そうしてその根本には、よい教科書をつくってもらうのだ、こういう御説明ですが、そこで、よい教科書という、これが問題なんです。いろいろに解釈されるわけなんです。ただ文部省考えるようなよい教科書をつくるということもあると思いますが、私はそんな簡単なものじゃないと思う。とにかく、一般の業者は一応商売道徳というものは持っておられますが、ことにこの教科書をつくる業者はそういう商業道徳は確立されておらなければならぬ。したがって、検定制度がきびしいから、そのきびしさに迎合するために、自分の信念を曲げても、自分の考えをゆがめても文部省の検定を受けるための教科書をつくるというようなものがあっては、決していい教科書はできないと私は思う。もちろん検定がいいとか悪いとかいうことは私は言いません。正しい検定であっても、そこにまた業者の自由な見解というものはあるわけなんです。ただ文部省の検定に迎合するというようなことだけでいい教科書は出てこないわけです。そういうためにも、業者に対するところの文部省の態度というものは、ただ話し合いをする、了解を求めるというふうなことでなくて、業者は自分の考えというものを、信念というものをあくまでも通す態勢で教科書をつくれ、そういう御指導というものが文部当局に常になされておらなければならぬと思うのです。ただ文部省の意に従えというふうな圧力に従うような業者をつくるのでなくて、お互い意見があるならば堂々と話し合う、そういう態度を業者に要求するような指導、育成を常に考えておらなければならぬと思うわけですが、これが文部当局にあるかどうかということを私は聞いたわけです。もちろんあるとおっしゃると思いますが、いまの実態から考えれば、そうした意味の指導、育成というものが文部当局に欠けておって、そして何でも文部省の意に従えというふうな、かえって抑圧する態勢が多いのじゃないか、こういうふうに考えるのでございますが、当局の御意見はいかがですか。
  98. 福田繁

    ○福田政府委員 小林委員のおっしゃることは私どもよくわかるのでございまして、もちろん義務教育の場において使われる教科書でございますから、当然に子供の立場というものを考え教育上の問題としていい教科書をつくっていただくということが主眼でございます。したがって業者としては、やはりこれは営利会社でありますから、営利主義に傾くということも困る場合も非常にございます。そういった意味において、私どもば業者が営利主義のみに支配されないでりっぱな教科書をつくってもらいたいということは基本でございます。したがってその際におきまして、義務教育教科書をつくるということはいわば公益的な事業と考えてもいいわけであります。そういう立場から、私どもは業者に対してもいろいろ意見を申し上げ、そうして業者のいろいろなお考えもその際に伺っているわけでございますが、小林委員の御指摘になりましたように、いい教科書をつくるということはいろいろ方法があろうかと思いますが、やはり私ども現在の段階におきまして、検定教科書をいかによくするかという点から考えますと、個性のある教科書というものが相当まだ出てもいいんじゃないかというような意味合いにおきまして、もっと会社側もひとつくふうをしてもらいたいということは、私ども教科書協会の方々に会うたびに申していることでございます。そういった意味で、会社側に対してもりっぱな教科書をつくってもらいたいという趣旨を申し上げて、御要望申し上げておるわけでございます。
  99. 小林信一

    ○小林(信)委員 そういうような態度が当然あるべきですが、実際においては欠けておるのではないか。たとえば今度のこの法案が出ますについて、文部当局としては、先ほど局長がおっしゃったようにたいして異論がないというふうに解釈されておるようでございますが、もしそういうふうにとられるとするならば、私は残念ながら、いまの教科書業者というものは非常にゆがめられた立場に立っておる、まことによい教科書をつくる資格がない、こういうふうに言わざるを得ない。しかもその原因というものは業者自体にあるのではなくて、文部省のほうに責任がある。もう業者も大方の人たちが、この法案の採択の問題あるいは指定の問題についてはみんな反対なんです。それが異議ないというふうにあなたたちに感受されるということは、私たち第三者の立場に立ってみれば、業者が弱くて文部省が非常に強圧的である。よい教科書をつくれないというまともな指導はなされておらないというふうに考えざるを得ない。もし証拠を言えというならば、私は申し上げますが、先日も大阪図書の社長さんにひとつ申しました。この審議の最中に、あるいは審議の以前に、業者のほうから、この制度がとられるならば、ただいまお話しになりましたように、私たちの公益性というものをもっと認めてもらって、そして採択をされなくて会社が崩壊するというふうな危険性もあるわけなんで、そういう点に対するところの保障というものは考えられないものかとか、あるいは従来のような金融が円滑にいかない場合が予想される。したがってこの制度実施される以上は、金融面でもってわれわれは困難するけれども、これに対する文部省の配慮を願いたいというような決議をしたことは事実なんです。私はその決議文まで見た。ところがこれが文部省のほうから、いまは適当な時期でないから出すなと言われて、業者のほうはそれを引っ込めたということを、私はその案文を見、話も問いたわけです。ところが大阪図書の社長は、私が理事長である、理事長が知らないなんということはあり得ないはずだ、絶対そんなことはございませんとたかをくくっておる。そういうふうに業者の中というものはきわめて複雑な状態にある。こういうことを押えたかどうかというようなことを聞くのも愚かと思いますが、私はここでこれだけはどうしても問いておきたいのですが、出版業者十四社からなります同風クラブというものがつくられております。この同風クラブが二月の二十八日に業者の臨時総会を開いて、反対するという態度をこの日に決定しているわけです。このときに、確かに大阪図書の、もちろんこれは社長じゃないですが、何か代表が来て、もしもこんな制度が通るならばおれたちはもう教科書業者として立っていくことができない、おれたちの生命の問題だから絶対に反対をすると、あの社長の会社の代表が相当強硬な意見を述べておるわけです。ここで二十八日にその態度を決定して、そしてそれから逐次その同風クラブの理事会か何か開いて仕事が進行してまいりましたら、三月四日にこの話もありましたが、教科書課長から大阪、奈良あたりまで夜間に電話をかけて、ぜひともそれはやめてほしい、こういう電話をかけられた。三月の十三日にいよいよその反対の決議をする総会を開くために最後の会合をしたところが、そのいわゆる同風会の席上では、だれか課長にわれわれのこういう決定をしたものを通報した者がある、こんな同風会なら解放してしまえという意見が出て同風会というものは解放をした。とかく最近こういうものを圧迫するためには組織を分散させるというふうな政策が一番いいわけですが、それが文部当局によってなされておるわけなんです。こんなことはよい教科書をつくるための指導、育成には絶対にならないと思う。意見意見でもって聞いたらいいじゃないですか。そこに文部省としては教科書行政に対するところの正しい道が開かれると思う。きわめて独善的な考え方を持っておるのがいまの文部省あり方なんだ。結局解散をした。そんなことではよそうといって、せっかく三月の幾日か、二十日か二十一日か総会を開くことになっているからその総会だけは開いたそうですが、そういう経緯でございますので、どういうふうな総会が持たれたかと申しますと、自粛しようじゃないか、できたら今度の法案に対しまして文部当局の御説明を伺いましょうというような形になったということを、良心的な業者はくやしがってぼくらに話をした。これがこの教科書法をめぐってとられておる業者の態度なんです。それによってくるところはみんなあなた方の指導、育成にあるわけなんです。その指事、育成の方針というものが業行をあくまでも押えつけ、文部省の意図に沿うような方向に追いやっている。それが検定という権利を時っているから。いまこそ上しい検定が行なわれるのでなくて、検定が乱用されている。そういう意味からすれば、確かに先ほど大臣がおっしゃったように、いま日本で行なわれておる教科書検定はあぶない、だから採決上非常に留意しなければならぬということは言えるかもしれません。こうした事実に対して文部省は何と御答弁なさるか。その当面の責任者は教科課長でありますので、教科書課長からお伺いすればなおけっこうでございます。
  100. 福田繁

    ○福田政府委員 小林委員の御指摘になりましたように、教科書会社の中にはいろんな複雑な動きがあるということは私も承知いたしております。そのときでございましたか、あるいはもう少し前でございましたか、教科書協会の中でもいろんな具体的な運営の方法について疑心暗鬼と申しますか、よくわからない意見があるということは聞いておりました。したがって機会を見まして、私どもも十分関係の方々とそういう具体的な話し合いをしましようと言っておったところでございますが、いまお述べになりましたような事柄は私は具体的な事実はよく知りませんけれども、何社かの方々がまだ具体的な運営についての内応も御承知なくいろいろ動きをされているというようなことは聞きました。しかしながらそれが何とか会というものであったかどうかわかりませんが、あるいはその関係の会社かも存じません。したがってもし文部省の者がそういう関係の方々のところに電話したとすれば、そういう具体的な運営の細目を十分ひとつ知ってもらって、その上で態度をきめてもらいたいということは、これは寄ったかもしれません。そういう厭味だろうと思います。文部省として、そういう会を解散させるとか、そういう権限もありませんし、解散さしたというようなことも聞いておりません。これは教科書協会の中でもいろんな団体、その中でのいろんな自主的の集まりはいろんなグループがあるようでございますが、そういうものの一つであろうと考えております。
  101. 小林信一

    ○小林(信)委員 解放をさせる権限があるなんということは、これはもちろん私も申しませんし、そんなもので動くならば、こちらでもはっきりこの点が悪いじゃないかと言うことができるわけですから、そんなことは私申しません。そんなものでなくて、円価的な表面的な工作によってそういうものを分解させる、そういうことは私はいけないことだ、こういうことなのです。何とか会というようなことをおっしゃっておりますが、教科書会社が自分たちの仕事のために意を同じゅうする人たちが集まる。これは同属クラブというのですが、これくらいを局長が御存じないということはないと私は思うのですよ。もしこれを知らぬとすれば、やはり業者との間というものはうまく話がついてないということにもなると思うのです。これを文部省にお伺いしてそのとおりでございますという御答弁を受けるつもりはないのですが、こういう事実から見ても、もっともっと心を攻めて――先ほど申しましたように、あの一千何百万の子供たちが使う教科書をつくる人間である。普通の人間以上の良心を待ち、正義感を持ち、その商売に当たるようにしていかねばならぬことである。これを曲げるようなことが支出竹にもしあるとするならば、これは全くその子供たちに対して文部省というものが悪いことをしておることになるだから私は、業者に対するあなた方の態度はどうであるか、これをほんとうに確していただかなければならぬじゃないかと思うわけなのです。今度の法案をめぐって業者がそういうふうな形に出たということは、別にこれは私たちにとって問題になることではないけれども、やはりそこに日本の教科書がどういうふうにして生まれてくるかということを心配すれば言わざるを得ないわけです
  102. 床次徳二

    床次委員長 本会議会後再開いたすことといたしまして、これにて午前中の審議は休憩いたします。    午後一時二十七分休憩      ――――◇―――――    午後三時五十六分開議
  103. 床次徳二

    床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  義務教育学校教科用図書無償措置に関する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。小林信一君。
  104. 小林信一

    ○小林(信)委員 今度の無位法案というものを政府が出すにあたりまして、われわれが聞くことばの中には、無償であるから安くしなければならぬ、こういう意向が何となく業者には強く響いてきておるようでありますが、そのためにはまず採択部数をふやすことが砧奇教科書の単価を安くすることになるのだ、こういうようなことが述べられてありますが、一体十万部というもので採算が合うとか、二十五万部でなければ採算が合わないとか、また、二十五万部にすれば教科書の単価をあるいはもっと引き下げることができると、いろいろな話を聞くのですが、この点に対しまして、何回も聞いたかもしれませんが、もう少しはっきりした態度をお示し願いたいと思います。
  105. 福田繁

    ○福田政府委員 教科書無償にいたしまして、国の経費でやるわけでございますから、なるべく合理的な単価でこれが行なわれることは望ましいわけでございます。しかしこれもやはり限度がございます。この前も私お答え申し上げました点でございますが、現在の定価を決定いたします際の建て部数は大体十万、これは定価を決定する際の建て部数でございますので、十万部を基準に定価が決定されるわけでございます。ところが実際の採択部数というのはまだ十万以下の少部数がものによって相当ございます。したがって今後どの程度がいいかということはいろいろ考えなければなりませんが、現在の平均採択部数は約十七万ないし十八万くらいでございます。したがって定価を決定する際の要素として建て部数を現在の実績程度に押えていくのも一つの方法ではないか、こういうような意見もございます。しかし将来の問題としては、定価については教科用図書分科審議会において今後新しく再検討するということになっておりますので、これはその際の検討の要素になろうと思います。したがって私どもいま何万がよろしいのだということは申し上げかねますけれども、巷間に伝わっておりますような二十五万部にするとかあるいは三十万部がよろしいというようなことは、文部省としていままで言ったこともございませんし、実際にそういう部数にしようということを考えたこともございません。これは何か間違ってそういうことが巷間に言われておりますけれども文部省としてはいままでにそういう建て部数について検討したこともございません。要するに現在十万でございますけれども、できる限り合理的な定価をきめるという線に沿って今後検討するという課題でございます。
  106. 小林信一

    ○小林(信)委員 大体教科書を安くするいまの方法としては、輪転機に一応かかる部数が教科書の最低値段を決定するものだと思うのです。しかし、なおそれをさらに二十万部あるいは三十万部にすれば、いろんな経費等で安くなるという形もあると思いますが、しかし実際の問題から考えて、今度の法案でいきますというと、十万部採択されるものは、これは三年間据え置きになりますから、結局三十万と考えてもいいと思うのであります。してみれば、そうそう高い水準を考えなくても、三年間という年限を切る以上はあまりこの点を重視しなくてもいいと思うのです。これを重視しますというと、結局一種類の教科書をなるべくたくさん採択されようとすれば、この委員会でもって論議の的になりました採択の問題へこれがしわ寄せされるわけでございまして、広地域の採択とか、あるいはその採択権を教師に持たせずに教育委員会が持って、広域採択が可能になるようにしなければならぬという無理の原因になるわけであります。文部省の方ではそういうところをお考えになっておらない。確かにそうかもしれませんが、しかし大蔵省あたりでは金を出す立場からいたしまして、もっと安くたたけるものじゃないかというところから、二十五万とかあるいは三十万とかいっていると思いますが、しかし、もし三十万を要求いたしましても、さっき申しましたように十万ことし採用されるならば、これは三年間使われるわけでありますから、三十万が約束されたと同じことだ、こう考えてもいいわけで、なるべく低いどころにおけば無理に広域採択をしなくてもいい、こう考えられるのですが、その辺の経緯についてもし御存じだったらお聞かせ願いたいと思います。
  107. 福田繁

    ○福田政府委員 小林委員のおっしゃることは私どもはよくわかるのでありますが、私どももむやみに建て部数を増すという考え方はとっておりません。ただし定価を再検討いたします際には、やはり衆知を集めて合理的な検討をいたしたいと思っております。これは部数の問題だけでなく、定価を構成しております材料費、労務費その他宣伝費とか、いろんな要素がございますので、それらについて十分検討が行なわれるべきものだと考えております。それから方向としては、そうやたらに建て部数を増して、それのみによって定価を引き下げるということは適当ではないと私ども考えております。ただ財政当局としては、いろいろ経費の関係から一部ではその建て部数の問題についても云々されたことはございます。しかしこれはあくまで内輪と申しますか、ごく初めの段階の意見でございまして、むしろ定価の問題については、定価は文部大臣が認可してきめるものでございますから、その定価は定価といたしましても、実際に買い取る価格についてはもう少し合理的な買い取り価格ができないだろうかということは財政当局としては考えておるわけであります。そういう問題はありますけれども、先ほど申し上げたとおりの考え方で私どもは現在のところいっておるわけであります。ただ建て部数がかりに十万であるとしても、先ほど申し上げましたように、現在は実際の採択部数は非常に小さいものがございます。しかし、これが郡市単位の採択地区に統一された場合でも、私の推定でございますけれども、せいぜい三万、四万くらいの部数になるんじゃないか、一採択地区の部数が。そういう見当から考えますと、現在の千とか何千とかいうようなものは、これはいろいろな点から困りますけれども、運用上の問題としては研究すべき問題がいろいろあろうと思います。そういった点はおっしゃる趣旨は私は非常に同感でございますから、そういった運用の問題は十分検討してまいりたいと考えております。
  108. 小林信一

    ○小林(信)委員 定価の問題が出たからお聞きするのですが、まだ局長のお話を聞いておっても安くしたい安くしたいというような御意思がうかがわれるわけなんですが、先日の参考人が持ってきた外国の参考書を見ても、膨大なものが子供にあてがわれておるわけなんです。ああいう点から見ても、日本の教科書を安くしようなんていう考えをお持ちになるよりも、もっと世界水準に追いつくように、もっと金をきばってよい教科書を持たせるというふうな態度が必要じゃないかと思うのです。何か局長の話を聞いておっても、なるべく安くしよう安くしようというふうなことに向いておるような気がするのです。そこでいまの教科書の問題ですが、業者の話を聞きますと、色刷りをする低学年の教科書ではもうからない。色刷りをしない高学年の教科書で込みでもって採算をとっておるというようなことを聞くのですが、この点は文部省の方ではどういうふうに検討されておりますか。
  109. 福田繁

