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荒木国務大臣 アメリカに限らず、どの国との
文化交流につきましても、同じようなことが心配するという
立場からは心配だと思います。露骨に申せば、むしろアメリカとの
文化交流よりも心配なのは、ソ連や中国との
文化交流がよほど心配だというようにも言えぬこともない。それというのも、今の
憲法の
趣旨、
現行もろもろの
立法を通じて見ましても、おっしゃるような心配を防ぎ得る権力とか制度というものはないと私は心得ます。一人々々の
国民の良識にうったえ、微動だもしない、だまされないような
自主性を持ったよき
日本人を
育成するということによって対抗するほかはない、こういうふうに私は思います。
また御指摘の学術
振興法を御引用になりましたが、そういう構想はございました。しかしそれは学問の自由をどうしようこうしよう、規制しよう、そんなことでない。学問の自由をも
一つと伸ばしていって効果あらしめるためにはどうすればいいだろう、
教育基本法にいうところの
条件整備の一環としての構想以外の何ものでもないわけであります。と申しますのは、今の国立大学の学問研究のための手段としての財政
措置具体的に言えば
予算要求の
課題をとらえましても、各大学が思い思いに思いつかれたことを
文部省で受けとめて、いわば大学人にかわって代弁して大蔵省の主計局と折衝する、そういうやり方でやっておりますが、そのことは
考えてみれば、
予算規模は、望みは無限にございますけれども、現実には
文部省に配当さるべき新規財源というものには限度がある。その限度があるもののうちから大学の学問の自由、研究の自由、成果をあげるために
予算でもってこれを裏づけせんとならば、おのずから緩急軽重を
考えざるを得ない。何が最も有効な
課題か、今特に緊急
課題として取り上ぐべきものは何だ、すべてが学問的価値のある
方向を目ざしておるとは思いますものの、限りある財源にこれを当てはめるという現実に直面しました場合、緩急軽重というものの客観的根拠というものが、いわばわからないのであります。そのときの状況に応じて取捨される。極端に言えばそういうこともあり得る。望ましいことではない。できるならば学術
振興会議というようなものがあって、そこに権威者がおって、
文部省の役人よりももっと高い総合的な見識を持った人々、それは個々の大学の実態も十分に知り、そこの学者との学問的な共感、共通の
考え方も理解でき、持っているような人々に相談をすることによって、その緩急軽重がそのときとして判断され得るならばさぞ便宜であろうという
課題があるわけであります。そういう
意味において、これこそ大学人の側に立ち、全
国民的
立場に立っての客観妥当性を持って取捨してもらうという組織があるならば望ましいなあということであります。あくまでもそれは学問の自由に立脚し、学問の成果をあげていく、そして
民族の発展、
国家の繁栄、
世界人類にも貢献しようということにつながるがごとき、その崇高な
目的を有効に果たす前提
条件としてそういうものがあるならば望ましいのじゃなかろうかということを出でないのでありまして、学問の自由をどうこうするという
課題とは全然別個の、むしろそのための手段であるというふうに御理解いただきたいと思うのであります。