    ○福田政府委員 教科書の定価をきめます際には、もちろん同一種目の教科書でございますと一年から六年までのものをプール計算をいたしますが、したがって個々の教科書につきましてはあまりもうからないとかいうようないま御指摘になりましたようなことも、物によっては起きる可能性がございます。しかしながら、それにいたしましても最高価格というものがきめられておりますから、したがってその最高価格の範囲内で損をするというようなことはあり得ないと考えております。
  110. 小林信一

    ○小林(信)委員 いまのプール計算というお話ですが、しかし採択は、必ずしも一年が採択されれば六年まで採択されるとは限らぬわけです。同じ種目であっても、一、二年をある会社のものを採択して、三年からまた別の会社のものが採択される、こういう場合があると思うのですよ。だからそのプール計算というものも、また考えれば教科書を悪くするもとになるんじゃないかとも考えられるのです。とにかく業者に言わせれば、もうこれ以上紙の質を悪くしたら色刷りは不可能だ、もっと私たちは色刷りもきれいにしたい、きれいにするためにはもっと上質な紙を使わなきゃならない。そうすれば木が高くなる。これは文部大臣から規定されてそれ以上出すことができない。これが日本の教科書行政の現状なんですが、どうもお話が文部省は消極的な態度であり過ぎるような気がするのですが、もっと英断をもって外国水準並みに教科書をよくするという考えを持つべきじゃないかと思う。そういうところにも、先ほど申しましたように業者が率直にものを言えないところがある。それを言わせるように文部省が出なければいかないと思うわけでございますが、そこでこれに関連した問題としては、確かに教科書の採択の状況を見ると千部というふうなものもございます。しかしこういうふうなものはおそらく今度のこの法案では能力なしというふうなことでもって指定を解かれることになりはしないかと思うのですが、その点はどうですか。
  111. 福田繁

    ○福田政府委員 いままでは非常に分散的に採択されておりましたので、非常に少冊数のものがございます。そういうものも、今後それがいいということになりますと、一採択地区では一種類でございますから、したがって、むしろその採択地区をとりますと、そこで決定されればむしろふえるというものも出てくるわけでございます。したがって、直ちに少部数のものが、いままで何千部であったものが落ちるというふうには考えておりません。県の段階においてこれが適当であれば選定もされますし、またその中から採択地区で一種類採択するわけでございますから、その中に入りますればむしろふえるというような、逆のことも起こり得る場合もあります。私どもはいま申しましたように、ただ小部敬だから落ちるというふうには考えておりません。
  112. 小林信一

    ○小林(信)委員 それと関連して御質問申し上げたいのは、卸十八条の二項「その事業能力及び信用状態について政令で定める要件を備えたものであること。」。これが能力なしあるいは信用状態云々というようなことについて、政令で定める要件に沿わなければ取り消しを受けるということになるわけだと思うのですが、私の聞きたいところは、政令で定める、これは一体どんな政令を定めるつもりであるか。実にこれは白紙委任の形で、こんな危険なことはできないような気がするわけです。一体、事業能力それから信用状態をどの程度に政令でもって定めるのか、そういうことがはたして許せるものかどうか、実にこれは、業者はどう考えておるか知りませんが、私たちとしては危険きわまるものであるというふうに考えるのです。いまのような問題は別にその条件に入らないというふうにお話があったのですが、あわせてこの問題をご説明願いたいと思います。
  113. 福田繁

    ○福田政府委員 この問題につきましても、前に一回申し上げたつもりでございますが、五月の十三日に教科用図書分科審議会から、この政令の要件について建議がなされております。それによりますと、教科書の発行者については、堅実な企業をしてこれを扱わしめる必要がある、そうして教科書の質的な向上をはかる見地から一定の要件を備えたものを指定する必要がある、こういう見地から、事業能力といたしましては、資本の額が一千万円以上であること、それから教科用図書の編集を適正に行ない得る編集担当の専務者が少なくとも五名以上いること、それから相当の経験を有する経理担当者がいること、それから教科用図書を発行するに足る施設、設備を有するか、またはこれと同等の施設、設備が担保されておること、それから法人の役員のうち一人以上が教科用図書の出版を適正に行ない得る経験を有する者であること、そういうような要件を一応適当だということで、大体事業能力につきましては、いま申し上げました五つの事柄について客観的に見て明瞭なものを事業能力について規定をする、こういうようなたてまえでございます。借用状態についても、信用状態ということば自体がばく然としたようなことばでございますけれども一つは法人の代表者が教科用図書の出版に関して高い識見を有する者であること、それから法人の代表打が企業の的確な運営をはかるに必要な経済的信用を有すること、こういうように出版に関しての識見だとかあるいはその企業を運営するについての必要な経済的信用を持っている、そういうようなことをこの会社について信用状態がよろしいというような要件にきめるのが適当である、こういうようなことを建議いたしております。  したがって文部省としては、いま建議が行なわれましたその内容を尊重いたしまして、この法案が成立いたしました暁には、政令で定める要件というものには、いまの建議の内容を政令でもって制定をしたい、かような心組みでおります。  ただ、その際に現在の会社自体がどうなるかという問題がございます。将来新しくできる際の会社の要件としては適当であっても、現在の存在しております八会社について、たとえば令部が資本金一千万円以上であるというわけにはまいりません一非常に少額な資本金の会社もございますので、そういうものについては一定の猶予期間、三年ないし五年の猶予期間を置いて、その猶予期間の間にそういう必要な要件を充足するように指導すべきである、こういうような建議になっております。したがって、私どもといたしましても、あまり無理なくそういう要件が充足されるように指導してまいりまして、現在の会社については、何べんも申し上げましたように、当初は全部これを指定する、そういうたてまえをとっておるわけでございます。  以上でございます。
  114. 小林信一

    ○小林(信)委員 少なくともいまのように業者に対して評判の悪い文部省がこういう条項を持つ法案を扱うということは、非常に危険だと私は思う。いま局長のおっしゃった信用というような問題ですね。きわめてばく然としたことばで表明されておって、もしこれを悪用すれば幾らでも業者をいじめることができる。ただいじめるというだけでなくて、文部省の思うような教科書をつくらせるというようなことにまで及んだら、私はこれは非常に問題だと思うのです。普通の法律制定の場合でも、これは白紙委任というふうな形できわめて危険きわまるものですが、事が教科書という問題に関連する以上、われわれはこういう表現のしかたではたしていいかどうか、疑問に思っておるわけですが、一応それは終わりまして、次に、最近こういううわさが飛んでいるわけですが、文部省はそれをつかんでおるかどうか。それは大下の会社が今度の法案を利用して――これはもう審議の中でも盛んにそういうことがあり得るだろうというようにうわさをされておるのですが、大手の会社が少し結託をし、それからいわゆる商業手腕にものを言わせれば、採択なんというものはかなり自由にできるんだ。そこで上建業者が談合すると同じように大手の会社が談合して、そうしていわゆる地区協定をする。東京のここはおれにくれ、ここは君にやる、どこどこの県はおれにまかせろ、こういうような話し合いがなされ、それぞれ手を打っておるというようなうわさを聞くのですが、そういうことはあり得ることか、そんなことはないというのか、どうですか。
  115. 福田繁

    ○福田政府委員 寡聞にして私どもはそういう風説を聞いておりません。
  116. 小林信一

    ○小林(信)委員 心配はどうですか。そういう心配はないのですか。
  117. 福田繁

    ○福田政府委員 現時そういう心配をいたしておりません。
  118. 小林信一

    ○小林(信)委員 その理由はどうですか。
  119. 福田繁

    ○福田政府委員 これは三木委員の御質問にもお答えしたかと重いますが、昨年教科書会社は、相当大手何社、全部じゃございませんが、十数社が自粛措置をきめたわけでございます。ところが昨年の実際にやりました結果から見まして、なお今年におきましてはこの自粛措置を強化するということで、昨年はごく一部でございましたが、全体の会社が寄りまして、そして自粛声明を出すと同時に、具体的な自粛措置もきめつつございます。そしてその措置に基づいていろいろなことを行なうておりますので、したがって私どもは、そういう何か選挙の際の地盤協定のような、あたかもそう見られるようなことをやりながらいくということは、おそらく現在の段階においては考えられない。むしろ大手の会社などは、昨年あるいはことしにかけては非常な自粛措置をみずからやってもおる、こういうように私ども考えます。
  120. 小林信一

    ○小林(信)委員 それはほんとうに局長の心底からの声ですか。もしそうだとするならば、局長はどこを見ているのか、こんなふうに私は疑いたく思うのですよ。大下の会社が自粛協定をさらに強化したというふうなことを言いますが、去年のあの自粛協定をしたときに、ある大手の会社ではこういうふうに言っている。その会社の社員を集めて、しかも地方に連動に出かける者を集めて、社長みずから言っている。この自粛協定なるものは文部代に対するゼスチュアだ、こういうことをはっきり指令をしておる。そしてかくかくの方法、下段、これを採択して売り込みをやれ、こう言っておる。しかもそれがちゃんとりっぱな書類になって渡されているのですよ。そういうものを局長は見てないのか聞いてないのか。これは全く不可解千万なことなんです。それほど文部省良心的であるならば、私はまた見直さなければならぬと思うのですが、実際聞くにたえないものがあるわけなんです。もっと極端なものを申し上げれば、今度の法案が出ますと、これもやはり大手の会社ですが、各府県へ出てまいりまして、選定審議会のその下に専門部会のようなものがつくられる。これはおそらく各学年、各科目についてそういうものが設けられるだろう。各学年はどうか知りませんが、各科目についてそういうものが設けられるだろう、そういう予想から、大体その県下ではどういう人間がピックアップされるか、あるいはそれが教育長あるいは教育委員のところへ行って、そうなった場合には何科については大体どこの先生が選ばれるかということを調査して、そしてその人のところへ、今度の法案はかくかくでございます。内容はこうでございますという説明書か何か配りながら、おそらくこれが通りますと、県に専門部会がつくられる。そのときに、あなたはエキスパートだから必ず選ばれる、ぜひそのときには私の会社の本をお願いします。私はそう言われた人を聞いておる。もし、連れてこいというなら連れてきてもいい。それでもなおあなたはそんなこと絶対にないと言い切りますか。
  121. 福田繁

    ○福田政府委員 私は具体的にそういう事実があろうと思いませんけれども、いま御指摘のようなお話を聞いたことございません。と申しますのは、先ほど申し上げましたように、教科書会社としては駐在員を漸減しておる、それからことしの講習会等を半減する、それから地方に、少なくともブロック別に各会社の監視員を置いておく、こういうような自粛体制をきめております。もしそういうことがまっかなうそであれば別でございますけれども、私どもは少なくともそういう会社と申しますか、協会側の自粛体制がとられるものということを信じております。一方におきましてそれに対応して、私どもも地方の教育委員会を通じましてそういう自粛体制が十分に行なわれているかどうかということを十分見ておるわけでございます。したがって何かそういった問題が出てくれば、当然に私どもも聞くはずでございますけれども、いまだそういう話は聞いたことがございません。したがってもう少しことしの様子を見なければわかりませんけれども、少なくとも昨年よりも相当強化された自粛体制をとっていきたいということは事実でございます。さらに駐在員等も来年は全廃するというような方向で考えております。以上でございます。
  122. 小林信一

    ○小林(信)委員 最初のお話では、そんなことは絶対ない、絶対に信頼をするというふうな立場でお話をされたから、そんなにあなたは良心的か、こういうふうに言ったわけです。やはりあなたとしてもそういうことはあり得るのだ、こういうふうにはお考えになるわけですね。
  123. 福田繁

    ○福田政府委員 あり得るとは申し上げておりません。ただいまのところ、私どもはそういう協会に加盟の各会社の自粛措置というものを見守っておるわけであります。したがってその自粛措置というものが昨年よりずいぶん強化された具体的な措置をきめております。先ほど来御指摘になりますような事実があるということを聞いてないということを申し上げたわけであります。
  124. 小林信一

    ○小林(信)委員 聞いてないというだけならば、これはしかたがないのですが、実際いまこの法案は非常に大きな会社のほうでは自分たちに非常に有利な法案だ、こう考えていろいろなたくらみをしておるわけですが、そういう点からしても、この採択の問題、これがやはり根拠になるものであって、局長はそうおっしゃるけれども、私たちはおそらく今後絶対にこの問題は以前よりも増して激化してくる。――業者が何を言っておるかというようなことの新聞をごらんになったことありますか。それもございませんか。
  125. 福田繁

    ○福田政府委員 御指摘になりますような事柄についての新聞を拝見しておりません。
  126. 小林信一

    ○小林(信)委員 人を信頼するということは私はいいことだと思いますので、局長は責めませんが、それではあまりのんき過ぎると思うのですよ。毎日新聞ですが、毎日新聞はきっとおとりになっておると思うのですが、二月二十日の新聞に「中小社の倒産続出、売込み合戦、汚職が必至」というふうな形でもって、三十九年の小学校、四十年の中学校の改定、採択時期には、企業防衛のためにも、ここを先途の売込み合戦が行なわれるだろうから、きっと全国的に汚職与件が起こる」、以下この法案に対する非常に悪影響のあるところを業者が言っているのですが、こういうことを、新聞も見ない、だから私は絶対そういうことが出ないだろうというふうに言われるのですが、ただこの法案を通さなければならぬからというようなお考えでお話をされるのではなくて、まじめに実際の問題を取り上げてお考え願いたいと思うのですが、最近そんな話も私は聞いているのです。大きな会社が、つまらぬせり合いはしない、文部省のほうもにらんでいることだから、文部省には、さっき申しましたように、自粛協定なんというものは、いいか、社員、よく聞いていろ、これは文部省に対するゼスチュアだ、こういうふうに因果を含めている。したがって、文部省がもしこれから駐在員とかそういうふうなものを全廃するというなら、それはそういう大きい業者が結託をするという前提があるからなんです。つまらぬことだ、それよりも大手でもってひとつ相談して、ここの県は君にやろう、ここの県はおれによこせ、東京都のどこの区はおれによこせ、こういうふうな下相談をして当たっているわけです。それがないとか、そんな心配はないというふうな考えでいると、とんでもないことになると私は思うのですが、おそらく局長もその点は十分御存じで、私への答弁としては言わないだけのことだ、こう考えるわけです。  次に、業者の立場でございますが、原稿の審査が五月十日に締め切られて、それに対する回答というものが十月に出てくる。それから内閲本というのですか、これが十一月ごろから二月ごろ扱われて、さらに見本木が提出されて、これが三月から四月ごろ文部省で検定をされる。そうして、展示会、選定審議会あるいはその間分科会というふうなものを設けられて、採択の資料というものが十月に出てくる。こういう過程から考えて、業者はいろいろな点で心配をしておるのですが、これらに対しまして別に業者からの異議とかあるいは文部省としての指導とかいうふうなものはなさらなかったわけですか。
  127. 福田繁

    ○福田政府委員 一般にこの業界のほうでは、採択を控えて、なるべく早く検定を済ませて、そして展示会に持っていきたいという御希望は、これは一般の場合に非常に強いのでございます。今度の場合におきましても、これは従来のご希望と同じだしと思います。ただ、私どものほうの立場から申しますと、やはり検定につきましては相当手間をとります。したがって、出版社といろいろ相談をして行なっております。この時間的な問題はできる限り努力はしておりますけれども、なかなか思うように進まない場合が、ございます、したがって、できる限り早く見本本をつくりまして、検定もすべて完了して、そして展示会に持っていって、なるべく早く採択に持ち込みたい、こういうご希望のあることはもう百も承知いたしております。できる限り私どもも能率的にこれを進めまして、早く諸般の準備を完了するように従来から話し合ってきているところでございます。また、そういう点については、検定の進め方についても会社間に十分御理解を願って御協力を願っております。
  128. 小林信一

    ○小林(信)委員 その問題がなかなか型どおりいかないのがいまの実情だ。さらに今後これがどうなるかというふうなことでは、いまの局長の御答弁がそのまま受け取れるならば安心できるわけですが、かえってこれがむずかしくなるのではないか、したがって、いろいろな点で業者は困らされる立場に立つというふうなことも言っております。  それからもう一つは、金融の面ですが、この原稿を審査してもらうときには、もう大体紙の購入を考えなければならぬ。これがはたして採択されるか採択されないかわからぬが、一応は購入をしなければならぬというふうなことを言っておりますが、この金の金融措置とか、あるいはいよいよ見本本をつくるとなりますと、今度は鉛を流すわけです。ところがこの鉛は、一応印刷屋に採択まで持ちこたえてもらうために相当な金がかかるのだそうですが、こういうふうなものは、一応教科書出版をだんだんこういうふうな法律で拘束してまいりますと、相当公共性というふうなものを考えてもいいような気がするのです。そうすれば無用の競争もなくなるし、良心的な教科書をつくることになるのですが、そういうようなことについてお考えになってはおらないのですか。
  129. 福田繁

    ○福田政府委員 小林委員も非常に御心配になっておりますように、この教科書を製造する場合から申しますと、相当原料を仕込むとか、いろいろな準備を進めるためには、相当早いときから資金手当てが必要なことは、従来の例から見ても明らかでございます。従来教科書会社はその資金をどこから手当てをしておったかと申しますと、大部分は特約供給所から前貸しのかっこうで提供を挙げており、銀行からも受けておるわけであります。したがって、今度の無償措置につきましても、その点は、やはりいろいろ会社の製造供給過程の資金の手当ては同じでございますけれども、しかしながら、国が一括契約をいたしまして購入するという方式をとりますために、教科書会社としては、従来四月に供給いたしましても、ずっと後になりませんとその代金は回収できない、あるいは半年も、場合によっては一年近くもおくれるというような状態が続いております。したがって、今度は、少なくとも文部大臣が発行の指示をいたしますと同時に契約をいたしまして、そこで前金払いをするというようなことになりますので、したがって、そういういままでのようなずるずるに代金回収が延びるというようなことはないわけでございます。したがって、この無償措置実施する際におきましては、従来よりもそういった資金の手当てあるいは資金の目立当ていうものは、会社側にとって非常に容易になるのではないかというように考えるのでございます。ただ、それも限度はあると思いますけれども、四月とかあるいは事前に代金を払うというまでは参りません。やはり少なくとも十一月のころにならないと契約をいたしませんが、その契約をいたしますと同時にある程度の概算払いができるという方式をとれば、会社社側としてもこれは非常に助かるわけでございます。したがって、会社側としては、そういう措置はむしろ歓迎しておるものと考えております。
  130. 小林信一

    ○小林(信)委員 いま受田さんが何か質問をやりたいそうですから、ちょっと私休みます。
  131. 床次徳二

    床次委員長 受田新吉君より質疑の申し出があります。これを許しますが、簡潔に願います。
  132. 受田新吉

    ○受田委員 関連して五、六分間いただきたいと思います。  この法案の口ざすところは、一応憲法の規定に即応したいというお気持ちは十分わかることであって、そのための前進的な規定を持った法案であるという点ではうなずくのでございますが、この各条項を拝見しますると、そこに幾つかの問題点が発生してくるわけです。その一、二の点をただしまして質問を終わらしていただきます。  すでに質問をされた事項に関連するかもしれませんが、この教科書無償を完全実施するスケジュールをお伺いいたします。
  133. 福田繁

    ○福田政府委員 教科書無償につきましてはすでにこの三十八年四月に入った一年生に対しまして、昨年の法律に基づきまして無償実施しましたことは御承知のとおりでございます。三十九年におきましては、すでに通過いたしました三十八年度の予算に計上いたしております二十七位田余りの予算によりまして、一年生から三年生までの無償実施する。こういうような計画になっております。それからそれ以後の問題でございますが、これはこの法案ではその範囲は政令できめるということになっております。これは将来の予算の問題でございますのでそうなっておりますが、総理の本会議での言明によりますと、四十年以降は少なくとも小学校の四年、五年、その次は小学校の六年と中学校一年、それから最後には中学校の二年、三年というように大体年次計画をもって進めて、そうして当初から五年以内には完全に無償実施する、こういうような御言明があったようでございます。そういうように私どもも計画的に考えております。
  134. 受田新吉

    ○受田委員 生徒及び児童の減少という傾向も含めてその計画に必要な経費の見通しを御報告願います。
  135. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 小中学校全部無償措置実施いたしました場合の経費の総計は、ただいまの推定では百十億円でございます。各学年別の内訳等は政府委員から申し上げます。
  136. 受田新吉

    ○受田委員 すでに一応伺ったことのようですから全体だけでいいです。  そこで、沖繩におる日本の子供たちに対する計画とこれに伴う予算措置もちょっと……。
  137. 福田繁

    ○福田政府委員 沖繩は別個になっておりますが、三十八年度の総理府の沖繩援助費の中に約四千二百万程度の予算を見込んでございます。ところが沖繩のほうでは、琉球政府はさきに小学校の一年生から六年生まで完全に無償給与をする、こういうようなことをきめまして大体所要経費として二十万ドル程度を見込んでおるようでございます。その三分の一程度を日本側のの援助資金によって、これをまかなっていく、こういうような計画になっているようでございます。
  138. 受田新吉

    ○受田委員 沖繩の場合は特に不幸な立場にある子供たちですから完全実施を即時やってはいかがですか。これはやはり援助計画と外交交渉と両面の問題があると思いますが、私たちとしては少なくとも長州教育学校に対する教科書無償は沖繩からという熱意を示して、すでに二年から三年までの実施がされているということになるならば、残された問題は一挙に解決するという努力をされることを要望しておきます。いかがですか。
  139. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 沖繩に関しましては、日本本土よりは先んじて小学校を全部実施するということのようでありまして、そのことだけとしましてはこっちが手おくれな状態であります。そのことはそれ自体としては喜ばしいことでございますが、同時に本土のほうも沖繩に負けないように、なるべくすみやかに実現をしたい、これは当然の私どもの職責だと思います。ただ現実問題としましては、先刻も政府委員から申し上げましたように、本年度を入れまして五カ年以内に完了するということたらざるを得ない現状でございます。
  140. 受田新吉

    ○受田委員 予算の問題が伴うということでそういう現状か、あるいは別のほうの考え方があるのか、この点を明らかにしていきたいと思います。
  141. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 予算の関係だけでございます。
  142. 受田新吉

    ○受田委員 その点でしたら、百億ばかりの金でございますから、もっと積極的に思い切った措置をされても国民は納得すると思うのです。文教予算の中で特に教科書無償を率先取り上げたとしても、国民の中にけしからぬと答えるような人はおらないと思うのです。この点はいまの大臣の御答弁に明らかなような、予算という限定された理由であるならば、来年度の予算に残余を一括処理するという熱意をもって当たられたって決してこれは国民に悪い影響を与えるものでない、国民が納得するものであるということを私考えますが、いかがでしょうか。
  143. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 むろん私も同感でございます。本来ならば三十八年度に一挙に小学校も中学校もやるべかりしものをと思います。ただし微力にして一挙増でいけませんことを残念に思っている次第であります。努力します。
  144. 受田新吉

    ○受田委員 五カ年計画は縮められる場合もあり得ると判断してよろしいですか。
  145. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先刻ちょっと申し上げましたように、総理が本会議で御答弁申し上げたことを受け売りするならば、政府委員が申し上げたとおり、本年度を第一年度として五年以内に完全実施をはかるというのがいまの考え方でございまして、そのことは、三十九年度予算に一挙に残りのものをやってはいけないということではむろんございませんから、その含みもあわせて努力をする、こう申し上げさしていただきます。
  146. 受田新吉

    ○受田委員 これは十分の努力をすることによってその実施期間を縮めるという、その点ははっきりしておいていただきたいと思います。  そこでもう一つ、私まだ議論が十分されてない点があることを伺っておりますので、その点をただしておきたいと思います。今度の法案を実行に移した場合に、発行者の指定という問題が非常にクローズアップするわけでございますが、この法案の十八条の第一項の二号に、この指定を受けようとする者に対する要件についての政令委任事項があります。この政令の中身というものは、審議会の答申も先般あったわけですけれども、具体的にどういうふうに考えるか。特に資本力において限界が一千万円という答申が出ておるわけですけれども、その一千万円というものをそのまま採用されるのか、そしてそれ以上の者と以下の者がどれだけあるか、以下の者の常業を今後どういうふうにさせようとするののか、指定ができなかった者の取り扱いはどういう救済措置を考えておるかをお答え願います。
  147. 福田繁

    ○福田政府委員 現在義務教育学校教科書を出版いたしております会社は四十六社ございますが、その中で資本金一千万円以上の会社は十八社でございます。あとは一千万円に足りない会社でございます。いま御指摘になりましたように、将来の教科書発行企業のあり方として一千万円程度以上のものが適当であるという答申でございますが、いま申し上げましたように、現実の会社に当てはめてみますと、一千万円以上の八会社は割合少のうございます。そういった意味で現在の会社といたしましては、義務教育教科書を発行しているいわば既得権を持っております。そういった意味で現行の会社については四十六社全部指定をする予定でございます。ただしこの指定をいたしましても、それが法律で要件をきめることになりますので、したがってある期間にはその要件に適合するような努力をしてもらいたい、こういうことでございます。したがって答申にも三年ないし五年程度の猶予期間を置いて、その間に現行の会社が要件を満足するように指導するのが適当だ、こういうように建議を受けております。したがってその線に従って政令の基準をきめ、文部省としては少なくとも五年程度まで猶予期間を置きまして、そういう要件に達するようにいたしたいと考えております。
  148. 受田新吉

    ○受田委員 政令で定めようとする構想、すでに、これは用意されてありますか、まだできていないか、あればお答え願います。
  149. 福田繁

    ○福田政府委員 用意をいたしておりますが、ただいま申しましたように、この教科用図書分科審議会の答申の内容に従って政令をきめたいと考えております。卒業能力につきましては資本の額が一千万円以上であること、それから教科川図書の編集を適正に行ない得る編集掛当の専務者が少なくとも五名以上おること、それから相当の経験を有する経理担当者がいるということ、それから教科用図書を発行するに足る施設設備を有するか、または同等の施設設備が担保されていること、そういうことでございます。それから法人の役員のうち一人以上が教科用図書の出版を適正に行ない得る経験を有する者であること、これが会社の事業能力についての基準でございます。それからなお信用状態につきましては、法人の代表者が教科用図書の出版に関して高い識見を有する者であること、それから法人の代表者が企業の的確な運営をはかるに必要な経済的信用を有する者であること、この二つであります。以上が内容でございます。
  150. 受田新吉

    ○受田委員 盲学校の点字教科書ですね、これらはある特定の教科書会社で発行していると思うのです。そういうものに対する特別の措置を配慮されておるかどうか。
  151. 福田繁

    ○福田政府委員 今年度におきましても御指摘のような特殊な教科書無償の対象にいたしております。今後もそういう会社から出版される教科書は当然に無償の対象になるものと考えております。
  152. 受田新吉

    ○受田委員 いまの政令の規模に基づいてこういう点字教科書のごときを発行している会社は小資本で、条件としては最低のところもあるかと思うのですけれども、そういうものに対する特別の配慮を考えるかどうかということをお答え願いたい。
  153. 福田繁

    ○福田政府委員 先ほど申し上げましたように現行の出版会社は全部指定をするつもりでございます。そういうことによって配慮をいたしたいと考えております。
  154. 受田新吉

    ○受田委員 これに関するのですけれども、私立学校は経営の面において非常に難儀なところが多いわけだけれども、こうした恩典に同様に浴するということで、一方でまた救われる面も起こると思いますが、この私学を監督する役所というものが、府県においては大体県教育委員会でなくして県自体行政機構の中にその所管がいままで入っているわけですね。そうした行政機関の調節をどういうふうにはかられようとされますか。
  155. 福田繁

    ○福田政府委員 御指摘のように現在の私立学校行政を所管いたしておりますのは知事部局でございます。したがって公立学校を所管いたしております教育委員会とは別個の機関によって行なわれておるわけでございますが、東京、大阪などのように私立学校が非常に多いところは、別個の機関に形式上も実質上も分かれております。しかしながら一般の都道府県におきましては知事部局が教育委員会に事務を委任するというかっこうにおいて私立学校行政が行なわれているのが大多数でございます。それは別といたしまして、たてまえは私立学校の場合知事部局ということになっておりますけれども従来から教科書の採択、需要取りまとめ、あるいはそれに関する報告といったようなものは、私立学校を所轄いたしております知事部局ではなくして、これは公立学校と同じように教育委員会を通じまして私立学校の教科雷の採択あるいはその利用部数の取りまとめというような、いわゆる臨時措置法に基づきます事務は教育委員会で一括してやっております。したがって今回の場合におきましてもそれは同じ系統で実施されるわけでございます。
  156. 受田新吉

    ○受田委員 系統が同じ形になるということでございますが、実際の問題として私立学校教科書採択の範囲というものは非常に幅広いものがあったわけで、これが広域指定ということになって、東京都にしても大阪にしても限られたもので教科書を選ぶ。それをやらなければならぬということになれは、私学の持ち味というものが失われる危険もあると思うのです。私学振興の独特の持ち味を生かすために、私学に対するそうした広域採択の範囲というもの、ワクを府県というような単位にしない方法ということも、そういう意味からも私には必要だ、別の考え方で私学を幅広く自由な学園としての立場認めていくという方針からお考えになる必要はないかと思いますがね。
  157. 福田繁

    ○福田政府委員 その点は私どもも十分検討したつもりでございます。一般の公立学校におきましては、それぞれ都道府県の中に設けられました採択地区ごとに帯町村の教育委員会が一種類の教科書を採択する、こういう仕組みにこの法案ではなっております。ところで私立学校の場合はそれでは窮屈でございますので、いまおっしゃいましたような点を十分考慮いたしまして、都道府県の段階において数種類、これは五、六種類と考えておりますが、数種類選定をいたしましたその中から自由に各学校で採択をしてもらう、こういうような公立学校よりもゆるいワクの中で採択が行なわれるというような仕組みになっております。したがいまして私立学校につきましては、いまお述べになりましたような点も考慮いたしますと同時に、この都道府県の選定をいたしますその選定審議会の中にも私立学校の意向が十分反映するような仕組みを考え、あるいは私立学校関係の教職員がここに入ってもらおう、そういうような実際上の運営をやる予定でございます。
  158. 受田新吉

    ○受田委員 終わります。
  159. 小林信一

    ○小林(信)委員 先ほど質問しました業者に対する金融措置というふうなものについて途中で話が終わったわけですが、局長のおっしゃるように、以前は取り次ぎ店から金融を受けておったわけです。それがなくなるために、非常に業者は痛いわけです。それをいろいろいま詳しく説明されたのですが、一体銀行等から借り出す場合に、金利を下げるとか、あるいは何か特別な金融措置を講ずるとかいうふうなことがあるのかないのか、これをひとつはっきりおっしゃっていただきたいと思います。そういうことが今後考慮されるのか。
  160. 福田繁

    ○福田政府委員 かつて昭和二十六、七年ごろ無償措置が行なわれました際に、教科書会社の金融問題が起きましたことは御承知のとおりでございます。その際におきまして、文部省としてできる限り銀行融資をあっせんするというようなことはいたしたことはございます。しかしながら今回の場合は当時の事情と非常に変わっておりますので、教科書会社が資金に手詰まりを来たすというようなことが考えられるのかどうか、その辺は私もまだ十分よく実態がわかりませんけれども、今後の推移に応じまして、教科書会社自体が資金に非常に困っているような事態が起きました場合には、それは何らかの形で十分検討してまいりたいと考えております。これは今後の課題であろうと思います。
  161. 小林信一

    ○小林(信)委員 そこでいまのような過程の中に展示会というものがある、こういうことも私も申しましたし、それから局長も言われたのですが、展示会はおやりになるつもりですか。もしやったとすればどういうものを対象にしてされるのか。
  162. 福田繁

    ○福田政府委員 教科書の展示会は従来と同じようにやるつもりでございます。ただいろいろ教科審の展示会におきましても、常設のものあるいは臨時的に分館のような形で赴いているものもございます。できる限り内容を充実した炭水会を開く意味におきまして検討はいたしたいと思いますが、展示会自体は今後も継続するつもりでございます。
  163. 小林信一

    ○小林(信)委員 採択でこの法案のような方法をとり、また文部省が採択に関して現在のような考えを持っている以上教師はきませんよ。私はそう考える。それでも教師に展示会にこらせるというか、私はその必要はないと思うのです。何らかほかの形にすればいいのです。ずいぶん展示会には業者のほうは金もかかっているようですし、またお見えするほうでも金がかかるようですが、従来のものを引き続いて行なって、しかもそれを強化する、何か矛盾したような気がしますが、局長はこ乱をどうお考えになっておりますか。以前どおり学校の先生にきてもらって教科書を見てもらうのか、どうです。
  164. 福田繁

    ○福田政府委員 けさほども大臣からお答え申し上げましたように、教科書の採択にあたりまして、市町村の教育委員会が現場の学校側の意見をいろいろ参酌し、あるいは参考にして採択をするということは望ましいことでもあり、また現在やっていることでございます。したがいまして、その辺のやり方は現在の採択協議会とかあるいは採択委員会というような組織を設けて、それを現場の教師などの意見が反映するような仕組みでやっております。その点においてはやり方は今後も違わないと思います。したがって、その際においてやはり展一本会等を設けまして、十分教科書を研究してもらうということは、その前提として必要なことだと考えるわけでございます。現在におきましても、大体都市単位に教科書の研究指導なり、あるいは現場の教師のいろんな研究活動というものが行なわれております。やはりそれは展示会等とも十分関連を持っておりますから、そういった意味において、私は今後とも展示会というものは継続する必要があるだろうと思っておるわけでございます。
  165. 小林信一

    ○小林(信)委員 もう少し文部省考えておる点を、こういうものに具体的にあてはめて問題を考える必要があると思うのですよ。いまのような先生に対する考え方を持っておって、だれが教科書を見に行きますか。それからせっかく見に行ったって、それは良心的な先生は見に行くかもしれませんよ。しかし先生に見ておいてもらって、そうして先生の意見を聞くのだから展示会が必要だとか、展示z会を開くのだ、こうおっしゃるならば、ちゃんとそこに先生の意見を聞いて採択をするというはっきりしたものを明治しなければだめですよ。聞くのか聞かないのか、ほんとうにその一部の教育委員会の好ましいような人物だけを選んで、そうして先生に意見を聞くというふうな形がきっととられる。そんな中で先生方が展示会に行く必要はない、こういうふうになってしまう。そうしていま研究会云々といいましたが、まだ地方においては教育委員会が教師の意見を聞いて採択をしておる、あるいは実質的には学校の先生が採択をするという形をとっておる傾向がまだあるから、先生たちが教科書の研究もするわけです。今度の法案を出されて、だれが教科書研究なんかするものですか。私はそういう意欲はなくなされると思います。もちろん全然なくなるとは言い切れませんが、そのくらいに意欲はなくさしてしまうと思う。さらにいい教科書をつくるために業者が秘湯の先住の意向を聞く、これがなければいい教科書は出てこないのです。それにはやはり実際扱うそういう先生たちが集まって教科書の研究をする、こういう形がとられなければならない。それもおそらく今後だんだん先生の意欲がなくなるから、文部省のほうからいろんな資料を出して教科書研究会をやれというふうなものを教育委員会に指令をして、教育委員会からそういう計画が出されて、しかたなく先生たちが行く。教科書研究会はでき上がるかもしれませんが、ほんとうに自分から発意して教科書研究をするというふうな形はおそらくとら駐ないと思う。だから一貫してずっと局長の答弁を聞いておれば、みんなちぐはぐの考えで、一貫していないのです。あなたのような考えで、文部省のような考えでもってこの法案を出し、また教師に対して採択権というものを無視するような態度であるならば、もう展示会なんというのはやめていいわけなんです。そうして教育委員会の一部の人たちが見るだけの展示会がどこかにつくられればいい。それも県でもってきめられてくるのだから、下のほうの人たちが見ておいたってこれは意味がないのです。私はそう考えますが、あくまでもいままでと同じような展示会が継続でき、そうしていまおっしゃるような教科書の研究というものがなされる、こういうふうに考えておられますか。
  166. 福田繁

    ○福田政府委員 おことばを返すようで恐縮でございますが、けさほどの御質問の中にもございましたように、やはり教師は教科書について研究する意欲というか執念を持っておるというようなおことばがあったように記憶いたします。そういうことから考えまして、私どもは展示会が不要なものだとは考えていないのでございます。やはり現場の学校においては教科書の研究というものは相当盛んに行なわれるものと考えております。
  167. 小林信一

    ○小林(信)委員 どうしてそういう考えが出てくるのか、私には納得できないのです。確かに先生にはそういう執念があります。それは先日の参考人のあの姿を見ても十分わかるわけです。それが生命なんです。そうすることが生命なんです。ところが文部省はそれを奪おうとしておるわけなんです。そういう教育を無視しようとしておるわけなんです。それでもなお先生たちは教科書に対して、展示会に行ってどの教科書がいいか――これは展示会に行くのは教科書の研究とは違うと思うのです。そういう意味で行くのはもう意味がないのですから、自分たちが選択するのではないのだから、ただ教科書の研究企画をするという意味ならあるかもしれないが、選ぶための展示会ではなくなるわけです。そこは非常に見解の違うところですから、やってごらんなさい。どっちのほうがほんとうであるか、おそらくそういうものはなくなってしまう。それがなくなるということは、結局日本の教育というものが没落することですよ。まだ展示会を開いて、こういう採択権を奪った形でも先生が行く、これは全く望ましいことですが、おそらく私はそういう意欲はなくなってくると思う。その意欲を、そういう執念というものを教育行政の中で燃やしてやるということを考えなければいけない。だから私はそうなれば教育委員会が採択する場合には、教師の意見を聞かなければならないというせめてそれくらいのものをどっかにちゃんと明示しておきなさい。そうすれば展示会にも行くでしょうし、研究会も行なわれると思う。ところが文部大臣にそれを言ったら文部大臣はその必要はないと言う。だから結局結果を見る以外にないと思います。  その次にお伺いいたしますが、教科書会社を少なくしよう、それから発行種類を少なくしようという傾向は、これは十分見られるわけなんですが、そういう点からある会社が、いままでは国語の教科書は発行しておらなかった、ところが今度は国語の教科書も発行したい、つまり新規の検定を受けてもらおうというような場合には、今後なるべくこれを差し控えるかあるいはそれを拒否するかというような点がだいぶ業者には心配されておるのですが、この点はどうですか。
  168. 福田繁

    ○福田政府委員 現存の会社につきまして、新しいものを出すのを拒否するというようなことはございません。今後も新しいものが出る場合もございますし、従来のものを改善するということも当然あるわけでございます。
  169. 小林信一

    ○小林(信)委員 こういう事実があるのですね。ある一つの発行をしておった。ところがあまり売れ行きがよくないとかあるいはもうもうからないからやらないというふうに、発行しておったものをあきらめるような人たちがあるんだそうです。そういう場合には、その発行しておった権利を大きな会社へ売る。そうするとそこがその種類の発行権を持つというふうな話を聞いたんですが、そうするとやはり新規のものは受け付けない、そうしていままで採算がとれなかったりするような小さなものは、だんだん大きな会社の系列に入る、あるいは小さな会社が大きな会社に買収されるというふうな形で、いわゆる教科書会社の独占的な系列的なものができ上がるんじゃないか、こういう心配をしておりますが、この点はどうですか。
  170. 福田繁

    ○福田政府委員 将来の問題として、私どもはその辺ははたしてどういうぐあいになるのかわかりませんけれども、御指摘になりましたようなことを言っている向きもあるやに聞いております。しかしながら現実にそういうことがいま現在行なわれておるとは考えておりません。
  171. 小林信一

    ○小林(信)委員 一つの発行権というか――発行権ということは別にないのでしょうが、発行しておった権利、それを売るというふうなことはあったかなかったか。
  172. 福田繁

    ○福田政府委員 版権を譲渡したものが一件あるそうでございます。
  173. 小林信一

    ○小林(信)委員 私は、この法案が、おそらくそういうものを促進さして、そしてあるやに聞いておるというそういうものが実現してだんだん大きい会社がこの法案を理由に小さい会社を買収する、あるいは系列に入れるというふうな形で、現にそういう会社もなかったわけじゃないのですが、そうして大会社がだんだん小さいものを集約して、そして数社というふうなものが、わずかな会社が残って、そして教科書会社というものは、いわゆる独占的な形をとるんじゃないか、一方においては発行のいろいろな指定の条件というものを備えておる、さっき問題になりましたような、政令でもって今後定められてくるというふうな、まことに危険なものもあるわけでございまして、こういうようなものが悪用されれば、それと呼応してますます教科書会社というものは大きなものに統一される、こういう心配があると思うのですが、新規の受付をするかしないかというのは、非常にそこは問題でございまして、もしないとするならば、そういう危険が少なくなるけれども、新規のものを受け付けない、既得権というものを認めて受け付けないということになれば、これは非常にその独占化を促進するものだ、こう考えて実はお伺いしたものでございます。  その次に採択をしてもらって、それを返上したというものはありますかどうか。
  174. 福田繁

    ○福田政府委員 毎年一、二件程度はあるそうでございます。
  175. 小林信一

    ○小林(信)委員 この法案が施行されるようになったら、その問題は多くなるか少なくなるか、どういう見当をつけていますか。
  176. 福田繁

    ○福田政府委員 その点は特に変化はないと思っております。と申しますのは、先ほども申し上げましたように、大体一採択地区で採択されますと、少なくとも三、四万はまとまるわけでございます。そういった意味で、もしそれが採択されたということになりますと、それによって発行の指示が行なわれるわけでございますから、従来と変わりはなかろうと考えます。
  177. 小林信一

    ○小林(信)委員 その返上した場合、いままでもあったというのですから、あるいは今後もあるかもしれません。局長の言うように、最低三、四万だ。だから最低三、四万あったらそれは採算がとれるから、採択返上ということはないだろう、こうおっしゃるけれども、それは従来の機構でもってつくられる教科書であって、さっき話がありましたように、金融等の面で非常に苦しめられる、そういうふうな特殊な事情考えますと、私は必ずしも従来の程度でなくて、もっとより以上の採択返上というものが出てくると思うのです。そうした場合に、学校等は非常に迷惑するわけですが、その場合にはどういうふうにいままで処置されたか、今後どういうふうに処置されるつもりかお伺いします。
  178. 福田繁

    ○福田政府委員 従来は非常に少部数の、何千部というような採択部数のものがあったことは申し上げたことでございますが、そういった場合に採択を返上するということになりますと、私どもとしては教育委員会のほうに連絡しまして、そして他の会社の教科書を、別のものを採択してもらう。それによって応急に発行会社のほうに発行の指示をする、追加をするというような処置をとってまいりました。今後におきましても、もしそういう事例が出てまいりました場合におきましては、同じやり方をするわけでございます。
  179. 小林信一

    ○小林(信)委員 採択の指令というのは十月ですね。十月出てきてそれからいろいろな事情でもって返上しなければならぬというふうになってきて、来年の三月までそういうものが間に合うかどうか。簡単に教育委員会意見を出して、そしてもう一ぺんほかの本を選んでこい、こういうふうにおっしゃるのですが、こういう点は今後無償制度になる、四月一日には始業式に間に合うように教科書をやろう、こういうふうな計画の中で出しますと、非常に困難であると思うし、私の想像ではいろいろな面からは採択返上というようなことは多く出てくるような気がいたしますが、そういう面についての配慮というものは、教育委員会に言いつけるというだけならばこれはいかんともしがたいと思うのですが、非常にめんどうになってくると思うのです。  それから供給問題ですが、これは先日もその代表者に来てもらって、多少意見を聞いたんですが、これは建議書の中でも、供給はやはりもっと合理的に組み立てられなければならない、こういっておりますが、文部省はこれに対してどういうお考えをお持ちですか。
  180. 福田繁

    ○福田政府委員 建議の中では、現在の供給機構についてさらに将来検討すべき問題のあることは御指摘になっております。しかしながら、この無償措置実施されるにあたりまして配給機構に混乱を生じては困りますので、そういった観点から十分現行の供給機構を尊重してこれを利用するのが適当だ、こういうような答申をいただいております。したがって私どもとしては現在の供給機構を、無償実施について従来と同じような役割を果たしてもらおうということにつきましては十分尊重していきたい、かように考えております。
  181. 小林信一

    ○小林(信)委員 いろいろ供給事情というものを調査してみたのですが、実にわずかな手間で、しかも教科書の過不足というものを調整する非常な苦労しておる機関、この機関が十分な能力というものを持っておらなければ業者にむだをさせるか、さもなければ実際教科書を使う子供たちを犠牲にするかというふうな大きな問題だと思うのですよ。供給公団というふうなものをつくるやに私たちは聞いておるのですが、しかしそういうものをつくるよりも、もっといまの供給業者、供給に関係しておる人たちを、それでもってなりわいを立てているわけなんですから、もっと指導をして、そうして組織を強化し、その使命を全うさせるように指導すべきじゃないか、こう思うのですが、答申案のほうではこれは将来変えるべきだというようなものが出ておりまして、あの人たちもいま一生懸命やっておりますが、しかし現状ではおそらくこれから全部の教科書が供給されるようになると、問題が大きくて、やがては取りつぶしというようなことになって公団をもってかえるというような形になりやしないかと思いますが、私はいまのうちにもっと自主性を持って組織を強化する、改造するというふうな指導がこれらの人たちに必要だと思うのです。まかしておくということではなく、指導する必要がある、こう思っておるわけであります。そこで、先日も代表の人にお聞きしたのですが、一体あなた方は自分たちの利潤というのをどういうふうに算定をしたかと聞いたのですが、はっきり答えなかった。これはやはり業者自体でなくて、文部省かあるいは大蔵省、そういうところでもってその手数料というものは決定するのですか。
  182. 福田繁

    ○福田政府委員 手数料はもちろん価格と一緒に検討されるべきものでございます。したがって、今後の問題については先ほども教科書の定価について、これを検討するということを申し上げたわけでございます。その際に供給のマージンにつきましても将来検討していきたいと考えております。  なお、配給公団をつくる云々というおことばがございましたが、そういう意見国会におきましても出ておりません。また文部省としてもそういうことを言明したこともございませんし、何かの間違いであろうと思います。ただ、昨年一部から教育委員会の機構を使って教科書の供給を行なってはどうか、こういうような意見が出たことはございました。その際に、私どもとしては、教育委員会自体行政機関でございますので、こういう教科書の配給機構を業務に加えるということは困難である、しかもそういうことによって配給の円滑化をはかりましても混乱が起きますし、またそれにもしそういうことを仮定した場合に、相当な人員と経費を要するわけでございます。むしろ現在の供給機構を利用したほうがより能率的だという結論に達しましたので、そういう人たちには私はそういう観点から意見を申し上げてきたわけであります。配給公団云々ということが出たことはございません。
  183. 小林信一

    ○小林(信)委員 配給公団ということは私も言わなかったのですが、そういう公団的なものを考えておるんじゃないかというように私ども聞いておったのですが、いま最後にお聞きしたのは利潤の決定、これはどういうふうに決定するか、この点をもう一ぺん御説明願います。
  184. 福田繁

    ○福田政府委員 これは現在の教科書の定価の中で、配給機構に払っております手数料は取次供給所、特約供給所合わせまして一六%でございます。その中で四%は特約供給所に支払い、一二%は取次所に払っておるような状況でございます。これはそれぞれ供給会社が払うというたてまえになっております。したがって今後価格を決定します際には、無償になりまして、今後の問題としては、教科書の定価全体の問題と関連して検討するのが適当だと考えております。
  185. 小林信一

    ○小林(信)委員 今度の四%下げたというのは、大蔵省の方で下げるわけでしょう。
  186. 福田繁

    ○福田政府委員 予算的に申しますと大蔵省が認めたわけでございますが、この四%引き下げにつきましては教科用図書分科審議会において価格を検討いたしました。そして昨年価格を引き上げました際には、この供給機構のマージンについては検討いたしていなかったのでございます。したがって今度一年生の教科書無償につきまして、これを実施するに際しまして十分検討して、供給機構においては無償実施に伴いまして業態が変わってくるわけであります。たとえば代金回収業務などというのは従来の供給機構の業務の中で相当大きな比重を占める業務でございます。これはほとんどなくなる、そのかわりいろいろ書類をつくったりあるいは内部管理その他につきましてはふえる業務もございます。そういたしまして当然減る仕事あるいはふえる仕事、そういうものを十分検討いたしまして、これは業務の縮減の見方として、実際労働時間の縮減を見まして、現在の時間数に対して何%減るかというような算定をこまかくいたしました結果、それぞれ特約供給所におきます業務も、取次供給所における業務も大体二五%程度は引き下げてもしかるべきものだ、こういうような建議がなされたわけであります。したがってこの建議の線に沿いまして大体二五%、すなわち四分の一程度の引き下げをいたしました。その結果特約供給所におきましては四%の手数料が三%になり、取次供給数における一二%の手数数が九%になった、こういう関係でございます。
  187. 小林信一

    ○小林(信)委員 私は実際その手数料がどれだけが至当であって、四%を削られたということがはたして妥当であるかどうかということは知りません。ただ、そういう配給機構の人たちが自主性がなくて、何でもかんでも教科書を安くしようという意図からあそこにまでそういうしわ寄せが行なわれ、出版業者のほうには、よい教科書をつくろうと思ってもよい教科書をつくることができないような、そういう押えつけが本を安くしろという点から出てくる。その仕事をする人たちにも有無を言わせずに、その手数料を安くさせるというような形では今後教科書というものは、私はますます悪くなる、こういう心配をするわけなんです。四%の問題も、従来のものから考えれば、非常に手数が省けるとか、あるいは金融の問題も心配しなくて済むというようなことだと言われるのですが、いままで出版会社に金融をした場合に、ちゃんと利息をとっているわけなんですね。だから多少の手間はあったかもしれないけれども、決して損をしておったわけじゃない、事務的なものでは、今日のほうがよほど責任が生まれ、さらに複雑な事務を文部省あるいは教育委員会学校というふうな工合にいろんなものが回ってくる。まあ供給関係の人たちから話を聞きますと、実にわずらわしい。教育委員会でなくて、出版会社、供給会社、学校、こういう関係でもって、もし仕事をさしてくれるならば、もっと能率が上がるし、過不足の調整なんということもうまくできるんだというふうなことを言っておりましたが、とにかく全体的にこういう感じがするわけです。したがってもっと使命を十分に果たすことができるよう、供給関係者にもあるいは発行関係者にも、私は指導をする、そういう趣旨で臨むべきだ、こういうふうに考えるのです。  最後に、私は大臣にお伺いをしてやめるものですが、非常に長い時間この教科書無償法案というものを審議してきましたが、しかし大臣考えとわれわれの考えでは、相いれないものが、将来やってみればわかるということでもって、結論をつける以外にないというふうなことにもなりますが、私はこの際教科書だけの問題でなくて、教育行政全般の問題を考えて、特にこの採択というものが広域採択になる、そしてよい教科書をつくるということに努力をしなきゃならぬという使命を考えたときに、いまの教育委員会制度のいわゆる教育委員の任命制というもの、これを解いて、公選制にするというふうな考えがあるとするならば、ややこの広域採択の問題の不安が除けるわけなんですが、いまの教育委員会、任命された教育委員では残念ながらこれを扱って、おそらくまた日本の恥をさらすような教科書汚職問題をつくる気がしてならないわけなんです。明治三十何年かのときにも問題になったのは、知事とそして視学、こういう人たちがあの問題に巻き込まれて、天下の汚職問題を起こしたわけなんです。私はおそらく心ない教育委員は、業者の勧誘あるいは宣伝というようなものにかかって、そして彼らが罰せられることは私はかまいませんが、日本の子供たちに与える影響というものを考えると、寒心にたえないものがあるわけなんですが、ただ教科書だけの問題でなく、教育行政の中でも最近、これは文部省はそんなことはないとおっしゃるかもしれませんけれども、だんだん文部省のいわゆる中央集権的な方向に教育委員会というものがなってきて、非常に権力的になってきておる。教師にほんとうにまじめな教育をさせるということでなくて、かえって教育委員に迎合するようなそういう教師をもってよき教師とするというふうな傾向が出てきておるということは、非常にこれも心配にたえないところなんです。ここら辺でよく教育行政の責任を感じて、任命制というものを廃止する気持ちが大臣にないかどうか、まことにとっぴな質問でありますが、私はこの法案を審議しながら最初から最後まで考えたものは、これがもし任命制でなくて公選制のものであるならば問題ないが、こういうふうに考えておったわけなんですが、最後にこの点を大臣質問いたしまして、私の質問を終わらせていただきます。
  188. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 任命制の現行の教育委員選定のやり方を選挙制度に変えねばならないという必要性は、私はただいまのところ感じておりません。任命制なるがゆえに汚職が心配だという仰せもあったようですが、これは任命制であろうと、選挙であろうと同じことだと思います。その人の心がまえによることであろうと思うのであります。また任命制になったから質が低下するなどということでなくて、質が低下するということありせば、これは地方の公共団体の執行部ないしは議会の見識に誤りがあるから、結果的にはそういうことが起こるであろう。起こったものについては住民が審判して是正させるという権限は持っているわけでございますから、それに依存すべきものではなかろうか。むしろ任命制でございましょうとも、質を向上せしめ、行政機関の構成員としての教育委員それ自体、一人一人がほんとうにいい教育を先生ともどもやっていくための使命を感じ、実践していくというふうにそれぞれの公共団体の住民が監督をし、激励をしていくべき課題だと思うのであります。
  189. 小林信一

    ○小林(信)委員 もしよい教育委員が出ておらなければその首長の責任で、そこに追及があってしかるべきだ、こんなふうに簡単にお考えになっておりますが、そういうものを、監督はどうか知りませんが、そういう点について助言、指導するのはこれは文部大臣であって、常にそういう情勢にあるかどうか、全国的に文部大臣の関心というものは常に注がれておらなければならないものだと思うのですよ。いまのように簡単に首長の能力があるかないかが問題だ、そんな問題じゃないのです。それが文部大臣の責任においてそういうことがなされないように、そういうものが任命されないようにしなければ、だれが法律をつくったのです。文部省がつくった法律なんです。あの中にもはっきり書いてありますね。同じ政党に属する者が二名以上おってはいかぬ、そんなものがいま全国ではっきり守られておりますか。そうしてそういう者の政治活動は禁止されておる。しかしそれをほんとうに守っている教育委員が何人ありますか。もう政党の問題も、政治活動の問題も公然と行なわれておるわけなんです。それをただもしそういうふうな教育委員が出るとするならば、そこの首長の責任が云々だというふうなことでほうっておけない問題だと思うのです。私はただ教科書の採択の問題だけではない。これに関連してあらゆる教育行政を眺めるときに、私は必要ないとおっしゃるけれども、任命制のどこにいいところが生まれてきているか、ということはかえって大臣に聞きたいほうなんです。しかしこれは論議してもしかたがないと思いますので、ただいまの御答弁で私は終わります。
  190. 床次徳二

    床次委員長 山中吾郎君。
  191. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 同僚の各議員がいろいろの角度から質問をされてきたので重複するところがあれば重複したとお答え願ってけっこうです。私は政府答弁と事実が合っていないのではないかということと、それから政府答弁にあやまちがあるのではないというふうな私自身の受け取り方、そういう点を中心にしてお聞きいたしたいと思います。  まずその前に文部大臣基本的な考え方をお聞きしておかないと、私の質問が発展をしないので、お聞きしておきたいと思います。  第一点は、荒木文部大臣国定教科書制度にほんとうに賛成なのか、ほんとうに不賛成なのか、それを伺っておきます。
  192. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 ほんとうに不賛成でございます。
  193. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 明確にお答え願ったのですが、局長にお聞きいたします。  文部省で作成した「義務教育学校児童生徒に対する教科書無償給与実施要綱案問題点」、「教科書無償給与等に関する法律案要綱」、これは御記憶にありますか。
  194. 福田繁

    ○福田政府委員 毎年出しております実施要綱でございますれば記憶はございます。
  195. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 問題点についてはどうです。
  196. 福田繁

    ○福田政府委員 ちょっとその内容を拝見いたしませんとわかりませんが、記憶ございません。
  197. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そういうものを発表したかどうか。これは表題です。
  198. 福田繁

    ○福田政府委員 内容をよく存じません。
  199. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 内容のことを聞いておるのでなくて、そういう表題の文書を、無償教科書の予算折衝の一つの資料として文部省で作成された事実があるかどうかを聞いておるのです。内容のことは、あなたは局長でえらいんだから、一々読んでおるか、読んでないかは聞いておるのではないのです。
  200. 福田繁

    ○福田政府委員 私になりましてから、御指摘になりましたようなものは記憶ございません。
  201. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 課長にお聞きします。
  202. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 ただいま御質問に出ておりました問題点というようなものは、当初義務教育無償の問題が取り上げられましたときにわれわれが資料としてつくった記憶がございます。
  203. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 これの二の(一)、「義務教育教科書については、国定化の論もあるが、現在検定は学習指導要領の基準に則り厳格に実施されているので、内容面においては実質的には国定と同一である。またかりに、名実ともに国定とするためには検定教科書について著作権の買上げ等の方法による補値を行なう必要があり、そのためには莫大なる経費を要する。」、こういう文章がありますが、これは局長は読んでいないですか。
  204. 福田繁

    ○福田政府委員 お手元にお持ちのようなものにつきましては、読んでおりません。
  205. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 課長は。
  206. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 それと同一であったかどうかわかりませんけれども、そういう趣旨のものを資料としてつくった記憶はございます。
  207. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 その次の(二)、「今後企業の許可制実施及び広域採択方式整備のための行政指導を行なえば、国定にしなくても五種程度に統一しうる見込みであるので国定の長所を取り入れることは現制度においても可能である。」、これは局長どうです。
  208. 福田繁

    ○福田政府委員 記憶ございません。
  209. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 課長は。
  210. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 先ほどの場合と同様でございます。
  211. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 たいてい主管課のほうで起案をするのでしょうから、記憶があるというので、これは書いたということは間違いないようです。  そこで荒木文部大臣基本的な問題を聞きます。ほんとうに国定制度には反対であるというのか。文部省の部局においては無償給与実施要綱案問題点として、課長が、そういうものを書いた記憶がある、こう言っておるのです。それは現在は国定と同一の目的を果たしておる。そう言っておるならば、あなたの言っておることとこの文書は全然相反する二重人格じゃないですか。だから法案にこういう矛盾した方向性が出てくるのであると私は思うのですが、うそを言っては困りますよ。明確にしてください。
  212. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 ほんとうに国定には反対であります。ですからいま御審議願っているような法案を、この前御審議願った根本の態度と一緒に御審議を願っておるゆえんでございます。教科書の発行制度その他現行の法律に基礎を置いてやっていこうという態度を法案を通じてお示し申し上げておるので、御了解をいただけるかと思います。  ついでながら申し上げておきますが、さっき御指摘になった、担当課長が御答弁申し上げておったようなことは、私は知りませんけれども、あり得ると思います。そういうものがあり得たであろう。それは世間にもございますが、与党内にも一時国定教科露のほうがいいのじゃないかということを言っておられたのを仄聞したことがあります。国民一般の中にも、いまでもそんなふうに言われる方があることも知っております。そういう説はあるでしょうけれども国定というその定義はほんとうはむずかしいことと思いますけれども、いわば文部大臣が、文部省が著作権を持って余部一種類にしてしまうということがいわゆる国定だというならば、いまそんなものを考えておる人は与党でもほとんどないと思います。私自身はもちろん先刻来申し上げておるとおりであります。  そこで国定教科書といわれるものには反対で、しかも無償措置を講ずるについていろいろな方面で国定論というものがある場合に、それに説明を加える一つの手段として、そんなふうなものがあるいは一時の説明材料としてつくられたかもしれない。あり得たであろうというのはその意味でございます。そのことが文部省の方針であり、私の考えであるなどということとは全然関係がございません。  さらに実質上国定みたいなものだということは、この委員会でどなたかの御質問に私は申し上げたことがございます。その意味は、現行学校教育法第二十一条以下に、義務教育ないしは中等教育学校において使います教科書というものは、検定を受けたもの以外は使ってはならないとある。しからずんば著作権を文部省が持っておるものに限るということそれ自体、この検定のものさしは毎度申し上げますように、第二十条以下に根拠を持っておる学習指導要領ということで、これは文部大臣が責任を持って国民に対しようという法律上の命令によって職責としてなしておる。そのことが教科書会社の自由かってに編さんしたものにまかされないでおるという点だけを取り上げますならば、国の立場で全国民に責任を負うという立場に立っての検定、またそのもとをなす学習指導要領を定めておるということは、ある意味においては、その部分に関する限りは国定と言えないことはなかろう、こういう意味合いで御答弁申し上げたことがございます。それ以上のことを考えたことはありませんし、今後も考えようとは思いません。
  213. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 形式的には国定制度はとらぬが、実質的には国定と同様の効力を発揮するようにするという意味でそうなっておるということが書いてある。これはだれが読んでも、国語の先生を呼んで聞けばわかる。だから荒木文部大臣政治答弁ですよ。ここに書証がある。それでこの要綱は、文部省の所管においてはどこまで判こを押すのですか、この代理規程はどういうことになっておるのか、これを局長に聞きます。
  214. 福田繁

    ○福田政府委員 私は存じませんが、そういう内部的な資料について、一々決裁をとるとか判こを押すとかいう問題は、なかろと思います。
  215. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 どこかに残っていますよ。そんなことは、ぼくにはうそを言えませんよ。課長、どこまで判こを押していますか。
  216. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 先ほども申し上げましたように、それは資料として作成いたしましたので、決裁はとっておりません。それははっきりしております。
  217. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 これはだれが起案したのですか。私は善意に解釈すれば、大蔵省から予算をとるために、与党にこういうふうに書かないと、無償教科書ができないからこれを書いたのだと言うなら、まだ正直でいいですよ。それはほんとうはそういうことを考えていないのだが、予算をとるために、こういうことを書かざるを得ない、うそ言って書いたのだと言うなら、まだ認めますよ。どっちなんです。それ以外正直な答弁にならないですよ。
  218. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 露骨に言えば、大体そんなところじゃないだろうかというふうに想像するわけであります。(笑声)それはさっきも申し上げましたが、ある段階ではそんなふうなことがささやかれておったことは私も知っております。しかし、その資料が文部省基本的なものの考え方であると御理解いただくことは誤解であって、先刻来申し上げておるのが真相であります。あえて政治的にごまかして申し上げておる気持ちもなければ、そういう内容でもむろんない。むしろ法律的に申し上げておる。文部省として国会良心的にお答え申し上げておる内容が、以上のとおりであります。
  219. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 私は模範的審議をするという方針で質問いたしておるので、うそは言わないほうがいいと思うがいまのようにそうかもしれぬと言うなら、私はそれのほうが模範的審議になると思って、けっこうです。ところが法案の構成に、いわゆる国定に近づけるということが入っておるから、今度はこの要綱及び問題点自体一つの手段として考えた。それは課長などは苦心をするから、そういうことをするだろうと思う。それでわかるのだが、さて、法案自体の中にそういう体臭が入ってきておる。そうすると、これはうそでないということになると、これはまたあとでひとつ審議をしていきたいと思います。  さらに第二点、文部大臣基本的な問題としてお聞きします。検定制度をとられておる。その検定権の限界、範囲はどういうものなのか、どこまで検定できるのであるか、検定する妥当なる範囲はどこまでですか。
  220. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 自信を持って正確に申し上げるあれがございませんけれども、先刻ちょっと申し上げましたように、検定そのもののものさしは一応学習指導要領、これをものさしとして検定が行なわるべきもの、かように思っております。
  221. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 前に村山委員だったか、基本的な考え方として、文部大臣教科書観はどうかという質問に対して、文部大臣憲法教育基本法を基準として作成されたるものだ、こういうふうにお答えになったと思うのですが、間違いないですか。
  222. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 お答えしました。それはいまお答えしましたものの内容にさかのぼって、一番根源だけを申し上げればそういうことになると思います。
  223. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 学習指導要領憲法教育基本法趣旨に反した学習指導要領になる可能性は、これはあるわけです。憲法教育基本法がここにある、そして具体的にその憲法教育基本法精神の発展として学習指導要領ができるのが正しいのであるけれども学習指導要領憲法の規定、教育基本法精神と離れて、学習指導要領を守ろうとすれば教育基本法から離れてくる、そういう学習指導要領が生まれる可能性は行政的にあると思うのですが、それはそういうふうに思いますか。
  224. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 そういう概念的に可能性なしとは申し上げられませんけれども、ないように指導していく、処置する責任が文部大臣にあると思います。言いかえれば、憲法なり教育基本法趣旨に反した部分を持っている学習指導要領は、その部分において間違っている、改正されねばならぬ、そういう問題だと思います。
  225. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 現在の指導要領は、それに忠実になると、どうも憲法教育基本法に忠実になれないことになっているというのが、著述経験者の苦しい、不平を言っていることですが、私、学習指導要領を全部読んでいないので、いまここでこうだということは言えないから、この点は申し上げませんけれども憲法教育基本法に沿った学習指導要領前提として、学習指導要領を基準として検定をするというのでなければ、私はそこにうそが出てくると思う。そこに高山さんがいるけれども、現在の指導要領と憲法教育基本法とを比較して、指導要領はうまくいっているというふうに、これはここで確信を持って言えますか、それだけ聞いておきます。
  226. 高山政雄

    ○高山説明員 さように思っております。
  227. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 あと事実に合わないときには、次に質問します。ところが検定をする場合については、その教科書をつくった著述者からいえば、学問の自由、思想の自由、検閲禁止の憲法の規定、そういういろいろの著述についての憲法上の保護があるわけですから、そういう意味において、国が行なう検定の限界は、単純に指導要領に基ついて教科書を見るということのほかに、歴史なら歴史についての歴史観というものがあるわけですが、その歴史観を修正するということは、検定権の中に入るか入らないか、これは端的に、文部大臣からお聞きしておきたいと思います。
  228. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これは、どうも専門的になってお答えいたしかねますが、心がまえは、先刻申し上げたとおりの心がまえで検定が行なわれねばならない、こう思います。
  229. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 お答えにならないのですがね。指導要領には歴史観など書いてないのだから。教材の配列、どういうものを教えなければならぬというふうなことだけでして、学問の自由、思想の自由、表現、出版の自由、あるいは検閲禁止の事項、そういうものを含めて、検定権についてはその立場からの一つの限界がなければならぬので、たとえば具体的に、歴史の書物についての歴史観について、それを修正せしめるというのは、検定権の外にあるのじゃないか、そう思うのですが、それについてずばりとお答え願いたいと思います。
  230. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これは、小中学校の児童生徒の知能、感受性の発達段階に応じて、国民として義務教育の場において教育されねばならない内容が盛られておらねばならぬ、そのことも考慮に入れられた学習指導要領ができているものと、私は信じております。
  231. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それは、こういう事項を教えなければならぬということを書いているというお答えなんです。歴史観について、こういう歴史観はよろしくないということが、検定権の範囲にあるかないか。これは、あるということを言うならば、国定制度に対して賛成だという論理にならなければならぬ。あなたは国定制度に対しては反対なんだ。国定制度に対して検定制度というものがあり、検定制度に対して認定制度があり、ヨーロッパ諸国を見ても、そしてさらにイギリスのように、絶対タッチをしない自由制度があるわけです。そこで国定制度というものに対して反対だ、心の中から反対だとお答えになった。そうすると、検定権というもので、そういう歴史観というふうなものまで国が権力支配するならば、それは一番最初に言われたことがうそになると思うので、第二段として、検定権の限界、そういう歴史観まで検定権は及ばないということでないと、最初言ったのと、あとに言ったのと矛盾があるから、その点をずばりお聞きしておきたいと思う。事項をずっと書いてあるのは指導要領ですよ。どういう歴史観でなければならぬというようなことは何も指導要領に書いていないのです。
  232. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 歴史観というのが、皇国史観とかなんとか、ことばを聞いたことはありますが、皇国史観の立場で歴史というものはいかなるものであるか、私は知りません。歴史についてかりに私が言い得る限度内のことを申し上げれば、史実そのものが正しく子供には教えられるべきであろう、そう思います。
  233. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そうすると、まだ少しそれでお答えになっているのだが、歴史観というものは修正を加えるということはない、史実に合っているか、合っていないかということだけがやはり検定の限界だ。そうですか。間違いないですか、そうでしょう。
  234. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 どうも私はそうしかいまお答えいたしかねますが、種がございません。
  235. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 何といま答えられたのですか。史実に合っているか、合っていないかというのが検定の限界である、歴史観については検定権の外にある、こういうことですね。
  236. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 その範囲は歴史学者が甲論乙駁する範囲であって、それらの学者的な論議義務教育教科書の中に、ある説を持ってくるということは検定の範囲外のことで、検定された教科書にそんなものは持ち来たすべきじゃない、こう思います。
  237. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 どんな歴史の書物だって、何らかの歴史観があるのですよ。事実に合っているか、合っていないかということに間違いがあれば、それは直さねばならぬ。しかし、たとえば豊臣秀吉なら豊臣秀吉、戦国時代なら戦国時代、あるいは鎌倉時代の文化を見て、どういう角度でこれを叙述するかといえば、これは歴史観でしょう。だれだってあるじゃないですか。それを修正する権限が検定権の中にあるかないかということをお聞きしているのです。
  238. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これは現に映画なり録音にとられているものがあるわけじゃございません。いろいろの残された文献によって、歴史上の史実であるかどうかということを学者が研究して、それが学者の通説である限りにおいては客観性あり、という問題は私は多々あろうと思います。そういう意味においての史実というものは児童生徒に教えられてしかるべきだ、論議があって、どっちがほんとうかわからないやつを、どっち側かに軍配を上げてこうだというふうなことは、検定の態度としては適切じゃない、そういうものだろうと思いますが……。
  239. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そういうものだろうと思いますで日本の教科書を検定する責任者では困るので、事実というものにあやまちがない限りについては政治史的な見方もあろうし、文化史的な見方もあろうし、経済史観もあるし、そういうことなら、私は十二時までやります。歴史観というものを修正し、それを押えていくのなら、これは思想の自由、憲法の自由に入ってくるから、検定権は憲法思想の自由の上にあるかどうかということを聞いている。たいへんな問題なんです。
  240. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 その意味でございますれば、冒頭のお尋ねに対してお答え申し上げたとおり、憲法教育基本法、それらの趣旨に沿って制定されておる法令の範囲内において検定が行なわるべきものだ、それで尽きておると思います。
  241. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 憲法の中に思想の自由があるのだから、憲法に従ってというなら思想の自由を守って思想の自由を侵さない、こういう解釈でいいのですか。また憲法基本法とに戻ったから、その憲法の中に思想の自由が入っているのですね。それでいいのですか。これは明確にしておかないと、この法案には直接検定のことが書いてないから基本的に聞いているので、もっと簡単に。私はあげ足をとる気も何もないのですからさっと言ってください。
  242. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 簡単に申し上げていまのお答えで尽きておると思いますが、思想の自由を侵す権限文部大臣の検定権の中にあるはずがないと思います。
  243. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それでけっこうです。次にどの教科書を先生が使用するかどうかというのは教育の問題ですか、行政の問題ですか。
  244. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 文部大臣が検定しました教科書が種類がたくさんある。その中である行政区域内の学校においてどれを選定するかということそのものは、いわゆる採択行為というものは行政行為であって、教育活動それ自体ではない、こう思います。
  245. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それはおかしいでしょう。どの教科書を使うかということは、これはもう教育活動の着手ではないですか、着手でしょう。文部大臣がこの教科書はどの教科書を使ってもよろしいというのが検定ではないですか。そこで先生が自分の教育計画に基づいてこの教科書を選ぶということは教育活動の着手ではないですか、どこが行政なんですか。
  246. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 一人一人の先生が種類のある教科書の中で、自分が教えるとすればこれが望ましいということを考え、できることならそれを選んで教えるということが可能である限りは、むろんそれは教育活動それ自体だと思います。
  247. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それをどうして教育行政機関に取り上げるんですか、教育活動を法案は取り上げているじゃないですか。
  248. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 それは午前中の御質問にも関連してお答えしたと思いますが、理想的にと申しますか、教科書をどれを選ぶかということに関連する教育活動の内容だということはいま申し上げたとおりですけれども、具体的にそれを各教師一人一人が教育活動そのものとして最終的に選ばねばならないということにするかどうかというのは、これは行政の問題であって、もしそういうふうにすると仮定しますならば、学校ごとに、クラスごとに全部違うということが起こり得る、そのことがはたして教科書というものが国の立場で検定されねばならない、検定ということで検定されたものだけが、種類はたくさんあるにしましても、必要なりとする前提からずっと考え合わせまして、極端にいま申し上げたとおり、クラスごとに、学校ごとにすべて異なるということは行政的に望ましきことではないと思います。教育活動それ自体として教師の立場におけるそれぞれの主観からいけばそれが望ましいかもしれないが、国全体から見た場合には、そのとおりにするということは妥当でない。そういう考え方に立って地方分権的に行なわれるという趣旨を貫きつつ、行政区域内の教科書がその教育行政をつかさどるところの教育委員会が採択するということによって確定する制度にいまなっているのだ、そういうことを先日来申し上げておるのであります。そうなっておると思います。
  249. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 極端な例で、各クラスごとに変わってはそれはそのとおり困るでしょう。だから教育行政機関、委員会が指導、助言権を与えているじゃありませんか、とってしまうということは教育をとることではないですか。あなたは教育活動と言ったではないですか。指導、助言、採択する全部をとってしまう法律ではないですか。そうしてしかも県までとってしまう、その半分は。そんなばかな教育的な政策なんというのはないです。いま文部大臣はどういう教科書を使うかということは、教育活動だという。教育なんです。しかしそれでは極端にいうと、各クラスごとに教科書がまちまちではこれはまた逆に教育上困る。そのために地方教育委員会は指導助言権がある。ところが、この法案はみなとってしまっているじゃないですか。ですから、あなたの言うことは論理的に矛盾ですよ。そうじゃないですか。
  250. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 それぞれを純粋に分析してみるとさつき申し上げたことになるわけですが、行政制度というのは、その折衷されたところに権利があると考えられた制度が現にある。そのことが今日まで、ずっとそのたえまえにおいて行なわれてきておるということを申し上げるわけであります。とにかくこの法案がベターだと思うこと自身は、教師それぞれの自由である。そのこと自体は、それをとり出して言うならば、教育活動のあらわれであることは、これはむろん疑いないと思います。議論するつもりはございませんけれども文部大臣が検定権を持っておるということにされておる。学習指導要領をつくらねばならない責任と権限が与えられておる。そのこと自体も、教育活動の根源をなす教育内容それ自体を取り扱っておるものだと思いますが、これも、行政権の範囲内において国民に責任を持ってそういうものをつくれという制度になっておると思います。さりとて、文部大臣が、ことに私なんかは教育のしろうとで、わからない者が、みずからつくれるはずがないが、国民に責任を負う以上は、日本一のよき先生たちにお願いして、実質的にはめくら判を押してもだいじょうぶだという衆知を集めて努力することによって学習指導要領というものを確定し、それに基づいて検定も行なわれる。教師も、基本線はそれに従って教育せねばならないという責任を国民に果たしておる姿だと思います。それと同じ意味において、区域はそれぞれの公共団体内で狭くはなりますけれども趣旨としては同じような考え方に立っておるのが現行制度である。その意味における採択権というものは教育委員会にあり、その採択します場合に、先刻申し上げた文部大臣の努力すべき、裏づけすべき良心的な努力が必要であることは、地方の教育委員会といえども同断だ。そして住民に対して責任を負う、そういうことだと思います。
  251. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 何のために検定をつくっているのですか。その検定をするときに、いわゆる指導要領に基づいて、この教科書は日本国民教育のために適当であるかいなかということをきめるので、その指導要領に基づいて適当だとつくられた教科書を、さらにどれを選ぶかということについて、どこに先生の責任が出るのですか。何の責任です。それは。ある教科書をどういうふうに教育するか、その教育する活動の中に偏向教育があったかいなかという論議ならわかる。そうではなくて、天下の文部大臣が責任を持ってこの教科書はよろしいとおきめになったのです。その中で、先生がこの教科書を使おうということについてどこに先生の責任があるのですか。教育委員会が、責任を持たないといけないから、国民に責任を持つために採択権を持たなければならぬという、どこにその論理が出ますか。何の責任もないじゃないですか。責任あるなら、どんな責任か言ってみて下さい。どれを使ってもよろしいというのが検定ですよ。それで先生が使ったから責任が出るなら、これはだまし打ちじゃないですか。だから先生がある教科書を使うということを教育委員会が責任を持たなければいかぬ。持つ責任はないじゃないですか。私はわからないです。わかるように説明してください。
  252. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 種類がたくさんできて、教科書会社が競争してよりよきものをつくらんとする努力に依存しつつ、種類をたくさん教科書をつくり上げるというたてまえで、地域ごとに選定をするというのは、それは地域の特性、地方分権の特性に立って、地域ごとの特色を数種類ある教科書の中から選ぶということは、それ自体教科書の地域的選定だと思うのであります。採択だと思うのであります。その意味における責任を教育委員会が待つ、その意味において採択の責任を持ちます教育委員会は、先刻も申し上げたとおり、これこそ現場の教師の意見を――たくさんいるであろうところの小中学校の先生方の意見を十分に時間をかけて聴取し、あるいはそのときにおいて聴取しながら誤りなきを期して、住民に対して、その地域で選んだもののよしあしについて責任を持つ、そういう意味教育委員会が採択権を持っておる、そういうことであります。
  253. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それは便宜的な問題でして、一定の地域において教科書が統一されて使われたほうがいいというのは、一種の政策論でしょう。その政策のために、いわゆるどの教科書を使おうかという先生の教育活動そのものをとってしまおうということは、違うと思うのです。そうならば学校が採択する。しかしその地域においては、その採択権を持っておる学校がよりよい採択協議会をつくって、そうして郡市に一つになるようにつとめなければならぬとか、あるいは行政的に指導するとかというならわかる。この法律はとってしまっているじゃないですか。先生は何もタッチできない。法文はそうでしょう。だから、私はこの法文は教育を殺すものだ。あまりにも便宜的じゃないですか、行政的に。それを私は申し上げておるのですよ。だから、広地域採択がいいかどうかという論議あとでします。それはそうならば、文部大臣が先生に、この教科書はいずれを使ってもけっこうですという意味において検定をされた。先生はこの教科書を使うということをきめる。しかしあとに政策的に、まちまちになっては行政上困るというならば、指導助言の部門において、あるいはその採択する先生の代表によって構成された何かの委員会組織を持って選びなさいというような法律ならわかる。そうでなくて、全部とっているじゃないですか。そんな法律をどうしておつくりになるのですか。理屈が立たないと思う。だから、この法案教育を殺すものである。一体、教育活動の着手を先生からとってしまって、あと中ごろから教育をしなさいというような法案だ。先生を蓄音機にするだけでしょう。自分が使う教科書を選ぶという立場をとってしまって、何が教育できますか。法律上とってしまう。指導の中において、一定の農村部なら農村部、漁村部なら漁村部においてこういう一定した教科書ということは、そんなことは黙っておっても、教師は良心的にだんだん一つになっていきますよ、教育条件が同じなら。こういう法案は一体文部省の発案なのか、だれか政治家が言われて、こんなことを言ってきたのか。これはほんとうは、一番最初は、有償のときには、ことに終戦直後皆さんが困っておるときに、転校するときに金がかかる、教科書を買うにもずいぶんと負担が重いんだ。それでPTAのほうから、なるたけ同じ教科書を使うようにしてもらえぬかという、教育の外からの要望であって、政治家がだんだんとそういうものが頭にぴんときて、何かもっと広く統一したらどうかという論が論議されておったことは事実である。しかし、教育の着手そのものである、どの教科書を使おうかという教師の立場をとってしまう手はないじゃないですか。そういう法案がここに歴然として出て、そうして文部大臣は、採択は教育委員会が責任を持つべきであるから一ところが、責任というのは私はわからない。検定に合格したものをどれをとるか、何の責任がありますか。だから、私はこの法律はわけのわからぬ法律だと思う。規定の仕方が根本的に違うでしょう。結果をそういう事実に持っていきたいなら、行政的便宜によらないで、学校が採択する。しかし学校はその地域に応じて、学校代表が寄って採択委員会をつくりなさい、そうしてこうしなさいという法律ならまだわかる。基本的に教育というものをつぶしておるじゃないですか。そう思わないですか。
  254. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 根本から教師の選択にまかせる制度でいくのならば、御説のようなことは理解できます。すでにして教科書というものは文部大臣が検定したものを使わねばならないということで、山中さんのおことばを拝借すれば、どれを使ってもよろしいということ、そのことを是認してかかる、前提に立ちます限りは、あとそれじゃどれを選ぶかということについて残されたものは何だ。地域的な特色、地方分権制度であるがゆえに、地域的な特色が比較的適切であると思われるものが選ばれるということ以外に、内容的に選ばれることはないと私は思います。そのゆえに地方教育行政機関たる教育委員会が、その地域において内容的には疑義のないはずであるところの検定済みの教科書を採択するという権限を政策的な立場において持って、一つも教師の教育活動を阻害するところはないと私は思います。
  255. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 政策的に一定の地域に同じ教科書を使うという方針でやりたいというならば、教師のどの教科書を使うという立場をとらないで法律をつくりなさいというのです。とっているじゃないですか、この法律は。そうすると、教育の問題と行政の問題をあまりにも便宜的に、無原則法律でつくれば何でもいいのだという思想になっている。どの教科書を使うかというのは先生だ。そういうことを確認をしたあとで、行政指導だけではうまくいかないとすれば、よりより採択委員会をつくらなければならぬという規定、これは政策的に私は反対ですよ。しかし法律で、どこかのところに学校が寄って採択委員会をつくって、この地域には同一に採択しなさい。――あくまでも学校単位、先生単位にすべきじゃないですか。ところが、先生にはそういう採択する権限は少しもないのだという。そういう答弁をされているのは、政策的にこれがいいかどうかということでなしに、教師観というもの、教育について全く無理解。通産大臣とか何大臣ならいいのですが、文部大臣ならば私はおかしいと思う。それを私は言っているので、この法案はどうしてもその理念において承服できないのです。出直してこなければいかぬと思うのです。  それからいま文部大臣行政一地域において教育的に見たならば一つ教科書でいいということが常識的に考えられるという答弁をされたのですが、これもおかしいと思うのです。私の住んでおる盛岡には市街地もあれば熊の出てくる場所もあるのですよ。沿岸都市においては山岳地帯の僻地とそれから漁村部があるのですよ。だから教育的に統一採択をするという場合については、漁村部の学校はずっと同じ教科書を持つということが先生がやれば出てきますよ。山間僻地なら山間僻地においてもいわゆる理科の教科書は出てくるはずです。一つ行政区というのは教育区じゃないのですから、自治体の行政区というものはさまざまな条件下にある。したがって受ける子供の立場から非常に教育条件のたくさんまじった一つ行政区、市町村をなしておるわけです。その市町村の中において一応現在市町村の行政区があるから、それを教育考えた地域と錯覚を起こして一本にすればいいのだ、そして採択権は地方教育委員会にあるのだ、そういう単純な考え方で一体教育推進になると思いますか。鹿児島でも岩手においても岡山においても、山岳地域の地域というのは大体似た教育条件が出ると思う。全国的にそういうところの採択を統一するということは、教育者をこのまま信頼しておればそうなると思う。この法案はそういう教育的な観点が一つもない。簡単に数書を選ぶ。先生はどうするんだ。一つの都市の中に市街地に住んでおる子供と、山の中の農村の子供とあるのですよ。学校が分校を含んで……。だからどの教科書を選ぶかというときに、そういう行政問題として単純に考えてこの法案を出して、便宜的な考えを持って法案を通せというわけにいかぬじゃないですか、どうですかそれは。
  256. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先刻申し上げたとおり、国の段階においては、教育活動のいわばもとになる、といいますか、教育活動それ自体からにじみ出るにあらずんば判定のできない本質を持った学習指導要領というものが行政官たる文部大臣の責任において国民に対して責任を負わなければならぬということでできております。すでに申し上げましたとおり、どれを使ってもその意味においては教育立場においてよろしいのだということで検定されたものができ上がっておる。それを次の段階においては地域的にどうするかという課題しか残されていないということを私は言い得ると思います。地方教育行政機関たる教育委員会は、さっきも申し上げたとおり、平素教育の現場における教師の意見等も十分に聞き、そうして地域的な特色等も教育立場に立って判断し、そうしてその地域においてはこれがよろしいということを良心的な判断の上に立って住民に責任を負う立場においての採択という権限と責任が与えられて何ら支障ないじゃないか。それはあたかもさっき申し上げた、国の立場において検定します。そのまたもとである学習指導要領を、法律に何も書きませんけれども、当然の裏づけの職責としてトップレベルの一番いいと信ずる人々に頼んで、いま申し上げた学習指導要領も検定ということもやらせるという責任体制のもとに国民にはこたえておる。それと同じことを規模を小さくして、教育行政機関として現に存在しておる教育委員会に期待し、かつ責任を持たせるということが私は本筋だと思います。
  257. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 トップレベルと言っても、教育委員はほとんど何も教育は知らないですよ。教科書だけは教科書を使った人しかわかりません。ほんとうは一年使って初めてその教科書はわかるのです。教員の代表をもって構成するならばまだわかるのですよ。そうじゃないですか。学識経験者に教科書のいい悪いはわかりっこないですよ。この法案はむちゃくちゃじゃないですか。それから行政区といいましても、十カ町村くらいある場合については、町村合併で元は農村であったものが漁村と一緒になっておる。十カ町村が沿岸の漁村だけでずっと同じ教科書を使うならば教育的に合理的です。そういういろいろ教育条件が違っておる行政区に一教科書を選定しなければならぬ、先生はタッチすることはできぬ法律のたてまえですよ。そうなっておるじゃないですか。行政権ということはどこの法律の中にもない。採択する責任、採択する事務、採択行為、この三つを考えて、この法案をつくるとき出直したらどうですか。採択行為は教員、事務は教育委員会、責任なんかどこにもないじゃないですか、教科書を採択するのに。文部大臣がこれがいい――しかもいいか悪いかわからぬ、これがいいとレッテルを張ったものを、そのうちから選んで何が責任ですか。どの責任ですか。そういうことの中で考えないで、行政機関に採択権があるということを、幾ら言っても突き通してこの法案に明確にしてきておる。局長は現行法に教育委員会に採択権があるということを何回も言っておる。いま一度その根拠を言ってください、簡単でいいから。
  258. 福田繁

    ○福田政府委員 市町村の教育委員会に採択権がございますのは、現行法の地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第二十三条を根拠にして申し上げておるのであります。
  259. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 前の旧地方教育委員会法の中にも同じ規定があったわけですが、文部省考え方は、時代とともにだんだん変わっているのですか。前と今とずっと一貫していますか。
  260. 福田繁

    ○福田政府委員 一貫しているつもりでございます。
  261. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 北岡さんが地方課長のときに、文部省田中教育局長が諮問を出して、北岡健二、斎藤正、木田宏、今村武俊の連名でつくった教育委員会の解説なんです。これは一問一答で文部省考え方を書いているのですが、教育委員会教科書を一種類に限定して採択をしなければならないかという問いに対して、答えとして、その必要はない、また、教科書学校がその運営に即して使用するものであるから、学校の意向を無視して一種類に限定することは妥当ではないと書いてある。一種類に限定するのはむしろ妥当ではないのだ、こういう思想がずっと流れてきておる。私らもそういうつもりできたはずなんです。いつの間に変わってきたのですか。いまの総務課長の木田君――これはちゃんと記録になっている。いつの間にか省議で会則を変更する何か審議をしたのですか。
  262. 福田繁

    ○福田政府委員 さようなことはございませんが、採択権自体の問題につきましては、先ほど申し上げましたように、第二十三条の一項の六号を根拠にいたしまして、「教科書その他の教材の取扱に関すること。」こういう規定がございます。したがいまして、教育委員会の職務権限といたしましては、そういった事務を管理し執行するというたてまえになっております。そういうことを根拠にいたしまして、市町村の教育委員会に採択権がある、こういう解釈をいたしておるわけでございます。
  263. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 採択権ということばは、ぼくが見ると、法律用語にないんだ。採択権というのはどういう定義ですか。採択権という熟語で論議しているのですが、だれが言い出して……。その採択権という論議は、先生は何も権限はないという結論を出して、教育を殺すような論議になっている。そういう指導がだんだん間違いを起こしてこの法律ができている。採択権という定義は何ですか。
  264. 福田繁

    ○福田政府委員 採択に関する権限とでも申しますか、それを一般に採択権といっているようでございますが、最終的に、学校で使用すべき教科書を決定する権限考えております。
  265. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 採択するのはだれですか。
  266. 福田繁

    ○福田政府委員 採択するのは教育委員会だと考えております。
  267. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そうすると、先生は……。
  268. 福田繁

    ○福田政府委員 学校や現場の先生がいろいろ教科書を選定することは、これは事実行為でございます。したがって、法律にいう採択の権限とは別個のものと考えております。
  269. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そうすると、先生が事実上採択をする、そうして、あと教育委員会に届け出て、教育委員会が認定すればそれでよい、こういうことですか。
  270. 福田繁

    ○福田政府委員 私の申し上げているのは、教育委員会が持っているその採択権を行使するにあたって、現場の教師の事実上の選定なりあるいは選定に関するいろいろな意見を十分聞いて採択権を行使する、いわゆる最終的に決定する、こういうようなことであろうと思います。
  271. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 最終的に決定するというのは認可するということなのですか。採択するという事実行為は教員がやって、それを認めるというのが権限なのか、というのです。
  272. 福田繁

    ○福田政府委員 認可するということではなくして、教育委員会自体権限として採択権をみずから持っている、こういう考えでございます。
  273. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 どこに書いてありますか。  それから、展示会というのは、各郡市に並べているのではなく、先生に採択さすためあの制度ができている、そうでなければ何のためにできているか説明がつかぬじゃないですか。無理に採択を先生から取り上げようという思想から理屈の合わぬような解釈が出て、その解釈に合わせて法律をつくろうとしてこの二十三条ができている、そうではないですか。展示会というのは何のためにできたのですか。しかも六、七月ごろ、先生がずっと勉強できる期間を置いて次の採択をするなにができているわけです。先生が採択するということを前提としなければ展示会は意味がわからぬじゃないですか。教育委員会の五、六人が見られるなら、その本を教育委員会の事務室に送ればいいじゃないですか。
  274. 福田繁

    ○福田政府委員 展示会はやはり現場の学校においてそれを十分比較研究してもらうということでございますが、その比較研究するのは、先ほど申しましたように、事実上の選定にそれが有益に反映する、こういうような考え方から行なわれるわけでございます。事実上の選定したものあるいはまた選んだものを今度具体的に決定するのは教育委員会だ、そういうように考えております。
  275. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そうすると、先生が採択して、形式上それを決定する そういう形式的な決定権である、こういうことですか。
  276. 福田繁

    ○福田政府委員 形式的と申されますが、形式上も実質上も権限としては教育委員会にあるだろうと思います。ただ、その権限を行使するにあたりまして、どういうものがよいかということは十分現場の意向を聞く必要がありますので、そういった意味において、この採択協議会とかあるいは採択委員会というような名のもとにおいて、いわゆる諮問機関的な存在として現場の教師の意見教育委員会が聞いている、こういうようなものだと考えております。
  277. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 最終的責任のある教師が採択するのだ、それならぼくも少しはわかるのです。一体教科書を使う人が自分で採択することができなければ、これは教育ができない。明治以来の日本の数十年の慣行で、旧制中学は先生がみな採択したのです。数十年の歴史がある。一体教師からそんな教科書を選ぶ権限をとって何が教育できますか。旧制中学の先生は自分でみな採択してきている。そういうまずい法案をつくって教育の振興をはかるというのはおかしい。だから、先生が採択するのだということを明確にしたあとで改正をしなさい。そういうことでないと先生をでくのぼうみたいにしていくようなもので、先生をそこまで無能力化し、不信な姿でこういうものをつくっていくならば、教育なんて死んでしまうのです。この点について、私はみなさんがどんなことを言っても承服できない。そうして、農村もあれば山岳地もある町村を一緒に限定しなければならぬ法律をつくり、さらに県立でない市町村立の学校教科書の採択をする行為というもの、それは市町村の教育委員会学校の共同行為であるという考えとかいろいろ出るであろうが、児教育委員会がさらに数種を限定する法律をつくるというのは、あまりにも便宜的ではないですか。市町村立学校教科書を採択する権限を県の教育委員会が取るのはあまりにも行政的に無原則ではないですか。そういう法律をつくるのは、それはいかがですか。局長に聞きます。
  278. 福田繁

    ○福田政府委員 市町村の教育委員会教科書を採択するにあたりまして、従来共同採択地区というものを設けまして、大体教師の相当多数の者がこの共同採択を行なっております。したがいまして今回の無償実施いたすにあたりましては、そういう現実の事態を基礎にいたしましての価格の点あるいはまた供給の円滑化というような点を考慮いたしまして、あらかじめ適当な教科書を数種選定するというようなやり方を考慮しているわけでございます。その点につきましては、いま申しましたような、都道府県の教育委員会は、市町村の教育委員会の採択にあたっての仕事についてもさらに市町村よりも広域な立場においてこれを指導助言をする必要もございますし、またいま申しました無償実施するという観点からいたしますと、定価の今後の問題あるいは供給の円滑化というような配慮も加わりまして、都道府県の段階において選定をするという仕組みになったのでございます。
  279. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 市町村教育委員会が市町村の学校を管理する、設置者の責任ということが原則である。そういう中の最も中核的な教科書の採択問題を、いまのように価格を安くするとか何かの問題だ、そういう行政的便宜上簡単に県の教育委員会に持ってくるというふうなことは、これは行政的にあまりにも便宜的な考え方なんで、無原則ではないか。設置者責任主義というものをつぶしている。国の負担の場合、私学の話をしたら、文部大臣は、学校教育の第五条の建前があるからという理屈を根拠にする。今度の場合にはその理屈をとってしまって、県の教育委員会で、県立の学校じゃない市町村の学校の採択権を半分取り上げて選定権という新しい概念をつくって――国でもどこでもかってにしたらいい、法律さえつくればいいというなら。――市町村と県教育委員会は助言指導の関係があるならば、助言指導に基づいて採択を統一する方向の運営をすればそれはわかるんです。すぐ簡単に権限を取り上げるというふうなことは便宜主義である、無原則である。それならば、現在の教育行政組織なんてどうでもいい。全体の組織のあり方、それを私は申し上げているんです。だからほかの法律をつくって市町村の権限をみな取り上げなさい、法律をつくれば何でもいいというならば。かりに皆さんがいう採択権が市町村教育委員会にあるということを前提として論議しても、県の教育委員会は広地域に価格を安くしなければならぬからということで取り上げる。それなら何でも取り上げられる。有償のときにこの問題が起こったんですよ。PTAの負担が重いから広地域採択制という国民の世論は有償の教科書前提として起こった世論なんです。今度は無償になる。無償になるときには国民の税金を、PTAというのは全国みな国民だから、ほとんど完全に還元する税金の使い方だから、いい教科書を合理的な価格で高くても上げるという思想しか出てこないはずである。――有償の教科書のときに起こった世論を、今度は無償になってそういう考えを捨てなければならぬときに、錯覚を起こして有償当時の世論を無償法案の中に入れるというところに間違いがあるのじゃないですか。いまのような論理の中に……。ありませんか、局長。
  280. 福田繁

    ○福田政府委員 どうもおっしゃる意味がよく理解できませんが、私どもといたしましては、有償であっても無償であっても、その点は同じではないかと考えます。と申しますのは、先ほど申し上げましたように、現在の教科書の採択あるいは選定等にあたりましても、県の教育委員会におきまする、県の段階において相当教科書の研究事業というものは活発に行なわれておる、これは御存じのとおりであります。その研究しました結果というものは、いろいろな形において市町村の教育委員会にこれを利用し提供させるような仕組みでやっておるわけであります。そういう現実の事態に即して考えますと、都道府県の段階においていろいろ研究しました結果というものは、やはり市町村の教育委員会教科書を採択するにあたって十分役立つような仕組みを考える必要があるというような教育的な観点から申しましても、都道府県教育委員会において静かに選定するということも当然に考えていいのではないかというふうに思うのであります。単なる便宜主義のみではございません。
  281. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 この法案の中に、無償給与を円滑にするためにこうこうして法案ができているという規定があります。無償と関係ございませんというのは法律の提案説明に合わないじゃないですか。答弁はいいですよ、あとに残しておきます。  時間がかかりますから大蔵省にその関係のことを先にお聞きしておきたいのですが、この法案ができるまでにいろいろのいきさつがあった。それであいまいなものを残しながらこの法案ができておるので、将来この法案が施行されたときに非常に不安なものがある。その点を明確にしておかないと、看板は無償法案であるけれども、いつになったらこれは完全実施になるかという保証はこの法構成の中には何らない。それで私はお聞きしておきたいと思うのですが、調査会の答申の抜粋ですが、「時の法令」、これしかぼくは持ってないが、これには前書きのところで「答申に至るまでには、この施策の教育的意義を積極的に生かそうとする意見と、財政経済上の効率的運用をはかる立場からこれに反対する意見があったが、無償措置の範囲と費用の負担区分については、少数意見を付記するという取り扱いをもって収拾がはかられ、以下に解説するように積極的な内容を持つものとなった。」と書いて、そして三の費用負担区分のところに、「無償とする経費は、もちろん公共財政でまかなわれるわけであるが、それを全額国家財政で負担すべきか、国家財政と地方財政とで分担すべきかという問題は、教科書無償の全面実施前提とし、多額の経費を伴うものであるだけに、最後まで論議を呼んだ。」そしてずっと書いて、そして検討した結果、費用は「当面、国が全額負担で発足することが妥当である」ただし「地方分担については、今後各般の状況を考慮してあらためて検討する必要がある」こういうふうに書いておりますが、これは間違いないですか。
  282. 福田繁

    ○福田政府委員 ただいま御指摘になりましたような趣旨でいろいろと調査会におきまして論議されたことは事実でございます。
  283. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 大蔵省のほうからちょっとお答えください。
  284. 赤羽桂

    ○赤羽説明員 ただいま山中先生お読みになりました趣旨と大体了解しております。文章それ自体は若干答申の文章と違うかもしれませんが、大体その趣旨であります。
  285. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そうすると赤羽主計官、大蔵省の立場は、将来地方負担を絶対しないのだという方針がきまってこの答申が出ておるのではなくて、将来に一つの問題を残しておるというのが正しいわけですか。
  286. 赤羽桂

    ○赤羽説明員 さよう了解いたしております。
  287. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そうしますと、この法案は地方負担二分の一――何分の一になるかわかりませんが、将来この法律が施行されたあとでもそういうことがあらわれるという危険を含んでいる、文部省ではそのつもりでなくてもそういう危険を含んでおるということは間違いない、そういうことになりますね。文部大臣、そうですか。
  288. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 法律に基づいて設置されました無償制度調査会の答申は、いま読み上げられた趣旨のことになっておるわけですが、その趣旨は一応尊重されねばならないことは常識的に当然だと思います。しかしながら、それは少数意見として付記されたにとどまります。だから、全体の総合判断におきましては、国の負担ですべて実施するということが、本来憲法に期待するところの無償の理想の実現という角度から見ました場合には、当然のことだと文部省では考えております。ただ財源的な見地から、大蔵省に意見があるということは否定するわけに参りません。今後の勝負にかかっておるという課題でもございます。
  289. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それはおかしいでしょう。憲法無償というのは国民立場からいって無償ということなので、あと国家事務あるいは地方事務の事務分担の中で、国が半分、自治体が半分というようなことは、憲法の中では否定をしておるのではなくて、国民立場無償という保障がされておるのであって、そういう全額国が負担ということは、何も憲法に保障していないじゃないですか。だからこそ、大蔵省と文部省論議をしたはずなんで、文部大臣憲法解釈は間違っているじゃないですか。
  290. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 憲法に書いてあるから申すのじゃむろんございません。その趣旨を国の立場において、自治体からのいわば盛り上がった要望に基づいて国が協力してやるという課題であるならば別ですけれども、もともと国の立場において、全国民的な立場において、地方自治体の立場でない立場でこの問題を憲法趣旨に沿うものとして取り上げました以上、国費一本でやることが、憲法論そのものじゃむろんございませんけれども行政的判断において当然だと考えるような立場をとっておりますと、こう申し上げておるわけであります。
  291. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 文部省の御意見ですね。だから憲法そのものでは、いまの義務教育国庫負担法にあるように設置者が半分、国が半分にするとか、国が全部持つかは国の政策上の問題で、憲法の保障する無償原則というのは国民立場の話である。そこで大蔵省との論議があったと思うのですが、この辺の真相はどうなんですか。大蔵省の主計官にお聞きしておきたい。
  292. 赤羽桂

    ○赤羽説明員 今度の予算編成時におきまして、いかなる論議が双方実際に行なわれたかということにつきましては、私、ちょうど担当いたしておりませんので、具体的にはっきりと申し上げかねるわけでございますけれども、大蔵省といたしましては、先生のお話のございましたとおり、今回の措置が義務教育全般の施策の一環として考えるべきではないか、したがいましてほかの義務教育諸施策と同様に、地方公共団体との経費分担を考えるべきではないかということを言っておったわけでございます。その結果といたしまして、無償制度調査会の付記されました意見といたしまして、今後検討をするという結論になったと承知いたしております。
  293. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 自治省はどうです。参加されておるはずですね。自治省の意見はどういう意見ですか。
  294. 山本悟

    ○山本説明員 自治省といたしましても、この教科書無償交付に関しまして、地方負担をすべきかどうかということではいろいろ議論があったことは承知いたしておるわけでございますが、原則といたしまして、文部省のほうからお答えになりましたような考え方を私どももとっております。結論としては、答申といたしましては将来になお問題は残っておりますが、まず当面の今回の問題としては、全額国費ということにきまったと承知いたしております。
  295. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 全国市町村は、これが二分の一自治体が負担というなら絶対にこの法案はわれわれのむわけにいかない、そういう決議をして国会に来ておるわけです。したがって、これがあいまいで、そして大蔵省も責任を持って答弁できないのですから、この調査会の議事録があるでしょう。委員長議事録を出すように文部省に要求してください。
  296. 床次徳二

    床次委員長 議事録は出せますね。
  297. 福田繁

    ○福田政府委員 これは非常に膨大なものでありまして、その部分に関するところだけでございますれば、これは御要請に応じたいと考えます。
  298. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それでは次の機会に出してください。そうでなければこの法案は一体どういうことになるかわからぬ。したがって、私はここでいまの答弁で、はいさようでございますかと言うわけにいかぬから、これは保留しておきます。  さらに私お聞きしたいのですが、この法案は、一体義務教育九カ年を完全に実施する保障がこの法案の中にありますか。大臣、どこにあります。
  299. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これはこの前もどなたかにお答えを申し上げましたが、義務教育学校に使います教科書無償とするという根本方針は、この前の通常国会で御審議願いまして決定しております法律できわめて明確である。それを具体的に、実施するについての実施方法を主として今度の法案で規定し、御審議を願っておるわけでございます。
  300. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それは理屈ですね。附則の四には、「当分の間、第五条の規定により教科用図書の給与を受ける児童及び生徒の範囲は、同条の規定にかかわらず、政令で定める。」。看板はそうでも、何にも保障はないじゃないですか。そうして戦後の当分の間という法律を見なさい。何十年でもそのまま残っておりますよ。養護教諭だって、当分の間にして、十数年残っておるじゃないですか。現実に保障がないです。だからこの「当分の間」というのは戦後の法律用語としては無期限という意味です。だから保障がないじゃないですか。
  301. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 その「当分の間」の趣旨は、小学校一年から三年までが当分の間でありまして、当然に中学三年までがそれにプラスされているという本質を持っておりますから、その経過的な期間をさして当分の間と申しておるのであります。
  302. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 幾らそんなことを言ったって、大蔵省は地方分担についてはこういう意見でおるので、私、議事録を出せと言っておるのですが、そういうことを含んで、戦後のあらゆる法律の当分の間という現実を見て、何年でこれができるかということが法律上何の保障もない。ここに私は、この法案が非常に憲法精神からして不適当な点があると思うのです。昭和何年までという明示がこの法律にあるならばいざ知らず、小学校をまず三年やる。一つの家庭において二年の弟はずっと永久に無償でもらえる、一緒に勉強しておる兄貴の四年の子供は、延ばされてくるから、中学を卒業するまでもうもらえないかもしれない。そうして家庭において弟が無償で教科雷をもらう、兄貴は有償でもらう。これはそういうまずい法案なんです。したがって、何年までというような規定をしなければ、こんな法案は、私は、教育の振興にはならないし、あらゆる欠点がここに積もってきておると思うのです。もし憲法十四条の法のもとに平等ということば精神をほんとうにこういう政策的にも用いるとするならば、金がなければせめて中学校の三年生からなぜやらないのですか。中学校の三年の子供は卒業する前にもらっていけるから、現在おる義務教育の在学生は平等的にまず無償の恩恵を受けて出られる。下から積み上げていけば、いまの三年以上の者は永久にもらえない。そうして当分の間です。小学校の六年までいって、また法改正で、財政がない、大蔵省と何だかんだ論議のうちに、当分の間小学校六年にとどめるということだってあり得るでしょう。すでに天野文部大臣のときの前例があるじゃないですか。私はそういう意味において、この実施のしかた、そして「当分の間」と比べると、まことに不適当な法律だと思うのですが、どうですか。
  303. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 御指摘の点は私もそう思わないわけじゃありません。すっきりといくならば、もうずばり一年度でもって中学三年までやるということであるべき本質を持っているものと思います。それがどうも現実がそれを許しませんでしたから、漸進的にその方向へ邁進しておる姿だ、その邁進せねばならない趣旨は、この前の通常国会で決定していただいた法律がきわめて明瞭に宣明しておる。年度の区切りこそありませんけれども、その根本の方向、方針というものは大蔵省といえどもかれこれ言うわけにはまいらぬ、そういう内容を持っておるもの、そこでそれ以下は政治的な発言でしかないわけですけれども、先刻もお尋ねに応じてお答えしましたように、閣議決定をして法案を出して、御審議決定をしていただいた内閣の責任者たる総理大臣は、初年度を加えて五年以内に必ず実現をする政治的御約束は国民国会を通じていたしております。しかし御指摘のとおり、法律それ自体がその総理の発言そのものを裏づける条文的なものはない、その欠点は認めざるを得ないと思います。
  304. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そういう財政的な憲法無償原則というのは、私はプログラム規定だと思うのです。順序がなければできない。だから一ぺんにということはあの人権の規定の中には私はあえて要求されていないと思うのでやむを得ないと思うのですが、じゃなぜ上級生からやらないのですか。いまおる下級生が無料でいただいて、いまの中学生というのは永久にもらえないじゃないですか。現在同じ義務教育という社会的地位の中におる子供、児童に対して。だからもっと法律精神憲法精神に基づくならば、上からやるべきだ。さらに、ほんとうをいえば、なぜ教科書の種類でやらないか。同じ二十七億なら二十七億を使うならば、国語と数学というのは、どこでも小学校一年から中学三年まであるじゃないですか。国語と数学をまず第一年は実施をする、第二年は五種にする、第三年は何種にするというならわかるのです。そういう政策をとり得るのにとらないで、下級生にだけ限定をして、そして当分の間という法律は、大体精神が悪いのです。荒木さんの精神が悪いからこういう法律が出てくるのです。財政的な問題を言うならば、もっと憲法精神に基づいて教育的に考慮できる、先生から教科書を選ぶ資格も地位もとってしまういまのようなやり方をする、そして市町村の学校のいわゆる選択権を県にまでとる、あらゆるところに便宜主義が入っておるじゃないですか。それについてはどうです。
  305. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 いまの御指摘の点は、これは方法の問題であろうと思います。御指摘のような考え方もある。学年進行的に完成の方向へ向かう方法もある。いずれがベターかという御批判はあるかもしれませんが、本質論じゃないと思うのです。
  306. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 本質論ですよ、これは。それは義務教育を完全に実施するのが一番よいとあなたは思想を発表されたじゃないですか。一つの家庭の中にきょうだい三人おると有償の者、無償の者、半分だけやがて無償になるかもしれない子供――そのときにどうして教科書を種別において一斉に平等におやりにならないのか。これはそんな単なる、いまのようなあっさりしたお考えでない――基本思想にあやまちがあるからこういうことになるのだと思う。  さらに次にお聞きしたいのですが、この法案は、まず一応小学校の三年まで実施をする。あと四年以上の者は依然として金を出して教科書を買う生徒、児童、その父兄である。そして皆さんはこの無償教科書をやるためには、税金で払わなければならぬ。諸沢教科書課長が論文に書いてある。統制をとるのは当然だというような思想を書いてある。ところが有償の児童生徒及び父兄に対して、無償という立場からつくったこの法案を全部適用さす法律じゃないですか。全国で二千万の児童生徒があるとすれば、その三分の一の五、六百万の子供が無償で、こういう同一の法律の規制を受けるべきあと千四、五百万の児童生徒は依然として教科書を金で買うのですよ。そうして法律で拘束される、こんなばかな法律がどこにあるのですか。だからこういう法律を最初に出すのが間違いだ、もう少し実施をしたあとでこの採択、発行の分はやるべきで、実際に無償に関する部分だけを出すべきですよ。大体児童生徒の大部分無償制度に入ったときに適用する法律ならわかる。この採択と発行というようなものは無償前提としてつくった規定で、しかも無償の子供は三分の一しかいない。三分の二の児童生徒は有償であるのにこの法律支配に入るというのはおかしいじゃないですか。それこそ憲法精神を知らない、法のもとに平等だという教育の目的を何にも考えていないじゃないですか。この法律はせめて小学校を完全にしたときにこの三章、四章をお出しなさい。解釈がそうであったらそれでけっこうだが、統一する必要はない。たった小学校の三年まで無償にしておいて、有償の児童生徒の四年以上の者に適用さすという法律は絶対におかしいじゃないですか。どうですか、荒木先生。
  307. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 採択権がだれにあるかという論議は、御説もありましたが、私ども教育委員会にある、こういう前提においてものを考えておるわけであります。すでにしてそうであり、またそういうことで今日まで現実には八割以上が種別単位で採択が行なわれておると承知しておりますが、その現実の必要、その実績が雄弁に物語っておる。その事態をとらえてその方向へ制度づけをするということは、無償そのものにも関係しますが、そうでない義務教育課程の教科書につきましても同様に考えることは何ら不当なことではない、かように考えるのであります。
  308. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 いまのお答えは採択権のお話をされたようですが、教科書無償とするという条文を第五条に規定しておって、第五条の分は、これは政令に譲ると、こうしておいて、そうして有償、買うところの児童生徒の千五、六万百人を前提として、この教科書無償に関する法案のもとに規定しておる三章、四章、五章を適用させるのはおかしくはないかというのです。全部実施をしたあとにこの法案が出すべき条項がたくさんあるじゃないですか。だからこの法案を出すのは時期尚早なんです。最初から二つの法案で出すならわかるのです。教科書無償に関する事項と、採択発行に関する事項と。そうして無償に適用された児童生徒より及ぼすというような法律ならわかるのですが、ひっくるめて、無償の恩恵を受ける子供の飛ばっちりを受けて、三分の二の子供に適用せしめる法律を出すことはおかしくないですか。これは法のもとに不平等ですよ。法制局長を呼びなさい。ここまでくれば、少しは拡張解釈をするとおかしくなるんです。この辺は明確にしなければ、この法案前提が私は煮詰められない。そこで一方に答申の内容についてもまだ宿題がたくさんあるので、その辺を私は明確にしないと、この法案についての審議の立場が出てこないと思うのです。私はその答申の速記録全部が膨大なものならば、大体要点をしるした資料をもらわなければこれ以上審議を進めることができないので、質問を保留いたします。
  309. 福田繁

    ○福田政府委員 ただいま御指摘になりましたのは、無償実施の年次計画と採択等の制度の整備の問題が時間的にマッチしてないじゃないかという御指摘のように伺ったのでございます。この問題につきましては、すでに御承知のように、郡市単位の広域採択という問題は、この無償実施される以前から現実に全国で行なわれております。したがってその問題は、これは教育的な見地から共同採択あるいは統一採択というものが行なわれているわけでございます。したがってこの法案が成立いたしましてこういう無償実施されるにあたりましても、現在のそういうやり方を継続して行なうという点においては同じでございます。したがって政令によって毎年段階的に無償が拡大されていくわけでありますけれども制度として採択制度を全般に適用するということは、教育上の見地から申しましても別にふしぎはないというように考えるのであります。したがってもし御指摘のごとく考えるならば、逆に申しましてこの法案自体は時限法的な考え方考えなければならないかと思います。したがって三十八年度あるいは三十九年度だけの問題として考えるならば、こういう恒久法でなくして御指摘のような点もあわせ考慮できるかもしれませんが、この問題は少なくとも年次的に計画が進むといたしましても、無償実施するということは恒久法としてこの法案が考慮されているわけでございます。二十六年当時の一年限りの暫定法とは非常に違っております。そういった意味無償実施するについて、そういう採択あるいは発行の制度をあわせて整備するということは当然のことだと考えております。
  310. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そんなのはくそ理屈ですよ。たとえば教科書出版会社のほうから言いますと、中学に使う教科書しか発行していない出版会社が、調べてないけれどもあるかもしれない。そうしてこの法案無償前提として業界に対して立ち入り検査とか、統制を加えようとしている。小学校の三年以下には使わない教科書を発行しておる出版会社もこの適用を受ける法律じゃないですか。その指定ということばの中に、私は速記録を見せてもらわなければ困ると思うのですが、憲法の営業の自由その他でいろいろ論議はあったに違いない。しかもこの法律を全面実施することによって有償で子供に買わす会社も統制を受けるのですよ。なぜこんなものを早く出すのですか。矛盾があるじゃないですか。だからそこにいろいろと私は同情はしますよ。無償を実現するためにこう書かないと、与党のわからない人も聞かないし、大蔵省も自分でやったかもしれない。こういう政治的に非常に苦労した法律だからこそ矛盾が出ると思うのです。これは出直すべきじゃないですか。私は、そちらの考えが間違っておる、採択権が間違っておるかどうかということは保留してもよろしい。しかしそういう出版会社の統制をするという立場においても、無償教科書を発行する会社も、有償の教科書を発行している会社も同じように統制を受ける法律ですよ。そうして「当分の間」といって、二十年、三十年引っぱられるかもしれない。どんな事情の変化があるかもしれない。その辺を明確にしなければ私はこの質問を打ち切るわけにいかない。したがって先ほど言った議事録を次の機会に出すまで質問は保留いたします。
  311. 床次徳二

    床次委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  312. 床次徳二

    床次委員長 速記を始めてください。  本日はこの程度とし、明土曜八日午前十時半より理事会を開会することとし、散会いたします。  なお、次回の委員会は来たる十日午前十時より開会することといたします。    午後七時四十五分散会